はてなキーワード: 進学校とは
高校3年受験生、天王山の夏。多分今までで1番くいしばらなくちゃいけない夏。
わたしは都内の自称進学校に通っていてそれなりに勉強する環境は整っているけれど、講習のない日が続いて自宅学習の時間が増えた今、環境、教師云々よりも自分自身のメンタル面の占める割合が多いことを実感している。
ものを食べたり家事をしたり、眠ったり。勉強をしていない時間の自分がすごく嫌いだ。勉強をしていない時間はどうしようもない不安が押し寄せてきて、はやくこんな時間が終わって欲しいと思う。同時に自分の脳みそと心の準備ができるまでは、試験当日なんて来なければいいのにとも思う。
社会に出て日々大変な思いをしながら生活をこなしている人から見れば受験生はただ勉強をこなしていればいいだけのずいぶん贅沢な身分だけど、それでもやっぱり他に逃げ道がないのは、どうにも苦しい 逃げることは今まで苦しんできた自分を裏切る行為だ
わたしは母子家庭で生活しているけど、父親が教育に関してとても厳格なひとで、成人までは年に何度か面会をする。お金はないけど学歴主義を日々刷り込まれる。両親とも、しめし合わせたわけでもなく口を揃えて「浪人はさせられない」、父親からは「早慶以下なら学費は出さない」とまで言われている。
ほんとうは勉強したいことがいくつかあったけれど、経済的な自立を選んで(お金があればまたいつかいつでも勉強できると思った)就職にも強くて、ある程度勉強したかったことに近いものを学べそうな大学を第一志望に受験勉強をしている。英語も世界史も国語も大好きなので、勉強自体は毎日とても楽しい。
今までなんとなく親や周りの期待に沿って生きてきて(しかも割とそれが苦痛でなかった)時期が長かったので、自分のやりたいことや嫌なことが見えるようになってきた点では、案外いい成長なのかもしれない。
でも毎日受験に落ちた瞬間のことを考える。目をつぶって半年後の自分の事を想像してみる。行きたい大学に通えない悲しみよりも、まず当然受かると信じている父親、母子家庭でも支え合いながら生きてきた母親の落胆する顔が浮かぶ。
わたしが第一志望に受かれば、母親も社会的に認められる(信じられないかもしれないけどこの時代でも母子家庭の母親をひたすらに憐れむ人間は多い)。ずっと褒めるということをしなかった父親に認められる(彼はわたしが満点の内申を持っていった日でさえ欠席日数について指摘するだけだった)。就職につながればもう嫌いな誰かに頼り続けて生活することもなくなる、自分の選びたい道を選べる、頼りきりでない自分を、愛してあげられる気がした。
書きたいことがまとまらずにごちゃごちゃしてしまってほんとうにごめんなさい
三行でいえば くるしい 受かりたい こわい それだけのことなんですけど
自分の進路のことに、ほかの人の未来や希望まで上乗せするのはあんまり精神衛生上いいことじゃない 第一志望を目指すというよりは落ちた先を考えられないという方が近い状態になってしまってる
いまはどうしようもなく未来が見えない。見たくない。はやく春が来るといい。願わくば第一志望に受かった自分がそこにいてくれますように
たとえば見て覚えろみたいなノリ
もしくは自分で調べろみたいなノリ
でもそれっていわゆる低学歴的なノリでもある
それはなぜか?例えば有名進学校とかだとそういうノリはなく互いに教えあう
むしろ教えることが自分にとって得であることだと分かっているから
逆に進学校だとそれが少なくなる、まぁあっても普通に教えて教えないの関係
さらに荒れた学校だと当然そんなものはなく無秩序、足の引っ張り合い
だけどネットは違う、むしろ低学歴なノリの人たちしかいない、ノリじゃなくて本当にそうだという人たちが多いように見受けられる
となると当然学校で例えるとただの進学校やそれ以下の学校と同じノリになる
察するべし
よほどのトンマでもなければ、若者の皆勝ち組政策よりも必要な政策は「国民の精神・知的障がい者化の防止」であることは明白だ。いかに障害者化を防ぐか、いかに障碍者を健常者化させるか、これをどうにかしないと、日本は破綻してしまう。若者の知能向上ができようができまいが失敗するだけのエリート化政策のことより、大人の心配をしたほうがいい。
若者の総エリート化なんて喫緊の課題でも何でもない。だってすでに勝ち組は増えているし、どの都道府県も進学校がある(皆さんの近所にも多数あるはずだ!)のだから、夢見る子供はそこに入ればいい。
