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はてなキーワード: 国際的とは

2022-10-03

韓国のお役所竹島の生態を報告書にまとめて、そこにニホンアシカと書かれていたから、韓国生物なのにニホンアシカおかしいだろ名前を変えろって炎上してるらしい。

韓国民族主義者が、日本海東海と呼べと国際的運動をしてるけど、ニホンアシカ学名もチョウセンアシカしろって運動が起きるのかな。

2022-10-02

どこかが最初に核を撃ったら数分以内に何百発の核ミサイル応酬になるってよく言うけど

発射されたミサイル核弾頭が載ってるかどうかなんてわかんないのでは?

正当な報復を「核ミサイルで」するためには着弾するまで見極めないといけないから、

着弾までに迎撃成功して被害を最小限にしたうえで核弾頭だったと確認できるような状況でなければ、

①着弾時点で反撃不可能状態まで壊滅→反撃しようがない

核弾頭を搭載してないミサイルなのに核ミサイルだと誤認して核ミサイルで反撃→核を先に使用したことにされる

このどっちかのパターンになるのでは?

それか核弾頭が載ってるかどうかにかかわらずミサイルの種類で核ミサイルと見なすみたいな国際的な取り決めみたいなのあるの?


追記

思いのほかトラバブクマ集まったな、みんなサンキュー

相互確証破壊

スタニスラフ・ペトロフ核戦争未遂事件

・死の手

このあたりをwikipediaざっと見てみたやで。

まるで将棋というかほぼ心理戦やな。

相互確証破壊が成立した国同士で核戦争理論上発生しない(原潜超重要)んだな。

その状態で初手で相手に1発2発の核を打つのある意味ファンタジーであると。

まあそのうえでのファンタジーになるけどミサイルの演習中にシステムが乗っ取られるとか誤作動するとかして核弾頭積んでないミサイルが間違って発射された場合があったとしても

今は衛星かいろんな方法監視してるから核を乗っけてないミサイルが発射されたことはわかるので事故として処理されるか、戦争になるとしても全面核戦争じゃない普通戦争に移行する可能性が高い感じか。

2022-09-26

anond:20220926171641

GDP社会保障制度支出割合で見ると

日本23%ぐらいだが、これは国際的に見て特別高い数値ではない、イギリスと同じぐらいだし

しろドイツフランスのように日本より高い国も多いんだよなあ

経済とは生産と消費のバランスが整って成長するものなのだ

頭の悪い人って単純に生産だけ効率化すれば経済成長するものだと思い込んでるんだよなあ

役立たずと言えばお前みたいなバカもどっこいどっこいだろ笑

2022-09-22

小池百合子都知事2024年東京フォーミュラE開催を目指す」

フォーミュラE国際的な電動自動車レースである

電動自動車といっても我々が街中で目にするような屋根の付いた箱車ではなく、

屋根のないシングルシーターのF1のようなマシン電気モーターを搭載したものである

現在開催されている電動自動車レースの中ではもっとメジャーもっと競争の激しいトップカテゴリーの国際レースである

 

電動自動車レースであるフォーミュラEの最大の特色は大都市市街地コースを設置してレースを行うということである

通常のガソリンエンジンレースであれば、騒音排気ガス問題から市街地レースを行うためには

地域住民環境への配慮合意必要になるが、電動モーターで疾走するフォーミュラEでは市街地レースを行う敷居が非常に低くなる。

また市街地レースを行うとアクセスの便が良くなるのは言うまでもなく、その結果モータースポーツファンだけでない広い集客が望める。

 

実際に開催されるかどうかはわからないし、

また開催される場所候補も決まっていないが

東京のど真ん中で開催されるようなことになれば

東京という言葉だけの記号ではなく

実際の東京という都市を広く世界アピールすることになるし

またフォーミュラE日本での開催は世界的な自動車の電動化の流れの中に

日本が取り残されないことへのひとつ意思表示となるであろう。

そして昔からモータースポーツファンにとっては日本大都市での市街地レースというひとつの夢が達成されることになる。

 

とはいえ、あまりモータースポーツに興味がない層にとっては交通規制がかかるだけの邪魔くさいイベントとして嫌がられるのかもしれないし、はてブーにはそう感じる人のほうが多いかもしれない。

