はてなキーワード: カリキュラムとは
体育の授業に球技が不要という人たちが便利に暮らせている裏では体育の授業の球技が……役に立ってねえな。
本当にゴミじゃん。
サッカーや野球で世界的に活躍する連中は体育の授業でやってるからじゃなくて幼少期から勝手にクラブに行ってやってるもんな……。
ああいう場で触れるからこそ凄い選手のムーブに対して感動する所はあるなんて言っても結局元野球部補欠のオッサンが当時の自分よりは遥かに凄い人に対してケチつけてるわけだから体育の授業程度じゃ無価値じゃん。
待ってくれ学校のギチギチカリキュラムに本当のゴミが入っているはずがないもっとよく考えろ。
たとえば音楽の授業や古典の授業は入り口としての役目を果たしていて彼処から入らないと敷居が高くて一生触れない文化がありそうだがサッカーなんてテレビでやってるから簡単に入れるよな。
おい待て考えるほどに状況が悪化するぞ。
そもそも知らない人が入るといっても大抵の球技はいきなりボール渡されてチーム分けして勝手にやれでストライクゾーンやオフサイドの管理は詳しい奴が独断と偏見で決めてくるから割りとバラバラで教師もよく分からんから経験者任せの無法地帯。
待て待て教育効果が一切期待できないゴミみたいな感じになってきたぞ本当に。
誰か教えてくれ。
なぜ勉強を放棄して落ちぶれて結果共通テストでそこらへんの公立高校生なみの点数叩き出して~
みたいな難関校の最下層にフォーカスを当てたトピックなのにカリキュラムの充実度やそのカリキュラムをこなしてきたタイプの生徒の話をしたんだい?
ウン年前に東京の女子御三家に通ってた理系大学進学者だけど、勝負強さというよりは単純に中高一貫校のカリキュラムの問題だと思う。
追記:数学の定期テストで1度も50点以上を取ったことがない(というかだいたい30点台を低空飛行していた)ので、落ちこぼれとはまではいかないけどまあ底辺から見た感想です。その点数でなぜか理系を受験する気になったのは今思うと肝が冷える。親もよく許したな。
自分のころは、
うちの高校は2年生で文理選択させられる。それまでは芸術しか選択科目がなかった。
で、高校1年生の夏休み以降はひたすら数学の演習を繰り返す。数IAや数IIBで中学のカリキュラムと被っている部分は飛ばすので効率よく勉強を進められる。
英語は得意だったので学校のカリキュラムはあまり覚えていないが……高1時点で高校レベルの文法学習は終わっていたと思う。自分は高校時代の単語帳だけでTOEIC900点とれたので(過去問演習はもちろんした)、単語帳もなにかいいものを使っていたはず。
高2までは古文のテキストを全文ノートに写して品詞分解したものを提出させられたり、世界史や地理でみっちり暗記させられた記憶がある。
特に中1時点で百人一首をすべて暗記させられた古文は役に立った。センター試験の古文は単語を覚えただけでほぼ満点が取れた覚えがある。
また、国公立大学の理系学部受験者がほとんどセンター試験で倫理を選択していたのだが、世界史のおかげで倫理の流れはすごく頭に入りやすかった。
大学時代に家庭教師のバイトをしてみてはじめてわかったが、公立中学・高校で漢検・英検を受験するのは、少なくない生徒にとって時間の無駄であって、自分で100%勉強できるのならよいが、特に中学生は、まだ学習のリズムも整っていないのに、受験すると内申点が上がる?からといって、わざわざ塾で補修を受けたりする。
何しろ問題形式や内容が高校・大学受験と大きく異なるので、せっかくの勉強を受験に生かせない。漢検はまだ少し役に立つかもしれないが。
で、試験が終わればせっかく覚えた英単語なんかは一瞬ですっぽ抜けていく。場当たり的なリスニング対策をするよりは毎日5分ずつでもディクテーションをしたほうがなんぼかましだ。
だいたい、難関私立中学を受験する子供は小学生のうちに漢検英検を受けているものである……というのは偏見だろうか。
高3の最初の化学の授業で先生が一言「センター試験では90点以上取るのが当たり前です」。実際物理化学は満点付近を取るのが当たり前。
今でもよく覚えているが、センター試験の英語記述で200点中198点取れたと喜んでいたら、その年、うちの生徒のほとんどが190点以上取ったらしい。ぬか喜びである。
これについては説明するのが面倒だし、自分は中1の途中で挫折したので気になった方は各自調べてみてほしい。
書いている途中から飽きていったのが伝わる文章ですまない。あと科目選択の話とか受験校選択の話とかいろいろあるがそこらへんを細かく書くと身バレしそうなのでやめておく。
そして同期(女)と知り合った。
研修なんかは当然同じカリキュラムなので、俺と同期は基本、一緒に動く。そして同期とは家が近いのもあって帰りも一緒。
ところで、デザイン学校ってのは就活(?)がすっごく早い。まだ大学1年目だろうと見所あるやつは片っ端からどんどん内定をもらう。
