はてなキーワード: 実は私はとは
突然だがそもそもの前提として私は成人前の学生だ。今更自粛期間中の話をするのも謎っちゃ謎だがまあ良いとして話を進めると、その頃私は学校の課題も無く趣味で文字を綴っているので友人の企画に参加する小説をちまちま綴ったりしていた。バイトも無かった。要するにだらけていたのである。
私は本当に昔から計画性が無く、頭の八割を推しに残りの二割を長期休暇課題パラダイスを除いて常に一週間以内に入っているやばい課題なり推しの誕生日なり企画締め切りなりに割り振ってきた人間であった。半分くらいは十割推しだった。それ故自分の人生について考える機会が無かったのだ。作文の課題とかで出されない限り「推しと戯れられる収入が欲しい」とか漠然とした欲望以外では無い。殆ど無い。
ここまで読んだ普通に義務教育を受けてきた人間なら思うであろう。「お前進路相談とかやらなかったの?」と。
実は私は小学校時代から塾に入れられ、路頭に迷わない程度の大学付属エスカレーターに乗せられた人間である。天才じゃ無くても保育園からチャレンジの一年先取してればなんとかなるのだ。これは自慢では無いしこのことに関しては本当に感謝しているのだが、うちの両親は共働きで貯蓄もありうっかり連帯保証人にサインしたりしない限り多分大学まで普通に行ける。勿論中学受験をしないとか別の学校に入るだとかそういう選択肢もあった。でもそれは実質無かった。こちとら数年塾に通いとある料理店なら身体中に塩を揉み込むくらいには出来上がっていたのである。そうして私は「受験面倒だから出来ればエスカレーターで文化部が充実してるとこ」とかいう雑な条件で受験、入学した。
私は私の人生を、「時々上手く選択してジャンプして乗り越えなきゃいけないし手すりは無いから何人か落ちるし本数も数本あるけど、普通にやってれば辿り着けるし方角もルートも大体おんなじな歩く歩道」だと思っていたし思っている。長いけど他の表現が見つからなかった。そうして私はそんな人生を雰囲気で選択してなんとな〜く生きてきた。実を言うと中学受験もあんまやる気なかった。
しかし冒頭で言った通り、時間ができたので色々考えてみることとする。昔から幕末と戊辰戦争が好きだし新撰組白虎隊辺りは大分調べたが攘夷志士に関してあんま知らないなとか。擬人化ジャンルとは別に小学生がエクスカリバーが好きな気持ちのままに日本刀だからもっと見方やら逸話を知りたいとか。19世紀の西欧男性ファッションをもっと調べたいとか。宇宙の果てが気になって寝れないとか。
……あれ、私、思ったよりやりたいこと色々あるじゃん。そう気がついた。
私の人生はレールの上ではない。ただ突っ立って流されるだけでは無い。歩く歩道の上なんだから流されるだけでは無くいくらでもダッシュできる。それに、私が今まで見ようとして来なかっただけで少し離れたところに色んな方向に伸びる道があった。
私はまだ十代だ。まだ助走を付ければ少し遠くの道にだって飛び移れる。笑いながら走れる。そうやっと気づけた。
外から見れば私はただ惰眠を貪っているようにしか見えなかったようで母親に有意義に過ごせだの嫌味を言われたが、私にとっては人生の中で最も有意義な休暇だった。私はやっと、自分の足で歩き出せたと思う。
ネットでは現実での人種性別は何も関係なくただ一人のネットユーザーになれるのも良い所の一つだろうに
僕は周囲に女性っぽく見られたいな…と思っていても多分男だとバレバレなんだと思う
これは「そうよ!実は私は女なのよ!」と吹っ切って演技が出来ないのも問題だと思うけど
ネットで「俺男だけど~」って普通に性別を騙れるネナベ女性は本当に凄いなあって思う、女性は嘘が上手いからだろうけど
お前実は女だろう?って突っ込まれても逆ギレして「いや俺は男なんだが?」って言い切れるあの胆力は本当見習いたいなあ…と思う
腐男子自称する女性や「生物学上は女=精神は男ですが?心にちんこ生えてるしな」とか度胸あるなあ…って本当ただただ憧れるばかりです
私がこれを書こうと思ったきっかけは、Twitterで流れてきたある漫画だった。それは、神字書きに触発され自分でもそのカプを書こう!となりその神や神の相互に心を掻き乱されまくるという話である(トレンドにも入っていたので、目にした方は多いんじゃないかと思う)。オチもないし読み返しても何が言いたかったのかわからないので、時間のない方はスルーするのをオススメする。こういうことがあったよーという経験談であることを了承した上で読んでいただきたい。
私は、出戻りし再ハマりしたジャンル(以下某ジャンル)にて自カプ(以下AB)にどハマりしていた。ここで隙自語させていただくが、自分はめちゃくちゃ、めちゃくちゃ飽き性である。熱しやすく冷めやすいタイプである。それを前提にこの文章を読んでもらうと、憐みが増すと思う。
その話は置いておくが、私はABを検索している中神を知った。神は、可愛い絵を描く絵師だった。まだ駆け出しだったし、おそらく公開垢で同人活動するのは初めてのようで、フォロワーも全くいなかった。私は神の絵に惚れ込み、誰からも送られてなかったマシュマロに長文の感想(というか1枚しか絵を上げていなかったので、ほぼ好き!!という告白)を送った。すごく喜んでくれた。それから、自分もABで同人活動を始めよう。そう思った。
自分には死ぬほど絵の才能がなかった。なので文章を書くことに挑戦した。某ジャンルに初めてハマった時に、一度だけ文章を書いたきりであったが、頑張ってSSを書き、そして神をフォローした。私など神にとっては虫けらのようなものだったが、神は私の1つのSSだけで、フォロバをしてくれた。その時既に、私は神と自分より2週間前に繋がった相互(以下Xさん)がいることを知っていた。そして、私もXさんと相互だった。
Xさんは、絵を描くのは初といった感じの人で、沢山のジャンルにハマってきた歴戦の兵士だった。正直、Xさんの絵は上手いと言われればそうではなかったと思うし、ABへの熱だけで絵をあげている人だった。いい人だった。でも、だからといって、私にはXさんと繋がる理由はない。ということは、今思い返してみても私は心の奥底で2人が仲良くしてるところに混ざりたい、という醜い欲望があったのだと思う。
私は、神がアカウントを作ってからずっと見てきた。Xさんが繋がる前に神があげ、消した絵ももちろん見てきた。神と繋がった時に、「以前あげていた〇〇のABがメチャクチャ好きでした!!」と送ったら、「そこから見てくださってたんですね!ありがとうございます!」と返信してくれた。私には神をずっと見てきているという傲りがあった。そして、神はそれをすごく喜んでくれ、そこから約3ヶ月後のイベントに参加するなら、会いませんか?と言ってくれた。もちろん会います!!!!と食い気味に返信した。
私は神とお近づきになりたいと思っていた浅はかな人間で、あわよくば通話とかもしたいな〜なんて思っていた(自分はコミュ障なのでこちらから話しかけることはできないタイプだった)。そこで、神とXさんが通話アプリで通話し始めたのを知った。私もその通話アプリで2人とフレンドだったから、アプリの通知で2人が話していることも知っていた。ツイッターでも毎週◯曜日の深夜に話しましょう!と話しているのも見かけた。そのアプリは、そのメンバーとフレンドだったら勝手に話しているところに入っていけるシステムだった。しかし、私には入っていく勇気がなかった。
それから、数週間たった。彼女らは、タメで話していた。そして、その通話アプリで最近話していないなと思っていたら、LINEを交換してLINE通話をしていた。それが堪らなく嫌で嫌で死にたくなった。なんだか全体的に冷めてしまった。萎えた。今思えば私から歩み寄りをしていなかっただけだったが、私はABの生産量が足りないから神と話せないんだ、と思い込みABをすごい勢いで生産していった。かなり反応も貰えるようになり、ありがたいことにフォローしてくれる人も増えてきた。
しかし、ここで、スキル:飽き性が発揮された。まず、私はハマったカプは1ヶ月も持たないのだ。アカウントを作り同人活動を始めたことを本当に後悔した。そして、ここでABに対する自分の価値観と、ABに対する大衆の価値観が違うことに思い知らされる。ABは、公式が提示してくれて、しかもハッピーエンド万歳という雰囲気のカプだった。カプの傾向を左右する何人かの大手絵師もハッピーエンド万歳傾向にあったし、ほとんどの二次創作作品が、幸せで溢れていた。しかし、私の生み出す作品は薄暗くて、あまりに浮いていた。そこから、自分はABについて何もわからなくなった。アカウントを消せばよかったのだが、せっかく神と繋がれて、約3ヶ月後のイベントで会う約束をした以上、とりあえずイベントまでは頑張ろう、そう思って苦しみながらABを生産し続けた。
イベントも約1ヶ月後!とみんなが浮かれている中、私は某ジャンルにもABにも疲れ果てていた。某ジャンルは離れ、別のソシャゲをしていたし、ABなのかBAなのかわからなくなって、解釈に悩みすぎて終いにはA、B、2人のカプが見れなくなってしまった。今すぐ消えてしまいたかった。それでも、私は神をイベントで一目見たかった。
