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2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる

率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。

初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……

時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます

冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。

『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者

初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。

箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)

初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。

初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。

諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。

諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。

子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。

しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。

ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?

深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?

手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。

島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者

五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。

水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…

それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。

諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。

井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…

助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。

あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。

それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。

諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。

今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

観劇2回目の備忘録 舞台「孤島の鬼」2017版

http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

8日ソワレ情報量が多いので走り書きのみ。感想なし。考察なし。

A列上手での観劇。(初見はH列下手での観劇

なお、私は2回目の観劇を謎解きとして挑んだことを大変後悔している。

よほど命知らずの探偵さんでない限り、以下の内容に目を通すことはおすすめしない。


  • これは『演劇である
  • 幕が開いた時点で諸戸は既に亡くなっている
  • それを《わたし》は知っている
  • 亡くなった諸戸が《?》のもとを訪ねてくる
  • 《?》と諸戸は二人についての話をする
  • 『私』と『箕浦』は別の役者である
  • 『私』は諸戸から簑浦への性愛疑心暗鬼白髪になってからの生きている《みのうら》(それまでの《わたし》)を演じる
  • 箕浦』は「孤島の鬼」のミステリー冒険譚、ノンケでまったく諸戸の性愛理解できない・感知すらできない、白髪になるまでの《みのうら》(それ以降の《わたし》)を演じる
  • オープニングは諸戸の家に押し掛ける前に入る。悶絶する『箕浦』。
  • 『私』の一人称は【わたし
  • 『簑浦』の一人称は【ぼく】
  • 原作確認:秀ちゃんとの逢瀬を夜中に諸戸に見咎められているのか
  • この『演劇』は諸戸と《?》についての話であるので、二人の隠喩および冒険譚要素以外はすべてカット
  • 探偵コンビ結成(意訳)の時の握手、はじめ『箕浦』は手を握らない。ぎょっとして『私』を凝視する諸戸。(情報量が多く忘れてしまったが、『私』が某かの反応を返してから)ようやく諸戸の手を握る『箕浦』。
  • 水責め時点から苦しみ出す『私』。冒頭で『私』が鬼を思い出した時と同じように喉を掻く。
  • 井戸の中「嫉妬している?」と『私』が声をかけた瞬間から、諸戸の目には『箕浦』が見えていない。ひたすらに『私』を求める。「ああ、嫉妬している」と答える
  • 箕浦』も『私』に襲いかかる諸戸のことを化物のようと言っている(セリフ正確に覚えておらずすみません。確実に恐ろしいと否定をしている)。そして『箕浦』は「死者を冒涜することになるから詳しくは言えない」と襲われるシーンを省略
  • 原作確認:そう、『私』も『箕浦』も「省略」する。これは原作にもあるセリフなのか?
  • 井戸出たときの諸戸の泣き笑いはなんとも表現し難い。変動するものでもありそう。なんというか、この時点で既に諸戸のライフ零になっているので、追い討ち受けたようなさま。限界越えた時みたいな表情。
  • 箕浦から受け取った手紙とは別にから諸戸の訃報を受けとる。ずっと語り部は『箕浦』。『私』は手紙を握り潰し憎そうな表情に見えた。なんか明らかに嫌悪してそうだったんだけど。諸戸が『私』へ伸ばした手を『箕浦』が宥めるように下ろさせる。成仏させるように『箕浦』が諸戸を連れ立ってゆく。


  • 白い毬を置いたのはスタッフさん?
  • 毬は風の動きを表しているけど、家の中に誰も居ない表現であると同時に(アフタートークの内容関係なく思ったのだけど)諸戸の亡霊が現れた表現なのか?
  • 君は美しいと言う人
    • 諸戸→『私』
    • 『私』→(記憶なくてごめんたぶん言ったよね)諸戸、秀ちゃん
    • 箕浦』言わない
    • 深山木→『箕浦』、諸戸
    • 手記の中の秀ちゃん吉ちゃん→(記憶なくてごめんたぶん)秀ちゃん (原作確認:手記の外では二人は声を発さないのは原作どおりか?)
    • 五郎失恋した相手
  • 『私』と『箕浦』は別人。また、《わたしである時は未来を知っており、《みのうら》であるとき未来を知らない。
  • 箕浦』も仕事内容は『私』と同じ。
  • 『手記の秀ちゃん』と『島で会った秀ちゃん』は別の存在。『島で会った秀ちゃんと吉ちゃん』は声を発さない。
  • 白い毬
  • 諸戸の衣装の汚れ見えた。すごく緑色に見えた。照明の影響すごく受けるから何色なのかわからない。『私』には黒いススのような汚れしかないのが気になった。諸戸と半々ではないのかしらん?
  • 『私』が明らかに《みのうら》に見えるのは井戸出たとき。『箕浦』が明らかに《わたし》になっているのは諸戸に襲われている時。上手からではここの『箕浦』の表情が見えなかったことが悔い。
  • 初回は焦点が集中し過ぎて見えていなかったけど《わたし》になっても『箕浦』ずっといた。
  • 『私』が演じる《わたし》は諸戸に向けて感情を込めた視線をすごく送るけど、『箕浦』をそのように見つめない。『箕浦』が演じる《わたし》は『私』にも感情の籠った目線を向けることがあるが、基本ずっと座って正面を向いて険しい顔をしている。
  • 恐怖とは襲いかかってくる諸戸で固定されている印象も受ける。ただ、それ以上にやはり『私』と『箕浦』の差異重要そう

