はてなキーワード: 現実逃避とは
マッチングアプリのプロフィール、実家暮らし感を醸し出したものから無難なのにしたら、反応全然違って笑った。
勉強しないとなのに、現実逃避にゲームしている。それも、やりたいからではなくて、現実逃避からだから、全然面白くないし、ひたすらイライラしていた。
ゲームやって苛々するのってこんな感じだったなと、久々に思い出した。
そういう人たちが世の中には常に一定数いるのも知っている。
昔の俺はそうだった。
今も気を抜くとそうなるということだ。
人間なんてそんなもんだ。
大人でも、仕事とかあるから理性的な大人のロールを演じられているだけで、仕事や家族といったものがなくなったら、堕落するんじゃないかな。
現実に人を動かすのは、高尚な夢や理想ではなく、三代欲求などマズロー的に上位のものからでしょう。
そんなだから俺は、趣味は美術館巡りとか抜かす気取った女とは絶対に相入れないのだ。
宇宙飛行士になりたくて院とかその道をひた走っていった知り合いがいたが、低次元の欲求が満たされているからこそ、そんな高尚な道をひた走れたのだろう。
接触確認アプリを私はインストールしないし、するつもりもない。
インストールしたら100万円くれるっていうならインストールしてもいいけど、そういう話は出てきてないので、しない。
私は自分のスマホが余計なアプリでゴチャゴチャしているのが嫌だ。ソシャゲをやらない理由はいくつかあるが「余計なアプリを入れたくない」という理由が3割くらいを占めている。LINEすら入れてない。とある大好きなアニメのアプリにはカメラがついていて、それは使いたかったのでインストールして毎日楽しく使っているのだが、そういう実感できる楽しさが特にないのに余計なアプリを入れたくはない。
そもそも私のスマホにどんなアプリを入れるかは私が決めることで、他人に指図される筋合いのものではない。特に権力のない私人が推しアプリを布教しているだけなら別に問題はないが、政府がアプリを推奨するとなると話は別だ。なんで私のスマホの中身に政府が口を出すんだ。もうこの時点でどんなアプリだろうが入れたくない。私のスマホは私のものだ。政府が口を出すな。
開発者がインタビューで言ってたことがクソすぎてヘドが出そうだったのでインストールしたくない。
日本人の6割が、自分のためではなく誰かのために、自分の大切な人を守るために、アプリをインストールできるのかどうか。そういうことが社会に問われているんだと思います。
まるでアプリをインストールしないやつは悪人みたいな言い草。アプリはそれがどんなものであれインストールされていない状態が普通であり、そこを何とか(「便利な機能があるよ!」とか「このゲーム面白いよ!」とか)言いくるめて使ってもらうのが筋だろう。それをまるで、入れて当然、入れないやつは道徳的に間違っている、とでも言うような口ぶり。ふざけるな。いったい何様なんだ。インスタグラムだろうがFGOだろうがカメラアプリだろうが接触確認アプリだろうが、入れてる方が特殊で、入れてない方が普通に決まってんだろ。入れてるやつに感謝するのはいいけど、入れてないやつや入れる気のないやつに文句を言うなよ。傲慢にもほどがある。
こんなクソ発言をする連中の開発したものをわざわざインストールするほど私はお人好しではない。こんな連中に作られたというだけで拒否するには十分すぎる理由だ。
これまでコロナで色々なものを制限され、我慢させられてきた。趣味の面でも仕事の面でも、コロナで色々な機会を奪われ、外出の自由すら制限されてきた。
もうこれ以上何かを制限され、我慢させられるのは嫌だ。それがどんなものであれ。
もしも何かをコロナ対策の名の下で押し付けてくるやつらがいるのなら、自分に可能な範囲でそれに抗いたい。アプリを入れないだけで自由の制限への抗議になるのなら、私は喜んでアプリを拒否する。コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う。その日常には、お役所から特定のアプリを入れろと言われないことも含まれるのだから。