そして日数が過ぎイベントの前日、神はXさんと遊んでいた。私は何をやっているんだろうと思った。謎の嫉妬と焦燥感に襲われて、死にたくなりながら寝た。ABのスペースがたくさんあるイベントなんて面倒くさくて行きたくなかった。
当日、私はずっと仲の良いリア友兼オタ友とイベントに行った。もう好きじゃなくなってしまったABのスペースをてきとうに巡回し、神に送った「会場にいるなら会いませんか」というDMへの返信を待ち続けた。神から「ABのスペースらへんにいます」という返信が来た。私はダッシュで神のところへ向かった(会場で走っちゃダメです)。
神はめちゃくちゃ可愛かった。そして、すごく優しくて親切でいい人だった。性格が悪くて毎日鬱で死んでいる自分とは対称的な人だった。神は一緒にABのスペースを巡回してくれ、初めて直接話してAB以外の話でも盛り上がり、LINEを交換してくれた。もっと神と話したかったし、自分にも連れがいたもののご飯の予定でも立てられないかななんて思っていた。
神は、私をXさんのところへ連れて行った。神はXさんと慣れ親しんだ感じで電話しながら、落ち合った。Xさんもいい人だった。目の前で、神とXさんが話しているのを見て初めてああ、圧倒的に"足りない"と思った。ABに対する情熱も、過ごした時間も。本当に死にたくなった。その後、3分足らずで解散し、大好きなリア友と帰りカラオケに行った。同じタイミングで、神とXさんが同じくカラオケに行きABの歌を歌っているのをツイートしていた。神は遠征組だったので、帰ってしまった。ああ、もう神と2度と会うことはないだろうなと思った。
イベントに行ったからと言って、ABがまた好きになるわけではなかった。自分が書いた文章を読み返して吐き気がした。本当に、何もかもが嫌になって、TLを見るのをやめた。私は神とのLINEを途中で無視した。
それから約5ヶ月がたった。完全に某ジャンルからは離れ、ABも読めなくなった。久々にアカウントにログインし、TLを見たら、みんなはまだABが大好きだった。ずっとABを生産し続けていた。アカウントを消すのも億劫だった。LINEは未だに無視している。最低だ。5ヶ月何もツイートもせず作品をあげることもせず、LINEも返さない私の存在なんて忘れているに違いないし、別にそれでよかった。そして、今もこの状態が続いている。
あそこで、同人活動を始めなければ解釈が難しくなって、ABを嫌いになったりなんかしなかったのだろうか。イベントに行く前に、ABを生産できなくなった時点で、アカウントを消すべきだったのだろうか。理不尽にLINEを無視されている神は当然悪くないし、Xさんも悪くない。悪いのは一時的な興奮で神に踏み込みたいと思ってしまった私である。
それでも私は、イベントで神が私と話して嬉しそうにしてくれた時のことを思い出して、この一連の思い出が良かったのか悪かったのか、それを決められないでいる。
(追記)
身バレすると思い上の文章では書かなかったが、実は私は高校生だ。ちなみに神も高校生だったし(イベントで知った)、Xさんは成人済みの方だった。いい年した大人がこんなゴミみたいなことしてるわけではないです。すまん。いやまあ高校生でも恥ずかしいけど。
(追記)
というか何が最低かってネット上の知らん人間に嫉妬したのもそうだけど、神はイベントで私と話が盛り上がって、しかも年齢層高めの中で神と私は年齢低めで近くて、っていうのでイベント後からLINEもくれたし通話もしましょう!って言ってくれたのにABを拗らせすぎて嫌いになってしまったという至極どうでもいい個人的な都合で神から差し伸べてくれた手を振り払って無視してるのはこちらなんですよね!!それが最低…
私はふとしたきっかけから結名美月さんを知ることになった。それは今年の2月から始まった番組である、ここでは番組名は伏せておくが、声優の関根瞳さんと結名美月さんが月1でやっている声優バラエティ番組である。2月にTwitterにて番組アカウントが開設されてふとした興味でフォローをしたのである。実は私は結名美月さんの現場に行ったことがあったらしいが実は顔をちゃんとみたことはなかったのでどんな人かなと思った。話は戻すが私はその番組を1回目と2回目はなぜかみていなかったのだが3回目3/23日にその番組を初めてみたのである。その時の番組内容が最近巷で流行っているASMRというなるものであった。その時に問題かなにかを解いて間違えた人がASMRをやるものであったこの回にはゲストが来ていてそのゲストと一緒にやった。ゲストは成海瑠奈さんであった。企画は罰ゲームらしくものだったが視聴者からすると楽しいものであった。で、結名美月さんがASMRをやった時に私はこんな感情に陥ってしまった。”好きかもしれない”と実際結名美月さんの声がとてもよくて声豚の私はよかったのかもしれない。一般の人からしてみたら何言ってんだこいつと思ってるかもしれない安心してください私も思ってます。その番組は1時間番組で前半は無料で後半は会員限定というものであったので、前半みて足りないと思って会員になった。その後会員限定放送はとても楽しかったのであり私は満足した。その頃新たにシャニマスの声優の人で4人ほどがチョクメに追加されるということでその中の一人に結名美月さんがいたので即追加をすることに決めた。ざっと私が結名美月さんとの邂逅はそう言ったものであった。
彼氏ができた。
コロナ禍の中、マッチングアプリで知り合ってメッセージを重ね、密にならないよう気をつけてデートをし、そして付き合うことになった。
付き合って半月ほどたった今、正直言って、めちゃくちゃ幸せである。
言葉にして噛み締めたい。
でも、惚気話って、人にはなかなか言いにくい。
なので匿名で書くことにした。
聞いてくれなんてタイトルにしたけれど、正直全然読まなくていい。
読むにしても、付き合いたてで浮かれた三十路女が酔って書いた文章だと鼻で笑ってくれればいい。
まず、彼氏はめちゃくちゃ優しい。
私のまとまらない話をうんうんと聞いてくれる。
重い荷物を持ってくれる。
車だって出してくれる。
私のペースに合わせてくれる。
私は中肉中背〜ちょい小柄くらいの体型だ。
そんな感じなので、腕の太さも何もかも違う。
それが良いかどうかはさておき、私は気に入っている。
なんだか自己管理ができてなさそうなイメージがあった(すみません)。
だから昔の私が見たらびっくりするだろうし、友人にも意外と言われたけれど、結局人は中身である。
それは付き合い出しても変わらず、その分厚い胸板や、二の腕が大好きになっている。
触れる面積が広いのは喜ぶべきことである。
変態みたいだけど、本気でそう思う。
元彼とは3年付き合っていた。
バンドマンの彼に私が一目惚れして、追いかけて追いかけてなんとか彼女になった。
幸せだったけど、いつのまにかお互いに気遣いができなくなって、わたしは彼の機嫌を損ねないように振る舞うようになり、そのうち辛くなって、そして別れた。
別れる少し前に彼が言った言葉が忘れられない。
「結婚する相手は、もっと家事ができて、ちゃんとした子を選びたい」
ショックだった。
今目の前にいるお前の彼女は、20代後半をお前に捧げた女だぞ、と思った。
だけど何も言えなかった。ただ愛想笑いした。
元彼を好きだった自分がいたのは事実だし、当時は元彼に幸せにしてもらおうと依存していた。
20代後半という、女性にとってはやっぱり重要な時期だったけど、これも必要な経験だったんだと思っている。
翻って、現在。
元彼と別れてから1年半、恋愛する気にもならずのんびりしていたけれど、さすがにずっと1人というのも味気ないな…と思ってマッチングアプリに登録。
それから1ヶ月くらいで、もう恋人になったのだから、変化の時っていうのはこうもトントン拍子に行くのかと感心している。
今の心境を言おう。
ハチャメチャに浮かれている。
全世界に、この人が私の恋人ですと言って回りたいくらい浮かれている。
彼氏の前ではすましてるつもりだけど、多分バレてるだろう。
こういう、その気になったら一直線なところが、私の短所なんだろうと自己分析してる。
まだ付き合って半月だ。これからいろんな面を知って、悩んだり、迷ったりすることはわかっている。
だけど今の幸せな気持ちをこうやって記しておけば、迷った時に思い出せるかもしれない。
もう恋なんかできないと思っていた。
新しい人間関係を作るのも、休日を合わせて会うのも、めんどくさいと思ってた。
だけど今、何よりも優先して彼に会いたい。
彼は、また恋ができると思わせてくれた人だ。
ずっと隣にいたいと思う。
これは、本来は、マスコミ&ジャーナリストが徹底的に取材して、安倍政権・官僚組織が既に解決しているべき問題ですが、深刻かつ巧妙な仕組み・構造になっているため、現在に至るまで、ほぼ「問題として提起されることさえ無い」状態が続いています。
それでは、「隠れソフト奴隷問題」とは、そして、「隠れソフト奴隷」とは何のことでしょうか?
