はてなキーワード: 臨床心理士とは
別居に至るまでは色々あって、
一つ一つはどの家庭にもあるようなことで
でも、やめてほしいと言っても嘘をつかれてやめてもらえない、
やってほしいと言ったことは嫌な顔をされてやってもらえない、
家事も育児も仕事もしながら、自分の気持ちに向き合える余裕などなくて、
ただ毎日なんでこんな人と結婚してしまったんだろう、なんでこんな人と子供を作ってしまったんだろう、
と毎日毎分思いながら、その相手の食事も作って片付けて洗濯もして、一緒に生活するのは本当につらかった。
別居後、子供が保育園に行っている間に夫と二人で話をする時間を作って、
想像していたよりも長期間、結婚前からずっと嘘をつかれていたことを自白されて、
やっとこの10年近くの間に自分がされてきたことの全体像が分かった。
(まだ隠してることがあるんじゃないかとも思うけど。)
混乱した状態で毎日のようにLINEで親しい友人に話を聞いてもらって、
(この友人には感謝してもしきれない。)
自分の状態を検索して最初にたどり着いたのは、「カサンドラ症候群」という言葉で、
wikipediaの記述を読んで、自分のことが書いてある…と衝撃だった。
アスペルガー症候群の項目も読んだけど、夫に当てはまるような、当てはまらないようなで、よく分からなかった。
それからカサンドラ症候群を自称している方のブログやtwitterなどを読んで、書かれている旦那さんのこと、気持ち悪いくらいうちの夫と一緒だ…と思って、
本当にどの人の行動も言動も似すぎていて気持ち悪くて、それからはあまり調べたりしていない。
別居前から食欲不振や動悸などの身体症状もあり、仕事に支障も出ていたので
カウンセリングと心療内科を調べて、まず近くの臨床心理士さんのいるカウンセリングへ、泣きながら予約の電話をした。
そこで夫との関係のこと、夫の行動、自分の気持ちなどをカウンセリングの先生に聞いてもらい、
自分はカサンドラ症候群なのではと思っているというのも話した。
カウンセリングの先生も「僕も話を聞いていて旦那さんは発達障害の傾向があるのではと思った」と言って、夫に受診を勧めるように助言してくださったのだけれど、
そこから実際に夫が発達障害の検査を受けるまで、3か月以上かかった。
その間に私はカウンセリングですすめられた心療内科にも行き(適応障害と診断、安定剤を処方してもらったけど効果はよく分からず)、カウンセリングも月2回のペースで通っている。
これまでのカウンセリングでは私自分のことよりも、夫の問題(発達障害疑いと風俗依存)へのアプローチが中心だった。
紆余曲折あって、結局夫も私と同じカウンセリングに通うことにしたようで、検査もそこで受けて、検査結果は数日前に夫に伝えられたようなのだけど、
「○日に結果を聞いたら連絡する」と自分で言った夫から私に報告はなく、結局私から夫に催促して聞いた。
IQテストのような検査で、結果、ASDの傾向は低いとのことだった。
それじゃあ私のこの状態はなんなのだろう、やっぱり夫が思っているように私が完璧主義のモラハラ妻なのか。
夫のことが憎くて仕方がなくて発狂したように責めてしまう私が人格障害なのか。
風俗通いとアスペルガー的行動は別問題としても、夫のことは本当に理解できなくて気持ち悪いし、
カウンセリングの先生からは、「旦那さんに何かしらのコンプレックスがあって風俗通いやセックスレスはそれが原因だろう」「あなたに対しての態度や言動もコンプレックスの裏返しでしょう」とのことで
これからは夫婦カウンセリングで、夫婦として夫の性の問題に向き合っていきましょうという感じなのだけど、正直もう自信がない。
息子と二人の生活を4か月近く続けて、
それは仕事しながらのワンオペ育児は大変だし落ち込むこともあるけれど、
保育園も頼りにさせてもらえているし、話ができる友人もママ友もいてくれるし、
何より何もしない、不機嫌な顔でただそこにいるだけの大人が家にいないというだけで
こんなに楽しく軽い気持ちで過ごせるのだ、子供との生活はこんなに毎日充実しているのに、
これがもし、夫が戻ってきたら、また夫と暮らしていた頃の自分に戻ってしまうのか、とこわいし、
そうならないために、冷静に冷静にと自分を押し殺して我慢して、そうしてまで夫婦でいる必要はあるのかな…子供のためにもよくないよな…
あーもう全部投げ出して消えちゃいたい。
30代前半のおっさん、もともと男らしさとか女らしさとか性別をもとに役割を押し付けるのが嫌いでフラットに付き合うことを理想と感じてたけど、そんなポリコレ的な発想をつぶす出来事があった。
おっさんは彼女がほしくてマッチングアプリを使ってたのね。実際に女性と何人か会った。おれはうつ病の既往歴がある。幸い病気は長引くこともなく1カ月で全快し、今に至る。病気をきっかけにさくっと転職して年収もかなりあがった。そんな中でアプリを通じて2回会って真剣に付き合いたいなと思った人には3回目に会う前に既往歴を打ち明けようと決めていた。だって、付き合う前にそのことを知りたいと思う人はかなりいるだろ。もともとかなり元気なこともあって既往歴を信じてくれない人もいる性格だ。黙ってればバレないけど、誠実でありたいと思い打ち明けるようにしてた。
