2020-07-10

人生、70%くらいは諦めた。

一番頑張ってたのは中学から大学学生時代だったと思う。

特に高校生ときはアタマが悪かったので、ある程度レベルがある大学に入るために勉強ばっかしてた。

結果、第一志望はおちたけど第二志望だった北海道大学に入れた。

途中、親が自殺未遂を図ったりして介護必要な状況になったため休学したりしたけど

なんとか工学修士は取得した。

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就職もそれほど困難ではなかった。

氷河期世代と言われる中でも最悪の状況の中、東京名古屋大阪企業交通費を出してもらい、いろんなところに面接を受けに行って最終的に自分希望に合ったところに入れた。

でもなんやかんやあって、精神がやられてしまい、休職することに。

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今通ってる精神科の臨床心理士によれば、精神がやられた原因は小学生時代まで遡る。

うちは父親が人の気持ち理解できない人で、その親である祖母さらおかしな人だった。

当時でいう分裂症だったらしい。

それで俺は小学二年の頃からその被害に遭っている母親愚痴をずっと聞かされ続けてきた。

友達の家に遊びに行くと約束していても、母親が「話をきいてくれ」と言ったら3時間くらいは話を聞いていた。

とにかく父親祖母、母方の祖父母姉妹悪口を聞かされ続けた。

それが大学に入って家を出るまで続いた。

いや、大学に入ってから電話がかかってきた。

泣きながらひどい声で「うわああああ!!」泣き叫ぶような電話をかけてきたこともあったし、「助けて!すぐに帰ってきて!」と電話を受け、次の日に飛行機実家のある関西帰省したこともあった。

上述の自殺未遂もその一つだ。

首を吊ったはいいけどロープが切れて落ちて、色んな所が骨折したので俺が面倒見ることになった。

専門家にいわせれば、プロカウンセラーが受けるような愚痴子供のころから延々聞かせたのは、精神虐待にもあたるそうだ。

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次に、そんな中、付き合ってた彼女が死んだ。

彼女と言ってもネット上だけの付き合い。

北海道千葉

二年ほどしたときに「会おう」という話になったけど、その一月前に死んだ。

普通だったら「それ、ただ遊ばれてただけだろ」と言われるとおもうけど、よく電話でも何時間も話したし、誕生日とかクリスマスにはお互いプレゼントを送ったりしてた。

相手が親のことを「お父様、お母様」と呼ぶような家だったので、かんたんには会えなかったんだろうと納得してた。

それでやっと親の許可が出たというとき出来事だった。

なのでやっぱり死んだのは俺には大ダメージだった。

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あとは普通パワハラ

とにかく馬鹿野郎連呼された。

それを聞いてた他の先輩が、こっそり「大丈夫?」とメールを送ってきてくれた。

当時は平気なつもりだったけど、あれもダメージになってたらしい。

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そしてその頃、別の彼女と付き合い出した。

またきっかけはネット

精神的に病んできたってことで話が合い、実際に会ったりもした。

このときは俺の職場東京で、相手九州だったけど、飛行機代とかは苦にならないくらいに稼いでた。

でもその彼女だんだんひどくなってきた。

母親と同じように、俺を愚痴のはけ口にしてきた。

会社もある平日でも夜中二時とかに電話してきて、元彼愚痴なんかを朝まで聞いてやることもあった。

だんだんそれもダメージとして蓄積していった。

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結局そんなことがあって、鬱病になり休職することになった。

最初は3ヶ月だけのつもりだった。

それが結局1年以上休むことになった。

実家のんびりしてこい、ということだったけど、実家は上で述べたような状況だ。

夜も眠れず、昼は動けず。

母親自分がそうだったから、そうした生活にも理解を示してくれたが、父親はそうはいかなかった。

とにかく実家生活も辛いものだった。

一年経って復職した俺に、もう居場所はなかった。

結局俺は転職することにした。

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新しい会社精神科にかかりながら4年ほどは普通に勤めていたが、結局鬱病が再発して休職

復職したときには俺の居場所がなくなったという同じパターン退職した。

このときには精神も完全に病んで鬱病双極性障害進化していた。

世界がめちゃくちゃ素晴らしく思え、いろんな金儲けのアイデアを考えたり、いきなり勉強を始めたりしたあと、数日後、数週間後にはこの世の終わりのような気分になり、布団でガタガタ震えるようになった。

電話の音、チャイムの音がすごく怖かった。

音をあまりさなアパートに住んでいるにも関わらず、夜中に宴会をやってるやつらの声にも恐怖を感じていた。

朝3時にその部屋に怒鳴り込むように注意しにいったこともある。

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そんな調子で数年は失業手当とか貯金生活していたが、生活費もなくなって今は生活保護を受給している。

43歳。来月には44歳になる。

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普通なら会社に勤めて金を稼ぎ、恋愛して結婚して子どもがいるのだろう。

俺にはその何もない。

友人ももはや居ない。

大学時代には友人は居たが、俺は精神的に幼稚だったのだろう。

卒業後は誰とも連絡を取れなくなった。

十年以上、精神科医と臨床心理士以外と話してない。

今となってはあの死んでしまった彼女存在したのか、俺のただの妄想だったのではないかと思う。

そもそも俺に恋愛感情ってあるのだろうか。

好きだったのには違いないけど、どうも違う気がしてきた。

そんな昔の感情ももう思い出せない。

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結局俺にはなにもない。

仕事もせず、ハゲデブになったおっさん需要などあるはずもない。

大切な物も特にない。

いつ死んでも別に構わない。

それくらいには人生を諦めた。

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ただ、双極性障害も最悪の時期は過ぎたのかもと思うことがある。

前ほど、音などに恐怖心を感じる頻度が多くはなくなった。

なので勉強をしつつ、県営のジム障害者手帳があるから無料)に出向いて体を鍛えて、人生を向上させてみようという気も少しある。

でも人生も半分を過ぎたし、そんなことをしても意味がないような気もする。

  • 私も付き合ってた人亡くなったけどその後誰とも付き合ってないから 病んだと言っても次があった増田はすごいよ

  • まだ若いアンタに言うことじゃないかもだが、 ここまで身につけた老獪さでもっと生きてくれ

    • まだ若いのかな。 まあ30代のときも、すでに自分はおっさんだと思ってたけど、今からみたら当然若いものね。 50代まで生きるかもしれないので、そのときに後悔しないようにして...

  • つまんない

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