例えば、若い社会人女性が、学生時代に性的な暴力を受け、また、その際にスマホ画像や動画でハメ撮り画像・動画を撮られたとします(以前、スーパーフリーの様な問題がありました)。
その画像・動画をネタにして、加害者側が、被害者の女性が社会人になった後も性的に搾取し続ける、あるいは、金銭的に揺すり続けられている(性的・金銭的な搾取)様な場合、被害者女性は「奴隷に近い状態」におかれているのであり、しかも、証拠(弱み)があるために被害を申告できない状態に陥っているので、「隠れた奴隷」であると定義することができます。
更に、一応は社会人として生活することができているので、すくなくとも牢獄で鎖に繋がれているような奴隷ではない。
その様な構図であるため、この種の人々を、今回は「隠れソフト奴隷」と表現しています(本人はソフトだとは感じていないかも知れませんが)。
上記の構図の、若い女性(学生・社会人)が弱みを握られて性的・金銭的に搾取される、あるいは売春の様な仕事をさせられる、だけど、それが問題として一向に表面化してこない様な事例は、山のようにあります。
それは、被害者の女性が画像や動画で弱みを握られて、脅されて、お上(警察)に訴え出ることが出来ないからです。また、「本物の奴隷」よりは縛りが弱い(隠れソフト奴隷な)ので、被害が表沙汰になって、現在の仕事などの社会的な地位を失うよりも、隠れソフト奴隷である続けることを選択している結果であるわけです。
現在行われている、若い女性の性被害についての報道は、氷山のほんの一角でしかありません。水面下には何十万・何百万の「隠れソフト奴隷」女性がいる一方、弱みを握られているために一向に表面に揚がってこない様な事態が現在進行形で継続しているわけです。
安倍政権・官僚組織は、そのこと(問題の本質)をしっかりと認識して、根本的な対策を立てなければならない。
しかし、また、実は私は、この事(問題)だけを問題だと考えてこのことを書き始めた(タイピングし始めた)訳じゃないのです。
実は、私は、“安倍政権と官僚組織自身が隠れソフト奴隷だ”、ということを告げるために筆を執った(タイピングし始めた)わけです。
正確には、政治家と官僚組織の一部が「隠れソフト奴隷」であることは間違いありません。
この主張を耳にして(読んで)、「こいつ何言ってんの?」と感じる向きもあるでしょう。
以前、スーパーフリーの事件が社会問題化しましたが、これは早稲田大学のイベントサークルのメンバーが若い女性を集めて輪姦、直後に被害者女性が笑顔でピースをしている写真を撮って和姦だと主張していた、その様な性犯罪事件を次々に犯していたという問題です。
それで、輪姦された女性は「ソフト奴隷化」し、その後、新しい女性が輪姦のための飲み会に参加する(性被害に遭う)ようにナビゲートする役をこなしていくような仕組みになっていたわけです。それは、本人が望もうと望まざろうとやらざるを得ない。
一方、スーパーフリーのメンバーは「キングとして振る舞っていた」かというと、そんな事はありませんでした。ケツ持ちとして別の人物・組織が存在し、いわば、中間管理職的な性犯罪者・性的加害者として機能していたわけです。また、性的加害者として秘密を共有しているので足抜け出来ない。
実は、スーパーフリー問題の様な構図はかなりの程度ステレオタイプ化していて、学生社会に深く浸透していますが、(前記の若い女性の問題と同様に)ほぼ水面下で動いているので社会問題として表面化してきていません。
私の学生時代に、実際に「ソフト奴隷化」している知り合いが(男性も女性も)いましたので、学生時代における実感を基に推定すると、女子学生全体の1割以上、男子学生も1割以上が、学生中に「隠れソフト奴隷」となり、彼らが社会人になった後も問題として表面化せずにくすぶり続けていると考えられます。
そして、「男子学生が隠れソフト奴隷とはなんぞや?」とも感じませんか?
一例を挙げると、その際は創価学会(学会員)主催でしたが、渋谷円山町のクラブスペースで、あるイベントが行われていました。
しかし、そのイベントは、普通のクラブイベントとは異なる印象を与えており、また、そこでは異様な光景が現出していたわけです。
具体的には、ホール全体の中で、10人くらいの若い女性が程よい距離感で立っていたわけです。それだけなら違和感ありませんが、異様だったのは、それらの女性の前に、男たちが大挙して列をなしていたことです。
そこは確かに円山町のクラブスペースでしたが、誰も踊ってなんかいませんよ?
10人くらいの若い女性が立っていて、そのそれぞれの女性の前には、劣情丸出しの大勢の男たちが並んでいるわけです。
要は、宗教団体の力を借りて、スーパーフリーのバリエーションを摘発されない形で行っていたわけですが、この様なことは学生・社会人を対象として星の数ほど行われてきているわけです。
私が通った大学でも、似たような事をしている連中がいましたが、「ヒエラルキーの頂点に暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者がいる」という点ではどこも大小同異ではないでしょうか。
円山町のクラブイベントに話を戻すと、加害者の男性側も「ソフト奴隷化」します。
当たり前ですよね?
