はてなキーワード: 美術とは
詳しい人に教えてもらうのもとても楽しいけど、類友なのかあまり友人にはコスメ好きがおらず…。
増田の話も面白い!もっと聞かせてほしいし、私のコメントへの返信も貰えると嬉しいです。
興味ない理由を箇条書きすると
・元々可愛い。といってもクラスに20人女子がいたら3~5人目レベル。だからといって1番2番になりたいとは全然思わない
・ベースメイク嫌い。皮膚呼吸できない感じが最悪。未だに下地、ファンデーション、お粉?の使い方がよく分からない。
3ヶ月に1回ぐらい使ってみるが、「よくわからなかった」でいつも終わる。シミは隠せて少し綺麗になる気はするが…
大学生ぐらいのときは肌が綺麗だったのもあって、毎朝顔も洗わずに日焼け止めも下地もファンでも塗らずに素肌にチークだった。
それでも若さゆえに可愛かった。今はさすがに顔洗うし化粧水乳液日焼け止めは塗る。普段のメイクは眉毛とリップクリームのみ。
・めんどくさがり。メイクはとにかくめんどくさい。
・他に面白いことがある。美容よりも、勉強とか、真理の追求とか、読書やスポーツなどの方が楽しい。
・コスパ重視の功利主義者。最小限度の努力で最大のリターンを得たいと思う。だから眉毛は必ず描く。眉毛はコスパがいい。
描いてないと変だし、描くと急激に顔が引き締まる。あとリップクリームもコスパがいいと思う。最低限の装いをしたい。
普段ほとんどメイクしないくせに、トーニングやフォトフェイシャルなどの美容医療や歯列矯正はコスパがいいと思うので通っている。
・年に一回とか、数年に一回とか、たまにしか会わない人と会うときや、皆で写真を撮る可能性が高いときは気合い入れてガッツリメイクする。
ハレの日のたった1日化粧頑張るだけで、その日出会った全ての他人に美しい自分の印象を残せるのでコスパがいい。
その時ぐらいしかファンデやアイシャドウを使わないのでなかなか減らない。使い切れない。
開封後5年以上経って、ほとんど使っていない化粧品を捨てた経験が多数。
・美的センスなし、美術下手、お絵かき下手、手先不器用、うまくなる気がしない
・薄顔美人なのでメイク好きの人が私の顔に生まれたら楽しかっただろうなと思う。
私は化粧が面倒だから何もしなくても化粧しているように見える派手顔に生まれたかった。
・そもそも自分の顔にそこまで興味がない。ふと気が付くとすぐヒゲ生えてるし鼻毛出てる。結構伸びてる。
・化粧する理由には主に以下の3パターンあると思うけど、「女同士のマウンティング、張り合いのため」「男にモテたい」「他人がどうこうは関係なく自分が美しくありたい」、
私は化粧するとしたら圧倒的に「男にモテたい」という理由。好みの男に会う予定があれば面倒でも頑張って化粧する。
・メイク落とししても落ちきらない。ガッツリメイクした晩は、いつも風呂でクレンジングしたあと、風呂上がりにバスタオルで顔拭いたら化粧がついててげんなりする。メイクって何でこんなに落ちないの。
・武装系、変身系メイクは興味ある。やってみたい。自分が可愛くなることにはそこまで興味ない。男がいたら別。
・子供の頃からオシャレ?着飾ること?が嫌いだったようで、母がせっかく結ってくれた髪をわざわざグチャグチャにして幼稚園に行ってたらしい。
・メイクだけでなくファッションもあまり興味がないけど、対人関係において見た目の印象を良くすることはコスパが高い行為だと思っているので、
アンディ・ウォーホルの「キャンベルスープの缶」は著作権上の問題があると当時騒がれたが、あれが合法でいられたからこそ、そこから生まれた商品のイメージを取り込む広告美術の今日の隆盛が得られている。
創るとは、真に新しいとは、既存のルールの内に収まれないということだ。
創作・アートにおいて、著作権は作品丸コピのような例外を止めるだけの最低限の補助であるべき。ダブスタがあるなら、緩い側に沿うべき。でないと、本当に創造的なことほど規制され取りこぼすことになる。
ならは何によって見出すべきか。観客≒市場の見えざる手「のようなもの」、それも未だ価値が認められきらない賛否両論の中で、見出した購入者の金という支えは受けられ、非難する者の金銭的影響はほぼ0な、つまりはコンテンツ販売業は理想的なそれだ。
創作に関わる法は、市場の自己コントロールを補助する法に似て、狭く最低限で、いざ芯を踏めば強力であるべき。若手、画風、学習などと手を広げて、当然の帰結として踏んだ際に弱い権利を得たところで、肝腎要の新しさを生み出す力が失せて逆にどこかで見たような猿真似ばかりになる道が開かれるだけだ。作品として一定以上は練り上げたものが優位な「登録制度」等を目指すんだ。
もうブログなんてやらないだろうと思っていた。
約18年前、mixiなるブログが流行った頃。やってみたはいいものの、まるで続かなかったからだ。
最初は楽しかった。いわゆる「映え」を、誰に言われるでもなく既に取り入れて、活用していたと思う。
でも次第に、そういう「仮想現実」や「虚構の世界」に違和感を覚える。
自覚したのは、始めて一週間くらいだっただろうか。私は、全消しした。
今思えば若気の至り。
でもやっぱり、嘘は嫌いなのだろう。
アメブロ、GREE、Facebook、Twitter、LINE、note、いろいろあるけれど。
18年経った今も様々な媒体のブログが存在していることに正直驚いている。
私が何周もして周回遅れで合ったような古くささを覚えながら、その中に私が知りたかった情報があることにも気付く。これを玉石混交というのか、古今東西というのか、はて、これ如何に。
奇しくも、ちょうど水瓶座月間。
年末年始にかけてのあの重苦しい居心地の悪さ、昨晩から今朝にかけての激しい変化、他の方はどうお感じになられたのか、また平気だったのだろうか。私などはイライライライラ、自分でも驚くほどにとにかくイライラが大爆発でございました。
何これ?
というのが今の気持ち。
最近になりどうやら私は、自らが水瓶座生まれであることに誇りを持っているらしいことに気付く。占いは興味はあるが特に詳しくないし、スピリチュアルには見向きもしない。今の関心事といえば哲学、禅、心理学、美術、音楽。
