はてなキーワード: オーディションとは
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
日本の文化は「マジ」と「なんちゃって」に分けられると思ってるんだけど
80年代はなんちゃってが優勢だった時代なんだよ。バブルで調子乗っててチャンネーシースーギロッポンとかふざけた時代。
テレビだったら秋元康ととんねるずの時代だよね。真面目が馬鹿にされる時代。
それが90年代はマジ優勢の時代になっていくのよ。正確にいうと91年にバブルがはじけてその残り香がなくなった94年くらいからかな。
そして00年代はまたなんちゃってに戻るみたいに繰り返してるとおもってる。秋葉系の時代と言っていいから「てへぺろ」でもいいかもしれないw
10年代はけっこう「マジ」が復活してる感あったよね。震災の影響あるのかもなぁ。
90年代は「マジ」の時代だから自分で作詞作曲しないと音楽で飯食えなくて、不遇だったのがアイドルのSMAP。
アイドルというジャンル自体が「なんちゃって」になってしまったので、活躍の場がなくアイドル冬の時代なんて言われていた。
だから開き直ってなんちゃってを始めたのがSMAPxSMAPで、なんちゃってが得意なフジテレビでコントのコーナーを取り入れたアイドル番組を始めたのが戦略的だよね。
でも音楽はマジの中心だったから、彼らは従来のジャニーズがやってた王子様的な少女漫画の世界から、リアルな青年をイメージさせたマジに寄せた青いイナズマとかSHAKEで勝負したんだよね
光ゲンジのだれかがSMAPの歌の路線をうらやましがってた話をしてたのを覚えてるよ
とはいえ中居の超絶的歌唱力でやっぱりSMAPはなんちゃって扱いだったけどねw
モーニング娘。もそのマジの時代に生まれたアイドルって感じだよね
ASAYANがそもそも「マジ」なんだけど、でも平家みちよに決まったオーディションの負け組で組まれたっていう流れがなんちゃってだし、いかにもアイドルな売り方だよね
とはいえ00年代みたいに黒髪にしろなんてこともなく、金髪の後藤真希がそうだけどマジ時代に対応したアイドルではあった
だからそのあと出てくる00年代の歌が下手で口パク上等でダンスがゴミなで、握手だのじゃんけんだので優劣を決めるAKBなんかと比べて歌とダンスは抜群にうまかったから、ハロプロオタクはそこが心のよりどころだったよね。
アイドルなのに「アイドルっぽくない」が誉め言葉という変な時代
アイドル不遇だから、芸能事務所が新人の女の子売りづらくなった。それで発明したのが女優の卵という謎のジャンル。
広末涼子が代表例で、そういう人材はしれーっと音楽も出してアイドル的な売り方もする。この手法は今でも続いてるよね。
アイドルが好きだと言ったら馬鹿にされたマジの時代に、思春期男子に「アイドルじゃねーから」といいやすく消費しやすくしたのが女優の卵だったり女子アナなんだよね。
音楽は「マジ」の中心地みたいな感じだったから作曲はできないけどせめて作詞はやらせろみたいなかんじでマジ売りを事務所におしつけられて
マジ時代に対応したよくわからんエセアーティスト売りのアーティスト増えて、歌姫なんていうジャンルが生まれたり、裸足で歌いだしたり、あの時代のマジ対応はよくわからんこと多いw
だから椎名林檎みたいなガチな人材が業界人からも勘違いされて「きみもそうなんでしょ?」みたいな扱い受けてたの笑うよね
松本人志はテレビのお笑いに「マジ」を持ち込んだ人だよね(談志とか上岡龍太郎とかもいるんだけど)
90年代はお笑い芸人が芸能界のヒエラルキーでトップになった時代といえるんだけど、間違いなくダウンタウンの影響だよね
ビートたけしは映画業界ではマジをやってたけど、テレビじゃ「なんちゃって」のキャラでコマネチコマネチってやってたからその辺が微妙だった
(余談だけど、彼がプロデュースした伝説の糞ゲーたけしの挑戦状は「こんなげーむにまじになってどうするの」なのが偶然とはいえおもしろい)
お笑い芸人は「なんちゃって」を生業にする職業で、昔はいろもんなんて言われてたが、松本人志はそれをひっくり返しマジをお笑いで商売にした人といえる
それでお笑いとアーティストの芸能界マジヒエラルキー競争が始まったんだけど
HEYHEYHEYとか、うたばんとかお笑い芸人がMCやり始めて
浜ちゃんに叩かれた!うれしい!浜ちゃんにたたかれると売れるってジンクスがあるんです~なんて言って
お笑い芸人に媚びるアーティストみたいな構図が普通になって、あれでアーティストがお笑いの下になったのを感じたよね
M-1がウケてるのは「マジ」だからだよね。あの時だけ、日本の笑いはかっこいい「マジ」が許される。
