日本の経営者の働かせ方についての考え方って根が深い問題な気がしている。
本業については人一倍熱心に取り組むし、従業員に対してタスクの消化状態がどうだ、プロジェクトの進捗がどうだという話はするのだけど、労務であったり給与であったり労働環境であったりとかにはとんと無頓着で、最低限働ける環境さえ用意すればいいだろっていう姿勢の経営者。いや、最低限のものすら用意できない経営者もいるのかも知れないけど、ここではどちらかという無関心に近い感覚。
議事録を書き続けなければいけない会社なんかも、こういうのの延長線上にあるよね。
なんとなく思ったのは、ソフトウェア設計プロセスのなかの「機能要求」にあたる部分を本業だとすると、ここで書いている働かせ方というものの多くってのは「非機能要求」に当たる部分だと思うということ。
なにをやってる会社かという、機能要求的な外向けのビジョンは言える。しかし、どういう風に働いてほしいという、非機能要求に当たるような内向きのビジョンが曖昧なままに働かせているような、そんな感覚。
彼らにとっては短期的には利益に直結しないし、そりゃあ利益を出すのが仕事なんだから仕方ないのだろう、というのはなんとなくわかってるのだけど。
ある程度の人数になってくればバックオフィス業務の責任者なんかもいるんだろうけど、経営者がそのあたりに無頓着だと、責任の所在が曖昧になる。あるいは、その責任者の単なる利権の一部になってしまう。
また、等しく「管理職」であったとしても、バックオフィス系とそれ以外では締め付けが全然違うということになれば、特にバックオフィス以外の部署の従業員は不安になる。少なからず疑心暗鬼になるし、精神的な余裕を消費して仕事をしなきゃいけなくなる。ひいては、本業の進捗なんかにも影響は出てくると思うのだよね。
ということをぼーっと考えていたら、特に日本の大手の製品使いにくいこと多かったよな、というようなことも思い出してしまって、「非機能要求」という概念そのもの日本人は考えるのが苦手なんだろうな、というところまで思いが至って書き殴ってみた。
たとえば、音楽は聴けるし管理も出来るが使いやすさという概念を捨て去っていた過去のウォークマン&ソニックステージ。たとえば、まず最初にクリーンインストールから始めたくなる、日本の大手メーカー製のパソコンやキャリアのスマホ。たとえば、とりあえずなんにでもプラズマクラスターをつけていけばいいと思っていたかのような現台湾資本の会社。
みんなそうだよね。