はてなキーワード: モノノフとは
ちょっと昔のニコ生配信者とかアイドルの信者がなんか独特の名前を自称する文化ってあるじゃん?
加藤純一信者が信者衛門って言われてたりももクロのファンがモノノフってなってたり
俺自身ももクロは好きだったけどモノノフって呼称は呼ばれるのも呼ぶのもなんか昔から苦手だったんだよね
この前Bish芸人っていうアイドル特集企画をアメトークでやってて、
このBishってアイドルのファンはモノノフみたいな感じで『清掃員』って言われてんだけど、Bish知らない芸人側の席にいた千鳥の大悟が
2/11、ももクロバレイベのライブビューイングに行ってきた。
現地のチケットはもともと行けるかが曖昧で取っていなかったので、
初の4人体制でのライブは映画館で観ることとなった。(2/10は仕事で不参加。)
私はZになる少し前からももクロが好きで、ずっと有安杏果さんを推していた。
まぁとにかくこれを書いている時点で卒業発表からまだ1ヶ月が経っていなく、
何もかもがすごいスピードで決まり、終わり、過去のことになっていくのに今もついていけずにいる。
有安さんは何度か喉の不調やインフルエンザでステージを欠席することがあったので、
4人のこともずっと大好きだったし、今はまず満員の東京ドームを見せてあげたい。
推しが誰になるかは分からないけど、私はずっとモノノフでいるのだろう。
そう呑気に思っていた。バレイベに行くまでは。
1/21の幕張で、これが最後の自己紹介だぞと喉を潰す覚悟でありやーす!と叫んだのに、
本当にもう二度と有安さんに向かってありやーす!と叫ぶことはできないんだ。
時々涙を流しながらも、だてありではあーりんMIXを打ったし、
でも有安さんのフェイクがない怪盗、からの走れで、もうどうにも涙が止まらなく、
初めてももクロのライブで最後のZポーズをすることなく会場を後にしてしまった。
私は走れの「待っていても始まんない」からのパート(Cメロ?)を5人で順々歌っていくのが好きで
その日有安さんのパートが他のメンバーに替わっていった悲しさがそこで爆発した。
スクリーンを出て、劇場が入っているショッピングモールのベンチで息を整えながら思った。
私は多くのモノノフと同様、推し以外のメンバーへのコールもサボることはしていなかった。
どの子のソロパートにもその瞬間はその子だけを見てペンライトを振り名前を叫んでいた。
それでも有安さんに対するそれは毎回熱量が違った。
意識してそうしているのではなく自然とそうなる、だから杏果推しを自称していた。
(当たり前にみんなそうだと思うけど敢えて文字にしたことがなかったので特別なことのように書いてしまった)
それがライブ中の自分の中の緩急であったと思う。その「急」の行き場がなくなってしまった。
どこに力をぶつければいいのか分からない。1曲1曲がふわっと終わっていく。
いつからか備わった「この曲の有安さんの良かったところ」をピックアップするオート機能がエラーを起こしている。
有安さんの名前を叫ぶ、有安さんの表情や歌い方を噛みしめつつ記憶に残す、
そういったことを息をするようにしていたので、
今まで4人のソロパートも楽しかったじゃない?コールしてたじゃない?
もしかしてもう少しで有安さんのソロパートが来るからという期待がそうさせていたのかもしれない。
考えたこともなかったけど。
周りに迷惑にならなさそうな時はサビ以外や間奏も踊っていた。
それはすべて有安さんのフリだった。
有安さんが腕を上げるタイミングで私も腕を上げていた。
いつも有安さんと同じ動きをしていた。
ライブ中、メンバーが動いていないタイミングでペンライトを掲げてしまった。
どう動けばいいのかまったく分からない。
現場を重ねて慣れていけばいい、と考えるべきなのかもしれないが、
正直、まったく、楽しくなかった。
目で追いたい子がいない。動きを合わせたい子がいない。
ファンクラブサイトのトップページのように私は自然に箱推しになったのだと思っていた。
それは違った。
何年も命を削って応援してきた子が辞めてじゃあ今日から箱推しですとなれる切り替えの良さは私にはなかった。
4人のことも好きなんじゃなかったの?