2022-09-19

日本人ユーチューバーの胡散臭さは異常

俺としては、ヨビノリ、ひろゆきDaigo試金石

この3人は「たくさんの人にとって有益だと思われているけど、オレ個人としては見ない」というもの

今日「俺的にマシなユーチューバー」ってどんな共通点あんのかな、って分析したんよ。んで、以下の特徴があることがわかった。

んで、俺が高評価してる「日本語の音声や字幕対応している高品質面白いチャンネル」を3つ挙げるなら以下になる。

この種の動画が「面白い」って感覚が身近な人間と噛み合わないんだが、美しい極東はいからポーザーが牛耳る世界になってしまったんだ。

2022-09-11

anond:20220911020227

結局反社定義は困難(笑)とか言ってたのと同様にテロ定義は困難とやり返されてるだけなんだよね

実際コトバンク定義では「政治目的を達成するため」となっているので山上行為政治目的ではないのだからテロとは言えないが、壺にまみれた安倍政権定義でいうなら山上行為テロになりうる

それが嫌ならテロ定義国際的同意を示してみろよw

2022-09-10

anond:20220910005727

続まだ山上安部暗殺事件テロじゃないっていってるアホがいる話

この記事は以下の記事追記になります

まだ山上安部暗殺事件テロじゃないっていってるアホがいる話

https://anond.hatelabo.jp/20220910005727

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910005727

これまでにないくらブコメもらったのでこっちに追記かきます、ただはてなー意見テロではないって人が勢いいいみたいでめちゃくちゃがっかりしました。

結局テロではないとして自分たちテロに加担している事実から逃げる欲望には抗いがたいんですね。

テロ定義について

似たようなご意見どちゃくそ多数いただいたのでまとめてここで返信します、法的な観点学術的な観点とやらで様々な観点でご意見いただきましたが、ここで語っているのは一般的言葉としてテロについてです。

テロリズムについて以下コトバンクから引用すると

テロリズムとは、ある政治的目的を達成するために、暗殺殺害破壊監禁拉致(らち)による自由束縛など過酷手段で、敵対する当事者さらには無関係一般市民建造物などを攻撃し、攻撃物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るものである政治的目的もつという意味で単なる暴力行為と異なるが、それらの目的には、政権の奪取や政権の攪乱(かくらん)・破壊政治的外交的優位の確立報復活動資金の獲得、自己宣伝などさまざまなものがある。これらテロリズムを行う主体テロリストといい、個人から集団、あるいは政府国家などが含まれる。https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-102010

となります

また政府では第二次安倍政権時代テロ定義について以下のような答弁が残っています

テロリズムとは、一般には、特定主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm

以上を踏まえると基本的にはテロとは特定の主張に基づき暴力によって国家社会に対して影響を与える犯罪となります

このことから山上安倍晋三を殺すことによって社会に影響を与え間接的に統一教会ダメージを与えようとしたテロになります

それでもテロ定義云々は文句ある人はいるかもしれないですが、それを置いておいても選挙期間元首相の国会議員が銃撃によって殺されている事件世界的にもテロでなかった事例はございません。このことは何度でもいいます

ちなみに似たようなご意見暗殺であってテロではないとといった主張もちらほらみられます暗殺テロです。Wikipediaから引用すると

暗殺あんさつ、英語: assassination)とは、政治的動機に基づき要人非合法殺害することであり[1]、テロリズムの一形態に分類されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E6%AE%BA#:~:text=%E6%9A%97%E6%AE%BA%EF%BC%88%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%95%E3%81%A4%E3%80%81%E8%8B%B1%E8%AA%9E,%E6%8C%87%E3%81%99%EF%BC%88%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8F%82%E7%85%A7%EF%BC%89%E3%80%82

とあるとおり暗殺テロの分類の一つになります

ブコメへの返信

baronhorse テロって広く不安や恐怖を与えることで目的を達成しようとすることだと思うんだけど、山上事件になんか不安や恐怖感じるかね。壺売ったりそういう犯罪に加担したりしてない限りなにも恐れる必要ないんじゃないか

