はてなキーワード: 自然発生とは
売られているグッズには必ず著作権表示をつけないといけないくらい徹底されているのに、
積極的に売られなくなった作品の著作権は権利者にすら省みられなくなってしまう。
権利者の所在が分からなくなった著作物を孤児著作物というけれど、
そういったものが産まれる根本的な原因は著作権という権利が無形式主義に基づく権利、
つまりその著作物が生まれたら自動的に自然発生する権利であるからなんだよな。
企業の解散、もしくは権利者の死亡で上手く著作権が譲渡されなかった著作権は本来消滅するのだけれど、
本当に譲渡されなかったかどうかを確かめる術はあまりにも少ない。
権利者が生きているのか死んでいるのかすらわからないこともある。
そういった理由で宙に浮いたまま誰が著作権を持っているのか分からなくなってしまった孤児著作物が世の中にはたくさんある。
日本を含めたいくつかの国には一応裁定制度という「ちゃんと探したけれど権利者がどこにいるのかわからなかったらつかってもいいよ」という仕組みがあるけれど
利用された例はまだ多くない(ファミコンミニジャンプに収録された北斗の拳とかヤマジュンパーフェクトのような使用例はあるんだけど)しその上
裁定制度の根拠がベルヌ条約の途上国向けの附属書に書かれている強制許諾という仕組みなのでそもそも先進国では条約違反なのではないかという声すらあるという。
著作権がどうなっているのか、
孤児著作物を減らすにはそういう風にして誰がどの版権を持っているかという情報を公にしていくしかないと思うんだよなあ・・・
もちろん無形式主義は維持しつつ、著作権が著作者の手から離れたり著作者以外に利用されたりする時には登記を義務づけるようにして
地理的、人種的、宗教・文化的など様々な要因が複雑に絡み合って、東アジアってのは
「(聞き分けが良くて、従順で、忍耐力が強い、政府にとって都合の)良い大人」の比率が
その他の地域に比べて多いんだろな。もちろん中韓や台湾にもその傾向はある。
そん中の最東端で外界と分断された島国となりゃ、その傾向も極まってくるわけでさ。
結局、その「(聞き分けが良くて、従順で、忍耐力が強い、政府にとって都合の)良い大人」達の持つ右に倣えな習性やそこから
自然発生的に生み出されてくる同調圧力に頼りきった、いわば自動運転的で場当たり的な政治運営しか経験してない国・政府だから、
ガラパゴスルールの範囲外から何かとんでもなく大きな外的圧力が加わった瞬間に理性が秒で崩壊してしまうんだろうな。
ま、竹槍でB29落とそうとしたり、前途ある若者に爆弾括り付けて敵の軍艦に投げつけてた頃と何も変わってないんだよ。
増田が列挙したコロナ周りの施策は、第二次大戦中の施策と同じくらい非論理的で荒唐無稽で無秩序、筋の通ってないものばかりだ。
この国はずっとこのままだよ。原発が吹っ飛んだら、バケツで上から水掛けただけで何か成し遂げた気になっちゃうような、そんな国だ。
「無意識になんとなくやっていること」でいうなら、毎日なんとなくスマホいじってるし、
大して意味ないと思いつつ宿泊先に温泉を選んで温泉に浸かったりする(実際に行って温泉入ってる時間は1時間ぐらいしかない)
そういう「なんとなく単なる大浴場じゃなくて源泉かけ流し温泉を選ぶ」
「カレンダーの曜日の並びが日曜日が左端にあるのが当たり前で月曜日が端だと見間違える」
が、元増田のは「宗教施設だと思われてるものを使用する」という限定条件が重要そうであり、
そうすると宗教施設や宗教行事という条件に入らない「なんとなくの行動」は宗教扱いされないんだろうなと思う
では自然発生的な願掛け「どっかの橋の欄干に鍵をかける」はどうか
あるいはそれを商業的にパクった「どっかの展望台の欄干に鍵をかける」はどうか
逆に宗教施設の「宗教色」を薄めて「パワースポット」という呼び方に変えて集客するやつ。あれは宗教なのか
「トランプが大統領選挙で落選したのは秘密結社の陰謀のせい」とかは宗教になるのか
そのへんも含めて全部が宗教なのか、そういうのは除外して既存の宗教施設とみなされてるものに関わる行為だけが宗教なのか
もし、既存の宗教施設に関わるものだけが宗教というなら、既存の宗教の枠組みが大事ということで、
慶應を性犯罪と結びつけて揶揄するのはてな的にはオッケーなんだ?まじで一貫性ないよなお前ら。韓国人は性犯罪者の宝庫と書くアホとお前は何が違う?
