はてなキーワード: all you need is killとは
本気じゃねえんだろうなあ。
erogamespaceにおいて中央値99点 平均値92.92点を叩き出した怪物ゲームさえスルーしちまうんだからさ。
確かに今からスタートした場合01~03まで遊んだあとのランス4はかなりしんどいだろうな。
ランス5Dと戦国ランスは今やっても見劣りしないだろうが(UIのレスポンスが若干古く感じるかも)、ランスクエストはマグナム入れてもモソモソした歯ごたえに感じるだろうし、ランス9もランスXに向かう熱が強すぎて義務感マックスだろう。
だがな、だがな、ランスXは間違いなく神ゲーだし、それをちゃんと味わいたいならランス1からプレイするのはやはり必要なんだよ。
まあ正直ランス01~03→戦国ランス→ランスXでよくねって気はするんだけどさ。
つうかさ、この5作さえやってない人間が「エロゲにマジで憧れてたんだなぁ……面白そうなんだなぁ……」とかお前ぜってー嘘だろって。
しょーじきKANON・AIR辺りは今やったら「夏への扉ってなんか評価されてるけど、普通っつーか地味だよなあ。つーかこの作者ロリコンの変態じゃね?(ハインラインは実際ちょくちょく変態感あるの書くので実はこれ正解という伏線回収が多くのSFファンを虜にしてきたよな?)」みたいになるだろうけど時代を超えてパワーのある作品は間違いなくあるぜ?
例を挙げるなら、さよ教・クロチャン・すば日々・WA2(ワイルドアームズじゃないよホワルバだよ)辺り。
結局5つぐらいしかねーじゃねーか※っていうツッコミ、なんでマヴラブが入ってねーんだよ※ってツッコミが降り注いでるのを感じるがよ、とにかくこの辺だけでいいからやって見てからあーだーこーだ言えよ!やってもないくせに「ビールトルズがリアルタイムで盛り上がってた時代羨ましいなー憧れちゃうー。だってだってサージェント・ペパーズとかって今聞いたら「あっ、はいはいそういうノリね」で終わっちゃって特に感動とかないっつーかーさあくまで歴史的な価値じゃーん」みたいな態度で擦り寄ってくるんじぇねーよ。
※5つぐらいしかないのは世間受けを考えてのことであり、俺だって本当は「Fateで一番アツいのはhollowのラスト2時間ぐらいの部分だよね~~~」って話とかしたいけど、それやったら新規はむしろ離れていくだろ。とにかくまずは無難に最強の奴だよ。車輪の国とかever17とかは今やって面白いのか全くわからないから抜いてるぞ。すば日々も抜くべきだったのかは知らねえ。らき☆すたとか今の子は知らねーだろって所で前提条件崩れてるじゃねーかってことから目をそらしたのは俺の弱さだ。
※マヴラブが入ってないのは、All you need is killの映画がまあ割と悪くなかったり、進撃の巨人が本当にハチャメチャに面白くなったりしてしまった現状で接種しても「もう見た」にしかならんやろなというのが大きな理由だなあ。ぶっちゃけぶっちゃけマブラヴオルタもガンパレもオルユアも経由せずにいきなり進撃を読めた奴らが羨ましいまであるやろ。進撃はこれ系の中で頭一つ抜けとる。まあそもそも連載期間長すぎてもう世代が一つ後なんだよな。進化版ですわ。逆に言えばクロチャンとかはまだイマイチ進化版って言えるのが世の中に出てきてねーなって感じ。ああいうのもう流行らん時代になってきてるからだろうなってのは正直あるんやがな。あーなんか急に「そもそも今の人間の価値観で楽しめるのか?氷河期世代、少なくともソイツらを目の当たりにして明日は我が身を覚悟した世代ぐらいまでじゃないと合わないのでは?Z世代流のメンヘラとは違うからなあ平成のメンヘラは」って気分になって不安になってきたわ。ゆーてZ世代にも平成メンヘラ感ばりばりのゲーム流行ってるしまだ通じるやろ。
基地に行った時少佐と信じてもらえなかったシーンおかしくね?「ぐぐれよ!顔出るから!」って言えば済むし、言われなくてもググれよ!