しかし、「儒教社会」に長らく慣れ親しんで麻痺しているような地域の人間や、ソビエトの人格教育だのアメリカのエリート社会に心酔する誰某達は、こういう異常な社会に気づくことができない。いずれも現状を欠片も分かっていない無知だが、こういう人間ばかりが社会に影響力を及ぼすことで日本の大人がここまでダメな現状になったことを我々は意識する必要がある。こうした構造はたかが若い世代の総エリート化に限らず、忖度社会などにもつながっている。
先進国を名乗る地域で、これほど社会意識のレベルの低い国は、日本以外にないと思う。お里の知れた人間たちによるその罪は大きいのだ。
進学校に対する劣等感があり、高校時代はその時の環境から抜け出そうと必死に勉強した。そのために友達付き合いも限られていたし、趣味のスポーツや読書もあまりしなかった。同じ高校生なのに、遊びながらでも学力を持っている人達が妬ましかった。そのお陰だろうが、所謂最難関と言われる大学を志望できる成績だったし、実際に志望していた。結果は第1志望ではなかったものの、所謂7大学の1 つの理系学部に合格することができた。浪人して第1志望を目指すという選択肢もあったが、今まで以上のストレスに耐えられる体力も気力も無く、今の大学に入学した。
大学に入ってからは、学歴で劣る分、能動的に動かなければいけないと思い、大学の留学プログラムに参加したり、人付き合いが得意でないにもかかわらず、積極的にOBとの食事会を開いたりしていた。充実していると感じたし、その都市のカーストでは頂点の大学なので劣等感も薄れていた。
しかし、最近になって、再び劣等感が湧き始めた。第1志望に入っていれば、もっといい人達と知りあえたと考えてしまったり、馬鹿ばかりだなぁと思ったりもする。
偏差値だけでなく、大学が地方にあるのも劣等感の原因かもしれない。東京に住んでいると、様々な行事に参加できたり、色々な人と知りあえた。しかし、地方にいるとあらゆる機会が制限される。新幹線が止まるような駅は東京のように賑わっているが、それ以外に街がない。つまり、首都圏にはには新宿、表参道や池袋など複数の場所があると思うが、それがない。その分、狭い世界に閉じ込められている感覚になる。競争する大学がなく、お山の大将状態なことにも嫌気がさしてきた。このことも、こんなところに居たくないという感覚の原因だと思う。
つらつら書いてきたが、結局のところ、劣等感を持って不平を述べるだけで、自分が何をしたいのかわからない。
仮面浪人でもすればいいと思うがその気力もない。
どうすればいいのだろう。
子供が大きくなるころ(2040年くらい)は消費税も上がってるだろうし年金の負担も大きそうだし
外国人が多くなって個人のスキルが今以上に重要になるだろうなとか
英語もITスキルも必須になってくるだろうなとか、考え始めるとキリがないですね。
こないだ1日10時間勉強しないと進学校に入れない人は一番進学校に入っちゃダメってのがあったけど
もう一段階上のフェーズに上がるには努力は必要だし(し過ぎはダメだけど)
過去の自分の努力があったから、そこそこの年収と結婚が出来て家庭も持てるようになったと思うので、
子供にも大変なこともあるけどかんばってほしいって思う。10時間はアレだけど。
でも苦労してほしくないし、難しい。
しかし、これに賛同している多くの人々は、「勉強する才能がないやつは他の道を選択した方が良い」と(無責任に)言っているようにも受け取れる。
違うよ
「自分の能力よりも上の学力の高校へ入るために大きな努力をしても入学後にレベルの高い勉強についていけなくなる可能性が高いから身の丈に合った進学をしろ」と言ってるんだよ
高校の進学校は入学試験のレベルに応じて教科書も違うし授業内容も違うんだよ
レベルの高い進学校に進んだからといって自分の基礎能力が引きあがるわけでもないし低理解者向けの授業をしてくれるわけでもないからね
「いやーー、わからんわ…正直、わからんわ…」ということがざらに起きるからね(特に数学と科学)
ふつーのひとはふつー+αの高校に行ってわかる授業を受けてふつー+αの大学に行ってわかる高等教育をうければいいのだ、抑圧卑屈挫折がないことで開く花も多かろうよ
「1日10時間勉強しないと進学校に入れない人は一番進学校に入っちゃダメな人」という意見に賛同する人続出「ほんとそれ」「全国の親御さんに見てほしい」
https://togetter.com/li/1130048
……というまとめエントリーがだいぶ話題になっているようだが。
内容としては、まぁ同意というか、素直に言うと「大すじではその通りだな」とは思った。
しかし、これに賛同している多くの人々は、「勉強する才能がないやつは他の道を選択した方が良い」と(無責任に)言っているようにも受け取れる。