最後になるが、上に書いたことはあくまで私個人の意見であって、他人に押し付けるつもりはない。私がアプリを入れたくないのは徹頭徹尾私の個人的なお気持ちに基づくものであって、これを読んだあなたがアプリをインストールしていても、それに文句をつけるつもりはない。入れたい人は好きに入れればいいと思う。
だから、私のようにインストールしていない人のことも、どうか放っておいてほしい。私はあなたにアプリの有無で文句をつけたりしないから、あなたも同じようにしてほしい。
これはそんなに難しいお願いじゃないと思うのだけど、どうだろうか? どんなアプリを入れるかは個々人が好きに決められる社会の方が、お互いにとって望ましいと思う。
このアプリを推奨する連中が抑圧的なので防御する側もそれなりの反応になっちゃいますね……「国民の6割に入れてほしい」とか「周囲の人のことを思えば入れられるよね?」とか「入れてないと入店拒否にすればいいんじゃない?」とかそういう抑圧的なことを言ってればそりゃそれ相応の反発をされますわ……こんなことをそのへんのオタクが戯言で言ってるならともかく、開発者やら大臣やらといったひとたちが真顔で言ってる段階で、もう自撮りアプリだろうが歩数計アプリだろうがリズムゲームアプリだろうが接触確認アプリだろうが入れたくないです。セキュリティの懸念とかそういう話じゃない。とにかく嫌。嫌なものは嫌。生理的に無理。
「悪事は黙って行う」知恵がないのには首を傾げる。
何も悪いことはしておらず当たり前の自由を主張しているだけなので、黙っておく必要性を感じませんね。むしろ黙っていたら権利が抑圧されそうな不安を感じるので、積極的に声を上げて自分の自由と権利を擁護する必要があります。
黙って入れなきゃいいだけなのに何がしたいのかわからん。普通の人はこの手の主張は直接友人と会話したりLINEで適当に済ませちゃうんで。そういう場がないんだろうけど
アプリを入れて当たり前、みたいな風潮が嫌だしそうなりつつある気配を感じるので、そんなことない、入れないことを決意している人もいるぞ、と大声で叫ぶことには意味がありますね。
こういうふうに、アプリを入れないってだけでタダ乗りとか言って侮蔑的なコメントするやつが湧いてくるので、そんな圧力には絶対に屈しないという意思表明をすることは大事なんですね。
アプリを入れない派は別にアプリを入れてる人には何も文句つけてないのに、アプリ入れる派の中には一定数他人の自由な選択に文句つける人が湧いてくるのほんと何なんでしょうね。これ同性婚とか選択的夫婦別姓とかで見たやつだ。もちろんいずれの事例でも選択の自由が支持されるべき。
新型コロナウイルス感染症は、フリーライダーへの対処が試されている感があるな。増田は自覚的だからまだマシで、現実逃避の成れの果てをどうするか。放置すると維持できずに潰れてスェーデンやブラジルの様な有様に
フリーライダーってのは、自分がコストを払わずに利益を得る人のことでしょう? じゃあ、私がこのアプリの普及で得る利益って何?
このアプリを入れない人には、何の情報も通知されない。このアプリの利益は「アプリを利用している陽性者との濃厚接触の情報が通知される」ことただ1点であり、その利益はアプリを入れていない人にはもたらされない。別にアプリを使っている人が多ければ街が清潔になるとかウイルスが死滅するとか、そういう効果をもたらすアプリではない。
つまりこのアプリは、原理的にフリーライドが不可能だ。だって、インストールというコストを払った人だけが唯一の利益である情報を得られる仕組みなんだから。コストを払わない人は利益が得られない、すなわち財の排除性を持っている。財の排除性がきちんと機能しているなら、そこにフリーライダーが入り込む余地はない。
ワクチンを打たない人もフリーライダー呼ばわりされることがあるけど、ワクチンの場合は集団免疫という「ワクチンを打っていなくても享受できる利益」が存在している。じゃあ、このアプリの「インストールしていなくても享受できる利益」って何? 他人をフリーライダー呼ばわりする以上は挙げられるはずだよね?
