はてなキーワード: カリキュラムとは
分野横断的な人材を育成するということだが、マネジメントやコンサルティングの立場が近い。
制御工学や最適化と言った工学の基礎分野は抑えているが、演習もなく、定着しづらいと思う。数理的な面での基礎を学びたいのであれば計数工学の方が適している。
プログラミングもプログラミング言語演習の他、アルゴリズムや計算量理論などの基礎は教えるが、OSやコンパイラ、ネットワークを深く掘り下げることはしていない。演習の難易度は低い。
エンジニアとして技術を学びたい人よりは、プロジェクトマネージャーやITコンサルタントになりたい人向きだろう。
巨大なシステムを扱うため、数理的に扱いづらいのか、テストではなく、小論文のレポートの講義が多い。
社会人になると、技術以外の立場から問題を捉える重要性は理解できるが、大学の講義の中でそれを習得できるようにすることは難しい。
私も工学を製造業以外の分野に広げていく必要がある、経営学やマーケティングの知識をエンジニアが持つべきであると考えているが、エンジニアの技術習得との両立が難しい。
新しい社会に立ち向かおうとする熱意ある人材が集まってくると思うが、方向性が違っていたりすると悩むことになると思うので注意して学科を選択した方がよい。
カリキュラムはもっと情報学、数学、統計の講義を増やすべきだと思う。データ処理の重要性は今後増々伸びていくだろうから、これらの知識もより重要になるだろう。
計数工学科と似てくるという問題はあるが、それらをツールとして扱う立場から学ぶということで差別化していくのがよいとだろう。
皆さんはじめまして。私は、「レンタル数学教える人」というTwitterアカウントで、数学にまつわる情報を発信しています。つい今年始めに、算数のかけ算順について述べた所多数の意見をいただきました。一人ひとり返信してもラチがあかないため、論旨を整理してTwitterに投稿することにしました。
どうしてかけ算において順番が大切なのか。それは、
「かけ算(乗法)の意味を理解する」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
という順にかけ算を学んでいくカリキュラムにあります。よく、かけ算の項の順番が逆で答えが合っているのにバツになることがありますが、これは、「乗法の意味を理解する」と「乗法の場面を式に表す」が出来ていないとみなされるからです。
答えが合っているのにこの段階をねちっこく行うのは、かけ算の後に割り算が控えているからです。かけ算は「かけ算(乗法)の意味を理解する」「乗法の場面を式に表す」の二つが曖昧でも正しい答えを出せますが、割り算ではそうはいきません。「□×○=△」の場合、□と◯にいい加減に数を当てはめても正しい答えを導けますが、「□÷○=△」の場合、□と◯にどんな数が入るのかを理解していなければ、正しい解答ができないのです。さらに、割り算の先には割合が控えています。「場面を式に表す」技能が不十分だと、ここでつまづいて地獄を見ることになります。
つまり、後に控えた難しい単元を学習するにあたり、「場面を式に表す」部分の理解が非常に重要で、その取っ掛かりがかけ算の順番なのです。「面積の問題で縦×横と横×縦は違うんですか?」みたいな指摘をもらうことがありますが、それは交換法則を用いれば同じになるという話。交換法則をやる前に、まずは「場面を式に表す」を丁寧にやっていくことが重要なのです。
で、ここからは余談というか愚痴なんですが、かけ算順序問題にまつわる批判は攻撃的な文体のものがまあ多い。Twitter内をずーっと警備してかけ算順に対し攻撃的な批判や誹謗中傷を繰り返す「超算数警察」みないた輩がいるんですが、何のために戦っているんでしょうね?
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大体こんな感じかな?
俺も暇なもんだなぁ(本当はやらなきゃいけない課題がある)
掛け算は「掛け算(乗法)の意味を理解する」「乗法の場面を式に表す」の二つが曖昧でも正しい答えを出せますが、(×掛け算→◯割り算)ではそうはいきません。
学際性の高い学科に進んで、その浅さに絶望して、勉強も進まなかった。
自分が興味を持てる専門分野を見つけて、努力したが、それまでの積み重ねのなさから、成果を上げることができなかった。
今はそれほど専門性が高くない仕事をしているが、不安でしょうがない。
当時は、専門を突き進むと周りがみえなくなるのではないかと思って、多様な基礎を身につけるようと進学したんだが、カリキュラムがあまりにも虚無だった。到底、基礎が身につくはずのない内容だった。
個人のスキルの多様性は、一つの分野を極めて、それを基礎として他の分野に広げることで得られるものだろう。そうせずにやろうとして失敗してしまった。
別の選択肢で考えていた専門分野にも隣接していたのでそちらに進むことも考えていたが、やっていることのレベルに差がありすぎた。
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
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恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
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超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
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今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
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お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
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君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。
軍属(事務職・技術職)については「落ちこぼれが国家公務員になろうと一番人気ねー所に。民間で働いてもたかが知れているって自分を値踏みしなきゃならんとは不憫な学生時代だったんやねえ」で話は終わるんだがな。
生産性皆無にも程があるだろ?