既往歴を打ち明けてどうなったと思う?それがまあ相手が引くんだよ。びっくりするくらい。ほんとうに対応が全然変わる。それまで相手が築いてきた俺のイメージを余裕で越えて知った前後で反応がかわる。
既往歴があると知らないまま俺に興味を持ってくれた人とうまくいって2回デートするじゃん。それでデートの後に相手からまた会いたいですって言ってくれる人も結構いる。それを踏まえてじゃあいざ3回目に会う前に電話とかで既往歴ありますって言う。相手は「全然気にしないよ」とは言ってくれるけど、まあいざ3回目に会ってみたら明らかに冷めてるわけ。え?こんなに人は変わる?っていうくらい。
そして、3回目のデートをしても全然付き合うに至らない。病む前にもマッチングアプリを使ってたことはあって付き合うに至った人はいる。でも、明らかに既往歴があるのとないのとでは反応が全然違う。それでも、身近な人との出会いもないし、まいったなあと思いながらもアプリを使ってた。
ある時マッチングした人と会う前に電話することになった。その人は韓国系のクォーターの臨床心理士だった。日本で生きる韓国系の人はアイデンティティの整理がうまくいかなくて生きづらさを抱えてる人が多いんじゃないかと思う。在特会とかひどいこと叫ぶし、少なくともある韓国系の人がうまく適応できていても、あわせて韓国系が日本で差別されるという事実は知っていると思う。
その人は電話でクォーターなんですよと突然前触れなく打ち明けてくれた。まあおれは今がどんなパーソナリティかってことに興味が一番あるから、そのこと自体は気にしない。どっちかといったら韓国に留学してたこともあるしで親近感を抱く。でも、その打ち明けてくれたことが日本社会ではオープンにしにくいことなんだってこともわかる。勇気がいることなんだろう。ただでさえ臨床心理士が低収入の職業なのに加えて、同時に彼女が言うにはなかなか正規で働くことが難しい体質でもあるらしい。とても大変だと思う。つらいんですね。
それで、相手も大切なことを打ち明けれくれたんだしと思っておれも既往歴を言ってみた。会ってない人に言ったのは初めてだった。それでも話は盛り上がってじゃあ何日のどこで会いましょうというところまでいったんだけど、後日、やっぱ会うのは無理ですということを一方的に通告された。約束までしてのそんな反応は初めてだった。
拒絶されるのは慣れたつもりだったけど、思いのほかショックだった。
たぶん、こっちがフラットな関係を構築する姿勢を示せば向こうも役割を超えて人間性を見てくれるんだろうなと無邪気に期待していたんだと思う。いや、もちろんおごるおごらない論争があるし、男がお金を多めに払ったりおごったりすることが多くの女性に期待されていることは知っていた。だから、会った人には基本的にはおごるようにしていた。既往歴を伝えたときの反応で期待はバキバキに折られつつあったけど。
とはいえ、臨床心理士のように人の心の痛みと向き合う仕事をしていて、自身も同時に差別にさらされている人は、なんというか、人の痛みに共感できる人なんだと思ってた。本当に能天気だけど、差別されうる立場だからこそ差別する側の立場になることの無意味さを実感しているのではないかと思っていた。
うつ病の既往歴は性別間の役割から考えたら本当に赤点だと思う。だって女からしたら食わせもらえなくなるかもしれんし。
この出来事があってから、自分はフラットに相手と向き合うことをやめた。同時に、付き合って信頼関係が築けるまで既往歴を打ち明けるまいとも決めた。これまでと違ってフラットではなく、まかせろ、おれが社会的にも経済的にも守ってやるっていう役割を意識して女性と接するとどうなると思う?まあ、反応がさらによくなるわけ。
経済的なリスクを分担してフラットな関係のもとに互いを守り、守られたいと思ってる女はすごく少ないし、ATMを期待している人がどれだけ多いかってことをうつ病になってから本当に思い知ったよ。相手にATMを期待する裏返しで生む機械でありたいと思ってる女はかなりいる。言い換えるね、甲斐性のある稼げる夫がいて、私は家を守る良き母親でありたいと思っているようなやつ。
ポリコレ的に間違ってるかもしれない。でも、多くの女性は男性としてそうした役割通りに振る舞うことを相手に期待している。口では平等がいいとは語っても支える側にいく覚悟のある女は本当にすくない。あるいは、相手を支えてもいいと思える範囲について、女のストライクゾーンは男性が女性に対して持つのたいして明らかに狭い。
女性は出産があるから経済的に不安定だという人もいるだろう。つまりそれじゃん、その理屈が正しかろうがだからこそ事実として男をATMと思いたいんだろう?