ただ初期のM-1はテツトモみたいなのも交じってたことね。それで談志に漫才じゃないとか言われてwあれってマジじゃないってことよね。
そんでM-1終わってフジテレビで始まったTHE MANZAIで審査員に秋元康がいてずっこけたねw
さすがなんちゃってのフジテレビですね。そしてTHE MANZAIが失敗するのも当然よな。
それでサブカル野郎はAKIRAとか攻殻機動隊は別腹とかいう扱いをしてたよね
メイドをコンテンツにする秋葉原はなんちゃって文化の中心と言っていいんじゃないかな
「ご主人様~、萌え萌えキュン!」なんてなんちゃってにもほどがある
そこに秋元康のようななんちゃってでメシ食ってた人間が注目してAKB48始めたのは当然だよね
セガってだせーよなとかいって自虐させたり湯川専務のように実際の専務をCMに使うなんて典型的なんちゃって戦略だけど
秋元って90年代のマジに対応できなくてさ、いつまでたっても80年代のなんちゃってな空気でスゲーダサかったイメージ
それが秋葉と00年代のネット文化で復活してしまったのは俺の中で苦々しく思うことの一つ
宝塚歌劇団がマジを提供し続けているなって思ったことあって、コナンと宝塚って結構似てるんだよね。
ジャンルは全く違うけど、マジというトーンが似てる気がするんだよね
「マジ」は「スタイリッシュ」「キザ」「見栄」「キメる」「気取る」「媚びない」でもいいよね
スーツびしっと着て、テンションがパリッと張って、キザで気取ってるのが好きなんだなって思ったよね
アニメコンテンツのなかでコナン、AKIRA、攻殻機動隊、カウボーイビバップはマジの立ち位置だったけど
秋葉系オタクはカウボーイビバップをオサレアニメって嫌ってたよね
あとブリーチに至っては、作者の久保さんまでネタにしてオサレオサレって馬鹿にしてた
00年代の秋葉のオタクたちはネットで冷笑でひろゆきみたいなキャラあこがれて、マジなものをなんでも馬鹿にしてた
秋葉がそうだったから2ちゃんねるみたいになったのか、2ちゃんねるがそうだから秋葉がそうなったのかしらないけど
とにかくマジをきらってなんちゃってでミニひろゆきみたいな他人を馬鹿にするような、中二病や黒歴史という言葉をやたら好んで他人を攻撃するやつらばかりだった
そのころアメリカはテンション張ってるものが好きだからオサレなもの、キザなものが好きでまっとうに評価してたよね、さすがハードボイルドの母国って感じ
最近アメリカで日本のシティポップが評価されてるらしいけど、あれもテンション張ってるキザでオシャレなコンテンツだからアメリカ人が好きなのは納得
アメリカ人はエルビスプレスリー、マイケルジャクソンとかブルーノマーズがそうだけど、伝統でも今でもずっとマジを真面目にやる国なんだよね。
日本人みたいに恥ずかしがってなんちゃってに逃げないし、他人をオサレとかいって馬鹿にしない。
ソニーがこの方向でそれ以前までの小学生に向けていたゲーム業界をファミ通などと組んでイメージの変革を起こそうとしていたよね
ソニー参入までは、ゲームを作る人は今でいう歌のお兄さんみたいな特集のされ方だった。「みんな新作まっててね~」みたいな感じだったけど
暗い部屋で間接照明をあてて「ゲームクリエイター」って肩書で、中高学生のあこがれの職業みたいにしていったのはソニーだよね
ソニーのゲーム事業は母体がソニーミュージックだからアーティスト的プロデュースのノウハウがあったんだろうね
マジをつかったゲームクリエイターのブランディングは見事にはまったよね。
それに対抗しようとしたセガはなぜか秋元に頼ってなんちゃってやってセガってだせーよなとかなんちゃってをやりはじめた
秋元のチェキっ子とかいうアイドル番組のスポンサーになってそらセガつぶれるわって当時思ったよ
セガって渋谷の兄ちゃんたちに愛されてたのよ。秋葉っていうよりかは渋谷系だったよね
そんなセガが秋元のなんちゃってに取り込まれ、そしてアイドルのスポンサーするとか終わってたよね
あのころのセガは方向性を見失ってて、サクラ大戦なんかもそうだけど、セガってこんなゲーム作る会社だっけ?っておもったよね
そのあとの話だけど、10年代のセガは初音ミクとか、バーチャロンととある魔術の禁書目録のコラボみたいに誰が得するんだみたいなことやり始めたり、とにかく秋葉系にすり寄っていくよね
90年代のマジなセガを知ってるから、セガサターンを白くしたり、ドリームキャストは最初から本体カラー白だし
あとゲーム業界のマジの代表格だったFFがFF10になって秋葉系オタクのなんちゃって文化に毒された結果が10-2
