はてなキーワード: にとりとは
ってこれ自体も何番煎じかしらんが書いてみることにとりあえず価値があると思うのでね。
増田で何か書くとだいたい「それは~という学者が既に考えてること」みたいな趣旨の反応が来るよね。無反応だけど心でそう思ってる人も含めて。
なんだろう。その仕事してて気づいたこととかなら結構被んないもんなのかな。業種特有の気づきってやつ。そういう気づきとそれをきっかけにした問題提起というのはあまり「かぶってる」的なコメントは来ない傾向を感じる。
それとも同じ業種の人が見てないだけか。
あと、いくら業種特有でも、より一般的な範囲の問題を解決可能な哲学や数学の射程入っているようなテーマはだめよね。
そういうのはだいたい数学や哲学ですでに考えつくされている法則にあてはまる個別の事例(一般化の逆)みたいなふうな立ち位置にされるだけ。
冷蔵庫&電子レンジ無し生活してた時はアルミ鍋のやつが安いときに買ってたが今日は天ぷらの気分ではないって時に天ぷらしか残ってなかったりする(具があるだけマシという考えや、買い置き増やせという説もある。そもそもその時はIH対応のアルミが調理できないIHだったのでアルミ鍋うどんが嫌いになった)
カツオ出汁とるパックも醤油も酒も味醂もある。ほんだしもある。
面倒ならめんつゆ。上品に、自分好みの調整入れたければめんつゆベースでアレンジするか、カツオなりほんだしから始めるか。(昆布は置いてない)
具は、てんぷらとあげを買い置きしてる。てんぷらは開けると早めに食べないといけなかったり、あげも2枚ずつしか小分けされてなかったり、近所のスーパーで買うやつは不便もあるが、うどん消費量が超える。うどん食べたさは固まる。
乾燥わかめも卵もだいたいある。たまに牛肉もある。余った野菜入れてもいい。
余った野菜と肉、基本豚バラ。葉物とキノコ類、多少の根菜で栄養バランス最強となる。
味付けは鶏ガラやオイスターなどで中華でもいいし、ソースでもいいし、めんつゆが最強。
玉子(薄焼きでも目玉っぽくでも)を乗せてもいい。
まだパスタ麺の代わりにうどん系は試してない。コンソメとか洋風も
最強は実はこれなんじゃないかと思う。
レンチン可の冷凍うどんをレンチンして、めんつゆと玉子混ぜて食べる。
普段は塩分気にしてるのでやらない。高血圧なので多少でも塩分を湯に出したい(レンチン推奨のやつだと違うのかも)
いわゆる鍋の〆。御飯はいつでもあるし(うちはサトウのご飯みたいなのだが)、ラーメンも乾麺で十分、蕎麦は基本入れない。
普通にゆでうどんとか買ってきとけばよいのだけど、〆にたどり着けるかどうかわからない。なので冷凍うどんが助かる。
鍋そのものじゃないケースでも
カレーが微妙に余った時に出汁と粉末ルーとか入れて調整してカレーうどんとか
肉じゃがとか牛丼系とか、そういうのをうどんで食べることが可能となる
コロナ禍でYouTube観る時間が増えた勢だけど、生活が忙しくなってそもそもYouTubeで動画を観るための時間をつくり辛くなってきたのもあり、極端な話、切り抜き動画のサムネとタイトルだけ見てればなんとなくそれで満足してしまうような身体になりつつある
気になる動画があれば後で見るリストにとりあえず入れてはいるものの、それらの動画を消化していくスピードが遅すぎるせいで、すぐリスト上限の5000本に達しては100本ぐらいまとめて消して空きを作るというようなことを繰り返してる
この状態が進行していくと動画をほぼ観なくなる生活スタイルに行き着くのかとか考えるけど、流石にそれは現実的ではなさそうだし、また動画コンテンツにどっぷりハマる時期が来るかもしれないとは思うが、うんこが出きったのでとりあえずここで終わりとする
最近ソシャゲ依存症が極まってきたので、俺の課金に対する温度感を簡単に記しておこうと思う。
今現在やってるソシャゲはホヨバースの「崩壊:スターレイル」なので、それを前提に読んでほしい。
まず、この種のソシャゲにはキャラクターと武器の二種類のガチャ要素がある。
キャラクターがピックアップされると、そのキャラクターをモチーフにした武器も実装される。
なので基本的にプレイヤーは両方のガチャを回していくことになる。
なお、無課金で慎ましくプレイしている人はコツコツガチャ石を貯めてそれを回すと思われるが、
重課金者である俺は寧ろ行動力を消費する形で日常的にガチャ石を消費しているので、余っている石は無い(行動力のために毎月1万2000円は課金してる)。