そりゃまあ大昔だったら街中に山賊が出るのを軍隊が追い払ったりしただろうが、今はもうそういうのないだろ。
戦争だって結局は軍隊なんてものがあるから産まれているのばかりで、国際法で「兵器を沢山持ってる奴、他の国に迷惑だから死ねよ」とか決めれば終わりじゃん。
人殺しとかよくやる気になるな。
そういう競技だってルールで決まっているからって人を殺すのはちょっと無理だろ。
ボクシングだって相手を殴り殺すためにパンチしてるわけじゃないし、ラグビーだって故意に相手を傷つけるような行為は重い反則としてときには傷害罪だよな?
それが相手の心臓にナイフを突き立てるのを仕事に選ぶなんて頭のネジが全部抜け落ちてるとしか思えんぜ。
お父さんは金積まれたので人を殺してきましよたって家族と飯食ってるときに子供に言うんだろ?
まあそれにしたって待遇がすげーいいなら倫理観の壊れた奴がやってもおかしくないが待遇別によくねーべ。
教育隊でやらされるのはフルメタル・ジャケットごっこそのものだし、今どき意味不明な理屈で新人イビリするのもカリキュラムに入ったまま。
舞台に配属されたら上官の靴磨きだの毎日の筋トレだのやらされて泥まみれクソまみれで訓練。
海はもちろん陸や空だって意味わかんねー合宿訓練の連続で、帰ってきたら溜まってた仕事を処理するからなかなか家にも帰れない部隊もあるっていうしな(逆にスゲーヒマな所もあるらしいな。やっぱ馬鹿だぜ軍隊)。
まあ飯代出してくれたり宿舎で暮せば格安だったりするんだろうけど、なんとも惨めなケチリ方だよな。
結局いくら居てもロクな技能は身につかないから、転職なんて全然出来ず、そこにつけこまれて待遇はどんどん先細ってるらしいじゃん。
下手すりゃ期間工ルーパーのほうが「待遇悪いから~~次のループからは別の会社行っちゃおっかな~~」で脅しかけられるからまだ有利とか聞くぞ。
誰がなるんや?
マジ?なんで消防隊に入らないの?
つうか人助けがしたいっていう口でなんで人殺しの練習で銃をパンパン的に当てるような仕事につくの?
脳が腐ってるとか?
まあそうだよな。
脳が正常なら災害対策したいと思ったら建設系に入ったりするもんな。
なるほどね。
基地外ってことか。
入る前は基地外に住んでいるだけにってかwww
入ったあとも結局基地外だけどなwwwww
あーおもしれー
今回の件では、大学のハラスメント相談が使えないという話がかなり出ている。これは大学によるだろうが、教員が担当者である場合、基本的に使えないのは当たり前だと思ったほうがよい。
現在の大学教員には、きわめて多くの業務がある。学部広報、入試関連業務、人事関連業務、カリキュラム改正、学生間のトラブル対応、不正行為対応、意味のよく分からない研修、無数の会議と書類書き等々。それらの業務の合間に授業準備やら授業やら研究をちょろちょろっとやっている。果てはコロナでオンライン授業やらハイフレックス授業やらで青息吐息というのが現状。昔とは違って学生がおとなしくなったので、学生運動対応がなくなったのが、かろうじて救いとしてある。そういう状況のところに、教員によるハラスメントの対応という超ヘビーな仕事が降ってきたとして、まともに対応できるはずがない。
それでも時間を捻出して対応にあたるとして、大学教員には当たり前だが捜査権がない。警察と違って指紋採取などもできない。できるのは関係者を呼んで話を聞くことだけだ。しかも、その関係者の話がそれぞれに食い違っている。自分が担当したときには、まるで逆転裁判だと思った。良くも悪くも、当事者が全員、自分にとって都合のよい話をする。関係者同士が陰で口裏を合わせることもおそらくある。それを素人の大学教員が判断することになる。
しかも、これは大きな声で言えないのだが、明らかに当事者が精神を病んでいるケースもある。「電車に乗ったら乗客がみんな自分の悪口を言っていました」というような話を聞かされたこともある。完全に専門のカウンセラーが必要な領域だと思ったが、この手の話は本人のプライバシーにかかわる問題なので、勝手に病院に相談することもできず、まして学内で共有することもできないので、担当した教員と一部のスタッフで抱え込むしかない。
その反面、たしかに教員側に大きな問題があるケースもある。まじでクソなハラスメント野郎もいて、厄介ごとを引き起こしているのだが(ただし、外面は良かったりする)、その対応に当たる教員はめちゃくちゃに疲弊している。
以上を踏まえると、大学がまともにハラスメント対応をするためには、専門部署を作り、そこにかなりの予算と権限を与えるよりほかないと考える。
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。
正直私は学生自治など成績優良者の中でも教職員に従属することを決めた奴らのごっこ遊びか、アカの手先になることを決めた性格に難しかないエリートの工作活動だと思う。
実際学生自治が学生運動へ発展し左翼労組と共に世の中を混迷のどん底に突き落としたのは明白。