そして、同期はデザイナーとしての道を諦めているらしい。そもそも以前から限界を感じていて、大学4年の就活で第一志望に落ちたのを契機に普通の会社勤めを選んだそうな。
で、俺はというとデザイン学校等は全く行っていないにも関わらず、ウェブCM作成なんかを副業としてやっている。そのせいで同期からはものすごく尊敬されている。クオリティとしては尊敬されるようなものでもないのだが。
そして一昨日、同期と体の関係を持った。相手は初めてだった。その後から楽しい交際が始まる、と思っていたがそんなことはなく、なんというか彼女は自分が叶えられない夢を、俺に見出し始めていた。
俺の作った動画に改善案や意見を述べたりしてくれる。これは大変ありがたい、ありがたいものの、俺としてはそんなことより同期との関係性があやふやなのがどうしても気になる。けども、おそらく同期にとってはデザインに携わるというのは、決して「そんなこと」ではないのだろう。
はじめは俺は「同期が好みのタイプで、しかもその子と副業の話題で盛り上がれてラッキー!」程度に考えていた。
けれども彼女にとって俺は、諦めた夢に最後のチャンスを与える存在にでも見えているんだろう。
俺は同期のことをとにかく可愛い!とだけ思っているが、彼女が見てるのは俺の仕事を介しての自分の夢。このズレは、今は良くても後々おかしな方向に歪みを生む気がしてる。
そして、そのズレが(考えたくはないが)別れに繋がった時、彼女は何もかも嫌になっているんじゃないか、と感じる。
それほどまでにデザインにかける熱量というか、依存度が大きい。彼女が何もかも嫌になった頃には、同期という呼称が不適切なものになっている予感さえする。
クリエイティブなことは楽しい。けど、クリエイティブなことがやらなきゃいけないことになり、いつしかそれほど得意ではないと感じ始めた頃には楽しかった分だけ苦痛になるのかもしれない。
そして、俺の副業は彼女の介在を契機に、気ままな半分趣味の仕事ではなくやらなきゃいけないことにすり替わっている。
まあ、全部嘘なんだが。
塾講単価が高いからっていう理由だけでやる人多いけど私の塾の先生もそうだったとか思うと心底腹立つ、私まじで受験に人生かけてたのにそんな軽い考えの人を信じて勉強時間惜しんでバイトして100万払ってたとか意味わからん。なぁ1人の人生ぶっ潰してお金貰ってる気分はどうすか😁
会社に入って、新入社員 (新卒) 研修も一生に一度しか受けられないけど、講師は単価3万から5万だからやってるだけで、別に「みなさんの成長が喜びです!」「社会人としてのスタートをサポートします!」なんて思ってへんよ。自社で研修やってる会社は、先輩がいちおう後輩のことを考えてやってるやろうけど、外部の研修会社がやってるのは、同じこと (カリキュラム) を何回も繰り返して喋ってれば金になるからやってるだけやで。
↓あからさまに書いてた以下のサイトがなくなっていたのでアーカイブから。
IT研修の講師に対しての報酬は一般的に「1日稼働(8時間程)で3〜7万※」くらいです。 ※フリーランスのIT講師の場合の相場 だいたい新入社員研修シーズンだと、一つの研修についてはだいたい20営業日で行う事が多いので1ヶ月でいうと「60万〜120万」という報酬額が相場です。
【2019年版】IT研修講師の報酬相場について | IT講師.net
https://web.archive.org/web/20201124202412/https://it-trainer.net/usefull/it-trainer-fee/
「5年後の自分をイメージして発表しましょう」とか「インターネットの仕組みを身近なものに例えてみましょう」とか、どうでもいいグループワークをやらせて、適当に褒めとけば研修が終わってお金がもらえるから、やってるだけなんやで。新入社員をワイワイやらせて、時々マナーがどうこう叱っておけば、人事にもいい顔ができて、リピートが獲得できるからやってるだけなんや。
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
あそこは失業保険が切れた人などが生活を維持するために授業受けて金もらいつつ就職先を探すところなので
何かを習得できると思わない方がいいよ。そりゃあ学校なので本人次第ではあるけどけど。かなり難しい。
仮にクラスに20人いて19人が完全未経験だったりする。19人は未経験だから標準的なカリキュラムすら最初から意味が全然わからない
数学の基礎さえあれば意味はわからなくてもカリキュラムが正しいこと自体は分かるけど、そんな人間は教育訓練校にはほぼいない
だから、19人が「こんなに意味不明なのは学校の教え方が悪いからだ!!」ってノリになって全く勉強しなくなるわけ。