まずは2万4000円。これで星5のキャラを1人確保できる。
1回1回の10連ガチャには何も期待していない。星5の演出が出るまで無心で引き続ける。
しかしガチャには「すり抜け」という概念があり、ピックアップされているキャラ以外の星5キャラを引く確率もあるので、この2万円で必ずピックアップキャラが拾えるとは限らない。
拾えなかった場合、大抵はプラス1万2000円で目当てのキャラを確保できる。
すり抜けが連続で来る可能性もあるらしいが、俺は滅多に経験していない。
途中、300連くらいで星5が確約されるらしいのでいわゆる「天井」を迎えていると思われるが、馬鹿な俺は回したガチャの数なんて一々気にしていない。
そういうわけで、ピックアップキャラを手に入れるには運がよければ2万4000円、運が悪いと3万6000円の課金というのが相場だ。
そして武器の方も費用や確率は同じなので、キャラと武器を揃えようと思うと4万8000円~7万2000円の費用がかかる計算になる。
これは同じキャラクターや武器を複数個持っている時にそれを融合させて強くするもので、つまり、ソシャゲのガチャは「1枚引いて終わり」ではない。
具体的に言うと、スターレイルの場合は6回、つまり6凸までキャラや武器を重ねる要素がある。
無凸、2凸、完凸のキャラクターを並べると、およそ別のキャラクターなのではというくらいに性能が変わる。
キャラ確保だけなら無凸でいいし、コスパ(この時点で感覚がおかしいが)を求めるなら2凸、推してるなら完凸という感覚で俺は見ている。
なので、常用すると分かっているキャラの場合、最低でも2凸はしたいわけだ。
それにかかる費用はさっきの話と何も変わらない。1凸するのにとりあえず2万4000円つっこむか、という感じになっていく。
もちろん、俺は全てのキャラクターのガチャを回しているわけじゃない。
女性向けのキャラクターは基本刺さらないのでいくら性能が良かろうと回さない。
しかし「引く」と決めたキャラは武器と2凸まで確保することを辞さない俺は、1キャラに最低10万円前後を費やしていることになる。
それが下手すると毎月、少なくとも2月に1度はピックアップの周期がやってくるわけだ。
お前らが言いたいことはわかるよ。
多くの人は無課金で地道にプレイしてるんだろうし、凸要素なんてやってるのは馬鹿だけだ。
でも悔しいけど回しちゃうんだよな。「欲しい」という欲求に抗えない。脳の機能の何かが壊れてるんだと思う。
そして実際、運営は課金する手段を俺たちに示してるんだよ。「課金しなくてもいいよ?でも課金してもいいよ?」って。
頭が良くてコツコツ努力できる人間は無課金で遊べて、頭が弱くて目先の欲に弱い人間は際限なくむしり取られるんだよ。
ソシャゲというのはそういう壊れた人間の屍の上に成り立ってる代物なんだってことをお前らには忘れずに覚えていてほしくてこれを書いた。読んでくれてありがとう。
7:35 上の子の発熱を確認、学級閉鎖中の下の子は寝かしておく
8:00 上の子にとりあえず朝ご飯を食べさせ洗濯物干し、自分の身支度
9:00 ポカリなど急いで買い出し
9:30 夫出勤、下の子を起こす
13:30 仕事昼休憩、元気な下の子はマクドナルドが食べたいとうるさいので買いに行く、帰宅後上の子に柔麺を作る、合間に自分の分のポテトをつまむ、その後昼休憩終了まで下の子の宿題サポートしつつ上の子は熱が上がっているので夜からいける病院を探す
17:00 仕事の合間に上の子の熱を測ると38.7、かかりつけにTELすると18:30から発熱外来開始と案内される
18:45 明らかに残業しないとヤバい業務量だが発熱外来のため退勤
20:00 やっと帰宅、下の子の発熱を確認、上の子は吸引のクスリを嫌がって泣くが励ましつつなんとか終える
20:30 夕食、各々で実母差し入れのゼリーやコロッケ、バナナ、ハンバーグ、冷凍うどんを適当につまむ
20:30 子供達の熱を測っていたら、猫が食べ残したハンバーグのソースを舐めてた。最悪。猫に申し訳ない。凹む。様子見。
21:00 子ども達風呂、自分は脱衣所で子ども達の様子をうかがいつつ無表情で増田
21:25 夫からの今から帰りますLINE(職場から自宅まで1時間)
21:27 子供たちに呼ばれる
第3回でNode.jsのインストールには成功していた。と思う。3時間くらいかかったけど。