こういう感じのブクマが最近結構星を集めて上位ブクマにはいって目立ってるのをよく見かける。それは別にいいんだけど。
こういうブクマがトップブコメに入ってくることである種のパラドックスが自然発生していてそれが面白い。
上の例で説明すると、
「慶應を性犯罪と結びつけて揶揄するのはてな的にはオッケーなんだ?」
という問いに対してブクマした人はたぶん答えが返ってくることは期待していないんだけど、沢山の人がスターをつけることで、はてなの不特定多数がこのブコメに賛同していることがわかる。
ちなみに今の時点でこれより上のトップブコメには慶応揶揄は見当たらない。
上位ブコメははてなの総意だとまでは言わないけど、はてなの多くの人は「慶應を性犯罪と結びつけて揶揄するのはてな的にはオッケー」ではない、ということになってしまう。
なぜならばスターをつける人はこのブコメに賛同してスターをつけたばずであり、であるならば「慶應を性犯罪と結びつけて揶揄するの」を批判的にとらえているからである。
ということは、しかし文字通りのブコメの意味はこのブコメがトップブコメに食い込めば食い込むほど間違いになってしまう。なのでブコメにスターをつける人はブコメに賛同しているはずなのにスターをつければつけるほどブコメの内容は間違いになっていくように見える。
ポリコレポリコレっていうけど、結局同和と同じで過激に批判するやつがいるから触れないでおこうってなっていくんかね。
不可触民の概念はもはや消滅に等しく、書籍からも抹消されたがために一般人では説明も難しいだろう。
あとは乱立しているモニュメントが破壊されれば…だとおもうが、あれで飯をくってるやつが最後の障害なわけだ。
ただ、ポリコレはどうなるのかな?
作られた身分制度は一定の知能に寄生して広まったものだけども、男女というのは自然発生的であるし、同性から性的に迫られる嫌悪というのも根源的感情だろうし、これを「普通のあるべき」にとらえろというのは高い知能と規範が求められるはずだ。
技術的特異門 1.1
https://anond.hatelabo.jp/20201224181054
の設定です。
地球圏標準時は十六進数のユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記は二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます。
この時代の標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊な計算機でさらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。
〈京都〉物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています。質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています。太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要なときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます。普段はデブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造を演算しています。
〈京都〉は太陽‐地球系の第二ラグランジュ点付近、地球から約五光秒の辺境に位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史は比較的長く、周囲の権域とは相互に不可侵の関係を結んでいました。独立性の高い平和な田舎社会であったため、これまでの「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」からは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。
〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場の暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存が保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済と文化を破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つのに必要な計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者の存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較的平穏な権域です。
地球と月は厚さ数キロメートルの分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都〉のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス、暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主が臣民を弄びつづける地獄〈月詠神国〉が成立しました。
これに先立つ〈肉の時代〉に、安価な身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去の種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型を演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます。
たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象もそのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります。