あれでまじでスクエニは死んだなって思ったし実際ゲームオタクからは相手にされなくなったよね。
今NHKでやってるBBCが放送してた海外番組ブリティッシュ・ベイクオフを見てる。
アマチュアがパンやお菓子の出来を競う料理サバイバル?番組だ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PN79NV19XL/
事前オーディションで選考されたアマチュア料理家(番組内では「ベイカー」(Baker)と呼ばれる)たちが、毎週与えられるテーマに沿ったパンやパイ、ケーキや焼き菓子などの出来栄えを10週に渡って競い合う番組。
なんでこの番組を見てるかというと、NHKはこの前に「ソーイング・ビー」という番組を放送していたからだ。
https://www.nhk.jp/p/ts/PM58N4MYMN/
当時ぐうぜん見かけてこれは面白い!と結構長い間見ていたが、それも終わってブリティッシュ・ベイクオフになった。
両者の関係はというとソーイング・ビーはブリティッシュ・ベイクオフのスピンオフ的番組で、番組のフォーマット、アマチュアたちが3つの課題をこなしだんだん脱落していく、をそのままに対象を料理から裁縫に変えた番組。
つまり日本放送でいうと新しいほうから放送して元祖のより古い番組を今放送しているということになる。
そのせい(古いせいで洗練されていない?)かはわからないが、ソーイング・ビーと比べてブリティッシュ・ベイクオフは面白くない。
そんな増田がなぜソーイングは面白くてベイクオフが面白くないのか考えたら、単純に二つの理由かなと思った。
食べ物の評価となると当然、味が評価対象になるわけだけど、見てる側には味なんてわからないんだから見てても「そうなんだ」以上の感想がわかない。
硬い・ふんわりとしている・水っぽい・リキュールが効いてるなどなどあるけれど、調理途中でアクシデントが起こってそうなったとわかるものもあればなんか普通に作ったけど最後の焼きが悪かったのかなんか失敗した。みたいなものも多い。
もちろん見た目の評価もあるんだけどまあ料理の範疇なので見ていても「どれかと言えばこれが好き」程度に落ち着いてしまう。
なんというか一緒に審査している感がない。他人の食事を見てるだけ。のような疎外感を覚える。
だから結果発表もえーそれが一位?俺はこれだったわーみたいにならない。あーそうなんだ。よく作れたんだ。で終わる感じ。
対してソーイング・ビーは服なのでもうほぼ見た目が9割。途中の失敗が目に見えて結果に反映されるし、時間が足りなかったらそれで未完成品が出される。他方で上手い人の作品は本当に見た目も作りもきれいでああこれは褒められるなとわかりやすい。目に見えて良し悪しがわかりやすいのだ。
さらにリメイクの課題ではそんな素材で!?(パラソルやウエットスーツ)そんなものを!?(SFな服や犬用の服)みたいな物が多くてもう千差万別のものができあがる。
そのなかで上手に出来たものの中から一位予想が楽しいし、予想が外れても「俺はこのデザインのほうが好き」でなんかオッケーな気分になれる。
また、両番組とも「レシピ通りに作る課題」があるのだけれど、ベイクオフは上手くいけば当然どれも似たり寄ったりになるわけで。完成してもめっちゃ地味。
大してソーイングなら生地の選び方からセンスがでるし、生地の種類ごとに合う合わないがあって難易度が勝手にあがる参加者もいたりして、「型通りに作る」んだけれど完成品はみんなバラバラな印象になる。
審査員は男女二人。どちらかと言えば両方の番組で海外男性がセクシーで注目している。まあそれはどうでもいいや。
でもま、ベイクオフの男性審査員、ポール・ハリウッドがもう辛らつ。料理の出来が悪いと本当に悪い点をたくさん上げてくる。
まだシーズン初期なので下手な人が落ちきってないという面もあるんだけど、それでも悪い料理には悪い点の指摘しかしない。
女性審査員のメアリーはまだ比較的ましかな?程度。ポールのほうがしゃべるのでやや発言が少ないが、やっぱりダメなものはダメという。
焼きが足りないとかこねすぎとかこのフルーツは合ってないとかプロとしてご意見はごもっともなんだけど、聞いていて結構つらい。厳しい先生。
対してソーイング。男性のパトリックと女性のエズメなんだけど、二人ともまあやっぱり怖いは怖い。威厳がある。
変な生地を選ぶと作ってる途中にパトリックがこれでやるのかい?だとか生地が伸びて難しいだろうが…頑張って。とか言ってくる。
でもユーモアもあって、進行役のタレントからよく弄られたりする程度にはフランクだしそれに冗談で返したりもする。
そしてなにより褒める!
