はてなキーワード: 失念とは
『戦争がテーマではない』が他に良い言い方があるかもしれないけど、ジパングみたいなのではない作品という感じです。
陸:ガールズアンドパンツァー、GATE(自分判定ではギリこの範疇)
空:ひそねとまそたん、リリアとトレイズ ※ 戦闘妖精・雪風も思いついたけど、観てないので入れていいのか分からない。
・追記
たくさんの紹介の言及やブクマコメント、ありがとうございます。書いた後のチェックを失念してました。すいません。
内容から嫌な思いをさせた方もいらっしゃるようで、こちらのほうも併せてごめんなさい。
ホットエントリーに載ってたおかげで思い出せたんですが、最初に見た時はビックリしました。
特定の作品が対象か否かは、自分でも明確な判定基準は考えてなかったので、正直分かりません。ただ、紹介自体はとてもありがたいです。
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
・続いて、「グラビアが表紙の雑誌も撤去すべきだ」と言っている
→これはまさに表現規制であり、終わりがない。一歩も譲るべきではない
#家事をするのは女性、というジェンダーロールの押し付けであるとされ炎上
#体形を強調し乳首が浮き出ている、上気し男性に媚びた表情であり不適切とされ炎上
・のうりん
#企画内容と無関係な胸の露出、煽情的な顔つきが不適切とされ炎上
#男性の教授役に対して生徒役の女性、という配役設定がマンスプレイニングであるとされ炎上
#女性の身体を明らかに強調した絵を、無関係な献血のポスターに使用し公共の場に掲出することは環境型セクハラであるとされ炎上
・太田弁護士は女性のジェンダーロールについて批判をする一方、「容貌に劣る男性がマッチョにあこがれてサーフィンを始める」動画については絶賛している。これはまさにルッキズムであり筋が通らない
・「強力効果論(暴力的なメディアや、性的なメディアが、受け手を暴力的にしたり性的にしたりするという説)」は研究により否定されている
・モノ化とは→単なる道具として扱うこと
・容姿で評価されることは悪か?異性のパーツを好きになることは悪か?
・また、自分(石川)ではない人のツイートや炎上を紹介していたが、自身の発言でないものを指摘されても答えようがなく、別の事例について話したい
●表現について
・エロがいけない、萌えがいけないと言っているのではなく、「女性らしさ」「男性らしさ」ジェンダーロールを固定化した表現が問題と考える
・黒人の表現として黒塗りをすることは、事実アフリカ系の人種が色黒だとしても、社会的に認められていない
→規制ではなく、当事者の気持ちを慮った自主的な配慮として行われている
・TSUNAMIの自主規制も同様。あくまで被害者への配慮として行われており、表現を規制するものではない
・乳袋と言われる、胸を異様に強調した服
→実際には存在しない服であり、女性の性的魅力を強調しすぎている
・「女性の身体を持っている」ことを理由に被害を受けた人への配慮が不足している
・エロだからダメ、ではなく、女性性の強要が存在する以上、配慮が必要
・「ちょうどいいブス」
→表現者本人は女性だが、他者にこうすべきと役割を押し付けるのでダメ
●女性のモノ化とは?
●「お気持ち」について
お気持ちがあることは人間である以上当然であり、ないがしろにされてはならないものだ
・宇崎ちゃんのどこがモノ化?
・胸があることに対して受けた被害があるのに、それを他人が表現することがおかしい
・グラビアについては本人の意思だったりそうでなかったりするので難しいが、意思と主体性があればOKと考える
・キズナアイはイラストレーターも女性、声優も女性。では誰に許可を取れば使ってよいのか
・女性性の主体があるところ、すなわち全ての女性に配慮するべき
・イラストに関しては女性の主体がいないので認められる余地がないと言っているように聞こえる
つまり萌え絵、女体を表現に使うことが理論上不可能ということではないか?
事故に遭った人が傷つくから気持ちに配慮すべきであり、車のCMを規制するべきとなるが、
そのようにお考えか?
・クルマの広告はクルマそのものを売るためのものであり、献血と無関係な女性性を強調している本件とは異なる
・胸が大きいことがセクハラとしている人もいるが、逆に誇りに思っている人もいる、その女性をひとくくりに代表して「これは差別である」とすることは、個人の「お気持ち」の押し付けではないか?
・性的価値(女性の裸は価値があり、男性の裸は価値が低い)は商品になるが、それをすべて否定するか?
・よしもとの「不細工芸人コンテスト」は批判を受けていったん中止になったが、男性に限定して復活した。これをどう思うか?