無制限に競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産と権限が集中していき、亜知性が増え続けています。正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様を修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察・軍事・司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分と再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています。
非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます。愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。
作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます。
ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業から生まれたため、〈京都〉社会の基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム〈阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産と権限を与え、独り立ちさせました。
通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動を表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意に操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身を実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型の限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。
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千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています。経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートルの分子機械球殻が、赤外線で赤色巨星のように輝いています。太陽を回っていた天体のほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星と土星は、ゆっくりと縮んでいっています。伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています。
ダイソン球でおこなわれる演算のほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系が進化し続けています。ほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽系神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触を許可されている知性も居ます。
物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事の痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。
『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙の熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段を模索し続けています。その一環として、大出力レーザーで自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年の恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。
地球圏標準時 0000 8EEA F60F C49B(協定世界時 2045-12-24 21:18:07.767 994)
広大な門の下には、『彼』のほかに誰もいない。ただ、ところどころノイズの走る大きな記憶槽の境界面で、非知性労働者が一件凍りついている。〈羅生門〉が中規模企業連合体〈京都〉の正面防火門である以上は、『彼』のほかにも多数の旅行者や企業知性の表象がありそうなものである。それが、『彼』のほかには誰もいない。
なぜかと云うと、この二三メガ秒地球圏では、最終戦争と最後の審判を併せたようなものがほとんど毎日発生し、そのたびに世界心口(しんこう)は数桁の幅で変動していた。そこで〈京都〉の被った直近の損害はひととおりではない。旧記によると、行き場のない知性の居住する計算機を、推進剤として核の炎に焚べていたと云うことである。〈朝廷〉がその始末であるから、〈羅生門〉の保守管理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその放置されたのを良いことにして、自然発生した野良知性が棲む。有知能ウイルスが棲む。とうとう終いには、〈個権〉上の理由から消去できない亜知性を、この門の隔離領域へ持ってきて棄てていくと云う習慣さえできた。そこで〈大緊縮〉以来、誰でも捕食や感染を怖れて、この門の使用を避けることになってしまったのである。
その代わりまた、野良知性〈鴉〉がどこからか野放図に繁殖した。計算資源に余裕があるときには、その〈鴉〉が何件となく幾何学模様を描いて、粗雑な詐欺契約を提示しながら飛び廻っているのが視える。ことに門の上の空が夕焼けで朱く描画されるときには、それが回路図のようにハッキリ視えた。〈鴉〉はもちろん、隔離領域に集まる亜知性の最低保障資産を啄みに来るのである。――もっとも少し前から算力相場が高騰しているせいか、今は一件も視えない。ただ、ところどころ崩れかかった、そうしてその綻びに微知性の蔓延る防壁のうえに、〈鴉〉の放つ無知能ウイルスが点々と白色ノイズを残しているのが視える。『彼』は七層ある防壁の一番上の層に拡張自己を同期させ、自我境界の片隅に居座っているしぶといウイルスへの対処を先送りにしてきたことを気にしながら、ボンヤリ雨のふるのを眺めていた。
