はてなキーワード: 進学校とは
ラーメンズ、椎名林檎、星野源、古屋兎丸、写真、映画、舞台、漫画、文学、美術館巡り、丸フレームの眼鏡、短い髪、あとヴィレヴァン。
世間ではこういうのを好む女をサブカルクソ女と呼ぶ。そうとも私はサブカルクソ女。上にあげたやつ全部好きだ。今月なんて稼いだバイト代ほとんど全部小林賢太郎とペトロールズにドバドバ注いだせいでおやつを買うお金がなくて今は小麦粉と砂糖を牛乳でといて焼いた何かにマーガリン塗って食べている。美味しい。
スイーツ()もキモヲタもひどい呼び方だ。なぜ西野カナが好きなだけで()なんてつけられてバカにされねばならぬのだ。なぜ推しへの情熱をキモいなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。
なぜだ。なぜ好きなものを好きだと言っているだけで私たちはクソなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。何が好きなら文句がないんだ。
置いとこう。きっと何を好きでも文句いう奴はいなくならないんだろう。
しかし、サブカルクソ女などという不名誉な呼称が広く使用されている以上、呼ぶに値するような、何か共通項を複数備えたクラスタが存在するのは事実なんだろうとも思う。
一体何が原因なんだろう。共通項の根幹はどこにあるんだろう。私は私のことを知りたい。
親の年収?
うちはトータル1000万くらい。親が若い頃はもっと少なかったかな。
学歴?
私は普通の共学の進学校からそんなでもない国立大に進んで理科学んでる程度。
クラシックのコンサートや博物館や科学館にはよく連れてってもらったけど、演劇や美術館には自分で目覚めたかなあ。
というかサブカルクソ女のみんな、絵でも小説でもダンスでもなんかしら恒常的に作品作ってない?あるいは作りたい欲求ない?私映像作ってる。あんまり人に見せないけど。
役者とかやってみたいと思ったことない?私はブスで勇気が出ず結局できなかったけど、文化祭で演劇打つ時なんか側で関われるだけでとても楽しかった。
人と目を合わせられる?劣等感多くない?自信がないのを奇抜な服装でカバーしようとする気持ちない?
こんな風に色々聞いてみたいことがある。あーあ、もっと拡散力あるツイッターアカウントとか持ってたらアンケート取ってみたいんだけどな。
会社の同僚が、友達が高校の時の先生と結婚した、という話をしていた。
そういえば自分も高校生の時は先生が好きだったなあって思い出した。
先生とは担任でもなければ教科も受け持ってもらってない。接点がほぼ無い。
割と進学校の高校だったから、土日も教室が解放されていて、自主勉しに通っていて(そんな生徒もほぼいなかったけど。真面目だったなあ。)、部活で来ていた先生とはよくすれ違っていて。
なんとなく話すきっかけがあって、それから勉強の質問したり、たわいのない話をしたり。
好きだと伝えたことはないし、先生と生徒以外の何ものでもなかった。
ある日先生が、「あ〜いたいた。」って言いながら、突然チョコレートをくれた。「ホワイトデーだから。」って。
いや、バレンタインデーに何にもしてないけど?
その時は本当に嬉しくて、空き箱を大事にとっておいてた。今になって振り返ると気にはかけてくれてたんだなあ。
検索結果の最初の2件、知らない人が出て来て、やっぱ先生ってFacebookやらないのかな、ってあきらめかけてよく見たら、苗字と名前が逆になっている人がそうだった。
変わってない。
子供との写真が写っていて、幸せに暮らしてるんだなあって嬉しかった。
そういう私も子どもが2人いるから、時はたったんだなあって感慨深かった。
知らなかったんだけど、先生は花が好きなようで、見つけた花を写真に撮って記事にしていた。
「花言葉は『独立』『再会』。『また会う日を楽しみに』。皆さんの人生に幸あれ」と。
久しぶりに会って、エールを贈られたような気分になった。嬉しかった。泣いた。きっと自分に充てられた言葉ではないんだけど。そういえばそんな先生が好きだった。
今はもう地元とは遠く離れた県の学校で働いているらしく、もう二度と会うことはないけど、思い出すとじんわり心が温かくなる記憶が自分にもあったんだって、ここに書いておく。
これは、「プログラマーになりたい」と発表した娘が小学生の時に、担任に言われた言葉だ。
念のため、他の子どもは何を発表していたのか聞いてみた。
私は娘にGoogleやFacebookの創業者など、プログラマーあがりの資産家のことを教えて、先生の指摘は気にするなとアドバイスした。
後日、学校で「自分の夢新聞を作る」という宿題があり、娘は「世界のお金持ちにはプログラマー出身者が多い」というテーマで記事を書いていた。
それを先生に提出した際の反応を聞いてみた。
「ふーん。OK。」
という程度の、そっけない態度で、先生自身がした娘への指摘のことは忘れている様子だったとのこと。
いろんな先生がいることは承知しているが、収入が低いからやめておけなんていう先生がいるとは驚きだった。
最近は「Why!?プログラミング」の影響で、スクラッチを使ってドラゴンボールのゲームを勝手に作っている。
例え年収400万でも特段低いとは思わないし、ぜひ頑張って欲しい。
# 2017/5/14 15:00 追記
非実在だとか妄想とか思っている人がちらほらいるようだけど、私も最初、娘にこの話を聞いたときは
「いやいや、先生がそんなこと言うわけないだろう」
と思って、他の子どもは何を発表していたのか、それぞれに対してどんなコメントをされていたのかを聞いてみたという流れなのだ。
つい数時間前にこの匿名はてなダイアリーというサービスを見つけ、
イラっとしたらすぐ引き返してほしい。
県内ではトップ10くらいに入る謂わば進学校に通っている。つまり受験生だ。関東の大学が第一志望で、滑り止めも関東の大学にする予定だ。
兄は東京の専門学校に通っていて、某大手企業に内定が決まっている。長期休暇には必ずうちに帰ってくる。
父と母は見合い結婚で、周りの友達の両親の様に恋愛結婚じゃないから、元から愛なんてものはなかった(と思っている)。見合い結婚全てが愛がないと思ってるのではない。
離婚しかけた時はまだ私にとっては家族は大切な存在で、離婚してほしくなかった。兄と私がいるからということで離婚はせずに済んだ。
小6くらいから少しずつ嫌な場所になりつつあったけど、中2くらいまでは家は好きな場所だった。中3からは完全に嫌な場所になった。
兄が高校入学した小6の時から、母が兄を甘やかす様になった。周りの大人にそれを言うと、そんな事ないと言うが、今でもそう思っている。
小6の最後の方〜中2の間に、父もよく分からないことで機嫌が悪くなるようになり、私や母の悪口を大声で、目の前ではないけど聞こえる様に言うことが目立ってきて、父も母もだんだん嫌いになり、中3で完全に家が嫌いになった。
私はライブ参戦、観劇、イベント参加が趣味で、アニメも女性アイドルグループも舞台俳優も好きなオタクである。
両親が典型的な昭和の人間なので、オタクは歩く公害、ライブや舞台等の形の残らないものはお金の無駄、アニメやマンガは子供の見るもの という考えだから、私とは本当に考え方が合わない。
ライブや観劇、イベントも何回か行ったけど全然回数的に満足していない。
こんな田舎に住んでるから、私自身が田舎者だから、ライブ等に満足に行けなかった。