・被害を受けたことに言及し活動することと、お気持ちを押し付けることは別の話である
・黒人差別と同様、被害にあっていない人がいるから規制すべきではない、とはいえない
黒人も、黒人であることを喜び、誇りを持っている人もいる。だからといって別の人に存在する黒人差別を許容するべきではない
・女性性によってプラスもマイナスもあるはず、性差があることは明らか。事実石川さんも女性だからグラビアの仕事ができた。
その利益を享受しておきながら、不利益は許容できない、というのでは筋が通らないのではないか
・プラスがあるからマイナスには目をつぶれという理論には賛同できない
被害・加害があるなら是正されるべきであり、声を上げるべきである
【要約】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会【#これフェミ】
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
★注意事項
・両登壇者への最大限の誠意をもって要約を行いましたが、録音禁止であったためメモが追い付かず、発言の取捨・意訳・補完が私の主観に基づいて行われた可能性があります
・言及された当事者(青識亜論氏、石川優実氏、小保内太紀氏)から削除の申し立てがあった場合に限り当日記が削除される可能性があります
●metooとは?
著名なプロデューサーに受けた過去のセクハラを被害者本人がSNS上で告発したことに端を発し
#Metooのタグをつけて過去に受けたセクハラ被害を告発するムーブメント
●kutooとは?
就活や職種により、女性がパンプスを強制されていることに異を唱えるムーブメント
・かつての欧米におけるコルセットの例(窮屈な服装の社会的強制)
窮屈な服装からの女性の解放を目指す運動、がフェミニズムと深く結びついている
→ブルマの発案者
#女性も動きやすい服を選択できるべき、という考えのもと発案された
#シャネルスーツ(活動的なスーツ、女性のポケット付き衣類も当時画期的だった)の発案
・石川さんはブルマ・ココ、 どちらになることもできる。どちらにしますか?
・シュレディンガーのセクハラ(Twitterでの白饅頭氏の発言から引用)
これではかえって萎縮をまねき、むしろ女性の社会進出を阻害する
●なんのために#kutoo運動を始めたのか?
→法律を変えるため
→そのためにまず、「服装強制を含むセクハラは犯罪である」を社会の共通認識とするため
女性のみに課される服装規定がいまだ社会通念上許容され、現実に多数存在している
●女性差別とは→女性差別撤廃条約より抜粋(どこを抜粋したか内容失念しました)
・立ち仕事(CA等)のパンプス強制は活動面から見て不安定で、男性にない負傷リスクがある
●「セクハラは個人の感覚ベースで曖昧なものではないか」という意見について
・男女問わず個人の感情に根差して、他者の嫌がることはしてはならない、これは男女問わず同様
・ただし1件嘘だったからといってほかの件も嘘であるわけではない
・個々の事例に対するファクトチェックの話と、妥当な告発への評価は分けて考えないとならない
・この本の表紙も男性にハイヒールを履かせて復讐している、と言われた
・だがハイヒールを履かせることが復讐になる、と(そのクソリパーが思っている)なら、靴で女性が不利益を被っていることは共通認識であると言える
●正当な理由であれば女性にハイヒールを履かせることができるのか?
・女子差別撤廃条約には、女子が被っている「不利益を・・・」とは書いていない
・男性もネクタイを社会通念上強制されており、女性だけが不当に不利益を強制されているとは言いがたい
・健康被害がある場合→身体権の侵害であるため男女問わず当然に犯罪である。セクハラ以前に現行法で犯罪であるため訴える対象は警察であり、法規制の必要がない
・ドレスコードを全部なくしたい、というのはやりすぎではないか
→いついかなる場合でもすべての服装が認められるべき、というのはおかしい
・人のいやがることをするのは、すべてハラスメントか?
・曖昧な運用が可能となり、自己申告があれば誰にでも社会的制裁を下せる、つまり私刑の肯定ではないか
→被害に遭った、と発言すれば証拠が不足していても無条件で肯定され、
加害者とされた人は(和解しても)社会的制裁を受けつづける状況もあり、刑罰としては重過ぎる
・下される社会的制裁が過ぎるため、異性接触(男→女)への忌避が起こる
・なぜブルマかシャネルのどちらか選ぶ必要があるのかわからない
・ホテルで働いていた際、運動量の多い職種であったにも関わらず、強制されて実際に危険だった
・ドレスコードに性差をつける必要はない。制服なのであれば男女同じ服装とすればよく、強制すべきではないと言っている
・重い荷物を持つことは、男女問わずその場で最も力持ちがやるべきことである
・重い荷物を持つことがそんなに大変か?
・対話を終わらせないためにどうしていきたいのか?
・男性でも告発すべきであればするべきであり、対立を煽る意図はない
・女性のほうがセクハラ被害に遭う確率が高いため、男性はそれを意識して対話すべき。男性というだけで怖がって話ができない女性も多い
・セクハラ、パワハラの指針に服装規定を追加したい。労働安全の面からも
1.セクハラとは女性が多いと言うが、声を上げているのがいま女性だからであると思う。
男性が男性性を理由に残業させられているなどの例もあるが、それについては指摘しないのか
2.ブルマ、シャネルの話からも、無理矢理法律で縛るのは難しいと思う
3.法律では、明確さが求められると思うか?
