はてなキーワード: 実は私はとは
突然の卒業発表から6日間考えて、21日の最後のステージも見て、私が色々考えて考えて、落ち着いた答えがこれでした。
私はあかりん卒業頃からゆっくりももクロちゃんを追いかけてて、なかなか現場に行けないタイプのモノノフです。全て、私の個人的な意見ですが、お疲れ様とようやく言えたので、書き残したいと思います。
卒業発表をしてから21日が終わるまで、誰の言葉を聞いても、私は自分の中で有安杏果の卒業に納得がいってなかった。でも21日の翌朝、目が覚めて、そっか。と思いました。
ももクロを続ける中で、私たちの知る、私たちの望む「ももクロの杏果」の姿と本当の杏果との間に、開きが出来て来てたんじゃないかなと。もうどうしようもないくらいに。
だから21日に言った奇跡の5人はももクロ4人とモノノフだって、その言葉も本当の気持ちなんだろうと思います。あの言葉は謙遜でもない気がしてる。エールでもない気がする。純粋にそう思ってたんだろうな。他のメンバーは違う。私だけが「ももクロを演じてる」んだ、って。多分、いつも。
卒業の真意はわからない。半永久にわからない。「普通の女の子」の奥にある心の声はわからない。だけど、ももクロのももかはここまでです、って終わりたかったんだと思う。それは多分、本当だと思う。無理して続けることは無理だったんだと思う。
ももクロの杏果は、普通の女の子に戻りたかった。表も裏もなしにしたかった。
だから最後に言って欲しかったのは お疲れ様、なのかなって思いました。
杏果がももクロには必要なんだよ、っていう気持ちは緑推しを筆頭にみんな思っていたから あの時に なんでそんなこと言うの?違うよ?って思う人が沢山いたと思います。
杏果も、自分がちゃんと必要とされていたことはきっとわかってると思うんです。でも「ももクロの有安杏果」として必要とされていると思っていたんじゃないでしょうか。
杏果が無理して笑ってたとは思わない。嬉しくて笑ったことも面白くて爆笑したことも悔しくて泣いたこともちゃんと有安杏果とももクロの杏果が一緒だったときはちゃんとあったはず。それはきっと嘘じゃない。
私は初めて杏果にあったときに、自分以外の推し色のピアスとネイルを褒めてくれたのを覚えいます。なんて優しい子なんだろうとおもいました。それは今でも更新され続ける沢山の業界の人やファンが語る思い出にしっかり刻まれています。残され続けます。その思い出は嘘じゃないって思います。
奇跡の8年間。
最後まで最高にかっこよく可愛く儚いのに存在感を出して、ももかがももクロを演じ切ってくれたこと、ほんとにお疲れ様といいたい。ありがとう。本当にありがとう。そしてお疲れ様。
そして、残された4人とモノノフ。
今、4人はそこまでなるまでにどうにかできなかったのかという辛さと、どうしたら良かったのかわからない不甲斐なさをめちゃくちゃに感じたと思います。私はあの最後のスピーチを聞いて、卒業をつげたあとに本当に5人で話し合うことはなかったんじゃないかなと感じました。ふんどしでは話し合ったって言ってたけど、本当に心をぶつけ合うことはなかったように思います。
ちゃんとちゃんとみんなで話し合ってほしい。前を向くことも大事だけど、足を止めて考える時間を持ってほしい。もちろんお仕事だから表向きは前を向いててくれていいけど。そう思います。
そしてモノノフの皆さん。
私は今回、ももクロはシナリオのあるシンデレラストーリーじゃないって知ることが、杏果が残してくれた大きな置き土産だなと思ってます。
衰退する時がいつか来るかもしれないと、
教えてもらった気がします(ももかがそれを望んだかはまた別の話です)
実は私はこの一件があるまで、少し現場を離れてました。でも、こういったことが起きて、自分が出来る事は応援することだと思った一方、じゃあ応援とは?と考えさせられました。正しくは、きちんとお金を落とすこと、かなと思います。いきなり現実的な話ですが、ももクロの活動は部活動ではなくお仕事です。ちゃんとお金を正しく使って、数字を上げてあげることが手っ取り早く貢献できることかと思います。かなこちゃんの言う、他のお仕事をしていても帰ってこれる場所がももクロになれるように、
おわり。
実は私はあのスタイルに結構憧れてて、でもWindows派なうえに、仕事の資料はほとんど職場から持ち出し不可だったので真似しようがなかった。正直カフェで一所懸命パソを操作している人がどんな仕事をしているのか謎だったけど、たまたま別のカフェで画面が見える状態だった人がいて、デザイン画みたいなのを描いていたので、「そういうのが外でできるんだ」と感心した。普通はテキスト系の入力か、数字いじりのどっちかだと思うけど。
そういう連中が顰蹙をかうのは、ひとえに長時間席を占領して、後からきた客が座れないからではないの?それは後から来た客にとっても店にとっても損失である。「混雑時の長時間の勉強や作業はご遠慮ください」と注意書きをしてあるカフェもある。本当は自宅でできる仕事でも、家だと誘惑が多すぎて違う場所で集中したいという気持ちは分からなくもないけど、最近は図書館とかでPCを使える場所もあるんだからそっちへ行けばいいんじゃないかな。
ちなみに私はさんざん悩んだ結果、8インチ画面のタブレットと、外付けキーボードを買って解決した。SNSを見たり、ここみたいなところに書き込んだり、Q&Aサイトを読んで回答できそうなものに回答したり、仕事に関係ないことにしか使い道がなかったのでそれで十分だ。たまに一所懸命入れた文章が吹っ飛んで悲しい思いをすることもあるけれど、入力できなかったからといって、誰にも迷惑がかかるものでないものが多いので「ま、いいか」と思うことにしている。
1972 ポーの一族
1981 吸血鬼はお年ごろ
1982 ときめきトゥナイト
1983 吸血鬼ハンターD
1986 悪魔城ドラキュラ
1987 ジョジョの奇妙な冒険
1988 吸血姫美夕
1996 羊のうた
1996 マスターモスキートン
1998 HELLSING
1998 屍鬼
2000 月姫
2001 トリニティ・ブラッド
2002 彼岸島
2003 ヴァンパイア十字界
2004 BLACK BLOOD BROTHERS
2004 ロザリオとバンパイア
2008 血界戦線
2012 終わりのセラフ
2013 実は私は
俺はこれまでの人生で半年だけ無職だった時期がある。ネカマをやっていたのはその頃のことだ。26才だった。小人閑居して不善をなす。まったくその通りだと思う。つまらない人間に暇を与えるとろくなことをしない。
きっかけは2ちゃんだった。当時、俺は2ちゃんに入り浸っていた。ある日、表現規制について議論になった。その時に誰かが俺に言った。
面食らった。俺を女だと決めつける奴が現れたのだ。その時はネカマだったわけではない。向こうが勝手に勘違いしたのだ。俺はなんとなく楽しくなり、そのまま女として振る舞った。すると誰もがそういう前提で話しかけてきた。議論そのものよりそっちが楽しくなった。
それから俺はネカマに目覚めた。しばらくは2ちゃんが主戦場だったが、やがて色々な場所に書き込むようになった。ツイッター、チャットルーム、増田。ネカマをやっていていちばん驚いたのは、なんと言っても食いつきの良さだ。ツイッターでの反応はたぶん男女で百倍ぐらい違うと思う。どんな下らないつぶやきにも一定の反応があった。男は基本的にアグレッシブだ。この世に草食系なんて実在しない。
俺はこの「入れ食い状態」が楽しくてたまらなかった。それまでネカマなんて最低の変態野郎だと思っていたが、いざやってみたらこれだ。ネカマは麻薬みたいなものだと思った。俺はネカマをやることによって歪んだ承認欲求を満たし、さらに女を演じることにより、倒錯的な快楽にも目覚めてしまった。いちどこの沼に浸かると、なかなか抜け出せない。色んな男がいた。とにかく会いたがる奴、画像を送れとうるさい奴、下心が無いことをやたらとアピールしてくる奴、どぎつい下ネタを吐き捨てて消える奴。
気付くと俺は8人の女を操っていた。ゆき、さとみ、みわ、けいこ、まさみ、れいな、あい、めぐみ。
その中のひとり、さとみについて。
彼女はツイッターの鍵アカだった。8人の中でいちばん素の俺に近かった。特にキャラを作るわけでもなく、俺の本当の生活や趣味を、性別だけ偽って淡々とつぶやいていた。
それでも話しかけてくる男はけっこういた。大抵は他愛ないリアクションから始まるのだが、こっちがリプを返すと、相手は一瞬にしてテンションを変えた。自戒を込めて言うが、本当に男は単純だ。露骨なエロ目的の男もいた。下着姿の画像を送れと言うので、ネットで拾った適当な素人投稿画像を送る。すると今度は別のアングルが欲しいと言う。また適当に拾って送る。男は「体型が違う」と指摘してくる。やべえ、バレた、ブロック。