だから、えこひいきする母を、怒って一人で騒ぐ父を、自由にさせてくれないしこんな場所に生んだ両親を、自分の生まれた場所を、憎んでいる。
中3の高校受験の時、今通っている高校に入りたかったので、それを両親に言うと、父は好きにしろと言ったが、母は距離の問題や私が合格しないだろうと思って、兄が通った高校を勧めた。
兄の母校は、正直に言うと私が通っている高校よりレベルが一つ下で、センター試験は学年の半分くらいしか受けないし、専門学校に行く人もそれなりにいる。そういう高校やそういう進路が悪いのではない。けれど私は可能性があるのに安全だからと一つ下のレベルの高校に行くのは嫌だった。厳しい世界だけど頑張っていこうと思って今通っている高校を受験した。
成績が芳しくなくても、私は中3の時の決断は間違ってないと思っている。楽しい仲間、憧れの先輩、課題の量は鬼だけど親身になってくれる先生…どれを取っても私は私の意志を貫いて良かったと確信している。
今に至る経緯がとても長くなってしまったが、ここからが本題だ。
GW中に母は実家(県内)に帰り、父は稼ぎどき、兄は帰省してきてうちにいる。
GW前に母からスタバを奢ってもらい、父から直接「稼ぎどきだから協力してくれ」と言われていて、家事を頑張るつもりだった。勉強もそれなりに頑張るつもりだった。
そんな時に不慣れな家事。でも一つ疑問があった。
これを父に尋ねたら、女だからと言われた。戦前かよ。男尊女卑かよ。
確かに不慣れだからやる必要はあるのだけれど、それなりに出来るし、兄がやらなくていい理論は成り立たない。私だって受験生だし勉強したい。成績悪いからそれなりに焦りだってある。
時間ないのに家事やって、でも文句言われて…少ししんどかったこころがどんどんボロボロになって…家事やらないと誰もやらないからやるしかないし…
こんなことを考えて、少し家事をストライキしたら兄から「おい、家事やれ」と言われた。私はおいなんていう名前じゃないし、兄がやればいい。そう思ったが口にしなかった。
家事でボロボロになった私のこころは勉強する元気はなかった。この気持ちを家族全員に理解してもらえないのだが、家事がいい気分でできていたなら勉強もいい気分で始められた。確かに私は段取りが悪くて、家事に時間かかるし勉強も家事の前に済ませておけば良いのに、昼間はゆっくり寝てダラダラしていた。でも、メンタルボロボロの時に早く起きて勉強しようという気分になれない。新しい一日が始まってしまった、また連休を無駄にしてしまった、また家事をしなければいけない…こう考えたら現実逃避としてまだ寝ていたくなる。だから昼頃まで寝た。昼からでも勉強すれば良かったのだが、憂鬱すぎてそんな気分ではなかった。そしてまた家事を嫌々やり、また一日を無駄にした。
やっと母が家に戻ってきた。私は全てに投げやりになって、居間で寝ていた。昨晩の洗濯物が洗濯機の中に入ったまま、干していなかった。母が兄にそれを言うと、「いや、妹がやらなかったし…」と言った。私は昨晩、兄に洗濯機を回す様に頼んだ。心の中で、兄が干してくれるか試していた。干してくれなかったし、私のせいにした。どうして全て私がやらなければいけないのだろう。ここで私は怒りを我慢できなくなり、掃除中の母に当たってしまった。
受験生の娘を置いて実家に帰るなんてひどい。なぜ兄は好きな時に出ていって好きな時間に帰ってきて、家事もやらなくて良くて、どうして周りもそういう空気を作るのか。どうして私のことは誰も考えてくれないのか。私だって忙しい。家事していた時間を返してほしい。
こう母に言った。
母は、何が受験生だ。自立するのに家事は必要だ。お前の学力で受かる大学なんてない。もう遅い。私のありがたみを感じろ。お前は段取りが悪い。
と言った。
母にはありがたいと思っている。だが、大学受験を経験したことのない人にもう遅いなんて言われたくなかった。まだまだ伸び代はある。これから頑張れば絶対第一志望は受かる。私はこう信じて勉強している。
やはり母も兄が家事をしなくて良いと言い、受験についても口を突っ込まれて、私は爆発した。勢いで食器棚のガラスを割った。私はもう家事なんて一切しねえよ!飯もいらねえ!と言い捨てて自分の部屋に行った。
だからこの時から家事を一切していないし、ご飯も食べていない。あほらしいのは分かっているけど、食べたら負けだと思っている。私は絶対に負けない。どうなるか知らないけど絶対に食べない。
兄が私の部屋に勝手に入ってきて、勝手にべらべら何かを喋っていった。その中で私は不幸せだと言った。私は自分の意思で不幸せになっているのではない。家族全員が私を不幸せにしている。そう言ったら、いつか俺の言った事が分かる日が来るよと言って私の部屋を出て行った。いつまでも勝手な人で本当に腹が立つ。
父は何も言わなかった。居間では何か言っていたのだが、聞きたくなかったから聞かなかった。私のことは本当に呆れたのだと思う。
母も何も言わなくなった。
何も食べていないから頭が痛くて、文章書くのもやっとだ。だからご飯を食べたら絶対楽になれる。
でもあんなことをして、あんなことを言ったのだから食べる資格なんてないと思っている。
これ以上のことばが思い浮かばない。どうすればいいのだろう。
乱文失礼しました。
他のエントリを見て思い出したので。
田舎だったので小学校→中学校は少人数でほぼ同じメンバーということもあり、特に悪く言われずに育った。
(公立なのに女子校?と思われるかもしれないが、私の住んでいた県はある程度の偏差値以上の公立高校は大抵男女別学なのだ)
しかしそこまでの進学校でもないため、自主自律という気風ではなく校則が厳しかった。
1年生の3月、卒業式のリハーサル後にそのまま体育館に残された。
「お前、その髪の毛どうした」。
生まれつきだと説明するも信じてもらえず、私はわんわんと泣いてしまった。
その時は私があまりに泣くから「いや、退学になるとかじゃないから…まあ本当に地毛なら仕方ない」と解放された。
その半年後、2年生の夏。
月に1度の頭髪検査(パーマしてないか、ピアスしてないかチェック)の後にひとり残された。
先日とは違う、女性のめちゃくちゃ怖い体育教師に髪の色を詰められる。
生まれつきなんですが、と話すと
「生まれつきかどうか、真実は関係ない。その頭でうちの制服を着て歩いていたら、外部の人は〇〇高はそういう学校なのねと判断する」と冷たく言われた。
ええ…と思いながら、震える声で「エクステやストレートパーマをしている子もいますが、その子たちは生まれつきのように見えるから規則違反であっても何も言われないんですね」とこぼしてしまった。
失言だった。
「じゃあその友達の名前を言ってごらん!あんたが告げ口したって言わないから!」と捲し立てた。
私は答えられず、泣いているうちに授業時間になってしまい、なし崩しに保健室に行かされた。
私の成績は学年トップだったし、生徒会だってやっていた。それでも他の先生達は何も言ってくれなかった。
流石にその件は父親が来校し、担任と話して「生まれつきの赤毛」ということで処理された。
学年にもうひとり生まれつき茶色い子がいたが、その子は「色々言われるの面倒だから」と黒く染めていた。
1学年下にヨーロッパ系のハーフの子がいて、入学した時は栗色だった髪の毛も
信じられないことにいつのまにか黒くなっていた。
私はそれに倣えなかった。
父の抗議のおかげで「指導」がなくなっても、ふつふつとした憤りを抱えて受験勉強していた。