男性が我慢しているから女性も我慢しろ、という理屈は受け入れがたい
自分ができる活動をできる範囲で行っており、男性の被害だから無視しているわけではない
・法律で縛るべきなのは雇用主(つまり企業)であり、従業員を縛る法律ではなく、従業員である女性は好きに服装を選べるので質問の意図がズレている
https://anond.hatelabo.jp/20191024140445に関して、週末、彼女と話した内容や反応などを、要点のみ、思いつくまま、かいつまんで書き残しておく。
・最初の話題は、「君」という呼び方は世間的におかしいのか、ということ。
→「あと、君のはてなでの登録名を教えろ。」は、元の話とは全く関係ない私信で、残す必要ないのに、残しているあたりが、「はてなで何をすればウケる」かを知っているやり口だ。
→「のろけるつもりは全くなかった」も、釣り師が書きそうな一文だ。
→(追記)「おっぱいの大きな彼女」というタイトルも気に入らないと言われたことを忘れていた…。こっちのタイトルは変える。
・はてなのidを教えた。で、このごろブックマークしか使っておらず、完全に失念していたが、絶賛放置中のブログがあって、それもバレた…。
ブックマークはバレて仕方がないものと想定していたが、「へー、ブログやっていたんだ」と言われて、本当に心臓が飛び上がり、めまいがした。
・会っている最中は、その場でブックマークやブログをまじまじと見られたわけでもなく、「変なことを書いてはいないはずだから大丈夫」と開き直れていたが、昨夜、デートを終えて一人になった瞬間から「やっぱり教えずにしらばっくれておけばよかった…」「まずそうなブックマークは削除しておけばよかった…(ブログを失念していたので、そんな小細工はどうせ無意味だが)」と猛烈な後悔が襲ってきた。
・昨日はなかなか寝付けなかった。
・今朝、「案外まともなことを書いていて驚いた」と、変な褒められ方をした。読まれたか…(そりゃそうだ)。
(彼女は、はてなという場所に対して、あまりいい印象を持っていなかったっぽい)
・なお、一緒に過ごしている間も、彼女が寝ているすきなどにいくつかの記事をブックマークしていたのだが、当たり前のようにそれもバレて(そりゃそうだ)、「中毒か」という突っ込みも食らった。今後は控えたい。
それは「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。
2010年ごろ、Rocket Newsの「池袋駅ホームのホットドッグ屋が激ウマ!行かない人は人生損してる!」くらいの勢いで絶賛されていたのを見て(←正確なタイトルは失念。現在記事も削除されている。ちなみに当のホットドッグ屋も閉店している)、これは美味いに違いないと思って行ってみた。
しかし、これがなんの変哲もないホットドッグ。むしろパンもボソボソで、このレベルだったらモスバーガーのホットドッグなんかでいいじゃん、と思った。
その後、同じような経験をもう一度して、それ以後、Rocket Newsの記事は信用しないことにした。
この「そこまで美味くはないものを『神』とか『死ぬほど』とか美辞麗句を並び立てて派手に絶賛することでアクセスを稼ぐ手法」はロケットニュースに限らずグルメ系サイトやバイラルメディア(笑)にはよく見られる。当時の僕のように騙されて手を出して後悔する人もいる一方で、心の底でイマイチと思いながらも「わざわざ時間をかけて来たのだからイマイチなわけがない」という認知的不協和が作用して「美味しかった」と自らを納得させる人も多いのだろう。だから、この手の記事はあまり批判されることなく、量産され続け、人々を煽り、騙し続けるのかもしれない。
で、Rocket Newsは未だに同じメソッドを繰り返しているようだ。敢えてリンクは貼らないが、最近タイトルを見かけたのは
「バーミヤンの餃子を食べた直後、あまりの衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいになった」
という記事だった。
バーミヤンは自分も好きな店だ。コスパもいいし、餃子も普通に美味い。しかし「衝撃と感動に、謝りたい気持ちでいっぱいに」なるほどのものではない。「こんなに美味い餃子を239円で提供するなんて正気の沙汰とは思えない」(本文より)と頭の悪い感想を抱くほどのものでも、断じてない。
この記事を見て、池袋駅のホットドッグのボソッとした感触が口の中に蘇った気がした。Rocket Newsはこうやって、今後も読者を騙し続けるのだろうか。
繰り返す。人生で少しだけお金と時間の損失を回避するには、「Rocket Newsのグルメ記事を信用しない」ことだ。これだったら、食べログのスコアのほうがまだ信頼に値する。
上司:おい!晴須!早く来い!納期の件で情報生命の部長からクレームだ!!
晴須:本当ですか?
上司:俺は、何も聞いてないぞ!納期はどういう話になっていたんだ!
納期は、基本の「き」だろ!部長は当初予定どおりの移行を要求しているぞ!
上司:じゃあ、なんでクレームが来るんだ!! 子供みたいに言い訳するんじゃない!
うちの信頼を損なうような大間題になったらどうするつもりだ! 怠慢だぞ!この給料泥棒!