局所的に話題になっているけものフレンズの、無料の1話を見た。

ただの低品質アニメであった。

ただ、同時に純粋な感動を覚えた。

やさしい世界、という言葉ネットミームとして使われることがあるが、それをストレート表現していると感じた。

おそらく癒しアニメ現在形がこれなんだろう。

そう考えてしまうのは、自分俺ガイルの中で1番好きなキャラ戸塚彩加であることと無関係ではない。

戸塚はいわゆる男の娘だ。

見た目は中性的というのを通り越した存在ではあるが、心理的性別男性である

しかしながら、その性格古典的ヒロイン像にほど近い。

女子力の高さでは俺ガイル女性キャラの中でもトップクラスだ。

もし、戸塚女性キャラとして描かれていたら、と考えるのは容易い。

目も当てられないほどあざといキャラクターとなっていただろう。

彼女の行動ひとつひとつに裏があると感じてしまい、無用疑心暗鬼を抱えることになったであろう、と。

然るに、逆説的に戸塚というキャラクターは、男の娘であることによって古典的ヒロイン像を「臭み」なく成立させているのだ。

ただこういった心理的状況は、現実女性絶望した結果によるものとかといえば、それは微妙的外れな指摘といえる。

これは二次元キャラ文化が生み出した歴史の中で、王道パターンらせん状に1周回った、という現象なのだろう。

話を戻してけもフレである

この作品において最も重要キャラクターサーバルちゃんであることは疑いようがない。

ネット上で観測されるフレンズたちの口調もサーバルちゃんのそれだ。

わーい!

サーバルちゃんの特筆すべき点は、幼い知性の持ち主として描かれていることだ。

彼女が登場の先頭を切ったことにより、本作が野生の動物を扱っていることがまず示されている。

そして、そんなサーバルちゃんがカバンちゃんというホモサピエンス出会い交流を深めていく過程には、優しさがあふれている。

その優しさが妙に響くのは、サーバルちゃん、ひいてはフレンズが異なる価値観を持った異種族であるからだろう。

白痴美少女が同様の言動をとったとしても、これほどまでに響くことはないだろう。

そんな時代クラナドあたりで一つの区切りがついたように思う。

はいえ、こういった形式物語はすでに異種族交流ものとしてありふれている。

特に児童向けの物語においては、道徳教育としての扱いやすさもあるせいかよく見られる物語形式だ。

けもフレの癒し構造は上記の通りだが、癒し現在進行形と評したのは、そんな児童向けアニメをほぼ無加工状態大人向け(?)アニメとして持ってきたところにあるのかもしれない。

普通は、大人向けなら大人向けに加工する。

それをせずにド直球に投げつけられた本作は、それ故に見る人を強烈に選ぶ珍作となっている。

そして、だからこそ妙に抉られるのだろう。

ネット上でサーバルちゃんに話しかけたり、サーバルちゃんになりきったりしているフレンズたちを見て思うのは、けもフレの癒し効果だ。

決しておたく幼児退行したとかではない、ストレスに対する防衛機能の表れだよ。

みんなつかれてるんだ。

ごはんたべよ?

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-19

内定辞退したい。

正社員経験なし20代高卒派遣女ですが転職活動をして初めての面接内定をもらいました。

でも辞退したくなってきました。

就職に関する一般的な流れが分からないため、呑んでいいものかわかりません。

 

まず面接

一次面接のはずが社長までいて、

偉そうなおじさん4人に囲まれて経歴の説明を求められた時点で高校卒業年度が頭から飛んだ。

社長が助け舟を出してくれる有様の上その後も一答一問で進むような惨憺たる手応えだった。

唯一字が綺麗なことと簿記2級に独学で合格したことが褒められた。

打ちひしがれて軽く泣きながら帰ってたら、内定電話が来た。

この時点で会社を出てから2時間ほど。

「どうして合格なんですか?」と聞いたら(思わず聞いてしまうほどの出来だった)

「しっかりやってくれそうだから全員一致で合格でした」と

 

しかしその電話で初めて聞いた採用の条件は、

会社所在地と同市内に住むこと」、「試用期間3か月は時給制である」こと。

会社としてその土地思い入れがあるのは承知していたので引っ越しは仕方ないかと思った。

けど「試用期間3か月は時給制である」ことは広告に載ってなかった。

試用期間中正社員と同一条件と書いてあった。

 

電話口で突然告げられたことや合格と言われた手前突っかかることができなかったことから

この時点で不信感が芽生えたものの「承知しました」と答えてしまった。…

 

一度不信感が芽生えると不自然な点が色々と思い浮かんできて、

なぜあの面接内定なのかというところから疑心暗鬼になってきた。

 

なぜ二次面接であると聞いていたのに始めから決裁者が出てきたのか?

面接セオリーどころか会話が成り立っていたと言えるかも怪しいやりとりだったのに

「しっかりやってくれそうだから」で決まるのか?

なぜ広告と違うことを内定を告げる電話で初めて伝えるのか?

 

これはつまり「誰でもいい」に近い採用ではないのか?

試用期間中が時給制であることを伏せて採用活動をしていたということは、

それほど応募者がいないということでないか

とりいそぎ入れてもらった連絡の中で知らせてもらった基本給が

広告掲載の月給の最低額より低いのも気になる。

ちなみに、いつ入社契約を交わすのか・試用期間中保険加入…など

今後のスケジュールについての連絡は今のところない。

 

 

試用期間中時給であるということは正社員待遇と同じ福利厚生は見込めず、

引っ越しでほぼ無一文になった状態

知り合いのいない土地勘のない県外でそれなりの間極貧生活を送ることになる。

正社員後は手取り自体今の派遣給料とそれほど変わらないもの

高卒にはこれ以上望めないだろうというくらいとても良い。

会社のものとしては過去採用に関わる訴訟があったようだけど、堅実な印象はまあ受けた。

 

でも、失敗したと思っても無一文になってまで県外の郊外引っ越ししまった後では

自分の経歴では取り返すのも困難だろう…と考えると

この不信感を無視してでも飛びつくべきなのかとても迷っている。

 

 