ところが、
npm run dev
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〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
何気なくLINEのブロックリスト見たら、誰なのかわからない人がいてゾクっとした。
今までブロックした人のことは記憶してるつもりだったんだが、その人はだれなのか全く見当がつかない。
その方はユーザーネームが絵文字なので、名前がわからないのだけど、アイコンとかヘッダーの雰囲気的に女性っぽい感じがする。
大学時代にとりあえずLINE交換したものの話さなかった人を、非表示と間違えてブロックしてしまったのだろうか。
(というのも、私は定期的に、この先話すことがないであろう人を非表示にしている。)
まあ単に何か忘れてるだけなんだと思うけど、こんなにぞくっとしたのは久しぶりだ。
「機体を捨てて逃げることもできた」
「休暇返上の緊急のフライト、見切り発車気味だがどうしても彼らが届けるべき理由があった」
この辺のあらすじを上手く組み立てられるか。
「いやーアレは現場がアホやった」
「上の顔に泥を塗りやがって」
なんて関係者が口にしたらもうそりゃ日本全部げんなりムードよ。
今下手な事言って「都合のいい言い訳をする嘘つき」みたいになったらアカンからな。
そこを先回りして何も分からんのにとりあえずで謝らないかが怖いな。
そこまで決まって残った部分、自由に組み立てられる空白部分で少しでも英雄として弔ってやらんとな。
とりま頭下げときゃええやろで日和って切り捨てたらいよいよ信頼を失うが、そこを冷静に切り抜けられるかな。
腕組みして高みの見物となっちゃうが、まあ見守らせてもらいまひょか。
がはてなーの総意でええか?
メンタルの病気になった奥さんの姿を動画にとり、旦那さんがSNSにアップしていた。
旦那さんは調子に乗って病気の奥さんの動画を次々にとってSNSにあげる
旦那さんが言うことには、病気でもっとひどくなっている様子を(表向きの理由は妻の病気についてもっと他人に知ってもらうため、本当の理由は夫の承認欲求を満たすため)SNSにあげたいのに、妻が許してくれないとのこと。
ましてや病気で弱っている姿
さらされたくねーだろ
旦那さんがSNSに動画をあげることで、「素敵な旦那さんをもって奥さんは幸せですね」「奥さんは美人ですね」「旦那さんが奥さんのことを支えてあげてて素敵です」というような褒めコメントがたくさんつく
旦那さんはおそらく自分の容姿に自信がない。そして、美しい妻の容姿を他人からほめられることで旦那さんは自分のトロフィーをほめられたような気持ちになり承認欲求が満たされる。自分はこんな美女を手に入れてるんだぞと。奥さんの方にも「ねえ、君のこと美人だよってみんな言ってるよ」と伝えているでしょう
奥さんの病状がよくなれば、旦那さんはおそらくガッカリするだろう。SNSにあげて承認欲求、自己顕示欲を満たすネタがなくなったと。
そして、奥さんは旦那さんが自分を心配しているふりをして、妻が病気で苦しむ姿をネタにしてSNSで旦那さんが承認欲求を満たしていることに気づいたらきっと離婚するだろう
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
これわたしは残す側の方だわ。
問題は昼間のランチで、友だちがランチセット食べてる目の前で私だけ茶をしばらくのも気まずい。
でもランチメニューはよほど適量なお店でないかぎり完食できないので残してしまう。
そりゃ私だって食べ物は大切で残すのは作った人にも食べ物にも申し訳ないという意識はあるよ。そうやって育ったし。
でも無理して食べて気持ち悪くなってしんどい思いしてまで食べなきゃいけないのかな?下手したら吐くのにとりあえず食べるべきか?とか思うと、食べれる分は頑張るけど無理なものは無理という結論になった。
ご飯は絶対小盛りにしてもらう。ハーフサイズが選べるならそうする。
私にとって定食一人前って朝昼何も食べてない日の夜なら完食できるかも?でもそれはそれで胃が動いてなくて無理かも?って感じだから、これ本当に成人の一食分なの?マジで?ご飯大盛りってどこの世界線?って思ってるけど、まぁみんな食べれるからその量で売られてる訳だよね。