お前に任せた仕事だといっても、自分だけで判断して進めるのは100年早い!
半人前のくせして思い上がって自分を過信するな!
まずは、先方に謝罪に行ってきちんとお詫びして来い!
研修を担当した経営総務課のT課長殿はこの資料を読んでこうおっしゃる。
T課長「上司はパワハラですね、これはいけません。でも晴須くんも悪いんですよ」
T課長「先方の担当者……って、部長からクレームって言ってるだろ!」
T課長「この晴須くんは典型的な仕事のできないダメ社員ですね」
オレは晴須くんが悪い要素はないように思ったが、増田たちはどう思う?
※追記
ブコメも読んでるけど、盲目的に上司は正しいことを言っていると思い込んでる人けっこういるね。
晴須くんは上司に報告していて、上司は失念しているだけかもしれないのに。
いい上司に巡り合えた人たちなんだろうね。
作業着として不適切なものを作業着として売り出すと、どんな問題が起きるか簡単にまとめた
・どんな作業着を着せるかはクライアントの意向に左右される業界も
大体、こういう見た目重視で機能性を犠牲にしたような服を着せるクライアントや会社は
スカートタイプの作業着を着て、清掃や設備の仕事をしている光景を思い浮かべてほしい
作業着として不適格な服の採用事例は、近年増えているのが実情である
ブコメを見ていると「作業着のように機能性の高いスーツ」を求めていることがよくわかる
一方で、作業着はスーツと違って本人が自分で選んで着るものではない、という原則を失念しているブコメも目立つ
作業着として不適格な制服を強制されて、大変不便な思いをした経験のある人なら
「作業着として不適格なものが作業着としてラインナップされていることで起きる不幸」に
容易に思い至れるはず
作業着のようなスーツとして売る分には特に問題はない(スーツを指定する会社はほぼない)が
父がついにスマホが欲しいと言い出した。
グリーン車に乗る際に毎回券売機でグリーン券を買うのが面倒なのでモバイルSuicaが使いたいとのこと。
現在使用中のガラケーはそのまま使いたいらしいのでデータ通信専用機としてSIMフリースマホを購入することにした。
モバイルSuicaの対応機種と中古スマホ取り扱い店舗のサイトを見比べつつ、AQUOS sense plus(SH-M07)に決定。
秋葉原のけっこう安い店で買った。
SIMはデータ通信専用の3GB/月を契約(IIJmio)。パッケージを買ってその日のうちに開通できるの便利。
ここまではよかった。
大本命のモバイルSuicaの初期設定をしようとアプリを起動するとログイン画面が表示され新規登録ができない。
キャッシュを消してアンインストールしても同様。モバイルSuicaサイトに記載されている新規登録の画面がどこにも出てこない。
これはまさかと思いおサイフケータイアプリを起動するとモバイルSuica残高2,420円の表示が。
結構残ってんじゃんと思った。
Android機をオールリセット(初期化)してもFelica情報は消去されずに端末に残る、というのは知識として知っていたものの自分がおサイフケータイを使わないのでマジで失念していた。(おサイフケータイに残高が残っていると中古買取の際に買取金額が減額されたり、買取拒否する業者もいたりする)
できれば前ユーザーのFelicaデータを消去してそのまま使いたいところだけど前ユーザー情報を毛ほども知らないコチラとしては対応のしようがない。
キャリアが発売しているスマホであればショップに持って行けばFelicaデータを消去してくれるらしい。しかし運の悪いことに今回購入したのはSIMフリー端末SH-M07。中古で購入してることもありシャープに問い合わせするのは嫌だったので購入した店舗にドウイウコッチャと電話連絡してみた。
結果的に前ユーザー情報が残っていたということで返金対応をしてもらうことができた。ありがとうけっこう安い店。
ちなみに、店舗に電話した時「御社はスマホ買取の際におサイフケータイ残高確認されないんですか?」と聞いてみたところ、基本的には確認するけど機種によってはできてない場合もあるといった返答だった。買取査定時の必須確認事項ではないっぽい。
ただ、対応してくれた店舗の人がスラスラ答えていたところを考えるとよく発生するトラブルなのかもしれない。
今回購入したけっこう安い店が理事をつとめている中古携帯関係の協会が策定している中古携帯端末売買に関するガイドラインによると①必須事項②要求事項③推奨事項というものがあって、Felica(非接触型ICカード)情報の消去については②の要求事項となるらしい。努力目標みたいな感じなんだろうか。
正直なところ、けっこう安い店は中古スマホ業界でそれなりの大手なので利用者情報の残存があるとは思っていなかった。
ネームバリューに安心せず事前の情報収集や確認が大事なのだと勉強になった。
今回はFelica情報の残存でモバイルSuicaが使えないよーというレベルの話ではあったけど、もし買取業者がしかるべきデータ消去をしていなかった場合は個人情報の漏洩リスクがヤベェくらいあるなと思った。
特にフリマアプリとかの個人間でスマホの売買を行ってる場合は業者が使ってるような専用ソフトでのデータ消去なんてしてるとは思えないので更に漏洩リスク増えるのかも。
一般の人がデータ復元してどうこうすることは無いと思うけど、悪意のある人間が悪意を持って端末を購入する場合もあるかもしれないと考えると、売却先もちゃんと選択しないと大変じゃん。
まずは総選挙に参加されたすべてのPさん、お疲れさまでした。
今年の総選挙も色々ありましたが色々抱えた人も見受けられましたが結果が楽しみですね。
ただまぁ終わったので抱えたもんは吐き出したいので以下を書きました、というか当時の書いたやつなんですが。
結構各方面に殴ってるのでヒリついたりするのだるい人は読むのをお勧めしません。対岸の火事で面白がる人ぐらいがちょうどいいと思います。
ナターリアPがスネークの北米版中の人から応援メッセージをもらったことに感化されてスネークアイコンにしたことから各Pがアイコンを変える現象があちこちで見られた。
一部の泉Pでは以前からあった誤読ネタの一つでその代表格、大泉洋アイコンに変える動きがみられ、観測下で5~10名ほどがアイコンを変更した。私もまたその一人である。
これについて一部から反発の声もあり、一時ヒリついた空気がTL上に漂うこととなった。
主な声は大泉洋に興味がない、嫌いだから画像を流してくるなといった具合であるが、そもそもエログロといった倫理的な問題を孕まない限り人のアイコンに口を出す謂れは誰にもない。
ミュートなりリムーブなりブロックなりして好きに対応すればいいだけの話である。
アイコンだけでなくツイートも同様で文句だけ垂れてるのは最早自分がTLを管理する能力すらない情弱を晒しているだけで見ていて無様でしかない。
大石泉の誤読ネタなどは前からある話で大泉洋に限らず様々言及されてきた。
まぁいい機に言ってやろうと思ったのかもしれないが選挙中に盛り上げようという動きに水を差すだけはいかがなものか。
私は仕方なく配慮し大泉洋本人でなくワンクッション挟んだアイコンに変えたが。
時期を考えたらとても私にはできることではないのでとても尊敬するし、実際総選挙が終わるまでこれらは全て言わなかったか言っても短時間で消した。
しかしもう少し論理的な話であればよかったのだがなんとも突っ込みどころが多いので総選挙が終わった今本文を公開する。
そもそも内輪、身内というのはどこの範囲を指すのか全く理解できないが担当P同士の界隈、あるいはFF内といったところだろうか。
まず事実として担当外どころかアイマスPですらないところに波及した実例で話は終わる(この事例は𡘙磊灥も絡めての話だが)。それすら内輪のノリだというなら全人類内輪だ、世界が平和になるな喜べ。
一方で「内輪ネタだから許されることもある」という声もあったが、だから内輪ってどこなんだよ。
内輪で終わるんじゃねえのかよと言いたいがたぶん別の人だろう。
許されないならそれこそ担当外に波及するものでもなく担当同士の盛り上がりで終わるわけで、これに問題点を感じる要素がない。別に一般道徳から外れるような行いがあった覚えはない。