山上意見賛同する人の多くは統一教会に対して政治的に法的にも何らかの対応がない限りまたテロが起きるぞっと不安をあおってるクソみたいなコメントが見られますね。明らかに暴力で今の社会に対する不安をあおる犯罪でした。

tafutanisu この主張が弱いのを自覚してるから、「アホ」とか強い言葉トッピングして勢いで誤魔化そうとしてる感がある

違いますね、たとえこコメントが正しいとしても、同じことは山上にも言えて自分の主張が弱いので安倍晋三を殺すというセンセーショナル方法をとったんですね。

明らかにテロであることをテロではないというのは鹿を馬というようなアホくさい欺瞞からアホって言ってます

agektmr ケネディが殺されたのは暗殺であってテロとは言わないのと同じでは。周りの人も巻き添えにするような無差別なやり方ならともかく。

上に書きましたが暗殺テロの一分類です、またテロは周りの人も巻き添えにするような無差別なやり方のみを言うのではありません。

一般的用法としてケネディ暗殺事件テロ事件として扱われています

例【日経新聞

首脳狙った世界テロ事件 ケネディ米大統領など犠牲https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB083QH0Y2A700C2000000/

opnihc まず増田の明晰な頭脳で今まで誰もなし得なかったテロ定義国際的合意をお願いしたい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9?wprov=sfla1)定義もなしにしても不毛だろこれ

テロ定義国際的合意あなたが一人で勝手にやってください

だいたいあとは似たような感じでオギャってるので返信はまーはぶきますが、皆さんや世間では統一教会憎しで行動してる方が多くて疲れます

結局統一教会に対する問題はこの事件の上辺でしかないと思ってます本質的には社会的に孤立した人間貧困がこの事件の一番の問題だと思っていて、山上孤立して貧困だったからです。

人は霊感商法に騙されなくてもビジネスに失敗したりギャンブルであったりで様々な理由簡単貧困に陥いり、ましてやそういった親を持ってしまうと中々貧困から抜けられない現実があるのも事実です。

私は統一教会による問題よりも貧困孤立している人間社会が目を向けてへの支援への動きへ社会が動いていってほしいとは願ってますね。

こういうこと書くと前の記事読まずにカサカサ寄ってくるゴミどもがいるので改めて虫除けに書くけど

統一教会韓鶴子サタン

追記 09/11 02:00頃

また追記書いた

https://anond.hatelabo.jp/20220911020227

2022-09-06

日本で三番目に人気のスポーツ

野球サッカーは決まりじゃん?

その次って言われるとよく分からん

部活の人気でいうと多分次はバスケだけど、プロ全然人気ない(国際的に弱すぎ)

そうなるとテニスかな? 松岡修造錦織圭大阪なおみあたり人気だし

でも年末とかテレビでやるから格闘技結構人気?

国際的な強さでいうと卓球結構強いが隠キャのスポーツというイメージが強すぎる

逆にラグビーゴリマッチョ野蛮人イメージ強すぎる

バレーハイキュー効果で人気が高まっている気がするがどうだろう

総合するとやはりバスケテニスのどっちかが三番手

何か忘れているような気もするが…

2022-09-05

anond:20220905233656

「もはや賛成反対という次元ではなく、国葬参加と弔意の表示は国民義務である

元総理のもとに国民が一致団結し、国民一人一人が命を投げ出してでも外国から侵略を打ち返し、我が国家の国際的威厳と確固たる地位永久的に保たなければならないのである

2022-08-24

自民党と旧統一教会が何故国内のバッシング強気なのか

それは国内ローカル)と世界グローバル)をうまく使い分けているからだと思う。

実際国際的な話と国内の話を区別して比較しながら話すのは難しい一方でごちゃまぜにしながら誤魔化すのは簡単なのである

海外ではーなどという言葉山上事件以前よく見かけたと思うが海外日本以外の国を指す言葉であり欧米ヨーロッパ北米を指す言葉である

さらヨーロッパには西欧東欧中欧がある。これに当てはまれば嘘でもデマでもなんでもないわけである事実なんだから指摘しようがない認識を間違えた受け手側の負けであるアメリカ人アジアではーと言った場合日本中国韓国その他アジア諸国どこを指してもいいのと同じ事だ。