今年で33歳。実家の片付けをしてたら中高生くらいの頃読んでたラノベを見つけたのでもの凄く浅いコメントをする。
(改行の仕方がわからない)
毎週本屋でわくわくしながら新しいラノベを探して、ブックカバーつけてこそこそ読んでた良い思い出。
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一番よく覚えてる作品。中高時代のバイブルと言っても過言ではない。
自分の青春はイリヤもいなければ水前寺もいない(当たり前か)陰鬱とした生活だったけど、
それでも「こんなぶっとんだ生活がどこかにあるんじゃないか」と思わせてくれるような作品だった。
今でも名前を聞くだけで、子供の頃の夏休みの終わりのような切なさを思い出させてくれる。
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イリヤの人の続編。結局1巻以降続編が出なかった。
本当にやきもきさせられた。
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この作者病んでるなあと思った。数年後に直木賞を受賞した。
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このラインナップの中では比較的無名なんじゃないかと思う。ジュブナイル系ループもの。
「図書館司書」というワードにフェチズムを感じるようになったのはこの作品のせいかもしれない。
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■12月のベロニカ
よくできた作品だなあという思い出が強い。
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■EME
うまいこと深夜アニメ化すれば売れたんじゃないかなーといまだに思う。
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去年から年明けにかけてウルトラジャンプで漫画連載されてて驚いた。
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けっこう好きだった気がするんだけど内容をよく覚えてない。
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何故とってあったんだろう。
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トム・クルーズ主演で映画化するとは当時夢にも思わなかったけど、
それでも「これはすげぇ!」と唸った作品。
敵がセーブアンドロードで主人公が記憶だけ保持して巻き込まれるってならAll You Need Is Killもまんまだな
「1回」が途中で切れてたので別にした
1回しか出てない方が熱が入ってる紹介も多くて、個人的には気になる漫画が多い
俺「なろう系 洋画、検索っと…(いかがでしたかブログでいいから引っかかってくれ…頼む…)」
Google「なろう系とかいうわけわからん単語は除外しといたぞヨウガキジズラー」
かくしてGoogleがまるでポンコツなので、私はいにしえより伝わるプランB(適当なことを書いて識者に突っ込ませる)をとることになった。
ロサンゼルスの有名レストランで総料理長を務めるカールは、口うるさいオーナーや自分の料理を酷評する評論家とケンカして店を辞めてしまう。心配する元妻イネスの提案で、息子パーシーを連れて故郷のマイアミを訪れたカールは、そこで食べたキューバサンドイッチの美味しさに驚き、フードトラックでサンドイッチの移動販売をすることを思いつく。カールはイネスやパーシー、仲間たちの協力を得て、マイアミからニューオリンズ、ロサンゼルスへと旅を続けていく。(映画.com)
最近見た中でいちばんなろうっぽいあらすじだと思ったのがこれ。パーティー追放→スローライフな感じがまさに。
各賞も取ってる評判のいい(し実際面白い)映画なのだが、なろう漬けにされた脳髄にはお約束が足りなく感じる。
もっと新店舗開店前後のドタバタを書け!最初は訝しんでたお客さんがいずれ常連さんになるような変化を描け!
「なにこの下賤な食べ物…」→「このキューバサンドうんめぇですわ!」みたいな感情の成長を描くんだよ!