1割の人の都合は無視する必要があればせざるを得ないが、4割の人の都合を無視するような「自治」は果たして自治か?私は全くそうは思わない。
例え自治会長の決め方を学生の直接投票にしてカンバンを被せたところで、結局やるのはカリキュラム達成のための手助けでしかない。自分のやりたいことなど何一つない。ただ内申を上げたいだけ。
だとしたら学生の直接投票は自治への参画からただの無駄な手間へ変貌するだろう。ペラペラの政策を見せられ、仕方なく投票する。こんなはっきり言ってゴミのような制度はいっそない方が良い。やるのであればスケジュールに対して強い権力を持って日程変更なども自治会が発すればやらせられるレベルの権力を持たせるべき。「ここまでやらせては学校の秩序が崩壊する」と言っている教職員どもは今すぐ人生やり直せ。もっと大きい集団を学生自治よりさらに自治性の高い3集団がまとめている国に何年いる。
政治家の質や新規性の低下もあるんだろうが、まずこんな地獄を超えてもはや空気と化している学生自治の見直しこそが投票率の上昇にもつながり民主主義を回転させると思うのだが、残念なことにいまだに特に公立高校ではそのような動きを聞かない。
最後に自称自治会ども。教職員ファンクラブは別枠でやって自治会では自治会の意思を発揮しろ。じゃなきゃ学生自治の邪魔だから自治会を辞めるなり最悪学校を辞めるなりしろ。
なんだねあいつらは。野党の面汚しだと思う。あのような非建設的な週刊誌主義的野党が第1党に上り詰めたのは多分運動家のジジババとイメージだけで物事を考えその先や物事の中身も考えないウェイどものおかげだと思う。「なんか政権がキモいし反抗期してれば票がもらえるね」と誤解した集まり。是非とも建設的野党には日本を正しい方向に成長させてほしいし、侵略国家に対して態度装備ともに毅然とした防護を見せつけてほしい。
最近またミソジニストが暴れだしているようだが、表現の自由が保証されている法律に書いてある5字の言葉すら知らないのかも知れない。
《この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。》
営業妨害や嫌がらせに及んでいるのなら公共の福祉のために利用していないのではないか?此処最近思うのだが、公共の福祉というものを理解せずに様々な行動に走る人間が多すぎる。警察も消極的すぎるからこそあいつらは自称正義を加速させていく。警察含め治安維持機関は過激左翼への監視もいいが、もっとこういう社会全体にリスクを及ぼすような存在を監視することもまた業務にあるべきではないか?
国家がやるべきことを国家がやらないからこそ、ヤクザや自警団ができるのだ。国家が責任を持ってやればそのような無秩序な集まりは出てこない。そして、それを理由や根拠理論もなしに妨害するような人間は捕まえてもらって構わない。治安維持とはそういうもの。
学際的な学科を選択したが誤りだった。これまでの人生で最大の失敗だった。
理系だったが、文系科目にも興味があり、文理融合の学科ということに興味を持って選択した。
情報系学科と迷っていたが、その学科でも情報系を扱っており、別に興味のあるカリキュラムもあり、
理念やカリキュラムはよかったが、実際の講義の内容が古かったり、初歩的なものにとどまっていたりした。
情報系もあるということだったが基本的な内容しかやらなかった。
他の学科の同様のカリキュラムと比較しても、あまりに貧弱な内容だった。
講師と話していて、理系科目が好きな人はうちの学科をあまり選ばないからと言われたこともあった。
そんなこともあり、数学もろくに教えていなかった。
他学科と比較してカリキュラムが少ない分、他学科の講義を聴講して自主的に学ぼうとしたが、その基礎が不十分だった。
その学科は人気があったが、留学やインターンに力を入れる学生を中心とした人気だった。
研究室でも放置気味で、研究のために必要なスキルが身につかないまま、何の価値もない論文を書いていた。
その後、やりたいことが見つかった。何とかやろうとしたが必要な実力がついていなかった。
今でも大学で身に着けるべきことが身につかないままだということに負い目を感じている。
今思えば、人生でも初めての大きな選択で、そのための判断、情報収集が十分ではなかった。
周りの雰囲気に流されていたところが大きかった。自分の実力を見誤っていた。
幅広く教養を身に着けようと志していたが、結局何の専門性も身につかない虚無な時間を過ごしてしまった。
理系として失敗してしまった。数学や物理、情報などの基礎を身に着けることを優先するんだった。
その時の流行の講義などを受けたが、今となっては価値がないものばかりだ。
転科するなり留年するなりして進路を変更していれば、もっとよい将来を歩めていたかもしれないが、
その決断ができなかった。
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。