女公務員だけど、今流行りの官製婚活はマジで迷惑だからやめて欲しい。底辺や負け組の男が多すぎる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231221122615
最近付き合いで所謂自治体主催の婚活に行って、タイムリーだったのでコメントしたい。
別にそうでもなかった。一部「Oh。。。」となる人は居たけど、男女共に居たし普通の婚活の場と割合的には大差なかった(ほかの場一回しか行ったことないから正確にはわからんけど)。
互いの休みを潰しあってて草
サクラっぽい人は多分いなくて、約15人中5人くらいとそのあと会ったりしてた(サクラだったら多分やらないよね?)。
主催の自治体とは何の関係もない職場経由の付き合いで行ったけど、年齢層的に自分が外れ値っぽかったらしく無駄に人気を集めちゃって、大して結婚願望もない俺が逆にサクラっぽくなっちゃっててめちゃ申し訳なかったが、そんな経路での参加者は普段はまずいないそうだし、周りの人はちゃんと真面目に婚活してるって感じで、気軽に参加できていい場だなって思ったよ。
逆に言うとすげえ上昇志向みたいな人は居ないかも。地方ってのも大きいかもだけど、地上行政職とかの肩書を振り回しに行こうとするとだいぶ肩透かしを食らうかも。
でもこういう気楽にとりあえず気の合う人と結婚考えてみましょう見たいな場が現存して、自分みたいなのでもそこそこ需要が存在してるってのは割と感動したのであんまネガキャンされると悲しいかもしれんと思って投稿した。
追記:
mujisoshina 明確に仕事としてサクラ参加するのではなく、形としては「独身で特定の相手がいないならせっかくだから参加しなさい」みたいな圧がかかるのでは。純粋なサクラでないから「底辺や負け組の男」への不満を持つのかも。
やべえこれかもしれん。主催側ではないにしろ自分が割とこれのマイルド版(自分も面白そうだし行ったるか的な積極性はあった)だったから、これの圧強い版+女性版+主催者側とかいう地獄も、最低最悪ではあるけど実在しないとは言い切れないな。
まあそういう意味ではマイルドどころじゃないサクラは普通の婚活にはあふれてるだろうし気にするだけ無駄かもしれん。男女共にlose-loseな市場経済。悲劇やね。
◯購入するものはインデックス投信とする。ただし、為替ヘッジなし(円ベースと書いてあるもの)とする。
下落したときに一括購入することが理想だが、以下の理由にによりなかなか上手くいかない。
◯一旦下落が始まると、「もっと下がってから買おう」という心理が働いてなかなか購入に踏み切れない。筆者の例でいうと、今年8月〜10月の下落基調のときに、NASDAQが12000まで落ちたら余剰資金突っ込むつもりで待ち構えていたが12500で反発してするすると上がっていってしまった(その機会損失だけで数百万円分くらいある。)。
◯下落したときの株価が一括購入時を下回らないときが往々にしてある。例えば今年のeMAXIS Slim全世界株式(オール・カントリー)を見てみると、年始早々、5%ほど下落したもののその後は一貫して上昇傾向だ。機を待っていては結局高値掴みをさせられる。
◯結局株価がどうなるかは素人には(玄人にも)読めない。そうでないならば、市場関係者は億万長者ばかりになっているはずだが、現実はそうはなっていない。市場関係者でも市場平均(インデックス)に勝てているのは一握りに過ぎない。
◯全体(インデックス)は成長する前提に立っているのだから、投資は早ければ早い方が安く買えるので、年初に一括購入した方がいい。
(もちろん個別株に投資する人は買い時があるが、投資を趣味にしたい人以外はおすすめしない。長期高騰を続けてる銘柄として有名なNVIDIAは5年で10倍、10年で100倍になっているが、その間に平気で半値や1/3になっている。そのストレスに耐えられる人がどれだけいるだろう。)
◯インデックスは比較的安定している株式投資法だが、それでも過去から見て50%減程度の暴落リスクがある。例えば年初に240万円分購入して、その後は口座を一切見ないことができる人ならそれで良いだろう。
◯だが私を含めた一般人にとって240万円は高額だ。その動向には一喜一憂するだろう。その場合、240万円が翌月120万円になって平静を保っていられる人はそうは多くないだろう。(逆に、下落時にニコニコ笑顔で買い進める人は一括投資に向いているだろう。)