断るにしても承知しましたと言ってしまった手前なんと言えばいいのか…。

正社員になるのってこんなもんなんでしょうか。

派遣を続けつつ自分がきちんと納得できる会社出会うまで活動しても良いでしょうか。

ストレスを感じると出てくる喉の違和感があー止まらない。

2017-01-16

「一週間以内に買ってくれないと打ち切りになる」と言われて脅されてると思う人の気持ちがわからない

映画館映画泥棒CMを見て「客を泥棒扱いしている」と思う人の気持ちもわからない。

まり疑心暗鬼すぎるというか、繊細すぎるというか。

ゲームキャラのケツがエロいから女性差別」とか「子供が影響されるからタバコを吸うシーンを出すな」っていうのと同レベルの難癖に思える。

2017-01-08

短文だからという理由馬鹿扱いするなと言う趣旨記事

いから頭良さそうですねと褒められるってのは批判皮肉である可能性があるのではないのかと

疑心暗鬼なことを言ってみる。

2016-12-21

煽り耐性って人間にとって一番必要能力だと思う

この世界にはストレスと悪意が溢れているので煽り耐性が低い人間は心の余裕を失い他人から受けたダメージへの復讐を考え疑心暗鬼に陥り精神崩壊する

2016-12-18

人を素直に褒められるようになる方法

http://anond.hatelabo.jp/20161212093735

まずはくだらないプライドを捨てる

そもそも、これを言った自分がどう思われるのかって心配することが本当に重要なことだろうか?

(目上の相手に媚を売りたい人を除く)

それより相手がどう思うかだけを考えてみると、下手くそでも相手を褒める場合と褒めない場合では、褒めたほうが相手にとってプラスになる可能性が高いのは議論を待たないだろう。微妙な褒め方だったとしても、特に嬉しくもないだけで不愉快になる人は少ない。であればうだうだ言ってないで褒めたほうがいい。それができないのはいろいろなプライド邪魔をしているかである

それを回避するマインドセットタイプ別に紹介する。

1.褒めると自分の方が下に見られる気がする。文句言ってる方が大きい人間に思われる気がする

これ全く逆で、実は相手能力を素直に認められるのは自分能力に自信がある人だけなのだ

なので自分に自信がない人は自分よりすごいところがある人間を素直に褒められない。

心の奥底で危機感を感じてしまうので褒める余裕がないのだ。

その上、文句を言ったほうが精神的にマウント取れるからとりあえず文句を言って相手をやっつけて一時的安心に身を任せてしまう。

水は低きに流れるというやつだ。しかしそういう人間組織を腐らせる癌なのでそんな奴ばっかの会社だったら会社は傾くし本人も業績を挙げられないしで、結局全体最適ではないので最終的に良い結果に結びつかない。

そういう人はとりあえず「人を認めて褒めることができる自分すごい」と思うことにしよう。

他人を認められる人間は、大きな人間なのだ、そう思って部下や同僚をほめてみるといい。

なかなか気分がいい。

そして、人を褒めること自体特殊能力である日本ではそれは実際すごいことなのだ。

ただしそれを他人に言ったらおしまいなので絶対に口外しないこと。


もちろん根本的な対策は、自分に自信が持てるようになることだ。

そのためには自分ダメなところと向き合う必要もあるかもしれないが、そういう人はとりあえず自分を褒めることから始めよう。


2.褒めるのがなんか恥ずかしい

いやお前が恥ずかしいかどうかなんて誰も気にしてないから。

堂々としていればいい。

相手気持ちだけに思考を集中していれば恥ずかしさは消えるはず。

3.それでも素直に褒められない

思ったことを素直に口にすることは自然なことだ。

マイナスことな言ってはいけないこともあるが、褒める場合感情を口に出したほうがいいに決まっている。

4.褒めたら自分が裏表があるやつだと思われるんじゃないか

考えすぎだ。そう思われたら周囲に対する自分評価マイナスかもしれないが人を褒められる人になったほうが評価相殺されて最終的にプラスなのだから気にするな。またそんな疑心暗鬼モンスタークレイマーみたいなやつなんて何言っても文句言うんだから気にするべきじゃない。

どうしてもそういう考えが振り払えないなら本人がいないところで褒めろ。

褒め陰口であるおせっかいな人が本人に伝えてくれるだろう。それで慣れたら本人に直接言え。

5.人を褒めることに意味を感じない。所詮世の中は弱肉強食だ。蹴落としたほうがいい。

なかなかハードボイルドでかっこいい性格だ。しか他人を褒めるのは何も他人のためばかりではない。

第一他人を褒めると人のいい部分を見つけることにうまくなるので、自分のいい部分も見つけることができるようになる。

第二にあなたが上昇志向のある人間なら部下や同僚の能力を見つけて伸ばして上手く使うことは必ず自分の役に立つ。

第三に褒めることを続けて結果的に褒めるのがうまくなれば異性にもてる。


6.褒めるのが下手だから褒められない

実際に褒めないで褒めることがうまくなると思うな。褒めるのが上手い人がはじめからみんな褒めるのがうまかったと思うな、である

こういう人に必要なのは練習というよりも一歩踏み出す勇気だろう。

それでも練習してうまくなってから褒めたいのであれば、口に出す必要はないか他人のいいところを探すことを習慣づけてみよう。

考える習慣ができれば普段の会話でもそれがにじみ出てくる。

あとは口に出すだけだ。

2016-12-15

ネットで騙されやすい人、デマ拡散してる人の特徴

結論情報の真偽を判別できない人(バカ)

 

というのは当たり前かつ乱暴なので、ちゃんと書いてみる

 

 

情報源にこだわりがある

その情報ウソホントか、判別する力が無い場合、人はその情報出所判断しようとする

これは対象が難しくなると誰しもある程度やっていることだ(例:医学知識に対し、医者が言ってるから正しいだろうなど)