何度も自分に訊いた。
れにちゃんは相変わらず聖母のような笑顔だった。レスの範疇を超えたレスに感心した。
夏菜子ちゃんは髪型は大人っぽいのにつるつるのおでこがあまりに可愛くて笑ってしまった。
しおりちゃんの自然な演技がとっても素敵で大好き。ドロシー、応援してる。
怪盗の「ささき あやか」の時の少し照れくさそうなあーりんの笑顔、守りたいって思った。
強気でありつつも、「4人のももクロも少しずつ慣れてね」と優しく提示してくれたいいイベントだったと思う。
それを受け入れられない私に問題がある。
誰もがすぐ新体制のライブを受け入れられる訳じゃないよ!という意見は当然あると思う。
でも新体制に慣れるまで、箱推しもしくは誰か推しの振る舞いが身につくまで、
何度もこの辛さや虚無感を味わう余裕はない。
月並みな言い方だが日々の辛いことを忘れられるのがももクロという存在であり、
現場でまで辛い思いをする余裕はもう本当にない。
タイミングが悪く今現在私生活がかなり辛い。有安さんのことを考えるともっと辛い。現場に行っても辛い。
じゃあ明日から他界します!と宣言する勇気もないが今は楽しみだった東京ドームに申し込もうという気もなくなってしまった。
有安さんを責めたいというような気持ちはない。
大好きだったオレンジノートのフリが変わってしまったことも強く否定しない。めちゃくちゃ悲しいけど。
前しか向いてないももクロを、後ろ向きな気持ちのまま応援するのは失礼なので、ももクロから離れたいと思う。
これはキレイごとバージョンで、雑に言うと自分が辛いのは嫌なので、ももクロから離れます。
こんなブログなんて書いたことがないので特にまとめずに書き始めた私情たっぷりの「日記」の名にふさわしい独り言だけど
読んで嫌な気分になったモノノフさんがいたらごめんなさい。
突然の卒業発表から6日間考えて、21日の最後のステージも見て、私が色々考えて考えて、落ち着いた答えがこれでした。
私はあかりん卒業頃からゆっくりももクロちゃんを追いかけてて、なかなか現場に行けないタイプのモノノフです。全て、私の個人的な意見ですが、お疲れ様とようやく言えたので、書き残したいと思います。
卒業発表をしてから21日が終わるまで、誰の言葉を聞いても、私は自分の中で有安杏果の卒業に納得がいってなかった。でも21日の翌朝、目が覚めて、そっか。と思いました。
ももクロを続ける中で、私たちの知る、私たちの望む「ももクロの杏果」の姿と本当の杏果との間に、開きが出来て来てたんじゃないかなと。もうどうしようもないくらいに。
だから21日に言った奇跡の5人はももクロ4人とモノノフだって、その言葉も本当の気持ちなんだろうと思います。あの言葉は謙遜でもない気がしてる。エールでもない気がする。純粋にそう思ってたんだろうな。他のメンバーは違う。私だけが「ももクロを演じてる」んだ、って。多分、いつも。
卒業の真意はわからない。半永久にわからない。「普通の女の子」の奥にある心の声はわからない。だけど、ももクロのももかはここまでです、って終わりたかったんだと思う。それは多分、本当だと思う。無理して続けることは無理だったんだと思う。
ももクロの杏果は、普通の女の子に戻りたかった。表も裏もなしにしたかった。
だから最後に言って欲しかったのは お疲れ様、なのかなって思いました。
杏果がももクロには必要なんだよ、っていう気持ちは緑推しを筆頭にみんな思っていたから あの時に なんでそんなこと言うの?違うよ?って思う人が沢山いたと思います。
杏果も、自分がちゃんと必要とされていたことはきっとわかってると思うんです。でも「ももクロの有安杏果」として必要とされていると思っていたんじゃないでしょうか。
杏果が無理して笑ってたとは思わない。嬉しくて笑ったことも面白くて爆笑したことも悔しくて泣いたこともちゃんと有安杏果とももクロの杏果が一緒だったときはちゃんとあったはず。それはきっと嘘じゃない。
私は初めて杏果にあったときに、自分以外の推し色のピアスとネイルを褒めてくれたのを覚えいます。なんて優しい子なんだろうとおもいました。それは今でも更新され続ける沢山の業界の人やファンが語る思い出にしっかり刻まれています。残され続けます。その思い出は嘘じゃないって思います。
奇跡の8年間。
最後まで最高にかっこよく可愛く儚いのに存在感を出して、ももかがももクロを演じ切ってくれたこと、ほんとにお疲れ様といいたい。ありがとう。本当にありがとう。そしてお疲れ様。