実際の、子どもや親の当事者からすると、『じゃぁ、どうすれば良いの?』という話だ。
日本はバカみたいな「大学入学歴」だけを偏重するおかしな風潮がある社会になっている。
「卒業歴」ではない。「入学歴」だ。中退者が大威張りで「xx大学中退」という「学歴」を名乗るのが良い例だ。(マスコミやバラエティでの取り上げが悪い面もあるが)
社会全体で見れば、「非大卒」の人はまだ半数以上だ。それに、大学での知識が仕事に活かせている人は非常に少ないのが現状でもある。
そういった多様な価値観があること、多様な価値観を認めること、やみくもに「高い偏差値」の大学に入学することだけにこだわる価値観への疑問点。
そういった事をもっと示した上で、言って欲しい。
「ネトウヨ」をいわゆる在日特権が存在するとの主張ないしかかる主張を行う者と定義するならば(第一の意味での「ネトウヨ」)、私が「ネトウヨ」文化に触れたのはかなり遅い。明確にその存在を意識していなかった期間が相当あるため正確には分からないが、成人はしていたと思うし、おそらくは大学も卒業していたのではないかと思う。私は、第一の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれたことはないし、また遅くとも13歳以降に、こうした文化を肯定的に受容することはなかっただろうと断言できる。
しかし、「ネトウヨ」をいわゆる反「サヨク」的な主張ないしかかる主張を行う者と定義するならば(第二の意味での「ネトウヨ」)、私(というよりも私と同世代の多くの者)が「ネトウヨ」文化に触れたのはきわめて早期ということになろう。第二の意味での「ネトウヨ」は、実のところ独り「サヨク」のみを嘲るのではなく、第一の意味での「ネトウヨ」をも含むきわめて広範な物事を冷笑し相対化する。いわばポストモダンの腐ったような人間ということだ。第二の意味での「ネトウヨ」文化は身の回りにあふれすぎており、物心つく前からこれに接していたといって差し支えないだろう。今ふり返るに、中でも最も私に影響を与えたのは漫画雑誌であった。私は、遅くとも13歳ごろには第二の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれていたと思う。
すでに述べたとおり、第二の意味での「ネトウヨ」文化は身の回りにあふれていたから、私と同世代の人間がこれにかぶれないことは難しかっただろう。実際、私の同級生はほとんど皆、程度の差こそあれ第二の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれていたと思う。そのような中で、私が第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱することができたのは、学問、具体的には憲法学を中心とする法学の影響が大きい。月並みな表現だが、人権理論や多くの裁判例に接することでお題目としてではない基本的人権の重要性を実感することができた。また、これは私にとっていっそう根本的だったのだが、法制度という社会を営む装置の一端に触れることで、斜に構えて賢しらぶる子どもじみた態度を捨て、自らが責任をもって社会に参画する、社会を作るのだという心構えが、多少なりともできてきたようにも思う。私が第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱することができたのは法学のおかげであると言ってよい。そして私はもともと法学に興味があったわけではなく、これを学ぶようになったのはめぐりあわせ以外の何物でもない。今でもたまに「ネトウヨは頭が悪い」といった類の言説を見かけるが、第二の意味での「ネトウヨ」に関する限り、これは正しくない(私の中学・高校はかなりの進学校だった)。第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱するための知識・学問(私の場合には法学であったがそれ以外の契機もありうるだろう)にめぐりあえなかったというだけだ。頭ではなく、運が悪いのである。
あなたが本当に勉強ができるのであれば,海外の大学に行ってはどうでしょうか?
日本人で留学っていうと,ハーバードやMITに箔をつけるために留学するというイメージが強いですが,箔を付けるためではなく,大学院に,しかも会社から派遣(出向)されるという形ではなくて,退路を絶っていけばいいと思います.あなたの環境を変えるためです.