自分は自己評価がめちゃくちゃ低い。自分の代わりなんて腐るほどいると思ってる。
中高から進学校でその中では凄ーく優秀な奴を見てきて、ああこいつらには敵わないなと思いつつ6年間過ごした。
それでも高3の時は割と頑張って東大に入った。でもこんな奴東大では当然真ん中より下だ。学内偏差値45くらいってところか。
結局自己評価って自分の周りの中でどうか、で考えるから凄ーーく優秀な奴に囲まれて自己評価は地に落ちた。
正直自分なんかまともに飯食っていければ万歳だくらいのことを半分本気で考えていた。
でも世間を知らなかったのね。
中学生の時から割と世間から隔離されてたっぽいことを最近知った。
なんか、今まで「できて当たり前」「わかって当たり前」のことをして評価される機会が何度かあった。
多分、ネットで何万回と繰り返されてきた話。
毎日、ネットで誰かを攻撃して留飲をさげるだけの人生を送っている。自殺したいが、する勇気もない。
小学校と中学校では「神童」と呼ばれた。勉強はほとんどした記憶がない。でもテストではいつもほぼ満点だった。クラスの他の奴が100点を取れない理由が、当時は本気で理解できなかった。
高校は県内一の進学校に行く事にした。さすがに塾には通ったが、似たような問題を反復練習して精度を上げるだけだった。入試問題はあっけない程に簡単で、合格通知が届いても特に感慨もなく、淡々と入学手続きを済ませた。
私はこんなだったが、両親、特に母親は喜んでくれた。両親は2人とも学がなく、特に母親は小学校すら満足に通っていない。私が幼い頃から、「人の2倍給料が欲しいなら、人の2倍働くしかない」が両親の口癖だった。
おかげで物心ついた頃にはいつも家にひとりでいた。両親は昼も夜も働いていた。土日も働いていた。たまに日曜日の晩に家族揃って晩御飯が食べられる時があるが、私はそれが何よりも楽しみだった。
そんな母親だから、高校に合格した時には、ご近所に「○○高校になんとか受かりまして…。」と吹聴しまくっていた。私はそれが大層恥ずかしかったが、母にとっては自慢の息子だったのだろう、私が「あまり自慢するのはやめてくれ」とせがんでも、静かになる様子は一向になかった。
だが、テンプレ通り、私は高校でアッサリと堕落する。周囲は本物の天才揃いで、しかも努力家が圧倒的多数だった。他校の授業は受けた事がないので一概に比較もできないが、通っていた高校の授業内容もかなり独特だったらしく、授業はかなりハードだった。
中学までの学習貯金はアッサリ底をつき、1学期の中間テストで壊滅的な点数を取った時、自分は選ばれた人間ではない事を知った。
そこからは早かった。学校には出席日数ギリギリしか通わず、あとはバイト三昧の学生生活だった。バイトで稼いだカネはほとんどゲーセンで使った。高校までロクに遊びを知らなかった人間が「遊び」にハマった時の行動は極端で、学校よりも自宅よりも、駅前のゲーセンにいる時間の方が長かった。
さすがにこれじゃいかんと高校3年の時に慌てて勉強を始めたが、当然の事ながら宮廷だの地底だのといった大学には引っかかる事もなく、東京の某大に受かるのが精一杯だった。
この時に何か思うところがあれば、私は変われていたのだろう。だが皆さんのご想像通り、私は変わることができなかった。だからこんな文章をダラダラとタイプしている。
大学に入ると、当然一人暮らしになる。東京の大学に入ったんだから、当然そうなる。私のような人間が一人暮らしをするとどうなるか。答えは簡単だ。大学に行かなくなる。
起きたらバイトかゲーセン、大学に行くのはたまにである。その「たまに」が起こって大学に行ったとしても、サークル棟の奴らとダベって終わりである。単位は3つぐらいしか取ってないんじゃないだろか。結局、大学は1年休学した後に辞めた。
大学を辞める時、母親に連絡しようか迷った。私は休学している事も告げず、毎月毎月仕送りを受け取り、盆も正月も帰らなかった。休学中も仕送りを受け取るのは心苦しかったが、都会の誘惑に負けた。しかし、さすがに大学を辞めるとなると連絡をしない訳にもいかない。
「もしもし?俺だけど、働くことにした。」
「今までありがとう。」
正直、会話の内容はあまり覚えていない。嘘と見栄と虚飾で糊塗した言葉をひたすら吐き出して、仕送りはもういいと言って一方的に電話を切ったような記憶しか残っていない。
大学を辞めても、特に何も変わらなかった。休学中から特にやる事も変わらず、バイトとゲーセンに通うだけの人生。
いつしか、インターネットで誰かを攻撃する時間が増えた。会った事もない、話したこともない、顔も知らない人間が、twitterで失言する。ブログで炎上する。そんな人間を、自宅のPCから延々と責めたてる時間が増えた。「叩いてもいい」人間が目の前にいて、圧倒的正しさをもって思う存分叩ける。叩いている時は快感だった。自分が正義の執行者であることに酔った。当初は目についた炎上案件を叩いていたが、叩く対象を探すようになり、失言・文句・暴言・呪詛をすすんで検索するようになった。
見つけた後は、すぐに騒ぎ立てずに、対象の個人情報収集にはげんだ。twitter、facebookなどの交友関係から年齢や地元を割り出し、実家の写真などをgoogleマップでキャプチャする。twitterなら鍵垢になってもいいようにフォローも飛ばす。フォローされやすいように、常時40個前後のアカウントを管理していた。様々な大学、企業、趣味嗜好についてのアカウントを作成し、1日1回はアカウントに沿った内容で何か呟く。そうやって「育てた」アカウントを対象に滑り込ませ、まんまとフォローされてから炎上→鍵付きとなったアカウントの情報をキャプチャで取得し、ネットに拡散する瞬間には無上の快感があった。
そんな生活も2年近く続けてきたある日、実家から荷物が届いた。食べ物だった。段ボールの蓋だけ開けて放置していたが、翌日に母親から電話がかかってきた。「ご飯は食べているか」「元気でやっているか」「たまには帰って来いよ」基本的に母親の電話上の発言はこの3パターンしかない。なのでいつもは会話もそこそこに電話を切るのだが、この日の母親は違っていた。いつも通りの居心地が悪くなる会話を終わらせようとすると、ふいに
「食べ物だけじゃなくて、少しお金も入れといたから、たまには彼女とおいしいものを食べてね。」
「いつ帰ってきてもいいんだからね」
母親から電話を切ったのは、今のところ、この時が最初で最後だ。
すぐに箱の中身を確認すると、底の方に封筒が入っていた。中には20万円入っていた。
私は封筒を握りしめて嗚咽した。何もしていない、何もしていない、何もしていない。なんの努力もせずに、ダラダラと時間を無駄に過ごし、他人を攻撃ばかりしている。こんな何もしていない人間に、生きている価値があるのだろうか。これから何かを成し遂げる気概があるのだろうか。
消えてしまいたい。そう思ったが、自殺する勇気もない。だいたい、自殺できる人間は「自殺する」と強く願って成就しており、私のようにネットでダラダラと「死にたい」「自殺したい」と言っている人間は自殺しない。
高校の頃に交通事故か何かで死んでおけば、将来有望な若い命として、両親に多額のカネを残すことができた。「惜しい人を亡くした」と皆に同情してもらえた。ところが今はどうだ。今死んだところで、正社員でもない、学歴もない、才能もない。葬式を開いても誰も来ない。働きもせず、ネットで誰かをいびり、母親にお情けの仕送りを送ってもらう。そんな人生になんの意味がある?