二人ともどの作品もひとつは褒めるんだよ。(たまーに本当にヤバい作品が出るときはこれは完成していない…とかで終わるけど)
まあ大抵生地(色使い)がいいとかステッチが丁寧とかフィットしているとか私は好きよ。とか。
どんなにひどいミスがある作品でも時間切れで未完成品でも「ここは良い」がある。ミスが必ず見つけられて怖いけど優しい先生。
ミスから挽回したりできなかったりした作品には(心配したけど)よく頑張ったねとか声かけしてくれる。
だからちゃんと見られてる感があって厳しい指摘も見ていて受け入れられるんだよね。
つまり
評価がわかりやすく会話にジョークが混じり指摘中に必ず褒めるソーイング・ビー。
めっちゃ単純に心理的安全性がある組織とない組織みたいな対比になってる。
んで社会人としてどちらがエンタメとして優れているかと感じるかというと…まあ後者だよね。(ガチンコとかマネーの虎とか厳しい系が流行るときもあるけどね)
つらい番組は見たくないし。比較対象が優良だったらなおさらだよね。
ブリティッシュ・ベイクオフを見ていて面白くないと感じる原因はソーイング・ビーを見ていたせいでなんか転職に失敗しました感を感じてるからかもしれない。
前提として、
FANZAとかの大手で販売されているAVに関しては、AV強要問題になるのを避けるために、しっかりとやっていることになっております。
AVを販売するには、警察に「映像送信型性風俗特殊営業」という届け出をしているし、
大手とかは継続して商売を続けたいのもあるから、トラブルは避ける方向で進んでる。
女優もオーディションで選んでいて、免許証で年齢の確認したり、変な借金の作り方をしてないかとか、トラブルを避ける質問してるらしい。
AV制作大手のWILLは、元がDMMなんで特に厳しいらしい。
なんで「女優が騙されていたら嫌だ」とか思う人は、最近発売されたものでFANZAで買えるものを見ておけば、まあ、大丈夫なんじゃないすか。
きな臭くてヤバそうだなーと思ってたメーカーの某Pだったり某FだったりはFANZAから撤退してたしね。
インターネットの発達で、エロコンテンツも多岐に渡ってしまい、
パイの奪い合いで、AV自体がちょっと弱くなっているというのもあるけど、
DVDになって価格破壊、ネットが主流になったらもっと値下げされて、
最近は4Kや60pで価格の値上げを狙っているけど、撮影機材が高い、
画質良くなると粗が見えやすくなるので照明もメイクもこだわらないといけないし
そんなに頑張ってるのに、意外に画質低くて大丈夫な人間が多かったり、
今はAV女優のキカタン1本50万ぐらいが相場ですってよ。やっす。
最近、金が掛かりそうなスタジオで撮ったものも減ってきて、ラブホやビジホで撮る素人モノ増えてきましたよね。
そりゃあ女優さんもAVだけじゃ食えなくて、副業としてイロイロやってるわけですね。
youtubeならまだしも、風俗で会えるAV女優めっちゃ増えてるよね。
業界がクリーンになればなるほど、儲からなくなってくる。せちがらいのじゃ~
おっと前提が長かったですね。
そんなAV業界を叩く前に、なんでこれ対策しないの?というものを書いていこう。
同人AVって言い方は、既存の同人のイメージを損なう表現なので好きではないけど、
もう定着しちゃってるので、仕方ないが使わざるを得ないのが残念。
ただFC2は海外サーバなので、海外基準になってて例えばロリが禁止。なので別にいろいろある。
警察への届け出済みであることを販売ページに書いている販売者も居るけど、
小物ばかりで、大物がぜんぜん。組織立ってやってるのが捕まってない時点でアレだな~とか思ってる。
そんなヤベー販売者なのに、女優も、どういうつもりで出演しているんだろう、と思うじゃないすか。
もし派遣された風俗店に合わなくても、別の店に移籍が簡単にできるっていう
まあIT業界のSESみたいな仕組みです(どこの業界もおんなじですね。笑)
まとまった金が緊急に必要な人なら、出演しちゃうかもしれないよね。
お金に困ったことになっても、別に助けてくれる仕組みがあることをアピールする組織になればよいのにね。
ちなみに、AVのオーディションでは、同人AV出演チェックをしていて、
出ていたら基本NGにするらしいから、同人AVは出ない方が良いですよ、皆さん。
そういやスカウトの人って、税金とか払ってんのかな…? グレーっぽいよね。
みんなが知ってるテレビにでるような芸能人のイメビは、まあ、おとなしい感じですが、
女優によっては、AVに出れない年齢なのでギリギリを攻めるようなものもあるわけで、
例として「イメージビデオの手」とかで検索するとよくわかるかも。
もうね、ここに書くのもエグいのがあるわけですよね。
年齢が1桁とかね。生地の少ない水着を着せたりね。棒状なアメやアイスを咥えさせたりね。
ただネットだと簡単にリンクできちゃうので、見つからないように検索除け&ログイン必須の会員サイトになってる。
それとオフライン。「撮影会」や「握手会」という名目で、いろいろあったりする。
これも定期的に逮捕者が出ている。でも無くならないよね。警察に届け出するシステムにすればよいのにね。
イメビってこういうAVが叩かれているときに話題に上がってこないよね。
子供なんで、そもそも判断できる知能が無かったり、洗脳だったり、親に逆らえなかったりするわけなので。