海外の大学に行けば,そもそもバックグラウンドが異なる人間だらけですし,そういう意味で言えば,あなたが言う「あんな青春」を送っていない人だらけです.でも,みんな気にしてないですよ.勉強できる奴はクールだって言われますし,大学ってそもそもそういうところです.オタクも多ければ,明るいヤツも多く,少なくともキャンパス内で差別的な発言をする人は(分野によるかもしれませんが)まずいません.ついでに言えば,開成も筑駒も桜蔭も誰も知らないので,あなたが仮に進学校出身であっても,色眼鏡で見られることも,それを褒め称えられることもありません.ハッピーですね.University of Tokyoは知られていますが.
おそらくあなたは日本社会に最適化しすぎているのですよ.一度環境を変えて,人生っていろんな最適化の方法がありえて,いろんなゴールがあって,いろんな楽しみ方があるって気づくと,あなたのギフトである頭の良さや成績の良さも正しく活かされると思いますよ.がんばってください!
暴言女性議員とその友人と思しき人の怪文書(Facebookだが)を読んで,承認欲求って本当に大変だなぁと思いました.当方も暴言議員と同じく東大出身,現在は某大学でラボをもっています.このような承認欲求に囚われている人をどう解放するか,私の日々の悩みでもあるのでちょっと雑文でも.
進学校出身の東大卒にありがちなんですが,その中でも承認欲求と他者の評価を得ることに貪欲な層が一定数います.本当に誤解されたくないのですが,東大卒がみんなそうじゃないし,本当に学問が好きな人もいれば,ただのオタクもいるし,凡人っぽい人もいる.そういう意味では多様性はあります.
で,この貪欲層って本当に扱いづらく,「自分が頭が良いことを人に示すために行動をする」という行為を取ります.試験の成績が良いのも,その講義が面白かったからでも(知的好奇心),成績が優だと就職の時に有利に働くから(経済的インセンティブ)でもなく,ただ自分は周囲の人間よりもすごいということを示したい(承認欲求)がために勉強をするのです.本末転倒です.
試験くらいでは,それほど害はないのですが,ラボに入ってきて研究をすることになるともっと大変です.様々な学問分野でいろんな常識があるでしょうが,ラボの仲間は良き同僚であり,良きライバルでもあります.お互いに切磋琢磨して成長することは望ましいのですが,研究は勉強と違って,わかりやすい1番がありません.Aという研究もBという研究もそれぞれ方向性が違うのですから.にもかかわらず,同期を威嚇するような進捗報告,自分がどれだけ頑張っているかを示す進捗報告など,とにかく自分を認めて欲しいアピールがすごいのです.
しかし,研究とは残酷なもので,必ずしも学部時代の成績に沿って,研究成果が出るものではありません.いろいろな要因もあり,運もありますが,得てして楽しそうに研究をしている人のところに成果が出ると思います.私も東大出身ではありますが,遊び呆けていたわけではなく,それなりに真面目に授業に出ていましたが,全く成績は良くなく,優なんて数える程しかなかったものです.しかし,本当に面白いな,この人みたいになりたいなと思う研究者に出会い,野垂れ死んでもいいやと思って研究をやり始めました.最初はまったく成果は出なかったですが,5年ほどかけてやっと成果が出始め,現在はCNSにも通るようになりました.そういう意味で私は遅咲きのタイプでした.
よく冗談で試験前に勉強してないアピールの優等生というのが出てきますが,そういう人は研究に最も向いていないタイプの人です.研究の世界では,知識や知見は通貨であり,これらを交換し合うことで,人類の研究の世界は成り立っています.ギブ&テイクとは言ったもので,最初にギブした人の元には様々なギフトが降ってきます.一方で,得をしようとテイクばかりする人間からは人は離れていくのです.これが人徳に繋がるのかもしれません.
大体において,優等生は高いプライドが邪魔をして,人に相談ができなかったり,しかし自分は優秀だと認めてもらいたくて間違った努力に走ることがあります.その度に私は中島敦の山月記の話をするのですが,頭が良い彼ら/彼女らには,ただの国語の試験問題で読んだ文章としてしか理解されずに,本意は捉えられず,自分のことを認めない研究が嫌いになり(正確に言えば,自分が褒められないフィールドよりは,自分の優位性があるフィールドに移動したいというインセンティブが働き),研究と一切の関係がない外コンや官僚,商社に去っていきます.就職して大学を去る人たちにも研究の面白さを伝えた上で卒業してもらいたいのですが,なかなか難しいようです.卒業生のFacebookをみたときに,研究や大学をひどく罵っている様子を見てしまい,自分の教育者としてダメな部分を痛感します.ただ,浪人もして東大の中で劣等生であった自分が,傷ひとつない経歴の彼らの気持ちや行動原理がわかるかというと,なかなか難しいのも事実です.