特にオチもないが、私の自分語りはこれでおしまいである。荷物が届いたのが数日前、それからバイトに行く元気もなく、体調不良と言って休んでいる。遠からずクビになるだろう。
できれば私はどうするべきなのか、教えてほしい。
追記:cj3029412 様、idコールするのも恥ずかしいので追記にて失礼します。食事のお誘い、本当にありがとうございます。インターネットの優しさを感じました。しかしながら、GWは実家に帰り、両親と今後についてきちんと会話する事になりました。まだ何もしていませんが、少しだけ前に進めたような気がします。これもcj3029412様、トラバ、ブコメを頂いた方々のおかげと思っております。ありがとうございました。
俺は都内の私立大学、しかも理系にしか受からなかった。んで親が「金は一切出さない」と言われて交渉するも無理。しかも家から追い出された。離婚してお互い新しい相手とくっつくから邪魔な子供は追い出された形。入学金だけは親戚からもらえた。
まあまあの大学だし来年受けても落ちそうな気しかしなかったので仕方なく奨学金と少しの貯金で通うことを決意。
高校はそれなりの進学校だったけど校内では底辺の成績だったから成績悪かったし親は金は出さないのにそこそこ収入あるから無理、と。
早くもピンチ。とりあえず学費稼ぐために休学してバイトしようとしたんだけど、休学にもまあまあの金がかかるのね。
んで、しゃーないから居酒屋でバイト、バイト。まかない食わせてくれたのがありがたかったし、たまにシフト休みの日に行っても食わせてくれた。圧倒的感謝。
つか家もないんで普通にネカフェとか公園で過ごした。バイトで知り合った人の家にも泊まらせてもらった。
学費の支払いをどこまで遅らせられるか事務と交渉しながら払う。でも授業やっぱ眠くなるし普通に難しいし単位取れない。
んで5月ぐらいにようやく月4万の風呂なしアパートを見つけて住めるようになった。
お金なくてかなりきつかった。夜中に課題やるのにどうしてもパソコンなくて辛くて買いたくて、クレカ作って買えばいいことに気づく。その後たぶん5枚ぐらいは作った。親の信用に感謝。2回払いとキャッシングと現金化には在学中何度も助けられたけど殺されかけた。日雇い派遣バイトも助けられた。
1年前期は半分ぐらい落として8単位ぐらいしか取れなかった。しかも落としたのは専門科目の必修ばかり。
後期になるとやっと2種奨学金が通る。前期分もまとめてもらえた。借りるのはもちろんMAXの月12万円。だいぶ金銭的には楽になる。
とはいえ学費が年間160万ぐらいなので奨学金はすべて消える計算。
んで前期の勉強がわからないから後期もなかなかついていけない。やはり必修はかなり落とす。実験もきつい。
あと周りの学生が「お金ないわー」と言ってるけどお金ないレベルが違うんで困った。夏場はワキガである噂が流れたが、単に風呂に入ってなかったのと服を洗えなかっただけ。
春休みにバイトまとめてできたのでここから金銭的にはすこし楽になる。スポーツジムでバイトすると風呂に入れることに気づきジムのバイトも始める。あと洗濯もさせてもらえた。
金が尽きると割りと簡単に詰むのは1年目で理解したのでできるだけ貯めておく方針は続ける。
2年目は1年目の再履修と2年の必修も合わせて履修。やっぱりわからんくて7割ぐらいしか単位が取れない。実験も多くて辛い。
んで2年が終わった時点でどう取っても足りないから留年確定。でもまだ奨学金は切られない。次の年に確定して4年目に奨学金がとめられて、次ちゃんと進級すれば5年目は出るらしい。つまり3年目のうちに4年目の学費も稼ぐことも必要になった。
3年目。授業としては楽なはずだったがバイトを増やしすぎて辛くなる。あと単位を落とせないプレッシャーがスゴくて辛かった。不安と忙しさで精神的にキテたのかも。
教授に授業中寝てたのを怒られてスイマセン、バイトで眠くて、って言ったら学生の本文は勉強でバイトで遊んでるからだって怒られて泣いた。ボロボロないた
ムカついたからパワハラ相談室に言いに行ったら教授が謝ってきてご飯おごってくれていろいろ相談に乗ってくれた。でも単位はくれなかった
そんなこんなでまた留年した。学費は頑張れば払えそうだったけど大学に絶望したしもう疲れて気力もなくなったので中退した。余裕ないのに就活どうすんだってのもあったし
貯めてた学費分のお金は貯金があったのでしばらくバイトも何もせず引きこもってた。
バイト先の友達に紹介してもらった女の子と仲良くなって転がり込んだら、その子よく聞いたらデリヘル嬢だった。病んでてヤバかったけど風呂があってきれいな家が嬉しすぎた。あと肝心なときに立たないから、DTは守られた。
風呂は魅力的だけどデリヘル嬢は病みすぎててヤバイので半年ぐらいで出て、少しまともな会社に努めたくなってベンチャー企業という名の中小企業に入りこんだ
残業代は出ないし大学の勉強は直接は役に立たなかったけど社会人ぽくなった感あった。ここは1年で辞めて少しマシな会社に入って少しマシな生活できるようになったので、そろそろ大学入り直したいと考えてるけど受験勉強と金のやりくりをどうするか考えてる今日この頃。
参考にはならんなたぶん。1年目のはじめに奨学金落ちたのがマジで困ったしそのへん改善した方がいいと思う。もうされてんのかもしれないけど。俺の申請の仕方が悪かったんかな。貸与だし有利子なんだし認めてよほんと
普通に3割ぐらいの学生が留年してる学科だったので、留年は日常だし奨学金止めないでほしいかな
まあ私立は金持ちの行くところだからビンボー人は来るなってのもわからなくはないけれども授業以外で実験や課題に取られる時間が多すぎて常に眠かった
大学関係に取られる時間が多かったのはかなり誤算だった。大人から聞いてた大学とだいぶ違う、、ってずっと思ってた。これ分かってれば入学はやめたような気もする。前述の教授も「最近の大学生は昔と違って忙しくて時間ないよね」と言ってた
あとおれは大きな病気なかったから良かったけど普通に風邪引いただけでもキャッシュ回らなくなりそうな場面が結構あってヤバかったのと、
余裕がないと目の前のことしか見れなくなり、計画性が全くと言っていいほどなくなるのはもっと広がってほしい認識。
これが貧困ってやつかぁ、って感じ
コミュ力がもっとあればうまく立ち回れたんだろうなぁと思う場面も多かったけど18、19のころじゃ無理か、って気もする
あと高卒で数年働いてから大学に、って言ってる人もよくいるけど働きながら高校生と同じ時間数受験勉強に時間作るの無理じゃね?高卒の給料で学費や生活費をある程度貯金するのもかなり時間が掛かるし現実的ではないかと
今年卒業したので書き留め。大人になってから読み直したら、おもしろそう。高校のスペックは偏差値60ぐらいの自称進学校。主な進学先は産近甲龍とか駅弁。かしこい人で金沢らへんの国公立とか関関同立。同志社はあんまりいない。京大とか宮廷はもっといない。1年に1人いるかいないかぐらい。でたら、黄金世代ってみんな呼んでるwちなみに、ぼくは早稲田受けた。余裕で落ちたけど。倍率高すぎ!社学は受かったと思ったんだけどなぁ。あー早稲田いきたかったああああ!浪人してもういっかいチャレンジします!
みんな部活入らなきゃいけない高校で、ぼくは中学のときサッカー部入ってたけど、高校では文化系の部活入ってた。
で、まぁクラスのことなんだけど、なんか中学と高校と比べてみるといろいろ違うこと多い。まず、人間関係がドライ。休み時間とかって中学のときは1人で過ごすとか考えられなかったけど、高校では結構みんな1人で自分の席にいることが多い。携帯いじったり、勉強したり、寝てたりとか、もちろん友達としゃべってる人もいるけどねー。移動教室も1人でしたりとかって人結構いたなー。ぼくもわりかし1人でいたかなぁ。喋りに来てくれる友達もあんまいなかったからねw基本みんなこっちから喋りかけないと、なかなかみんな喋ってくんない。昼ごはんのときは男子はみんな1人で食べてた。友達のとこわざわざ行ってた人もいたけどね。でも、そういう人は少数派かな。女子は固まって食べてた。三年のとき思いっきり二極化してておもしろかったなw
基本人間関係は主に部活か高1の友達で固定。高2.高3でできた友達もいるんだけど、休み時間とかわざわざその人のとこに喋りに行くかっていうとそんなことしない。周りもだいたいそんな感じだったよ。
部活は運動部がやっぱりカースト上位。男子は「ハンドボール、バトミントン、野球、テニス、サッカー、その他」みたいな順番。とはいうものの、リア充は部活関係なくリア充で集まってた。まぁでも、リア充になるには運動部は必要条件。十分条件ではないけど。運動部にも結構寒いやつとかいるし。声でかいしテンション高いけど、言ってることつまんないし。そういうこと言ってるやつって自分のことめっちゃ面白いと思ってんだろうなぁ。女子は「ハンドボール、バトミントン、バスケ、その他」みたいな感じ?というか、ぼく陰キャだから、あんまそういうの知らねーんですけどwハンドボール部の人らはみんなキャピキャピしてた印象!友達と話すことはだいたい勉強か部活のこと。どの参考書がいいとか、あいつの成績が上がったとか下がったとか、高校の授業はクソだとか、学校の先生分かりにくすぎて草とか、部活の先輩闇すぎとか。あと、人の悪口も結構言ってたなぁ!ごめんなさい!だって、けっこー盛り上がるんんだもん!あとは、ゲームのコトとか。高1のときはパズドラの話ばっかだったなw懐かし〜。小中学生のときはみんな下ネタとかガンガン言いまくってたんだけど、高校生になってからはみんな言わなくなった。ちんことかまんことかあいつはcカップあるなとかなになにとなになにがやったとかやってないとかwそーいうの!ぼくがサッカー部だったからかもしれないけど、けっこー中学のときは話してた!でも、高校生になってからは誰も言わなくなった。みんな大人だよねぇ。。保険の時間とかでセックスの話になっても、みんなクスリともしないし。
というかそもそも彼女彼氏持ちがほぼいないんだよね。クラスのうち2〜3人ぐらい。だからホントのリア充って意外と少ないし、他の高校のことはよく知らないけど、少なくともぼくの高校は童貞処女率99パー。なんくみのあいつがなんくみのなになにとやったとかっていうのはときどき聞くけど、やれてるのはほんの一握りってのは間違いない。なんかのサイトで「童貞卒業の平均年齢は高校!」とかあるけど、ねーよwあんたらしっかり調査してんのか?って感じ。ぼくも大学生のうちには卒業したいけどね。というか、そもそも出会いの場がない。隣の席の子とかとペアワークするときとか、実験のときとかぐらいしかないし、あとは文化祭のときの準備ぐらい。だけど、たかが準備期間1週間ぐらいでそこまで仲良くなれるかっていうと無理だし、ペアワークも英語の音読とかするぐらいだし、実験だって1年に2,3回だからね。まぁ、そりゃ彼女つくるのは無理ですわー(言い訳)。高校になってから女子とまともにラインしたことない!
