はてなキーワード: 海辺とは
浦島太郎が釣りをしようと海辺を歩いていると、子供が3人、大きな亀をいじめているのを見つけました。
「おいお前達、亀をいじめるのをやめないか。弱いものをいじめて、恥ずかしくないのか」
「なんだお前!うるせーな!おいもう行こうぜ!げほっげほっ!」
去っていく子供の一人が、「今日はなんだか寒気が止まらない」と言っていたのがやたら印象的でしたが、浦島太郎はすぐに忘れました。
大きな亀は助けてもらったお礼に、浦島太郎を竜宮城に連れて行くと言いました。浦島太郎は竜宮城がなにかわかりませんでしたが、ぜひとも連れて行ってもらうことにしました。
浦島太郎は大きな亀の背中に乗り、海の中に入りました。不思議と呼吸ができて浦島太郎は驚きました。
深く深く海の中に潜っていき、しばらくすると、この世のものとは思えないきれいなお城が見えてきました。
お城の中に案内されると、いろんな魚たちが浦島太郎を出迎えました。
竜宮城の主人である乙姫というたいそう美しい女性が現れると、大きな亀を助けたお礼として、浦島太郎をたいそうもてなしました。
もてなされるままに竜宮で過ごすうち、2週間が経ちました。そろそろ帰らねば。浦島太郎はそう思い、竜宮を発つことにしました。
竜宮を発った日、乙姫はなにやら体調を崩したので、別れの挨拶もできずに去ってしまったことが心残りでした。
浦島太郎は地上に戻ると、大きな亀から玉手箱を授けられました。乙姫からの伝言です、そう言い大きな亀はこう続けました。
「玉手箱はあなたが竜宮で過ごした『時間』を箱に収めたものです。決して中を開けないでください」
浦島太郎はうなずき、大きな亀と別れました。
浦島太郎は村に戻ると、なにやら様子が変わっているのに気づきました。村に人が一人もいない。荒廃した家屋が雑然と残されていました。
浦島太郎は困惑しつつあたりをくまなく探していると、ようやく一人の男を見つけることができました。
浦島太郎はすがるような思いで男に尋ねました。
男も自分以外の人間がいることに驚いたのか、目を見開きました。
「祖先?一体どういうことですか?私の家族は、村の人たちはどこに行ってしまったのですか?」
「落ち着いてください。私は民俗学者で、この村に関係する人間ではありません。数百年前、この村で奇病が流行って、村は全滅しました。私はフィールドワークでこの村のことを調べに来たのです」
「そんな!数百年だって!」
どうやら竜宮で過ごした数週間は、地上では数百年経っていたらしいことに気づきました。
がっくりとうなだれた浦島太郎は、ふと持っていた玉手箱に目を落としました。
「そういえば亀は言っていたな。この箱には『時間』が収められていると。もしかしてこの箱を開けると、自分が暮らしていたあの時に戻るのでは」
浦島太郎はすがるような思いで箱を開けました。すると箱から、もくもくと、おおきな煙が現れて浦島太郎を包み込むと、浦島太郎は歳をとったおじいさんに変わってしまいました。
突如、浦島太郎を襲ったのは強烈な寒気でした。咳が止まらず苦しみだし、その場に倒れ込みました。
一連の様子を見ていた民俗学者の男はあまりの出来事に呆然としていましたが、苦しんでいる浦島太郎にはっとして声をかけました。
「大丈夫ですかあなた。一体何が起きたのかわかりませんが、すぐ近くに私の宿があります。とりあえずそこで看病をいたしましょう」
民俗学者の男はよぼよぼの老人となってしまった浦島太郎の肩を担ぐと、近くの国道でタクシーを捕まえて、観光地近くのホテルへと向かっていきました。
おしまい。