“コロナ以前の日常を少しずつ取り戻していくために闘う”その闘いに有効な武器だよこのアプリ。それにコロナとの闘いには個々人がマスクしたり手洗いしたり、このアプリで感染者を早期発見し感染拡大を防ぐ事も重要
政府がいちいち私のスマホのアプリに口を出さない日常が私にとってのコロナ以前の日常なので、そういうささやかなところから日常を取り戻すための闘いをしていきたいですね。絶対にコロナ(と、それを口実に自由や権利を制限してくる輩)には屈しないぞというお気持ち。まあ個別の場面で屈することはあるかもしれないけど、屈したくないという気持ちは持ち続けたい。
会社支給のスマホなら会社から命令されたら当然入れるべきだけど、個人のスマホならそもそもどんなアプリを入れるかを命令される筋合いはないんだよなぁ……
「昼職」・・・会社員や公務員など。水商売や風俗(夜職)ではない職業に就いている人のこと。
「tax」・・・消費税ではない。サービス料のこと。店によって異なる。通っていた店舗は35%なので例として載せた。
「鬼出勤」・・・風俗嬢が出勤日数や出勤時間を増やしてお金を稼ぐこと。専用掲示板やSNSで使われている。
「掛けを漏らす」・・・文章のまま。飲食代である売掛金を払えないこと。
本来、ホストクラブというものは金持ちの社交場であり、暇と金を持て余した有閑マダムが行くところなんだろう。
それが今はその日暮らしの女性たちがあくせく働いて現実逃避する場所になっている。
前の日記にも書いたけど、ホストの「固める」という行為に「売掛」システムは大きく影響していると思う。
①客に手持ちの現金がなくても代金を「掛け」として使わせる(もちろん同意の上で)
②客は入金日までに鬼出勤して現金を用意する
③入金日に掛けだけ払いに行ったつもりの客が、卓に通され、指名ホストやヘルプのホストにあれよあれよと乗せられ、再び莫大な掛けを作って鬼出勤する
なお、鬼出勤の間はお店に行く暇もないわけだが、ホストは小まめに連絡をしてご機嫌を取り、家庭訪問してみたり、同棲(ほとんど家にいないのに)をしてみたりして、金蔓を繋ぎとめる。らしい。
また、この「掛け縛り」を心地よいと感じるお姫様もいるようなので、この世の常識は通用しない。
※ホストは毎月の売り上げで順位を付けられる。「ナンバー」というやつだ。彼らは「ナンバー」をすごく気にする。
(ちなみに、メディアに『歌舞伎町ナンバー1ホスト』という肩書を背負って出てくるホストがいた場合、それは歌舞伎町の全体でナンバー1ということではない。歌舞伎町の何百もある店舗である年のたった1ヶ月でもナンバー1に輝けば、以降そいつは「ナンバー1ホスト」と名乗れる。)
ナンバーは毎月の締め日までの売り上げで確定する。締め日は末日もしくは末日の前営業日。グループや店舗によって異なる。
で、常軌を逸した売掛を何故お客はしてしまうのか、という点なんですが。
そこには盛大な「育て」期間がある。「育て」て「固め」られる。
出会って最初の3ヶ月くらいは、それはもう褒め殺され、プレゼントを贈られ、好きだと言われてその気にさせられ、お店にこなくていいよ(お前は客じゃないよ)と言われたり、「彼にとって自分は特別なのかも」という魔法をかけられる。
まあ阿呆ですわ。
そういう点も含めて娯楽として楽しめればいいんでしょうけど、ガチ恋になっちゃう人も一定数いるわけで。
「本営」なんかは本当に悩むと思います。彼氏と彼女という設定なのに線引きが曖昧すぎるから。
「早くホストを上がって、一緒になりたい。二人の将来のために。だから今は支えてほしい!」とかなんとか言われちゃって。
今はマッチングアプリで出会って育ててからお店に呼ぶパターンもあるそうですよ。
あと、ホス狂いには、違う店舗でそれぞれ指名しているホストが複数いたりして、本担とかサブ担っていうのもあるみたい。
「本担の店がコロナで営業してないから、サブ担のところ行っちゃお~♪」っていうノリ。
ホストもお金稼がないと生活できないから営業しますし、実際お店で2メートル離れて接客なんて無理無理。移し合い。
そんな感じで、新型コロナウイルスで世間が大騒ぎしているなか、三密しちゃうなお客様は多数存在しており、クラスター化するのも必然。
どうせ店が休みでも客をつなぎ留めなければいけないから、自粛中と言ってても店外で会ったりするわけで。
普通の人が我慢できることを、彼ら・彼女らは我慢できない。理性がない。
理性があったら数百万も売掛しません。
最後に、私は「客」ではありますが「嬢」ではありませんし、「売掛」もしていないし「飛ぶ」こともない。今は通っていない。職や家族を失いたくないので。
今、アニメ界隈は一般にも浸透し、オタクだけでなく陽キャも今や当たり前に見るコンテンツと言われるようになってきた…はずだが
現状売上を見ると全く売れてなくむしろ年々下がっている
動画配信の収益までは分からないが作画のクオリティを見れば何となく察することができる
(良いやつはそれなりに良いのだが悪いやつは2000年初頭かと思うくらいクオリティが低い)
無料で見るのが当たり前と思っているようなゴミク…奴は置いといて
ただ、アニメは高い 円盤を購入するとなると一枚5000円〜10000円