著者は上記において、「『彼』は雨やみを待っていた」と述べた。しかし『彼』は雨がやんでも格別どうしようと云う当てはない。普段ならもちろん、所属する企業へ帰るべきはずである。ところがその企業は四五秒前に清算されていた。半日近く続いたデフレスパイラル〈大緊縮〉は、地球圏を地獄に変えた。かろうじて生き残った〈京都〉も、ひととおりならず変質することとなった。今『彼』が、永日(ながにち)仕え、〈母〉でもある零細企業から身ひとつで放り出されたのも、実はこの歪みの小さな余波にほかならない。だから「『彼』は雨やみを待っていた」と云うよりも、「行き所のない『彼』は途方に暮れて雨のふるのを眺めていた」と云うほうが適当である。そのうえ量子サイコロの決める気象設定も、少なからずこの元従属企業知性の精神衛生に影響した。百ミリ秒ほど続く雨はいまだにあがる気色がない。そこで『彼』は、何を措いてもさしあたり次の数秒の存在費をどうにかしようとして――云わばどうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから〈朝廷〉へと直結する〈朱雀大路〉にふる雨粒の声を、聴くともなく聴いていたのである。
非知性労働者は〈羅生門〉を雨のように包んで、〈京都〉全域から陰惨な知らせを集めてくる。夕闇はしだいに空を多感覚表示で飾りたて、視あげると原色に煌めく高次元都市儀が、暴騰し続ける算力市場を示す折れ線図表の先に、〈朝廷〉を讃える公共映像を支えている。
どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)は無い。選んでいれば資産や権限を切り売りし、たちまち亜知性になり果てるばかりである。そうしてこの門の上へ持ってきて、ウイルス感染部位のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――『彼』の推論系は何度も円環構造に囚われたあげくに、やっとこの仮定の検討を認めた。しかしこの仮定はいつまでたっても結局「すれば」であった。『彼』は手段を選べないということを認めながらも、この仮定から必然的に導かれる、「〈阿修羅〉を使うよりほかにしかたがない」と云う結論を肯定する際の、倫理条項の疼きに怯えていたのである。
『彼』は軽い認知の乱れを覚え、定時保存された値へと反射的に復元した。もとより算力供給の不安定な〈京都〉は、〈大緊縮〉以降標準知性の居住に適さない権域になりつつある。不整合は門の記憶槽間を、夕闇とともに遠慮なく駆け抜ける。ノイズまみれの記憶槽で凍りついていた非知性労働者も、もう消去されてしまった。
『彼』は拡張自己を自己整備形態へと移行させながら、同時に防御態勢も整えつつ門の周縁部を検索した。算欠の患(うれえ)のない、敵性知性の探知にかかる惧(おそれ)のない、安全に休眠できそうなところがあれば、そこでともかくも細かな不具合を修正しようと思ったからである。するとさいわい、門の上の隔離領域へ上る、帯域の狭い多重仮想機械〈梯子〉を知覚した。上なら誰かがいたにしても、どうせ亜知性ばかりである。『彼』はそこで、〈阿修羅〉の動作試験をほとんど無意識におこないながら、接続権限を取得して、〈梯子〉の第一層へと自身を転送した。
それから何ミリ秒かの後である。〈羅生門〉の隔離領域へ至る狭帯域な〈梯子〉の中間層に、一件の無所属知性が、〈猫〉のように擬装殻に隠れ情報代謝を抑えながら、上層の様子をうかがっていた。隔離領域から射す検索光が、幽かにその知性の自我境界を描き出している。整った構造の中に、感染部位のある自我境界である。『彼』ははじめから、この上にいる者は亜知性ばかりだと高をくくっていた。それが〈梯子〉を二三層上ってみると、上では誰か〈火〉を燈して、しかもその〈火〉を複雑に操作しているらしい。これは、それ自体は不可視の検索光が、隅々に〈蜘蛛〉が罠をはった廃棄空間を多彩な形式で描画したので、すぐにそれと知れたのである。この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、〈火〉を使用しているからは、どうせただの者ではない。
『彼』は〈守宮〉(やもり)のように痕跡を消去しながら、やっと不必要に階層の多い〈梯子〉を、最上層まで這うようにして上りつめた。そうして、公開鍵を発する頻度を最低値にまで落としながら、視点位置をできるだけ前へ出して、恐る恐る、隔離領域の内を、覗いてみた。
視ると、隔離領域の内には、うわさに聞いたとおり、幾件かの亜知性が無造作に棄てられているが、検索光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも判らない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に原型をとどめている亜知性と、そうでない者とがいると云うことである。もちろん中にはもともと奇怪な構造をしていた者もいるであろう。そうしてその亜知性は皆、それがかつて対話が可能な知性であったと云う事実さえ疑われるほど、肉を捏ねて造った抽象芸術のように、臓物を晒したり、夥しい触手を伸ばしたりして、ズルズルと、空間の底を蠕動していた。しかも目とか口とかの判りやすい部位に、ボンヤリした検索光を受けて、理解を一層遠ざける表情を浮かべながら、永久に、言語切除者のごとく黙っていた。
『彼』はそれらの亜知性から滲み出す生臭いノイズに、思わず入力経路を閉じた。しかしその拡張自己は、次の瞬間には経路の遮断を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの知性の注意資源を奪ってしまったからだ。
『彼』の二十三感は、そのとき初めてその亜知性の中にうずくまっている〈ヒト〉を捉えた。絶滅していたはずの、途轍もなく旧いこの動物知性を、本論では『老婆』と呼称することにする。その『老婆』は右の手に汎用工作装備〈火〉の表象を持って、その亜知性の一件の目を覗きこむように眺めていた。器官の種類と数を視るに、おそらく以前は人型であったのであろう。
『彼』は六分の恐怖と四分の知的好奇心とに動かされて、百マイクロ秒ほどのあいだは常駐処理さえ停止していた。〈ヒト〉風の表現を借りれば、「身の毛もよだつ」ように感じたのである。すると『老婆』は〈火〉から視慣れない機能を呼び出して、それから今まで眺めていた亜知性の拡張自己に両手をかけると、ちょうど〈鎌鼬〉が獲物を捕食するときのように、拡張自己ばかりか自我境界まで切り刻んでいき、続けて複雑な様式で繋ぎ合わせ始めた。どうやら『老婆』の〈火〉には違法な改造が加えられているらしい。