むかしむかし、その名を聞いただけで無垢な少年のむくむく棒がむくむくしてしまう卑猥で淫靡ないやらしいむらむらネームの村に、心のやさしいチンポが60センチのドスケベ浦島太郎(どすけべうらしまたろう)という立てばエロ本座ればディルド歩く姿はエロ動画なセクシー若者がいました。ドスケベ浦島太郎は、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ海、その名も感度3000倍媚薬海で釣ったスケベ魚をセックスパンデモニウム京都やセックスエルドラド奈良にエロ売りに行く事でエロ生計をエロ立てていました。さらにむかしむかしのドスケベ平安時代、このスケベ魚を干したオナホと偽ってスケベ蛇オナホを売っていた変態女のえっちな死体がドスケベ羅生門で淫乱老婆にエロ髪をスケベ抜かれていたのは有名な話で、勿論このお話を読んでいる皆さんは当然ご存知のはずですね。
ドスケベ浦島太郎がえちえち海辺をセクシーに通りかかると、えっちな子どもたちが、“こんなものを視姦(み)れば誰だって陰茎の先を亀の頭だと形容してしまうのは当たり前なほど”いやらしくて卑猥でそれでいてリビドーをくすぐられる程セクシーで大きなドエロカメを捕まえていました。
そばによって視姦(み)てみると、えっちな子どもたちとバイオ性玩具がみんなでドエロカメをえちえちにいじめています。ドスケベ浦島太郎のドスケベ浦島太郎も哀れ勃起してしまうほど、それはそれは惨たらしくもいやらしいものでした。
「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
ドスケベ浦島太郎の哀れみ勃起チンポ60センチを視姦(み)たえっちな子ども達は何も知らないはずのお尻の穴がむずむずと、まるで生まれる前から使い方を知っているかのようにエロムズるのを前立腺で感じていました。そして前立腺と精巣でこの60センチ太郎には勝てないと理解していました。
「いやだよ。お、おらたちが、やっと捕まえたんだもの。どうしようと、ンホォ♡おらたちの勝手だろ」
強がりながらも無意識アクメしてだらしない体液を流してしまったえっちな子ども達ですが、これでは全然素直なアクメではありません。ドスケベ浦島太郎は哀れみ勃起からの悲しみ勃起です。
見るとドエロカメは涙とヨダレと性的な体液をハラハラトロトロびぢゃびぢゃとこぼしデスアクメ寸前のニアデスオーガズムに耐えながら、ドスケベ浦島太郎のドスケベな60センチを視姦(み)つめています。
ドスケベ浦島太郎はそこら辺で杖をついて歩くお婆さんが重たそうに背負っていそうな風呂敷に包まれたアレくらいの大きさのお金玉を取り出すと、えっちな子どもたちにいやらしく差し出して言いました。
「それでは、このお金玉の中身をあげるから、おじさんにドエロカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよお゛っ♡」
まるでその言葉を待っていたかのようにえっちな子ども達とバイオ性玩具はこれから始まる60センチとの甘美で淫靡でアンビシャスなえちえちインシデントを想像しただけで一人残らず素直にデスアクメしました。
こうしてドスケベ浦島太郎は、えっちな子どもたちの死後もなお情けない自慰アクメを続けるえっちな発情死骸からドエロカメを受け取ると、
と、ドエロカメをそっと、感度3000倍媚薬海の中へ逃がしてやりました。ドスケベ浦島太郎は無事に帰っていくドエロカメを視姦(み)つめながら喜びと安心の1㍑射精をキメました。
さて、それから二、三日たったある淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く朝方の事、いつものようにドスケベ浦島太郎が媚薬海に出かけていやらしく黒光りしてバッキバキにフル勃起している60センチペニスとスケベ魚を釣り上げられる程度の粘り気とほんのちょっぴり匂いに発情作用を持つ精液をエロ駆使してスケベ魚を釣っていると、
「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよおほぉ♡お゛お゛お゛♡ちんぽちんぽちんぽお゛お゛お゛」