とてもじゃないが気楽には手を出せない
じゃあどうするか 地上波の放送を全てまたは一部をユーチューブに切り替えるのだ
どこをどう押して金を投げればいいか猿でも分かるようにボタンが点滅する
一部の地域で深夜帯にスポンサーに多額の金を払い放送するのかユーチューブで無料で全国放送しスパチャをもらうか
比較するまでもないだろう
海賊版サイトが横行しスマホが普及した今、先の無料で見るのが当たり前という思想を持ったゴミク…奴は生まれるのは仕方ないと思う
アニメ界隈には同情しかないがここ数十年放送の形態を全く変えなかったのもまた事実である
俺はアニメを見続けたい、現実逃避したい、俺ができる限りの投資をしてきたつもりだ
今一度ここで考えを改めて方向性を大きく変えないと本当に声だけデカイ何も金を投資しない奴の意見に埋もれてアニメ自体がなくなるだろう
財布を失くした。
家の中は探し尽くしたが、ない。事が起きたのは外出先か。
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「わかりました。ありがとうございます。お手数おかけしてすみません」
どの店員さんも親切に答えてくれたが、仕事中なのに仕事を増やして申し訳ない。
自分が、財布と鞄を紐で繋ぐべき人種であるとはっきり自覚した。
家に帰ってから探そうとするが、もう探すべきところは捜索を終えているのだ。
万一の場合におけるカード類の再発行の手間を想像して現実逃避をしたくなる。
それでも、「家の中で財布を失くす」という初歩的なミスであると願って、探す努力をせねばならない。
結果的に、財布は家の中にあった。
なんでこんなところに。
めちゃくちゃ喜んだ後、ここ数時間の自分が励んだ「財布の捜索」は、
自分の体力と他人の時間を消費しただけでなんの生産性がない行為だと気付く。
強いて言えば、今後物を失くした時に捜索する場所として今回の財布発見地点を追加するぐらい。
徒労だった。
もはや、しばらく現実に帰りたくない。
ずっと独りで頑張ってきてた。
今まで、ずいぶん、頑張ったてたと思う。。
素泊まり・大浴場付きで、1泊2日2500円。。
4泊5日でも、わずか1万円。。
少し「現実」から抜け出して、ただただ休むには、これ以上無い贅沢なのかも知れない。
もう幾らか出したら、また暫くはここで休んでいられる。
何も気を遣う事も無く、ただただ、独りの時間を満喫できる。。。
ストレスから来る、この身体のこわばりが抜けるまでは、しばらくここに居たいのだけれども。。。
ヤだよね、「現実」って。(苦笑
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
一念発起して昼夜逆転ゲーム生活から脱却し体重計を買いに行ったら、ちょうど欲しかった物やらいい感じの物やらが買えて、家に帰って体重計の電池を買いがてらスーパーに行ったら、ちょうど食べたいと思ってた料理の材料が見つかって、「ああ今日って良い日だ、何だかやり遂げた感じ☆」と思いつつお気に入りのグラスにコーラを注いで、とりあえず買ったばかりのハイテクな体重計で体重を量り厳しい現実を噛み締めながら体重計をとりあえずの位置にしまおうとしたら、
コーラの入ったコップを倒した。
慌てふためく俺。
そして気づく。
すぐさま掃除にかかったが、縦置きにしていたPS3には通風孔からたっぷりコーラが入っていて、傾けたらドボボボボとコーラが出てきたのには苦笑いした。電源を入れてみるも、起動してもすぐ電源が切れる。見事に故障した。
ひとまず説明書を探そうかと思ったが、散乱したモノの中の奥底に数ヶ月前投げ捨てたままだったのに気付いた時点で、俺の思考は停止した。
体重を量ったときにパンツ一丁になり、そのまま慌てて動いたら汗だくだった。汗を拭おうとしたら、二日ほどめんどくさくて風呂に入ってない体からは、ボロボロと垢が落ちた。そのまま暫くボロボロ垢を落とした。
少しして、何だか笑えてきた。
アホかと。 何昼間に出かけた位ですごい事した気になってんだよ、と。
ロクに学校にも行かずに現実逃避して、部屋は荒れ放題のゴミ屋敷、身体は不摂生で献血断わられる程の弁護しようの無いデブ、歯は磨かない風呂には入らない、そんな癖して家族には大丈夫と大嘘を吐く親不孝者。
そういう嫌なことから目を背けて、都合のいいことしか見てないクズ。それがお前だ。
…という、内なる声を聞いた。
この気持ちを残そうと思って、パソコンに向かっているうちに、なんだかこれは天啓な気がしてきた。
今日はPS3がぶっ壊れるくらいで済んだ。でももっとやばい事態が起こりうる可能性はいくらでもある。
そう思って少しぞっとしたが、不思議と気分は暗くない。
「どうしようもねえなwww」という呆れと、「さて、どうにかしようか」という義務感と、「ま、どうにかなるさ」という楽観の混じった、よく分からんがポジティブな気持ちだ。
そういう、クソ野郎がアホなことやらかしてバカな閃きを得たという、他人にとっては下らないけど本人にとっては大事な気がすることが、今日、日本の片隅で起きたという話。
さて、書き終わったし本腰入れて片付けてくる。現実逃避はここまで。
お前の言う「中身」ってなんだ?