不毛だ。こんな不毛な行為が他にあるだろうか。しかも俺は無職だった。仕事を探せ。
そんな中、ある男とDMで話すようになった。彼は古典芸能のマニアで、女流義太夫というかなりマイナーな分野に精通していた。実は俺も女流義太夫のマニアなのだ。大学の時にこの世界を知り、一気にのめりこんだ。知らない人にどう説明すればいいだろう。人形浄瑠璃の人形が無いバージョンと言えば伝わるだろうか。義太夫と三味線の二人だけで演じるのだ。
ある日、俺は上野に義太夫を見に行き、あまりに感動してさとみのアカウントでその想いを興奮ぎみに連投した。彼はそれを見て話しかけてきたのだ。
さとみ(俺)と彼の交流が始まった。彼は京都に住んでいた。彼の古典芸能に関する知識は凄まじかった。さとみ(俺)は彼を師と仰いだ。それまで俺には義太夫を語り合える相手がいなかった。だから喜びもひとしおだった。彼とは古典芸能の話だけをした。それ以外のプライベートなことには全く触れず、ひたすら女流義太夫の素晴らしさについて語り合った。義太夫の声の唸り、絡みつく三味線の繊細な響き、そのアンサンブルの素晴らしさについてDMで何時間も語った。そんな日々が3ヶ月ほど続いた。だんだん俺は後悔するようになった。俺がさとみであることに。俺は彼を騙しているのだ。こんなに深く語り合える相手なのに。罪悪感に押し潰されそうだった。最初から男として知り合っていれば、こんなことにはならなかったのだ。一緒に観劇もできたかもしれない。終演後にビールを飲みながら語り合えたかもしれない。
俺は決意した。彼に本当のことを話そうと。それで関係が終わるならもう諦めるしかない。怒られたら誠心誠意あやまろう。俺は彼にDMを送った。実は男であると伝えた。悪気はなかったが、結果的に騙していたことはたしかで、その点については深く反省している。後悔もしている。もっと早く言うべきだった。そういう旨を伝えた。何度も何度も推敲して、どうにか気持ちが伝わるように書いた。たぶん無視されると思った。それも仕方ないだろうと覚悟していた。でも予想に反して、翌日に返信が来た。
驚くべき展開だった。私もずっと罪悪感を抱えていました、いつか本当のことを言わなければと悩んでいました、だからあなたが男だと知った時は逆に嬉しかったです、これでオアイコですね!
どう返信したらよいかわからなかった。あまりの衝撃に指が震えた。キーボードがうまく打てなかった。すぐに彼女から追加のメッセージが届いた。
「来週東京に遊びに行くので、お暇なら一緒に義太夫を見に行きませんか?ちょうど面白そうな演目を見つけました」
もちろん俺は暇だった。何せ無職だ。時間は腐るほど余っている。余りすぎてネカマになったほどだ。俺達は会うことになった。当日、現れたのは白髪混じりのオッサンだった。
「いやー、反撃してやろうかと思って。僕も女に化けてみたよ!」
オッサンはそう言って豪快に笑った。その笑顔はとびきり優しかった。恥ずかしい話、俺は落涙しかけた。
オッサンは京都のけっこうでかい会社の役員で、かなり立派な人だった。俺達は一緒に義太夫を見に行き、帰りにビールを飲んだ。オッサンは俺が無職であることを本気で心配してくれて、色々と親身になってくれた。ネカマの件は一笑に付してくれた。その日を境に俺はネカマをやめた。どうにか転職もできた。来月、今度は俺が京都に遊びに行く。またオッサンと一緒に義太夫を見に行く。
土曜夜10時頃に友達の車で3人で宮城から横浜へ出発。溜め込んでいたアイドルタイムプリパラを視聴しながらの移動。これは正解だった。
これから見るVRライブへの期待を膨らませるのと、しゅうか様という魅力的なアイドルを見る事が出来たからだ。
アイドルタイムイズマネーは今からでも十二分に流行語大賞を取れるポテンシャルを持っている。
ちなみにファララがライブをする直前辺りから記憶が無い。運転手をした友人に感謝。
車で仮眠などを取りながら友人の当日券はないのか、という言葉を聞いてチケットサイトを調べた。当日券があった。
私達は午後19時からのC公演のチケットしか持っていなかったのだ。
そこからは激しい論戦があったが最終的にB公演のチケットだけを取ることにした。これは正解であり、失敗だった。私達はA公演も見るべきだったのだ。
あの素晴らしいライブ、スペシャルゲストのトリコロール、そして配布のコーデ。
運転手をしてくれた友人には悪いがあれは和を乱してまでも見るべきものだったと今なら言える。
コーデに関しては私のお気に入りであるガーネットアラブの色違いだと家に帰ってから気づいたのだった。
B公演の席は半分ほど空いていた。
ライブという文化を避けてきたためペンライトは持っていなかったし、最初は買う必要は無いと思った。しかし、ライブが始まるとあれ程の手持ち無沙汰感は無い。終わってからペンライトを購入した。
これからライブの感想に入るが曲目については誰も触れていないので私も触れないようにしておく。
一番手は夢川ゆいからだ。アイドルタイムが溜まり、ライブが始まる。
実は私はVRについて半信半疑だった。後述するマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイをメインにここまで来たからだ。
曲が始まるとキャラクターが現れる。ステージの上でキャラクターが、夢川ゆいが踊っていた。あまりの感動に友達が隣にいなかったら泣いていたかもしれない。ゲームでもアニメでも無く、キャラクターが確かにそこにいると感じた。
歌って踊るゆいを目の前にした私は語彙力を失ってただただ「すごい」というしかなかった。
この感動は他の何物にも例えることが出来ないだろう。
歌が終わるとキャラクターによるMCが入る。アニメで見たままのゆいが話している。ユメっている。そしてらぁらもまたVRで登場する。
喋っていないキャラクターも棒立ちなのではなく、そのキャラクターの個性が現れていたと思う。
みれぃは客席を意識しているように見えたし、ドロシーとシオンが暴走したときのレオナの焦りはまさにそのステージ上にキャラクターが存在していると感じさせられた。シオンがピシッと立っていて微動だにしなかったのはシオンらしさを感じたし、少し笑った。
振り付けはアニメやゲームでは見えない部分が見れてとてもよかった。それにそれぞれのキャラクターの振り付けが少しズレていたりするところでリアルさと存在感が増したと思う。
これ程までにルールを破って撮影したいと思ったことはない。ステージ上で踊るキャラを全て追うのは私には不可能だった。
この後C公演を見るのだがそれでも足りなかったと先に書いておく。
らぁらとゆいはアンコールにも応えてくれた。それが録音された予定調和だったとしてもキャラクターを目の前にした私にはとても嬉しいことだった。
曲目は書かないがその曲をそのコーデで演るかという唸るような演出もあった。
キャラクター達のライブが終わると次は観客達のマイキャラちゃんが登場するマイキャラランウェイだ。
これは入場時に預けたトモチケから抽選で30人が選ばれるというもので、当たればスクリーンにマイキャラちゃんが現れる。
結果から言えば私のマイキャラ、はいねちゃんがスクリーンに登場した。しかし私は焦りすぎて写真を取ることが出来なかった。
VRが期待外れだったら立ち直れないほどショックを受けていただろうがVRライブは予想を大きく上回るとても素晴らしいものだったためそこまで大きなダメージを受けずに済んだ。
ライブの全てが終了し、退場すると出口でステッカーを配っていた。聞くと映像に乱れがあったお詫びらしい。ステッカーはシオンだった。何故なのか。
ライブシアターを出て近くにあった鶏料理専門店の居酒屋っぽいところで夕食。
頼んだのはあじみ先生の大好物であるチキンライスだ。私はあじみ先生推しである。
食休み経てC公演へ。
入場時に今度はらぁらのドリンクとまた缶バッジを購入。ステッカーはドロシーで缶バッジはシオンだった。何故なのか。
プリパラガールズのあいみぃさんやそらみスマイルの声優さんが来るスペシャル公演だったから当然だろう。
友達の真横を声優さんが通ったり、友達が違反チケットを貰っていたりしたが声優さんについては詳しくないので割愛させて頂く。
さっき見たばかりのライブでも少しも飽きを感じることはなかった。
C公演のスペシャルゲストはファルルとジュリィ。私はジュリィも好きで食い入るように見ていたがランウェイが無いのが残念だった。まあこれは仕方のないことなのだが。
私はこのライブの内容を正確に伝える自信はないし、正確に伝えられなくていいと思う。