ストレスをため、健康を害してまでする投資は、理論的にいくら正しいとしてもお薦めはできない。
◯ここで登場するのが分散投資(ドルコスト平均法)だ。ざっくりいうと240万円一括ではなく、例えば毎月20万円ずつ(あくまで例示で、毎月1万円などでももちろん良い)投資していく方法だ。
◯このメリットは、下落時によりたくさん買うことが自動的にできる点だ。毎月1株ずつ買うのでは、下落時には少額の、高騰時には高額の投資になってしまう。毎月定額の投資だと、安くなった分たくさん買っていることになる。個人投資家でこのように欲望をコントロールすることは並大抵のことではない。
(もちろん、このメリットは高騰時には高値掴みし続けるというデメリットと表裏一体だが)
筆者は2017年に株式投資を始めた。働いて貯めた1200万円ほどの資金を種銭にして、ここに書いた最も効率的な投資法である、全額一括投資を実践した。それがちょうど世界的な株安の直撃を受け、一瞬のうちに評価額が100万円ほどマイナスになった。損切りして投資を引退しようか死ぬほど迷った記憶がある。
結論は、当面の生活費以外は全額積立設定をしてアプリを消して寝ることを選択した。
現在ではコロナショックもウクライナショックもどうにか乗り越え、投資元本2500万円程度に対して4800万円程度を運用している。
(ちなみに当時、積立NISAを活用して1月33333円で積立設定した全米インデックスは、現在投資元本240万円ほど、含み益は170万円ほどで60%くらい増えている。個別株の方が若干成績はいいが微々たるもので、労力を考えればインデックスで十分すぎる。)
もちろん、コロナショックの底、ウクライナショックの底でそれぞれ捕まえていれば資産は何倍にもなったろうが、そのための心労を考えると常人にはおすすめしない。
投資資金が1000万円を超えてくると、一日の値動きが10万円を平気で超えてくる。10万円は大金だ。一喜一憂したくないのであれば口座も株式市場のニュースも見ないことをおすすめする。
何も考えずにとりあえず全世界やオールカントリーと書いてあるやつを選んでおけば差し支えない。
ただ、オールカントリーのうち過半はアメリカに投資していることになるので、より高い利回りを求めるのであれば最初から全米(SP500)を選んでも良い。
ただ、少なくとも過去20年は情報通信関係の企業が集うNASDAQの成長率のほうが圧倒的に高い。下落幅ももちろん大きい(例えばITバブルのピークから1/3以下になり、その回復に15年かかっている)がよりリスクを取るというのであればNASDAQインデックスもありだろう。
いくつかコメントを頂いたので。
◯ぶっちゃけ長期を前提とするなら、一年の中の投資額を年初一括にするか12ヶ月分散するかはそこまで大きく違わない(&もちろん分散が勝つこともある)ので、分散の方が精神安定上良いならそれも有りだと思う
◯数年で利益を出すことを確実にしたいならドルコスト平均法でいいけどNISAなんて数十年漬けるんだろうし年初一括でいいでしょ。リーマンショックレベルですら吸収されるよ。
そのとおり。分散投資のメリットは精神の安定で、これが投資で一番重要と考えている。
上がっているときに「今買わないともっと上がる!」だとか、下がっているときに「もっと下がるかもしれないから今売ろう」とか感じずに済む人なら一括が一番いい。
含み損の期間を「安く買えてラッキーこれで購入平均単価を下げられる」と思える人なら。
オールカントリーの為替ヘッジなしをおすすめする理由になる。例えば日本円での貯金や日経への投資だと、労働力も、貯蓄も、投資も日本に全振りとなる。
筆者は日経平均は長期的に上昇する(来年は厳しいかも)と捉えていて、日経インデックスも買っているが、投資を一点集中するのはリスクが高い。
それを、為替レートを含めて市場参加者全体に平準化するために、為替ヘッジなしの商品を選ぼう。来年はしばらく円高傾向と考えているので含み損の期間はあるかもだが、そんな当たらない予想を信じるよりも市場平均を積み立てるほうが気楽だ。
オールカントリーが全米インデックスより優れているのはここだ。オールカントリーの中身を見ると、今は半分以上がアメリカに投資していることになる。ただ、全米インデックスと違ってオールカントリーは内部での銘柄の組み換えがあり、仮にアメリカが衰えたとしたらその比率を減らして他の国の比率が上がることになる。