仮に生主文化の再来、再生産であろうと、ゲームだろうが雑談だろうが歌だろうが人を集められるやつはそれだけですごいし、
ましてお金をもらえるレベルに達しているならそれは立派に「中身」だと思うんだが、ないことにしたい中身って何を指しているんだ。
お前の言う「現実逃避」ってなんだ?
かつて流行したものをリバイバル・リメイクするというのは音楽でも演劇でもアニメでもなんでもあると思うが、
そういうものにいちいち現実逃避っていうラベルを貼って回っているのか?
全体的に単語レベルで何か言っている風だがどれも根拠がなく浅い。
24歳女、大卒未婚、関東在住、年収140万円ほど。手取りは月8万円くらい。金融資産なんてもちろんない。交通費も経費おりないので、自腹。
○家賃について
セフレ関係のような、よく分からない曖昧な関係の男性とシェアハウスをして、月2万くらいで暮らしている。1人暮らし用の広さなので、もちろん狭いけど贅沢は言えない。
基本的に自炊。近くに商店街があって、夕方安売りになった惣菜+米を炊くだけという日も多々ある。1日1000円以内になるくらい。飲み会は奢ってもらえる飲み会しか基本的にいけない。
朝ごはんにおにぎりかパンを1個買ったりする時にコンビニは使うけど、普通にご飯食べようとするとコスパ悪いからいかない。スーパーの弁当も、3割引き以上じゃないと買わない。
どうしても必要な時だけユニクロ、またはZOZOでセールしている服をブランド関わらず値段と見た目だけ考慮して適当に買う。基本的に服は買わない
年収上がるまで、今の家に住まわせてもらってるので何も文句言えないし、他の人とも付き合えないと思っている。そもそもデートする金もない。
○車について
もちろん無い
○貯蓄について
貯蓄は無理。奨学金の返済と税金やらなんやらで、生活費をギリギリ保つのが精一杯。どうしても生活費費足りない時は、家賃を翌月にまわしてもらったり、ちょこちょこ消費者金融から借りてる。
○旅行について
Youtubeでおのださんの機内食や、海外ホテルレビュー動画みたりして現実逃避するのが楽しい。現実は、国内日帰り旅行さえも痛手すぎるので無理。
年収140万円でも、ぱっと見みすぼらしくならない程度に暮らすことは可能。
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
元増田を参考に書いてみました。前職の年収は倍以上あったのですが、生活レベルは元々低かったのでなんとか暮らしていけてます。早く一人暮らしがしたい。
己の実力と承認欲求が釣り合わなかった結果生まれた哀れなモンスターの話を少ししようと思います。
こう書くとvtuber全体に対して凄まじい憎悪を抱いているように思われそうですが、別にそういうわけではなく最近というかvtuberというコンテンツが流行りだしてから便乗して出てきた、いわゆる前世がある人たちの事に関して少し思うところがあったのでそれを文字にしてみます。構成とか全く考えないで適当に書きなぐるだけなので、話が前後したり同じこと何回も書いたりするかもしれませんが大目に見てください。個人の意見です。誹謗中傷ではありません。
まず抱いた疑問点として『virtualである必要とは何なのか』でした。
vtuberというコンテンツをインターネットでよく目にするようになりだした頃は生身の人間じゃ出来ない事をすることに価値というか利点というかそのようなものを見出していたと思うのですが、最近人気な方々を見るとゲーム配信をしたり雑談配信をしたりというのが主な内容だと思うのですが、これってvirtual要素がなきゃできない事ではないですよね。
ではこの生身の人間でも、最低限のネット環境さえあれば大体誰でも出来るこの内容の配信をなぜvirtualのガワを被ってやるのかといったらそんなのは勿論決まってますよね。『より多くの人に見てもらうため』です。
多くの人に見てもらうことを目標に配信活動に励むのはとても理にかなってることだと思いますが、そのために流行りに便乗するというのは違うような気がします。virtualというコンテンツを自分の承認欲求を満たすための手段としてしか見てない節がある、結果このコンテンツの認知度を高めた先人へのリスペクトが足りなくなっているのではないかと思いました。今一度vtuberというコンテンツが流行りだした頃のコンセプトなりを考えてみてほしいですね。
