財布を失くした。
家の中は探し尽くしたが、ない。事が起きたのは外出先か。
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「わかりました。ありがとうございます。お手数おかけしてすみません」
どの店員さんも親切に答えてくれたが、仕事中なのに仕事を増やして申し訳ない。
自分が、財布と鞄を紐で繋ぐべき人種であるとはっきり自覚した。
家に帰ってから探そうとするが、もう探すべきところは捜索を終えているのだ。
万一の場合におけるカード類の再発行の手間を想像して現実逃避をしたくなる。
それでも、「家の中で財布を失くす」という初歩的なミスであると願って、探す努力をせねばならない。
結果的に、財布は家の中にあった。
なんでこんなところに。
めちゃくちゃ喜んだ後、ここ数時間の自分が励んだ「財布の捜索」は、
自分の体力と他人の時間を消費しただけでなんの生産性がない行為だと気付く。
強いて言えば、今後物を失くした時に捜索する場所として今回の財布発見地点を追加するぐらい。
徒労だった。
ADHDは大抵いつも何かを捜索している 睡眠や生活の為の時間以外はほとんど何もできない 人生が物探しで終わってしまう なんの生産性もない かなしい
周りも 「探しものはなんですか?見つけにくいものですか?」 って気を利かせて聞いてやれよな
タイトルに偽りあり