貧富の格差が激化し、多くの人々が荒廃した街に暮らす2045年。世界中の人々がアクセスするVRの世界「OASIS(オアシス)」に入り、理想の人生を楽しむことが若者たちの唯一の希望だった。そんなある日、オアシスの開発によって巨万の富を築いた大富豪のジェームズ・ハリデーが死去し、オアシスの隠された3つの謎を解明した者に、莫大な遺産とオアシスの運営権を明け渡すというメッセージが発信される。それ以降、世界中の人々が謎解きに躍起になり、17歳の孤独な青年ウェイドもそれに参加していた。そしてある時、謎めいた美女アルテミスと出会ったウェイドは、1つ目の謎を解き明かすことに成功。一躍オアシスの有名人となるが、ハリデーの遺産を狙う巨大企業IOI社の魔の手が迫り……。作中のゲーム世界には、アメリカはもとより日本のアニメやゲームに由来するキャラクターやアイテムなどが多数登場する。(映画.com)
川原礫の3文字で説明が終了しそう。結末はともかくいい映画ではあった。
しかしなろう脳には敵の配置が不十分であるように思われる。この映画では「ライバルチーム」的なものがほとんど出てこない。なろう系では結構そんな鞘当てが楽しいのである。
「ただ金を稼ぎたいだけのオッサン」をラスボスとして書くのではなく(一部出してもいいけど)、「オアシスドップリな中毒者同士のドロドロファイト」を描いたほうが良かったのではないかなあと思う。
桜坂洋のSFライトノベル「All You Need Is Kill」(集英社スーパーダッシュ文庫刊)を、トム・クルーズ主演でハリウッド実写化。「ギタイ」と呼ばれる謎の侵略者と人類の戦いが続く近未来を舞台に、同じ時間を何度も繰り返すはめになった兵士が、幾度もの死を経験し、成長していく姿を描く。戦闘に対して逃げ腰な軍の広報担当官ウィリアム・ケイジ少佐は、戦闘経験が全くないにもかかわらず最前線に送り込まれてしまい、あえなく戦死。しかし、死んだはずのケイジが意識を取り戻すと、周囲の時間は戦闘が始まる前に戻っていた。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったケイジは、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキに訓練を施され、次第に戦士として成長していく。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめる。(映画.com)
「死に戻り」系のかなり初期のやつの映画化。非常に良い映画化だと思うが原作に比べてヒロインの萌え度が大幅にナーフされており、論ずるに値しない。
all you need is killくらいしか知らないんだけど他に何がある?
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠
p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。
大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。
すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。
80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、
きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。
西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、
ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。
Web小説でVRMMOものを流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、
『ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。
ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、
『ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、
直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。
ちなみに『ハルヒ』フォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。
難しい問題だ。
アニメ化前から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。
「スニーカー文庫のエース格」とは言えても、「業界を代表するエース」ではない、といった感じか。
第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態。
『憂鬱』は当時の2chの人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。
『消失』は同じく2chの人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。
ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、
(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。
勘違いされることが多いが、アニメ『ハルヒ』放送時(2006年4月〜7月)には、まだニコニコ動画(2006年12月12日〜)は存在しない。
「ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月〜9月)のほうが適当だろう。
また、「アニメの視聴体験をみんなとリアルタイムで共有する」という点については、
YouTubeよりもニコ動(のコメント機能)の果たした役割が大きいと考える。
『ハルヒ』の場合は「話題になったシーンを後から確認する」という使い方がまだ多かったのではないか。
(このあたりは個人的にYouTubeを敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)