というか少し考えたら気がつくと思うのですが今人気のvtuberがやってることってインターネット生放送文化全盛期の再放送にすぎないんですよね。萌え声イケボで異性リスナーを釣ったり、ゲーム配信をしてみたり、言い方は悪いかもしれませんが放送主同士で馴れ合ったり...。結局過去に自分たちが人を集めていた方法をもう一度やるしか能がない、言い方を変えればタイミングが良かったからたまたま人を集めることができただけの人たちが自分に能力があると勘違いした結果産まれたモンスターコンテンツなんですね、vtuberというのは。要するに中身がないんですよね。中には人がいるけど中身はない、そんな不安定なコンテンツなんだと思います。せっかくvirtualなのに雑談の内容は中の人間の日常の話ばかり、メタ発言連発、これでvirtualを名乗るのは無理がありますよね。どうせ守れないのにどこかで見たことがあるような安っぽいキャラ設定で売り出す必要があるのでしょうか。
何故そのようなコンテンツに人が集まるのかと、なんだかんだ言っても人が集まってる以上受け入れられている人気コンテンツなのではないかと、そのような意見があるのはごもっともだと思いますが、当時の視聴者が再放送も見ている、というのが現実なのではないでしょうか。
vtuberは生放送を始めるだけで赤スパ(赤色のスパーチャットのことらしい。金額によって色分けされていて赤色は一万円以上だとか)が送られてくるみたいなのですが、10代の学生にとって仮にいくら好きとはいえ知らない人に放送を始めた程度でホイホイ送れる金額ではないと思います。
そもそも経済的余裕があったとしても友人との交際費に当てたりするのが優先されるのが自然なはずなので完全に自分のためだけに金を使える人間となるとやはり社会人ということになるでしょう。
試しに子供が見てるyoutuberランキングなるものを見てみましたがvtuberの名前はありませんでした。これをうのみにする訳ではありませんが参考程度に一応見てみました。
しかし何故いい年の大人が過去に流行ったコンテンツの再放送に金をつぎ込むレベルでハマってしまうのでしょうか。個人的には現実逃避になのではないかと考えています。
大人になれば色々嫌なこと辛いことも増えてくるでしょう。自由の代わりに責任を背負って生きていく訳ですから好きなことだけして生きていくわけにも行きませんよね。勿論全員がそうというわけではないと思いますが。
現実逃避したくなったときまず最初...かどうかは分かりませんが楽しかったあの頃というのは誰もが行き着く逃避先なのではないでしょうか。いわゆる懐古厨に似た何かですね。
結果面白い配信を見ていた楽しかったあの頃に逃避する層が出てくるという訳です。それは視聴者側に限った話ではなく配信者側にも言えることです。承認欲求を満たせていたあの頃を取戻せる上に今なら金まで稼げる。こんないい話あったら乗っかりたくなる気持ちも分からなくはない気がしてしまいます。両者に今すぐ現実を見ろということはさほど難しいことではないのかもしれませんが、中にはこのコンテンツのおかげでなんとか自我を保っているスレスレの人もいるのではないかと他人ながら心配してしまっているので、なかなかどうすることも出来ないですよね。
ところで、そんなこんなで配信活動動画投稿その他諸々に勤しんでいるvtuberの皆さんを一部の心無い人達はキャバ嬢だの風俗嬢だのAV女優だのと揶揄しますがそれは違うと思います。生身の体を多くの人に晒して金を稼いでいる彼女らは、見ず知らずの他人に描かせた絵を画面端に置いて自らに課された設定も無視して深夜のよくわからない無名アイドルのラジオ以下の話をし続けるvtuberとは比べ物にならないくらい犠牲を払って生きているのではないでしょうか。自分が置かれている立場環境が逆風になったら即転生。飽きたら即引退。がまかり通ってしまうことがどれだけおかしいことか理解できている人がいったいどれだけいるのか非常に気になりますね。都合のいいときだけガワを利用するのはどうなんでしょうか。
さて、長々と駄文を書き連ねてしまいましたが結局何を言いたいかというと身の丈にあった幸せを掴みましょうということですね。ガワがないと振り向いてもらえない人はそれがあなたの限界なのでそこを幸せと思う努力をしましょう。それとどうかそのガワを安っぽいものにしてほしくない、そのガワは君たちの承認欲求を満たすためにあるものではない。ということでしょうか。それってガワ必要?と思わせないようなコンテンツになってほしいですね。まあもう手遅れでしょうけど(笑)