外野からの観測からですが,彼/彼女らは自分のことを好きではないのだろうな,だからダメな自分を信じてあげられないんだろうなと思います.かっこ悪い自分を見たくない,失敗したくない.それは誰もがそうです.しかし,「お前が信じるお前を信じろ」ができなければ,人生辛いと思うのです.他人にバカにされようともいいじゃないですか.自分は自分のことをすごいと思っていれば.俺はいつか成果を出してやるんだと思ってがんばれば.なぜ自分を信じてあげないのか,安易に他者の評価を,より正確にいうと,自分よりも圧倒的に頭の悪い他者の評価を得ようとするのですか.そんな人たちに褒められるよりも,あなたの方が賢いのだから,あなたがあなた自身を認め,褒めてあげないと.
あの暴言は全く許されるべきものではないですが,暴言議員のあの咆哮も,山月記だと思えば,臆病な自尊心と尊大な羞恥心に依るものだったのでしょう.悲しいことです.
自分はまわりと違う、まわりより顔がいい、優れている。
心の表面でも奥のほうでも、もしもそんなふうに感じているなら、それは尊いことだ。
自尊心の一部だ。
人は自尊心でよりよく生きて、より高く到達する。
それが若い力なんだ。
恥ずかしいかもしれない。
でも、ぜんぜん恥ずかしくない。
ちなみに、おれの大学時代をいうならば、まわりには「文化」の「ぶ」の字も知らないようなヤツらばかり。
そいつらみんな超有名進学校出身なんだから、あきれた状況だった。
周囲とおれは違うぞ、と思い続けてきたから、いま、おれの人生は充実している。
それが分かれば、難しいことではない。
学級委員の女子は昔から可愛いというか、美人系の顔立ちで、色も白くてきれいだった。建設会社の娘だった。
社長令嬢といえば聞こえはいいが、田舎だからなそこまででもない。
でもやっぱり庶民の家庭よりは断然裕福で、家は大きな二世帯住宅で庭が有ってテラスが有って。
彼女の属するグループは女子のグループで言うと2軍だった。1軍の女子は不良が多かったてのもある。
1軍女子のリーダーが同じように建設業の家の娘で、この辺りは女子の間でどのようなグループ認識があったのか、詳しく知らない。
学級委員の女子はそれなりに勉強も出来たし、結局高校は遠くの進学校に行った。
彼女の靴に限らないのだけれど、一時期、男子の間で、下駄箱の女子の靴(上履き)の匂いを嗅ぐのが流行った。時は世紀末だった。綺麗な彼女のは格好の的だった。
先生の間にも知れ渡り、ぎりぎり問題として顕在化するかしないかで流行はおさまったんだけど。
俺はこの時期、なんだったか広報委員会? みたいなのの委員長をやっていて、学級委員の彼女と二人で夕方から夜にかけて何か作業をしていた。
この時彼女のハイソックスが汚れたんだか濡れたんだかしたんだった。彼女は靴下を脱いだ。詳しくは忘れた。単純に暑かったから脱いだのだったかもしれない。
いきなり彼女は「男子って女子の靴とか靴下の匂い好きなの?」と言って、靴下を作業している机にぽんと投げ出した。そして上履きを足で引っ掛けて「靴投げ」する様な感じで俺にぶつけてきた。
適当に一般的な男子の嗜好の話をしながらも思わず彼女の素足を見てしまう。色が白くて細くてきれいで、足の形や指の形なんかも良くて、お嬢さんってのはこういう足をしているのか、と心の中で唸ってしまった。
彼女は膝を立てるような感じで座るので、「刺激が強いからやめて」って言って作業に戻った。彼女とは、女子は男子の手とか首筋を見るのだとか話をした。
あまり頻繁に話す仲ではなかったし、委員会も終わった? 引退した? からその後どうなったわけでもないんだけれどさ。
いやもともと脚フェチの潜在性はあったと思うんだ。だけどあの世紀末、中学生の俺には、学級委員のあの振る舞いは刺激が強すぎた。DNAをかき乱されてしまった。
彼女が天然でああしたのか、あるいはちょっと狙ってアトラクティブに振る舞ったのか。それは解らないし、どちらでも何かそそるものがあると思う。
それで、俺はこの後、脚フェチをめぐる長い旅路を経ることになる。それはまた語るとして、あの、世紀末のあの出来事が、思えば旅の出発点になっているんだとふと振り返ることがある。
母と話していて思った。私は高校在学中が一番辛かったんじゃないかと。それは勿論自分に責任が無かったわけではない。