そして、残された4人とモノノフ。
今、4人はそこまでなるまでにどうにかできなかったのかという辛さと、どうしたら良かったのかわからない不甲斐なさをめちゃくちゃに感じたと思います。私はあの最後のスピーチを聞いて、卒業をつげたあとに本当に5人で話し合うことはなかったんじゃないかなと感じました。ふんどしでは話し合ったって言ってたけど、本当に心をぶつけ合うことはなかったように思います。
ちゃんとちゃんとみんなで話し合ってほしい。前を向くことも大事だけど、足を止めて考える時間を持ってほしい。もちろんお仕事だから表向きは前を向いててくれていいけど。そう思います。
そしてモノノフの皆さん。
私は今回、ももクロはシナリオのあるシンデレラストーリーじゃないって知ることが、杏果が残してくれた大きな置き土産だなと思ってます。
衰退する時がいつか来るかもしれないと、
教えてもらった気がします(ももかがそれを望んだかはまた別の話です)
実は私はこの一件があるまで、少し現場を離れてました。でも、こういったことが起きて、自分が出来る事は応援することだと思った一方、じゃあ応援とは?と考えさせられました。正しくは、きちんとお金を落とすこと、かなと思います。いきなり現実的な話ですが、ももクロの活動は部活動ではなくお仕事です。ちゃんとお金を正しく使って、数字を上げてあげることが手っ取り早く貢献できることかと思います。かなこちゃんの言う、他のお仕事をしていても帰ってこれる場所がももクロになれるように、
おわり。
連日、誰かが書いたブログだったり、ここ増田だったりでももクロに関する言論が上がっている。
納得できたりなんじゃこれと思ったり、まあ意見は人それぞれだろうけれど、傍観していても良かったけど、個人的な意見を書かせていただく。
卒業について。
とか言いながら、あくまで、自分の見解として、一番しっくりきた意見は、有安は根っからクリエイターだったということ。
締め切りを守ってしっかりと毎日コツコツ仕事しているクリエイターさんも確かに存在しているだろう。
だが、クリエイターにもっとも大事なのは自由であるという表現が、不器用で生真面目な有安さんにはぴったりだと思った。
よほどの才能に恵まれていないクリエイターは、どこかでクライアントの要望をそのまま受け入れたり、納期の関係で納得のいかないまま仕事を終わらすことに慣れていくのではないか。
それは、感覚が鈍るということでもあり、経験で補っていくということでもある。
若い時の感性を失わずに、とは誰しも願っているだろうが、やがてアイデアの泉は枯れて行き、過去の貯金を切り崩すことになるだろう。
有安さんは、まだ若く、そのような状況とは遠いはずだが、そこへ繋がる道が見えてしまったのではないか?
縛られ続けることが怖くなり、それがストレスとなった。
逃避ではないのだろうけれど、それが普通の女の子になるということへと繋がって行ったんではなかろうか。
生まれつき表現をすることを定められ、それに対して全力に向き合ってきたからこそ。
一旦リセットして、クリエイターとしての想い、自分自身の想いと向き合う時間を欲したのだろう。
納得できるというより、納得してしまえば有安さんがいつか帰ってくるという希望に繋がるため、こういう意見に流されてしまったのかもしれない。
かつてのアイドルといえば遠い存在。それこそ偶像だ。テレビの中に居るだけの存在で、一部熱狂的なファンがコンサートに行ったりしていたようなイメージ。
だけど、かつてと違うのは、これだけ娯楽が溢れている世の中でも、ライトなももクロファンもモノノフを自称し、年に数回、時には遠征までしてライブに行く。
それはももクロがまだまだテレビ等への露出が少なく、またライブが異常に楽しいということがSNS等を通じて広まってしまったことも原因だろう。
そして、ももクロファンははたからみればアイドルオタクである。
自称モノノフが、自分はドルオタではない。などと表明する滑稽な事態も起きているが。
ももクロは握手会を止め、国民的アイドルを目指した段階で、一部のオタクを切り離しにかかった。
ももクロに最近の良くあるタイプのアイドル像を求めるオタクは、妹分や別のグループに流れ、それでもももクロのことを気にしつつ。
最近は握手会なんてないことが当たり前の、かつてのアイドル像に近い感覚で応援しているファンが増えてきた。
モノノフの大多数は、芸能人、遠い存在としてももクロを見ているだろう。
それは、はっきり言って今のアイドル産業からすれば異質のことだ。