だから、本当に言いたい。ポリコレなんて正しいだけでほんとうにつまらないですよ。おれはリベラルでいようという気持ちを捨てた。
僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。
けど、問題解決よりもまずは共感を必要としている人たちっているから
たとえ問題を解決する完璧な正解があったとしても、本人が動かないことには何も始まらない
話を聞くだけで解決を提供しないなら意味あるの?って思うかもだけどプロの話聴き屋だよ
話聞くだけなんで、ぶっちゃけ資格要らないと思うけど、有資格者でもヤベーヤツゴロゴロいる世界みたいなので、
ハズレに当たらないように有資格者の方がいいと思う
臨床心理士です、興味深い意見が沢山あって、増田の主張にも7割位まで同意できる気がするけれど、
「そもそも増田が否定しているのは何か」という所で議論が混乱し、余計な火花が散っているように感じます。
いや泥沼のベトナム戦争に放り込まれて一週間もベトコンにおびえながらジャングルをさまよったり
爆弾で吹っ飛ばされた戦友のはらわたかき集めて脚を探したりしてたら
それはなんか後遺症とか出るのかもしれない。
と言ってる通り、(これを傷つくと呼ぶつもりかはわからないけど)ネガティブな出来事の経験によるダメージが、
後々まで尾を引くということがあることは、増田も認めてますので、「人間は傷付かない」とまで言ってるわけではないと思われます。
「傷付いた」っていうののほとんどは単にむかついただけだと思う。
嫌な出来事に対して、ロクに主体性を持って対処をしようともせず、「傷付いた!」と喚き散らして、
一方的に被害者ぶる人がいたら、多分私も嫌悪感を持つことはあるかなと思いました。いますよね、そういうクレーマー。
ので、「傷付く」という概念そのものを否定しているのではなく、
(増田から見て)安易に自分に「傷付いた」というラベル張り付けてしまうことを否定してるのではないでしょうか?
ここまでは概ね私も同意します。安易に「傷付いた」という言葉を乱用するのも不適切です。
それならば、「傷付いた」と言ってよい時って、どういう時でしょうか。
ただムカついたりビビったりするだけ。
これも中々鋭いと思います。普通、何か嫌な出来事に遭遇する時の感情って、
まずは「怒り・悲しみ・恐れ・驚き」など、比較的シンプルなものです。
シンプルな感情生起の後に何をするかが、人によってかなり異なります。
増田のように「やり返す」という明快な方法で感情を解消する人もいます。
一方で、色々な理由で、行動を起こすことが苦手で「ムカつく!でもやり返せなくて情けない」とか
「悲しい!でもいきなり泣くのも不適切だし、苦しい!」のように、”感情に対する評価"が始まる人もいます。
"感情に対する評価"にはプラスもマイナスもあるのですけれど、マイナスにはたらくと、
往々にして「恥ずかしい」「情けない」「妬ましい」とか、色々複雑な感情が次々と生じてこじれます。
こういうのを「二次的感情」と呼んでます (この辺は一瞬なので、いきなり二次的感情が発生するように見えますが)。
二次的感情は中々解消が厄介なことも多く、人によっては解消されないまま残ったりします。
説明のための若干極端な例ですが、「いやなことを言われてムカつく&悲しい&驚いた」という最初の反応から、
「その場ですぐ怒れなかった自分が情けない」
みたいな色々な二次的感情が生じて、色々からまって、自分の中で何だか整理しきれない、つらい体験の塊として残ることもあります。
こういう整理しきれないつらい体験の塊を、一言で言い表すならば、やはり「傷付いた」が最もふさわしい場合があると思います。
言葉としてはシンプルですが(ゆえに安易に使えますが)、よくよく見れば色々な感情が絡み合った複雑な状態です。
それでもむかついてるならやりかえせよ。
とおっしゃる増田のように、感情を解消するためにすぐに反撃行動を実行できれば、怒りが解消され、当然傷付くこともないですよね。
ただ、残念ながらすべての人間が増田のように強いわけではありません。私が同意しにくさを感じるのはこの点です。