この感覚はライブを直接見た人間の特権だ。なので感想を誰かに言うときはアサヒに倣って、「ヤベー」「チョーヤベー」「マジヤベー」で済ます。
そして帰り道ですでに、今現在もまだVRロスに襲われている。
http://fast-uploader.com/file/7063002021344/
http://fast-uploader.com/file/7063002120902/
記者「じゃあ質問の仕方を少しを変えます。安倍さんは”丁寧に説明してきた”と仰っているんです
が、例えば朝日新聞で、安倍さんの説明が十分でないというのが79%、9月の段階でですね。
で先ほど安倍さんは”国会をずっと見てきた方は大体わかってもらえたんじゃないか”と仰ったんで
すが、実は私は7月の国会の閉会中審査で安倍さんが”加計学園が今治で特区になったと知ったのは
1月20日だった”と。
あの証言で逆にびっくりしてですね。それまで知らなかったなんてことはないだろうと皆の疑念が
膨らんでいるんですね。イエス・ノーでここだけは教えて頂きたいんですけれど、本当に1月20日
だったということをこれからも仰り続けるわけですね?」
安倍「あのー、まずですね。朝日新聞は先ほど申し上げた八田さんのですね報道もしておられない。」
安倍「いやほとんどしておられない。してるというのはちょっとですよ。ちょっとですよ。ほんの
ちょっと。アリバイ作りにしかですね。しておられない。加戸さんについてはですね。証言された
次の日には全くしておられない。」
安倍「批判があったから。批判があったから投書欄等で載せておられますが…いやこれはしかし、
大切なことですから是非皆さん調べて頂きたいと思います。本当に胸を張って、しているというふ
うに言うことできますか?」
安倍「あーこれはあの。これは是非、国民の皆さんですね、新聞をよくファクトチェックをして頂
きたいと思います。
で、今の答えについてはイエス。」
http://fast-uploader.com/file/7063002021344/
http://fast-uploader.com/file/7063002120902/
記者「じゃあ質問の仕方を少しを変えます。安倍さんは”丁寧に説明してきた”と仰っているんですが、例えば朝日新聞で、安倍さんの説明が十分でないというのが79%、9月の段階でですね。
で先ほど安倍さんは”国会をずっと見てきた方は大体わかってもらえたんじゃないか”と仰ったんですが、実は私は7月の国会の閉会中審査で安倍さんが”加計学園が今治で特区になったと知ったのは1月20日だった”と。
あの証言で逆にびっくりしてですね。それまで知らなかったなんてことはないだろうと皆の疑念が膨らんでいるんですね。イエス・ノーでここだけは教えて頂きたいんですけれど、本当に1月20日だったということをこれからも仰り続けるわけですね?」
安倍「あのー、まずですね。朝日新聞は先ほど申し上げた八田さんのですね報道もしておられない。」
安倍「いやほとんどしておられない。してるというのはちょっとですよ。ちょっとですよ。ほんのちょっと。アリバイ作りにしかですね。しておられない。加戸さんについてはですね。証言された次の日には全くしておられない。」
安倍「批判があったから。批判があったから投書欄等で載せておられますが…いやこれはしかし、大切なことですから是非皆さん調べて頂きたいと思います。本当に胸を張って、しているというふうに言うことできますか?」
安倍「あーこれはあの。これは是非、国民の皆さんですね、新聞をよくファクトチェックをして頂きたいと思います。
で、今の答えについてはイエス。」
もう、病気だろ。コレ
突然だが、私には本命のバンドマンがいる。それこそ今回話のメインとなる、昨年2月から今年の半ばまでおよそ1年半私のエネルギーを全集中させたバンドマンだ。以後便宜上、彼のことを王子と呼称する。
王子に出会ったのは2016年2月5日。諸々の縁あって、とあるイベントライブに当日券で入ったのがきっかけだ。私はとても守備範囲の狭いバンギャだったので、その日のライブには目当てとなるバンドはいなかった。スタンディングで見る気力がなかったので2階席へ移動して幕の隙間から見える機材搬入をする真っ赤な衣装に身を包んだ人影をぼんやりと眺めていた。やがて幕が開いた。5年ほど前に一度だけ見たことがある、やたら覚えにくい名前のそのバンドの上手ギターが王子だった。真っ赤な衣装に真っ赤なリップ、派手な金髪、赤と緑のオッドアイ、テクニカルなギタープレイ、ギターソロを弾く真面目な顔、ソロを終えた後に大きな口をパカっとあけて笑う顔。彼の動き全てに目を奪われた。心が震えた。そんな状態のときに、王子は時たま2階を見上げてこちらを指差したりするものだから、完全にハートを撃ち抜かれてしまった。25分のステージが終わりメンバーが捌けるのを見送ったあと、すぐさま近くのCDショップへ走り最新アルバムを2枚購入した。我ながらちょろすぎる。私は王子と衝撃の出会いからおよそ30分で翌月の2ショット撮影会の参加券を手に入れた。
翌月3月14日。ホワイトデーイベントということで30秒トーク&2ショット撮影会が行われた。ガチガチになりながら初めてのイベントへ向かう。ライブ以来の王子。衣装着用時はつけまに派手なカラコン、赤リップ、とキャバ嬢のような見た目をしていたが、衣装でないときは薄いメイクになるようで、男らしさを感じてドキドキした。至近距離で見た王子はむき卵のように白くてツルツルしていて、隣に座るとなんだかいい匂いがした。優しくてかっこよくてトークも軽妙で、30秒間の間に100000000000回惚れ直した。この日の帰りさらに8枚アルバムを買い足して帰った。
4月、5月は毎週のようにライブとインストに通った。王子は3度2ショットを撮るころには私を認知してくれたし、手元にあるインストチケットがなくなる頃には自発的に名前を呼んでくれるようになった。以前通っていたバンドでは空気を貫いていた自分にとってはこれはかなり新鮮で嬉しいことだった。認知されたからには頑張らなきゃ(?)という謎の使命感からライブの本数を増やした。元々ワンマンライブ以外は行きたくないたちだったが、30分でも20分でも王子がステージにたつ公演のチケットはすぐに買うようにした。
7月にはツアーファイナルのため大阪へ飛んだ。王子のバンドの拠点は関西のため大きなライブは必ず地元大阪で行われる。実は私はギャ歴に比べると経験値が非常に浅く、ライブのための遠征の経験がほとんどと言っていいほどなかった。このライブが私の初遠征の皮切りとなり、以降東京大阪間の移動へのハードルがぐんと下がったように思う。
本当にこの頃、王子が好きで好きでたまらなかった。早いチケットを買い直してライブに行った。王子が構ってくれないと楽しくなかったからだ。構ってくれた日は浮かれて浮かれて、だらだらとツイッターに感想を垂れ流した。ライブの合間に行われるインストのために、バカみたいにCDを予約した。たくさん王子と写真を撮った。写真なんていらなかったけど王子に私という存在を忘れられるのが嫌だったから、毎週毎週飽きもせず撮影会へ向かった。私の顔を見て名前を呼んでくれるのが嬉しかった。
こう何度も現場に出向くようになると、周囲にいるファンの誰が王子を好きなのかも分かるようになってくる。いつも同じ列に並んでいる他のファンにたいして無駄に対抗心を持つようになった。こいつらが見てない王子を見たいという一心でたかだか20分程度しか持ち時間のないイベントライブのために地方へ行ったこともあった。とにかく私しか知らない王子を求めていろんなことをした。結果、何かが手に入ったわけではなかったけどその場限りの優越感を楽しんだ。
頻繁にライブに行くようになったある時。王子が贔屓にしている人が誰なのか、分かってしまった瞬間があった。周年記念のワンマンライブ中、そのうえ2列目にいたにも関わらずワンワン泣いた。その日、王子とは目も合わなかった。あまりにショックで翌週の大阪遠征も取りやめた。チケットは捨てた。10月のことだった。
しばらくの間、ショックでライブの本数をかなり減らした。11月に一度話す機会があったのでそこで少し会話をして、クリスマスにライブに行った程度。どちらも大したことは話せなかった。代わりに時々ファンメールを送った。ファンメールといっても、王子に対する八つ当たりのようなことばかりかいていたので、実際には迷惑メールだったが。迷惑メールを送り続けたことで、1月の接触では「痛い女」と王子に言われてこれまた泣いた。しかしそんな風にいいつつも、王子は優しいところがあるので迷惑メールに書いた私のお願いを結構聞いてくれることがあった。私信とまではいかないが、ツイッターやブログ、接触等で律儀にレスを返してくれる王子がやはり好きだなあとその度に実感していた。