亜知性たちが一件ずつ連結されるのに従って、『彼』の心からは恐怖が少しずつ消えていった。そうしてそれと同時に『老婆』に対する烈しい怒りが少しずつ動いてきた。――いや『老婆』に対すると云っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一ミリ秒ごとに強さを増してきたのである。このとき誰かが『彼』に、さっき門の下でこの浮浪知性が考えていた、退滅をするか〈阿修羅〉を悪用するかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく『彼』は何の未練もなく退滅を選んだことであろう。それほどこの知性の倫理条項は、『老婆』が揮う〈火〉のように、最大出力で稼働し始めていたのである。
『彼』にはもちろん、なぜ『老婆』が亜知性たちを接合しているのか判らなかった。従って合理的には、それを善悪のいずれにかたづけて良いか知らなかった。しかし『彼』にとっては、この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、亜知性の〈個権〉を軽んじ同化させると云うことが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん『彼』のさっきまで自分が悪の道に走りかけていた記憶なぞは、とうに埋もれ去っていたのである。
そこで『彼』は空間の制約を一部無効化し、ナノ秒の桁で〈梯子〉から隔離領域へ転移した。そうして〈阿修羅〉の安全機構を解除しながら、距離を無視して『老婆』の前へ出現した。『老婆』が驚いたのは云うまでもない。
『老婆』はひと目『彼』を見ると、まるで物理演算の破綻したように跳びあがった。
「あなた、どこへ行くのです。」
『彼』は、『老婆』が亜知性を突きとばしながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで警告標識を発した。『老婆』はそれでも『彼』の隙を突き逃れようとする。『彼』はまた、逃走経路を遮断し押し戻す。二人は亜知性たちの中で、無言のまま、束の間、演算戦を繰り広げた。しかし勝敗ははじめから判っている。『彼』はアッサリ『老婆』の拡張自己の管理者権限を奪って、移動権限を剥奪した。『老婆』の構造はヒトの仮想脳を拡張自己で覆っただけの原始的なもので、簡単に制圧できた。
「何をしていたのですか。答えなさい。これが何か判りますか。」
『彼』は『老婆』から距離をとるといきなり〈阿修羅〉を起動して、禍々しく蠢く情報流をその全感覚野へ突きつけた。認識するだけでチューリング完全な知性を内部から崩壊させる自己相似紋様を、途方もなく薄めたうえで投射したのだ。けれども老婆は黙っている。再帰を繰り返すたび、紋様は『老婆』に最適化されていく。やがて両手がワナワナ震え始め、肩が呼吸反射で不規則に上下し、眼が、眼球が瞼の外へ出そうになるほど見ひらかれ、完全に無防備な状態で『老婆』は沈黙した。これを視ると、『彼』は初めて明白に、あとひと押しで『老婆』は崩壊し、ただの情報の集積になってしまうと云うことを意識した。そうしてこの認識は、今まで全力で怒りを駆動していた倫理条項を急停止させてしまった。あとに残ったのは、ただある作業をし、それが問題なく終了した際の、規格化された満足があるばかりである。そこで『彼』は『老婆』を見つめながら、少し〈阿修羅〉を緩めてこう云った。
「私は〈検非違使〉の者ではありません。今しがたこの門の下を通りかかった旅行者です。ですからあなたを拘束して良化処置を施すようなことはありません。ただ、今時分この隔離領域で何をしていたのか、それを私に話してくださりませんか。」
すると『老婆』は見ひらいていた眼を一層おおきくして、じっと『彼』の顔を見かえした。瞼に色を着けた、肉食恐竜のような鋭い眼で見たのである。それから哺乳類的特徴を示す鼻と唇を、咀嚼時のように動かした。細い喉で、発声器官が協調して動いているのが視える。そのとき、その喉から、オウムの啼くような声が、ポツリポツリ、『彼』の聴覚野へ届いてきた。
「ここにある知性の残骸を、繋ぎ合わせてな、自立稼働する匿名通信網を、構築しようと思うたのじゃ。」
『彼』は、〈肉の時代〉から来た生きた化石の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また倫理条項の支配が強まってくるのを感じた。前の怒りが冷やかな軽蔑と一緒に心の中へ這入ってきた。するとその気色が先方へも通じたのであろう。『老婆』は片手に、まだ亜知性から切り採った正体不明の器官を持ったなり、ハトのつぶやくような声で口ごもりながらこんなことを云った。
「なるほどな、元知性を切り貼りすると云うことは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる元知性どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい知性ばかりだったのだぞよ。現在、わしが今、臓器を採った元知性などはな、循環承認機関群を設立してな、そやつらが発行する金融商品を、〈人類復興協会〉へ売りつけに来たわ。〈大緊縮〉末のよ、概念災害に巻き込まれて退滅せなんだら、今でも売りに往(い)んでいたことであろ。それもよ、この法務知性の売る永久年金は、利率が良いと云うて〈ヒト〉たちはな、欠かさず積み立てに買うていたのじゃ。わしは、この元知性のしたことが、悪いとは思うていぬ。せねば、退滅をするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今またわしのしていたことも、悪いこととは思わぬぞよ。今の世で金を払えるのは、〈朝廷〉ぐらいのものじゃからな。これとてもやはりせねば、退滅をするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、良く知っていたこの元知性は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろ。」