ただ、その判別能力が低い人ほどこの傾向が顕著になる

 

この現象が起こる際に、ではどのように出所の良し悪しを決めるかだが、これは刷り込み効果が非常に強い

最初に「ここはデマ情報ばかり流す」と思い込むと中々その認識は変わらないし、「ここは信用できる」という認識も中々変わらない

判別能力がある人からすると、その人の言動は頑固に見えることだろう

 

例)○○新聞は正しいことを書くが、○○新聞はいつもデマばかりだ

  ○○新聞が言ってるならデマなのだろう

 

疑心暗鬼

情報が正しいかどうかの判別能力が引く人ほど、騙された経験が多くなる

そして新しい情報が来た時にも、判別能力が無いため、その情報が正しいかどうかわからない

すると自衛のため必要以上に身構えるようになる

・この人は私を騙そうとしているに違いない

・みんなで私を騙そうとしているに違いない

・ひょっとしたら自作自演なのかもしれない

・彼が言ってることは怪しい、私の敵かもしれない、敵ならウソを言ってるはずだ

・これは誰かの陰謀

 

のように、統合失調症患者のようになっていく

上で述べた情報源とのこだわりと疑心暗鬼が合体すると

信頼している情報源へは、より一層信頼するようになり、疑ってる情報源へは、より一層疑うようになる

こうして○○信者、○○アンチができあがる

 

問題意識を抱えている

人に指向性がないと、騙されても「ふーん」で終わる

もちろんそういう人も社会的問題なのであるが、デマ拡散する人は更に問題意識も抱えている

問題意識とは漠然とした表現だが、単純に「不満」と「理由」があれば問題意識簡単に完成する

 

特に騙されやすい人は、上記2点の傾向により信頼する情報源から発せられた情報に感化されやす

信頼する情報源が、どういうタイプの発信者かは結局運次第だが

もし「〜〜は問題だ!」ということを発するタイプなら、感化されてしま

 

極端な思想に陥りがち

情報の真偽を正しく判断できないということは、つまり白か黒かわかりやすものしか判断できないということだ

世の中の意見グレースケールにしたとき過激意見ほど分かりやすく、まっとうな意見ほどグレーでわかりづらくなる

自ずと感化される意見も、インプリンティングされる情報源過激ものとなる

 

これまでの話をまとめると

 

情報の真偽を判別できない

極端な意見に感化されやす

極端な情報源を信頼しやす

問題意識をもってしま

疑心暗鬼が進む

 

こうしてよくSNSで見る人が完成するわけだ

 

 

おまけ1 この現象で起こる被害

 

二元論的なテーマの話がしづらい

こういう無知蒙昧たちは、二元論的なテーマに集まるようになる

すると、集まった彼らは基本的バカなので、議論が前に進まなくなる

(そもそも人数が多いと話が前に進まない)

 

デマ拡散する機械と化す

極端な情報源思想拡散するだけの機械と化す

それを更に助長するのがSNSシェア機能である

自分の信頼している情報源からシェアは、拡散せざるを得ない

 

おまけ2 無知蒙昧から脱するパターン

 

結局、情報の真偽を判別できる人になるしかない

 

・年を取って経験値を詰む

・きちんと信用できる頭のいい相手議論をする

・きちんと信用できる頭のいい人達議論結論を見せる(白黒以外のグレーの存在を受け入れさせる)

・信頼したいた情報源にひたすら裏切られる、あるいはその逆(過度な信頼を崩壊させる)

 

ただし、自分が成長し、素晴らしい考え方を発信することで周りを成長させることはできないと思う

難しい話をはじめたり、極端な思想から外れたら、無知蒙昧な彼らの「信頼できる情報源リストからは外れていく

説得も難しい

何を言おうが疑心暗鬼には通用しない

(ちなみにこれを突き詰めたのが宗教だと思ってる

 無知蒙昧から脱出させるのは、宗教から脱出させるのと同じようなイメージだ)

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209121304

疑心暗鬼になってきてないか?健常者のふとしたミスも気になりすぎないといいんだが。

もやもやするくらいなら試しに診てもらってもいいと思うぞ。

発達障害は嫌な記憶が抜けにくいからな。選ぶなら慎重に選べよ。

2016-12-06

【ふざけすぎ】私鉄公共資産どころかだれかの玩具になっている

●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ問題行為が繰り広げられている。

確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

●今で言う鉄道リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化スケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義新自由主義の発展」、「世界肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

◯「オウム真理教」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀カルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である

人間電波系として生まれるのではない。どこかで偏見憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。

集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代刹那主義世代理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激思想を生むと思われる。

ひょっとしたら電波系実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

では本題。私鉄オタクとその囲いの凄惨なやり口とは…

こいつらは自分切符などを買いあさり故意集団でその沿線で移り住み

現代でも私鉄社会は元気」という印象操作

をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!

カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家集団移住よりもよっぽどふざけてる

こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。

最近やたら安い駐車場駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?

最近公共交通利用促進ポスター都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道バスなどの公共インフラならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道バス需要適正化させる有効効果にもなると思われる。

一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通再生される。

鉄道利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣人間けがふるいにかけられることになり、彼らのような異端存在は、「世論良心」によって糾弾を受けることになる。

大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限マイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである

「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティ実施するべきだ。←ほんとこれ

一部のブルジョワ鉄道オタクや不良分子

自分達の歪んだ行いを「昔から伝統だ」とか「都会人の文化馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。

少なくとも何らかの制限は行わなければならない。

ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在いつまでものさばらせておいてはいけない。

私自身、高校時代鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆意見が既に存在するからだ。

昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。

2016-12-04

SNSにおける互助会現象について【サービス運営

1.はてなブログ互助会とは?