文化祭はクラスで劇やるんだけど、これみんな出れるわけじゃない。カースト上位しか出れない。つーか、「リア充度」と「かしこさ」ってある程度比例する。だから、原稿とか覚えなきゃいけない劇ではかしこい人じゃないとダメ。リア充度=かしこさ=頼れるってことだから、まぁリア充が劇出るのは当然っちゃ当然。顔も雰囲気も大事なわけだし、陰キャだと声も小さいしブサイクだしダメ。だから、裏方に回るんだけど、やっぱりなんか惨めなんだよね。照明とかで劇出てる人とかと照らすんだけど、これはぼくの人生を表してるんじゃないかって。このままぼくたち陰キャがリア充を照らし続けるんじゃないかって。リア充のためにこの社会はできてて、裏方で陰キャはリア充のために汗くせ働いてんじゃないかって。そういうこと思ったりして、ぼくは早稲田入ろうって決めた。「こいつら今は表舞台でリア充どうし劇やってキャアキャアやってんのかもしんないけど、このままテキトーに楽しんでテキトーに暮らしてそのままズルズル落ちてけや。5年後にはぼくが一気に逆転してやるからな!みてろよコノヤロー」って思ってた。まぁ、早稲田落ちちゃったから逆転できなかったわけだけどw(あきらめないぞー!)それでもまぁなんだかんだ文化祭は結構楽しかったから別にいいんだけどね!リア充だって、いい人も多いし、ぼくなんかと仲良くしてくれる人もけっこーいるわけで。別にそこまで嫌いじゃないんだけどね。
驚いたのがぼっちの多さ。中学のときはぼっちなんてほぼいなかったのに。クラスに2〜3人はいたし、1人もぼっちがいないクラスはなかったんじゃないかなぁ。先生も別に仲良くしろとか言わないし干渉しない感じ。まぁ当たり前か。でも、ぼっちってクラスのラインに入れてもらえなかったりするんだよね。ほら、クラスのラインって友達登録してる人を招待していくシステムだから、誰も友達登録してないと入れてもらえないのね。かといって、入れないままーってわけにもいかないから、誰かにいれてもらわなきゃいけないんだけど、誰が招待するかとかでおまえがしろよーとかそういう感じになってかわいそうだった。そうそう、クラスのライングループにいつ入るかは結構重要で、早く入れた奴はやっぱり友達多い。ぼくはもちろん最後の方で、すげー恥ずかしかった。おい!お前ぼくのこと友達登録してるくせになんで招待せーへんねん!って言いたくなる。クラスのみんなにぼくと仲が良いってに思われたくないのかもね〜。まぁ、その気持ちわからんでもないけどさ。最後の方入るとさ、通知とか来るわけ「〇〇さんが参加しました」的なね。それでみんなわかるわけ。あー入ったなと。こいつこんな遅いってことは友達少ないんだなって。わざわざ口には出さんけど、みんな絶対思ってる。
ぼくの高校が自称進学校だったからかもしんないけど、みんな志望大学高すぎ。宮廷いきたいとか同志社いきたいとかって。おいおいおまえらこの高校しかこれなかったんだから現実みろやボケ。みたいに思ってたwまぁぼくもなんだけど。自覚症状あんまないんだよね。特大ブーメラン投げときます。だから関関同立志望→産近甲龍、宮廷→駅弁ってなる。ぼくの周りの人で志望大学いった人ってゼロ。ほんとだよ?どんだけ大学受験厳しいねんって感じ。あ!1人いたわ。まぁゼロではないか。でも、それぐらい厳しいよ!中学んときはみんな第1志望受かってたけど、高校はそうはいかない。だから「志望大学ワンランク上を目指せ!」っていうアドバイスはけっこう正しい。あとtwitterはド田舎地方高校だけどみんなやってる。8割以上はやってるかなぁ。インスタやってる人はあんまりいない。女子は、わりかしやってる人いるんだけど、男子は少ないね〜。なんかインスタやってる男子って痛いよねw
まぁ、そんな感じ!もっと書きたいけど眠いから寝ます。ここまで読んでくれた人いるのかな?拙い文章で読みにくかったでしょ?ごめんなさいね。でも、なんか書いたらいろいろ整理されてスッキリしました。ありがとうございます!じゃあ、おやすみなさい〜!
自称進学校(笑)の最底辺を這うJK、三日坊主を克服すべく日記を始める。
嫌いなものはマウント女と男女問わず自称〇〇系人間です。空気が読めない女と不幸自慢女も嫌いです。
三日坊主を克服するという目的とは別に愚痴垢ですら面倒になってきたという単純な理由から始めることにしました。何も考えず推敲もせずに書きますがよろしくお願いします。
周りが悪いわけではないのですが、自分ではどうしようもないことが辛かったです。
逆に、周りはお金持ちで自分の家が経済的に自由ではないことの辛さ、と同じ話に見えるかもしれませんが、私からすれば違います。
ドラマや民話、漫画雑誌とかでは、お金持ちが意地悪で貧乏人を貶すシーンはあっても、貧乏人が金持ちを貶すシーンはみなかったです。お金持ちは傲慢であり心が狭いという描写があり、金持ちは悪なのです。また、中学は不良ドラマが流行り、不良高校は正義で、私立の進学校は悪役なのが同級生の間では強く根付いています。この環境は自分からすれば、とても辛いです。
いかがでしょう?
社会の苦しみというものを教える機会と言うものが実在するらしい。
数少ないこのような機会を持つために、「伝統」「校風」を掲げることがある。某沿岸の高校は長期の航海を通じて人格を育てたり、某県の多くの高校は新入生にバンカラ式応援歌練習で伝統に根ざした自己を確立させたり、はたまた某都市の進学校は新入生の合宿でその高校の校風に染め上げるというように、「伝統」「校風」を盾にグレーゾーンを突っ走っていたりする。このようなある種の人間教育は、世界の不条理さを伝える有用な手段として存在するとは思うのだが、一方で宗教的性格や自我の崩壊の危険性といった世間の批判を浴びてもいる。それぞれの学校も、校風によって執り行われる祭事を時代に合わせて少しづつ変化させているようだ。
一方で、正式な教育、すなわち行政機関が決定した教育方法では、人を教育する上で不条理さ・不便さを生徒に感じさせることを拒んでいる気がする。無駄が多い割に必要なことが省かれている「理系科目の教科書」や、出版社の意志がそのまま内容を歪めかねない「文系科目の教科書」、著者の都合や時代の移り変わりによって無駄に改定される「語学の参考書」などの教育という観点から見たらあまりに合理性に欠ける教材という不便さはある。しかしそういうものではなく、人間関係においてしばしば生ずる特定個人に対する「人格の完全否定」など精神的な問題に出会うことはめったにない(ただしいじめを除く)。
精神的な不条理さを解決して総て人間を尊重できる社会を目指す礎を築かせるという点において、苦しみを体験することによる不条理な世界の理解というものは、地球規模化する社会のリーダーとしての素質を育てるためには必要だ。ところが、その体験が、グローバルとはかけ離れた、「伝統」「校風」という宗教的性格を持ちかねないきわめて異常な手段でしかなされない、という奇妙な問題があるように感じるのは、たぶん私だけだろう。
今年卒業したので書き留め。大人になってから読み直したら、おもしろそう。高校のスペックは偏差値60ぐらいの自称進学校。主な進学先は産近甲龍とか駅弁。かしこい人で金沢らへんの国公立とか関関同立。同志社はあんまりいない。京大とか宮廷はもっといない。1年に1人いるかいないかぐらい。でたら、黄金世代ってみんな呼んでるwみんな部活入らなきないけない高校で、ぼくは中学のときサッカー部入ってたけど、高校では文化系の部活入ってた。あとちなみにぼくは今年早稲田受けた。余裕で落ちたけどw社学は受かったかなって思ってたんだけどなー。倍率高すぎやねん!あー早稲田いきてーよぉおおおおお。浪人してもっかいチャレンジします!