難しいお話は然るべき機関でやればいい。J-STAGEやCiNiiのような情報論文検索サイトなるものがあるはず。
よって、全ては私調べの情報を元にして興味のあるものを取っ掛かりに心ゆくままゆらゆらとしてみたい。真偽も大切だが、自身が良いと思うものを追求していきたい。さすれば、自ずと真実のみが残ると信じている。
新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分の気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。
「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」
30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強に熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。
人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生の出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分の意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切りに人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティーの人生の責任は取れない=つまり全ての最終決断はケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)
Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループの広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所やグループには出来るのになぜ出来ない?の世界の不思議をいつも彼なりのアイデアで解決してきたし(それでも出来ない/私たちがやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)
ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループの中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまったからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちだけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます
公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティー、アイドル、芸能界に限らない人間の普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断はきっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)
繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手な憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロで活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロで活動する、だったのかもしれません。
とはいえ、中島健人がいるグループのファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループのエースである中島健人と共に。
そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプルな私たちのメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字やそれからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)
それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドル⇔ファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情得たことがないのでいかに彼らの存在が自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、
我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、
※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※
私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。
その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。
今や社会人としてビジネスにおける数字の重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメの世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファンの雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDやDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしまい担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています、推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!
Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンス、MCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー、自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体(テレビ)が絞られていた平成の時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味で国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手な確信のようなものを持ってしまっていたのでした、
最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、
一昨年のマリの卒業はその過程(発表〜カウコンの卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間で証明してくれたのではないかと思っています。
だからこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由や意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います。
また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉)
本人は発表翌日ドラマの宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身の言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドルの方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zoneが卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。
一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたはSexyのアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)
前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループの温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります。
※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※
私は中学高校と体育会系の部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春をシンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的やモチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。
部活と仕事(人生)なので根底が全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)
もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知に差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。
表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?
一つ疑問なのは、グループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択をしました。
私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在の事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。
実際に一連の騒動に不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。
彼のいう、1人のアイドル、俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、
と書きながら、最近インタビューや映画にまつわる番組、海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくまで国内と海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断をしたこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、
さて、この簡単に言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います。
こんな長々と書き綴りましたが、
最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタクの本音のひとつをもう一つだけ書いてしまうと、
「やっぱりSexy Zoneがいい!」
「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」
ってお互い言ってもいいんだよ!
まだ許す!許せる!間に合う!
最後の最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。
でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます。
書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。
絵そのものにはないと思う。
そのうちゴッホやピカソの新作を並べた美術展覧会も催されるだろう。
ただ人間は、絵画やイラスト、その他諸芸術全般を鑑賞する際に作品だけを独立して見るだけではなく、作者がそれを描くに至った個人的経緯であったり、作者の人格であったり、時代性であったり、そういった作品の背景情報・周辺情報を含めて楽しむことが多い。
最もわかりやすく極端な例を挙げれば(東浩紀も言っているが)、自分の子どもが書いた絵って特別だよね、ということだ。
だから「AIが描いた絵と人間が描いた絵の何が違うのか」と問われれば、回答はずばり「人間が描いていること」になるだろう。
書き手の人間が歩んできた人生、書き手のキャラクター、ストーリー、そういった要素がこれまで以上に重視される時代になると思う。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