当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。
2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである。
はてなダイアリーが2003年1月。livedoor Blogが2003年11月。アメーバブログが2004年9月。FC2ブログが2004年10月。Yahoo!ブログが2005年1月。
2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。
「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。
また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察や話題の拡散を手伝うこととなった。
(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である)
ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブームも2005年くらいか。
ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである。
アニメ『ハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。
自主制作映画を完璧に再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏。
時系列シャッフルや公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。
2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランドが確立されて以降は、
他のアニメでも異常に作画のクオリティがアップしていったことだし、
やはりアニメ『ハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。
アニソンあるいはキャラソンについては、2005年のアニメ『ネギま』の主題歌『ハッピーマテリアル』の影響が最大で、
『ハルヒ』の「ハレ晴レユカイをオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。
ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、
『ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。
1997年にアニメ『スレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、
世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、
2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。
それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。
つまり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。
とはいえ『ハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である。
あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。
やはり外的な要因に求めるべきだと思う。
京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…
これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか。
あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。
これだけは間違いない。
大規模な実写化案件を調べると彼の名前が浮上することがよくある。
日本文化に影響を受けたパシフィック・リムは彼の作品だし、銃夢をキャメロンに紹介したのは彼。
また、進撃の巨人の監督を務めるアンディ・ムスキエティはMAMAという作品でムスキエティが監督を勤めデル・トロが製作総指揮を勤めた
ご存知、ヤッター!の人。
ガチガチの理数系であり、映画などのSFXを制作するデジタルアーティストでもあった。
同時に役者でもある。
オタクを表明していて、日本の漫画が好き。※きまぐれオレンジロードや浦沢直樹の作品が好きらしい
デスノート、ロックマン、進撃の巨人は彼がプロデューサーとして参加している。
日本語と英語をどちらも高レベルで喋れる裏方で有名なのはおそらく近年だと彼くらいしかいない。
脚本家。
本業は脚本家のため、あまりニュースにはならないのだが深く調べると彼女の名前がちょくちょく出てくる。
ただし、これはハリウッドではよくあることではある。
・東宝
ゴジラ及びアニメ・ゲーム・漫画案件を武器に海外へ打って出ようと画策。
従来の日本映画の海外進出は映像をそのまま買ってもらうか、翻案件を売る程度であった。
近年アニメ業界への進出が熱心なのもこのためだと思われる。※ヒロアカはTOHO製作
はたして吉とでるか凶と出るか。
パシフィック・リム(これは日本製ではないが)、ゴジラ、ポケモン、ヒロアカ、ガンダムはすべてレジェンダリー製作及び製作予定である。
中華系企業が買収したためアジア圏での和製IPの影響力の強さを買っているのかもしれない。
今の所成功を収めた和製IPの作品はAll You Need Is Killとゴジラとバイオハザードくらいしかなく、特にゴジラは大成功と言っていい。
同じようにHITする作品がでるだろうか?
君の名は。はそのなかでもJJエイブラムスがプロデュースするとのことで期待。
誰かが言っていたのだがハリウッドには日本製IPのマニア連合みたいのが存在するらしい。
出ている情報で推察すると
デル・トロ、キャメロン、タランティーノ、レータ、マシ・オカ辺りが該当する用に見える。