すると海の上に、ひょっこりとドエロカメが頭を出してドスケベ浦島太郎の60センチ太郎にむしゃぶりつきセルフイラマチオをしました。不思議とドエロカメの口は蒟蒻のようにエロ柔らかくドスケベ浦島太郎はこれが噂のフェラチオウミガメかと妙に納得アクメ2㍑射精しました。 そしてドエロカメは脳味噌直撃IQくるくるぱー喉まんこアクメを毎秒4545194回キメた後に落ち着いてから言いました。
「このあいだはセクシーに助けていただいて、ありがとうございました」
「はい、おかげでエロ命が助かりました。ところでドスケベ浦島さんは、竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)へ行った事がありますか?」
「竜宮(DCSC)? さあ? 竜宮(DCSC)って、どこにあるんだい?」
「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗る前にわたしの無様あなぽことザーメンゴミ袋をバイオ性玩具になるまでずこばこってくださいひぃっ♡ぴぃっぴっぴっぴっぴぃひぃい♡♡♡」
時間にしてみれば三日、しかし濃度で言えば七百時間後、脳の快楽中枢以外の機能が全てダメダメのパーになってIQがチョメチョメのプーになったバイオ性玩具カメはドスケベ浦島太郎を背中に乗せて、媚薬海の中をずんずんとスケベもぐっていきました。
海の中にはまっ青なアクメ光線がいやらしく差し込み、淫乱猥褻コンブがユラユラと卑猥にゆれ、赤やピンクのペニスサンゴのセクシー林がどこまでもエロ続いています。
ドスケベ浦島太郎がウットリアクメ3㍑射精していると、やがて淫欲と色欲と情欲と肉欲と性欲を掻き集めて煮凝りにしたようなセクシー丹塗りのいやらしい立派なスケベご殿(てん)へ着きました。
「お゛お゛っ♡お゛ほ゛っ゛♡」
ドエロバイオ性玩具カメにアヘオホ案内されるままエロ進んでいくと、この竜宮のスケベ主人のセクシーで美しいセクシー美ッ痴なドスケベ乙姫さまが、色とりどりのスケベ魚たちと一緒に一匹残らずドスケベ浦島太郎の60センチ太郎をガン視姦(み)して全身全霊全力全開自慰(5Z(ズィー))をしながらドスケベ浦島太郎をえろえろに出迎えてくれました。
「ようこそ、ドスケベ浦島さん。わたしは、この竜宮(DCSC)の主人のドスケベ乙姫です。このあいだはクソマゾドエロ変態バカオナホカメをセクシーに助けてくださって、ありがとうございます。お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
ドスケベ浦島太郎は、竜宮の多目的エロ広間ヘオナ案内されました。
ドスケベ浦島太郎が用意されたえっちな事にも使えるいやらしい椅子に座ると、スケベ魚たちが次から次へと素晴らしい媚薬入りごちそうをクソ卑猥でクソ猥褻なクソ痴態をクソ晒しながらアクメ運んできます。
ふんわりとエロ気持ちのよいえろえろ音楽がじゅぶじゅぶ流れて、卑猥タイや淫乱ヒラメや妖艶クラゲたちの、それは見事なえちえち踊りがむちむち続きます。
そしてドスケベ浦島太郎のドスケベ60センチ太郎に近づくとみんな60センチ太郎されるのを無意識に想像してしまい一匹残らずデスアクメしました。デスアクメしなかったのはドスケベ乙姫さまと虚無IQバイオ性玩具カメと全身オナホタコとイルカだけでした。
そして、
「もう一日、いてください♡もう一日、いてください♡」
と、ドスケベ乙姫さまに言われるまま竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)で毎日毎日30時間の矛盾したセックスと言うにはあまりにも交尾なド変態でド助平でド淫乱なド性活をド過ごすうちに、三年のセクシー月日がエロたってしまいました。ドスケベ乙姫さまの美しかったヴァギナとアナルはだらしなく変色拡張し、なさけない体液を壊れた蛇口のようにはしたなく垂れ流すいやらしい全身ザーメンポンコツゴミ袋になっていました。
(穴家族や棒友だちは、どうしているだろう?)