そこで「いや、本に書いてあることは正しいから真面目に勉強しよう」って思えるかどうか。たいての人は大多数に流される。
確かに野球などの庶民のスポーツが自由に大会を開催できるということは分かる。しかし、自動車のレースだったりバイクのレースだったり、設備と関係のあるものは多かれ少なかれ多くの関係者を巻き込み、利害関係を調整してはじめて成り立っている。お前のとこのレーサーはメーカー批判したからお前のチームにはエンジン供給しないよなんて当然ある。esportsゲーム業界を盛りたてようという人が泣き言いってどうするの。
>今話題の業界でプロになるために学びませんか?って言われて、お金と時間つかって一生懸命学んで、いざお金儲け始めようとしたら「今まで学んできたものは私共の著作物なので一切の商用利用は許可しません。」って言われたらどうする?っていう話なんだよ。
どうする?ではなく当たり前の話。株式会社マリカーが滅ぼされて当然だってまだわかんないの?彼等だってお金も時間もつぎ込み、日本に来た観光客をよろこばせるために走り続けてきたんだぞ。任天堂に裁判されたの他人事だと思ってるの?私的な著作物に特化した練習をさせて汎用的な指導ができないのなら、企業と十分なコネクションを持つ必要があると分かるはずだし、できないなら潰しが効くように汎用化したカリキュラムをくまないといけない。そこまで分かってるならもうちょっとやろが。もっときばれよ。
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50568929.html
親子で楽しく一つの目標に進むってたしかにそれ自体が得難いゲームだよなと思いつつ、最近うちでも似たようなことがあったので書き殴り。
子どもを預けている学童保育はちょっとした学習塾のような要素も兼ねていて、毎日日替わりで漢字や英語、算数などのカリキュラムがある。また、算数検定や英語検定、漢字検定などもカリキュラム内で受験させている。
うちの子は算数についてはそこそこ得意なものの国語が苦手で、学校で行われたテストなどを見ても漢字についてかなり苦手意識を持ちながら過ごしているよう。
そんな中先日、漢字検定を受けるのに先立って子どもが過去問題を学童で受けてきたのだけれど、合格点には程遠い点数となってしまいがっかりした様子だった。
試験自体に落ちるのは仕方ないとはいえ、自信がなくなってしまうのはよくないよなと妻と話をしていたのだけれど、次の日妻がノートに漢字検定の問題を写し始めた。そして帰ってきた子どもと一緒に、そのノートに写した問題をつきっきりで解き始めた。
そうして数日経つ頃には、別室でリモートワークしている自分の所に「今日はこれだけ漢字答えられたよ!」と嬉しそうに子どもがノートを持って入ってくる様になった。頭をなでてやるととても誇らしげに笑っていて、子どもは続きの問題を妻にせがむ声を上げながら部屋を出ていく。そしてオンライン会議中の同僚に笑われる、そんな日々を過ごしていてやがて昨日。また漢字検定の過去問題を学童でやってきたと、笑顔で子どもから報告があった。
結果は間違いが2問だけ。とても悔しそうにしているものの、嬉しそうでもあった。
子どもを思い切り褒めてあげて、妻にも感謝を伝えた。妻は頑張ったのは子どもであって自分は何もしていないと言っているが、まんざらでもなさそう。
今回のことでは自分は何もできなかったけれど、これからいくらでも機会はあるだろうと思っている。
学校へ出かけるとき、試験合格できるかなと心配そうにしていた子どもだが、これまで頑張ったんだから同じように楽しむといいよ、頑張ったのは間違いないから結果はついてくるよと励まして送り出した。
https://anond.hatelabo.jp/20220126140251
の追記が長くなったのでこっちに
※追記1
元記事にぶら下がった増田に「医師免許9割合格のザルさ」とあって、知らずに見た人が「あれ?医師国家試験て難関じゃなかった?」と疑問に思うかもしれないので説明しとく。
9割合格というのは事実で、新卒に限ると合格率95%と非常に高いのには理由がある。
医師免許を得るための国家試験(国試)は誰でも受けられるものでなく、大学の医学課程(以下わかりやすく医大と呼ぶ)を卒業した者・卒業見込の者でないと受験資格がない。まず医大受験の時点で選抜されてる。
医大受験生にとって国試合格率は大学選びの一つの目安で、低い医大は避けられるから医大は国試合格率を競ってて、なるべく合格率は高くしたい。
特に私立医大にとって学生の払う超高額な学費・寄付金は大事な大学運営資金原資。かといって質の低い学生をかまわず入学させ卒業させ国試に落ちて合格率が下がると、受験志願者からの評判が悪くなり学生を集められないというジレンマが生じる。