ファンメールから徐々にモチベーションを取り戻した私は2月からまた少しずつライブの本数を増やしていった。麺被りは殺す精神はそのままだったので、とりあえず王子に構ってもらいやすい位置をキープすることでなんとか精神衛生を保っていた。その頃春からのツアーが発表された。モチベーション絶好調の私はウキウキで東名阪のチケットを押さえた。なんとこれが中々のあたりで全公演そこそこの早番だったうえ、そのうち1つは最前確実だった。狂喜乱舞した。王子にそのことを伝えると「ほんまか!最高やな!」とハイタッチしてくれた。可愛かった。
ツアーが始まった。気分は最悪だった。どうして目の前にいる私を見てくれないの。なんで私がいること分かってるのに別の人構うの。そればっかり考えていた。王子の目の前にいるのに王子の目に私は映らない。死にたかった。私はこんなに色々なものを犠牲にしてきてるのに、なんで、お前は。
公演のあと、メンバーと写真を撮るイベントがあった。能面のような顔で撮影場所にきた私に王子は言った。
「私のこと見えてたんですか」
もう本当に死にたかった。
私のことを見ない王子が嫌だったし、ファンの分際で見られたいという気持ちが肥大している自分が気持ち悪かった。私なんてたまたまチケット運が良かっただけの金なし乳なしブスだ。私よりお金をつぎ込んでる人も可愛い人もごまんといる。私が無視されることも、そういった人たちが気に入られるのも当たり前だ。でも我慢ができなかった。「次のライブも同じとこにいる」と王子に告げて撮影場所を後にした。1週間後、私はまた王子の前にいた。その日も王子はこちらを見なかった。私は限界だった。
好きだった頃に買ってしまったチケットが十数枚残っていた。ほとんどは売った。売れなかった3枚は捨てた。友達と行く約束をしていた2枚はちゃんと公演を観にいった。最前列で見たけど、やっぱり王子の目に私が映ったという実感を持てる瞬間はなかった。そして明後日、友人たちと約束しているライブで最後の1枚を使う予定だ。一体この日はどうなるだろうか。
好きというエゴが肥大して好きなものを好きだと思えなくなってしまった。少し前に起こったアイドルの殺傷事件。正直気持ちが少しわかるのだ。好きなのに、好きなのに、好きだから、憎い。まるで病気だ。
今も王子のことが好きだ。でも王子が憎くてたまらない。この感情と決別するまでは、王子に会いにいってはならないと、そう思ってる。
昔の話をしてみようと思う。
随分と昔の話になる。
私が中学生だった頃の話だ。
私は、とある習字教室に通っていた。小学生の頃から通っている教室だった。私は毎週土曜日の午後に、その教室に通っていた。
私はそこで、筆と硬筆(いわゆる鉛筆)の書き取りをしていた。手本を見ながら、それを紙に写していき、都度先生に見せて指導をもらう。そんなことを、毎週していた。
ただ、この一見単純な作業、それなりに体力が要る。手本の通り、或いはそれ以上のものを書こうとすると、かなりの試行錯誤が必要だ。
気が付くと、たいてい夕暮れ時になっていることが多かった。
教室には、私の他にも何人か、私と同じ中学校の生徒が通っていた。そこで、教室の先生は、帰る方面が同じ人は、なるべく揃って帰るように促していた。
そこで、私と同じ方面に帰っていた女の子がいた。身長は低めで、とても顔立ちの整った女の子だった。彼女と同じ方面に帰る人は、私以外誰もいなかった為、私達は大抵、帰るときは二人で帰っていた。
帰る間、彼女と私との間には特におもしろい会話もなく、文字通り、ただ一緒に帰るだけの関係だった。
その当時、彼女にはとある噂があった。クラスの中のサッカー部の男の子が好きとか、実はお互い好きで付き合っているとか、そんな噂だ。
ただ、しばらくするうちに、その男の子と別れた、という噂が出始めた。その男の子が、よくつるんでいた同じサッカー部員に対して「彼女、俺のこと好きじゃないから」みたいなことを話していたのを聞いたことがあったので、付き合っていたかはともかく、彼女の心がその男の子から離れていたのは、どうも事実のようだった。(周りをごまかすための嘘であった可能性もあるが…。)
ただ、そんな噂と一緒に、その女の子が私に対して好意を抱いているという噂も流れていた。
しかし、私と彼女との関係は、習字教室から一緒に帰る関係から、進展することはなかった。
その当時、私はとにかくストイックに部活動に励んでおり、また異性に対する恋についてもよくわかっていなかった。(残念なことに、今でもよくわからない。 )
ただ、ぼんやり、彼女のことは、かわいい女の子だよなぁ、と他の女の子にはない感情はあったと思う。
何度か、直接聞いてみようかな、と思うことはあった。実際その男の子の子と付き合っているか、とか、実際私のことどう思うか、とか。
ただ、実際に聞くことはなかった。その行為が彼女に対して失礼なのではないかと思ったからだ。
そんなこんなで月日は経ち、卒業式。ついに私達の関係は、ほんとうに、全くなにも進展しなかった。ただ、実は私は彼女のことを少し意識していた。
この卒業式の日(実は別の日かもしれない。よく思い出せない…。)、私はとある別の女の子から告白をされた。ただ、私は、その子のことを、半ばよくわからない形で振ってしまった。告白してきた女の子からすれば、OKなのかNGなのかわからないような感じだったと思う。逃げるように振ってしまった。
もし、このときに告白されたのが、習字教室を一緒に帰った彼女であったならば、私は喜んで受け入れていたと思う。今にした思えば、私は彼女のことを好きだったのかもしれない。
その後、私達は別々の高校に進み、習字教室も卒業したため、その後彼女との接点はなくなった。彼女の家の場所は知っていたので厳密には皆無というわけではないが、お互いに会うことはなかった。
当時の噂は、どこまで本当だったのだろうか。いずれにしても、私のようなヘタレ男と付き合わなかったのは正解かもしれない。
ただ、私は今でもたまに、彼女のことを思い出す。
この文は人を不快にさせると思いますので、読まない方が賢明だと思います。ただの愚痴とワガママを無様に晒してるだけの文です。
それでも読んでくださるという方がいれば、みなさんに最初にお伝えしたいのは、これは私が勝手に卑屈になってるだけの文章だということ。大和亜季は何も悪くないし、立神あおいちゃんも悪くない。ましてや村中知さんにも関係がない、ただの1人の人間の卑屈でワガママな文章です。もしこの文を読んで不快な気持ちになったとしても彼女たちには何の罪もないから、どうか悪い方に見る目を変えることだけはやめてください。
大和亜季、本当に素敵な子です。ミリタリーアイドル、軍人口調、筋トレ好き、ステージの裏側まで見てお手伝いする強くて優しいところ。あとナイスバディ。他にもいっぱい素敵なところがあって大好きです。
ありがたいことに村中さんの声をお借りすることで出番が増え曲も歌わせていただき、そしてライブに出演しその歌やダンス、村中さんの人柄や、挨拶でみんなでやる敬礼などが話題になり、たくさん注目されるようになりました。ソロ曲期待できるな、楽しみ、と担当ではない方が呟いてるのを見たときは思わずリプライをかましたいほど嬉しかったです。本当にありがたいことだし、彼女たちを好きでいてよかったと心から思います。
本題に入ります。
村中知さんは今現在、プリキュアのメインキャラ、俗に言う青キュアの立神あおいちゃん、キュアジェラート(とてもかっこよくてかわいい)も演じていらっしゃいます。だからか、私が観測した範囲では、の話ですがニコニコ動画のコメントでよくこう言われます。
もちろんこの文だけでなく、例えばライブの振り返り動画でも「プリキュアの人だからやっぱり歌上手いよな(これは中の人に向けての発言ですが)」や大和亜季が動画内に登場すると「おっプリキュアかな?」というコメントもよく見かけます。
最初の頃はちょっとあれ?と思いつつも、村中さんと大和亜季が評価されるのが嬉しかったです。
そして、しばらくするとそのあれ?の正体がわかりました。ひとつひとつのコメントではなく全体をざっと見てみると、先ほどの振り返り動画の大和亜季に対するコメントは半分くらいがプリキュアのことでした。ワートリもちょっと見るかな?そしてなんだか、もしかして大和亜季は大和亜季として見られていないんじゃないか、とこの時思い始めました。
そして少し前、幸子ちゃんのストーリーコミュが追加され、大和亜季もストーリーに参加させていただきました。(担当の方こんな文に巻き込んですみません)