実際アメリカ人の多くは日本人と中国人区別はつかない。イランイラク戦争というのがあったがイラン人とイラク人の区別を多くの日本人はつくかい地図を見てここがイラクでここがイランだと指で指せるかい

これが国内問題と国際問題を同時にやってくことの政権メリットであり、旧民主党はこれがからっきしダメだった。こういったペテンスキルを持っていなかった。メディアとの精通も敗因だろう、安倍はここだけは100点だった。

2022-08-19

anond:20220818053625

これはガチリアルな話だが、昭和30年ごろまで本当に

基本的子供を産んだ方が経済的に得をする社会 」だった(実話)

何が得だったかって? {家内労働力が増える」だよ!!!

20世紀の中期までほとんどの世帯農家自営業個人商店漁師とか)

みたいな「家業」だったから家父長を中心に妻も子供も一緒に働くものだった

そしたら当然タダで使える従業員は多いほうがいいよね

それでどこの家も子供を5人も6人も生んだ(乳児死亡率も高かったし)

……しかぁし! 高度経済成長期以降、みんなサラリーマン世帯になった

子供は働かせるものではなく20歳ぐらいまで長々と学校に通わせるものになった

だって学歴がないと就職できない、おかげで養育費がかかって仕方ないのが現代

まり産業構造農村社会に戻すのが少子化解決の最大の策!!

実際にアフリカ最貧国は今でも一世帯に子供が5人も6人もいるではないか

ただし、それでは国際的経済競争にはついて行けずに国全体が貧しくなる

独身や子無しは別に好んでやってるぜいたくじゃねえんだよ

産業構造が変わって子供を持つことの損益基準が昔と変わったのが原因

これは近代個人主義思想とかフェミとか左翼かいっさい関係ない

文句なら蒸気機関株式会社発明した奴に言ってくれ(英国元凶

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-08-16

anond:20220816121904

日本の国力の低下の根本には能力社会的需要教育アンバランスだと思っている。

全くもって正しい

4年間かけて身につけたスキル無視する企業が多いことが国際的競争力の低下の一因

2022-08-11

anond:20220811123828

"物価上昇を通じて経済の好循環をつくるという「リフレ論」は幻想だった。大々的な社会実験の結果、そのことが明白になった。"

"「近年、多くの経済政策実施されてきたが、結果として過去30年間のわが国の経済成長は主要先進国の中で最低レベル」「初任給は30年前とあまり変わらず、国際的には人件費で見ても『安い日本』となりつつある」

安倍氏はこれをアベノミクス批判と受け止めた。「安い日本という表現おかしい。アベノミクスをなんだと思っているんだ」。安倍氏はそう漏らしていたという。(朝日新聞2022年6月3日

 この報告書は最終的に、安倍氏からの強い申し入れで次のようなくだりが盛り込まれた。「我々は平成24年末に政権を取り戻し、『アベノミクス』によって(中略)革新的政策を実現した」。それに続いて、GDPが約560兆円まで増加して史上最高水準となったこと、雇用も約440万人増加したこと、史上初めて有効求人倍率が全都道府県で1を超えたことなどが詳しく記された。

 とりわけ雇用改善安倍氏が「アベノミクスがもたらした成果」として強いこだわりをもって明記を求め、盛り込まれものだった。"

"安倍氏が昨年来、講演のたびに「日銀政府の子会社。紙とインクコスト20円で1万円札がどんどん刷れる」とややセンセーショナル表現リフレ説明を重ねていたのも、アベノミクス路線は健在とアピールたかったのだろう。"

"20209月首相を退任した安倍氏最初に受けた単独インタビュー読売新聞20209月20日)で、「政権レガシー政治遺産)を何と考えるか」という質問を受けた安倍氏があげたのは、今もこだわり続ける「400万人超の雇用を作った」実績だった。

さらにもう一つ、意外なテーマを挙げた。それが「2度の消費税率引き上げを行った」ことだった。

 あれほど消費増税をいやがり、財務省を遠ざけ、2回も異例のかたちで消費増税を延期してしまった安倍氏が、みずから消費増税を「政権遺産」にあげたのである。その理由として「伸び続ける社会保障費に対応し、国の信認を維持するため」とも述べている。"