(国公立医大では運営資金のうち学費は微々たるもので私立ほど切実ではないが、合格率は実績の一つなので高いに越したことはないし、そもそも私立に比べて学費が圧倒的に安いことから受験生の人気が高く学生の学力が高いので、必然的に国試合格率は高くなる)(基本的に、医師を目指す受験生はまず国公立を目指し、国公立が無理なら私立を受ける。なので私立医大のほうが入試難関度が低いし、逆に学費無料の自治医大は最難関の一つ)
そこで各医大は卒業試験を国試と同レベル以上にして、国試に受かるレベルの学生でなければ卒業させず(受験に必要な卒業見込証明書を出さず)留年させて国試を受けさせない。
留年した医学生は必要な課程は修了してるので、1年間で卒業(国試)に向けて猛勉強し、晴れて卒業見込みになれば7年生の新卒として国試を受ける。
医大が国試合格できる学生だけを選んで卒業させるのだから、合格率は高くて当たり前なわけ。
(合格率100%でないのは、本番に弱いとか卒業試験で運よく?実力以上を発揮したとか…)
受験生が医大を選ぶときは国試合格率だけでなく卒業率も見るべきなんだが、上記のような事情を知らないのか、合格率ほど気にする学生は少ないようだ。
医大ごとの国試の願書提出者数と実際の受験者数が公表されてて比べると卒業率がわかり、国公立は全国どこもほぼ100%に近く、私立はピンキリで難関では100%に近いがキリだと90%を切るところもある。
卒業率90%×国試合格率90%だと実態合格率は81%。医大受験で選抜された医学生の合格率81%を高いとみるか低いとみるか。
※追記2
教員免許でそれやって現状どうなってるか知ってますか。(保守政治家が教員いじめるために導入されましたが、利なく害ばかりなので廃止方向です)
臨床に熱心な医師は試験勉強不足で更新できず、患者や技術向上は二の次で試験勉強ばかりしてる医師が更新できる未来は容易に想像できますが。
そもそも医師になったあとは診療科ごとに必要とされる知識技能が細分化されてるのに、どういう試験するつもりですか。
町の内科医と総合病院の心臓血管外科医と麻酔科医と病理医と厚労省や保健所で公衆衛生行政をやってる医師技官に、共通して必要とされる知識技能がどれだけあると思いますか。
ちなみに医師免許には更新はないけど、各学会が認定する認定医・専門医・指導医資格は更新制で、年間手術件数、症例数・論文数・面接等(学会により違う)で審査されて満たさなければ資格を取り消されます。(あとどんなに優秀でも学会費を納めないとかでも)
最初に資格とるときだけは筆記試験や稀に実技試験があって、試験前1週間は他の同僚に患者をまかせて試験勉強に励んだりまします。(更新で筆記試験があったら大変)
なので資格があるかどうかは知識・技能の一つの目安になりますよ。
病院のホームページの先生の紹介で資格を書いてある所もあるので、調べてから行くといいですよ。
先生ごとの細かい資格紹介がなくても、病院紹介で○○学会○○専門医研修施設とあれば、その診療科には指導医(専門医の上位資格)がいるってことです。
(その先生に当たるとは限らないし、むしろ大きな病院だと医師なり立ての研修医に当たる可能性もあるけど)
私はこれらの資格といわゆる「医師の腕」はほとんど関係ないと思ってるので、気にしませんけどね。
それより例えば耳鼻科クリニックを探すときは、自分の病院の耳鼻科の先生に「○○病院の○○先生どうですか」と評判を聞いてそれで決めてます。同業者の評価が一番あてになるので。
(資格はいっぱいもってても、あそこはやめとけって先生もたまにいるし)
※追記3
「医師の負担軽減のため、薬の処方を薬剤師にやらせたら」の増田
現状、医師は診察で患者さんと話しながら電子カルテで薬の種類と量をポチポチ入力するだけなので、これ無くしても全然業務軽減にはなりません。
紙の処方箋は事務員が電カルから出力して患者さんに渡します。いまどき医師自身が処方箋を手書きしてる病院なんて、医師一人看護師一人の離島の小さな診療所くらいしかないと思う。
そして実際に薬を調合して処方するのは院外(市中)薬局です。医薬分離はずっと前からそうなってて、医師は薬の調合はしてません。
長期継続して服薬してる薬を、医師の診察と処方なしで薬剤師の判断で出すことはできませんが、
それを薬剤師にやらせるなら、薬剤師にそこまで権限と責任を負わせるなら、それなりの報酬(点数)をつける必要があるでしょうね。
薬剤師が処方権を持つ国では薬剤師の年収1千万超えるらしいですよ。
やっぱり結局は金なんですよ。
そもそも薬剤師が自分の判断で薬の処方を決める事を望んでるのか、制度が実現したとしてどれだけの薬剤師がそれをやりたがるのか、未知数ですね。(そういう調査、あるんでしょうか)
※追記4
どういう事をやらせるのを想定してるのかわかりませんが、内科だと症状から原因を推定し治療方針を決める診察行為や、外科なら体にメス入れるのを考えてます?