私は電車も通っていない田舎で育った。そんな地域だから学校自体が一つずつしかない。高校ともなれば殆どが隣町にある高校へ入学するのだが、それ以前に幼稚園、小学校、中学校と周りにいる人間は同じであり高校に入ろうと顔を会わせるのが当たり前だった。つまりスクールカーストなるものも引き継いでいく。しかしながら中学校ではそういったものはあまり関係無かったように思っていた。派手目な子は確かにいたしグループもハッキリしていたけれどそれが虐めに直結することがなかった。虐めまで行かない対人関係のトラブルはあったけど。とりあえず、「みんな仲良くやりましょう」が出来ていたように思う。平和だった。が、しかし悲しいことにそういった意見を持った生徒たちはみな頭が良く偏差値が高めな進学校へと入学していった。
高校に入るとまず驚いたのが隣町中学校の性格の悪さだった。そして自分の卒業した中学校とはうってかわってスクールカーストがハッキリしており、下と見なされた人達は明らかに虐げられていた。それは私の周りにいた同級生たちへも浸透していった。
テストで自分よりいい点をとられると機嫌が悪くなる同級生。幼馴染みが目の前で私を除け者にしたこと。手袋が落ちたので拾って声を掛けたらあからさまに嫌な顔をして私の手から奪い取っていった隣クラスの女子。言い返さないと思った人間を理不尽に馬鹿にして優越感に浸っていたあの男子。放課後に私や友人たちが教室に残って話していると「この教室カオスじゃん」とわざと聞こえるように廊下から叫ぶ男子。そういった男子は女子のようにグループを組み、気に入らない人間の悪口や他人の失敗を見てよく盛り上がっていた。
高校卒業後に入学した専門学校ではとても人に恵まれた。恵まれたというより、自分の中の「いい人」へのハードルというものが下がった。みんないい人に思える現象。高校3年間は本当に辛かったけど、あの3年間のおかげで私は考え方や感じ方が変わったんだろうな、と思った。友達もたくさん出来たし、随分生きやすくなったし。
ただ偶然、嫌いだった男子と同姓同名の人から職場へFAXが来た。そこに記されていた生まれ年も学年でいえば同学年。誕生日までは知らないから断定は出来ないけどもしかしたら、と思うと忘れかけてきた怒りがふつふつと腹の底から沸きだしてきて考えが止まらなくなった。
私は結局卒業した四年前からずっとずっと、その男子や女子たちを許すことが出来ないでいるのだ。
根に持ちすぎだと失笑されるかもしれない。だからと言って復讐したいとか不幸を喜ぶわけではない。
許せはしないけれど、感謝している。
感じかたを変えるキッカケをくれてありがとう、と思っているしあの3年間は無意味では無かったと今は思える。
今が幸せかと聞かれるとお金は無いし彼氏はいないし将来への不安もあるけど、好きなことも大好きな友人たちもいる。理不尽に虐げられてきたあの頃よりまだ生きていきやすい。
そんなつもりはなかった、とかそんなのは被害妄想だ、と本人たちは言うかもしれない。それは君たちの勝手なのだけれど、言ったところで「私や友人たちがされたこと」に変わりはないんだよ。嫌な思いをしたことに変わりは無い。怒りが消えることもない。だけどそうだな、同窓会では笑って挨拶くらいはできると思う。参加するつもりは今のところ無いのだけど。
でも、まあ、存在自体を馬鹿にされていたからなにを変わればよかったのかなあ・・・在学中に変われなかった私にも非はあるのかもしれないね。閉鎖的なあの空間にも問題はあったのかもしれない。
世に言われる、特にはてなに於いてはよく見る気がする、親に金出してもらって進学校に入って大学まで行って資格も取れて就職した、恵まれ人間です。こんばんは。
こんな自己紹介あるかよって感じですが、表題の通りこれが今回の増田の主題なので、僭越をお許しください。
こんな人生を送っていると、学生時代までは周囲の人間も似たような立場の者が多く、自分が恵まれていることに気付いたのは社会人になってからでした。
言葉の上ではもっと前から大人に同様のことを言われていたとも思うのですが、その意味するところを理解できたのがその年になってから、と言うべきでしょうか。
社会人になってからできた友人も、幸いにして何人か居ります。彼らの話を聞いていると、やはり自分は恵まれているなと感じます。
もちろん、進学校ならではの辛さや家庭事情の問題なども無いわけではありません。自分が楽ばかりして生きてきたとも思いません。
ですが、それを語ったところで「恵まれている」という一般的な評価が覆ることは無いでしょうし、自分と環境の違う人の苦労が分からないのは変わりません。
さて、このような前提を踏まえて、増田という匿名の場でお聞きしたいことがあります。
「自分はあまり恵まれていない方だ」と認識されていて、周囲の「恵まれた人」を見て辛くなってしまうような方に、特にお聞きしたく思います。
私のような人間は、あなたに対してどのような立場や態度を取ったら、あなたを傷つけずにいられますか?