2022-08-09

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

前置き

2022.7.24 一般公開シンポジウムフェミ科研と学問の自由

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI

より、清水晶子氏発言部の文字起こしである

長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。

分割の境界スライドにある番号に従うが、副題は増田判断である

スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。

講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしベースに、

増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。

質疑応答部、スライド部の文字起こしはすべて増田が行った。


批判記事の紹介

まず、江口先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。

加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセルカルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生記事

なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルタイプ言論の自由擁護」として紹介されている。

また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、

他、法学専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、

(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s

40:57~48:23

2022/7/24

学問の自由キャンセルカルチャー

清水晶子(東京大学

菅野優香

はい、お二人目は清水晶子さんです。

清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています

フェミニズム・クィア理論をご専門とされ、

研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体他者性、自己表象生存戦略可視性を巡る問題などがあります

最近英語圏フェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。

主な著作に、

Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision英語の本です、2008年

「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィアポリティクスのために」、2019年

フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、2020年

フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります

清水さん、どうぞよろしくお願いいたします。



清水晶子:

はい、ご紹介ありがとうございます清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、

本日は「学問の自由キャンセルカルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います

少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。

学問の自由とは

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者、教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」

1998年 国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任

学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。

一般的には、大学だったり研究機関とかっていうものが、

政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的権力だったりというところから圧力を受けることなく、

さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学経営陣あるいは多数派社会的通念・経済的要請などから

不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問良心手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。

例えば、1998年国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任」という文書があるんですが、これによると

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者・教員学生が、

倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、

そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」というふうにされています

学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判文脈における学問の自由の主張というのは、

ある意味まさにここに相当するもの王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います

2000年代前半:ジェンダーバックラッシュ

過激性教育ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム

2014年広島大学でのいわゆる「従軍慰安婦」に関する講義

産経新聞による吊し上げ↑ 日本科学者会議広島支部幹事会による抗議

2020年日本学術会議会員任命拒否

日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」提出(日弁連

残念ながら、日本フェミニズムとかマイノリティ政治に関わる研究者にとって、

今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。

からこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。

今世紀に入ってから過去20年に限定しても、

2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、

ここでは与党自民党プロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体使用疑義提示されたりしている。

2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学研究者の授業というのが、

先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、

批判や抗議が大学殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由侵害であるというふうにして、

産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。

もちろんさら記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、

日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。

この任命拒否については、憲法23条保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、

2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」というもの総理大臣に提出をしていると。

これらの事例での学問の自由というのは、この重要性、

この意味での学問の自由重要性というのは、本日シンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます

学問の自由」の濫用

差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由侵害」とする言説

その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、

もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います

今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、

国家とか、強力な宗教団体、経済団体多数派社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、

研究者の社会的通念と研究手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています

その意味では学問の自由という枠組みは、

力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、

研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。

ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。

すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、

これは「学問の自由侵害であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。

これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。

二面での闘い

国家による学問の自由の明白な侵害

②現状を追認し被抑圧側の異議申し立てを封じるための口実としての学問の自由の動員

結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、

私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。

けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、

抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。

学問の自由を巡っては、フェミニストには現在ういういわば両面での闘いというもの要請されている。

この現状は忘れるべきではないと思います

実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、

ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、

こういうタイプの、マイノリティ権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由侵害」という枠組み、

この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、

これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

オタクお気持ち表明をしにきたようだ…

追記 なるほど……アタシの嫌いなもの投稿するな!と言っているように見えたんですね

というか増田って再編集できるんだ……

投稿するなとは思ってませんよ!ただ「カプとして」だけでなく「腐向け作品として」ワンクッションや検索避けをきちんとつけてほしいということです。それだけだと納得してもらえないかと思ったので色々付け足してたらこんなに長く……】

お気持ちを表明したすぎてついにアカウントを作ってしまったので、お気持ち表明したいと思います。なるべくトゲトゲしくならないように努めるから、たくさんの人に見てほしい。

まず、私はBL腐向け創作が苦手です。

これネット公言するとなんて言われるか、皆さん分かりますかね?