そろそろ終わります。
やる気がでない。
もう,半年ほどやる気がでない。
やる気がでないことはときどきある。
だが,こんなに長いのは初めてだ。
メンタルをやられる人が多い仕事であり,自分も社会人1年目が終わるころから病院に通った。
休職したこともあったが,復職したり転職したりで今は働いてる。
これまでは,半年に一度ほどやる気がない波が来ていたが,昨年は年1くらいだった。まだ,自分で持ち直せた。
また,この案件は進められるけど,あの案件は,どうにもやる気がでない,ということもあった。
また,タスクの難易度とやる気は全然比例していない。簡単なのに,全くやる気にならないタスクが山のようにある。
3月くらいまでは,パフォーマンスの低下を自覚しながらも,何とか回していた。
ただ,いつもより期間が長かったので,理由や対処法が分からなかった。
みたいな期待があって,それもあってやる気がでないのかな,と思っていた。
4月に入って緊急事態宣言がでて,仕事(案件)の半分が,棚上げになった。
タスクは減ったが,完全に休みになることはなかった。テレワークは可能になった。
仕事が減ったことはうれしかったが,それによって持ち直すことはなく,ダラダラ月日を重ねた。
最近は,タスクがたまりまくっている,遅くなっている状況に慣れてしまい,当初のような焦燥感がなくなっていた。
仕事が戻ってくる。
いよいよやばいなと思っている。
しかし,未完了,期限遅れのタスクが増えると,タスクリストを見たくなくなり,見なくなる。
初日はよかったが,次の日から,スタートボタンを押さなくなった。
冷静になると現実を直視して死にたくなるが,ツイッターやらソシャゲやらをして
朝,風呂に入っているときや,通勤中は,現実に帰りがちになるので,非常に死にたくなる。
日中は,電話対応したり,パソコンの前で作業をしているふりをしながら,ヤフーニュースやらはてブをみながら時間を潰し,
時間になったら帰る。
どうしても〆切が明確な仕事はやるが,本当にやりたくないので,遅くまで同じようにダラダラして,終電間際に何とか形にして,メールで出す。
ここでいう「死ぬほど」は,まぁ,比喩なので,別に今自殺願望に駆られているわけではないのだが,
「死んだ後の状態」には滅茶苦茶なりたい。
何もしたくない,何も考えたくない。この仕事をしないで済むなら,死んでもいい。みたいな。
まぁ,毎日,何とかいくつかはタスクを消化しているので,その死ぬほどやりたくない仕事も,やってはいる。
やってみると,そんなに大変ではなく,そこそこ簡単に終わるのである。
だが,その,「思ったり大変じゃなかった!」という体験が,成功体験にならない(以前は,多少なっていた。)。
死ぬほどやりたくない仕事を死なずにやって,死ななくて済んだけど,やはり次の仕事も死ぬほどやりたくないのである。
成長が止まっている。
病院には通って,薬の量は減っていたところをまた戻したけど,あまり効果はない。
先生は,お薬の種類と量を決める人と考えているので,そこまで突っ込んだ話はしない。
この間久しぶりにカウンセリングがあったが,でた案(タスクリスト,ポモドーロ)の結果は,上記のとおりである。
カウンセリングの翌日は多少やる気が出たが,翌々日からまたこのとおりである。
もはやどういたらいいのか分からない。
しかし,刻一刻と時は過ぎ,もはや社外も迷惑が掛かる。掛かっている。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
ここのところ風俗に行ってなかったので、もう行かずに済むように風俗で何が満たされてたのか考えて対策的なものをメモしておく。
破産したり、のめりこんだりせず、上手に付き合っていけば風俗は本当に面白い娯楽だと思う。
だが、最近やりたいことは一巡してしまった気もするし、値段が高くコスパが悪いと思う。
あと、仕事してるときに、安易に「この案件片付けたら風俗行くぞ」的なモチベーションしか感じなくなってきたので、もっと楽しみを分散したい。
風俗関連の情報にうっかり触れると、行きたくなってしまうので、もう見ない。特に体験談は想像力を掻き立てられるのでダメ。
これまで文字で読んで、映像で見て、聴いて、想像してた行為が自分の体験として感じられる喜びは素晴らしかった。
だけれど、最近はテンプレ化したプレイを淡々とこなされているだけな気がして、次はコレと予想できてしまって面白くない。