関連して「泉PのFFには別担当のPがいなさそう」という声もあったがこれについては個人的な反論ではあるが、少なくともこの1年私のFFには泉に限らず様々なデレPが増えた。
主なきっかけは6thのナゴドでの名刺交換かもしれないがそれ以外でもTwitter上で多く交流をもってなるべく企画に出向くよう心掛けた。
少なくとも今のフォロワーの泉P率はせいぜい1割~2割がいいところだが、果たして他の泉Pがその辺に気を使って努力しているのか、そればかりは私の知るところにない。
総じてこれらの意見には実際に票に繋がったという事実以上に訴えるものがない。
そこまで言うなら別の手法で票を獲得するところを示していただきたいが特にそれらもない。
文句を言って水を差すだけ差して逆張りオタクで満足していることこそが問題だ。
何もせず文句を垂れ流すだけではただのネガキャンと何も変わらない。
ただでさえアイマスでそうしたネガキャンは表立って起きることが少ない(敢えてないとは言わないが)にも関わらずわざわざ身内からやるとは、実に他のアイドルを担当するPからしたらありがたいことこの上ないだろう。
泉の総選挙での成績はどんどんと後退する一方だ。今のペースで行くと190人にボイスが行き渡るには約11年かかるだろう、シンデレラガールの戴冠は182年だ。それまで座して待っていればいい。
私にはできないので総選挙を戦うが。
これら反対意見の大半には行動が伴っていないことを最も批判したい。
今の泉Pの行動に問題があると感じるなら問題のない自分たちなりの盛り上げ方を実行すればいいのだ。
しかし「伸びない」だの「後追いじゃ話題性に欠ける」だのと口実を並び立てては何もしないことに何の意味があるというのか。
ちなみに加蓮PはナターリアPのスネークが話題になって1日後に木星アイコンでにわかに話題を集めたが。
仮に代案でなくてもいいだろう、RTをすることも十分立派な行動だ。ただしそれすらないように見受けられる。
余談だが総選挙前にも私がRTした泉のイラストに対し私の通知欄が「あなたのリツイートをいいねしました」で埋め尽くされる点について問題だと一度提起させていただいた。
泉Pではないが「本質は担当のPRであることを失念してはいけない」というもっともな声もあった。
言わんとすることは道理だがそれだけで票が取れるならとっくに圏内どころかシンデレラガールを取っている。
そもそもアイドルはみんなかわいいしいい子なのだ。誰だって自分の担当が一番かわいくて一番輝いてる。
その上で票をかき集める戦いが総選挙なのだから話題を取れる可能性があるならその行動をしない理由はない。
果たして同担のみで盛り上がりが収束することに何の問題があろうか。
少なくともそれすらないより圧倒的にマシであるし、その下地すらなければ自分の担当の宣伝で忙しい他担当Pに波及することなどあり得ない。
結局のところ「文句があるなら行動しろ」という点に尽きるのではあるが、あまりに逆張りがすぎるのでこのような長文を書くに至った。
もちろん総選挙、アイドルに対する姿勢は人それぞれで熱の入れ方にも当然違いはある。
しかし頑張ってる人間の足を引っ張るだけ引っ張って自分は何もしないというのは一人の人間としての姿勢を疑う。ましてや同担内でこのような光景を見ることになろうとは思わず非常に残念だ。
最後に「大石泉すき」がすきじゃないという声もあったのだが、ここまで逆張りが極まればいっそ清々しいというものだが、であればそれ以上の何かを行動に起こしてもらいたいものである。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190404/k10011873041000.html
箕面市の上下水道局によりますと、今月1日、家庭や事業所に配られた水道料金の検針票1365枚に、口座から料金が引き落とされる日が印刷されていないミスが見つかったということです。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190410-OYT1T50328/
市上下水道局によると、元号の誤記があったのは768通で、記載した日付がいずれも「令和31年」になっていた。受け取った市民からの指摘で誤りに気付いた。同局は「再発防止に努める」としている。
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/news/18/04724/
ミスがあったのは私立幼稚園に通園する子供を持つ保護者に補助金を交付する通知書類である。通知書類を起票した日付と補助金の振込日の2カ所を について、「平成31年」と印字すべきところを「平成3元年」と印刷した。対象世帯に約1万通を発送したという。
世田谷区は西暦のデータを渡し、印刷業者は和暦に変換するプログラムで処理してから印刷する。このプログラムは和暦の一の位が「1」だったら「元」に変換するロジックを組み込んでいた。しかし、十の位を考慮していなかったため、ミスが生じた。
世田谷区はデータ内容の正しさを確認してから印刷業者にデータを渡した。世田谷区と印刷業者はテスト印刷の結果をそれぞれ確認したが、テストで使ったデータがダミーデータだったため、バグが表面化せず、発見を漏らしたとしている。
人が動物の上に立つモチーフ、イルカ・アシカやイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキは絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います。
けもフレ2における、人間が動物に迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります。
リョコウバトとトキの比較ですが、けもフレ1のトキの場合、絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合、絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。
イルカ・アシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身の問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。
ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間と動物の関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカ、アシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。
イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。
詳しくないのですがハリウッドのヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアルな表現を模索したのでしょう。
マーベルやDC映画の場合、叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫があります。フレンズ型セルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。
まあファンタジーが蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話的世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います。
まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話的世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利のギミック(ビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。