ブログ投稿した際、仲間内スターつけまくりホッテントリに載せるという悪の組織である(と認識されている)

 

2.SNSを作ると互助会ができる

互助会のような現象はてなブログだけではありません

例えばTwitterでは「相互フォローします!」みたいなのがあると思いますが、あれも互助会のようなものです

まり、「フォロワー数多い→凄い」とか、「スター多い→ホッテントリ」のように、互助会的な動きをすることで何らかのメリットが生じる際にこのようなことが起きます

彼らは、時にはビジネスとして、時には承認欲求を満たすため、時には流されるままに互助会一角を担います

 

3.リアルコミュニティにおける互助会

リアルコミュニティにも互助会存在します。

例えばサークルの中に「友達が多ければ多いほど人気者で素晴らしい」という層がある程度入れば、彼らは固まり新人を仲間グループに引き入れようとします。

また、会社間で相互仕事を回し、社会におけるお互いの価値を高めるような行為互助会と言えるでしょう。

 

4.互助会は、暗黙の了解として行われることもある

インターネットというもの相手が見えないため、「見えないところで何か悪いことをしているのではないか」という疑心暗鬼にとらわれることが多いですが

Twitterを見ても分かるように、暗黙の了解としてコミュニティ形成するパターンも多くあります

 

5.サービスから見た互助会デメリット

たとえば、フォロワー数が多い人ほど発言力が増すとか、お気に入り数のランキングを作るとか、注目されている記事を目立たせるような仕組みを導入するサービスがあります

これらは数多のコンテンツからより良いものユーザーに見せるための仕組みです。

しか互助会があると彼らばかりが目立つようになり、露出するコンテンツの質の向上が望めません。

また、他のコンテンツ提供者が不満を抱き出ていくかもしれません。

するとサービスからユーザーが離れるので、マイナスとなります

 

6.サービスからみた互助会メリット

例えば何の力もない新参が入った場合でも、互助会を利用するとコンテンツ露出させることができます

そうなると新参は喜んで更にコンテンツ作成し、結果定着する可能性が高まるでしょう。

また、互助会は規模が大きいほどメリットがあるので、外から新規ユーザーを引き入れる可能性もありますインフルエンサーと化す)

 

7.サービスが成長するほど互助会が厄介になる

上記のように、互助会ははじめユーザー定着させるのに一定の効果があると考えられます

サービスが成長し、コンテンツ提供者が十分に居る状況では厄介な存在となります

 

8.プロ互助会と、アマ互助会

例えばサーキュレーターが居るサービスを考えてみましょう

サーキュレーターは、自分が目立てば目立つほど注目され儲かるという状態になります

すると互助会の強力さは強いものとなるでしょう

オリンピックロゴデザインをしていた某氏もそうですが、お金が絡んでいくとやり方が巧妙になっていきます

ブロガーYoutuberなどはプロに属しますね。

 

9.互助会効果を薄めるには

いくつかあります

ランクイン前のコンテンツもっと一般ユーザー評価させる

ランキングホッテントリのもの重要度を薄める

・「いいね」のように評価ハードルを下げ、互助会の影響力を下げる

ランキング時間を細かく区切る

いずれにしても、ほとんどサービスプロバイダー側の対策です

 

10互助会を失うことのデメリット

互助会効果を薄めた場合互助会がより互助会をしやすサービスへと移るリスクが有るでしょう

また、互助会の世話焼きメリットもなくなるので、新規参入者の定着も考えなければなりません

 

11互助会を失うことのメリット

より公正なランキング形成された場合コンテンツ提供者はコンテンツクオリティアップをより心がけるようになるでしょう

また「どうせ頑張っても互助会に負ける」という考え方もなくなるでしょう

 

12互助会を失うことのデメリットカバーする方法

「HowToネタが伸びる」という雰囲気を作ることがあると思います

 

13.幻の互助会

毎回同じ人がランクインしていて、これは互助会だ!と勘違いするケースがいくつかあります

フォローシステムによって立ち上がりが早く、早々にランクインしてしまうため

・半分広告状態になっている(ニコニ広告など)

・単純にその人のクオリティが高いだけ

 

まとめ

互助会は毒にも薬にもなります(菌みたいなもんですね)

サービス提供者としては、その存在を上手く活かしてよりよいサービスを作っていきたいですね

2016-11-08

anond:20161108114136

相手の男になった立場の者です。

 

相手の男は就活等で散々お世話になった40代会社員過去彼女に対して好意を持ってアプローチしており、ブランドもの等も買ってもらうパトロンのような存在だった事もあるらしい。

俺と同棲し始めてからは、俺の存在相手の男にも伝え、好意を持たれても恋愛関係にはなれない事は伝えているらしい。彼女は、相手の男には友人として感情しかなく恋愛感情は一切ないと言っている。今はプレゼントももらっておらず、数ヶ月に1度食事に行っているだけとの事。

 

これが本当かどうか、確認するといい。たぶん、本当だろう。

だとしたら、「別れない方がいい」と忠告しておく。

過去がどうだったかじゃない。これから自分たち二人がどうかが問題だ。

ここで別れたら、のちのち、ずっと後悔するだろう。彼女匹敵する女性は、たぶん現れないだろう。

(仮に現れても、その女性増田を愛さないだろう。)

 

相手の男と彼女との関係みたいなことは、長い人生ではしばしばあるんだ。

増田はそれが理解できないのだとしたら、たぶん非モテ人生だったのだろう。 

一方、彼女は、モテ人生だったのだろう。モテ人生ならば、

恋愛または半恋愛みたいになることはしばしばあるんだ。

 

長い人生で、最初出会った一人だけを生涯愛し続ける、なんてことは、あまりない。

あるとしたら、非モテ同士の場合だけだろう。

 

増田彼女はたぶんその男性を(少し)愛したことがあるのだろうが、

それでも結局は増田との人生を選んだんだ。

それは彼女人生を捧げて増田を愛するということだ。

その愛情増田が捨ててしまうのだとしたら、あとできっと後悔するだろう。

 

増田彼女が嘘をついているのではないかと疑う。今後も寝るのではないかと疑う。

それはある意味、仕方ないかもしれない。また、その可能性は皆無ではない。

 

だが、本当に彼女増田を裏切っているのなら仕方ないが、

彼女増田を裏切っていないのに、増田彼女を捨てたとしたら、

それはたぶん取り返しの付かない人生の大失敗となるだろう。

 

「たとえあとで裏切られてもいい。自分はこの女を愛する。だから信じる」

と思ったのなら、その言葉彼女にはっきり告げるがいい。真っ正面で。

そのとき彼女の態度で、すべてを決めるといいだろう。

 

p.s.