川端康成の『雪国』は読んだことがないけれども、その文頭はあまりにも有名だ。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
暖かい南国で生まれた。積もった雪は見たことがなかった。大学が近くになかったので、進学組はみんな強制的に一人暮らしになる地域だった。雪が見たくて、ただそれだけで積雪がある某県に進学を決めた。
学生だから車は持てなくて、雪の積もった日は徒歩で30分以上かけて大学に向かった。自転車なら10分もかからない距離だ。泥混じりの雪が跳ねて、着く頃にはズボンの裾と靴下が真っ黒に濡れてしまう。それで丸一日過ごす。一年生の年明けには、雪を見るだけでうんざりするようになった。
雪の朝は、目が覚めるとすぐにわかる。妙に静まりかえっていて、ほのかに明るくて、身体の芯から冷えるような寒さの朝は雪が深々と積もっている。心底うんざりする冬の一景だ。
大学最後の年、私はすっかり暗い冬も鬱陶しい雪も大嫌いになっていた。
ある夜、何かの用事で車に載せてもらい、峠の方へ行くことになった。しっかり整備された高速道路を降りて、ろくに除雪されておらず街灯もない一般道に出た時、ふと窓の外を覗くと、月明かりのない真っ暗な夜空と真っ白な雪原が目に飛び込んできた。そして「夜の底が白くなった」ことに気がついた。
私は文豪のあまりにも的確な表現に言葉を失い、雪原が終わるまでずっと、ぼんやり白い夜の底を眺め続けていた。
その後上京して何年も経つが、美術展にも行かず、バーにも通わず、流行の最先端にも触れず、およそ文化的とは程遠い怠惰な日々を過ごしている。これといった趣味もなく、美味いのかわからない飯を食べ、友人も少ない。都会の片隅でドブネズミ的生活を送っている。東京で文化人になるにも能動的努力と磨かれたセンサーが必要なようである。
私は生憎地元でも東京でも「文化」とやらを感じることはできなかった。「印象派展」や「知る人ぞ知る日本初上陸ブランド」に興味はなくもないが、疲れた週末に電車を乗り継いでよく知らない場所に行き、人混みに揉まれて行列に並ぶのは雪と同じく心底うんざりする。
このように都会暮らしでも文化を楽しむにはそれなりの素養と体力が不可欠だ。感受性が錆びつきセンサーが腐っているドブネズミがあの冬の夜、ど田舎の雪原に「文化」を強烈に感じることができたのは教育による知識の下地に偶然が重なったおかげである。私はあの一景を生涯忘れることはないだろう。
きっかけはくだらないけど、「先生」(プレイヤー)の名前の変更をしようとしたらNGワードが多すぎて、なにがNGワードなのか探っている途中で一時的な名前に変更したら、一日一回しか変更できませんとそれ以上の変更を拒否されたから。
それだけ?と思うだろうけど、その瞬間になんだかサッと冷めて、ムカついて衝動的にアプリを削除して、YoutubeのチャンネルやXのフォローも全部キャンセルした。良いきっかけだった。ブルアカみたいなソシャゲなんて全部運営の手のひら、と思い出して一気にしらけた感じ。
ちなみに課金は合計で1万5千円くらいしたとおもう。ストーリーとキャラの魅力で楽しませてもらったから後悔はあまりない。けどいろいろ面倒になっていたのでよい潮時だった。
メインストーリー以外はぶっちゃっけあまり面白くないし、結局は時間か金をかけてキャラを育てないとストレスがたまるゲームデザインなので、しんどくなってたところに「先生」(プレイヤー)の名前の変更の件がきっかけになった。
毎日ログインしてデイリータスクこなしてスタミナを消化してアイテムを集めてキャラを成長させて、それどころか数時間に一回カフェでキャラをタッチして絆ポイントを上げて、そうしてキャラクターを育てて、次々と追加されるイベントや総力戦や戦術対抗戦などでいい成績を出して、その報酬でまたキャラの成長アイテムをもらって、という無限ループ。常に鼻先にニンジンをぶら下げられて走らされている感覚。犬の調教のようなメソッド。
アテンションコストを持って行き過ぎ。たぶんこれはソシャゲ全般に共通するんじゃないかな?
ほかのソシャゲをやったことない(つまりはじめてのソシャゲ)からあまりわからないけど、たぶんかなり良心的なほうなんだよな?とはなんとなく感じた。でももう限界。
5年後か10年後くらいに、ストーリーの結末を知るためにもう一回最初から始めるかもね。期間限定のイベントストーリーも読んでおくほうがもっと楽しめるんだろうけど、ログインするとまた依存しそうだから嫌だ。もう勘弁してくれ。無理。
各ストーリーとメモロビだけを配信してほしくはあるし、それに年に3000円くらい課金してもいいけど、そうすると戦闘がなくなってキャラの愛着がうすれて魅力が半減するだろうし、ブルアカの収益も大幅マイナスになるだろう。
けどもう毎日デイリータスクをこなしてじりじりとキャラを成長させてイベントや総力戦や戦術対抗戦や合同火力演習の戦闘を効率化して報酬としてキャラ成長素材を多く獲得するループを回したり、素材の手に入らなさにイライラしたり、ガチャで消耗感を感じたりする、ソシャゲ依存の生活はしたくない。
こういった作業やギャンブルが好きな人は好きなんだろうけど、ちょっとね。無課金でも遊べるけど、効率プレイで時間に追われていろいろなアテンションを強いられてしまうのはちょっとね。課金で解消しようとすると一回で数千から下手したら数万単位のリアルマネーが飛んでいくのはちょっと無理。自分は今、収穫期だとメタ認知してしまった。
ストーリーはとくにトリニティのエデン条約編で完全にハマって、最終編を読み終えてもまだ無課金でいたあたりで課金していないことに申し訳無さの感情が生まれて(返報性の原理)、課金をはじめて(運営の狙い通りだろう)、よくできているなと感心した。
キャラは可愛いし、ストーリーがとても良かったし、美術も音楽もハイレベル。たぶん相当に良心的な運営で、儲かっている。覇権コンテンツってやつなんだろう。
お気に入りは補習授業部。ほかにも好きなキャラがたくさんいた。みんな可愛かった。
もしも1ヶ月に1回くらいメインストーリーやイベントストーリーを追加して楽しませてくれたらそのたびに1000円くらい払ってもいいからそうしてほしい。でもソシャゲである以上無理なんだろうな。
https://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ431063.html
↑こういう動画あるけどさ。
コメント欄ではうまいのになんで叩かれてるのと言ってるやつに対して、絵の知識が足りなすぎるからなでけではとか言われてるんだけどね。
そもそも、絵の知識がないやにに上手いと思われることと、絵の知識があるやつに下手と思われることと、どっちの方が一票の重みがでかいとか、なんてことはなくね?