なんも余裕なくて必死に生きてる奴は傷付いたーとか言ってられんし。
様々な理由で、ストレートな対処ができない方は世の中にいらっしゃいます。
この発想がもう少し極端になると
「いじめなんか、やり返せばいいじゃん!本人が弱いのが問題だよ、徹底的にやり返せばいじめなんてなくなる」
「本当に過酷な環境ならば、頑張って本人なりに問題を解決しようと努力するはず。本人がそうしないうちは、まだぬるま湯」
言葉のあやだと思うので、無粋なツッコミかもしれませんが、動物、例えばイヌやネズミだって
辛い出来事で落ち込んで無気力になったりしますし、途上国でも自殺やうつ病の問題はとてもたくさんあります。
(もちろん正確には「うつ病・無気力=傷付いた」ではありませんが)
※前者は有名な話なので「学習性無気力」とかで調べてください。
後者は例えば https://japan-who.or.jp/wp-content/themes/rewho/img/PDF/library/061/book6402.pdf
◆
長くなりすいません。
自分の感情をロクに分析せず、対処せず、安易に傷付いた!と主張される方に不快感を示すお気持ちは、一定程度共感します。
ですが、どんなに平和な世界で暮らしていても、ベトナム戦争なんかに行かなくても、やはり「傷付く」人はそれなりにいるものです。
確かに、その場で即座の反応ができていれえば、「傷付き」として残ることもないと思いますが、それって、誰もが簡単にできることではないのです。
もどかしさや苛立ちをお感じになるかもしれませんが、即座に反撃できない人たちは結構います。
ついでに言うと、色々な経験の積み重ねの結果「傷付いた」とすぐに言うしかできなくなってしまったクレーマーとかにも、
背景をちゃんと見ていくと、そうなるしかなかった経緯もあったりするものです。
誰もが強いわけではなくて、弱いのは本人が100%悪いとも言い切れないらしいということを、ちょっと気に留めて頂けると、ありがたいなぁと思いました。
あの頃のことを書きたくて初めてはてな匿名ダイアリーに登録しました。
その頃の私は、見た感じは明るく、普段からハツラツとした人間で、
グループでもいわゆる盛り上げ役みたいな存在だった。てか今もそう。
祭りとかもどんどんいってました〜
たまに辛いなあ〜と思うくらいで、
そんなに苦しい!とか死にたい!とか
思ったことはなかった。
自分でいうのもなんですが、
そんな楽しくルンルン!で生きていたある日、
「ブス」と。
私はその日、その言葉をいわれた瞬間から次の日の朝までの記憶はほとんどありません。
私は先輩にとあの言葉を言われたあと
高い所にのぼり、、、。
真似されたりとかも困るので具体的なことは書きませんが、
わたしは次の日の朝、ベッドで傷だらけで目を覚ました。
起きた実感もわかず、記憶もなく、
周りからいわれた「自殺未遂をした」という言葉と記憶のない傷とかの証拠にただひたすら泣いて、涙を流して、
生きていることにほっとしました。
都会とかで悲しいけどよくある
あの電車への飛び降り、、、私はあのひとたちの気持ちが正直にいうとわかる。
ふと、なにがきっかけかは人それぞれ、
だって足をふみだせば、少し体を前のめりにすれば、簡単に、、、
よくいうじゃないですか、
どんなひとでもやる。
人は火種が常にあって、いつ爆発してもおかしくない生き物なんだよ。
アレみたいなもので、普通に歩いてる分には特になにもないけど、見えない粉が沢山まっていて、
気づかずに誰かが、自分が、何かが火をつけて爆発する。
そして私は起きたあと、怪我だけだったので、その後普通の日々に戻りました。
でも先輩とあう機会もあるサークルは辞めた。
サークル内では腫れ物として扱われていて、
そして時期が飛ぶんですが、半年くらい「普通」の生活をしていました。
笑ってずっとショックを誤魔化してた。
ある日学校の先生に「自殺未遂したんですよ〜www」と言った瞬間
先生の顔は真顔になり、
「どうしてカウンセリングを受けないの?