そこで幸子ちゃんを鍛え上げる軍曹としてトレーニングを始めた大和亜季。ボクはムキムキになりたいわけじゃ…と言った幸子ちゃんに大和亜季が言った言葉、みなさん覚えていらっしゃいますでしょうか。少し意訳させていただきます。
「鍛えるのは自分のためじゃない。大切な人を助けるためです」
「カワイイプリンセスも結構、でもかわいくて強いプリンセスがナシじゃないでしょう?」
という感じのことを彼女は言いました。私はこの時とても感動しました。大和亜季があんなにトレーニング好きなのにはこんな理由もあったのか、と。まあもちろん彼女自身がトレーニング大好きだし肉体派公務員の兄に仕込まれたとも言ってたのでこれだけではないとは思うんですけどね。
大和亜季の根っこの部分が見えた、フォワードチアーでも見せてくれた肉体的、精神的な強さをもう一度見せてくれた、本当に好きなシーンです。
そして、このコミュがニコニコ動画にアップされ、このシーンの時に流れたコメントに頭の中で除夜の鐘が鳴ったようなガーンとした衝撃を感じました。
「流石プリキュア」
私はこのコメントがどうしようもなく悲しかったです。今まではもやもやするだけでしたが、これははっきりと嫌だ、と思ってしまいました。だって、今までは大和亜季の『声』がプリキュアだと言われていただけでした。でもこれは大和亜季の『言葉』が、大和亜季じゃない誰かのものとして解釈されたと、そう感じました。誰かというかジェラートですね。
分かっています、ニコ動のコメントなんてそんなもんだと。深い意味はないんだと。それだけの事をいちいち気にするならインターネット向いてないよってことも。私よりもっと色んな動画で傷ついてるアイドルのプロデューサーもいることも。
そんなことをここ最近ずっと頭の中で考えています。以前友人にこのことを話す時勢い余ってマジ泣きする程度にはショックでした。
ただここでワガママっぷりを発揮しますが、実は私は中の人ネタは結構好きなんです。この子とこの子は声優さんが同じ方だ、もしも会ったら気が合いそうだな、とか。ギャグ漫画の「お前◯◯じゃん」「それ別の世界線!」みたいなやつとか。あと衣装チェンジとかもかわいくて好きですね。
だから上の出来事は『私の気に食わなかったから晒した』それだけの話です。言ったでしょう、ただの愚痴とワガママだと。私が勝手にこれはダメだと線引きして、わざわざコメントにいちいち目くじら立てるような人間の独り言です。聞いてくれてありがとうございました。
もしこの文を読んで何か思うところがあれば…とかそんなものも全くありません。だから見なかった事にして、よろしければこれからも彼女たちを応援してください。
ある日、男友達であるMにようやく彼女ができた。最近女友達に聞いた話だと、その彼女と近々結婚するそうだ。本当におめでとう。
私とMは、ある友人の紹介で出会った。友人に誘われて居酒屋に行ったらその場にいたのがMだった。彼氏を作ろうとしない私を心配して、友人がセッティングしたのだと後から聞かされた。あの時は気遣いに応えてやれなくてごめんと言いたい。
恋愛に興味がない人間がいるのかと聞かれると、いる、としか答えようがない。多分、神様みたいな何かが、私に大事なものを入れ忘れたのだと思う。人間の本能みたいな、そういうもの。性欲も、子どもが欲しいという気持ちも抱いたことがない私にとって結局のところ恋愛は無意味だと思い込んでしまったのか、いや、そもそも全く恋愛感情がないだけなのか。とにかく、恋を知らないまま今まで生きてきてしまった。まともな人間にはなり損ねたけれど、一応自分という存在ではありたくて、ある夢を見つけた。その夢のために生きてきたし、こんな欠陥人間でも良くしてくれる人はいるから、別にそのことを寂しいとは思わないけど。
Mとは初めて会った時から不思議と波長が合った。居酒屋の帰りに連絡先を聞かれたけれど、彼氏とか欲しいと思えないからそういうのならごめん、と言ったら、男友達もいらないかと聞かれた。本当にいいの? と尋ねたら、めっちゃいい友達になれそうだからって笑っていたよね? ……これはちょっと創作だったかも。 ごめん、よく覚えてない。でも確か、こんな感じだったと思う。
勿論彼女なんかじゃなかったから、いつも割り勘で、お互い暇をしている休みがあれば行きたい所を言い合って、どこへだって行った。海も、山も、街も。路地裏を探検していたら迷って、いつの間にか夜が明けていたっけ。
本当に長い間一緒にいたけど、恋愛とか、そういうことには一度もならなかった。夢を語り明かした夜も、もう歩けないと二人して道路にうずくまった夜も、並んで星を眺めた夜もあった。それでも二人の距離はいつだって15cmは空いていたし、その体温に触れたことはたったの一度だってなかった。服の裾を掴んだ試しもない。あんなに沢山のことをしてあげたし、してもらったけれど、私も結局恋愛としての好きは分からないまま、静かにこの関係は終わりを迎えた。
いつも彼女がほしいとこぼしていたM。そんなMに彼女ができたのは、出会って二年くらい経った日のことだったと思う。
「彼女できた!」ってメールがきて、「マジか、おめでと!」って返した。本当に嬉しくて、よかったなぁって心から思った。それから、もう会えないのだなとも。あまり寂しくはなかったと思う。もう、二、三度経験してきたことだったから。
連絡をもらって、いつも待ち合わせをしていた駅に急いで向かった。いつも通り、ニューデイズにいるよってメールがきて、私もはーい、って返信を書いた気がする。例の背中を見つけて、その振り向きざまに、もう会えないと伝えたら、分かってると困ったように笑ってくれた。そうやってこれまでも男友達と別れてきたのだと伝えていたし、君に彼女ができてもそうするとずっと言ってきたから、ちゃんと分かってくれた。彼女可愛い? って聞いたら、めちゃくちゃ、って照れたみたいに笑っていた。好きな人にはそんな顔するんだ。私には一生できない笑顔だなって思った。それから、幸せになったらいいなとも。これで終わり。そのあとは知らない。連絡先を消したわけじゃないし、連絡を取ろうと思えば取れたけれど、幸せの絶頂にいる彼にわざわざ伝えることもなかった。向こうもそれを分かっていたのだと思う。お互いどこかで幸せになっている友人一人に、執着する必要もないのだから。何となく切なかったのは、女友達が電話も繋がらない海外に移住してしまったときのそれと全く相違なかったはずだ。
今でも恋愛はしていない。来月はインドネシアに行く。夢はもう少しで叶いそうだ。それが叶ったらどうなるのか、今はまだ分からない。叶ったところで何も変わらないのかもしれない。そうしたら、また夢を見つけて一人で歩いて行くだけだ。勿論、いつかできるものなら恋愛ってやつもしてみたい気がする。
男友達との出会いは私にとっては別れでしかなかったけど、それでも出会わなければよかったとは思わない。別れなくてはいけない大切な人であったっていうだけで、特にMとの出会いは、私の人生においてとても幸福な二年間をくれたと思うから。
私のこと、女としてじゃなくて、ただの私として扱ってくれてありがとう。
君は奥さんと幸せになってね。
君が生まれ変わった時、まともな人間に生まれ変わった私が隣にいたら、今度は恋人になれるかしら。なんてね。そんなの君の方がお断りか。
◎追記
予想以上の沢山の反応に驚いています。色々なコメントをいただけて嬉しいです。ありがとうございます。全てに返信することは叶いませんが、一つ気になったコメントがありましたので少しだけ。
アセクシャルか、っていうコメントを頂いたのですが、実は私はそのアセクシャルという言葉を生まれて初めて知りました。検索をかけてみて、驚きました。恋愛が全ての愛ではないですし、私は他の愛に関しては人並みかそれより少し厚く持っているつもりなので、悩んだこともあまりありませんでした。調べたことも、勿論。本当に驚きました。とはいえ、私が歴とした人間だったと分かったことは嬉しくて、何だか安心しました。こちらに書き込んでみて良かったです。そういった意図はなかったのかもしれませんが、教えてくださってありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20170709144510
を読んだ。
私の実感とはけっこう異なるところもあったので、私の意見を色々書いていく。
まあこういう意見もあるんだなーくらいに思うといいかしれない。
正直、今のご時世「終身雇用」が幻想だというのは多くの人が実感としてあるのではないかと思う。
では何故大企業にしがみつきたがるのか。安定を「漠然と」求めているのではないか?