その向こう側。
大多数のファンはそれを好ましいと思っているはずだ。
彼女らの人生は彼女らにとって素晴らしいものでなくてはならない。
エゴではあるが、彼女ら人生の伴侶を見つけた時、子供をもうけた時に、人生で一番素晴らしい体験をした時に、アイドルとしての経験と比べ、両者ともにかけがえのない幸福な経験だと思って欲しいという思い。
それでも、アイドルをやっているからこそ、その喜びに繋がったと思ってくれそうな。
そんな彼女らを望んでいるのではないだろうか。
別の場でも書いたが、思春期をアイドルとして過ごした経験は、それを体験したものにしかわからないだろう。
過密なスケジュールや、厳しいレッスンは辛い事でもあったと思う。
が、夢は叶う、苦労の先には幸福が待っていると、自らの体験で知った彼女らである。
人生をアイドルとしての自分に捧げるための準備は出来ていると思っている。
これも勝手な妄想ではあるが、ライブでの彼女ら、テレビでの彼女ら、舞台裏(よく放送される)での彼女らと、まったくプライベートの彼女らにそんなに差はないんじゃないかな。
差が無くなっている、10年という月日と、元々素直で正直な子達であるということと、運営がそれを望んでい事、そうあるべきように誘導したこと。
それらの結果が出ようとしているのではないだろうか。
たまに、出合う根っからのいい人。裏が無さそうな人。
そういう四人がアイドルとして1グループでまとまって活動していくんじゃないだろうか。
そりゃ裏では凹んだり落ち込んだりすることもあるだろう。
でもそれを見せないっていうのは、普通の人でもやっていることだ。
ももクロはこれから、一人の人間であることと、アイドルであることを完全に巧く両立させて、その姿を見せてくれると信じている。
あと今も活動しているアイドルのこと否定するなら(違和感といいながら完全否定ですよね)切り刻む自覚もっと持ってくれた方が
なっていますが…。もう大人へと変化していくのを誰も止められません。そうみているのはそうみたい人たちだけなのでは?
「でもアイドルとしてのももクロって、そういう「女っぽい」部分を徹底して排除しているように見えます」
この女として…っていうのがよくわかんないです。成熟した大人になるための葛藤やモラトリアム期間なんて男女問わず起こりうるでしょう。
「それは「自分が当該アイドルを性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身の性的主体性を肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです」
いつか結婚して子供が生まれてもももクロでいたいね、というのは、いけないことということですか?
「ずっと変わらないパフォーマンスをしているももクロを見ているのがしんどくなったんですよね」
ずっと変わらないパフォーマンスをしているんですか?彼女たちのパフォーマンス、そんなに変化がわかりにくいでしょうか?
こんなふうに噛み付くと「モノノフきもい、これだからモノノフは」って言い捨てられて終わるんでしょうね
生きづらいです非常に
一括りにされて
馬鹿にされて
馬鹿にされても当たり前というふうに振舞われて
そういう時期もあっただろうし、受け取り方はそれぞれだろうけど、今のももクロの魅力って、
アイドルである姿と普段の姿がシームレスなとこ(もしくは、そう思えてしまうとこ)だと思ってるんだけどな。
無理して仕事しているわけじゃなく、ももクロとして10年やってきたからこそ、本来の自分と演じてる自分が融合しつつあり、運営もそれを認めて表に出してると勝手に思ってた。
そりゃ、完全に同一ではないだろうし、幻想かもしれないけれど、いい意味では『飾らない』っていう表現がしっくりくる。
人間として成長するのと同時にももクロとして成長したからこそ。人生かけてる。
恋愛しようが出産しようが、活動休止後に戻って来てくれると思わせてくれていたし。
まあ、おっさんなので若いファンとは受け取り方が違うだろうけど、握手会とかやってて話ができるアイドルとももクロはもはや別物で、会うっていう定義を握手会やツーショット会だとしたら会えないアイドルになってて、だからこそ、こじらせるオタク、オタク未満のモノノフも少なくて。
今回のことは、結局そういう幻想が砕かれたから衝撃っていう意見も多い。(と勝手に思ってる)
ももクロであることが当たり前だと思ってたのにそうじゃなかったから。