笑って誤魔化さないで。
辛いってずっと言えないままになるよ。」
といわれ、私は立っていられないほど泣きました。
初めての感覚だった。
みんな心配はしても、カウンセリングを受けろといわれたことはなかった。
そして私は次の日、初めて臨床心理士のカウンセリングをうけた。
予約はその先生が取ってくれていて、
私はそれによって、誇張ではなく人生が変わることになった。
そこで自分の本当の気持ち、辛かったこと、苦しかったこと、全てを話し、
カウンセラーの方から心の向き合い方や自己肯定感についてなど、様々なことを教えていただきました。
そうして3年。無事に生きてます。
3年の間に人生に色々ありました。
今ははっきり言える。
死にたくねえ!ぜったいに生きてやる!
自殺について考えているひと、
カウンセリングをできるところを探そう。
それか病院にいこう。
やってみたりしてね。
自殺を考えている友人がいるひと、
あなたにできることはもちろんあるけど、
適切な方法を知っているカウンセラーや医師に任せることも大切です。
手遅れになる前にカウンセラーを勧めるのも方法の1つとして考えてみてほしい。
辞めよう。画面の向こうにひとがいる。
周りにクソみたいなこと言うやつがいたら「は??それがなに?私は私で素晴らしい!」って思っちゃいな!?
最後に!見た目のこと(胸、背丈、体型など)をいわれて傷ついているひと!
気にしないで!!と言っても気になるよねわかる〜!めっちゃムカつかん!?逃げてもいいんだよ!
私を自殺未遂においやった先輩は私に一言も謝ることはなかったよ!(今でもこれは嫌)
そういうことを言うひとなんてあなたがどうなろうと、ムカつくけど!すごいムカつくけど!気にしないよ!!
だからあなたも気にしないで!そして逃げて!生きてることが一番大事だから!
お願い!!!!
のんびり呑気に生きよ!
生きてたら実はいい事があるよ!
締め方がわかりません笑
それでは!
特に高校生のときはアタマが悪かったので、ある程度レベルがある大学に入るために勉強ばっかしてた。
結果、第一志望はおちたけど第二志望だった北海道大学に入れた。
途中、親が自殺未遂を図ったりして介護が必要な状況になったため休学したりしたけど
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就職もそれほど困難ではなかった。
氷河期世代と言われる中でも最悪の状況の中、東京や名古屋や大阪の企業に交通費を出してもらい、いろんなところに面接を受けに行って最終的に自分の希望に合ったところに入れた。
でもなんやかんやあって、精神がやられてしまい、休職することに。
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今通ってる精神科の臨床心理士によれば、精神がやられた原因は小学生時代まで遡る。
うちは父親が人の気持ちを理解できない人で、その親である祖母はさらにおかしな人だった。
当時でいう分裂症だったらしい。
それで俺は小学二年の頃からその被害に遭っている母親の愚痴をずっと聞かされ続けてきた。
友達の家に遊びに行くと約束していても、母親が「話をきいてくれ」と言ったら3時間くらいは話を聞いていた。
とにかく父親や祖母、母方の祖父母や姉妹の悪口を聞かされ続けた。
それが大学に入って家を出るまで続いた。
泣きながらひどい声で「うわああああ!!」泣き叫ぶような電話をかけてきたこともあったし、「助けて!すぐに帰ってきて!」と電話を受け、次の日に飛行機で実家のある関西に帰省したこともあった。
上述の自殺未遂もその一つだ。
首を吊ったはいいけどロープが切れて落ちて、色んな所が骨折したので俺が面倒見ることになった。
専門家にいわせれば、プロのカウンセラーが受けるような愚痴を子供のころから延々聞かせたのは、精神的虐待にもあたるそうだ。
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次に、そんな中、付き合ってた彼女が死んだ。
二年ほどしたときに「会おう」という話になったけど、その一月前に死んだ。
普通だったら「それ、ただ遊ばれてただけだろ」と言われるとおもうけど、よく電話でも何時間も話したし、誕生日とかクリスマスにはお互いプレゼントを送ったりしてた。
相手が親のことを「お父様、お母様」と呼ぶような家だったので、かんたんには会えなかったんだろうと納得してた。
なのでやっぱり死んだのは俺には大ダメージだった。
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それを聞いてた他の先輩が、こっそり「大丈夫?」とメールを送ってきてくれた。
当時は平気なつもりだったけど、あれもダメージになってたらしい。
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そしてその頃、別の彼女と付き合い出した。
精神的に病んできたってことで話が合い、実際に会ったりもした。
このときは俺の職場は東京で、相手は九州だったけど、飛行機代とかは苦にならないくらいに稼いでた。
会社もある平日でも夜中二時とかに電話してきて、元彼の愚痴なんかを朝まで聞いてやることもあった。
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最初は3ヶ月だけのつもりだった。
それが結局1年以上休むことになった。
実家でのんびりしてこい、ということだったけど、実家は上で述べたような状況だ。
夜も眠れず、昼は動けず。
母親は自分がそうだったから、そうした生活にも理解を示してくれたが、父親はそうはいかなかった。
結局俺は転職することにした。
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新しい会社に精神科にかかりながら4年ほどは普通に勤めていたが、結局鬱病が再発して休職。
復職したときには俺の居場所がなくなったという同じパターンで退職した。