そう考えている人達は、大企業に勤めるリスクを認識していない傾向にある。
そのリスクとは「大きな会社の小さな歯車になってしまう」ということだ。
回りに歯車がたくさんないと仕事を回せなくなってしまうし、コントロールがきかない要因で会社を辞めたり倒産したりすると路頭に迷うことになる。これを回避できるエンジニアはごく少数だと思う(「傑出していれば」可能だ)。
もちろん中小だから絶対にこうならないかというと、そんなことはない。
ただとにかく人数が少ないので、必然的に多くのことが任されるようになる。そうするとプロジェクト全体の流れが見えるし、多くの工程に関われる。
下流だけしかできなくては成長しないが、上流だけやってもろくなものにならない。全部やれ。全部だ。
要件のヒアリングから、設計も実装もテストもリリースも保守も(保守は特に現実的な範囲の折り合いをつけて)やるといい。
そうしていくと、ある程度腕をつけたときに少なくとも直近で路頭に迷う心配がなくなる。
働き口などいくらでも見つかるというスタンスがとれると、会社と対等に話ができる。
参考までに私の経歴について書いておく。
残業代は出なかったし帰れなかったりして正直ブラックだったけど、そのときの経験で成長したことは間違いない。
もちろん「だからみんな苦労しろ」なんて言うつもりは毛頭ない。労せずして成果が得られるなら、それが最上だ。
4~5年ほど派遣で何ヶ所か行ったけど、一応それなりの腕を買ってくれた中小のいくつかは上流から下流までをまるっと任せてくれたので、とてもやりやすかった。工数見積もりもちゃんと聞いてもらってたから定時で帰れるしな!
ブラックで病んだから勤怠に難があったけど、成果はきっちり上げていたので切られずにすんだ。それも見越して派遣先を用意してくれた前職には感謝している。
最近は以前のツテとかで声をかけてもらったりで独立しても何とかなる算段が立ってきたので、退職して独立した。
正直なところ自分はかなり運がいいと思うが、こうしようという戦略自体は就職するときからあったことは自分を評価したい。
ここまで偉そうなことを書いてしまったが言ってしまうと、実は私はトピ主の言う「スチールセイントレベル」だ。
ただし、使える言語やフレームワークだけを使おうとは思っていない。必要なら習得する、という考えだ。
学習をやめたらエンジニアは死ぬ。でもそれは人間自体がそうなのではないだろうか?
そんなスチールセイントでも年収は多分来年は4桁いけるし、労働時間も月平均160は超えないように仕事をしている。
こっちの海はいろんな色が混じり合ってるけど、少なくとも真っ赤ではないよ。
私が若手にアドバイスをするのであれば、「もしWeb系のエンジニアになろうと思うのなら、『でかいものを作りたい』『傑出した』エンジニアでないなら、安定を求めて大企業には行くな。全部やらせてもらえるとこに行け」と言うだろう。
去年マッチングで関東方面の病院の採用試験をうけ、無事第一志望の病院に受かり、
今年の三月に国家試験合格の通知をうけて4月から無事第一志望の病院で研修中。
なんとなく安泰っぽいように見える人生だけど思うことをつらつら
関東方面はマッチング(いわゆる医者の最初の二年という「初期研修」生活をどの病院で送るか、という就職活動)
が盛んで志望者も多い。そんな関東方面を行く人達は各病院を「ハイパー」「ハイポ」といって分類する。
「ハイパー」は凄く忙しい病院(hyperは病名で「過剰」を意味する接頭語) 「ハイポ」は仕事が少なく暇な病院(hypoは病名で「低下」を示す接頭語)
私の働かせてもらっている病院はいわゆるハイポに属する病院と言われている。
けれど、この二ヶ月で回ってる科が問題なのか、全くハイポとは言えない
一応医療関係でない人にも読んでほしいので軽く説明するが、医師免許を以って最初の二年間は初期研修医と言われ毎月のように様々な科を転々として回る
(つまり。自分の専門を持たずに取り敢えず幅広く経験する二年間である)
なぜハードかは詳しくは言わないが、抗がん剤をフルに使う科であること、他の内科と比べ重症なのに治療を積極的に行う患者さんが多いこと、
血液の病気にかかると感染症などの厄介なトラブルが他の科よりも圧倒的に多いこと などが挙げられるが
とにかく内科志望の学生が「血液内科志望です」というと周りの見る目が変わるくらいハードで有名な科である。
所詮ほぼ見学実習生と同じレベルのなりたて研修医の私がその科ですることと言えば、
日々の塗り薬や切れそうな薬剤の補充処方箋を出し、担当患者四人分の朝と夕方のカルテ作成程度である。
(まぁ担当患者が他の科に診察を依頼したり、検査をするときの依頼は(いわゆる「オーダー」)はやったけど)
それでも先輩医師について回って、自分の最低限のタスクをこなそうとすると、毎日七時半には担当患者の居る病棟に到着し、
帰りは19時が早い方、遅ければ22時にもなる
周りの常勤の先輩医師はもっと凄い。カルテを見ると6時半には病棟にいて帰りも平均で21時とかそんなレベルである。
いくら近くに家を構えているとは言え、どの先生も片道30分は通勤時間がありそう。
単純に考えても家にいる時間は夜10時から朝6時までの8時間やそこらだろう。
人間にとってベストと言われている睡眠時間が7時間であることを考えると
日々の余暇は1時間程度しかなく、しかもこの1時間で風呂・朝夜の食事を済ましている計算だ。
これだけでも恐ろしいが、医者にとって土日のサービス残業はほぼ当然だ
土日のどちらかは必ず病院に出向いて少なくとも12時を越えるまでは病棟に待機する
つまりこれだけ平日が忙しい上に、土日は普通の人の3/4ほどしか余暇がない
勿論「会社員だって若いときはそれくらい忙しいだろ」という意見もあると思うが、
私が恐ろしいのはおよそ多くの医者は「引退するまで」この激務が続くという点だ。
当然、毎日のカルテ記載や日々のいざこざの対応は若手の担当で、それが忙しくはあるのだが、
医者の場合、経験が増えて序列が上になるとそれはそれで別の仕事が追加される
一番わかり易いのが外来の担当で、入院患者が退院したあとも定期的に様子を見る
(一見、重症患者の居る病棟診療より軽症患者の多そうな外来のほうが簡単そうだが、
短い時間で患者の状態を判断し、返していいか入院させるかを判断させる外来
それに加えて、若手医師数人分の担当患者を広く把握し、治療などの全体の方向性
結果として指して年をとっても楽になることはなく、下手をするとベテランほど
よくこんな毎日を続けているな、というより、よくこんな生活で国民・社会人としての義務を全うできていると思う
独身の医者が、いつ、身内の冠婚葬祭・税金や年金の手続き・その他諸々の手続きをやってのけるのか単純に疑問である(市役所とか平日しか空いていないし)
よく「医者は世間をしらない」だとか「常識知らずだ」とか言われることがあるし、自分もそうであると思う
学生だった頃、実習中に部長先生と飲みにいったときに料理の話になり「~合」とお米の量を表現したら、その単位を部長先生が知らなかった時があった
あのときはなんて常識とか生活力に欠けた人だろう と思っていたが、その日々を目の当たりにすると、こんな生活をしていたらそうなるのも仕方ない という気がする
こんだけクソ忙しいとまともに医者にもかかれない。
そして、自分の病院だけかもしれないがサービス・福利厚生が余りにも酷い
特定されるのでハッキリとはいえないが、 入職前の健診がない まだ保険証が渡されていない
これほどリスクの高い仕事をしているのに訴訟・賠償保険も提供されない 当然、残業ボーナスもない
あと、これはどうでもいいかもしれないが病院の職員食堂のメニューが余りにも酷い。 お米が多すぎるし揚げ物が多すぎる。野菜足りなすぎる。
こんなにプライベートの時間がない上に病院側からの福利厚生がここまで欠けていて、養生できるのなら逆におかしいくらいだ。
お医者様とか先生 とよく言われるが、あれはただ単に「人を助けてくれる尊い人」というだけではないように思える
これだけリスクが高く、プライベートの時間も少なく、それでいて実は給料も飛び抜けて高いわけではない(恐らく王手企業で同じ時間働いたら倍は貰える)
こんな職業 まともな人間ならやっていられない。「よくそんな職業やってられるね 尊敬しちゃうわ」みたいな意味もあの「先生」には込められている気がする
ここまでグチグチと言っているが、実はこれでも自分の血液内科は恵まれている
他の病院の血液内科では「土日毎日来い」だとか「平日は3時間くらいしかねれない」という話もよく聞く
それに、うちの病院は関東方面ではそれでも給料の良い方であるようだ
とまぁ、最初の科だけで話が膨れてしまったのでそれ以降のことはまた今度にするが
そんなこんなでおもったよりもハードな毎日を送るはめになっているのである
実は私は就職活動のとき、今自分が所属している病院よりも名声が高く、給料や診療実績の高い病院も幾つも受けていた
それにも関わらず今の病院に勤めているのは 決してそれらの病院に不合格になったのではなく
理由は自分が目指す分野だけなら今の病院が一番であること、 忙しい毎日に耐えきる自信がなかったからである
しかし私が夢見たほど現実の研修医生活はハイポとはならなかった。 それに研修医は人員補充の目的もあるため
自分が行きたい科以外の診療科にも何ヶ月も所属させられる部分もあったりして自分のこれからの二年に少なからず不満はある
「どうせ忙しいなら全部の科が有名なあの病院を第一志望にしときゃよかった あそこなら給料倍だし」 なんてことも 正直毎週のように思っている
でも今の病院も先生はちゃんと教えてくれるし、 勉強になることも沢山あるので 決して満足してはいないが嫌いでもないし完全に後悔しているわけでもない
(大体、 この程度で音を上げているのだからハイパー病院にいったらもう仕事やめてるかもしれないしね)
いずれにしても毎日のように思うのは「こんなタフな体に産んで育ててくれた親のありがたみ」である
先日、下記のブログ記事とその反応を見て、強い危機感を持ったので、ここに覚え書きを残しておきます。
(参照ブログ:俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり
http://anond.hatelabo.jp/20170422041028#tb)
就職氷河期世代当事者の悲鳴、落胆、それに対する多世代の反応、どれもが納得できました。
また、この記事に関して、『「トリアージ」される就職氷河期世代 参照:http://blogos.com/article/219419/』などの関連記事も興味深く読ませてもらいました。
何に危機感を覚えたのかというと、この就職氷河期世代の取り扱いと、日本経済の展望についての考察が抜け落ちているところです。
先のブログの筆者も、それに対する同世代、多世代の反応も、そして、関連記事を書かれた方も、いずれも「就職氷河期をこのまま社会から排除しても日本経済に影響しない」ことを前提にして考えていると思うのです。
確かに、たくさんの非正規雇用や低所得のままでいる就職氷河期世代を全て救うのは至難の業です。40代という転職などには難しい年齢になってしまっていることも承知しています。しかし、彼らを「助けられないものは仕方がない」として、このままにしておけば、それこそ日本経済が危機に瀕すると筆者は思っています。
何故か?