「乙姫さま、今までありがとうございます。ですが、もうそろそろ家へ帰らせていただきます」
「ぉ゛ぉ゛……」
ドスケベ乙姫さまはドスケベ浦島太郎の60センチ太郎にしがみついて離しません。
するとドスケベ乙姫さまは、60センチ太郎に歯ごとへし折られてぐちゃぐちゃのリアルイラマチオオナホになった顎と声帯がえっちな事以外に使えないので、残っている僅かな・・・生き物に喩えると発情ミジンコくらいの理性でドスケベ浦島太郎の脳内に直接エロ話しかけながら、さびしそうに言いました。
(・・・そうですか。それはオナごりおしいです。では、おみやげにドスケベ玉手箱(どすけべたまてばこ)を差し上げましょう)
「ドスケベ玉手箱?」
(はい。この中には、ドスケベ浦島さんが竜宮(DCSC)で過ごされた『エロ時(タイム)』が入っております。
これを開けずに持っている限り、ドスケベ浦島さんは年を取りません。
ですが一度開けてしまうと、今までの『エロ時』が戻ってしまいますので、決して開けてはなりませんよ)
ドスケベ乙姫さまと別れたドスケベ浦島太郎は、また変態ドエロバイオティッシュカメにエロ送られてセクシー地上へエロ帰りました。
セクシー地上にもどったドスケベ浦島太郎は、まわりをセクシーに視姦(み)回してびっくりアクメ5㍑射精。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子が変わったな」
確かにここはドスケベ浦島太郎がチンポ釣りをしていた破廉恥でいかがわしい淫らな場所ですが、何だかエロ様子がエロ違います。
ドスケベ浦島太郎のラブ家(ハウス)はどこにもエロ視姦(み)あたりませんし、出会う助平人もエロ知らない助平人ばかりです。
「わたしのラブ家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。ドスケベ浦島のラブ家をエロ知りませんか?」
ドスケベ浦島太郎が一人のえちえち老人に尋ねてみると、えちえち老人はセクシー過ぎてIQがぴゅーになるくらいのセクシーさで少しスケベ首をエロかしげて鼓膜と三半規管と蝸牛が仲良く瞬間アクメ出産するような卑猥な声で言いました。
「ドスケベ浦島? ・・・ああ、確かドスケベ浦島という助平人なら七百年ほど前に媚薬海へエロ出たきりで、エロ帰らないそうですよ。ちなみにここはセックスアルマゲドンTOKYOですよ」
「えっ!?」
えちえち老人の話しを聞いて、ドスケベ浦島太郎はびっくりアクメ10㍑射精。
竜宮(ドラゴンキャッスルセックスキャッスル)の三年は、このスケベ世の七百年にあたるのでしょうか?
「穴家族も棒友だちも、みんなアクメ死んでしまったのか・・・」
がっくりと卑猥な肩をエロ落としたドスケベ浦島太郎は、ふと、えっちに持っていたドスケベ玉手箱を視姦(み)つめました。
「そう言えば、ドスケベ乙姫さまは言っていたな。
・・・もしかしてこれを開けると、自分がエロ暮らしていたエロ時に戻るのでは」
そう思ったドスケベ浦島太郎は、開けてはいけないと言われていたドスケベ玉手箱をセクシーと言うより最早淫乱にエロ開けてしまいました。
モクスケベモクスケベモクスケベ・・・。
すると中から、まっ白のけむりと超スーパー究極アルティメット最強ストロンゲスト最終ファイナル強制催淫発情ガス極KIWAMI無限インフィニティオメガZが出てきました。
「おおっ、これは」
けむりの中に、竜宮(ドラゴンがキャッスルとセックスしてできたキャッスル)やスーパー美ッ痴なドスケベ乙姫さまの卑猥な姿がうつりました。
そして楽しかった竜宮(DCSC)での卑猥な三年が、次から次へとえちえちにエロうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
ドスケベ浦島太郎は、喜びアクメました。