◯こちとらリーマンショックの下落を見てきた者達だ。面構えが違う……んだけど増田の方が成績良いな? 入金力の違いか
◯ 「投資元本2500万円程度に対して4800万円程度を運用している」…明らかにインデックス積立を上回ってるやん。そこもっと詳しく。
◯資産の半分をドルベースにしているので昨今の円安に乗ったのが半分。上手い人ならここで円ベースにするんだろうがそんな腕は無いので淡々とホールドするのみ。
◯もう半分は趣味の個別株でビリビリ動画(5倍)、アマゾン(2倍)、NVIDIA(2倍)、くら寿司(3倍)、ハワイアン航空(3倍)を当てたから。ただその一方半値になったものも多く、労力や心労とはとても釣り合わない。
◯多分、昨今の値動きだと淡々とインデックスの2倍レバレッジを購入し続けている人が一番気楽で強いが、例えばNASDAQレバレッジだと暴落時に確実に8割減くらいになるのでおすすめしない。
◯投資する余力が欲しい
よく5ちゃんねる株式板などで言われるのは、「一定の種銭作るまでは働いた方が効率がいい」だが、あまり同意しない。
1日100円の積立でも10年持てば投資金額36万円でおそらくリターンは50万円は超えてくる。ペットボトルのジュース一本我慢して投資に回してみたらどうだろうか。
(これが投資を趣味にしてしまうと、ここで100円使うよりも投資に回したほうが良いなという考えになってしまい、それはそれで本末転倒になる)
ちなみに投資ジャンキーの集う株式板でも大部分の参加者はインデックスメインで個別株やレバレッジは趣味程度に抑えている人が多い。
◯そもそも一喜一憂するもんではない(≒余剰資金でやるべき)なんだけどね/現実的には年始に240万出せないけど月々とかボーナスとかなら多少多く出せる、とかで分散購入する、という形になるんじゃないかなとは思う
要約 有名なカクテルのマティーニやギムレットはジンを使ったカクテル。バーに行ったことがなくてジンも飲んだことが無いならバーに行く前に家でジンを飲んでジンが飲めるか確認してみるといいよ。
自分はバーに行くのが好きだ。だからバーに行ったことがなく酒の知識もまだあまり持っていないけどバーに興味があるような人にバーを行くことを後押しするような記事を書こうとした。(ここで言うバーはいわゆるオーセンティックバーのことである。オーセンティック(authentic)とは本格的なとかの意味で
淡い照明で落ち着いた雰囲気の中、白いシャツにタイをしたバーテンダーがカクテルを鮮やかな手さばきでサービスしたり、バックバーに見たこともないボトルがズラッと並んでいる(https://liqul.com/entry/1876より)
ような店を想定している。)どんなことを書こうか考えているうちにバーに行ったこともなく酒の経験も少ない人はバーに行く前にジンを試してみるといいのではないかと思ったのでまずこの記事を書く。
バーに行ったらぜひカクテルを飲んでほしいと思うのだがカクテルに使う4大スピリッツ(蒸留酒)といわれている酒の種類がある。ジン/ウォッカ/ラム/テキーラの4種類である。
この中でウォッカは主張の少ない酒であるのでウォッカを使ったカクテルは酒が飲めるなら特に問題なく飲めると思う。後の3つはそれぞれ癖があるのだけれどジンが好みかどうか事前にわかっているといいことがある。よくカクテルの王様と言われるマティーニや「ギムレットには早すぎる」というセリフで有名なギムレットはジンを使ったカクテルだがこれらはジンの味を強く感じるカクテルだ。ジンが飲めるとわかっていればこれらを安心して頼めるのである。逆にジンが好みでないなら最初からこれらは選択の対象外にできる。
名前だけ聞いたことがあるマティーニやギムレットを頼んでみたもののまったく自分の好みではない味だったら飲み干すのがつらくてバーの経験そのものが嫌なものになってしまう。それを避けるためにとりあえずジンの味が自分に合うか確認しておくことを勧めるのである。
ジンはジュニパーベリー(杜松(ねず)の木の実)等で香り付けをした蒸留酒である。バーに行く準備として飲んでみるお勧めのジンの銘柄は以下の3つである。
ゴードンズ
理由はバーでカクテルに使われることが多いということと入手しやすいこと。特にビーフィーターならコンビニやスーパーでも売ってる。しかも安価だ。物価高の今でも700mlビンが2千円でお釣りが来る。マティーニ1杯の値段がそれくらいということもある。高めに見積もって2千円として仮にジンが苦手で同じ2千円無駄にするとしてもバーで1杯のカクテルを持て余すよりも家で1本のビンを無駄にする方が精神的に楽である。