例えば、学校側とかで、そういうときになんとかできることを教えることできないのかね。
親側にも、そういうことに手を出す前に、やれることがあるのをできないかと思うんだよね。
他にも、アイドル、声優、アテンド、マッチングアプリ、出会いカフェ、ライブアプリ、社会人サークル、など、いろいろあるけど、
結局大手事務所で活動してから辞めるのが、知名度を得るための最短経路ってのはよく言われてる。引退した有名Vの割と多くが別の形で配信業自体は続けているケースがほとんどだし。
弱小Vグループの場合は運営の解散がよくある。そのため企業V→個人Vへ同じキャラクターのまま移行することはある。けど、大手事務所の場合はそれは絶対にない。配信活動は続けるのにそのVは引退してしまうというのは少し悲しい。そのキャラクターが死んでしまうことが分かってるのに、引退を選ぶことが悲しい。
ということで、次は黎明期からやっていて絶対にキャラが死なない人から選ぼう。
例えば月ノ美兎とか絶対に辞めないでしょ。他にも因幡はねるはガワを買い取ってでも最低10年は活動を続けるって初期からずっと宣言してるし。配信業に並々ならぬ執着を見せる「配信適正」の人は有名Vに多いけど、「Vtuber」に対して思い入れを抱いている人は結構少ない。後からオーディションで入った人達にとってVは配信スタイルの一つかもしれない。しかし黎明期に苦労してVtuberを確立させようとしてきた人達にとってVは自身の人生と同化している感じがして、辞めるor辞めないという視点では非常に安心できる。
でもそういう推しってそういう打算的な選び方では無いってのも分かる〜〜〜
この際言わせてもらうけど、正直オッサンに抱かれるくらい大したことじゃない。
ていうかね、今、声優だとか、役者だとか、余ってるんですよ。どうしようもなく余ってる。
で、もう正直言って、能力じゃ差がつかないんですよ。役者に絶対的な能力差なんて、最早ないんですよ。
ネームにバリューがあるのは当たり前、良い演技なんて出来て当たり前、スタッフに好かれてて当たり前、コネがあるなんて当たり前、そういう世界なんです。
”ハマり役”に、何十人も何百人も応募してくるような、ドングリの背比べどころじゃない実情があるんですよ。
メディアの数が多少増えてるんでマシになってきてるんですが、それでも椅子取りゲームで、しかもみんな椅子を取る能力はほぼ同じ、そういう世界なんですよ。
じゃあどこで差をつけていくかっていうと、もう、雇用側と信頼関係築くくらいしかないんですよ。
その、信頼関係というか、人情的契約を結ぶ手段の一つとして、枕ってカードがあるだけの話なんですよ。
オーディション会場でパンツ下ろして壁に手ついてケツ向けろ!って言われたら余裕で向けるよ。
逆にその程度のこともできないで何が役者じゃい。
他人の”気合”だとか、”覚悟”の否定だよね、枕の否定って。ていうか、シンプルな話、「枕がダメだと営業カードが一枚減る」んです。
いや本当に、皆さんが思ってる以上に役者なんて、誰でもいいんですよ。そんな中で頑張ってるんです。
いろいろ調べたり体験しにいって感じたことをまとめてみる。有名な話ではあるけれど、日本の役者のレベルは低い。
何故アニメ業界や欧米に比べてこのような差があるのかについていろいろ調べてみた。
まず自分の家の近くを検索して、劇団や演劇教室があるか調べてみて欲しい。
音楽や絵画教室はあるが、演劇教室はないところがほとんどだろう。イギリスとかアメリカには小さな劇団や演劇をやるクラブがある。
まず大学で体系的に演劇を学んだ人が少なく、また教えられる人も少ない。
学校はあるが、レベルが低く世界には通用しないくせに学費だけは高い。
監督のレベルがそのまま俳優のレベルにも直結する。まともな美的センスを持っている人はアニメ界に行ってしまうので、日本の監督は出し殻みたいなのしかいない。
出汁殻みたいなのに合わせるから、俳優もレベルが低いのしか残らない。
レベルが高いと言われている役者も結局、海外の人間にわかりやすいインパクト重視になる。
正直言うと馬鹿にされているアニメ声優の方が技術が体系化されてレベル高いと思うよ。
・実力よりコネや経歴を重視
昔は40代ぐらいのお父さんが「カツーン」とか間違いながら覚えてたのに
ここ2年で3組デビューしたというのもびっくりした。あと自分より年上のアラサーがデビューしていたというのも。
アラサーでデビューってキスマイが話題になってたけど、今逆に10代でデビューする人がいないのに驚いた。
小学生と関わる機会があるんだけどBTSは知っててもジャニーズは知ってるんだろうか。そもそも話題に出ない。
なんなら今までの嵐とかみたいな「オタクじゃないけどさすがに知ってるアイドル」のポジションにBTSがいるような気がする。
改めて考えてみると
今流行ってるアイドルを知る経路って、完全にユーチューバーとかから来てるからなんだなってことに気付いた。
ユーチューバーは流行にはとことん乗っかるから本当に流行ってるものがわかる。
改めてユーチューバーに宣伝させる効果ってものすごいな~と思う。
だからこそステマとかが問題になるんだろうけど、でも最近のジャニーズの歌に便乗して「踊ってみた」とか「歌ってみた」とかやってたことあった?