このときには精神も完全に病んで鬱病は双極性障害に進化していた。
世界がめちゃくちゃ素晴らしく思え、いろんな金儲けのアイデアを考えたり、いきなり勉強を始めたりしたあと、数日後、数週間後にはこの世の終わりのような気分になり、布団でガタガタ震えるようになった。
音をあまり通さないアパートに住んでいるにも関わらず、夜中に宴会をやってるやつらの声にも恐怖を感じていた。
朝3時にその部屋に怒鳴り込むように注意しにいったこともある。
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そんな調子で数年は失業手当とか貯金で生活していたが、生活費もなくなって今は生活保護を受給している。
43歳。来月には44歳になる。
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普通なら会社に勤めて金を稼ぎ、恋愛して結婚して子どもがいるのだろう。
俺にはその何もない。
友人ももはや居ない。
卒業後は誰とも連絡を取れなくなった。
今となってはあの死んでしまった彼女も存在したのか、俺のただの妄想だったのではないかと思う。
好きだったのには違いないけど、どうも違う気がしてきた。
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結局俺にはなにもない。
仕事もせず、ハゲてデブになったおっさんに需要などあるはずもない。
大切な物も特にない。
いつ死んでも別に構わない。
それくらいには人生を諦めた。
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ただ、双極性障害も最悪の時期は過ぎたのかもと思うことがある。
前ほど、音などに恐怖心を感じる頻度が多くはなくなった。
なので勉強をしつつ、県営のジム(障害者手帳があるから無料)に出向いて体を鍛えて、人生を向上させてみようという気も少しある。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
日本は諸外国よりも平等であるがために子どもが厳しい立場に置かれにくいというのは同意するが
諸外国よりも表に出にくいのも確か
しかもSNSやジュニアアイドル(お菓子系アイドル)で基地外親が観測されてもスルーされる傾向があるのは先進国では日本だけでは?
日本の現行法で医師/弁護士の守秘義務が解除される場合として、
児童福祉法第 25 条
児童虐待の防止等に関する法律第 5 条 同第 6 条第 1 項・第 3 項)
児童虐待に係る通告)
3 刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。
とはいえ反社会的なこと言っても実害が確認されなければ傾聴が基本
※カナダについて
通告義務について
・医師、看護婦(士)、歯科医、薬剤師、臨床心理士を含む、ヘルス・ケア専門職
・ユースワーカー、レクリエーションワーカー
・弁護士
刑罰について
上記の通告義務者が、疑わしい子ども虐待・ネグレクトに関して通告を怠った場合には、
通報者は子どもの虐待、ネグレクトに気づいたら、「疑い」だけで通告することができる。この段階では、虐待の疑いについて事前評価と調査を実施0の結果、通告の半分の45%が誤通となるが、逆に表現するとその半分の55%が保護などのサービスを受けている。
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamamoto/seminar/03goudou/rits2ss.htm
※アメリカについて
<児童虐待通告法>
各州の通告義務者 約40種ほどの専門職 (特に重要な専門家は、医療関係者・保険従事者・教育関係者・社会サービス関係者・司法、警察関係者)
義務とはなっていない者 家族・隣人・一般人(但しこれらからも通告を受け入れる)
各州の特殊な例 コロラド・イリノイ・カリフォルニア州 写真の現像者にも通告義務(児童の性的な写真に明白に現れているような性的虐待や性的搾取を知る立場にある者)
フロリダ・ケンタッキー・ミネソタ州等 虐待を疑う立場にある者は誰でも通告義務がある
措置 以前に同様の虐待事実があることがわかり、その事実に疑いを持ちながらも通告しなかった通告義務者の存在が明らかになったとき、通告義務者にも訴追が行われる。罰金、拘禁刑の制裁に対応し、行政的には、医師等の免許取り消しまたは停止の措置がとられている。
問題点 監視の網の目を細かくしすぎた。→精神科医やカウンセラーに対しても通告義務を課し、虐待の範囲で不明瞭な法律規定をおいたことから、児童虐待の定義が不本意に拡張され、あいまいなものとなった
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamamoto/seminar/03goudou/rits2ss.htm
イギリス
■ドキュメント映画:The Paedophile Hunter・・・文字通りペドを狩る。狩られた者は実際には行為に及んでおらず(逮捕後、釈放もされた)撮影が原因により自殺したが起訴なし。英国アカデミー賞テレビ部門 単発ドキュメンタリー賞受賞作品。なおペドの疑いがある者に私刑を行う団体と支援者がいる模様
■UK-wide operation snares 660 suspected paedophiles・・・存在的な児童虐待犯罪者が一線を超える前(他害する前)にアクションが大事
http://www.nationalcrimeagency.gov.uk/news/411-uk-wide-operation-snares-660-paedophiles
■法律の問題:通報義務があるのでペドがカウンセラーに相談できない事態 (治療拒否ならまだ良い方)
At the same time, laws can also deter them from even speaking to their therapists.