そういうイベントに参加して、若い女性を輪姦したという事実自体が参加者男性の弱みになるわけです。当然、参加後は脅されて、社会人になった後も、ポイントポイント、節目節目で(スーパーフリー事件で被害者女性がナビゲート役になったように)言うことを聞かなければならなくなるわけです。
表現を変えると、男子学生や男性社会人本人が「得をした」とでも感じて、鼻の下を伸ばして、ギラギラした目つきで、ヨダレを垂らして、劣情丸出しの表情と心理状態で、ある種のイベント(乱交・輪姦)に参加したところが…
実はそれは、倫理・道徳観に問題のある男性をターゲットにした罠だったのであり、そのイベントで被害者女性や美人局的女性とセックスをした後は、そのネタで脅され続け、また、ゆすられ続け、つまり、搾取され続ける「隠れソフト奴隷」としての生涯を送ることを強いられることになります。
そして、指示を出しているのは「暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者(幹部)」なわけです。
つまり、スーパーフリー事件というのは見せ物のようなもので、あの事件が済んで万事解決のような空気がなきにしもあらずですが、実際は「んなこたあない」、学生・社会人のコミュニイティで深く長く浸透し、本人は、弱みがあるだけに警察に相談することも出来ず「隠れソフト奴隷」であり続けているわけです。
無論、霞ヶ関官僚の中に「隠れソフト奴隷」がいます(ロボット化した人材と混在しています)。本人が名乗り出ないので、わからないわけです。
もちろん、地方公務員にも、企業の会社員の中にも「隠れソフト奴隷」はいます。男性の中には加害者としてワークしてしまった人材が多くいますので、脅され、職や社会的な地位を失うことを恐れて黙っているわけです(その方がマシだとの判断です)。
政治家にも「隠れソフト奴隷」がいて、彼らは、「ハニートラップにかかった政治家」と似たような状況におかれています。
安倍晋三総理、麻生太郎副総理、そして霞ヶ関官僚の諸君におかれましては、この問題を解決するために少し時間を割いていただきたい。
この日本社会における「隠れソフト奴隷」の問題は、ある意味で、「失われた三十年」と表現されるような、ここ30年間における日本社会の腐敗と没落の結果として生じた現象の一つだと考えられます。
ふるさと納税をしたところ、夫が通知カードを無くし、マイナンバーカードも持っていないとのことだったので、マイナンバー入りの住民票を取得しに行った
どちらも年末で多忙であったが、比較的日中動き回れる私が仕事を少し抜けていくことになった
念のため委任状を作り、区役所に行ったところ、同一世帯ではないため、マイナンバー入りの住民票はその場で私に渡すことができないと言う。
補足だが、私たち夫婦はフルタイムの共働きのため、生計を同一にしていない。
つまり夫の扶養に入っている妻であれば、その場でマイナンバー入り住民票を持ち帰ることができるのだが、扶養ではない私は今日その場で受け取ることは出来ず、翌日以降、市役所職員が自宅に届けにくると言う。
(後から調べたところ、他の市町村では郵送での対応がほとんどで切手持参することと記載があるところが多数だった)
その際にポストにフルネームで表札を出しておくようにと言われた。
私たちは賃貸マンション暮らしで、集合ポストだ。オートロックで更にマンションエントランス側にもダイヤル式の鍵が付いていて外部の人間がポストの中身を抜き出すことは基本的にはできない。
このご時世に誰一人マンションの集合ポストに表札など掲げる人などいないと食い下がるが、郵便局員ではなく市役所職員が届けるため、間違いがあってはならないので、フルネームで表札を出しておけと譲らない。
それならなぜ郵便局に依頼しないのか。
パートのおばさんと押し問答を繰り広げても一向に埒があかないので、仕事が終わって帰宅したら夜にフルネームを書いて貼り、住民票が届いたらすぐ取り外せばいいと納得し、区役所を後にした。
今日は実は私は誕生日で、夫が美味しいディナーに連れて行ってくれた。
昼間の出来事には腹が立ったが、美味しい食事に気持ちも晴れやかに。
いつものようにポストを覗くと、いくつかの郵便物に紛れて見慣れない紙が一枚。
名古屋市 ◯◯区
マイナンバー入りの住民票を届けにきたが、表札に名前が確認できないので、持ち帰りました。
12月26日 15時
との内容。
私が区役所を後にしたのは14時ごろ。
明日届けにくると聞いていたのに?
扶養に入っていないだけで、こんなに大変な思いをしないといけないの?
扶養に入ってないってことはたくさん納税してるっていうことなのに、どうしてこんなに不親切なの?
腹立たしい。
本当に名古屋市って終わってる
お母さまへ。
お久しぶりです。増田です。5年前に何も言わず家を出てしまい、ご心配をお掛けしました。
まずそのことについて謝りたいと思います。本当にごめんなさい。
今日手紙を書こうと思ったのは、洗濯物を干していて、ふと空を見上げたとき、ママが優しかったことを急に思い出したからです。5年も経っちゃったけど、ママが私のことを覚えていてくれていることを願っています。
それでね。
私は教室で一番可愛い服を着てて、それが毎日誇らしくって、毎日幼稚園に行くのが楽しかったんだ。
男の子からも「増田ちゃんはいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、誇らしかったよ。
小学校の頃になると、ああゆう服って目立つんだ。女の子から「増田はいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、それがとても怖くて、ママに相談したのを覚えてるかな。
でもママは「これは高い服なのよ」って言って、ズボンは履かせてくれなかったよね。
中学も私の希望で一番制服の可愛い女子校に行ったよね。制服がすごく可愛くて、毎日が本当に夢みたいだったの。その頃からだったかな、ママは私をブスって言い始めたよね。
でもね、私なりに努力して、中学の間に年下の彼氏を作ったの。ママにも紹介したことあったよね。
彼は本当に女の子みたいで可愛くて、私の制服を着せてあげるとよく似合ってたっけ。
あのこが私の初体験の相手だったよ。制服を交換し合って遊んでたら、どっちが男の子で、どっちが女の子か分からなくなっちゃって、もうとても楽しかったの。あの日夜に帰ったら、ママに叱られたっけ。ママは私のパンツを脱がして、初めてがなくなっちゃってるのを確認して、大泣きして、私のことを公衆便所って呼んでくれたよね。ブスって言われるより公衆便所って呼ばれてたほうが私は嬉しくて、嬉しくて、嬉しくって、あのとき泣いちゃってごめんなさい。
そういえば子供の頃、ママはママが死にかけの未熟児で生まれたんだって、いつも悲しそうに、ちょっと自慢気に、何度も何度も話してくれてたよね。きっとママは成長が遅くって、30過ぎて出会ったパパが初めての相手だったくらいだから、私は成長が早くって、羨ましかったんでしょう?