新しいグループだけじゃなく、そもそもジャニーズの曲も聴かなくなったけど
そもそもAppleMusicで聴くからだった。ジャニーズはサブスクの中に入ってない。
昔はiPodとかそういうのでCD取り込んでたんだけど、今もうずいぶんそんなことしてないなってことに改めて気が付いた。だってMacbookだからCD読み込めないし…。
BTSはミュージックビデオを見てよかったからAppleMusicでも聴いてるんだけど、これが今の流行の経路なんだろうなと思うし、ジャニーズだとそれが出来ない。
オーディション番組から生まれたアイドルも、グループ名は知らないけど、ただオーディションをやったことは知ってる。
ニジプロジェクトとかも流行ったけど、今度は男性バージョンをやるらしい。
この先国産アイドルはどんどん力が無くなって、歌やダンスが上手い子は韓国に行くか韓国資本の番組でデビューするようになるんだろうな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfb969e3d2c94746cddf549aa4b5e3f706f17e93
日本の強豪校の吹奏楽部で過重な練習時間が問題になった事例があった。
では、吹奏楽先進国とされているアメリカの高校ではどうなんだ?というのを紹介しておく。
まず、吹奏楽は高校の選択授業と言う位置づけ。地域や学校によって異なるが、オーケストラがあったり、マーチングバンドがあったり、吹奏楽(コンサートバンド)があったりなど様々。
そして学校の授業なので、週に数コマ×1~2時間しかやらない。
そもそも吹奏楽の授業に参加するためのトライアウト(オーディション)がある。これに通らないと吹奏楽部に参加することすらできない。
また、授業の時間は短いので基礎練習や個人練習をやっている時間もない。
だから、吹奏楽に参加する学生達はみな、放課後に外部のトレーナーのところに行ってレッスンしたり、個人での練習に明け暮れる。
学校が長期休暇に入ると、日本の吹奏楽部よりも厳しい「キャンプ」を行うところもある。
ある例では、毎日朝8時から夕方4時まで練習する。事前準備、片付けなどを考えると朝7時~夕方5時までの9時間拘束される。
日本の強豪校の吹奏楽部に勝るとも劣らない、いやそれ以上の練習時間である。
こんな環境なので、学生は朝早くに親の車で送ってもらうことが前提のようだ。
つまり、アメリカの吹奏楽部は、「校外での自主練でスキルアップが前提」であり、「長期休暇期間は長時間練習」でもあるのだ。
日本だとこの2つとも校内のリソースだけでやろうとするからブラック部活化するが、アメリカでは外注することでブラック部活化を表面上防いでいる。
ただし親の金銭的負担はアメリカの方がめちゃくちゃ大きい。平民層には手が出せない領域だ。
日本の吹奏楽部のブラック部活状態を改善するには、練習環境の外注化しかないのだが、そうすると楽器に触れない平民層が多数出てくる。
はなれていくホロライブ8
とはいっても、Vtuber達の全てがリスナーから離れて行っているわけではない。
当然のことながら大手となっていないVtuber達の距離は近いままだ。
しかしながら、ホロライブやにじさんじに所属するVtuber達が伸びていくの対照的に、
多くのVtuberが雨後の竹の子の如く増えていきながらも、殆ど伸びることもなくなった。
利益が上がらずに撤退・引退していく者たちが続出するようになっている。
それ以外は地下アイドルの如くにくすぶっているのと近いかもしれない。
例えばホロライブやにじさんじは新人Vtuberをデビューさせているが、
その伸び具合は他の事務所と比べてみても圧倒的に違う。
以下に例を挙げて比較してみよう。
例1:ホロライブの新人「ラプラス・ダークネス」 2021/11/26デビュー チャンネル登録者数 74.2万人 例2:にじさんじの新人「ローレン・イロアス」 2021/7/22デビュー チャンネル登録者数 27.8万人 例3:VERSEⁿ(ソニー・ミュージックレーベルズのブランド)「カガセ・ウノ」 2021/11/19 チャンネル登録者数 6120人
今は大手の事務所に所属しなければ伸びることが出来ないという状況になっていることが分かる。
では、ホロライブやにじさんじに入れば良いのか?というとそうはいかない。
纏めると
Vtuberとして大成するためには大手の事務所に所属する必要があり、
つまり、
Vtuber達は個人配信者や弱い箱で経験を積み、そして実力をつけることで、
成功した箱へと移籍していくというのが目指す流れになっている。
そこで問題となるのが、Vtuberの事務所がTVタレントなどと違い特異であることだ。
新しいVtuberの事務所でデビューするには、過去の芸名や姿形は捨てなくてはいけない。
(この辺は「Vtuber 前世」などで検索してもらう方が話が早いかもしれない。)
逆に売れなければ、将来が見通せず辞めていき、
個人勢や中小事務所がはぐくんできたVtuberとリスナーの近さは、
ホロライブやにじさんじによって引き離されて、収奪されていく事しかできない。
結局のところ、
売れていくにしろ、引退するにしろ、Vtuberたちはリスナーと離れていく。
Vtuberが生まれてから、ずっとそうだったのだろうが、互いの距離は絶えず変化していくものだ。
私がホロライブの3rd fesを見た時に感じた「離れていった感覚」は、
これまで述べた前提を考えれば私にとってこれからもっと強い実感となっていくことだろうことは想像に硬くない。
今後はそう感じることも少なくなっていくように思う。
しかしそれはVtuber達にとって輝かしい未来に進んでいるということでもあるだろう。
ただ、それが自分に合わなくなってきているということだけだ。
それは実感としていつまでも変わらない。それが良いという人もきっといる。