それでも、残った4人は大丈夫ってまた幻想を追い続けるしか道が残ってないのもつらいし、結局幻想なんだったら、お互いにいい未来は待ってなさそうだけどね。
でも、年金貰えるようになるぐらいまで、細々とでもいいから芸能活動だけで暮らしていける4人であってほしいし、他の趣味やライフワークを見つけるのもいいとも思う。
どうも!関ジャニ∞とももいろクローバーZのヲタクをしている大学生です。いわばジャニヲタとドルヲタなのですが、この度、以前から頭の端っこでぐるぐるしていたこの「男性アイドルと女性アイドルの違い」について、はてな匿名ダイアリーに書いちゃおう!となりました。いかんせんこういうの初めてなのでどうなるのかなとか思ってるけど、そこは匿名だからオールオッケー。
日本の男性アイドルというと天下のジャニーズ大国。ジャニーズ事務所の絢爛たるジャニタレたちが今の日本の男性アイドルの需要をほぼ占めている。誰もが認める国民的アイドルSMAPを筆頭に日本のカルチャーを牽引している。
一方女性アイドルはというと、高確率でテレビで見かけるのはAKB48を中心とする48グループ、ももいろクローバーZといったところ。その次点にでんぱ組inc.、私立恵比寿中学らスタダグループ、モー娘。らハロプロ、その他にも地下アイドル、地方アイドル合わせるとかなりの数のアイドルが存在する。
正直言って私自身アイドル自体には全くもって詳しくないので全体像を捉えた感覚としてはどこか曖昧なものになってしまうかもしれない。しかし、関ジャニ∞とももいろクローバーZという男性アイドルと女性アイドルとを同時に追っかけていると、彼らの置かれている環境の違いが痛いほど感じ取れる。
わたしが初めてももクロちゃんの現場に行ったときの話。現場とは言っても映画館で行われたコンサートのLVだったが、ライブが始まる前、突然に1人の男性ファンが「俺らが支える!」と叫び、それに反応したまわりのファンが「かなこぉ⤴︎」という8文字コールを打った。これは各メンバーごとに違い、例えば黄色担当の玉井詩織だと「みんなの妹!」「しおりーん!」だとか、紫担当の高城れにだと「笑顔が一番!」「れにちゃん!」といったふうである。
しかしわたしはこの赤担当の「俺らが支える!」「かなこぉ⤴︎」という百田夏菜子の8文字コールに『いやいやいや!日々支えられてんのはこっちでしょ!?』と心の中でブラマヨ小杉ばりの高速ツッコミをかました。毎日毎日アイドルたちに支えられているのは他ならぬ私たちヲタクであると思っていたのでわたしはかなりの衝撃を受けた。
彼女たちは毎回ライブをするごとに「みんなのおかげで〜、モノノフ(ももクロファンの総称)さんのおかげで〜」と感謝してくれている。それだけでも私は「ももクロちゃん自身の力なのに....」と何度も涙してしまう。彼女たちは十分にファンの応援に応えてくれているのだ。しかしこの8文字コールは彼女たちにさらに追い討ちをかけているようで、応援というよりは圧力のように感じ、この8文字コールを打つ意図が全く理解できなかった。
ももクロちゃんもインディーズデビュー時から多くの女性アイドルグループがしのぎを削る中で活動を行ってきた。今でこそ老若男女、多彩なファンがついているが、そうなる以前はいわゆる典型的な女性アイドルヲタク気質のファンがもちろんほとんどで、その中の1人が作った8文字コールが今もなお使われているのだろう。きっとこの8文字コールを作った張本人はすでにももクロファンを他界(ファンを辞めること)しているであろうことは容易に想像できる。南無南無。
「俺らが支える!」というコールには「メンバーを支えている‘俺’」という存在がいる。しかしステージ上には‘俺’なんていない。いないんですよ。ステージ上で汗を飛ばしながら歌って踊っているアイドルに応援している自分の存在を認知してほしいの?何がしたいの?それはもはや応援ではない。
わたしが追っかけているもう一つのアイドルグループ、関ジャニ∞はジャニーズ事務所の男性アイドルグループだ。関ジャニ∞のコンサートでは開演が近づくと「エイト!エイト!エイト!」と開演までエンドレスでコールするエイトコールがある。8文字コールに比べるとグループの名前の一部分をただひたすら繰り返すだけというめちゃくちゃ簡単なものだが、ほぼほぼ8文字コールと意味合いは一緒だと思う。ライブ中にC&Rもふつうにある。それは応援ととっていいだろう。