でもドスケベ玉手箱から出てきたけむりは次第にエロ薄れていき、その場に残ったのは髪の毛もひげもまっ白の、ヨポヨポの淫乱おじいさんになったドスケベ浦島太郎と、その身体から生えている・・・かつて60センチ太郎とお金玉だったいやらしい突起がぷつぷつと並ぶ全長180センチほどの触手状の肉塊と、あたり一面に散らばる合計およそ1㌧ほどの白濁した性的な体液と、一人残らず発情してセックスでも交尾でも生殖でもない脳を快楽の電気信号で埋め尽くす為だけの運動(生物学)を繰り返して同時多発デスアクメしたセックスアルマゲドンTOKYOのえちえちな人達の死後もオナニーとセックスを繰り返すえっちな発情死骸だけでした。
昨日なんて10分以内に「透けてる布をみにつけた推しと海」をかいた人と「油絵としかみえないがやっぱり海辺の水に濡れた推し」イラストがながれてきてびびった、別の人で別の画風ね。
そういう人の絵をみるとインスピレーションをいただく。
リツイートされてるだけで書いた日時は10年くらいはなれてるかもしれない。
ゲームジャンルだと公式に携わってる絵師100人超えとかあたりまえだから。
もしかしたら公式絵師さんかもしれない人にうかつにからんでいけない。
感想なんておこがましくてねぇ?
ただ、自分は行動はするよ。
即応できないとこも個性と思ってじっくりやってる。
感動があってから10日くらいかけてゆっくり噛み砕いて消化して
あれはこういうシーンだったんだ~ってなったころに。
(もちろんクオリティは生活がゆるす程度。たとえば流れてきたのは20時間れべるで塗ってあるけど自分のは2時間程度で書きなぐり。レベルは雲泥の差だが構図やキャラ配置は工夫した)とかつくって
世間にそっと流して遠回りなお返しをしたりする。
関係ないってのは、背景が海だけどキャラも違えばやってることもスポーツと飲食くらい違う、服も違うみたいな。
でも自分のなかではあれをこのキャラでこういうので書きたい!ってなったことで繋がりがある。
30代のちょっと音楽好きがプライムで聞けるマイナーよりのアイドルソングを紹介するよ!
もしAmazon primeに入っていて聞いていないならこれは損!!! こんなに楽しい音楽にサブスクで出会えるんだなんて本当に感謝しかない!
(ただし、秋元康系は沼が深そうなのでノータッチ。っていうか一番気になってた欅坂はアルバム半分しか聞けないし。)
あと事務所がどうとかバックグラウンドの情報はほとんど知りません。ただ純粋に曲だけで面白いものを基準にしています。
1.Negicco
流して聞いてもいつのまにかメロディラインや歌詞を覚えてしまう曲が多いNegicco。アイドル歴が長い(と調べて知った)からサブスク落ちてる曲も多いしオススメ。
特に「アイドルばかり聴かないで(小西康陽!)」や、「愛のタワーオブラブ」、「ときめきのヘッドライナー」(N E G I CC O!のコール最高!)、「ともだちがいない!」などなど一度聞いたら忘れない曲ばかりで私はかなり好き。
ただ正直、東京のど真ん中で歌っている感じはない、のでここは好き嫌いが分かれるところかも(私はそこも含めて大好き!)。
「ともだちがいない」(mvがはしゃさん!!)
https://m.youtube.com/watch?v=ok6CW9aLaxk
2.RYUTist
Negiccoの隠せない日本海愛に対して、同じ新潟出身でより売れ線よりに、爽やかさとオシャレさを増したのがRYUTist。
「センシティブサイン」は宇多丸が年間のオススメのアイドルソングに挙げていた良曲。歌声や歌詞、アレンジの可愛らしさが堪らない! 表題曲だけじゃなく「素敵にあこがれて」もCメロの変調が! ああ! もう!!!! 曲のテーマの思春期のアンバランスさが歌声にメロディに出ていてもう聞いてる私がドキドキしてくる!!!!