それぞれSFや時代劇など分野は違うが好みの作品があるように見える。
しかし、気になるのはこれまでに日本製IPの大ヒットがゴジラくらいしかないのにあまりに次々と実写化がニュースになることだ。
銃夢は制作費200億円だし、ポケモンも相当お金をかけているようだ。
進撃の巨人はプロデューサーだけではなく監督、制作会社まで既に決まっているため、実写化する確率が高いのではないかと見られている。
一体何が起こっているのだろうか?
まぁハリウッドの脚本不足がそこまで激しくなっているということなのかもしれない。
マーベルに代表されるスーパーヒーロー映画は大盛況だがあまりに立て続けに実写化されたため一部ではクソマント物(capeshit)などと揶揄する人も出てきた。
「アクアマン」って誰だよ。
MEGやロック様のような少し前のダイ・ハードのようなアクションものの作品が大ヒットしているのを見るに若干アメリカ人も飽き始めているのかもしれない。
それでも大ヒットはするんだけど・・・
いずれにせよ、これらの作品の内どれかが大ヒットすれば和製IPの実写化案件はさらに加速するとみられる。
期待したい。
----------------------- 過去の海外調査案件記事 ------------------
https://anond.hatelabo.jp/20170807163708
https://anond.hatelabo.jp/20181025161748
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日本でもほとんど知られてなかった All you need is killがなぜか大成功したので、それでもワンチャンは期待してしまう。
皆さんありがとうございました。
未読かつ複数あがっていたり、スターが集まっていた作品から読んでいこうと思います。
(敵は海賊、GROUNDLESS、軍靴のバルツァー、ガンスリンガーガール、エンダーのゲーム、サイレントメビウスあたり)
なお、挙げたいただいたもののうち、既読未読の区別や、好みは以下のとおり。
天冥の標
デュラララ
彼方のアストラ
不死の猟犬
メイドインアビス(設定は好き)
ソフトメタル・ヴァンパイア(設定はすごく好きなんだけど、セクハラキャラが苦手。それ言ったらワートリもなんだけど、ワートリは他の部分の面白さでカバーできているので良い。)
死が二人を分かつまで
クローム襲撃
ブレードランナー(読んだのが小学生か中学生だったので、今読んだら楽しめるかも)
BTOOM
GROUNDLESS
AUTOMATON
女子攻兵
銃と魔法
灼熱の竜騎兵
老人と宇宙
航空宇宙軍
ホーンブロワ
DRAGON BUSTER
復活の地
嵐ノ花 叢ノ歌
とある科学の超電磁砲
火星の人
ジョンルカレ作品
ジャポニカの歩き方
雪の峠・剣の舞
土漠の花
FRONT MISSION DOG LIFE & DOG STYLE とか太田垣康男さんの作品
エンダーズ・シャドウ
シャドウ・オブ・ヘゲモン
Implicity
終わりなき戦い
マルドゥックアノニマス
●追記 2018/08/22 二回目
沢山集まって感謝!古めの作品も集まってて、厚みのあるラインナップになってると思う。
とりあえず、あらすじで気になった本の1巻をkindleで買ってみる。
けど、全く見やすくなってないなw
暇をみてジャンル別、作者別、巻数別あたりに分けたい。
不戦無敵の影殺師
この恋と、その未来
七日の喰い神
偽る神のスナイパー
すずみんは肉食系火竜
Tとパンツとイイ話
変幻の地のディルヴィシュ
モノケロスの魔杖は穿つ
さよならピアノソナタ
サイコメ
ジョン平とぼくと
晴れた空にくじら
約束の方舟
森の魔獣に花束を
平浦ファミリズム
貴子潤一郎の「眠り姫」
扉の外
雨の日のアイリス
シャンク!!シリーズ
巡ル結魂者
リーンの翼
ドラゴンランス戦記
書きかけのラブレター
海が聞こえる
空ノ鐘が響く惑星で
鳥籠荘の今日も眠たい住人たち
ぼぎわんが、来る
平井骸惚此中ニ有リ
〈本の姫〉は謳う
おまえ本当に編集者だったのか? 白鳥士郎をBタイプの典型と思っているあたり全然わかってないといわざるをえない。
ラノベは、ある意味何でもありという懐の深さを持っていることもあり、たまに全然ラノベじゃないヒット作品やその種がまぎれこむことがある。
古くは小野不由美の「十二国記シリーズ」や有川浩の「塩の街」なんかがそうだ。浅井ラボの「されど罪人は竜と踊る」みたいなダークファンタジーや、うえお久光の「紫色のクオリア」とか桜坂洋の「All You Need Is Kill」みたいなハードSFがまぎれ込むこともある。
これらは、初速だけ出してあとはけちょんけちょんという普通のラノベとかは、根本的に違う売れ方をする。で、白鳥士郎の最新作はその典型例の作品だ。あれを「前作の人気が冷めないうちに出たから売れた」とか思ってるのだとしたら、お前の目は節穴もいいところだ。
"All You Need Is Kill" はどうだろう。
敵には潜在的には人間と喋れるだけの知性はあるけれど、人間側はそれを認識していないし
実際に対話もしない。
まあれは1巻完結の作品だからそれが成り立っていただけで長編シリーズになっていたら
人間側が敵との対話を試みてみたり、敵側が対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースを
送り込んできたりするんだろうけど。
ゲームだとデッドエンド→コンティニューっていう死に戻りのシステムが初期段階で実装されているけど
(ゲーム内の登場人物は無自覚でも、プレイヤーには経験が蓄積されていくシステムというものからYU-NO みたいにゲームという媒体の特性をうまく活用したシステムを構築したものまで含めて)
小説やマンガみたいな媒体だと基本的に「成功したルート」だけしか書けなかったのではないかと想像する
ひぐらしがマンガ化したときに○○編みたいにルートごとに分けて並列進行してたけど
直列で何度も繰り返す、
それも主人公が生きたままではなくて、死んで繰り返す、というのはあまり無かったのかもね
ALL YOU NEED IS KILL も同じ系譜ではあると思うが
いずれにせよ、ゲームの界隈である程度ループものが熟成されてきて
どうすればいいと思う?