看護師にそこまでの権限と責任を負わせるのなら、助産師のように看護師の上位に新たな資格を作る必要があるでしょうね。
看護学校での教育カリキュラムや試験内容も相応に厳しくする必要があります。それこそ医師並みに。
今の看護師の資格・待遇のまま医師の責任の一部を追わせようと考えてるのなら、ブラック主権者の極みですよ。今でもいっぱいいっぱいなのに、誰もやらたがりませんよ。誤診したり手術失敗して、それが「現代医学で求められる水準」を満たしてなかったら逮捕されたり巨額の賠償金を負うのに。
看護師上位資格にはそれなりの報酬がなければならず、やっぱり金ですね。
みなさん知ってますか、収益を重視する民間の大病院では、病棟の時間帯によっては、ナースステーションにいる大勢のうち看護師は数人だけで、あとはみな低賃金の准看護師と看護助手(なんの資格も持ってないアルバイト)って事も多いんです。(公立病院だとそういう例は少ないけど、公立病院はだいたい赤字ですね)
そんな状況で看護師より高給の上位看護師を、医師負担軽減のために雇う病院、どれだけあるかな。
もし上位看護師を雇ったらそのぶん医師は減らされて、結局医師一人あたりの負担は変わらないと思いますよ。
※追記5
「今まで男子受験生が下駄はかされて優秀でない医師になってたんだ」のブコメ、増田。
入学試験では医学知識は問われず、医大の入学試験の成績=医師国試の成績ではないし、医師国試の成績=医師の優劣でもありません。
そもそも、入試成績が劣るものが医師になるのが良くないことだと忌避するのであれば、
それは医師の負担を軽減するために医師を増やすことも良くないという事になりますが、そういう考えですか?
医師を増やす=医師国試の合格者を増やす、医学部合格者を増やす、ということで、それはつまり合格ラインの引き下げということですよ。
「下駄はかされてた男子受験生が優秀でない医師になってた」と怒りながら、「女医が働きやすいように医師の働き方を改善しろ、医師を増やせ」と両方言ってたら、矛盾してますよ。
元増田です。
>バラバラの知識でどうやったら完成品ができるのかわからんかった
これは本当に思い当たる節がある。
開発の勉強は取っ掛かりが最も難しいから、手を動かしてモノを作れるようになるには、開発経験のある仲間(を得る運)が絶対に必要だと思う。
自分も天性の能力があった訳ではなく、仲間にいろいろ教えてもらった上でやっとできるようになった。
>CとかJAVAとか秀丸で書いて、コマンドプロンプトで実行してみたいな感じやったもん
大学の先生って50代や本業プログラマーではない生粋の研究者が多いから、授業で秀丸とか勧められるのは本当にあるあるだった。
大学の授業で教えられてる以上、普通の大学生はそこに疑問持てないと思う。
大学って(本来は)職業訓練校ではなく純粋な教育機関だから、就職やエンジニアとしての実務のことを考えると最適でないカリキュラムがとられてると思う。
受験、超進学校、医学部ナンバーワン…こうしたキーワードから条件反射的に、親や学校の圧力があったなどと思われがちだが、おそらくそうではない。「自由な校風」であることはマスコミからも言及されているし(地元紙・地元局ぐらいならまず一定数出身者はいる)、ゲンダイ曰く父は私大職員だという。これでは親からの圧力があったとは考えにくい。東大東大言えば親として自分の仕事先をどう思ってんだ?という話になる。昔、愛知県知事が高校入試の仕組みを決めたにもかかわらず自らの子息を私立にやって批判されたこともあり知られている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/300082
偏差値・学校名を叫ぶ、卒業文集にも勉強について書くといった話からの推測ではあるが、結局これは、彼が自らのアイデンティティを勉強以外に見いだせなかった結果ではないか。多くの中学入学組は、上には上がいる、理Ⅲに行くような人はタマが違うことを、入学前の模試の順位・点数や学生生活を通じて理解していき、アイデンティティのより所を乗り換えていく。部活、文化祭、外部から講師を招いた講演会の企画・運営、趣味やゲームを通じたゆるい繋がり、クラスでの奇行や変人アピール。自由さの下に豊富な乗り換え先を持ち、アイデンティティや友人を得ていく。一方高校から入学した彼は、カリキュラムの都合上高1は別クラス。コロナもあって授業外での繋がりを得る機会は難しかったのかもしれない。そして高2になると、そろそろ勉強に本腰を入れようと「乗り換え先」から戻ってくる、潮が引いていく流れが徐々に強まっていく。新年度から…、夏休み明けから…、文化祭が終わってから…、大会が終わってから…と。特に中学から勉強をそれなりにやってきた人たちほど早いだろう。そうした中で結局彼は勉強以外のアイデンティティの乗り換え先を見つけずじまいだったのかもしれない。