オマケで一つ言っておく。

自分は愛されていないのかも」という疑心暗鬼が、真の愛情をぶちこわす。

どれほど愛しあっていても、疑心暗鬼があると、愛情はあっけなく壊れる。

あとでいくら後悔しても、そのときには遅い。

 

p.s.

トラバに答えておく。

彼女その男性をいくらか思いつづけるということは今後もあるだろう。というか、きっと思いつづけるだろう。

だけど、それは、「寝る」というのとは違うよ。

過去の恋の相手を思うということと「寝る」ということは別だ。

相手の男もそれはわかっているはずだ。

まあ、恋愛経験の少ない男には、違いはわからないだろうけどね。

体の関係を抜きに、苦い恋愛というのは、あるんだよ。

※ 特に知性的な男女の場合には。(知性の低い男女を除く。)

 

 

http://anond.hatelabo.jp/20161108114136

俺なら、もっと巧妙に隠してあって欲しいという。

その人が気に入らないので、あなたがその人と会っていることを知りたくないので、と。

知らないのなら形而上的にその彼は存在しないわけだし。

もしも、疑心暗鬼になるのなら、その人とは別れればいいと思う。

彼女が誰と会っていても愛せて、彼女が誰と会っていても愛されていると信じられないのなら結婚するべきじゃないと心底思う。

2016-10-15

気持ち、考え、信念等頭や心の中にしかないもの

これを自分以外の存在にどうやって伝えるか?

まずは端的に言葉(口頭)か文字(文章)にして伝えることが考えられる。

これに「表情」とか「ジェスチャー」とか加えるのもアリかもしれない。

しかしいずれも頭や心の中から外に出された瞬間、嘘くさいものに思えてしかたないんだ。

なぜなら、言葉文字はいくらでも装飾や脚色が可能だし、表情やジェスチャーも(程度差や個人差はあるものの)演じることが可能

まり真意であるかどうか確かめようがないということ。

そのような言葉文字を信用していいものかどうか…。

実際、額面通り受け取って失敗した経験もあるしな。

疑心暗鬼になっているだけか。

気にならないときはならないが、いざ気にしだすともうずっと頭から離れない。

2016-10-14

正義を気取る奴の本性

LGBT結婚を認める認めないとか憲法改正すべきかについてとかいった問題に対してどう思うか・賛成か反対かを問われたときに、心の何処かでどっちが正義なんだろうかということを考えてしま自分がいる。

例えばLGBT結婚について、不道徳だし子供も産めなくなるわけだから認めんなというA案、人が人を愛するのにをOKとNG決めるとか頭おかしいんじゃねえかというB案があったとする。自分は考えた末にA案(またはB案)の立場だなと思っても、本当に自分はそう思っているのか?と自分自分を疑う気持ちがある。A案妥当だと思いながらも、でもB案が言うことも一理あると思うような、AとBのどちらがより現実的妥当なのかを逡巡している感じではない。

自分は、本当に心の底からA案を支持しているのだろうか?

A案のほうが理屈っぽい感じがするし、理屈っぽいほうが頭良さそうでかっこいいし、とかそんな感じでA案を支持しているだけじゃないのか?

実のところLGBTがどうあって欲しいというビジョンなんて全く無くて、ただ自分はカッコよく見られたいまたはカッコいいと思いたいという欲望根底にあって、だからその欲望を満たすためだけに、特にそんなこと思ってもいないのにA案を支持しているだけなんじゃないのか?

その問題自体に大した興味はなく、それに対しての立場表明なんて自分をカッコよく見せて自分がカッコいいと思うための道具として使っているだけに使っているだけじゃないのかと、そんな事を思ってしまう。

そして、そんな疑心暗鬼を隠すために、A案こそが正義だ!なんて思っているんじゃないか正義という言葉を使ってみたり、自分こそが正義なんですみたいな態度をとることでええかっこしい本性を隠そうとしているんじゃないのか、知らず知らずのうちに自分自分を誤魔化そうとしてるんじゃないのか。これまで自分のことは何となく正義だと思っていたけど、そんなことは全くなくって、今までの判断無意識の内に行ってきた醜い自己防衛本能なんじゃないのか。そんなことを思ってしまう。

実際、日本がどうあってほしい、これからどうなってほしいという事は全く考えていない。ゴールの方向性すら決まっていないのだから、諸々の問題に対する立場はその場その場で変わり、そしてそれらの立場方向性矛盾しまくっている。勧善懲悪的な映画を見てそれを額面通りに真に受けて育ってきたのだ。正義の熱血ヒーローやダーティハリーのようなダークヒーローっぽく見えるか、または死んで当然のクズ野郎に見えるか。どちらかしか判断できない短絡的な価値基準根底に、そしてそれを自覚せずに日々を生きているんじゃないのか。そんな気がしてしまう。