Across Canada, provincial rules require that mental-health professionals must report a patient to authorities if they have reasonable grounds to believe that a specific child is at risk of being sexually molested or exploited.
At the same time, laws can also deter them from even speaking to their therapists.
Across Canada, provincial rules require that mental-health professionals must report a patient to authorities if they have reasonable grounds to believe that a specific child is at risk of being sexually molested or exploited.
■それでは深刻化するばかりだと治療しようとするも、ペドは自閉症または統合失調気味で知能が低めとバッサリ
https://www.cbc.ca/news/canada/virtuous-pedophiles-group-gives-support-therapy-cannot-1.2710160
■法律の問題:通報しないといけないのでペドがカウンセラーに相談できない可能性
Many jurisdictions have passed mandatory reporting regulations for psychologists and other health care providers.
Consequently, when someone who thinks he might be a pedophile comes in for counseling or therapy, the psychologist may be compelled by law to report the person to the authorities.
https://www.theatlantic.com/health/archive/2013/08/what-can-be-done-about-pedophilia/279024/
■通報じゃなくて無害なMAP(minor-attracted person=未成年者に引かれる人)をメンタルヘルスの専門家は支援しようという試み。なお保守派右翼はおこ
http://www.asapinternational.org/index.html
あ、公認心理師も取りましたが、心理師より心理士表記のほうが何となく好きです。
「師」って強そうすぎる。
ネットワーク会議に出たり、セミナーの講師や企画運営もしています。
心理士として
相談者を怖がらせない。
を目指しております。
カウンセリングは、カウンセラーが相談者の問題を解決してあげることではなく、
相談者が解決の糸口を見つけて、それを実行するために伴走するようなものなので、
というのが前提としてあるわけですが。
一般的には「悩みを解決してあげる」のがカウンセリングと思われがちですが、
そんな魔法のようなことはできませんよ。
自分で動いて行ける!と思える程度の後押し。
素晴らしい人におんぶにだっこで丸投げしたいを刺激しない程度の後押し。
カウンセリングについて語ると長くなるので、
考えたいんですけど、考えているんですけど
一般的な職場のメイクって、ほぼほぼキリっと頼もしそうな感じ、みたいですよね。
ちょっとそぐわないと思うんです。
心理士って。
信頼はできるけど親密ではなく、依存も(できそうに)ない距離感。
だからいわゆるバリキャリなメイクは心理士っぽくないわけです。
頼もしすぎるし、印象に残りすぎる。
今度は色気が問題になるんですよ。
別職種の友達に「モテメイクは?」と言われたので、調べてみましたが、
すぐ「蒸気肌」とか色気につながってしまうんですよね。
ほぼすっぴんみたいな感じで…。
そう、たしかに「美しくなくてもいい」わけですけど、
今のところ、印象にそれほど残らなくて、
自分がボチボチ納得できる程度のお化粧のポイントをまとめます。
私はブルベ冬です。
普段もそんなにきりっとしたくないので。
顔が派手なので、アイメイクしなくてもいいぐらいなんでしょうけど、
アイメイクが好きなので、いい感じの妥協点を探し続けています。
最近はラブライナーのバーガンディブラウンが優しそうで好きです。
細めに入れて、目じりは伸ばさないです。
でもやっぱりアイラインひかないほうがいいのかなぁ…。
NOメヂカラ。
アイシャドウはグラデーションであまり色味を感じさせないように、
ヌーディな感じ。