で、まぁクラスのことなんだけど、なんか中学と高校と比べてみるといろいろ違うこと多い。まず、人間関係がドライ。休み時間とかって中学のときは1人で過ごすとか考えられなかったけど、高校では結構みんな1人で自分の席にいることが多い。携帯いじったり、勉強したり、寝てたりとか、もちろん友達としゃべってる人もいるけどねー。移動教室も1人でしたりとかって人結構いたなー。ぼくもわかりかし1人でいたかなぁ。喋りに来てくれる友達もあんまいなかったからねw基本みんなこっちから喋りかけないと、なかなかみんな喋ってくんない。昼ごはんのときは男子はみんな1人で食べてた。友達のとこわざわざ行ってた人もいたけどね。でも、そういう人は少数派かな。女子は固まって食べてた。三年のとき思いっきり二極化してておもしろかったなw
基本人間関係は主に部活か高1の友達で固定。高2.高3でできた友達もいるんだけど、休み時間とかわざわざその人のとこに喋りに行くかっていうとそんなことしない。周りもだいたいそんな感じだったよ。
部活は運動部がやっぱりカースト上位。男子は「ハンドボール、バトミントン、野球、テニス、サッカー、その他」みたいな順番。とはいうものの、リア充は部活関係なくリア充で集まってた。まぁでも、リア充になるには運動部は必要条件。十分条件ではないけど。運動部にも結構寒いやつとかいるし。声でかいしテンション高いけど、言ってることつまんないし。そういうこと言ってるやつって自分のことめっちゃ面白いと思ってんだろうなぁ。女子は「ハンドボール、バトミントン、バスケ、その他」みたいな感じ?というか、ぼく陰キャだから、あんまそういうの知らねーんですけどwハンドボール部の人らはみんなキャピキャピしてた印象!友達と話すことはだいたい勉強か部活のこと。どの参考書がいいとか、あいつの成績が上がったとか下がったとか、高校の授業はクソだとか、学校の先生分かりにくすぎて草とか、部活の先輩闇すぎとか。あと、人の悪口も結構言ってたなぁ!ごめんなさい!だって、けっこー盛り上がるんんだもん!あとは、ゲームのコトとか。高1のときはパズドラの話ばっかだったなw懐かし〜。小中学生のときはみんな下ネタとかガンガン言いまくってたんだけど、高校生になってからはみんな言わなくなった。ちんことかまんことかあいつはcカップあるなとかなになにとなになにがやったとかやってないとかwそーいうの!ぼくがサッカー部だったからかもしれないけど、けっこー中学のときは話してた!でも、高校生になってからは誰も言わなくなった。みんな大人だよねぇ。。保険の時間とかでセックスの話になっても、みんなクスリともしないし。
というかそもそも彼女彼氏持ちがほぼいないんだよね。クラスのうち2〜3人ぐらい。だからホントのリア充って意外と少ないし、他の高校のことはよく知らないけど、少なくともぼくの高校は童貞処女率99パー。なんくみのあいつがなんくみのなになにとやったとかっていうのはときどき聞くけど、やれてるのはほんの一握りってのは間違いない。なんかのサイトで「童貞卒業の平均年齢は高校!」とかあるけど、ねーよwあんたらしっかり調査してんのか?って感じ。ぼくも大学生のうちには卒業したいけどね。というか、そもそも出会いの場がない。隣の席の子とかとペアワークするときとか、実験のときとかぐらいしかないし、あとは文化祭のときの準備ぐらい。だけど、たかが準備期間1週間ぐらいでそこまで仲良くなれるかっていうと無理だし、ペアワークも英語の音読とかするぐらいだし、実験だって1年に2,3回だからね。まぁ、そりゃ彼女つくるのは無理ですわー(言い訳)。高校になってから女子とまともにラインしたことない!
文化祭はクラスで劇やるんだけど、これみんな出れるわけじゃない。カースト上位しか出れない。つーか、「リア充度」と「かしこさ」ってある程度比例する。だから、原稿とか覚えなきゃいけない劇ではかしこい人じゃないとダメ。リア充度=かしこさ=頼れるってことだから、まぁリア充が劇出るのは当然っちゃ当然。顔も雰囲気も大事なわけだし、陰キャだと声も小さいしブサイクだしダメ。だから、裏方に回るんだけど、やっぱりなんか惨めなんだよね。照明とかで劇出てる人とかと照らすんだけど、これはぼくの人生を表してるんじゃないかって。このままぼくたち陰キャがリア充を照らし続けるんじゃないかって。リア充のためにこの社会はできてて、裏方で陰キャはリア充のために汗くせ働いてんじゃないかって。そういうこと思ったりして、ぼくは早稲田入ろうって決めた。「こいつら今は表舞台でリア充どうし劇やってキャアキャアやってんのかもしんないけど、このままテキトーに楽しんでテキトーに暮らしてそのままズルズル落ちてけや。5年後にはぼくが一気に逆転してやるからな!みてろよコノヤロー」って思ってた。まぁ、早稲田落ちちゃったから逆転できなかったわけだけどw(あきらめないぞー!)それでもまぁなんだかんだ文化祭は結構楽しかったから別にいいんだけどね!リア充だって、いい人も多いし、ぼくなんかと仲良くしてくれる人もけっこーいるわけで。別にそこまで嫌いじゃないんだけどね。
驚いたのがぼっちの多さ。中学のときはぼっちなんてほぼいなかったのに。クラスに2〜3人はいたし、1人もぼっちがいないクラスはなかったんじゃないかなぁ。先生も別に仲良くしろとか言わないし干渉しない感じ。まぁ当たり前か。でも、ぼっちってクラスのラインに入れてもらえなかったりするんだよね。ほら、クラスのラインって友達登録してる人を招待していくシステムだから、誰も友達登録してないと入れてもらえないのね。かといって、入れないままーってわけにもいかないから、誰かにいれてもらわなきゃいけないんだけど、誰が招待するかとかでおまえがしろよーとかそういう感じになってかわいそうだった。そうそう、クラスのライングループにいつ入るかは結構重要で、早く入れた奴はやっぱり友達多い。ぼくはもちろん最後の方で、すげー恥ずかしかった。おい!お前ぼくのこと友達登録してるくせになんで招待せーへんねん!って言いたくなる。クラスのみんなにぼくと仲が良いってに思われたくないのかもね〜。まぁ、その気持ちわからんでもないけどさ。最後の方入るとさ、通知とか来るわけ「〇〇さんが参加しました」的なね。それでみんなわかるわけ。あー入ったなと。こいつこんな遅いってことは友達少ないんだなって。わざわざ口には出さんけど、みんな絶対思ってる。
ぼくの高校が自称進学校だったからかもしんないけど、みんな志望大学高すぎ。宮廷いきたいとか同志社いきたいとかって。おいおいおまえらこの高校しかこれなかったんだから現実みろやボケ。みたいに思ってたwまぁぼくもなんだけど。自覚症状あんまないんだよね。特大ブーメラン投げときます。だから関関同立志望→産近甲龍、宮廷→駅弁ってなる。ぼくの周りの人で志望大学いった人ってゼロ。ほんとだよwどんだけ大学受験厳しいねんって感じ。あ!1人いたわ。まぁゼロではないか。でも、それぐらい厳しいよ!中学んときはみんな第1志望受かってたけど、高校はそうはいかない。だから「志望大学ワンランク上を目指せ!」っていうアドバイスはけっこう正しい。あとtwitterはド田舎地方高校だけどみんなやってる。8割以上はやってるかなぁ。インスタやってる人はあんまりいない。もちろんリア充。女子は、わりかしやってる人いるんだけど、男子は少ないね〜。なんかインスタやってる男子って痛いw
まぁ、そんな感じ!もっと書きたいけど眠いから寝ます。ここまで読んでくれた人いるのかな?拙い文章で読みにくかったでしょ?ごめんなさいね。でも、なんか書きたらいろいろ整理されてスッキリしました。ありがとうございます!じゃあ、おやすみなさい〜!