筆者は最近、医療予算が日に日に縮小していくのを、働きながら感じています。
恐らく国は、莫大な国の借金や減少する税収、保険料などとのバランスを取るために、医療予算も切り詰めるだけ切り詰めようとしているのだと思われます。
以前は社会的入院が問題になっていましたが、今はリハビリすらも削られるようになっており、これから検査、その他、諸々のものが削られていくのではないかと思います。
実は私は、その前振りのような話を、とあるセミナーで聞いたことがあります。
曰く、「日本の借金は遠くない将来、日本人の預貯金の総額を上回る。その時、日本の国債の信用が下がり、ギリシャと同じく破たんする。今から毎年増える医療費を抑える必要がある」と…。
これを聞いた時、私は「そうか、ずいぶん大変なことになっているんだな」くらいにしか思いませんでした。
しかし、最近、職場で思いがけないものがどんんどん削られていくのを見て、この話が現実のものになりつつあることを実感しています。
翻って、就職氷河期世代には将来の“生活保護予備軍”が多数いると考えられています。
これは、9年前、既に次の報告書で指摘されているいます。(参照:NIRA研究報告書 就職氷河期世代のきわどさhttp://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwjI492Rvs7TAhWKwLwKHUrSCg4QFggiMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.nira.or.jp%2Fpdf%2F0801report.pdf&usg=AFQjCNHu6efnz9XIN2tD0Errx4MSnaNs-A)
この報告書によると、就職氷河期世代の多くが、このまま低所得のまま年齢を重ねた場合、200万人超の人々が生活保護を受給することになり、その額は年間17兆円を超える可能性があります。
私は経済は全くの門外漢ですが、日経新聞によると日本の2015年度の税収が約56兆円だったそうです。また、年間予算が90~100兆円だと思われます。
この税収、年間予算の中から毎年、毎年、17兆円超が低収入のまま生活保護を受給せざるを得なくなった就職氷河期世代に支出されることになるかもしれないのです。
さらに、どこで見たか覚えていませんが、その金額は20兆円になるのではないか、との試算もあるようです。
先に述べた通り、そして、多くの方がご存知の通り、日本の財政はひっ迫しています。
しかし、そのひっ迫した財政状況下で「助けられないものは仕方がない」として就職氷河期世代をこのままにしておけば、毎年17~20兆円のお金を税金から出さざるを得なくなる可能性が非常に高いのです。
そして、それは少なからず、日本が借金を返せなくなる日を早めることになるのではないかと思われるのです。
もし、そういう時が来たら、就職氷河期世代だけではなく、全ての世代が貧しい時代に突入するのではないかと思っています。
最近、このような問題にReutersなどの海外のメディアも関心を寄せて、記事にしているのがなんとも不気味に感じます。
(参照:ロイター日本『焦点:「パラサイト世帯」の高年齢化、日本社会のリスク要因に』http://jp.reuters.com/article/japan-parasite-idJPKBN17L06L、英語版『Life's illusions catching up with Japan's middle-aged 'parasite singles'』http://in.reuters.com/article/japan-ageing-singles-idINKBN17K2OQ)
つまり、現役世代が上の世代の年金を出している、ということです。
みなさんご存知の通り、現在は高齢者が多くなり、1人のお年寄りを3人くらいの現役世代でさせなければならなくなっています。
さらに、これからどんどん、支えなければならない高齢者の数が増えていきます。
数が多いと言われている団塊ジュニア(=就職氷河期世代でもあるのですが)ですら、その上の団塊世代の数には遠く及びません。
そして、就職氷河期に被ったが故に、本来であれば高齢者の年金の大きな支え手になるはずだった団塊ジュニアの所得は低いままです。
このような状況で、高齢者の社会保障を維持することができるのでしょうか…。
こう書くと、「じゃあ、なんで就職氷河期世代は働かないんだ?ちゃんと稼がないんだ?」とのお叱りを受けるかもしれません。
でも、今の社会制度や慣習の下では働けないんです。
先に指摘してくださった方がいるように、日本には厳しい年齢制限があるために、働こうとしても、40歳も過ぎると会社や組織などで新たに雇用してくれません。
いくら勉強しても、訓練しても、それらを生かすチャンスは与えられません。
運よく正社員になれても、「正社員歴が短い」ことを理由に、賃金は低いままです。
このような状況では、就職氷河期世代が上の世代に十分な年金を“送金”することはできません。
無い袖は振れないのです。
また、就職氷河期真っただ中の時には、フルタイムと同じように働いても厚生年金に加入させてくれない会社がたくさんありました。
厚生年金に入っていると見せかけて、実は会社が加入させてなかったケースもありました。
多くの非正規雇用者は国民年金に加入せざるを得ませんでしたが、賃金が低いために保険料を払えない人も少なくありませんでした。
そもそも、“送金”式の年金制度に入らせてもらえない人も多かったのです。
他の世代の人の中には「この世代は助けられない」と言う人がいます。
就職氷河期世代の人の中にも「我々はもう助からないから、下の世代にお金を使ってほしい」と言う人もいます。
他の世代がバブルのしわ寄せを就職氷河期世代が一身に背負うことを希望し、就職氷河期世代もそれで仕方ないと思っている節もあります。
もし、そんな制度を作って就職氷河期世代の人口を減らそうとしたら、国際社会から厳しい批判を浴びて、日本は先進国の仲間から脱落するでしょう。
すると、就職氷河期世代は寿命がくるまで生きることになりますが、低賃金のままでは生きていけないので、生活保護を頼ることになり、財政への負担が大きくなることは避けられません。
就職氷河期世代の当事者も、その他の世代の人も、「今は貧しいかもしれないけれど、いずれ彼らも正社員になり、たくさんの収入を得られるようになるだろう」と思ったでしょう。
でも、そうならなかった今、そしてどういう形であれ、寿命まで生き続けなければならない就職氷河期世代がたくさんある以上、あらゆる手段を使って彼らを“税金や年金をもらう側”から“税金や年金を払う側”にしていかないと、日本経済自体が立ち行かなくなるのではないかと思われるのです。
それはある意味、本当の意味でのバブルの清算とも言えるのではないかと筆者は思っています。
そして、このような文脈で『正社員化でも報われない氷河期世代の無間地獄
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/120200081/
』という記事に賛成する次第です。
今の所貴女は恋愛という形での他者を必要としていないという、ただそれだけのことと思います。
恋愛というのは、他者という混沌を受け入れてそれまでの己を壊す作業でありますので、いま貴女はそういう状況にないのでしょう。人間そんな簡単に完成してしまうことは出来ませんので、放っておいてもそのうち貴女は恋愛をするのではないでしょうか?
このような場所で他者の意見を求めていることからもその萌芽は窺えますしね。
「なこと言われても私の周りはみんな恋愛してるのになんで私はし難いのかわからないのがやだ」とおっしゃるならば、一つ私見を。
貴女は他者に媚びる演技をすることを不誠実だと仰いますが、この不誠実って誰に対する不誠実でしょう?そのまま読めば、騙された相手への不誠実と言うことになるのでしょうが、果たしてそうでしょうか?