そいつが絵がうまいと思ったらそれがすべてであって、その作品の価値は単にそうやって絵がうまいと思いうやつがどれだけいるかで決まるって単純な話だよね??
そこで知識のあるやつの発言の重みづけを高くするとか、なんか目的をはき違えてるでしょ。
娯楽としての絵はどこまでも主観ありきのものであって、そこで客観的には画力はどうのこうのとかいう評価軸を持ち出すのは、かえって本末転倒だと思うんだが違うのかなあ。客観的な画力を高めることが目的じゃなくてより大勢の人を上手いと思わせることが目的でしょ。
「衆愚」の結果だとしても、知識がある人にとっては下手に見えるのに、上手いと思う人があくまで多数派なら、それがその絵の評価としの現段階での正義だよね?学問をしてるわけじゃないんだからさ(もちろん学問としての芸術もあるけど、絵の上手いと思う気持ちは民主的なものであって、学問的な意味での評価が特別重みづけされるのはおかしい)。もちろん美術の体系知に裏打ちされた作品は大衆をもよくうならせる傾向にある(からこそ手段としてそうした知識を使うことは一般には有効)かもしれないが、知識がなくてよくわからない、そういう裏打ちなくて描いた絵の方がうまいと思う人がかえって多いという場合もまたそれが結果として全てだよね。どうやっても、「この絵がうまいと思うのはお前に知識がないからだ」という態度はおかしい。民主的に行われたはずの選挙の投票結果を権力でちゃぶ台返ししてるのと同じようなものだ。
先の増田は
FreakilyCharmingしてもZUNにしても普通の人からしたら夢あるけど、ワンピースやナルトの規模と比べたら象と蟻だよね、ワンピースのグッズのうちの1~2シリーズの展開ですら数億規模になること考えると戦いになってない。
別にそんなんしてなくてもバズったり面白かったら売れるし、血反吐と血尿垂れ流したって面白くなきゃ売れない。
トップは青春を美術や漫画に捧げてきたとかじゃなくて、人生を差し出して取り憑かれてる異常者達だけの場所だから、そもそも青春を捧げた程度で並べる舞台ではないだろうしな。
俺はその意見には真っ向から反対で、画力はあくまで基礎力なので作者がやりたいこと、伝えたいことを実現するための力だと思うし、(こういうことがやりたかったんだろうなぁ、画力が足りなくて確証が持てないけど…)みたいに感じさせてしまう時点で作品として格が低い
よつばともヘルシングもプロの中でも相当画力が高いと思うし、それらとカイジとかドラゴン桜とかと比べたときに本当に「好みの問題」と言えるのだろうか?
カイジもドラゴン桜も内容の部分がウケて商業的に成功したわけで、彼らが作画担当としてやっていけるかと言うと絶対に無理だろう
ただ一方で、たとえば
「自分の絵柄を受け入れてくれる人に東方キャラのおっぱいの魅力を伝えたい」
みたない一点突破の目的でイラストを書き続けていくなら、その目的に見合った画力さえあれば事足りるわけで、美術館に入り浸って巨匠の油絵を半日睨んだり、予備校で一日何時間もデッサンしたりする必要はない