恋愛と結婚面でもそうだ。アイドルと恋愛、結婚の問題は男性でも女性でも極めてデリケートなものだ。しかし、男性アイドルヲタは「恋愛はしてもいいけど、きっちり隠してくれ」という意見が多いように思う。最近でいうと嵐の大野さんの交際発覚だが、大変な騒動に発展し嵐のファンでないわたしも「ヒィィ」とのけぞらざるを得なかった。しかし恋愛をしていること自体に怒るファンは少なく、彼の自己管理能力の低さやその自覚のなさに落胆と失望の声が多かったように思う。
しかし女性アイドルは違う。恋愛禁止のルールの中、限られた時間の中、彼女たちはアイドルをしている。「恋愛をする」ということ自体がルールを犯す行為とされ、それをしてしまったアイドルは徹底的にファンからも運営からもバッシングされる。女性アイドルは「恋愛をしている時点で裏切りをした」と見なされる。女の子は男性と恋愛した時点でどこか汚れてるみたいなイメージ?がまとわりついてくる。
これはいわば社会における「童貞でないか」と「処女でないか」の認識の違いなんじゃないか。「童貞じゃなくなった」という言葉は喜ばしいプラスの印象だが、「処女じゃなくなった」という言葉は逆にマイナスな印象を与える。男性と女性のジェンダーの問題に及んでくる。
「女性は処女じゃなくなったらビッチ」の極端な認識がここにも表れているんじゃないか。女性アイドルは恋愛した時点でビッチなのか。ここらへんはもう「腐ハウスブログ」のくるくるさんの、問題のあるレストランというドラマを見た感想記事を読んでいただきたいんですが。ここらへんのこと全部書いてくれています。リンクの貼り方わからん。ググってください。
わたしが追っかけるももいろクローバーZは女性アイドルである。彼女たちは2013年3月、国立競技場のコンサート2daysの2日目の最後、聖火台の前で挨拶をした。
「私たちは天下を取りに来ました。でもそれはアイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもない。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。ずっとずっとこれからも、みんなに私たちを見て笑顔になってもらいたい」
彼女たちはそう語ってくれた。女性アイドルの「卒業」のルールなんて越えて、彼女たちはずっとずっとこれからも私に笑顔を見せてくれるのだと。日々の支えになってくれると。一生アイドルを続けるということは、彼女たちにとってはある意味残酷なことなのかもしれないのだ。でも、でも、わたしは嬉しさで涙が止まらなかった。
とは言えももクロちゃんもアイドルを一生続けるとは言っても、あまり恋愛とか無縁なイメージ持たれているし、どうするんだろうとかそんなことをうじうじと心配してた一ヲタクだったが、ももクロちゃんは昔から知らず知らずのうちにヲタクの心配なぞどこ吹く風というようにぴょーんとその上を越えていくところがあって、ある時れにちゃんが頬を腫らし「このまんまじゃお嫁に行けない!」と言ったところに間髪入れずあーりんが「いつもの状態でも行けるかわかんないじゃん」「うるせぇ!」という会話を繰り広げていたり、「有安は結婚早そうだけど離婚も一番早そうだよね」「嫌だー!絶対離婚しない!」とかいう会話もあけっぴろげにするようになってきた。なんか心配してたこっちがアホらしくなってくるほどに下ネタもひどくなってきているのでヲタクが取り残されてる感がメッチャ面白い。
男性だって女性だってアイドルという仕事はそうそうできるものじゃない。どのアイドルもみんな頑張っている。ただ現代社会での女性に対する認識、それは女性アイドルたちの環境にも如実に表れている。前にAKB48の子がSNSの315アプリでファンからの質問に「(AKBの子は)みんな病んでる」と答えたというニュース記事をちらっと見たことがある。そんなんじゃだめだよ、みんなに夢を売るのがアイドルなんだから、アイドル自身が誰よりも夢見るべきなんだよ。それは男性アイドルも女性アイドルも変わらんよ。
ふだん恋愛の曲なんて歌わないももクロちゃんが2014年に出したシングルは美少女戦士セーラームーンCrystalの主題歌『MOON PRIDE』だった。恋に恋しながらも闘う女の子の強さがいっぱいにあふれた名曲だ。この曲を歌っているももクロちゃんはどこまでも女性で、たくましくて、ひたすらかわいくて、かっこいい。
切なくて泣きたくなるけど、それでも闘う。女の子にも、すべてを受け入れる強さがあるのだ。