同性愛否定!」「LGBT理解がない!」

このあたりです。コイツ盛ってるやろと思われるかもだけど、実際に言われたことあります

先に断言すると、少なくとも私はBLや腐が苦手なのとLGBTの人たちが苦手・嫌いなのかどうかは完全に別問題です。

そもそもBLGLとは、男性同士・女性同士の恋愛模様を「題材とした作品総称」です。「同性に恋愛感情を抱く人そのもの」のことではありません。余計なことかもしれませんが、言っちゃえばBLGL作品は必ずしも本当に同性愛を知る人が書いているとも限らないです。あくま想像上の産物なんです。

からない方々に向けてご説明すると、バ●やバ●ロマンとかで皆さん一度は嗅いだことがあるであろう「森林香り」と、ガチ森林匂い全然違うけど、表面上同じようなもんに見せてますよね?これでなんとなくニュアンス掴んでいただけると嬉しいです。

私はBLで描かれる男性同士の恋愛描写を見るのが生理的に苦手なんです。見てしまった時には、テレビチャンネル変えてたら恋愛ドラマベッドシーンに遭遇した時みたいな……そんな感じの気持ちになります。でも、実際のLGBTの方々やその恋愛軽蔑差別もしていないです。むしろ、認められる世の中になったら素敵だと思います

ただ、BLが苦手だと言うとすぐ差別者扱いされることの繰り返しなので、最近は段々あまり関わりたくないとは思い始めた日々です。

ここで若干気づいた方もおられるかもですが、BL腐向けって、同じじゃね?って人。いますよね。腐女子さんの中にすらいると思います。「腐女子って呼び方嫌い。BL愛好家って呼んでほしい」って人見かけたことありますし。

私も昔はそうでした。なので総称して、BLが苦手と話していたんです。もちろん、誰かれ構わず話してたわけじゃありませんよ?

そんなある日……一次創作BL、いわゆる商業BLにお詳しい方にアドバイスを頂きました。

BLが苦手と一括りにすると、オリジナルBL作品版権作品キャラクターBL創作混同ちゃうから気をつけて」とのこと。目から鱗でしたね……

かに、腐っているという表現は今のBLの受け入れられつつある現代には不快表現かもしれません。しかし、商業BLもひっくるめてお好きな方でなければ「BL愛好家」とは言えないのかもしれません。まあ、このことについては後ほど。

私はBL自体どちらもNGですが、商業の方はそもそも見に行かなければ見かけることも少ない、配慮をなさっておられる界隈です。ただ、昨今の腐向け界隈は違います。長すぎましたがここからがやっと本題です。

先ほども書きましたが、ここ数年は腐女子への理解が進み、受け入れられつつあるからか、オープンに腐ァンアートを発信する人が増えています。昔は影の存在でしたから、世の中から受け入れられたのは喜ばしいことなんでしょう。

しかし、BL腐向け好きな人、好きでも苦手でもない人、苦手な人の3種類がいるとします。好きな人自由を手に入れることのできた今、苦手な人が陰に追いやられつつあると思うのです。

腐女子もとい、二次創作BLのお好きな皆さん。胸に手を当てて思い出してみてください。オープンになりすぎていませんか?

腐向けイラストサムネイルに、ワンクッション入れていますか?入れなくとも、腐注意の一言を添えずに投稿していませんか?後述しますが、カプではなく、腐向け創作自体を苦手とする人も存在します。

検索避けされた腐向けイラストに、キャラクター名前リプライしてしまっていませんか?検索トレンドには、リプライでも出てきますトレンド入りしたキャラクターからモブ男に組み敷かれる推しを見せつけられたこともあるので、おそらくそうだと思います

ここから、あらゆる反…意見を想定して考えまくった自論を展開させていただきます

まず、私が腐向け創作が苦手な理由は2つあります

1つは、散々言ってきた通りBL自体が苦手だからです。言うまでもなかったですかね?