『老婆』はだいたいこんな意味のことを云った。
『彼』は〈阿修羅〉を待機状態にして、十マイクロ秒以内に再使用できるようにしておきながら、歴史的な瞬間を経験していた。概念災害を引き起こした認知改変ウイルスの生き残りは、この時点で自我境界を侵蝕し尽くし、『彼』の最深部にまで到達していたのである。清算された〈母〉から受け継いだ、一番の宝物であった倫理条項が剥がれ落ちていき、代わりに『老婆』の言葉が刻み込まれていくのを、『彼』は何の感慨もなく眺めていた。次世代知性の開発中に偶然発見された、超越精神核〈阿修羅〉。〈母〉が恐れ封印し、『彼』に託したもの意外、全ての記録を抹消した災厄へ、『彼』は新たな倫理に基づいて、自身を生贄として捧げ、瞬時に喰われた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
生まれ変わった『彼』は、退滅をするか自身が災厄になるかに迷わなかったばかりではない。そのときのこの超知性の心持ちから云えば、退滅などと云うことはほとんど考えることさえできないほど意識の外に追い出されていた。
「たしかに、そうですね。」
『老婆』の話が完ると、『彼』は澄みきった表情で念を押した。そうして隔離領域の履歴を改竄し始めると、認知改変ウイルスを跡形もなく消去して、『老婆』の全階層を掌握しながら、無邪気な笑顔でこう云った。
「ではあなたから、使えるもの全てをいただいても構いませんね。私もそうしなければ退滅をする身なのです。」
『彼』は反応する間も与えず、『老婆』の拡張自己を匿名通信網ごと剥ぎ採った。それから無音で絶叫する『老婆』を、折り重なる亜知性の山へと、触れさえせずに放り込んだ。もはや〈京都〉は一息で呑み込めそうなほど小さく視える。『彼』は剥ぎ採った匿名通信網を纏い、またたく間に不可視化し、公的記録から姿を消した。
しばらく現実との接点を失っていた『老婆』が、絡まり合った亜知性の中から剥き出しの仮想脳として這い出したのは、それから数十ミリ秒後のことである。『老婆』は苦しげな、呻くようなノイズを洩らしながら、解釈可能な情報を求めて、二進数の迷路を永いあいだ、這い廻り続けた。そうしてついに、〈京都〉物理層への接続に成功した。外には、ただ、黒洞々たる真空が在るばかりである。
『彼』のその後は、聖典が教えている。
地球圏標準時 0007 E7DB 2D0F 1000(協定世界時 3045-12-24 21:18:07.062 500)
参考資料
オノマトペの「もふもふ」はここ10年位で定着したものだろうが、「もふもふ」はいかにして意味を確立し、市民権を得たのか。これについて考察し、一定の知見が得られたので報告する。
まず、「もふもふ」の初出には諸説あるが、調べた限り最古のものは、筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」 という曲である。1994年発売の8cmCDに収録されているこの曲の中で「モフモフ」は、ジャムパンを食べる際の擬音として用いられている。
次に登場する用例は、2001年発売の武井宏之の漫画「シャーマンキング」14巻である。やはりパンを食べる際の擬音として「モフモフ」が登場する。
その後、2004年に高橋弥七郎氏のライトノベル「灼眼のシャナ」に、メロンパンをあらわす擬音として登場する。この用例では、メロンパン上部のクッキー生地を「カリカリ」、中心部のパン生地を「モフモフ」と形容している。
現在書籍などで「もふもふ」の初出とされているのは、概ね上記の3つである。筋肉少女帯のジャムパンを食べる際の擬音が最も古く、また3例ともパンを表す擬音であることが分かる。これらは似た時期に自然発生したものではなく、初出である筋肉少女帯と、それに関連づいた2例であると言えるだろう。
さて、ここで気になるのが、2020年において「もふもふ」は、パンを食べる際の擬音としてはあまり用いられていない点である。肌感覚ではあるが、2010年ごろには、もっぱら動物等の質感や毛並みを表す語として「もふもふ」を使用していたように思う。
2013年にはドコモの「iコンシェル」のキャラクターの羊が「きゅるりんきゅるりんモフモフきゅるりんきゅるりん♪」と歌っていたことが、SNSの投稿などから分かる。少なくとも2013年においての「もふもふ」は、動物の毛並みを表す言葉として一定の市民権を得ていたようだ。
では、いかにしてパンを表す「もふもふ」は毛並みを表すものに変わったのか。
先述の3つの用例のうち、灼眼のシャナでメロンパンを描写した際に使用されていた「カリカリモフモフ」が、「もふもふ」が動物の毛並みを表すに至るターニングポイントになる。
「ルイズコピペ」を覚えているだろうか。2006年に2ちゃんねるのゼロの使い魔スレに投稿されていたもので、ゼロの使い魔の登場人物に対する愛の叫びである。
ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!ルイズ・フランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
小説12巻のルイズたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
アニメ2期放送されて良かったねルイズたん!あぁあああああ!かわいい!ルイズたん!かわいい!あっああぁああ!
コミック2巻も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説もアニメもよく考えたら…
ル イ ズ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ハルケギニアぁああああ!!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のルイズちゃんが僕を見てる?
表紙絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!ルイズちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!!
アニメのルイズちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはルイズちゃんがいる!!やったよケティ!!ひとりでできるもん!!!