さっきご飯食いながら妄想してた。俺ご飯食ってる時はテレビも何も見ないで黙々と食う派なんだが、その食ってる最中はよく何かの妄想をしてる。今日の妄想はこれ。
で、今考えてたのは無人操作のドローン兵士を鬼量産して、それを全世界の人たちが操って戦うってこと。
異星人と戦うにあたって人類はまとまる必要がある。紛争だとか利権だとか言ってる場合じゃない。そこは政治家に頑張ってもらうとして。
一般人も軍の遠隔操作センターみたいなとこに通勤して3交代制で戦う。学校とかの教育もしばらくはなし。子供から老人まで全員戦わせる。
対岸の火事ではなく、実際に今起きている人類の危機であることを実感させる。でも、リモートプレイなのに実感なんて湧くわけないからそこは課題だよな。
以前ドローンオブウォーっていう米軍兵士がグローバルホークのパイロットやってるうちにどんどん嫌気が溜まっていく映画みたし、やっぱ現地に行きたい派はいるだろうな。
あっちが記憶維持なんていう神のみわざのようなことをしてくるんだから、それに対抗するには、こっちも擬似的に記憶維持の仕組みを持たないとな。
現代社会でそれをするとしたら、やっぱネットワークと工業製品に頼るしかないんじゃないかなって。
みんなならどう対抗する?
ギャーギャーブコメに文句言うくらいなら、3000タイトルくらい列挙してから評価知名度を分類すれば?元増田の視野は青二才レベルに見える。 / “「ベスト100マンガ」とはわけて取り扱ってほしい殿堂入りマンガ作品まとめ” http://t.co/VtrYaCvW2W— しの(ソフト) (@raf00) 2015, 10月 2
どうもすみませんでした。
みなさんも青二才レベルの私のいうことなんか無視してraf00さんが書いてるこのランキングをお手本にするといいですよ。
おすすめ漫画ベスト100冊をランキング形式で紹介する | @raf00
ナルト
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BECK
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狂四郎2030
高杉さんちのおべんとう
彼岸島
SIDOOH/士道
はじめての甲子園
LOVE理論
王様の耳はおこのみみ
おおきくふりかぶって
亜人
嘘食い
モテキ
ARIA
ニーチェ先生
ぼくは麻里のなか
PSYREN-サイレン-
日常
甲子園へ行こう
永沢君
王様はロバ
いちご100%
予告犯
TOLOVEるダークネス (トラブルってカタカナでかいてたひとで君は罰ゲーム)
焼きたてジャパン
CLANNAD
Mrフルスイング
RAVE
Orange
俺物語
NANA
手塚治虫作品、横山光輝作品など
松本大洋作品
釣りキチ三平 など
以上のような行為類型を相互に重ねるためには多くの場合、主人公とヒロインの両者が同じ空間を共有する必要がある。その上で、これらの行為類型が場面ごとに重ねられていくことで両者の関係は変化していくことになる。本項はその組み合わせ方についてのものである。
空間の共有は大抵の場合共同作業を伴う。そうした共同作業の例として『はがない』における部活でゲームをする例と、『俺ガイル』における部活でクッキーを作る例を比較してみたい。
結論から述べると、筆者は『はがない』における部活は『俺ガイル』と比較してあまり出来がよくない印象を受けた。理由は単純で、『はがない』におけるゲームにおいて主人公とヒロインは相互に信頼や敬意といった点でなんら変化は無い。これに対して『俺ガイル』のクッキー作りにおいては、主人公はヒロインの姿勢に敬意を抱き、ヒロインもまた主人公の洞察に敬意を抱き、認識を改めるという点で両者の関係の変化が描かれている。
その場面の前後で両者の関係に変化がないのであれば、それを伏線として機能させる予定がない限り、そんな場面は不要と言っていいだろう。
あってもなくても話の筋に影響しない様な単調なイベントを大量に重ねることはギャルゲーでは認められるのかもしれないが、小説でやったら飽きられる、とは榊一郎も指摘するところであるが、「ボーイミーツガール」における「話の筋」とは主人公とヒロインの関係構築に他ならない。もちろん、「ボーイミーツガール」であり、同時にバトルであったりミステリであるならば、そうした類型の「話の筋」での必要性が示される必要があるだろう。