たぶん海外出羽の守とか、カブレとか、嘘松とか言われるんだろうけど誰か一人にでも知っといて欲しいから書くね。
私は今いわゆるフェミニズム先進国と言われる国に住んでて、もうすぐ2年になる。
万が一にも身バレはしたくないので詳細は伏せるけど、大学院生をやっている。
まず、この国でキャットコール・ナンパの類にあったことがない。
日本であれだけ毎日どこか歩けばどこからか大声で性的な言葉を叫ばれたり、人混みでもそうでなくてもナンパされたり触られたりっていうのがあったのに、
こっちに来てから全然ない。たぶん、すごく少ないのだと思う。0ではないとは思うけれども。
あ、お酒の入るパーティーだけはこっちも要注意だけど・・・でも、触られて嫌だとはっきり言った時、ちゃんと守ってくれる他の人たちがいた。男女ともに。
この国では、化粧をしないと失礼に当たるという考えもない。
だから、平日の昼間から化粧をしている人は本当に少ない。もちろん、したかったらしてもいい。それは男女ともにだ。
男性が堂々と化粧して出歩けるようになるにはもう少し時間がかかると思うけど、それもきっとできるようになるという希望がある程度持てる状況だ。
もちろんハイヒールや革靴の日常での強要もない。履きたい人は履いてもいい、履きたくない人は履かなくていい。とてもシンプルな解決法だと思う。
フォーマルの場でも、そこそこしっかりして見えればなんでもいいよ、ということがほとんどだ。
ここにきて一番驚いたことは、行事でキャンプに行った時、男女混合のテントだったこと。
そして、女の子たちが平気でパンツとブラの姿になって、男の子の目の前で着替えられるということ。
それに驚いている人は誰もいなかった。
注目している人も。
もちろん、盗撮なんてするわけもない。私だけがものすごく驚いていた。
流石に、友達に小声で あれ大丈夫なの、と聞いた。すると、その子は胸を張って言った。
「なんでダメなの?男がやっていいのに、女はダメだと言われていることがあったら、それは差別だよ」
私は、そうだな、と思った。男も女も互いの体をジロジロみたりしない。ネタにもしない。かれらは互いに信頼しあっているように見えた。
夜、私はあんまり仲良くもない男の子たちとすぐ隣で寝転ぶのは落ち着かなかったけど、彼らは実際私の嫌だと思うことは何もしなかった。
ノーメイクを理由にからかわれたりすることもなかった。日本では日常だったのに。
保育業に従事している男性も多く見るし、土木や建設をやっている女性もたくさんいる。
育児と筋トレのため、ベビーカーを押してランニングしている男性もいる。
ここの国でどなたかの御宅に何日かステイさせてもらうこともままあるが、家の中でもかなりしっかり作業が分担されている。
友達の家に遊びに行ったら、その子の彼氏がご飯を作ってくれていて、みんなで食事したこともある。
ここに来て、実は私は、自分の力でいろんなことができるんだなと気づけた。
例えば、両手に各30kgのキャリーを引いて、さらに体の前後に10kgと5kgの荷物をくっつけて移動するとか。
案外、やってみたらできるものだ。
タクシーを捕まえて、現地語で行き先まで行ってもらったり、初対面の人と英語で話して仲良くなったり。
小さいことが自信になって、一人の人間としていられることがとても嬉しい。
私は、日本もこうなれると信じている。
同じ人間がしたことなのだから、必ず同じくらい素敵に生きていけるはず。
(もちろん、嫌な奴も、気の合わない人も、なんでって思うこともある。全てが最高とは言わない)
少し前に市役所職員が逮捕された「ひととき」。実は私はあれにすがったことがある。
離婚と同時に借金の任意整理。任意整理だから減額はされるものの返済は続く。その矢先に子供が怪我をしてしまったのだ。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだった。返済の期日が迫る。司法書士の先生には「これを遅延させたら訴訟もありえる」と聞いていて誰も頼る者のいない私は完全に追い詰められていた。
融資の相手はニュースのようにネットではなく田舎特有の口コミで紹介された50過ぎの独身の男。そして返済が滞ったときに関係を迫るのではなく、始めから決まった月にとその提案をしてきた。フードコートのテーブルに置かれた信金の封筒の厚み。情けない話だが私はその封筒しか見えてなかった。溺れる者が藁を掴んだのだ。踏み越えてはいけない一線を踏み越えたときの感情は意外にも自己嫌悪とかそういったものではなく、追い詰められていたのが解放される安心からか、漠然と醒めた冷静な開き直ったものだった。
だが初回の「ひととき」はさすがに緊張した。30代も佳境で子供もいる歳なのに。余談だが私は元夫と別れて2年、そして離婚前からすでにレスだった。しかし通算4~5年ぶりに身体を開く相手が夫でも恋人でもなく「借金の相手」と言うことに自己嫌悪は確かにあったが、ホテルを出たあと車を降ろされて独りになったときに、意味のない作業完了感というか今月分の支払いを済ませたような安心感を覚えたのだ。
それ以降の「ひととき」には何も感じなくなっていた。待ち合わせ時間に車で拾われホテルへ入る。シャワーを浴び、まさぐられて、奉仕をして、揺さぶられながら喘ぎ、それを何度か繰り返したあと再びシャワーを浴びてホテルを出て、拾われた場所で車を降りるという、ひとつの作業として私の中で習慣づけられていた。男は余計なことは言わない、そして訊かない。私を乱暴に扱うこともなく、自分がして欲しいことを命じるのではなく頼み、私がされたくないこと(避妊なしとか)は絶対にしなかった。
それが約1年続いており、来月にその男への返済が無事に終わる。仕事は低賃金ではあるが、わずかずつの貯金をしながらも任意整理の返済はまだ続いている。前回の「ひととき」の際に提案されたことがある。日にちは特に決めないで月に4日こういう時間を約束することを条件にと金額を提示されたのだ。その金額は非常に絶妙で、耳を疑うような高額でもなく、かと言ってバカにしたような低額でもなくとてもリアルな数字。子供を塾に行かせてなお、毎月の貯金が少し増やせるような金額だ。たぶん東京あたりなら高校生がコンビニのアルバイトで稼いでしまうくらいのだろうが。
断っておくが私はこの男を好きになってなどはいない。なにせ借金のかたに女に関係を要求するような男だ。弱みにつけこんで来た男だ。ただ、情のようなものが僅かながら私の中に芽生えてないこともないのだ。
「ひととき」の数時間、私はフィジカルな部分を委ねている代わりにメンタルな部分は閉ざしている。しかし一年の間、毎月ではなく決まった月とはいえ、委ね続けていたフィジカルなイベントがメンタルな部分に少し影響し始めている。非常にグロテスクな言い方だが「体がなじんできた」のだ。その行為に「本気で感じてきた」のだ。最中に口走る淫らな言葉がリップサービスではなくなってきたのだ。それを情と呼ぶにはあまりにも動物的なのがいやで、あえて情「のようなもの」という言い方をしている。
決して恋愛感情などではないのだが、その情のようなもので、これまでの割り切りの中に少し気を入れられる関係は築けると思われる。だが息子に話せる関係には断じてなりえないことは永久に変わらない。このあたりが考えどころなのだ。
東進の林先生が「進学校男子なんてみんなマザコンだが、いいマザコンであり、本当に尽くして貰ったからみんな自然とママのことが好き」みたいに言っていたけど、進学校男子と付き合ったことのある私からすると「きしょい」だけ
みたいなツイートを前に見かけた。
親のいいなりになって10代を過ごしたら何もできない人間になった
要は進学校男子の大半は親と仲いいけど、親の言いなりで自立心がない。はたからみたらいいように見えるかもしれないが、きしょい、と言いたいのだと思う。
皆さんは反抗期はあっただろうか。最近反抗期がない子供が増えているという記事もあるが、どうだろうか。私はなかった。理由は「喧嘩しても意味がない」「いろいろ弁当作ってくれた義理がある」とありきたりなものだ。後者は反論の余地がない…と信じたい。そもそも高校以降は自力で行くのは困難であり、親はスポンサーみたいなものである。そんな親に反発するのは理不尽ではないかと思うのだ。しかし、前者に関しては違う、私は喧嘩をしても疲れるだけだと今まで考えていたが、それは単に無条件に親に降伏しただけに過ぎないのではないかと思うのだ。
皆さんは親と話すのは緊張するのだろうか。私は親と極力会話したくない。例えると、小学のころに職員室に行く感じである。家ではおとなしいが、外では饒舌というのは男子あるあるな気もするが、これはなぜなのだろうか。