良い悪いではなくそう言うものだということが私は言いたかった。
さて、ここで文章を終えたいと思うが、
こういった時に「幸多かれ」というような文章で締めくくることが多い。
正直、ああいった「悟りすました態度」は気持ちが悪いのでやめておく。
幸など願われたくもないだろう。
だからこう言っておく。
私も君たちには興味がなくなった、さようなら。
はなれていくホロライブ3
前項ではVtuberの歴史から分析を行ったが、Vtuberの今後を書くために、彼らが持つ特性と売れた理由を分析しておきたい。
なぜならば、これこそが「ホロライブがリスナーから離れていく」理由につながっていくからだ。
Vtuberが現状に見られるほどにリスナーに受け入れられてきたのには、
以下のようないくつかの理由があると考えられる。
まず現実のアイドルやタレントまた生主とは違い、理想化されたイラストなどのビジュアルを持っていたことが大きい。
これはアニメや漫画を好んできたオタクに訴求され、生主やYoutuberとは違うリスナー層を獲得することになる。
ゆっくり実況を聴いてきたニコニコリスナーや声優ラジオの視聴者層もVtuberのリスナー拡大の一員となっているだろう・
2.配信頻度の多さ
前項からの繰り返しの解説になるが、Vtuberの配信頻度の高さ、供給の多さはリスナーの獲得に大きな影響を与えている。
ソシャゲは早くて1週間で1イベント、テレビ番組や番組では1週間で30分、漫画でも早くて1週間更新という中で、
専業Vtuberでは1日更新で数時間、兼業Vtuberでも週に2,3回の更新といったサイクルの早さが大きなアドバンテージとなっている。
更には上位層では1週間に30時間超という膨大なコンテンツ量が、
より多くの供給を求めていたオタク層に訴求できていた可能性がある。
事実として同じ事務所内で見た時に、配信時間が長いほど視聴者数が多い傾向がある。
例:ホロライブの2022年1,2月の配信時間と視聴時間のランキングhttps://twitter.com/Holo_Data/status/1498471655248523266
3.Vtuberの多さ
当時の生主や配信者にあこがれながら見た目で辛いを思いをしてきた人々の多くがVtuberに流れた側面もある。
特にのじゃロリおじさんや兎鞠まりのような「バ美肉おじさん」が生まれたことによって、
男性だろうとアイドルのように受け入れられると言った実績が作られて、
それが配信者たちの参加の敷居が低くしたのも大きいだろう。
その結果として、Vtuber全体の参加が多くなり、より多様なリスナー引き付けて、視聴者層を増やしていくことに繋がった。
4.リスナーとの近さ
ただ多くの売れた理由の中でもVtuberが人気になった要因として大きな影響があり、
さらに今現在の問題とも直接かかわってもいると自分が考えいている要因が、
Youtuberや生主、そしてVtuberはコメント欄やチャット欄でユーザーと即座に直で反応を返せる。
即時のレスポンス性の高さが。他と比べて大きな利点となっている。
また送られたマシュマロやスーパーチャットに対しての「お返事配信」などを行い、
1対1の対話を疑似的に楽しめるといった、気軽で距離の近い視聴の仕方が出来ることも大きい。
テレビの俳優や、雑誌に出るグラドルでは、気軽にできないようなファンとの距離感の近さが、
リスナーとの心理的な距離感を縮め、「応援したくなる感情」を作り出していると言える。
この点に関して、過去に現実世界で売れたアイドルやタレントの演出と比較をしてみよう。
・視聴者の購買数を引退と結び付けた「ポケットビスケッツ」や「電波少年」からつながる売り出し方
・視聴者の投票とアイドルのオーディションとを絡ませて応援する気持ちを煽った「モーニング娘。」
・ドンキの劇場で会える身近さや、握手会といったファンとの距離感を近づけて売れていった「AKB48」
アイドルには「身近さ」や「自分が応援しなくては」という感情を呼び起こすことが強い売りとなることが多い。
より親身な応援や、より切迫感をファンに感じさせ、支援活動を強くすることになっていったのではないか。
一方でVtuberは現世と隔絶した存在としてイラストや設定持っており、
例えばファンタジー世界の住人であったり、例えば架空の学園の生徒であったりと、
夢の世界の存在、またアニメの中の存在といった建前を持たせている。
(例:キズナアイは「電脳世界のAI」という設定を持つ。 他にもホロライブの猫又おかゆは「おにぎり屋さんで働く猫」、にじさんじの剣持刀也や「剣道部の高校生」という設定がある。)
むしろ逆に中にいる配信者本人の私生活や趣味嗜好をそのまま語っている。
例1:収録でも帽子を外せない話をするホロライブの湊あくあ(設定メイド) https://www.youtube.com/watch?v=tbK5nP_biXI 例2:飲み過ぎて改札で吐瀉した話をするホロライブのアキ・ローゼンタール(設定女子高生) https://www.youtube.com/watch?v=QGspko3seVM 例3:配信中に実の妹を登場させるにじさんじの文野環 https://www.youtube.com/watch?v=hzuaqG4uVOg
このように、Vtuberが虚構だけの世界ではなく現実世界と地続きであることをアピールして、
リスナー達に身近な存在であると、親近感を持たせることに成功しているのではないか。
理想と身近さの良い所どり・合いの子のような存在とも言えるかもしれない。
※ただし、Vtuberの喋っている私生活が現実に本当のことかは不明で、言ってることが嘘だとバレたことも多い。
Vtuberの設定とは別に、「中の人の設定」を喋っているだけの可能性は十分にある。