ところで、セーラー服のスカートにはポケットがあるんだぜ。プレイ中に何度も手を突っ込んでしまったけど大丈夫だったのかな。
正直に言って、ギュッと女の子に抱き着き胸に顔を埋めると、何物にも代えがたい安心感を感じていた。
ずっと謎だったのだけれど、ふと思い出がよみがえってきた。
幼少期に、行きたくない学校キャンプから帰って母の胸で号泣し、ヨシヨシと頭を撫でてくれたことを思い出した。
ああ、悲しいもので、どうして大人になると、そうしてもらえなくなるのか。
普通の大人は、もう母に抱かれたいと思わないのか。あるいは別の方法で満たされる方法を知っているのか。
ふと、モフモフな犬を触ったときに、女の子に触れるのと同じタイプのドキドキを感じたので、犬を飼うのは無理でも猫カフェにでもいってみようか。
単純にさ、好きなAVで見たことをファンタジーとわかっていてもやってみたかったわけよ。
まず、M系のプレイ。
女の子が辛そうなのは苦手で、逆に平手で僕の尻を叩いてもらったり、顔面に馬乗りになってもらったりした。
楽しかった。直接気持ちいことだけが、快感じゃないんだなってわかってんだ。
あと、これが一番大好きなんだけど、女の子にアニメ系のコスプレをしてもらうこと。
いやさあ、コスプレ衣装ってかわいいよね。コスプレAVの元ネタを当てるためにアニメ見てるよ。
そんなにキャラに思い入れがあるわけでもないけど、かわいい衣装でウィッグを被ってカラコンを付けれもらうと物凄く興奮する。
たぶん、そういうAVを見まくったせいで条件付け(パブロフのち〇ち〇)になったんだと思う。実家で普通にテレビを見てて、コスプレイヤーが出てくると変な汗が出る。
実は、コスプレしてもうときのクライマックスは、全裸から衣装に着替えるとき。全部着てもらって、女の子にクルッと回ってもらうと、もうまんぞくだったりする。
ある程度色々なプレイをしてみたことで、ほとんどのプレイは精神的満足感なんだなってわかったので、ある程度妄想でもいい気がする。
コスプレについては結局のところ、かわいい女の子と衣装が好きなので写真でもいいかなって思う。いつか衣装を作ってドールに着せたい願望はあるけど、解決になってない気がする。
裸体はミロのヴィーナスのように美しくてうっとりした。
だけど裸体と性欲は複雑に絡み合っているから難しい。
かわいい女の子はいくら見ても、充実感が満ちてくるわけじゃない。
悲しいよな、どんな美人でも抱き着いたら顔は見えないんだぜ。
少ない情報から、風俗嬢がどんな子か予想し、それが当たって美人だったり優しかったりすると、これがすごくうれしい。外れたりするとバカらしくなる。一度だけ、そんな負けを取り返すために二日連続で風俗に行ったことがあって、すごく後悔した。
ギャンブルにしたって一回の掛け金が数万円になるっていうのは、あまりにも酷いじゃないか。
今後は食べログとtwitter空間を駆使して、おいしい飯屋を探してギャンブルすることにしよう。
休日にテーマパークに行くように、ライブが生きがいというオタクのように、風俗店で「初めまして」から「さようならまで」現実を忘れて夢の中に居たいんだ。
まず、現実逃避していいときとダメなときを見極める目をもちたいし、現実逃避の方法は他にいくらでもある気がする。
他愛のないことでも、若い女の子と会話すると、頭の中が清々しい気持ちになるのはなぜだろう。
だけど、たいてい女の子とはうまく会話できないので、オバサンの会話に相槌を打っているほうが楽だったりする。
これは、とにかくさりげなく会話がしたいだけなので、結構風俗以外でも満たされそう。
単純に、肉体が気持ちいいんだよね。
道半ばだけれど、アナルと前立腺の快楽には無限の可能性があると思っている。
こうやって、僕の欲望を整理してみると、なんだかすっきりしたよ。
時が経てば全て忘れられる。
開放される。
だけど同情と理解はたりなかった。今後も入荷の予定なし。
誰かのために尽くすことが自分のためで、そのことに命を削り、削れるものがなくなってから、迷惑をかけまいと身を引くことが美徳のように思わされて
何かあるたびに誠心誠意謝り倒しても誰も私を救ってはくれない。
本当は色んな人がいろんなやり方で私を救っていたのだが、そのことに気づきもしないし、感謝もできなかった。
私は私を冷たく扱う人しか見ることができなくなっていた。
いつしかこの世の全てを憎んでいた。
これなら魔王になれると思い、求人票を見てみたが一般兵の募集しか無い。
これぜったい捨て駒にされるやつだ。
とりあえず現実逃避することにした。