皆さんは夕食は楽しいだろうか。家族団らんで囲む夕食は楽しいものなのだと思う。しかし、いつからか、家族がいるときの夕食は目の前のメニューを「食べなければならない」という苦行のように感じるようになったのだ。早く終わらないだろうか、さっさと食べて早くここから去りたい、と思うのだ。料理がまずいわけではない、多分旨い方だと思う。でも、苦痛なのだ。部活や用事などで遅く帰ってきた時の一人で食べる夕食はどんなに気が楽か。
皆さんは「親に殺される」と1度でも思ったことはあるだろうか。私は私の内面しかわからないため、これが異常なのか正常なのかはわからない。親の名誉のために言っておくが私と親の仲は決して悪いわけではない。家族で旅行もいったことがあるし、むしろ仲は良いほうだと思う。もちろん、殺人を含めて一切の前科はない。児童相談所案件になるような暴力を振るわれたこともない。あくまでこの思い込みは杞憂でしかない、と思う。
親が怒った時にそう思ってしまうだけである。夫婦や私たちのことで喧嘩をしている時に、えも言われぬような恐怖心が襲われ、自分は今夜殺されるのではないか、とそう考えるだけのことである。小学校からそんな考えが自分を支配する時がたまにあった。このとき、怒られている対象は自分ではない。大体は夫婦喧嘩である。そんな考えをしている私から喧嘩の火種を起こすなんてとんでもないことだ。
小学生の時、私は寝ている間にナイフで刺されるのではないかと思い、腹に雑誌を装備して眠ったことがある。これはくだらない子供の自衛策程度でしかないと思うかもしれない。でも、高校になってもその考えは抜けず、殺されると思って、部屋のドアにバリケードを築いたこともある。自衛のレベルが上がっただけで本質的には何一つ変わってはいない。
改めて言うが、私自身にも、身の回りにもそうした物騒な出来事が起きたわけでは断じてない。しかし何かしらのトラウマのようなものがあるのは事実であろう。
中学校のとき、友達と遊ぶことに罪悪感があった。夕方まで遊んでいると親が怒るのではないかと怯えながら遊んでいた。そんな心境でろくに遊べるわけもなく、中学ではあまり遊ばなかった気がする。高校になって、その夜遅くまで遊ぶのには相変わらず罪悪感はあったがさすがに恐怖はある程度は克服した。
最近、海外旅行にいかないかと誘われた。何故か私は海外にいくことが怖い、と感じていた。しかし、実は私は海外旅行にいくことを親に伝えるのが怖いのだ。そう気づいてしまった。結局根本にある恐怖はぬぐい切れていなかった。
あれらのツイートに強い衝撃は受けたが、私はマザコンなのかといわれるとそうではないように思われる。ただ、親の都合のいいように生きて、親におびえながら生きる。それならさっさと家を出ればいいじゃないか、と思うだろうが、それをする勇気もなかった。まるで奴隷のようなのである。しかし、この奴隷論は私の心の中のものに過ぎない。勝手に設けた精神的な束縛に勝手にもがいているような、そういうところがあのツイートした彼女にとってはきしょいんだろうなぁ。
はてなポイントでメッセージをもらったことがきっかけでメールをやり取りするようになり、先日闇属性の人とデートをしました。
車で2時間ほどの駅まで迎えに来てもらい、雪の残る山道をドライブ。
宿の近くの湖畔をドライブしながら街に出ました。
お酒を飲まずにこの時間に話せる場所がどこにもなくて、仕方なくカラオケ。
あんなにメールをやり取りしたのに、私たちは初めて会った人同士で、改めて正面に座るのがなんだか気まずい。
私は次々に曲を入れて、すごく恥ずかしかったけど、ひとりで歌って時間が経ちました。
「人前で歌うのは苦手」とはじめは聞くだけだった彼だけど、釣られてきたのかトイレへいって戻ってきたらこっそり1人で歌っているのを発見。
彼もすごく恥ずかしそうだった。
翌朝も宿のカフェで待ち合わせ。
昨夜走った湖畔を眺める高台へ連れていってくれて、湖から海に続く水面と晴れ渡る空をみました。
快晴。
そのあと彼は桜の木立に囲まれた近くのカフェに案内してくれたのですが、時間が早くてまだ開いていませんでした。
ちょっと残念そうな彼。
「最近出来たばかりのカフェチェーンにまだいったことがない」と彼がいうので一緒にいってモーニングを食べました。
それから「山がきれいに見えるところがある」としばらくドライブして海へ。
海辺の公園で遊ぶ子供たちを眺めながらとりとめのない話をして、浜辺に出て冬の波打ち際をみて、地元の史蹟の草原を並んで歩きました。
車に戻ってまたしばらくドライブ。
「この道を戻るとき山がきれいに見える」といわれ、高架をくぐり抜け元来た道を戻ると雪を頂いた雄大な山の峰が正面にあらわれました。
「天気がよくてよかった」とちょっと得意げに誇らしさでにこにこしているうれしそうな彼。
時刻は三時過ぎ。お昼を食べずにドライブしたので、少しお腹が空いてきました。
「珈琲の美味しいお店がある」と地元に昔からあるレストランへ。
彼はキャラメルモカを、私はハンバーグセットをいただきました。
「地元の人はみんなここへ来る。知り合いがいるかも」と彼はちょっとそわそわ落ち着かない様子。
実はカフェチェーンに入ったときも、カラオケへいったときも、彼はずっとどこかで知り合いに会うんじゃないかと何度も口にしていて。
そんなに気になるところへ、なぜ私を連れて来ちゃうのかな。
そろそろ日暮れになり、少し寒くなって来たのでお土産屋さんで浴用タオルを買って路地に並ぶ足湯へ。
冷たい風に吹かれながら並んで足湯へ入っていると、向かいに座ったおばあさんがちらちらこちらを見てくる。
「今頃のこの辺の名物といえば、やっぱり蟹ですか?」と話し掛けてみた。
「そうだね、やっぱり蟹だ」とおばあさんは応じてくれて「ここは美味しいものがたくさんある。私は長崎から嫁に来たけど、あなたもこちらへ来たらいいよ」と思わせぶりなことをいわれる。
彼の方を見れなくて、すぐに話を観光に戻して、どうでもいいのに地元の温泉について根ほり葉ほり聞いてしまいました。
すっかり温まって、ちょっと無謀なことをしたい気持ちになって、一緒に温泉へいこうと彼にいってみた。
彼はびっくりしていたけど、すぐに近くの温泉へ連れていってくれて。
彼は「人と待ち合わせして温泉に入るのは初めて」といっていて、彼のいろいろな初めてを一緒に経験できることがうれしかった。
二人でぽかぽかになったところで以前はてなでも話題になっていたお寿司屋さんへ。
彼の街はお魚が新鮮なことで有名。
握りも茶碗蒸しも、カウンターのお寿司屋さんに引けを取らない美味しさでびっくり。
店内は大混雑。彼は知り合いに会うんじゃないかとまた少しそわそわしながらも次々お皿を積み上げていきました。
それから朝の高台へ戻って、湖畔を囲む夜景と満点の星空を見ました。
誰もいない高台は静かで、雲の流れる音や星の瞬きさえ聞こえてきそうだった。
彼は星座の名前を調べるアプリでずいぶん長い間iPhoneの画面を眺めていて。
二人きりの車内で小さな画面を一緒に見ながら画面の中の星空と、真っ暗な夜空の本物の星空を長い間交互に確認し続けていました。
星空がそんなに気になるのか、気まずくてアプリに夢中なふりかのかわからなくて、でも聞けなくて
外は暗く穏やかな月明かりで何もかもやさしいのに、心の中には鼻先に暗幕を下ろされるような闇があった。
「『○○駅で僕と握手!』ってメールに書いていたのに握手してないよ」といったら握手してくれた。
「実は駅で両腕広げて待っていようかと思った」と笑いながらいう彼。
「ウケるかと思って」
三日目。
昨日の高台で昨日と少し違う水面を眺めながら、お互いの仕事の話や趣味の話やはてなの話をしました。
彼も私もxevraさんが好きで、xevraさんに会いたいねと何度も話した。
生きることが辛くて考えがまとまらなかったとき、「とにかく野菜と運動と瞑想と睡眠!」と思って乗り切ったこと。
いまもそれで結構助けられていること。
そこが私達の数少ない共通点。
お互いに書いた増田の話、好きなブックマーカーの話、ブクマや星が集まったときのこと、なくなってしまうはてなハイクのこと。
これもこの三日間で何度も繰り返された話題。
id でしか知らなかった人が目の前にいて、知らない山の高台で私を名前で呼んでいる。
そのあと昨日いけなかったカフェへ。インスタ映えしそうなリア充ビジュアルのケーキセットを二人で頼む。
彼は数量限定のパンケーキセットが売り切れでちょっとシュンとしてる。
ケーキを食べたら駅に出て、そろそろ予約した新幹線で帰らなければならない。
自由席だから慌てなくてもいいんだけど、彼も疲れていると思うし、ちゃんと元気にさよならしたい。
なんてこっそり考えていたら、「昨日いけなかった見晴らしのいい公園がある。いってもいいですか」といわれた。
いいけど、いいのかな。
いいの?