ビーフィーター、ゴードンズ、タンカレーのどれかひとつと一緒にトニックウォーターと炭酸水も買っておこう。トニックウォーターが苦手だとわかっているならトニックウォーターは買わなくて良い。あとロックアイスを買ってきても冷凍庫で氷を作っても良いから氷を用意しよう。目的はジンの味見なので細かいことにこだわらなくていい。
ちなみによく広告を見るボンベイサファイヤは銘柄を指定しない限りカクテルに使われることは上記3つより少ない気がするけど飲んでみたければそれでもいい。また名前が漢字など和風のラベルのジンも酒販店でよく見かけるがやはり銘柄を指定しない限りカクテルに使われることは少ないので今回の目的には合わない。
買ってきたジンはできれば冷凍庫に入れて冷やそう。これらのジンはキンキンに冷やして飲むとストレートでも(ジンが好きなら)美味い。でも冷凍庫が狭くて冷やせなくても今回は氷も入れるから気にしなくていい。
トニックウォーターも飲んだことがなければまずはトニックウォーター単体で少し飲んでみよう。トニックウォーターが苦手だったらトニックウォーターをとばしてジンを炭酸水で割ってほしい。
トニックウォーターが苦手でなかったら次にジンをトニックウォーターで割って飲んでみよう。グラスに氷を多めに入れてそこにジンをグラスの1/5程度まで入れる。そしてそこにジンの3倍ほどの量のトニックウォーターを注いで軽く混ぜる(この混ぜ方も下から上に氷を動かすようにとかあるけど今回は気にしないでいい)。これですでにジントニックという立派なカクテルである。濃いと思ったらトニックウォーターを増やして薄いと思ったらジンを増やせばいい。
ジントニックの次はトニックウォーターのかわりに炭酸水(ソーダ)で割ってみよう。ジントニックよりもジンの味がわかると思う。
さらに氷の入ったグラスへジンを注いだだけのジンのオンザロックやストレートでも飲むとジンの味がさらにわかる。オンザロックやストレートを試すのは少しでいい。かなりきつく感じる人が多いと思う。マティーニやギムレットはオンザロックのジンよりも飲みやすいので安心してほしい。
ここまででジンの味が苦手でなかったらバーでジンを使った(「ジンベースの」と言ったりする)カクテルを頼んでも大丈夫。興味があればマティーニやギムレットを飲んでみるといい。
ジンの味が苦手だったらバーで「ジンは苦手だからジン以外のベースのカクテルのお勧めはありますか」と聞けばいい。
「ギムレットには早すぎる」について補足
このセリフはレイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウシリーズのロング・グッドバイ(長いお別れ)の中のセリフ。自分は村上春樹の訳で読んだ。とても有名なセリフなのだけどネットで検索するとなぜかまったくもって間違っていることが書かれていることが多い。また正しいようなことが書かれていても解釈としておかしいと思われることが書かれているものもあった。このセリフを正確に解説するとネタバレそのものとなってしまうこともこの状況の一因であろうが1954年の小説である。ネタバレ覚悟で読むのなら問題ないと思うのでそこそこ正しく書いているサイトを紹介しておく。ただネタバレとして書かれている中で「何者かに殺されてしまいます」は「自殺してしまいます」が正しい。
http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-2284-1.html
増田にいる猛者たちはネイルサロンに縁がない人ばかりだろうと踏んで書き散らす。
ネイルは凝れば凝るほど料金が高くなる。
時々バズってるオタクのネイルとかは多分「持ち込み&パーツ付け放題」扱いになるから13000〜18000円くらい。
特にこだわりがなければ、サロンが設定している「定額メニュー」から選ぶことになる。
定額メニューにも色々あって、シンプルな1色塗りとかグラデだけだとだいたい60分で5000〜7000円、
パーツやホロなどのデザインを入れたものだと90分で7000〜9000円くらいが相場かな。
デザインも、より凝ったものだったり、爪を伸ばす技を施すと9000〜15000円くらいになる。
