実は私は死ぬわけはないのだ。
「私」とは「言葉としての私」なのであり、その言葉を支えているのは増田である。
そしてその増田が不滅なのであるから、私は死なないし、死ねないのである。
死ぬことができるのは単なる生命体としての私である。
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