「なんでBLだけクッション入れないといけないの?もう立派な王道ジャンルなんだから、他のものと混ぜてもいいと思う!」

と思った人もいるでしょう。

BLは、大好きな人もいれば、私のように受け入れられない人もいます。なので例えばパクチーだと思ってください。

パクチーはなんで『この料理パクチーが入っています』って書かないといけないの?もう話題野菜なんだからにんじんとか玉ねぎと同じ扱いして!」

と言われているような心境です。世の中には残念ながら「人を選ぶもの」は存在するのです。

もちろん私の言う「人を選ぶもの」は「同性愛者さん自体」ではなく「BL腐向け創作」のことです。

そして2つ目の理由。これに該当する仲間がいればとても嬉しいので是非教えてほしいのですが、

既存キャラクター性的指向セクシュアリティを改変される」ことがめちゃくちゃに嫌なんです。自分の知るキャラクターの大切な部分を侵され、弄られてしまったような、表しようのない喪失感とショックを受けます。私の場合推しているジャンルじゃなくても見られません。

ここで「でもそのキャラ異性愛者だとは限らないでしょ!もとから同性が好きな可能性もあるじゃん!」と言いたい人は少なからずいると思います

まずはあえて勘違いされるであろう言い方をしますが、全ての版権キャラクター公式から言及がない限り、異性愛普通だと思います

普通って何?普通とか普通じゃないとか差別だ!」と思うでしょう。

この「普通」とは、「ノーマル」ではなく「デフォルト」です。人間という生き物のデフォルト設定、と私は思ってます

分かりますよね?お手元のスマホの着信音やら何やら、全部デフォルト状態が決まっていますデフォルトのままでなければならない理由はありません。けど、何もない限りはデフォルトのままなんです……伝わりますかね?

よって、何の言及もないキャラクター原則的同性愛者ではない、と考えることは、何もおかしくもないですし、差別否定でもないと分かってほしい。

とここで、とある人の体験談フェイクを含めてお一つ。

その方が、とある国際的に人気のあるジャンル公式タグを見て回っていた時のこと。

海外腐女子公式タグつけて腐イラスト出してんだし、私たちだって公式タグで腐イラストさない?」

(  Д ) ゚ ゚

その方は思わず腐向けが苦手な人もいるのでやめてほしいです」とやんわりコメントしたそう。すると

腐向けが苦手!とか、そういう感情論の問題じゃないです」

そ う い う 『 感 情 論 』

お分かりでしょうか?もはや腐女子の皆さんにとって、腐が苦手という意見は「感情論」でしかないのです。

また、他の腐女子の方も一言

「私だって苦手なカプありますし、見るとキレることもありますよ」

ここで問題なのは、その方の注意を「キレている」と認識しておられることもまあまあなのですが、その方の言う苦手は『誰と誰の創作BLが苦手だ』という意味ではなく『創作BLが苦手だ』という意味だという本質が伝わっていない点です。

例えると、「パスタ」と「スパゲティ」の違いみたいなもんですね。

ただ、この二人目の腐女子さんがいうことも事実NL厨の皆さんも、きちんと検索避けやワンクッションをしましょう!カプ名はミュートしやすくなるので◎ですが、キャラクター正式名称を付けるのはご法度ですよ!

腐向け創作が苦手と言えない世の中。苦手な人が黙って耐えるしかない世の中。このまま完全に確立していくのを止めたいです。

嫌なら見るなはい。嫌だから見ないようにしてます。それでもたくさん見かける、嫌でも目に飛び込んでくるものには、せめてカーテンくらいつけてください。

それは同性愛にフタをするのかって?違います。「BL」「腐向け」という大きなジャンル特殊性を、どうか自覚してください。

エロが苦手な人もいれば、グロが苦手な人もいる。なら、BLGLが苦手な人がいて何が悪いのか?

LGBTBLGL同化しないでほしい。それこそ偏見なんじゃないかと思います自分達が差別されているのではなく、ましてや同性愛の方々が差別されているわけでもない。そもそも自分達が同性愛者さんと同じ視点にいると思わないでください。

この文章を読んで少しでも何かを感じてくださったなら、イラストのワンクッション、または「腐」と「カプ名」の二つの明記、そしてキャラクター名称を添付やリプライしないこと……どうか実践してみてほしい。あなた配慮で救われるオタクが確かに存在します。

あっ、でも一つ!