いつからこのような疑問を抱いていたかは思い出せませんが、かなり長いことこれを考えています。しかし、これという答えに辿り着けていません。
私が恵まれているのは偶然の産物にしか過ぎませんから、それを理由にあなたを傷つけていいとは全く思いません。
そもそも、周囲の人を傷つけたり嫌な気持ちにさせたりするのは、極力避けるべきことと考えています。
ただし、恵まれたものを手放して不幸になれというご意見については、理解いたしますしいずれそうなることもあるかもしれませんが、積極的に従うことはできません。
やはり自分自身がかわいいということもありますし、恵まれた要素の一環である家族に対しても、これらを捨てることについての弁明ができませんから。
もちろん死んでないし、積極的に死ぬ気もないから生きているんだけど(一回自宅の二階から飛び降りたことはある。かすり傷だった)
通勤電車を見るたびに、「自殺志願者絶対に殺してくれるマンだかっのいい」と思うし、飛び込んだらどうなるのか想像する
何だっけ、アドラー心理学の王座の陥落?で、弟妹に親の愛情が移って、第一子は親の愛情を取り戻そうとするって奴
私もそうだった
父親がまったく子供にかまわないひとだったから、余計に母親に依存していたからか、弟妹の面倒を見て母に楽をさせてあげることだけを考えていた
差をつけるようなことはされなかったけど、親だって人間だから、3人も子供がいれば人間的な相性みたいなものは絶対にあって、多分私は母と相性が悪かった
私はお母さんの一番にはなれないんだ
そう思ったら何もかもどうでもよくなった
母を諦めた私は父の一番になろうと思った
父は進学校の落ちこぼれで(それでも国立は出てる)学歴コンプが端々に見えた
幸い頭は悪くなかったし、勉強も嫌いじゃなかったから、父が喜ぶ学校には普通に入れた
でも行くことが目的だったから入ってからはもうどうでもよくなっちゃったし、父の一番になったからって、母が私だけを見てくれた幼少時には戻れないわけで
死にたいって思わない人の方が多数派なのは何となくわかるんだけど、みんながみんな幸せな環境にいるわけじゃないのに何でそんなに平気なのかなって、豆腐メンタルは思います
「死んでやる!」と窓に足を掛けて3階から飛び降りようとしたり、
授業中に叫びながら教室を飛び出して、何故か服を脱ぎ始める、なんて珍事もあった。
そんなUさんだが勉強はできた。それもかなり。
新聞にも目を通しているらしく、「なんとか還元水」など時事ネタを口にすることもあった。
そんな落差のあるUさんは「変わった子」として学年の誰もが知る存在だった。
小学校が同じだった子達は「あの子はいつもああだから。」と呆れ顔。
中学校で初めて彼女を目撃した俺たちは驚きつつも、その奇行に次第に慣れていった。
幾多の問題行動はあくまで威嚇のようで、本当に窓から飛び降りたり、
相手を殴りつけたりすることは、俺の記憶が確かなら、一度もなかった。
実際に攻撃してこない、ということが分かった一部の男子は満を持してUさんの事をバカにし始めた。
彼女が奇行を起こす度に「ありゃキチガイの顔ですわ」とか言ってゲラゲラ笑った。
奇行は収まる気配もなく、そうこうしてる間に卒業シーズン。俺たちは中学を卒業した。
俺自身が中学卒業後に色々あったこともあり、卒業後は中学時代のメンツの大半と疎遠になった。
Uさんは市内上位の進学校に進んだらしい、という噂を聞いた。
ここ最近になってSNS界隈で「発達障害」という単語を頻繁に目にするようになった。
最近では雑誌やらテレビでも特集が組まれたりして、徐々に大衆の認知度も上がってきている。
TLに流れる「発達障害の特徴」といった類のガイドラインを読んで、ふとUさんの事を思い出した。
理解してくれる人が必然的に少なくなる高校や大学では上手くやれてたのか。
気付けば俺たちも既に20代半ば。就職は無事にできたんだろうか。
賢い子だったから、大学院とかで専門的な研究でもしてるのだろうか。
それとも人生がうまくいかず、もがき苦しんでいたりするのだろうか。