比較対象に早稲田や東工大出してるってことは都内としては中堅になってしまうけど全国的に見ればまだまだ高学歴な部類だし
京都大学工学部というのは関東の理系の学生からするとコストパフォーマンスはかなり良い学部であると思う。
(中略)
「近場にあった中で一番レベルの高いと言われている工学部」という理由で近畿圏の進学校から入学したような地頭の良い人たちを見ると、「京大生」というワードはきっと彼らのためにあるのだろうと思う。その結果、大学名を言わなきゃいけない時には無意識に「一応」とつけてしまう。
この辺りから関東出身なのに都落ちして京大に入った、本来的には京大は関西圏の人間のための大学なのに。とコンプレックスがチラリと見える。
毎週月曜日はみんなでジャンプの回し読みして感想を言う毎日だった。
高校は中途半端な進学校だったこともありオタクがいなかったので、「このままだと友達ができない」と危機感を覚えリア充集団の中でキョロ充して頑張ってみたが、危うく不登校になるくらい疲れ果てた。
結局無理は続かず、同じようにキョロ充で疲れ果てていた授業が終わったら別の高校に進学した中学時代の友人たちと合流してマンガの話したりコミケの原稿やったりしていた。
大学の頃、流石にこれはまずいと思った。
で、無理してリア充に合わせるキョロ充ライフをやってみたが夏休みまでしか保たなかった。
もう、これは無理だと悟った。
楽しいと思わないものに対して楽しんでいる風を装って付き合うとか時間と体力と精神力の無駄ではないかと。
夏休みの間にまた中学時代の友人たちと会って、たまにこの友人たちにあえればもういいやとなってしまった。
社会人になり、遊ぶ相手はこの中学時代の友人と彼氏(今の旦那)だけになり、
入社後リア充同期の集いのようなものにたまーにこえかけされたが、過去の失敗からもう行かなくなった。
リア充にはなれないのに、
リア充になろうとして、
無理に我慢して、
匿名で書かせてほしい。兄の話です。
私には2つ上の兄がいる。今年で30になるはずだ。
兄は子どもの頃から優秀だった。運動は苦手だが読書が好きで勉強も良くしていた。
高校も進学校に合格し自由な校風のもとで勉強しながらも楽しく過ごしていたようである。
そして高校生のころから兄は変わり始めた。オタクになったのである。
中学のころからエロ本を隠していたりエロゲを隠していたりはしたが、本格的にニコニコ動画や2ちゃんねるに手を出し見事なオタクに成長し始めた。当時はスマホなどはなくパソコンでインターネットを楽しむのも少数であったように思われる。
そして時は流れた。当時から15年経つ。
兄は大学も一流大学に進学し、留学や休学や就職やなんやかんやをして30になろうとしている。
本題に入る前に一つだけ言っておきたいのは、私と兄は別の人間でありそれぞれ独身であるが(それ故)独立している。そうであるし、私は個性の違いを認める心を持っていると自負している。
あぁ、兄よ。
頼むからTwitterに自撮りを挙げるのをやめて欲しいのである。
インターネット黎明期からネットに触れ、リテラシーを身につけたはずの兄の行動が理解できない。友人、知人とのやりとりの中であろうことか写真を載せているのである。
あぁ、兄よ何故。
兄よ…。
生まれてから彼女がいないのも別にいい。ゲームセンターでカードゲームにハマっているのも別にいい。体重が激増し、小太りのおっさんになったこともいい。
ただ、何故、写真を、何故…
インターネットに溢れる「どうせ誰も見てないし!」的な考えを持つ有象無象の輩と同じなのか。それとも、兄の身につけたインターネットリテラシーとはその程度なのだろうか…
もしかすると兄の情報に関するセキュリティ意識はウ○コレベルなのかもしれない。
何年も前、まだ実家に2人とも暮らしていた時に兄のパソコンを見てしまいtwitterアカウントを知ってしまったのだ。
それ以来、恐らく兄は私がこうやって心を傷めていることに気がつかないまま、インターネットという広大な海の中にせっせと誰の特にもならない不細工な画像を放流しているのだ。情報リテラシーのカケラもない。
あぁ、兄よ。
けものフレンズを見て感想をツイートするのもいい。(すごーい)
なんJ民化しているもいい。
ただ、自撮りの放流だけはやめてくれ。
そして、直接言える訳のない私の苦しみをわかって欲しいのである。
上京して20年くらいが過ぎた。あの日の3月を思い出す。この春上京するだろう田舎者に伝えたい。東京で暮らしてもっとも変わるのは、
失敗しても大丈夫
になることだ。
私の出身地では、高卒で某大手電機メーカー工場に採用されれば「正解」だった。そのため、高卒の子供をもつ親は工場に勤める人に採用の口ぎきを依頼したりした。私はそれが嫌で、自宅から遠い進学校を選び、そのあとはさっさと上京した。母は高卒でその工場に勤めてほしそうだったと思う。父は私が進みたい道を選んで欲しそうだった。錯覚かもしれないが。
上京してからはいろいろ面食らう毎日だったし、失敗は山ほどやらかした。それでもなんともなかった。田舎なら私の中では終わった話でも、まわりが延々口にし続けるだろうと思えて心底嫌になった。
結局、その安心とされた大手の工場は数年前に閉鎖され、実家は限界集落になり、住民税では公務員給与も払えない自治体となり、道路は補修されず、山ののり面は大雨で崩れたまま自然に帰っていく緩やかな消滅軌道に乗っている。ふるさと納税なんてしたくもない。早く消滅してほしい。
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
たまに東大にも入る
今日、オレの授業で漫画を読んでる生徒からその漫画を取り上げた
「おまえが授業聴かないで遊んでるのは勝手やが
その結果Fランク大学行っても浪人しても学校のせいにするなよ。おまえが馬鹿なんや」
馬鹿に限って
他者のせいにする
「教師の教え方が悪い」
「学校が悪い」
いや、おまえが馬鹿なんだよ
そんなこともわからないのか。
馬鹿なんだよ
預かった漫画を
すると文句を言われた
「あいつ、やっと学校に来るようになったんですよ。たかが漫画じゃないですか
そんなことくらいで注意しないでくださいよ」
オレは命かけて授業してるんだ
これまで何度も教えたところが入試に実際に出て
言われてきたんだ
そんなオレさまの授業で
漫画読むのならもう来るなよ
悪いけど来ないでくれた方がいいよ
気分悪いよ
「起立性調節障害」
ようするに、朝起きられないらしい
ほんとか?
ほんとうに病気か?