腐向け腐女子さんを嫌っていることを公言し、過激攻撃的な誹謗中傷をする、いわゆる「嫌腐」の人たち。この投稿は"決して"あなた方の味方をした文章ではありません。どんな理由であれ、人を侮辱し、自分感情を投げつける行為はしてはいけないことです。あなた方の存在も、私や他の腐向けを苦手とする人々への偏見を生んでいる。暴れたいなら鍵をかけて、仲間内で暴れていてください。OK

そしてこれを読んでいるゲーム企業の人!!!

そうですあなたです。

最近女性向けゲームは「原作BLじゃないキャラクターカップリングしたい」という腐女子さんの特性を狙って「BLとは断言しないが限りなくBL意識した展開をしておきながら女性向けゲームを謳う」現象が非常に多いと思っています。多分勘違いじゃないです。某ゲームアプリはうっかり漏らしちゃいましたし。

あなた方には何の違いもないかもしれませんが、腐女子さんとそうでない人、ましてや苦手な人は大きすぎるほど違います

お金をよりたくさん儲けたいのも分かりますが、あなた方がターゲットを欲張ることで、このトラップにひっかかり「好きなのに嫌い」の無限スパイラルに陥る女オタクもこの世で生きているのです。(私)

『推す』という感情は、苦手ならすぐ捨てて失くせるものではありません。オタクを舐めないでください。

ここまで書かせていただきましたが、話題になるならない限らず「これ私が書きました」と出ていくことは絶対しないつもりなので、なんかそんな感じの人が出てきたとしたら昨日の夕飯でも教えてあげといてください。

批判もたくさん出てくると思いますし、傷つくのもすごく怖いです。でも、人として悪いことを言っているわけではないと思いますし、伝わってほしいです。

とここで、腐女子腐女子言うなや!という方も多いことでしょうとも。まあ、最近は腐カプ化させることを『腐らせる』とも聞きますし、こっちからしたら腐らせられてる気持……失礼。何もありません。

私は実業高校出身なのですが、とある先生に教わったことがあります

人間に害をなす変化が「腐敗」で、逆に益をもたらすものを「発酵」と呼ぶ』

害は言い過ぎだと思いま……す…が、せめて歩み寄ってくださる方がいれば……

きっとそれは『発酵女子』です。

2022-08-01

童話人魚姫悲劇的な話だが、モデルがあると思うと分かりやす

この童話が出た時期は、貴族と言えばまず英国貴族で、英国内で数十年続いていた奴隷廃止運動時代の末期

人魚王子に近づこうと魔女人間にしてもらい故郷を離れるが、代わりに声を失い、王子にも振り向かれないまま、はかなく泡になる

まり、英王族奴隷船の外国人船員たちは、母国語自由に話せず不便で(奴隷船の実態についても口を封じられ)、出世もできずにそのうち船を降り、どこかに消えてしま

船員をあえて女性人魚として描いた(男性人魚ではあからますぎてダメだった)とすれば、資本家英国については国際的にも言論制限されていたことだろう

日本派遣社員人魚

あるいはイギリス奴隷廃止に動き始めたか奴隷物語が出たのかもしれないが

2022-07-30

anond:20220730061117

富山で「#最終日曜日投票には意味がないデモ」を主催している者です。47都道府県での開催を目指しています

以下の理由投票には意味がないと考えます


1.「選挙」は「[どの政治家が良いかアンケート]+[その結果を代表者に選ぶ]」だ。

2.1票を入れてから結果に反映されるまでの過程「選挙」と「どの政治家が良いかアンケート」で変わらない。

3.一定数の票を超えたらアンケートでは意味がないように選挙でも意味がない。


デモ目標投票義務化やネット投票の実現でしかないのですが、実現し次第「#最終日曜日民主主義デモ」に名前を変えて続けていく予定で、その47都道府県ごとの集まりが1人1票でしかない状況を補完する仕組みになる予定です。

最終的には世界中民主主義国で開催し、国内のみならず国際的民主主義交流拠点になれば良いと考えています現代にはそのような試みが必要だと思います

2022-07-28

朝のワイドショーの異常性

昔ならジャーナリストの端くれとして旧統一教会のことを放送していたけど

現代はもはや自民党に取って不都合なことを放送しなくなってしまった

安倍国葬に関してでも、お得意のコメンテーター同士で討論させればいいのに、それさえしない

そりゃ国際的報道の自由度もただ下がりの結果が出るはずだ

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