ジャパリパークは個性を認め合う社会だ。人間と違って野生動物はできることよりもできないことのほうが多い。大抵の動物は泳げないし空も飛べないし足も大して早くない。だからこそ、擬態がうまいとかジャンプ力が高いとかとか、できることが光る。できないことはできなくてあたりまえ。でも、できることはすっごーいと褒め合う。この多様性を認め合う姿勢こそがジャパリパークの素晴らしさだ。
中学生の時、勉強の大変さからやる気を無くして不登校になった俺は、そこしか行けるところがなかったから偏差値30の高校に通った。今思うと、偏差値30の高校は、間違いなくジャパリパークだった。周りは不良や元不登校ばかりだった。俺も含めて皆親が貧乏だったし、勉強も進学校と比べるとおままごとのようなレベルだった。でも、だからこそできることが光った。皆個性が強かった。
アルファベット26文字すべて書ける人はすごい、分数の割り算ができる人はすごい、アルバイトで月15万稼ぐ人はすごい、学校の近所の卵が安いスーパーを知っている人はすごい、いけすかない先生をぶん殴って退学になった人はすごい、休まないで学校に来る人はすごい、宝石職人の息子で文化祭の時ものすごい精巧なお化け屋敷を作った人はすごい、現在形の英文を過去形に直せる人はすごい、二次関数の頂点の位置がわかる人はすごい、大学に受かった人はすごい、就職できた人はすごい、ちゃんと卒業した人はすごい。偏差値30の3年間は、肯定の言葉にあふれていた。アルファベット26文字を書くなんて下手したら小学生でもできることだ。でもそれができることは、傷の舐め合いでもなんでもなく、心からすごかった。できないからって馬鹿にするやつなんて居なかった。
現在、俺は偏差値が高校の倍くらいある大学で工学を学んでいる。高校で科学の面白さを知って大学で科学の勉強がしたいと思ったからだ。教育環境は間違いなく向上した。ちゃんと大学レベルの講義を聞けるし、私語をする人はいないし、講義中に紙飛行機を飛ばす人も居ない。でも時々、大学の「できて当たり前」という環境が少し嫌になる。お前はテイラー展開が出来ない。お前はTOEICで500点すら取れない。お前はルジャンドル変換が出来ない。お前はシュレディンガー方程式が解けない。多少のできることよりも、できないことで評価される。それがダメだとは言わない。競争する環境では当然のことだ。競争が悪いことだとは決して思わない。仮に今中学3年生に戻れるとして、俺はきちんと勉強をして進学校を受験し、競争する道を選ぶだろう。減点方式の評価は悪いことではない。でも、なんだか時々、ジャパリパークのようだった偏差値30の母校がどうしようもなく懐かしくなる。
きみが指定校推薦や公募制推薦を受けることを希望しないなら、授業はてきとーにやっつければいい。
受験科目について、別に今から変えてもいいんじゃないかな、とおもう。
受験する学校だって、無理に外国語学部にこだわる必要はないんじゃないかな。
とにかく、何とかして大学に行くことだけ考えてみるのもいいかもしれない。
私の妹は私から見れば、「要領悪いし勉強できないやつ」だった。
美大に進学して、ある日図書館で借りてきた本を読んで、「世界史面白い! 勉強面白い!」となって、それ以来よく本を読み、作品を作り、卒業していった。
(しきりにゴンブリッヂ先生がーと言っていた。元増田もよかったら読んでほしい。私は読んだことはない。)
知識を得るだけでなく、組み合わせること、表現すること。それを妹はよく実践していた。
今は販売の仕事をしているが、「お客さんにどうしたら興味を持ってもらえるか?」 情報を仕入れたり、実践したり楽しそうだ。
妹は大学で、まさしく学びのあり方を学び、卒業した今も実践しているのだと、誇らしく思う。人間として尊敬している。
世界について学ぼうと思ったとき、回りと自分を比べる必要はない。自分の力で学んでいけばいい。
ぶっちゃけいくら進学校だったって入学時にそんな進路に関わる無茶苦茶な選択させるんじゃねえよとか、分割履修やめろ転入のとき面倒なんだよとかそんな気持ちです。