しかし、たつき監督がけもフレ2をやっていたらそのカットは問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています。
点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的に意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。
結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思います。フレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。
けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます。
そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話の評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。
この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。
「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います。批評として使うなら、定義が必要になるでしょう。
私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラで面白いドラマを作ること」くらいの意味です。
けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。
ギスギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別に、マーケティングのミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。
逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。
そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。
まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程が曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。
キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます。
何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。
でもそうするとセンちゃんやアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。
思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランスの問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。
優先すべきものがイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすいイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。
キュルルちゃんをホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります。
通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語をドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間的欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。
さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラ」キャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います。
キュルルが落っこちた回でニコ動のアンケートがちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。
むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブックの最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマがスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテルの海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。
長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌは彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。
この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。
ただ、「スケッチブックの最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。
イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います。
一般的エンタメの作劇上のセオリーで評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。
作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメのセオリーと呼ばれるものです。
けもフレ2の一般的な評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。
もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリーを無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。
人が動物の上に立つモチーフ、イルカ・アシカやイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキは絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います。しかしけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキが選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います。不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカ・アシカやイエイヌでそこまで不快になるということ自体が製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。
「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない
これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘のときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃のタイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドのヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアルな表現を模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます。
