局所的に話題になっているけものフレンズの、無料の1話を見た。
ただ、同時に純粋な感動を覚えた。
やさしい世界、という言葉はネットミームとして使われることがあるが、それをストレートに表現していると感じた。
そう考えてしまうのは、自分が俺ガイルの中で1番好きなキャラが戸塚彩加であることと無関係ではない。
見た目は中性的というのを通り越した存在ではあるが、心理的な性別は男性である。
女子力の高さでは俺ガイルの女性キャラの中でもトップクラスだ。
もし、戸塚が女性キャラとして描かれていたら、と考えるのは容易い。
目も当てられないほどあざといキャラクターとなっていただろう。
彼女の行動ひとつひとつに裏があると感じてしまい、無用な疑心暗鬼を抱えることになったであろう、と。
然るに、逆説的に戸塚というキャラクターは、男の娘であることによって古典的なヒロイン像を「臭み」なく成立させているのだ。
ただこういった心理的状況は、現実の女性に絶望した結果によるものとかといえば、それは微妙に的外れな指摘といえる。
これは二次元キャラ文化が生み出した歴史の中で、王道パターンがらせん状に1周回った、という現象なのだろう。
話を戻してけもフレである。
この作品において最も重要なキャラクターがサーバルちゃんであることは疑いようがない。
ネット上で観測されるフレンズたちの口調もサーバルちゃんのそれだ。
わーい!
サーバルちゃんの特筆すべき点は、幼い知性の持ち主として描かれていることだ。
彼女が登場の先頭を切ったことにより、本作が野生の動物を扱っていることがまず示されている。
そして、そんなサーバルちゃんがカバンちゃんというホモサピエンスと出会い、交流を深めていく過程には、優しさがあふれている。
その優しさが妙に響くのは、サーバルちゃん、ひいてはフレンズが異なる価値観を持った異種族であるからだろう。
白痴の美少女が同様の言動をとったとしても、これほどまでに響くことはないだろう。
そんな時代はクラナドあたりで一つの区切りがついたように思う。
とはいえ、こういった形式の物語はすでに異種族間交流ものとしてありふれている。
特に児童向けの物語においては、道徳教育としての扱いやすさもあるせいかよく見られる物語形式だ。
けもフレの癒しの構造は上記の通りだが、癒しの現在進行形と評したのは、そんな児童向けアニメをほぼ無加工状態で大人向け(?)アニメとして持ってきたところにあるのかもしれない。
それをせずにド直球に投げつけられた本作は、それ故に見る人を強烈に選ぶ珍作となっている。
そして、だからこそ妙に抉られるのだろう。
ネット上でサーバルちゃんに話しかけたり、サーバルちゃんになりきったりしているフレンズたちを見て思うのは、けもフレの癒し効果だ。
決しておたくが幼児退行したとかではない、ストレスに対する防衛機能の表れだよ。
みんなつかれてるんだ。
ごはんたべよ?
すごーい!あなたは難しいことを考えられるフレンズなんだねー!
現実見ろ 人を選んでないから
どんなに面白いのでも忙しくて倍速で見ちゃう人の感想を知りたい
低品質とかマウンティング(もしくは自衛)しないと語れない輩は、もう単純に害悪。 サブカル沼で遊んでろよ。 ガンダムを「低品質のアニメ」とかマウンティングから入るヤツってい...