例1:イタリア旅行中と宣言しながら日本の廃品回収の音が配信に乗ってしまったにじさんじの郡道美玲 https://www.youtube.com/watch?v=JnOjyZjGQXU 例2:有名アニメのことを知らないと言っていたが元声優であったと噂されているホロライブの大空スバル https://www.youtube.com/watch?v=Mry71kaDmFc
それでも嘘をついてでも私生活を一種の売り物としているのは多くのVtuberで(生配信者でも同様に)見られる行為だ。
また、リスナーとの近さという点では、
上記のような私生活の切り売りによって親近感を呼ぶのとは別に、
Vtuberはその参入のしやすさからリスナーと近い存在としてみなされてきた。
それは例えば、Vtuber黎明期の頃に個人勢であり、自作の3Dモデルを使った
「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」が人気を博したことが大きいのではないか。
リスナーには「自分達でも配信者側・Vtuberとして参加することが出来る」と感じられた人が多く見られたように思う。
加えてVtuber黎明期のVtuber同士の仲の良さも身近さを感じさせるのに大きな影響があった。
Vtuber同士で集まってゲームをしたりオタク談義をする配信には、
「げんしけん」や「銀の匙」のような同好の士が集まったサークル的な楽しさがあった。
ある種、Vtuber達のコラボ配信はネットの著名人たちの「サロン」のようにも見えたのかもしれない。
「自分も楽しそうなVtuber達の輪の中に入れる入れるのではないか」
そう言った期待もまたVtuberたちを親身に応援させ、親近感を憶えさせ、
自分達と地続きの伝説として、より応援に熱狂さを増していた点があったのではないか。
そう言った点を分析するに至って、
VTuber Fes Japanは株式会社ドワンゴが主催するバーチャルアーティストによる日本最大級の音楽&トークライブフェスであり、今年の開催で第3回目を迎える。
今年が大きく違うのはステージ出演オーディション、「出ようぜ!VTuber Fes」が設けられていること。これにより無名のVでもライブ出演の可能性がある!
オーディション内容は一次、二次、最終審査とあるが、基本的にニコ生で視聴者から投げられたギフト(Youtubeでいうスパチャ)のポイント数によって順位が決まり、1位のみが出演枠を得るっていうヤバめのオーディション。
その最終審査が昨年12月18日に行われた。ある部門の1位と2位は獲得ポイントが200万近く、その差も2万ポイントしかないという大接戦の末、VTuber Fesに出演するVが決まった。
騒動となったのは、ドワンゴ運営による集計結果が有志調査による集計結果とは異なる結果だったこと。有志調査によると13万ポイントの集計漏れがあり、その結果1位と2位が逆転するのだ。
この指摘を受けて最終審査から10日後、12月28日にドワンゴは以下のお知らせ(https://onl.bz/9yueUNk)をHPに掲載した。
12月18日(土)に実施致しました、『【今夜決定!最終審査】出ようぜ!VTuber Fes ステージ出演オーディション2022』におきまして、生放送中に公表した各参加者の獲得ポイント数が誤りであることが番組終了後に発覚いたしました。
集計結果に誤りがあったという報告がされた。内容としては報告がされたのみで、具体的は集計結果や順位変動等は特になかった。
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その1か月後、2月4日に以下のお知らせ(https://onl.bz/qrMLZcx)が掲載された。
■原因
・集計を手動で行った結果、データの取りこぼしや計算ミスがありました。
■調査結果
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この発表を受けて、2位のVを中心としてドワンゴ運営に対して集計結果の開示等の「出ようぜ!Vtuber Fes」に関する正しい説明を求める活動が活発化していった。
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そして1か月後、3月14日についに運営から新たなお知らせ(https://onl.bz/kvj1m9m)が掲載された。
2021年12月18日(土)に実施した『【今夜決定!最終審査】出ようぜ!VTuber Fes ステージ出演オーディション2022』において、生放送中に公表した各参加者の中間発表及び最終結果の獲得ポイント数の誤集計の追加調査を実施させて頂きました。
結果、再調査のご報告(2022年2月4日(金)付)において誤りがあることがわかりました。以前の発表と異なる形となり、応援してくださった視聴者の方々、並びにオーディション参加者の皆様を失望させてしまったことを深くお詫びし、訂正させていただきます。大変申し訳ございませんでした。
集計結果が公開され、再調査によって問題となっていた部門の1位と2位が入れ替わったことが判明した。この二人に関してはどちらもVTuber Fes Japanに出演できることとなった。
【原因】
①生放送当日、手作業での集計とリソース不足により集計ミスが発生しておりました。
②再集計の結果、順位変動があることが発覚しましたが、生放送時に既に順位発表していたため、現場判断で順位変更しないことを決定し、その旨を発表いたしました。
原因は手作業による集計とあり、今後の対策として自動集計の導入を挙げている。さらに今回のオーディションで視聴者によって送られたニコニコポイントは全て返還されるという。
以上です。VTuber Fes Japan 2022は4月29、30日両日に幕張メッセ ニコニコ超会議2022特設ステージにおいて開催されます。よろしくお願いします。