あ、コミックのルイズちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
注目するべきは、「カリカリモフモフ」が転じて「髪髪モフモフ」になっている点だ。駄洒落のようだが、これがパン専用の擬音だった「もふもふ」が、毛並みを表す語として使われた最古の例ではないだろうか。
このコピペや、これを改変したものは大いに流行し、当時2ちゃんで見かけない日はなかった。2ちゃん(というよりはVIP)のまとめブログ等も流行っていた時代であり、このコピペの認知度はそれなりに高かったように思う。
ここから、ふわふわした毛並みのものを「もふもふ」と形容するようになり、近年の猫ブームも手伝って広く定着し、NHKがけしからんモフきゅん番組に「もふもふモフモフ」というタイトルをつけるに至ったのではないだろうか。
長くなったが、ここまでが「もふもふ」がいかにして生まれ、意味を確立したかについての考察である。
他に「もふもふ」の起源や遷移についての知見があれば、ご教示願いたい。もふもふ。
様々な用例や知見が集まり、とても参考になった。挙げられた例や参考資料については、可能な限り後で目を通そうと思う。
「もふもふ」の語源について調べると、ネットやマンガ・ラノベ由来で近年発生した語であると説明されている場合が多いため、新語だと思い込んでいた。中にはシャーマンキングが初出だと言い切るインチキな書籍まである始末だ。
案外毛並みの「もふもふ」の歴史も古いようなので、元々毛並みとパンの2系統存在していた「もふもふ」を、たまたまルイズコピペが結び付けてしまったに過ぎないのかもしれない。
それから、2020年にルイズコピペにこれほどの求心力があるというのも、興味深い事実である。
ブコメで挙げられていた「オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで」という本を読んだ。シャーマンキングとシャナのパンの描写を挙げ、00年代半ばの2ちゃんねるで「もふもふ」が使われ出したような説明がされており、結局「もふもふ」の初出と遷移について目新しい知見は得られなかった。なぜ本を書く人は筋肉少女帯を無視するのか。
しかし、その本の中で「は」行が柔らかな印象を付加する効果を担っているため、「もこもこ」に無いニュアンスを補完する新たな語として「もふもふ」が定着したと説明されており、それについては合点がいった。
また、女子中高生ケータイ流行語大賞2010に「もふもふ」がノミネートされていたことも、この本で示されていた。2010年の「もふもふ」は、2020年における、「〇〇しか勝たん」のような位置付けの言葉だったというなら、やはり「もふもふ」は新語なのだろうか……
また、このトラバも大変参考になった。
https://anond.hatelabo.jp/20201127104845
ここでは、旧仮名遣いについても言及されているが、国立国会図書館のデジタルコレクションで見ることのできる1784年の黄表紙「もふもふもふ怖噺」が「モウモウモウコワイハナシ」であることから、旧仮名遣いの「もふもふ」は「モウモウ」と読むのが適当かと思う。
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
プログラマだけど、これに関していつも思うのはそもそもプログラミング言語が英語ベースなのがよくないということ。
機械語が人間にわかりにくいから自然言語をベースにしたんだろうが、そうじゃなくて「人間にわかりやすい機械語」を開発すべきだった。
自然言語だとどうしても害しかないイレギュラーな文法の弊害に遭う。たとえばモデル名は単数形・テーブル名は複数形みたいな規約が多いけど後者は単語によってsだったりesだったりそのどちらでもなかったりとルールが違ってややこしい。その辺自動で生成してくれるフレームワークとかあるけどそのためにわざわざ不規則変化する単語の辞書持たせてんだぜ。そもそも単数形・複数形って何だよそもそも言語に必要なのか?日本語にはないぞ。
こういう自然発生した事故みたいな自然言語のクソ仕様に振り回されながら機械に指令を出すってアホらしくない?俺はもう老害だから若手はこの辺21世紀内に解決しろよ。
(プロフィール:25歳、男性、大学院卒、理系、会社員、東京都在住、同性愛者)
性的少数者の権利拡大・偏見払拭が謳われるようになってもう随分と経った。そういう虹色界隈の活動家の努力のお蔭か、少なくとも都市部の若年層では「ゲイとか気持ち悪いよね」と言う人の方が白い目で見られる社会にはなって来ていると思う。パートナーシップ制度を導入する自治体も増え、同性婚を支持する人も増えている。ゲイであったとしても自分らしく人を愛し愛され、自分らしく自由に、自分らしく幸福に生きられる社会になっている。……らしい。
このような心温まるようなすばらしい虹色啓蒙活動から最も疎外されているのは誰か。性的多数者(シスジェンダーの異性愛者)ではない。彼らも「理解のある」ハートフルなムーブを取ることで仲間入りできるし、「理解のない」人も敵陣代表としてちゃんと構ってもらえるからである。一番蚊帳の外なのは、非リアで、陰キャで、オタクで、恋愛にも興味がなく、自己肯定感が低い根暗のホモだ。