2016-10-08

くっそワロタ

2chもそうだけど、「ネットに書いてある嘘になんか釣られないぞ」ってことにばっか必死になってるように見える奴って

最初からうそんな信頼ならないネットなんてチェックしなければ良いのでは?としか思えないw

真偽不明情報を正しく扱えるようになるってことは、疑心暗鬼になって「嘘に違いない絶対嘘、嘘嘘嘘俺は絶対に信じないからなああああああ」なんて発狂する事じゃないぞw

「これは怪しいなあ〜。信頼度30%くらいだな」くらいの引いた判断が出来ない奴は最初からネットなんかしない方が良い

お前ノイローゼになってるだけで別にネットに慣れてるわけじゃないから、それ

2016-09-22

http://togetter.com/li/1016711 について

パラノイアRPGにおける。一般的にそうだと信じられている間違った理解と。そのツッコミ。」

http://togetter.com/li/1016711

上記記事内におけるツッコミに、あまりにもルールブックの記載とかけ離れた記述があるようでしたので指摘を。

ルールブックは25周年版日本語版準拠

-

>他のPL達の反逆を暴き処刑することで、成り上がっていくゲームです

まったく違いますトラブルシューティングするゲームです。

邪魔をする反逆者であれば。仲間であれシュートする必要があるだけです。

というか……別に処刑したところで成り上がれません。頭なでなでしてくれるけど。

パラノイアにおいてトラブルシューティングとは反逆者の処刑のことであり、ミッションの達成自体重要視されません。

ミッション遂行必要であるために反逆者を処刑するのではなく、反逆者を処刑することがトラブルシューター目的です。

トラブルシューターを任ぜられたPC目的 (=PLの行動指針) は 1) 生き残ること 2) 成り上がること 3) その他個人的目的 となります

反逆者を処刑コンピューターの信頼を得られればセキュリティクリアランスは昇格します。(昇格したキャラクタープレイする機会があるかはさておき)

(ルールブック p3)

まり貴方の役目は、トラブルを見つけ出し、これをシュートする、つまり文字通り『撃つ』ことです。

(ルールブック p158)

パラノイアでは、ミッションは必ず存在してはいものの、(コンピューターを除いて)誰もこれを真剣に捉えていません。これにはもっともな理由があります。大抵のミッション自殺祭りや当てのないボット探し、プログラムエラーあんまり込み入っていて意味不明なんで GM も解っていないような陰謀といったものでできていますPCミッション目的を達成する事が期待されていなかったり、そもそも許されていなかったりする事もよくありますPC目的を解っていない事だって珍しくありません。ホラーアドベンチャー玉葱を慎重に剥いていくものだとすれば、パラノイアミッション玉葱レーザー燃えカスにするようなものです。

(ルールブック p10)

こういった義務の他に、君のトラブルシューターには個人的目標がいくつかある。多くはアルファコンプレックス市民なら皆持っているもので、大抵の市民は以下の様な優先順位をつけている。

1. 生き延びる!

2. セキュリティクリアランスの上昇。

3. 金持ちになる。

4. 所属する秘密結社目的資する

こういう普通目標のほかに、他の市民とは違った目標を持っているかもしれない。

5. (任意自分と同種の能力を持つミュータントを見つけ出し、保護する。

6. (任意) 旧算世界遺産を見つけて、集め、あるいは転売する。

7. (任意アルファコンプレックスから自由アウトドア脱出する。

8. (任意コンピューターを打倒する(がんばってねー!)


-

>このゲームで仲間を信頼するのはバカのすること

別に信頼していいのですが。決定的な信頼が得られず疑心暗鬼になるだけです。

これの間違いが最も分かりやすい例は、相手偽善場合です。

ジョンソンの裏取り調査する時間が与えられていないシャドウランナーみたいなもんです。

パラノイアキャッチコピーは「気を抜くな!誰も信じるな!レーザーガンを手放すな!」ですね。

-

>結果裏切りが多発するので最悪友人関係に影響が

そうならないようゲーム内で調整(=処罰)しないGMに当たったら。

プレイヤーは席を立っていいです。マジで

PC間の不信と裏切り助長するのがパラノイアGM仕事です。

(ルールブック p42)

GMルール第三条。常にプレイヤー同士で争わせましょう。貴方と争わせるのではなく。

(ルールブック p42)

何かやったプレイヤーにご褒美をあげれば、その行動を繰り返すでしょう。ですから、仲間のキャラクターを裏切ったり、死の罠から賢くも逃げおおせたり、創造的であったり滑稽であったりしたら、ご褒美を出します。本当に輝かしい動きをしたキャラクターには成功と昇格を与えましょう。輝かしい行動には常に報酬を!


-

好きにしていいんですが。

ルールがどうにも都合が悪いとき」だし

ゲームマスターの最大の楽しみは、皆を楽しませること」なんで。

俺がルールだぁ、ヒャッハー!」とかホントダメ


(ルールブック p42)

GMルール第一条。全てを預かるのは貴方であり、貴方は常に正しいのです。我々がここに示すルールあくまガイドゲーム中に何を起こしたいか決まってないときに使ってください。起こしたいことが決まってるならルール無視してください。我々は貴方のお役に立てるパワフルな道具になるよう全力を尽くしてルールを書いておりますけれども、どうもこのルールが気に食わないということでしたら、間違ってるのはルールの方です。良いルール貴方を大いに助けてくれるでしょう。でも悪いルールというのは、叩きのめし、拷問にかけ、ロボトミー手術を施し、即時処刑にかけるためだけに存在するものです。


-

ただこのあたりは、本当に「GMヒャッハーするゲーム」という誤解があったり。ルールを出来る限り適用しようと努力する(全部守れと言ってるわけじゃないです)GMが他システムより少ないので。

「そのGM、信用できる?」ってところに尽きるんです。

パラノイアでは、GMルールに則り公平に判定していると信用される必要はありません。もちろん、GMがPLを楽しませようとしているということについては信頼される必要があります

(ルールブック p42)