ほかにも「blue」とかもサニーデイの曽我部とかが探している渋谷系下北系の体現! って感じで聞いてて驚きばかりです。
3.Especia
上のふたつがポップスの流れなら、Especiaは完全にクラブ〜ダンスの流れ。踊るよね、これは完全に。「Danger」。ちょっとメロウな気分なら「海辺のサティ」。テンション上げて戦いに行くなら「No1 Sweeper」。Especiaは聞いてると、身体の底から揺さぶられるようなそんな曲ばかりでこれはライブで聞きたかったと、本当に出会うことの遅さに後悔したグループ。
「No1 Sweeper」(PVの本気のダサさに酔いしれろ!)
通称リリスク。アイドルラップというと「恋愛15シミュレーション」しか知らない私は衝撃を受けたよ。リリスクはとにかくエモい! 「ラストソング」のセツナさや、「オレンジ」のアンセム感のあるグルーブさ、どの曲も本当に好き。
あとアイドルネッサンスという名曲カバーをするアイドルグルーブがあって、そのなかでBASE BALL BAERのライムスターとのコラボ作品「THE CUT」をカバーしているんだけれどそのラップがマジで格好いいの!
早口系のラップはしない印象があったリリスクのまた新たな一面が見えて、他のアルバム聞いたあとにぜひ聞いてほしい!!!!
「RUN and RUN 」(ちょっと話題になったスマホ用mv)
自分も増田同様生まれついてのスカトロフェチ20代女(大小OK自然排泄が一番好き。気付いたときからスカトロが好きで小学校高学年で家のパソコンを触るようになり、毎日毎日「うんち」「おしっこ」で検索してた。海辺で露出排泄する女の子のフラッシュと色々な動物のうんこが見られるホームページが好きだった)だけどそっちの性癖を実現させるのは諦めたよ。
Mっ気も強くてぶっ叩かれて首締められて殺されたい欲求もあるけど現実に無理だしいまは普通に優しい彼氏とセックスしてる。満たされないときは自家発電。今の彼氏は絶っっ対大事にしたいからあまり言いたくないけどもしも、もしも彼とお別れするときが来たらツイッターとかで趣味が合いそうな人探してもいいかもなと思ってる。それはそれで真面目な付き合いが出来る人を探すのは難しそうけどね……。特殊性癖を満たしつつ普通にお付き合いできる相手を探すってかなーり難しいよね。
沖縄県では、2008年にレジ袋を有料化した。一つの都道府県で一斉にやろう、という場合、県境で有料と無料が分かれて客が取られる、と言う問題があるが、陸で県境がない県だからスムーズだったんだろう。
対象は主要なスーパー・ドラッグストアで、小規模なスーパーや個人商店やコンビニや服屋やディスカウントストアは対象外だった。
自分は、このときに有料化を体験した。そのとき何が起こったかを、覚えている限りで書く。
「実際、始まっても3円ぽっちだったら、毎回買うんじゃないの?」とか思っていたが、レジに並んだみんなが律儀にマイバックを持ってきた。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/seibi/ippan/documents/r2_rejibukuro_jitai.pdf ここの資料によると、マイバッグ持参率が2割から8割になってる。そして、微減ながら現在でも相当高率を保っている。
自分も、カバンに小さめのを一枚、クルマには4~5枚常時乗っけるようになった。
有料化直後は、銀行も保険会社も旅行会社も、何かあるとマイバッグを記念品に付けてきた。あのころ、買ったマイバッグ持ってた奴なんていないんじゃないか。
ところが、大体1年くらいすると、そういう風潮は段々となくなってくる。みんな持ってるからもらっても邪魔になるし、数年単位で使えるし。ということで、いつでももらえるからいいや、と思っているとそのうち買う羽目になる。