あくまで推測でしかない。高校入学であってもなじめている人はいる。友人と中学時代の思い出の話になってそうと気づかれるような人もいる。被害にあわれた方々が心身ともに快復されるのを祈ります。
以下は、D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)公式ブログ 2021年10月4日付記事の和訳である。これに続く形で発表された。英語版のエラッタおよび注釈記事(https://dnd.wizards.com/dndstudioblog/sage-advice-book-updates)については有志による翻訳(https://blog.nekohaus.net/20211228.html#p01)が発表されているが、その前段として発表された記事となる。
ここ数日一部で物議をかもしている、2021年12月27日発表のD&D日本語版エラッタに関する(おおかたは不毛な)議論をいくらかでも建設的なものにするために資するところがあると考えて和訳した。
原文: https://dnd.wizards.com/articles/sage-advice/creature-evolutions
最新のD&D書籍である『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』では、プレイヤーキャラクターとして使用できる種族が2つと、一群のフェイワイルドのモンスターとNPCたちが活躍します。今回のセージ・アドバイスでは、これらの新たな選択肢におけるルールの進歩について説明します。まずはデータ・ブロック、次に新種族についてです。
過去約1年ほどのあいだ、D&Dのデータ・ブロック記法を洗練させてきました。使いやすく、またDMがコントロールするクリーチャーをゲーム内でより効果的に動かせるようにするためです。以下の各項では我々が既に行なった主な変更を解説します。これらの変更は以下の書籍に見ることができます。すなわち『ザ・ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』『フィズバンズ・トレジャリィ・オヴ・ドラゴンズ』『ストリクスヘイヴン:ア・カリキュラム・オヴ・ケイオス』そしてモルデンカイネンのお送りする『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』です。
「図版(原文参照)」
(例として、ブリーワグ・ナイトのデータ・ブロックとイラスト)
クリーチャー種別は、常に頭文字を大文字で表記するようになりました。これは、ルールテキスト中で特定の種別に属する特定のモンスターの話をしているのか(例:a Giant と書いてあれば巨人種別のクリーチャーを指す)、それとも通常の意味でその言葉を使っているのか(「彼女はバードたちのコミュニティにおける巨人であった」という際には giant を使う)を識別しやすくするためです。
我々はまた、どのモンスターが「人型生物」種別を有するのかを厳密にしました。人型生物は、今では倫理と文化の幅において人間に似通った種族だけに限定されます。今後、以前の書籍をアップデートする際には一部の人型種族をほかの種別に変更する予定です。『モンスターズ・オヴ・マルチバース』が発売されれば、以前は人型に分類されていたものが怪物、フェイ、そのほかの種別になっていることがお分かりいただけるでしょう。
『キャンドルキープ・ミステリーズ』『ヴァン・リヒテンズ・ガイド・トゥ・レイヴンロフト』では、属性がデータ・ブロックに入っていません。この2冊では、将来的に属性をどのように扱うかを決めるための時間を稼ぐ一時的措置として、データ・ブロックから属性を抜いてみたのです。検討の結果、『ワイルド・ビヨンド・ウィッチライト』では属性がデータ・ブロックに復帰しました。以降の書籍でも同様です。