高いと思っただろ。高いんだよね。その分、期待するクオリティも高くなるのが人の心だ。
さて、時は数日前に戻る。
前にもネイルしてもらったことがあり、そのクオリティの高さにトキメキを覚えた店だ。
増田は2日後に大切な用があり、ちょっと気合を入れたかったのでこの店を選んだ。
予約時間の5分前にサロンに到着し、担当するネイリストさんに席に通される。
前に施術してくれた人とは別の人だが、同じサロンだからと特に気にはならなかった。
定額メニューのネイルの場合、サロンがデザインのサンプルパターンを用意しており、そのなかからデザインを選ぶ。
だいたい用意されているパターンは5〜20種くらい。サロンによって用意されている数は全然違うのでこのあたりはサロンの方針が反映されるのだろう。
私はゴテゴテしたデザインが苦手ながらちょっと小洒落た雰囲気が欲しくて、大理石のようなデザインを施すパターンを指定した。
大理石のようなデザインは、色の濃い箇所とホワイトの溶け合う質感がキモである。
ベースの色を塗ったあと、濃い茶色を筆にとり、直線に動かす。ここでぼかす…はずが、ぼかさない。
ジェルネイルはUVライトを照射して硬化させる。最終的に透明のジェルネイルをニスのように塗って完成なのだが、ここに来てデザインがまったくイメージと違うことに気がついた。イメージというより、サンプルとも乖離している。
補足すると、個人でやっているサロン以外複数のネイリストを抱えており、サンプルのデザインは目の前のネイリストが作ったものとは限らない。
よって、それを再現する技術があるかは、客にはわからないのである。
ネイリストさんに「どうですか?」と聞かれた。
どうもこうも、言葉がなかった。サンプルにあるのは、とろけるようなミルクのような質感の模様だ。
しかし、目の前にあるのは謎のツートンカラーのボケボケとした筆のあらさが目立つ何かだ。
まったく違いすぎることに衝撃を受け、しかしなんとか軌道修正しようと私は言葉を尽くした。
サンプルと見比べてほしい、ぼかしの領域がもっと広く、かつ揺れている線の質感がほしいと。
「じゃあやりなおします」
といって一度施術した爪を削り、やりなおす。やりなおすのだが…正直クオリティがあがらない。
ぼかしの工程でぼけておらず、仕上がりがまったく違う。
「どうですか?」
「さてはあなた、このデザイン作るの下手ですね…?」という言葉が喉の奥で詰まる。
なんとか脳を動かして絞り出したのは「サンプルと違うように見えるんですが、お姉さんはどう思いますか…?」という言葉だった。
ネイリストは畳み掛けた。
「お時間なので、これでだめなら一度落としていただくしかないです。これはサンプルなので、ぼかしの仕方は人によって違います」
もうだめだ。これは何を言っても伝わらないし、この人の技術ではサンプルほどのクオリティのネイルは作れないと悟った。
指に描かれたデザインは、日常生活を送るなかで目にするたびに凹みそうなくらい汚い出来だ。
めちゃくちゃ感じ悪いだろうな、もう二度とこのサロンには来れないだろうなと覚悟を決めつつ、落としてもらうよう依頼した。
するとお姉さんは「では、オフ代3000円いただきます」と回答した。
オフ代とは、ジェルネイルを取り除く工程にかかる料金のことである。
ジェルネイルは固いので、専門の溶液や工具を使って削り取る作業がいる。
正直、サンプルのクオリティに達さないなかで料金を請求する胆力に脱帽しつつ、下手に争いたくないので支払うことを了承した。
オフ代を支払っても、爪に残したくなかった。
オフされている間、私は「あ、写真とっておけばよかったな」と思った。
別に晒しはしないが、仲間内で愚痴るときに見せる用にしたかった。時すでに遅し、爪からは削り取られてた。
ときどきネイルサロンにはハズレがある。しかし施術中は両手が人質にとられているようなもので、一度始まってしまえばキャンセルできないものである。
もうハズレをひくのはダルいなと思った。
その足で私はロフトにいき、初心者用のジェルネイルキットを購入した。
今日朝一で塗ってみた。凝ったデザインはできないので、1色を塗るだけのシンプルなものだ。
これがなかなか楽しかった。手軽だし、3−4週間くらいしかもたないネイルに高い出費を重ねなくてすむ。
クオリティ自体は素人らしく色ムラもあるが、回を重ねれば多少はうまくなっていくだろう。
これは良いきっかけだった。