やっぱり研究中です。
いわゆる「愛されメイク」みたいに入れたほうが、
多分塗らないほうが、印象に残らないんでしょうけど。
ビューラーでは上げません。
少しでも目力を弱めるため…。
でも私、してなくてもまつ毛けっこう上がってるほうみたいです…。
チークは、斜めに入れないように。
色味は感じさせないぐらいがいいですけど、
クリームチークで、パウダーの下からじわっとぐらいがいいんだろうなーと思うんですけど、
キャンメイクのパウダーチークのスミレパープルが良かったですが、
私は本当にブルベなので、あまり参考にはならないでしょうね…。
幼くもならず、発色も強くなく、白くもならず、印象に残らない健康的な色味です。
艶=色気というより健康を目指して。
でもシェイディングは、輪郭に入れる程度です。
ノーズシャドーとかは違うなと思って入れてません。
ただ、口角にコンシーラーを塗って、
にっこり口に見えるように、は確定しています。
色はねー、難しいですね。
健康的には見えたい。
でも口紅でしっかりした色をしっかり塗ると、
しっかりして見えちゃうので、
なのでくすみピンクの色付きリップとかを今のところ使ってます。
フローフシ(今はUZU)の3℃が好きです。
健康的と言われやすい、コーラルピンクやオレンジは私には全然似合いません…。
今のところこんな感じです。
書いてて思ったんですけど、
メイクってどちらかといえば、他人の印象の残る方向性が強いのにもかかわらず、
私が目指しているのは、印象に残らないって方向なので、
そりゃあ難しいですよね。
でもカウンセリングは「カウンセラーの先生のおかげです」と言われたら失敗だと思っているので、
「過度に性的」指摘で賛否呼ぶ日赤献血ポスター、臨床心理士「“環境型セクハラ”には当たらない」
https://times.abema.tv/posts/7024879
これを見ても多分オタク方面以外からもフェミ非難が増えているんだろうなと思ったりする。
日本の例の弁護士に限らず、アメリカの元ネタの外人に対しても多数の批判がきて、どっちも元ツイート削除した経緯があるのだしね。
https://anond.hatelabo.jp/20190629192946
バズりまくってるやつ見て書こうかなと。
当方30代、男性、既婚。この状態まで持っていくのがまず難しいレベル(もうこの時点でおかしいよね)。
以下ソースね(ゴシップ的なものでなく臨床心理士会なるちゃんとした組織が調べてます)。
https://www.jsccp.jp/member/news/pdf/doukoucyousa_vol7.pdf
・非常勤が半数
・院卒なのに時給がコンビニ以下
こんなのザラです。残業代?もちろん出ないよ?
・アカハラ・セクハラは当たり前(よほどのことではないと教員は処分されません)
・研究に関係ないバイトをすると非国民扱い(なんのために院に来たんだ的なやつ。まぁ言いたいことはわからなくはない)
・研修会のあとの接待(先生に顔を売るためだが、よほどのことがないと覚えてもらえない)
就職に困っていたときに研究所の講師になってほしいと言われ半年タダ働き(交通費自腹、休日終電まで作業がザラ)。
結果、研究所なんてものは出来なかった…なんてのもありましたね。訴えたら勝てたのだろうか。
院にいると研究職=勝ち組と思っていたけど、いまのご時世任期制で3年区切りとかで
上記を考えた結果、ある程度の技術が活かせる民間に就職しましたとさ。ちゃんちゃん。
日本脱カルト協会 (にほんだつカルトきょうかい、英文名称:The Japan Society for Cult Prevention and Recovery、略称:JSCPR)は、心理学者、聖職者、臨床心理士、弁護士、精神科医、宗教社会学者、カウンセラー及び「議論ある団体」の元メンバーや家族等から構成されているネットワーク団体である。
1995年11月に日本脱カルト研究会(英文名称:Japan De-Cult Council)として結成、2004年4月に現在の名称に改称。
日本脱カルト協会の理事兼事務局長の滝本太郎弁護士が、所属する横浜弁護士会から3月31日、「弁護士としての品位を失うべき非行」が認定され、懲戒処分(戒告)を受けました。
滝本弁護士は、医師である教会員のAさんが診療所を開設する準備を進めていたところ、建物貸主のB社から委任を受けたとして、無断で建物入口のカギを付け替えたり、建物内に保管していたカルテを持ち出すなどしたとしてAさんから懲戒を求められていました。
日本脱カルト協会のホームページには「当会は破壊的カルトの諸問題の研究をおこない、その成果を発展・普及させることを目的としたネットワークです。心理学者、聖職者、臨床心理士、弁護士、精神科医、宗教社会学者、カウンセラーそして『議論ある団体』の元メンバー等により構成されています」とありますが、その事務局長自身がこのような不品行・非行によって懲戒処分を受けるようでは、全く信用性の欠如する団体であると言わざるを得ません。