タスク解決ルール第一条。

貴方が何を起こしたいか決まっているなら、(プレイヤーに見せずに)1d20 を振り、出目を無視します。必要なら、いろいろな表と結果を照らしあわせている体を出すのも有りでしょう。そうして、起こしたいことが起きたことにします。

ダイスという道具は、プレイヤー自分自身運命を決めているような幻想を持たせるには便利なものです。こういう幻想は良いものではありますが、でもダイスを振るときプレイヤーの視界から隠し、ついたての後ろで振ると良いです。気に入らない目が出たら、それはダイスが間違ってます。好きな出目に変えちゃいましょう。出目に関する信用が減耗したり完全にお亡くなりになったりするかもしれませんが、経験から申し上げれば別段たいした影響はありません。

2016-09-16

オタク流行に目を背けクリエーターは常に流行を追う

アニオタ自分の好きなキャラ否定されたと思い込み被害妄想をしながらも「まぁ確かにちょっとダサいかもしれないけど」と心の中で疑心暗鬼に陥っている横を通り過ぎフィクションリアルを融合することに成功しているらしいアニメ映画を見に行く

2016-08-22

別の世界自分

たぶん、他の人なら「なんだそんなことで悩んでるのか」ってことでつまづいて身動きがとれなくなってる。

自己嫌悪とか疑心暗鬼に陥って何やっても楽しくないし誰も信用しようと思わないから正直このまま生きてても何の楽しみもないんだろうなって思ってる

かといって死にたくはない

から最近は『全てが完璧にうまくいってるどこか別の世界線の自分』をこのまま生かしてやるために死なないようなしようかなって思ってる

馬鹿馬鹿しい生きがいだろうけど、せめて今の自分じゃない別の自分くらい信じて過ごしたいもんだ

2016-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20160817131428

元増田じゃないけど。

二次創作から下に見るという話じゃなくて、純粋承認を求めているのであったのならば、二次創作でやることはデメリットしかないって話だよ。

たとえば作品Aの二次創作を書いて得られた称賛が100あったとして、その100のうち何%が「作品Aの二次創作から送られた」のか、「二次創作をした自分自身性癖作品構築能力に贈られたのか?」わからんでしょ? そしてそのわからなさは、疑心暗鬼になって自分をさいなむ。

自分自身がそういう疑念を感じなかったにせよ「性癖共感してほしい!」という主張にたいして他者疑念を投げかける。上で出てる「オリジナルでやるべきじゃない?」ってのはまさにそれだ。そもそも、「原作が初期衝動だ」なんて言ったところで、やっていることを考えれば、実態としては自己性癖アピールするために原作を利用しているに過ぎないという批判は免れ得ないでしょう? そんな面倒くさいノイズを避けるためにはオリジナルのほうがはるかに良い。

(売上とか認知度は全く別の話だし、その話を持ち出すのであれば、その瞬間余計に「原作踏み台にしている」という現実けが浮かび上がる)

二次創作否定するわけじゃないんだけど、二次創作ってのは二次創作作者の自己承認性癖承認とは相性が悪いんだよ。

2016-08-11

色んなアニラジ声優さんが"ナイトプール"という不穏な言葉を発する

オタクが"ナイトプール"について調べる

ナイトプールってナンパ目的で行く場所なのに声優さんが行ってるのか

可愛い女性声優さんはみんなナイトプールに行ってるだろうと声豚が疑心暗鬼になってる←今ココ

2016-08-08

日本経営者の働かせ方についての考え方って根が深い問題な気がしている。

本業については人一倍熱心に取り組むし、従業員に対してタスクの消化状態がどうだ、プロジェクトの進捗がどうだという話はするのだけど、労務であったり給与であったり労働環境であったりとかにはとんと無頓着で、最低限働ける環境さえ用意すればいいだろっていう姿勢経営者。いや、最低限のものすら用意できない経営者もいるのかも知れないけど、ここではどちらかという無関心に近い感覚

議事録を書き続けなければいけない会社なんかも、こういうのの延長線上にあるよね。

なんとなく思ったのは、ソフトウェア設計プロセスのなかの「機能要求」にあたる部分を本業だとすると、ここで書いている働かせ方というものの多くってのは「非機能要求」に当たる部分だと思うということ。

なにをやってる会社かという、機能要求的な外向けのビジョンは言える。しかし、どういう風に働いてほしいという、非機能要求に当たるような内向きのビジョン曖昧なままに働かせているような、そんな感覚

彼らにとっては短期的には利益に直結しないし、そりゃあ利益を出すのが仕事なんだから仕方ないのだろう、というのはなんとなくわかってるのだけど。

たとえば、これで問題になってくるものも考えてみる。

ある程度の人数になってくればバックオフィス業務責任者なんかもいるんだろうけど、経営者がそのあたりに無頓着だと、責任所在曖昧になる。あるいは、その責任者の単なる利権の一部になってしまう。

また、等しく「管理職」であったとしても、バックオフィス系とそれ以外では締め付けが全然違うということになれば、特にバックオフィス以外の部署従業員不安になる。少なから疑心暗鬼になるし、精神的な余裕を消費して仕事をしなきゃいけなくなる。ひいては、本業の進捗なんかにも影響は出てくると思うのだよね。

ということをぼーっと考えていたら、特に日本大手製品使いにくいこと多かったよな、というようなことも思い出してしまって、「非機能要求」という概念のもの日本人は考えるのが苦手なんだろうな、というところまで思いが至って書き殴ってみた。

たとえば、音楽は聴けるし管理も出来るが使いやすさという概念を捨て去っていた過去ウォークマンソニックステージ。たとえば、まず最初クリーンインストールから始めたくなる、日本大手メーカー製のパソコンキャリアスマホ。たとえば、とりあえずなんにでもプラズマクラスターをつけていけばいいと思っていたかのような現台湾資本会社

みんなそうだよね。

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