貴女は自立した強い人間たれと自分を律してきたのだと述べておられますが、不誠実はそれに対するものなのではないですか?
勿論相手を騙したくないという気持ちはあるのでしょうが、この「相手」というのは貴女の中には実像として定まっているものではありませんね。
例えば相手によっては貴女が普通にしていれば(その人に比べれば)貴女はとぼけて隙がある、ということにだってなり得るんですからね。
「そんな人間いなかったしそんな関係には憧れない」とお思いでしょうが、
なんにせよなんらかの二人称の関係が想定されているようには見受けられないのです、貴女の文章からは。
つまり、貴女が想定している強い貴女は、他者の前で媚びて嘘をついたりはしないと、だのにそれをやったら自分に対して不誠実だと、そういうお話だと思うんですね。
大体相手に不誠実というのなら、自分が恋愛という役割を演じられないと親に開き直ることはしたくないので、自分の社会的完成の一助のために恋愛をしておきたい、なんて動機で恋愛するなんてことのほうが驚くべき不誠実ではありませんか。
まとめます、要するに貴女は今の所自分のことで手一杯で他人を受け入れる余裕がない、他人に目を向けてないので恋愛が出来ない。身も蓋もない話ですが当たり前の事ですよね。
多分貴女は聡明で、しっかりした性格で、何事もソツなくこなす成熟した大人として他人からも評価されているのでしょうが、その所為で「実は私は他者を受け入れるという事については他の女の子よりも疎いのだ」という事に周りも貴女も気づいていないんですね。
しかし人間そんなに簡単には完成なんて出来ません。貴女が自分を壊す必要に迫られた時必ずや恋愛というものは訪れることでしょう。
そう遠くないうちに。
転職して約1年めの今、同じ科にいる2つ年下の同僚(女)から相談を受けた。
なお私は女で付き合っている人がいることは既に周囲に伝えてある。
相談を持ちかけてきた女性は年上の私が言うのもよくないかもしれないがいわゆる「ザ・ブス」という典型的なタイプで、20代ながらガサガサの肌、ぷっくり膨れた小鼻と唇、厚ぼったいまぶたに生気のない瞳、化粧っ気も全くないひっつめヘアといった持ち主だ。
突然「相談があるんです」と言われて食事に誘われたのだが、そこで聞かされた話が「同僚のA君が前の飲み会の時に肩に触れてきた」「帰り際にまた飲みましょうと誘われた」とかいうことで、最終的に「私って彼に好かれてるんでしょうか?(私にはそんなつもりないんですけど)」みたいな内容だった。
あ、はい。みたいな感じで最初は聞いてたんだけど、実は私は別の子からも相談を受けていて、そこでは「A君て誰かれかまわず声かけるんで迷惑なんです」って話だった。
とても言えなかったけど私もどこまで冗談かはわからないまま「今度二人でどこか行きましょう」という声をかけられたことがあった。
ある程度男性に耐性のある人ならば「こいつやべーな」くらいのチャラ度なのに、この子にとっては「私にはその気もないのに好かれちゃって困るんですよねー(まんざらでもない)」になってるんだろうなと思ってどう答えていいか困った。
なお別れ際に「増田(私)さんて、結構恋愛に詳しいと思ってたけどそうでもないんですね」みたいなこと言われた。
多分いま彼女の中では恋愛フィーバー期に入ってるから自分を肯定する言葉以外耳に入らないんだろうけど、向こうの事思って本当のこと言わなかったのにディスられた上に割り勘よりもこっちが多く払わされたことになんかムカついたんでここに書いてみる。
今日友達とご飯を食べてきたんだけど、選挙当日ということもあっていつもはしない政治の話をちょっとしてみようかなと思ったわけ。最初は「改憲派が3分の2取りそうだねー」「野党はなんかダメだよねー」みたいなざっくりとした話をしてたんだけど、「東京だと共産党最近強いよねー」と言ったら急に「共産党に入れる人って何考えてんだろうねー。日本を共産主義にしたいのかな?テロリストみたいなもんじゃない?」と言われてしまった。
実は私は今回共産党の姿勢に共感して共産党に票を入れていたんだけど、もう何も言えないよねこうなると。「あはは、テロリストはいいすぎじゃない?笑」と適当にごまかしてみたけど、普段政治の話をしない人と急にこうゆう話をするもんじゃないなと反省した。
それぞれの人がそれぞれの考えを持っているんだから、それぞれ支持する政党が違っていて当たり前だと思うんだけど、日本のこの「野党を支持する人を馬鹿にしていい空気」「自民党以外を支持している場合にそれを表明することが憚られる空気」ってなんなんだろう。
前回:http://anond.hatelabo.jp/20160604180513
私は大学を卒業したら、すぐに家を出ていきます。そして、実は私は一人で生きていくために技術を高校から学んできています。
しばらく前までは、「技術をみにつけて立派になる」というような崇高な考えを持っていたのですが、最近は色々と人を傷つけて傷つけられて学ぶことがありました。
今では「私は、もし愛する人と出会えたら、その人を支えながら生きていく。そのために技術を身に着けたい」という考えになっていきました。その相手にふさわしい振る舞いができるように、ここ半年きちんとした言葉遣いやマナーを学ぶようにしてきました。
そして、私には本当に尊敬して心から「この人なら支えたい」と思えるような人と出会いました(まだ片思いですけどねw)
それが幸せだなと思っていた時に、丁度親と話す機会がありました。
その時、母親から「もし好きな相手を見つけたなら、相手から支配される前にまず支配しなさい。でないと平和に生きていけない」と言われました。私は「そんなものは愛情じゃない。支えあったり、好きでいることこそ必要じゃないの?」と言い返しました。
そうしたら、母親から「そんなんだからあなたは甘いのよ」と言われ、母も歪んだ考えなのではないかと思いました。
また、母からは「性格も顔もあてにならないから金のある人と結婚なさい」と言われました。母が最初は優しかったイケメンを捕まえて、モラハラ男で失敗したところから来ているのでしょう。
こうしたことを言われても「私はやはり自分が愛する人をずっと愛せることができるなら、そんなに素晴らしいことはないだろうに」と思いながら、聞き流しましたがふと嫌なことが頭をよぎりました。
私は・・・こんな歪んだ家庭で生まれ育ったのだ、人を愛しても良いのだろうか。
私は人を好きになって傷つけることしかできないような気がしました。私は親から「倫理」と「道徳」と「教養」を教えてもらっていません。その状態で人を愛してしまったら、独りよがりな愛情を注いで相手を傷つけるだけです。
私はまだ人を愛してはいけないのだろうと思いました。
今や「JK」「JC」「JS」って言葉は一般的に使われてますよね。
女子小中高生たちは自分たちのことを自称するのに使ってますね。
その頃、普通の人たちはこの言葉を使ってませんでした。女子小中高生で使ってる人もいなかったし、全く一般的な言葉ではありませんでした。
当時、この言葉は盗撮の投稿サイトやエロ動画サイト、出会い掲示版サイトでしか見たことがありませんでした。
私がネットを始める前のことがわからないので調べてみたら、元々はブルセラ用語らしいです。
私は、女子高生たちが自分たちのことを「JK」と言ってるとなんだか複雑な気持ちになります。
まぁ、今ネットスラング系は若者たちの大好物だし、流行のギャル語(死語?)だってネットスラングばかりですよね。
でも、JKのルーツは闇深いというか、ちょっと質が違うと感じます。
本人たちは、わかって使ってるのかもしれないけど。
私は中学時代にJKが隠語として使われているのを知り、ものすごい嫌悪感を持ちました。
憧れの高校の制服の画像を検索してたら、盗撮サイトが引っかかりました。
そこで、JKという言葉とともに盗撮写真が載せられてて、気持ち悪くて仕方なかったのを今でも覚えてます。
追記
JKという言葉がだんだん浸透ていく様子もリアルタイムで体感していました。
当時ギャルたちの間で、2ちゃん語が流行り出した時期がありました。
その時、2ちゃんでもJKという言葉が使われていて、ギャル達はJKをただのネットスラングだと思って使い始めたのかな、、とか思ってます。
それか、隠語であるとわかっていながらどこかのギャルが自虐的な感じで使い始めた可能性もあります。
流行り始めたときも、元の使われ方を知っていたかどうかは人によりますしね。
これは予想だし、記憶も曖昧になってきてるので真相はわかりませんけど、、
ま、KY的なノリで自分たちで作り出して流行らせた言葉だと思って使ってる子たちが大半だと思います。実は隠語だったとは知らずに、、