「ボーイミーツガール」において主人公からヒロインへ、もしくはその逆に対してなされる行為をこのように類型化し物語に沿って順に並べていくと、それが主人公とヒロインで反転もしくは反復、すなわち「構図の繰り返し」が散見され、さらにそうしたものほど筆者は「よく出来ている」という認識を持つ傾向が強いという認識に至った。
くどいと思われるかもしれませんが、これでも実際の画面になると印象度は思いのほか薄いもので、構図の繰り返しによる主題の強調という手法は、これでもかというぐらいにしつこく繰り返さなければ効果は期待できないものです。
押井が指摘するこの「構図の繰り返し」について、ボーイミーツガールとして認知されていると思われるアニメ『エウレカセブン』で言えば、周知の通り2話と26話は主人公とヒロインの位置、台詞回しを反転させた構図であり、そして26話が(低俗な表現ながら)「神回」と言われていることには、この演出が大きく影響していると言っていいだろう。
そしてラノベである「ボーイミーツガール」におけるこうした「構図の繰り返し」において重要なのは、「同じ構図で同じ行為が明白に異なる意思によってなされること」ではないかと筆者は考えている。
いずれも結果として同じ行為が反復、反転しているが、それぞれの理由は明白に異なったものである。最初の依頼ではヒロインは自分が直面した困難から逃亡するために主人公を利用しようとしてスールになることを依頼するが、主人公は場に流されることをよしとせず拒否する。二番目の依頼では主人公はヒロインの困難の重さを理解しており、彼女を助けるために自分をスールにするよう依頼するが、それが主人公へ自分の困難を押し付けることでもあることの認識から、ヒロインはこれを拒否する。そして三度目はヒロインが自分の困難を解決した物語の最後であり、困難から逃げ出すためではなく、純粋な好意からスールになることを主人公に依頼し、主人公はこれに応じる。
同様に『イリヤ』も見事な「構図の繰り返し」を用いている。1巻において教室におけるヒロインの助けを求める目に対し、主人公は「トイレ」と言って教室から逃げ出して一人トイレにこもるヘタレぶりを見せつける。そして3巻のクライマックスにおいてヒロインの助けを求める目に対し、主人公は1巻と全く同様に「トイレ」と言って、今度はヒロインを連れて逃げ出すための覚悟を決めて一人トイレにこもる。そこから続くトイレ内の描写の凄みについては本稿では割愛するが、この一連のシーンの評価は秋山瑞人のファンの間でも極めて高いと思われる(余談ながら例えば『E.G.コンバット 2nd』においても冒頭、クライマックス直後、そして物語の最後で「格納庫のGARPの前でルノアが泣いている」という同じ構図が繰り返されており、秋山瑞人はこの「構図の繰り返し」を意識的に多用している節が見受けられる)。
また、遭遇と物語最後のシーンで「構図の繰り返し」を用いている例もよく見受けられる。例えば『星海の紋章』においては主人公とヒロインの遭遇、そして物語の最後は「ラフィールと呼ぶがよい!」という、全く同じ台詞が用意されている。『ALL YOU NEED IS KILL』では「日本では食後のグリーンティーはタダだというのは本当か?」というヒロインの台詞で遭遇は始まり、最後は主人公が青緑色をしたカビのコロニーが浮かんだコーヒーを飲み干すことで終わる(こちらはちょっと捻りすぎた感が否めないが)。『俺ガイル』は不愉快そうにヒロインが主人公に毒を吐く場面で遭遇が始まり、ラストは楽しそうにヒロインが主人公に毒を吐く場面で終わるという点で構図が繰り返されているが、それ以上に物語最後の一文がタイトルである点の指摘で十分だろう。
『乃木坂春香の秘密』はヒロインの秘密が主人公に漏洩したのち、ヒロインは物理的、精神的に最後まで守られる存在であり、そして主人公は最後まで守る存在である。両者は精神的に対等な立場とは言いがたい。こうした一方的な依存関係の存在する関係はあまり筆者の好むところではなく、おそらくそれは筆者に限ったものでもないだろう。
『エスケヱプ・スピヰド』や『禁書』も同様に片方が他方を保護し続けるが、これらはヒロインの自己犠牲により保護者は非保護者に救助される場面が組み込まれている点で違いがあり、これによってその立場は対等なものに寄っていると言っていいだろう。