そこからまた街を抜け、野山と木立をいくつも過ぎて、山の中腹にある運動公園へ向かいました。
助手席から眺める冬の道はまぶしいくらいで、遠くに見える焚き火の煙と掛けていく子供と枯れ草を集めて燃やす老人が絵のようだった。
運動公園で私達は子供たちに混じって長い長いすべり台を滑り、広々とした草原で凧揚げをしました。
凧揚げをしている子供をみて「凧揚げしたいな」とぼんやりひとりごとをいったら、彼が売店でゲイラカイトを買ってくれて、びっくりした。
凧揚げなんて子供のとき以来で、どうやって飛ばすのか思い出せなかったけど、彼は「親戚の子供のために去年あげてやった」と、すぐに軽々凧を飛ばしてくれた。
三日間何もかも楽しかったけど、芝生の上を走りながら凧揚げをしたことがとくに印象に残っています。
青空に真っ白な凧糸がくっきりと伸びて、舞い上がる凧は生き物のようだった。
あとのことがどうだとしても。
彼はどうしても私に白バラ瓶牛乳を飲んでほしいみたいで、何件かお店を回って最後は直売所へいきました。
もう新幹線が出る時間はとっくに過ぎていたけど、牛乳は美味しかったし、珈琲牛乳を飲みながら得意そうな彼はかわいかったです。
彼の帰り時間が心配で、最寄り駅で大丈夫といいましたが、帰りも彼は2時間かけて新幹線がでる街まで送ってくれました。
「私達、仲良くなれるかな?」
赤紫の夕映えを背に稜線が黒々と横たわる山道で愛車を走らせながら彼はいった。
駅について駐車場の前にあったカフェで茄子と豚の生姜焼き定食を食べました。
「これで野菜がとれた」
と二人で笑った。運動は凧揚げで解消されたんじゃないかと思う。
並んで改札口へ向かいながら、どんな風にさよならをいえばいいのか、まもなく訪れる瞬間を思って胸が痛んだ。
でも表示板に出ていた発車時刻が迫る新幹線に助けられて、私は軽々と改札を抜けて彼に手を振った。
彼も改札の向こうで、三日前まで知らなかったやさしい笑顔で手を振ってくれた。
席に着いてから「こだま」に乗ってしまったことに気がついた。気持ちが乱れていたことを思い知らされた気がして切なかった。
「ブログに書いていいですよ。僕は言及されたがりなんです」と彼はいうけど、こんなあまりにも個人的過ぎる話題はいつものエントリーから浮いてしまうと思う。
それに彼と違って私ははてなで目立つ方でもない。
というわけで、彼が大好きな増田に書きました。
ちなみに恋人としては見れないとシリアスに何度も念を押されたので、彼は引き続きみんなのアイドルだし恋人募集中です。
残念だけど、私のおっぱいが大きくないからいけないんだと思う。
思わせぶりに切ない感じで書いておいたので、遊び人として名を馳せて欲しい。
嘘。ほんと真面目でいい人なのでみんなカジュアルに誘ってみてください。
今回はすっぴん黒髪でしたが、大規模オフだったら金髪女装も考えるとのことです。
vlxst1224さん、お疲れのところありがとうございました。
身バレが怖いので具体的な話はほとんど書いてない上に長文です。
同期が出来ていることが全く出来ず、優しかった先輩がだんだん呆れ顔になってきた。
大学時代から気付いていたが、はっきり言って要領は悪いしミスも多い。患者とのコミュニケーションも下手だ。
しかしそうした点ではなく、もっと根本的な部分で医療者に向いてないなと思い始めた。
一つ、患者に対して興味が持てないこと。
そしてもう一つ、どうしても患者に対して「生きていることそれ自体が無条件で尊い」とは思えないことである。
こんなことを言うのもみっともないが、高校時代の成績から言えばどこかの医学部に入れたと思う。
それでも「五感を使って患者さんをアセスメントし、医者とは違う側面から患者さんの生活を支えるクリエイティブな仕事」という看護師像に憧れ、親族の反対を押し切って看護師の道を選んだ。
「患者さん一人ひとりが自分らしい死を迎えられるように手助けしたい」と思ってホスピスで働くことを選んだ。
しかし実際に看護師になってみると、患者に対してケアをすることに全く喜びを見出せない。
一つ一つのケアがただの業務に成り下がっており、勉強する意欲も失ってしまった。
元から経済的な面や安定性を求めて看護師になったのであればそれでも耐えられるのだろうが、高い志を持ってこの仕事を選んだ(つもりだった)ために余計に辛い。
基礎研究をしている研究者の話を聞くと楽しそうで羨ましくて仕方がなく、選択を誤ったという思いが強い。
そしてもう一つの話なのだが、もし良ければリンクで紹介する記事を先に読んで欲しい。
ホスピスケアを中心として活動されている新城拓也先生がお書きになったものだ。
「医療従事者が『こんな生産性のない病人には生きている価値がない』と考えるのは未熟と無知によるバーンアウトが原因であり、十分な教育があればそのような考えには至らない」
本当にそうなのだろうか?
実は私は大学時代から「生産性のない病人を生かすことに社会的な価値があるのだろうか」とずっと考えていた。
生産性がなくても、生きていてほしいと誰かに思われているのなら医療は全力を尽くすべきだろうとは思う。
では、例えば長いこと寝たきりで、家族にも嫌われないまでも重荷だと思われているような場合はどうだろうか?
そんな事を考えてしまう自分が嫌で、きっとホスピスに行って現場を見ればそんなことも考えなくなるだろうと思っていた。
しかし現場に出てみてもその疑問は解決されないばかりかますます私の頭を圧迫している。
それでも救うべきだ、と断言できる人間だけが臨床には必要とされている。
新城先生の言う「教育」とはコミュニケーションの技法なのだと私は解した(もちろんそれだけではないと思うのだが、具体的に大きなウェイトを占めるものはコミュニケーション技法だろう)。
しかしその解釈の場合、「コミュニケーションが取れない人間は生きている価値がない」という思想を持つ植松聖の凶行は止められなかっただろう。
真に必要なものは「医療倫理が善しとする方向に感情を向ける技術」である。
患者がどのような状況であっても善行・無危害原則に則って行動し、患者の権利を擁護することに専念するための感情操作技術。
医師にしろ看護師にしろ介護士にしろ、終末期医療にはそういう燃え尽きてしまった人間を弾く制度が必要なのではないか(「医療」という枠とはまた別で)。
少なくとも医療という世界に限れば、それくらいのことが許されると思う。
普段祖母を嫌うような言動をしていた両親と兄とが沈痛な顔をして座っていて、もしかするとここにいる誰も祖母の死を悲しんでいないのではないかと思った。
それ以来、死んでも誰にも悲しまれない人間というものが存在するのではないかと思うようになった。
今も見舞いに来る家族に対して「この人は本当に患者に死んで欲しくないと心から思っているのだろうか」と疑問に思ってしまう。
もし将来家族がいないか家族に疎んじられていたら、働けなくなった時点で自殺したい。
とりあえず、ホスピスで働くのはもうやめようと思っている。
少しだけ提言染みたことを言うならば、コミュニケーション技法の教育というのは本当にしっかりやったほうが良いと思う。
アレをただの情報収集技術だと思って大学時代まともに聞いていなかった私は大馬鹿だった。
そうした技術論は患者をパターン化しているように思えて、一丁前に不誠実だとも感じていた。
熱いハートさえあれば十分だと思っていた。
どうやらそうではなかったらしい。
今自分は恋をしている。
恋をしていると言っても完全な一方通行で、いつもその人を見かけては勝手にドキドキしたり運よく話せると1日嬉しくなったり、30を越えているというのにまるで中学生のような片思いをしている。
テレビや漫画では恋は良いもので素敵で、その気持ちは大切にしていいと大抵話している。でも自分の場合は絶対に違う。なぜなら、自分は既婚者で夫と子供がいるからである。