どうせ深夜までネトゲしてるんだろ
この診断書を書いてもらったら天下無敵
親は堂々と言い放つ
楽しいしな。
都合のいい病気だぜ。
ヘタレはなかなか治らない
でも、救済なんかしなくていいんだよ
こんな連中はどうせFランク大学行ったりして
アルバイトや非正規雇用にしかなれないけどそれは自己責任というやつ
当然の結果
そいつらの面倒までは見れない
おまえが甘やかしたから
初期段階で怒鳴りつけて
きちっと来させていれば
そんなことにはならなかった
おまえの指導がぬるすぎるだけ
オレなら早い段階で引導を渡す
インターネット上に関西の駿台の実情に関する情報がほとんど無いので関西(主に兵庫、大阪、京都、奈良近辺)在住の文系東大志望の方の予備校選びの一助となるように書き残しておきます。理系の方でも多少は参考になるかと思います。
どのクラスをどの講師が担当してるかとか一年の予定みたいな情報は「駿台大阪校wiki」が詳しいのでそちらを参照してください。
1.自己紹介
2016年3月某私立中高一貫校を卒業し東大不合格を経て駿台大阪校LSクラスに入学したのち2017年3月東大文科某類に合格しました。
ゆえに以下の内容は2016年度に大阪校のLSクラスに在籍していた頃の生活に基づくものになります。
特に4の項目は年度次第で実情とは異なる可能性があります。ご了承ください。
2.クラス分けについて
駿台のパンフレットにはコースについての説明はあってもクラスについての説明はほとんど無いと思うので説明しておきます。
まず東大志望が入りうるクラスはLS、LA、校舎によってはLBがあります。
このうちLSは大阪校にのみ設置されているクラスで、東大文系EXコースの生徒は無条件で通年このクラスとなります。
東大文系EXコースは模試か認定テストで相応の成績を取れば入れるコースですが、まあ不合格B以上ならほぼ間違いなく入れるんじゃないでしょうか。
合格率とかクラス平均点みたいな指標を頑なに開示しようとしなかったのでクラスの具体的なレベルは把握しにくいですが、聞いた話と自分の知ってる範囲では合格率は7割ぐらいです。
また生徒は某大寺とか某陽や某(一文字なので伏せようがない)高校の生徒が多く生徒の質はかなり高いです。
次にLAやLBですが、上述のEXコースではない普通の東大コースに入った場合このクラスとなります。
このクラスは東大志望から阪大志望までまとめられるクラスなので、仲間と切磋琢磨出来るかというと微妙と言わざるを得ません。
また往々にしてクラスの人数が多かったり講師の質も落ちるなど待遇面の粗悪さも見られます。
合格率に関してはそもそも東大受験者が少ないのでサンプルが少ないですが、まあお世辞にも高いとは言えないんじゃないかなあと。
以上まとめると、「東大志望は極力大阪校の東大文系EXコースに入ってLSクラスに入るべき」だと言えます。
まずクラスの人数は例年40人~60人だそうです。2016年度は60人弱でした。
男女比は年によってかなり揺れがあるようで2015年度は10%を切っていたそうですが2016年度は20%ぐらいでした。
関東の御茶ノ水のSXでもあるようですし他のクラスもそうなのかもしれませんが上位進学校の生徒が多いので高校ごとにかなり群れます。おまけに男子校が多いので騒ぎます。
そういう進学校の方々は快適なのかもしれませんがそうでない方はあまり快適に感じられないかもしれません。
実際僕が後期から授業にほとんど出ずに自習室に篭っていた一因はそこにあります。
まあ彼らが排他的ってわけじゃないですし他人に直接危害を加えるわけではないですから上手く付き合えば快適には過ごせるんでしょうが。
4.授業について
●国語
現代文は全て中野芳樹師の担当です。やや好き嫌いが分かれます。現役時に林修に帰依していた人々は嫌う人が多かったようですが僕は好きでした。
現役時に現代文をほぼノー勉だったあるいは確固とした解答スタイルを確立出来ていなかった人にはうってつけの講師だと思います。
市販の「現代文読解の基礎講義」を読めば師の授業スタイルが垣間見えるんじゃないでしょうか。
これまた好き嫌いが多少分かれますが古文をフィーリングでなくちゃんと読むことが出来るようになる授業です。
漢文は週1時間しかないですしその1時間もはっきり言って出る価値はない授業だと思います。自習室で句形覚えて赤本解いてる方が有意義でしょう。
●数学
僕は数学を現役時にほぼ完成させていたので授業の大半の時間は解説を聞き流しながらひたすら大数とか過去問を解いていました。
そのためどの講師がいいのかをはっきり述べる自信はありませんが、どの講師もハズレはいなかったように思います。
テキストのレベルは前期→後期にかけてかなりレベルが上がります。
後期の難しい問題は解けなくても何の問題もないと思います。ただ解けなくても問題無いからといって授業を放棄するのは考え物でしょう。
解説をしっかり聞いて考え方のエッセンスを吸収していくことが大事なんじゃないでしょうか。
また週に1回EXLといって大数C~クラスの問題を2問50分で解くテストがあります。
平均点は毎回10点(2割)程度です。出来なくてもしょうがないけど問題は面白いですよ。
●英語
概して京大を意識した講義が多いです。長文英作の授業と普通の英作の授業が1時間ずつありますし精読重視の授業がめちゃくちゃ多い。というか精読重視の授業しかない。
はっきり言って東大が求めている英語力を養成するのは難しいカリキュラムだと思います。4分の1をを占めるリスニングの授業も5分の1ぐらいを占める自由英作の授業も皆無だし。
東大英語という講座は後期からありますけど1週間に1問要約などの過去問を解くだけのゴミみたいな授業です。
英語の授業は自分に合うものを何個か選んでそれ以外の授業の時間は東大に特化した対策に充てるのがいいんじゃないかと思いました。
ただし竹岡師の授業は絶対に出たほうがいいと思います。僕の駿台の学費の7割は竹岡師に払ったつもりです。英語観変わりますよ。
通期授業だけじゃなくて講習の自由英作文のエッセンス、英単語/熟語特講、直前期の差がつく英単語300(正式名称忘れた)もかなりお勧めです。
特に最後の講座は慶應経済でconventional wisdomとか当たりまくってて試験中笑ってました。
●理科基礎
授業に一回も出たことがないので分かりません。東大志望の方なら相当現役時代に理科をサボっていたのでもなければ直前期だけちゃんとやれば満点近く取れるでしょう。
●地歴
平常授業(世界史通史、系統地理)は時間の無駄と判断したのでほとんど出ませんでしたが本試で知識不足が露呈して点数を落としまくったのでちゃんと出た方がいいと思います。
ただテキストの質はあまり良くないと思います。特に世界史のテキストはさっさと捨てて教科書だけ読んでいた方がいいでしょう。地理も絵抜きで白黒の資料集みたいな感じ。
地理論述、東大世界史はぼちぼち出ていましたがまあ質は普通でした。
世界史はテキストに1980~の東大過去問が全て載っているのが素晴らしいです。赤本を買う必要が無くなります。
解答はありませんが赤本程度のレベルの解答があっても特に意味はないのでデメリットにはならないんじゃないでしょうか。
●講習
それ以外に東大志望の方が魅力的に見えるだろうなあと思える講習もあまりありませんでした。
関東の駿台の講習のパンフレットを見ると面白そうな講習がたくさんあって羨ましい限りです。
まあ休暇中にやるべきことは講習のバイキングではなく平常授業の復習なんでしょうけどね。
5.模試について
スカラシップの認定はめちゃくちゃ厳しいです。東大志望内3位でも5万しか貰えなかったらしい。
なので必死にスカラシップ狙いで全部の模試で本気出す必要はないです。駿台全国と東大実戦だけ真面目に受けて後はサボるか肩慣らしでいいんじゃないでしょうか。
ただサボると家に届く成績表が悲惨なことになるので事前にサボる理由を親に説明出来る人だけサボるべきでしょう。あとサボったからにはその日はちゃんと勉強しましょう。
6.総論
僕は関西駿台の東大コースのカリキュラムにはかなり不満があります。
特に英語は全く東大対策には適していません。まあ京大志望が多数派だしリソースは限られているので仕方がないことではあるんですけど。
また上述の通り東大対策の講習はほとんど無く直前期のプレ講座もほぼ全て映像授業とかいう有様でした。
これは河合塾のエクシードでもおそらく似たような事態になっているので(違っていたら申し訳ない)、散々関西駿台について説明した挙句元も子もない話ではありますが、
金銭的な余裕があるなら東大志望の方は駿台御茶ノ水3号館の東大コースとか河合塾本郷校に入学することをお勧めします。
金銭的な余裕があまりないとかそこまでする気がない関西在住の方は河合大阪エクシードとか駿台大阪EXでいいと思います。
なんだかんだ7割は受かるんで予備校の犬にならずに、また予備校から離れて堕落することが無ければまあ大体受かるでしょう。
あと宅浪は全くお勧めしません。概して生活リズムが崩壊しますし鬱になってる人が尋常じゃなく多いような気がします。
予備校代100万は決して安くはないですが東大合格のためならそこまで高い買い物ではないんじゃないかなあと個人的には思います。