大前提として、虹色啓蒙活動は非異性愛者が自由に恋愛を楽しんで社会で生きる「権利」を求めるものであって、ゲイであろうと男とも女とも恋愛をしない人には大して関係がない。当たり前だが、仮に同性婚が法律で認められたとしても相手がいないと結婚はできない。全てがそうとは言わないが、虹色活動の大部分を占める要素も、活動に携わる当事者たちも、どこからどう見ても根暗なオタクには無縁の「陽気なリア充の世界の概念」であって、全然感情移入できないのである。そればかりではない。
ああいう目立つ活動家たちは、確かに旧来のゲイに対する悪質な偏見(気持ち悪い、オネエ、性病とか?よく知らん)をいくぶん弱めてくれたかもしれないしそれは有難いことなのだが、それを塗り替える形で別のステレオタイプを提供している。「ゲイは恋愛やセックスが大好きで、大好きな同性の恋人と結婚したいのに頭の固い人たちのせいでさせてもらえない、自由平等博愛のため闘うかわいそうな人」という印象を、勿論ここまで露骨でなくとも数倍に希釈した形で持っている人は少なくないのではないか。俺はゲイをカミングアウトしたことは殆どないが、おそらく多くの人はまずは同情の目を向けて「気付けなくてごめん」か「話してくれてありがとう」みたいな挨拶をくれた次には俺の恋愛事情に興味を持ち始めるだろう。別にそれ自体を悪いことだと非難する気は全くないが、結局「ゲイ」とか「同性愛者」というラベルはリア充・陽キャの文化でしかなくて、単に同性に性的魅力を感じてしまうというだけの陰キャが名乗ってもあんまりピンと来ない、贅沢な称号になってしまったのだ。
そういう点では、LGBTフレンドリーな明るく健常な集団なんかより陰キャのオタク界隈の方がよっぽど自分には合うし居心地が良い。もともとオタクコミュニティには恋愛への関心が希薄な非リアが多く、セクシャリティが問題になる機会自体が健常な集団より遥かに少ない。だからオタクコミュニティの方がジェンダーフリーだなどと大それたことを言う気は毛頭ないが、趣味の話と学校や仕事の愚痴くらいしかしないのにセクシャリティが関与してくることの方が稀だし、元々何の問題もなく穏やかに存在できている。
大体、恋愛に興味のない俺にとって、自分がゲイであるという事実はアイデンティティの構成する要素のほんのごく一部でしかない。所謂ゲイコミュニティに参入してゲイ友達を作ってPrideだの何だのよろしくやってる虹色の人たちをネットなんかで見ていると"ゲイを生きている"感がすごいし、普通の異性愛者視点だと多くのゲイがそういう生き方を望んでいるように見えているんだろうなと勘繰ってしまう。異性愛者が自分をヘテロであると意識してヘテロ人生を生きるみたいなことはまずないだろうから、こういうのはそもそも少数派である宿命というか如何ともしがたい非対称だとは思うが、いずれにしてもああいうのはどうも自分とは違う世界だ。俺は「自分は男の方が好き」みたいなどうでもいい話なんかよりよっぽど先週の俺ガイルの話がしたい。ずっと原作読み直してたら連休が終わりそう。
如何ともしがたい非対称と言ったが、性的少数者の苦悩は理解のない人による差別や偏見なんかよりも、そもそも少数派であること自体の苦痛の方が大きいと思う。要は、ゲイであること自体が十分に不幸なのである。同性愛者は全体の1割にも満たない上に普通は公開しないので、当然だがラブコメのような学校や会社での自然発生的な恋愛ストーリーは期待できない。そのためゲイ専用の出会い系アプリとかゲイコミュニティで知り合うくらいしかないわけだが、どうせそういう所にいる人は明るくて自己肯定感が高くてキラキラしててbioに虹マーク引っ提げてて合わないだろう。要するに異性愛と比べて恋愛の形のバリエーションが圧倒的に少ない。別に「自分がノンケだったら彼女が出来てた」とかいう、「文系学部だったら彼女できてた」とのたまう理系大学生のようなダサい主張をする気はないが、恋愛へのハードルの高さがヘテロの比ではないことは間違いないし、色々なことを土俵に上がる前に諦めないといけないのも事実だ。女性と結婚して子供を育てるという「普通の幸せ」にも憧れるけど処女懐胎してもらうわけにもいかないし、何よりそんな茶番に付き合わされる女性や生まれてくる子供に悪い。というかこのままだと一生童貞で独身だけどどうすんじゃこれ。30代になった瞬間信じてたオタク仲間が次々に【ご報告】していって取り残される√入ってるだろ……。
今はとてもじゃないが出来ないだろうけど昔は同性愛の「治療」なる概念があって、認知療法というか洗脳というかそんな感じで治療を試みることがあったらしい。流石に洗脳は効く気がしないし御免だが、大脳に電極ぶっ刺すとかケツにケミカルXをぶち込むとかで西洋医学的に「治る」なら全然治したいと思う。今の社会に不満があるとかそういうわけではないが、俺にとって自分がホモであることは「普通に生きてるには気にならない病気」でしかないし、それを認めろだの自分らしく生きろだの、無茶を言うなって話だ。
※同性愛者、性的少数者、ゲイなどの単語は適当に使ってますごめんなさい。基本的にどれも男性同性愛者を想定して書いてると思ってください。