このように直接的な行為類型で均衡を取る方法もあるが、「構図の繰り返し」における主人公とヒロインの「反転」によっても主人公とヒロインの対等性は暗黙に読者に伝達する効果があるように思われる。
例えば『ゼロの使い魔』においては冒頭でヒロインから主人公に対し、主人公が使い魔であることが一方的に宣告され、主人公はこれに成り行き上しぶしぶ従うことになる。しかし物語の最後においては主人公はヒロインに対し、自分はヒロインの使い魔だ、と誇りをもってこれを肯定する。その台詞内容が示す立場の差と異なり、両者が(少なくとも精神的に)対等な関係であることを強く意識させる効果を生んでいる。
いい加減例に使うことにも飽きてきたが『とらドラ!』においても対等さは徹底して反転構造の反復によって強調されている。
ヒロインの好きな人が主人公にバレる、という出来事に対して主人公はヒロインに自分の好きな人を明かす。ヒロインに主人公は故意にボールをぶつけられ、ヒロインに主人公は手違いでボールをぶつける。階段で落ちかけたヒロインを主人公は反射的に庇い、ヒロインは反射的に主人公の無事を確認する。ヒロインの作ったマズいクッキーを主人公が食べて美味いと微笑み、ヒロインは主人公の作った美味しいクッキーを食べて美味いと微笑む。このように『とらドラ!』は徹底して反転構造を反復している。
さらに「呼称の変化」という形でもこの「反転」と「反復」が巧妙に使われている。ヒロインは自身の恋路への助力を一方的に主人公へ要求し、主人公の承諾をもって名前で呼び捨てにするようになる。その後ヒロインは二人が対等な関係であることを告げて協力体制の解消が宣言され、ヒロインは主人公の呼び捨てをやめる。そして物語最後において主人公はヒロインに一方的にヒロインの恋路への助力を宣言し、ヒロインを名前で呼び捨てし、ヒロインが返事代わりに主人公の名前を呼び捨てにすることで物語は幕を閉じる。
対等さの無い「ボーイミーツガール」は少なからず存在し、それを気にしない読者も一定程度いることは事実であろうが、より幅広い読者の支持を期待するのであればこうした主人公とヒロインの対等さへの意識がされて損は無いだろう。
ストーリーや設定が凡庸であれとにかく「キャラが立っている」ことが重要なのだ、と述べた上で林は次のように主張する。
主人公の個性さえ確立できれば、それが魅力的かどうか、感情移入できるかどうかなんて全部後からついてくるから大丈夫。魅力的な主人公が活躍していれば話は自然と盛り上がる
林トモアキ『現役プロ美少女ライトノベル作家が教える! ライトノベルを読むのは楽しいけど、書いてみるともっと楽しいかもよ! ? 』
なるほど。ところで人気アニメや漫画の二次創作小説に出てくる「キャラ」は(オリジナルキャラを除けば)おおむね人気キャラであり、おそらくは「キャラが立っている」ものだと言っていいだろう。もし林が言うように「キャラが立っている」だけでいいのであればこうした二次創作はどれも魅力的で感情移入できるものとなる。
二次創作小説の、特に好きなキャラのそれをひたすら読みふける人がいることは事実であり、ゆえに林の主張は間違いでは無いだろう。しかしそれが幅広い読者に通用するものかといえば筆者には肯定しかねるものである。
キャラ萌え特化の商業ラノベはもちろんある。しかしそれだけしかウリが無いのであれば、それはキャラ萌えが理解できない筆者のような(もしくはそのようなキャラクターは好みではない)読者に対しては全く面白みのないものと言っていいだろう。
キャラ萌えに依存せず面白いと思わせることが出来ることは、そうしたキャラ萌えにのみ依存したラノベと比較して強みになることは間違いない。そしてそうした強みとして、本稿で指摘したような演出法についての言及はもう少しされてもいいのではないか、と考えている。
才能やセンスはそれだけで価値のあるものだが、その多くは知識と思考によって技術化することが出来るものだと筆者は信じている。空を飛ぶ鳥に憧れて手をバタバタさせたところで一生空は飛べないが、航空力学を構築することで人類は空を飛ぶことを可能にしたのである。
本稿は筆者の嗜好に強く依存しており無批判に一般化できるものではないが、これまで感覚によってなされてきた演出技術を言語化することの可能性について、諸兄諸姉の検討の際の参考になれば幸いである。