詳しい定義はわからないけれど、きっとこの状況は不倫とは呼ばないけれど浮気ではあるんだろう。家庭に不満はなく夫のことも息子のことも大好きだけど、それはほぼ家族愛に近くなってしまったのかもしれない。特に不倫という行為自体に興味があるというわけでもない。だけど何故だか、理屈抜きでとてつもなく好きな人が出来てしまった。
好きになってからやや一年ほどたつけれど、このことは当たり前に誰にも話せていない。
家族に申し訳がなさすぎて自己嫌悪が酷く、嫌いになろうと相手の嫌なところを沢山探したがうまくいかなかった。
それならば好きになってはいけないという背徳感に酔っているだけなのでは?と思い逆に気持ちを肯定して好きな人がいる生活を楽しもうともしてみたが、そんな空元気も長くは続かなかった。
それからはずっと、好きな人を見るとバカみたいに元気になるくせにいつもぼんやりと罪悪感をもっているまま生活するようになった。
世の中では恋愛は理屈ではないという意見が多くを占めている。理論で説明できないのが恋で、頭で考えてパートナーを選ぶのは打算的だという風潮ですらある。恋で検索すると、苦しいけれど辛いときもあるけれどそれはとても素敵なことという意見が沢山出てくる。
ただし、それに「既婚」とつけると当たり前だが世間の反応は180度変わってくる。
文春が猛威をふるっているのを見ても、一般的に不倫はかなり許されない悪とされているのだろうなと感じる。こんなことを書いている自分も、もしも夫が他の人と恋愛をしていたら悲しいし辛い。なのに自分には好きな人がいるのだ。
誰にも相談できないことが辛く、以前匿名チャットで一度だけ見知らぬ人に対して恋をしていることを打ち明けたことがあった。すてきだね、応援するよ、どんな人なの?と沢山質問されたが、こちらが「実は私は既婚者なんです」と話すと「不倫は応援できません」という一言を残してチャットは切断された。
不倫はしていないしそんなことになることはほぼ100%ありえないと思っているが、万が一相手が好意に答えてくれたとして、それをはねのけられるのか?と考えてみると自信がなかった。だからもうこれは不倫しているようなものなのかもしれない、と思っている。
先日友人の結婚式に出席した際に、永遠の愛を誓い合う2人を見て永遠の愛とはなんだろうか?と考えてしまった。一生同じ相手を好きでいられるなんて確約どこにあるのだろうか?私だって本当は、同じ相手を一生好きでいたかった。
こんな日記を書いてしまったけど、私は不倫を肯定するわけでも結婚を否定するわけでもない。ただ、大好きな人がいることをどこかで言いたかっただけなのもしれない。
早くこの恋が終わりますように。
私は夢の中で私は魔法少女になっていた。
おそらくは昨日一気見したハートキャッチプリキュアの影響だろう。
キラキラとしたコンパクトで変身して、おどろおどろしい悪魔を退治した。
使命と、売れっ子漫画家になるという自分の夢に燃えていて、自分が失職中であることなど頭にはなかった。
目を覚ますと、ヤニで薄汚れた壁が目に入って、万年床に横たわる自分を自覚した。
ところで、現在ニートである私が夢の中で魔法少女となったのか、実は私は魔法少女で、
これはあの悪魔が私達からキラパワーを集めるために見せている見せている夢なんじゃないかしら?
そうよ、これは夢よ。私は早く目覚めてメンセツカーンを倒さなきゃいけない!
こんにちは、恋です。おっしゃるとおり、若者はすぐに私に罹ります。そして簡単にアドレナリンとドーパミンを分泌します。この世の幸福を増やすことができますから、私はこの仕事にやりがいを感じており、若者が居れば積極的に現場待機するようにしています。なにせタイミングが命なのです。例えば文化祭や体育祭などのイベント間近、行動時間が長くなる夏の夜などは、どこで何が起きるか分からず気が休まりません。
私は気配を感じたら出勤することにしています。相手が二度も回転椅子の席を選び、あなたが三回目に膝をぶつけた瞬間、これはもう呼ばれたと思って駆け足でやってきたのです。あなたに幸せになってもらいたくて。ところが今、あなたは私に猜疑的になり、更にそう振る舞う様子を自負すらしていらっしゃる。ただ私に夢中になっていればと楽なのに、なぜそうできないのでしょう。
実は私は知っています。加齢した生きものは、私が姿を表しても「見えないふり」をすることがあります。これは主に人間の持つ特徴です。私としては大変不名誉な出来事であり、さっさと脳内物質で前後不覚になってしまえ!と毒づくこともあったのですが、やがて気がつきました。頭を振って私を追い払おうとしたり、家族を思い浮かべて視界を遮ろうとしたりと抵抗する人々の脳内からは、セロトニンが減少し、ノルアドレナリンさえ機能低下しているのです。つまり、私が現れたことで、苦しみを感じる生きものが存在するのです。自ら私を呼び寄せておいて苦しむとはこれいかに?
私は恋ですから、アドバイスなどしません。ただ、私もしくは私の不在について考え巡らせ、慎重に私を伴い、苦楽の感情に身を持っていかれないように強くあろうとする大人の姿を美しいと感じていることを伝えたいです。いつか私が生きものに生まれ変わったら、そういう恋をすると決めています。子供のころは食べられなかった複雑な味わいの牡蠣を、今となっては美味しいと感じ、当たろうがもどそうがパクつくことができる、あなたには十分その勇気が備わっているはずです。
漢字こそ違うものの、ひびきや、ちゃん付けの呼び名はまったく同じ。重要人物だからだろう、ひらがなで読み方を振られることが多く、つどつど、敏感に反応してしまう。
その小説は、映画化もした有名小説で、私はその作家さんの他の作品も好んで読んでいる。描写は、映像どころか、そのシーンの気温や静けさまでありありと思い浮かぶほどうまく、だからこそ、私は名前を呼ばれるたび、ずしんと重いものを感じてしまう。
性格も、考え方も、取り巻く環境も違う別人だし、そもそもこれは作り話だ。よくある名前だし、私以外にも同じ気持ちになる人は何千人といるだろうし、気にすることなんてない。しかし、その登場人物は主人公と密接した関係であり、彼女の死によって物語が広がっていくので、どうしても、彼女が、私と同じ名前を持つ彼女の死にまつわる話を中心に話が進んでいく。
読み始めて、まだ70ページほどだ。
引き込まれる力は他作品と変わらずすごく、このまま進めばこの週末には読み終えてしまうだろう。
でも、これ以上読み進めることができそうにもない。
心が、信じられないほどさみしくて仕方がないのだ。
読み始めてから3日、言いようのない喪失感と寂しさが、私の中で拭えずにへばりついている。
単なる気温の変化による体調不良かななんて思ってたけど、私は、自分の名前が死んでしまったことがひどく悲しく、さらに自分のことのように感じてしまって、知らず知らずのうちに傷ついているようだ。
母がつけてくれた名前が好きだ。
この世でいちばん反応する言葉は、やはり自分の名前だろう。それが、常に死とセットで使われる世界。遺骨、火葬、そして、その死を、主人公はまだ、70ページの段階では微塵も寂しがっていない。
それはもう、他の何とも比べられない負傷感だ。夢の中で自分が死んだような、あるいはそれよりも身近な死にも感じる。
うまい。読者をこんな風に思わせる作者の書く文章は、とてつもなく上手なのだろう。でも、わたしには少々重すぎる。
今回、図書館で文化を見かけたのでたまたま借りて読んだのだけれど、実は私は、この本の単行本も発売されてすぐに購入し、今も本棚の奥にある。そのときは読みきったのだけど、なぜか内容をすっかり忘れてしまい、久しぶりに読みたくなって、手軽な文庫を手にしたのだ。
読みながら、そうだ思い出したこんな話だったと思うのだけれど、読むまでそれが思い出せない。記憶の、奥の方に押しやってしまっているのだ。おそらく、初めて読んだときも同じようにショックを受けたんだと思う。この小説の中の出来事を、過去の嫌な記憶と同じ扱いをしているのだ。
たぶん、登場人物の名前が違えば、こんな気持ちにはならなかったと思う。もっといえば、この小説の登場人物の3人が、肉親と同じ名前なので余計に客観視ができない。