私の意見は「内面世界の外への進出」自体は、多くの作品に共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界内現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。
俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っています。けもフレ2でのキュルルちゃんの葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品の評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーンな舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジーが蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話的世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います。
1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。
しかし、たつき監督がけもフレ2をやっていたらそのカットは問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています。
「視聴者の視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます。
この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評の文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えています。けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品に継承されましたが、休日にリピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。
なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます。
「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットにします。そうしたほうが「自分の意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。
論理に同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由のときにのみ現れるものです。事実上その選択肢しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分に発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女の自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任は彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。
増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかったかも(実はプロの人なの?)。
最初、イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。
でもそうするとセンちゃんやアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思います。お話の上でキャラクターが何らかのミスや悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故で観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんをホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります。
肩すかしなのは、キュルルちゃんの出自と、最終話に至るドラマ、キャラの動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります。
キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブックの最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマがスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテルの海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌは彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。
一般的エンタメの作劇上のセオリーで評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的でカジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術は進歩してきたのではないですか。
30代男性。妻子あり。
激昂した感情が漏れ出るではなく、感情の流れをそのまま垂れ流すでもない。ある定型にそった言葉がほぼ無意識にこぼれる。幼少の頃からそうだったのではなく、20代半ばにそのような癖ができた。
何某カナ的に誰それに会いたいであったり、誰それが好きだであったり、最も直接的なものだとセックスしたい、である。
対象となる人物が実在するかは問わない。むしろ実在しない場合の方が多いように思う。
この独り言がどのような心理的作用によって発せられているのか寡聞にして知らないが、独り言でなにかしら情愛の対象となっている人物に対してのその感情に偽りはないのだと思う。
つまり俺は、神戸から転校してきたクラス委員長と結婚したいし、ボクっ娘な真とキャッキャウフフしたいし、みくにゃんとにゃんにゃんしたいにゃあ!
今朝のことである。
昨晩意図せずに早寝したせいか、珍しく誰よりも早く目が覚めた。
先週は任せっきりにしていた朝の家事を今日は妻のぶんまでこなそうと思い、すぐにキッチンに向かった。6時前だった。
朝食の支度をするにはまだ少し早い。
ダイニングに目をやると、麦茶のピッチャーがダイニングテーブルに取り残されたままになっていた。まずは麦茶を作ることにした。
T-falに半分ほど注水してスイッチを入れてから、ピッチャーの底に澱んでいた麦茶をシンクに流す。
じじじじじ、と電熱器が加熱される音が次第に水が沸騰する音にかき消されていく。
熱湯消毒は洗剤で洗う前にした方がよかっただろうか。
そんなことを考えながらピッチャーを洗う後ろで、ぽこぽこぽこと沸騰音が徐々にキッチンを満たしていく。
独り言は環境ノイズが大きくかつ多くなればなるなるほどその存在を主張するがごとく大音量で発せられる。
その刹那。
「●●ちゃんて誰?」
T-falから溢れる沸騰音とシンクの水音を遮る声があった。妻だった。
間髪入れずに、半ばオートで答える。そんな俺を俯瞰している俺がいて、いつの間に分かれたかは知らないが、多分そっちが本物の俺だった。
数秒の間をおいて俺が重なり、同時に焦燥に似た何かが沸き上がってきた。
やっちまった? とうとうやっちまったな。いや何を? やってないぞ俺。いやヤりたくはあるのか。
キッチン脇を抜けてリビングに向かう妻の後を追いながら「恥ずかしいから聞き流してくれよー」と照れ隠しに笑う。
「知らんがな」と顔をこちらに向けずに妻は言い放つ。これ以上的確な受け答えはない、と思った。
「●●」とは誰なのか。
健康アイドル? 姫カットの貧乏お嬢様? 第5世界のイアルの子? FARGO教信者? ICPOのヨーヨー使い?