一時的に入れなかったのはなぜでしょうか? しばらくの間、コミュティ内部では属性の役割について混乱が見られました。プレイヤーズ・ハンドブックのルールではプレイヤーは自分のキャラクターの属性を選びます。モンスター・マニュアルのルールでは、DMがモンスターの属性を決めます。どの属性を選んだかに関わらず、クリーチャーの属性はそのクリーチャーが持つ倫理の概観を説明するものです。属性によって行動が決まるわけではありません。属性は本質的にはロールプレイを補助するものです。
上記の2冊は「プレイヤーとDMが最終的な属性に関しては決定権を持つ」ことを明確にしていますが、この2冊によって疑惑も生じます。プレイヤーズ・ハンドブックはD&D多元宇宙の様々な人々(folk)の属性についての示唆を掲載しています。モンスター・マニュアル掲載のデータ・ブロックには属性が含まれているものの、それが示唆に過ぎないという但し書きはないのです。
この疑惑を払拭しつつ、ロールプレイの道具として属性を役立てることができるように、以下の変更をおこないました。
・固有名のある個人すなわちミスター・ウィッチやミスター・ライトは属性を明記されます。
・種別が人型生物のクリーチャーは一般に「どの属性でもありうる」と記載されます。DMに、こうした人々の倫理観には極めて広い幅があることを思い出してもらうためです。
・強い倫理的傾向を持つ魔法的な種族(エンジェル、デーモン、デビル、アンデッドなど)に関しては、属性表記の前に「典型的には」の語が付きます。たとえばデーモンのデータ・ブロックには「典型的には混沌にして悪」と表記されます。D&Dのデーモンの典型的な属性は混沌して悪だからです。このひとこと――典型的――は、DMに対して属性は物語を語るための提案であって、絶対的な存在ではないことを思い出させます。聖なるものが堕落することもあり、邪悪なるものが昇天することもあります。特定の組織――献身的な騎士団や悪魔崇拝のカルト――に属する者も時として「典型的には」と表現されます。
・野獣の大半、それに粘体などのクリーチャーは倫理観を分類することができないため、これまで通り属性を持ちませんので、「無属性」という表記になります。
クリーチャーの中にはタグが付いているものもあります――エルフ、ゴブリン類、タイタンなど。これらのタグは、データ・ブロックのほかの部分では表現されない重要な細部を表現するものです。我々は、ルールが参照する新しいタグをいくつか導入し始めました[訳注:これまで、タグにはルール的な効果はなかった]。これらのタグによって、クリーチャーはゲームシステム上でより鮮やかに活躍することができます。たとえば、一部のクリーチャーは「クレリック」「ドルイド」「ウィザード」といった呪文発動可能なクラスのタグを持ちます。また『モンスターズ・オヴ・ザ・マルチバース』では、こうしたタグをもつクリーチャーはマジック・アイテムとの同調においてそのクラスの一員として扱われるというルールが収録されます。
データ・ブロックの数字の多くは習熟ボーナスを含んだ(計算済の)ものです。このことから、今ではクリーチャーの習熟ボーナスがデータ・ブロック内に記載されます。場所はクリーチャーの脅威度の右隣です。
クリーチャーがボーナス・アクションを使用可能な場合、今ではデータ・ブロック内の「ボーナス・アクション」の項に記載されます。この項は「アクション」の次に記載され、もしモンスターに「リアクション」の項があれば、「アクション」と「リアクション」の間に「ボーナス・アクション」の項が入ります。
新しく項目としたのは、DMがクリーチャーを動かす際にボーナス・アクションを簡単に探せるようにするためです。これまではデータ・ブロックの上端ちかく、クリーチャーの特性の中にあって見つけにくかったのです。
2014年以来、呪文発動可能なクリーチャーは「呪文発動能力」または「生得呪文発動能力」の特性(あるいはその両方)を持っていました。2021年から、我々はこの2つを「呪文発動」アクションに統合しました。このアクションはデータ・ブロック内の「アクション」の項に記載されます。加えて、いくつかの重要な性質を持ちます。
呪文発動アクションは呪文スロットを使用しません。クリーチャーはアクションに記載された呪文を一日に特定の回数だけ使用できます。
呪文発動アクションに記載される呪文は発動に1アクションが必要な呪文だけです。呪文の発動にボーナスアクションやリアクションが必要な場合、あるいは1分やそれ以上の時間がかかる場合には、データ・ブロックの他の場所に記載されます。これによってボーナス・アクションやリアクションを使用する呪文――たとえばミスティ・ステップ呪文やシールド呪文――が呪文リストに埋もれてしまうことがなくなります。