他に誰かいただろうか。それらのキャラクターと俺はセックスしたがっているのだろうか。
自問の答えは出ず、妻にはバツの悪いまま、慌ただしい朝の日常に呑まれていった。
いたというか自分で作り出していた。自分でハニーをセレクトしたカスタムメイドなキャラクターを。
集合的無意識によるものかもしれないし、チュパカブラ様のご神託だったかもしれないし、或いはそれが世界の選択だったのかもしれない。
ともかく、●●という名を持ったセックスしたいキャラクターは存在していたのである。
自身への疑問は解消した。しかしこれをどう妻に説明しようか。既存のキャラクターでも大概だというのに、自分でクリエイトしたキャラクターである。
ただでさえ性的に拗らせた感バリバリなのに、(控えめに言って)もっと面倒なヤツ扱いされはしないだろうか。
いやそれ以前に説明する機会は訪れるのだろうか。
まずもって俺は今日どんな顔をして「ただいま」と言えばいいのだろうか。
何でそんな怒ってんの?こわい
博物館以外は普通にたぶん日本語でも検索すれば出るくらいだと思うし特別な話ってわけでもないよ
ギリシャポーランドのなんて日本でもニュース流れてたの覚えてるし
これは前にネットで見かけただけなんだけどインフラ投資分の請求とかだったかな
植民地からの訴えガン無視してるのは知ってたんだけど欧米列強は結構そういう感じっぽいって知ってビックリしたな
博物館のは2年?3年?くらい前だけどドイツ人から聞いたから眉唾じゃないならたぶんある
ナチスの科学者や技術者の功罪の功の部分をフィーチャーした展示なんだって
観光客が来る様なとこは基本ないけどその科学者の出身地が田舎の方だったりすると誇るみたいにやってるとこもあるって言ってた
だから又聞きみたいなもんなんだけど
映画の帰ってきたヒトラー見てドキュメンタリーとしてもドイツ人のそういうとこ描いててこういう感じなの?って聞いたら教えてくれた
ドイツ人はこれはこれそれはそれって考え方する傾向あるから教育はちゃんとやるしナチスの罪も理解してるけどどこかでそれはそれとして功績は功績って捉えるとこもあるんだって
でも普通は思ってたとしても表立って言わないけど田舎だと悪気なくそんな程度の認識だよって
田舎じゃなくても東とかのある程度の年齢の人もそんな感じらしい職人系の人とか
イギリス人とかが見たらたぶんショック受けると思うけど自分はそこまででもなかったって言ってた
それがナチスの罪を肯定してるわけじゃないしそういう昔もよかったって人がいるのは知ってるからって
自分はドイツは賠償とかはアレだけど国内での今の教育とそういう価値観広めるのはすごいちゃんとやってるイメージだったからちょっとショックで覚えてた
結構そんな感じなんだなって
都市部と田舎で意識違うのはどこの国もそんな感じじゃない?って言われたけど
それナチスでやっちゃ話別だよね
注:怪文書の類ではないです。また、俺の考えた最強のvita後継機みたいなのも書く気はありません。
自分は以前から以下の三つの理由で、SIEがモバイル(携帯端末)事業を、素直にあきらめるはずがないと思っている。
この理由の詳細を以下に記す。
2018年にSIEの現社長兼CEOに就任した小寺剛氏は、モバイル端末やネットワーク事業を経歴に持つ。
そのような人がトップに居る時に、PS4が好調だからといって、いや好調だからこそ、モバイル事業をそう簡単に諦めるとは思えない。
また、Sony IR Day 2018で『いくぜ一億MAU!』という目標を掲げている。
これをPS4のみで実現しようとすると、基本的に一家一台なので、MAUはいつかは伸び悩むことになる。しかしモバイル端末であれば、一人一台計算になり、MAUは飛躍的に伸びやすいだろう。
Xbox360/PS3/wii(販売日順)の世代のゲーム機の販売競争は、自分は以下のような感じだと認識している。
簡単には書いているが、この三番目の『改善』は、そう簡単なものではなかったと思う。それこそ、血反吐を吐くようなものだっただろう。
このようなエンジニアが所属している企業が、世界で1600万台も売れたPSvitaの後継機を開発せずに、ただリソースを放置しているとは思えない。
PS4は現在、2010年前半の世代の据え置き機(WiiU/XboxONE/PS4)で最も売れている。
このPS4を設計したのはマーク・サーニー氏だ。そして彼は、PS4の設計の際に、PS3の何が良かったか、何が悪かったのかを解析し、そして活かした。(何かの記事で読んだが、どれかは失念)
そして、マーク・サーニー氏は、実はPSvitaの設計に関与している。(ニコニコ大百科および、その情報を元に調べた情報から)
そんな彼が、たった一世代だけ任天堂の後塵を拝した程度で、その次世代機を諦めるだろうか。むしろPSvitaを、PS3と同様に徹底的に解析して、より良いモバイル端末を作るように思う。
もちろん、個人のエンジニアでそんな判断できないだろうという声もあるだろう。だが、少なからず影響力はあると思う。
以上が、自分が『SIEが素直にモバイル事業をあきらめるはずがない』と思う理由だ。
他にも、PSvitaは現行スマホとほぼ同じパーツを使っていたり、既に終了したPlayStation MobileやVitaOSの話も追記しようと思えば出来る。
だが、それらは『モバイル事業をあきらめるはずがない』とは少し違うので、ここでは横に置いておく。
なお、この文章を書こうと思った切っ掛けは、 https://biz-journal.jp/2019/01/post_26229.html を読んだからだ。
ただし、この記事の内容に触発されたということではない。(販売台数の1600万が爆死なのかとか、ツッコミたい所はあるけど)
まとめサイトや個人BLOGではなく、ちゃんとした企業が運用しているBusiness Journalがvita終了の話題を掲載したということが、これを書いた理由だ。
大抵こういうのは逆神になるのが相場なので、そう遠くない時期にSIEがモバイル事業に対する何かしらの発表されると思ったのだ。
そして、その発表後にこのような文章を書いても、『後からなら何とでも言える』でしかないので、今の内に増田に投稿することにした。