我々は、データ・ブロック内に記載する呪文の選択にはこれまでより注意して、非戦闘的な使用法に焦点をあてています。魔法を使うモンスターが持つ最強の火力は、今では呪文に頼るのではなく、特別な魔法的アクションによって表現されるのが普通になりました。
『ワイルド・ビヨンド・ザ・ウィッチライト』の新たなキャラクター用種族、フェアリーとヘレンゴンはいずれもアンアースド・アルカナで登場し、同書でその最終的な形を見ることができます。両種族が持ついくつかの特徴は同書限定というわけではなく、今後登場予定の書籍に収録される種族にも適用される予定です。以下でその特徴を見てみましょう。
[訳注:フェアリーは羽のある小妖精。ヘレンゴンはウサギ人間。アンアースド・アルカナは公式WEBサイトで紹介されるテストバージョンのルール]
かつては、キャラクター種族の種別は暗黙のうちに「人型種族」であるものとされていました。新種族においては、キャラクターのクリーチャー種別が明示されています。たとえば、フェアリーのクリーチャー種別は「フェイ」です。
クリーチャー種別それ自体にはルールがありませんが、ゲーム中のルールの一部は特定の種別のクリーチャーに異なる影響を与えます。たとえば、キュアー・ウーンズ呪文は人造あるいはアンデッドには効果を発揮しません。
新たなキャラクター種族は、プレイヤーズ・ハンドブック所収の種族が持っていた「能力値上昇」の特徴を持ちません。そのかわりに特殊なキャラクター作成ルールに従います。これによって、「キャラクターの好きな能力値をひとつを2点、好きな能力値もうひとつを1点上昇させる」もしくは「異なる3つの能力値を1てんづつ上昇させる」ことができます。「能力値上昇」がないので、種族とクラスを互いに独立して選択しやすくなり、各卓で見られるキャラクターがより多様なものになるでしょう。[訳注:種族による能力値の縛りがなくなるので、例えばハーフリングがほかのクラスよりローグを選択しやすいといった状況がなくなるわけです]
。
どの能力値を伸ばすかを選ぶのに迷う場合は、自分のクラスの「簡易作成法」の項を参照することをお勧めします。たとえば、バードの簡易作成法ではキャラクターの【魅力】と【敏捷力】を伸ばすことを勧めています。
新しいキャラクター種族には年齢に関する記載がありません。そのかわり、キャラクターの寿命については以下の文章で説明しています。「典型的には、D&D多元宇宙におけるプレイヤー・キャラクターの寿命は、冒険の途上で暴力的な死を迎えない限り約一世紀ほどである。ドワーフやエルフなど一部の種族は数世紀に渡って生きる可能性がある。」
以前は、キャラクター種族を説明する文章にはプレイヤー・キャラクターの属性についての提案が含まれていました。今後の新種族にはこうした属性についての提案は含まれていません。キャラクターの属性を決めるのは完全にプレイヤーに任されているからです。
サイズ SIZE
ヘレンゴンなどの一部の新種族はキャラクター作成時にプレイヤーが小型か中型かを選ぶことができます。これは、その種族は体格の個人差が特に大きいことを反映しています。この選択肢は今後ほかの種族でも見られることになるでしょう。
そしてまた、種族ごとに身長と体重を提案するのではなく、以下の文章で説明しています。「プレイヤーキャラクターは、種族にかかわらず、我々の世界の人間と同じ程度の身長・体重の範囲に収まる。自分のキャラクターの身長・体重をランダムに決定したい場合には、プレイヤーズ・ハンドブックの身長・体重ランダム決定表を参照し、あなたがイメージするキャラクターに一番ぴったり合う体格をあらわす列を選択すること。」
新しいキャラクター種族には純粋に文化的な特徴を欠いているので、言語に関する記載はありません。そのかわり、新しい種族は共通語と、それ以外にプレイヤーとDMが適切と考える言語をひとつ知っています。
[訳注:ラビット・ホップ/兎跳び は、新種族であるヘレンゴンの種族特殊能力]
ヘレンゴンがラビット・ホップを使うとき、この特徴による跳躍は移動距離を消費しますか?
いいえ。ラビット・ホップの特徴はボーナス・アクションでヘレンゴンをジャンプさせます。この跳躍は通常の移動距離を全く消費しません。この理由は、大休憩と大休憩の間に使える回数が限られているからです。ラビット・ホップのルール文言と、プレイヤーズ・ Permalink | 記事への反応(1) | 20:39