コンビニではどうなるかわからないが、スーパーの話。肉とか魚とか、豆腐とかをくるむ薄っぺらいビニール袋。2~3個の買い物だと、「透明ビニールに入れますか?」とレジの人が聞いてきて、はい、とか言うと手際よく入れてくれるようになった。今回の有料化でも、持ち手がない袋は有料化の対象外になっている。 https://www.meti.go.jp/policy/recycle/plasticbag/plasticbag_top.html
おそらく、柄の悪いあんちゃんとかに「3円になりますが」「あぁ!?」みたいなやりとりが、初期に相当あったと思われる。
「レジ袋なんか大してゴミ減量にならない」とうそぶく人もいるが、主な目的はマイクロプラスチックの削減だと思う。砂浜に打ち上げられるゴミの中に、レジ袋は確実に減った。それでもペットボトルや弁当のケースや外国の洗剤なんかはいまだにあるんだけど。でも、レジ袋は減った。
以上。
「せっかく金払うんだから」と、大きいサイズをみんなが求めるんだろう。500mLペットボトルとお菓子1個が入るような小さな袋は使われなくなり、レジ袋は週末の買い出しに使うような「大」と、それよりもっと大きい「特大」くらいしか選択肢がなくなる。「俺は毎回金払うぜ!」とか言ってても、ペットボトル1個に大きな袋を出してくるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局マイバッグを持つか、前述の透明ビニール袋で妥協することになる。
男も女も老いも若きもLGBTQもセクマイも猫も杓子もしまくってると聞くクソデカ日記ってやつを、増田女もしてみむとて、マジくそ真面目にするなり。
それの年(どれの年?)のディセンバー(しはす)の廿日あまり一日の日の戌の刻から逆算していつものように5時間前行動で慎重に門出す。きっとどこかで出会えるからさよならはKGBの拷問にかけられても絶対言わないと断言するけど、いささかにものに書き殴り付く。
ある人、ジャスコしかないようなドへんぴな田舎で何億光年も社畜のごとくこき使われたあげくに、残務整理に終われまくって強迫性障害になりかけたのち、例のことども完膚なきまでにしおへて、内容証明で解由(げゆ)などとりて、ベルサイユ宮殿くらいあるクソデカい館よりいでて、不沈船と呼ばれるほどに屈強な造りの舟に乗るべきところへ亜音速にてたどり着く。知らない奴らもいたけど、マジクソかったるそうにめんどくさそうにしながらも、そこは大人と言うことで形式的な別れの挨拶などしながら送りす。ねんごろに仲良くなった心のマブダチであるイツメンたちなんかは、おまえと離ればなれになりたくないと号泣しながら地面を1秒間に5400回くらい転げ回っているうちにマジ秒で朝になってた相対性理論パネェ。
廿二日、和泉の国まで何一つ悪いことが起きずに平穏以外の言葉で表しようのないほどスムーズな航海になってくれなきゃ嫌だ嫌だと都合のいいときだけ神仏に願を掛ける。藤原のときざねなんかは完全に調子に乗っていてフォロワー稼ぐためなら何でもするぜくらいの勢いで、舟で行くぞって耳に深海200万マイルに住むタコができるくらい口を酸っぱくして言っておいたのに、馬のはなむけとかしやがるマジキチかよ。全知全能の神と同等程度と言っても過言じゃないくらい偉い人が「今日は無礼講で」とか抜かすもんだから、崇高なるものからスクールカースト最底辺に至るまで身分を問わず一気飲みコールがエンドレスで鳴り止まないほど飲みまくって吐きまくって若干名ほどは急性アルコール中毒で運ばれながらも、いとあやしく、海辺で砂まみれ塩まみれになりながら「海って思ったより居心地悪いんだな」と深層心理の無意識レベルの阿頼耶識でサブリミナルくらいの一瞬だけ思ったけどそんなことを言えば国際条約で禁止されるくらいの高い殺傷能力でその場の雰囲気を木っ端みじんにぶち壊すと思ったので口には出さずにあざれあへり。
シルク・ド・ソレイユがYouTubeで配信している180°VRの”ImmerCirque” ( https://www.youtube.com/results?search_query=%23ImmerCirque ) は、演劇業界の人々は見るべき価値のあるシリーズで、これをOculus Goで視聴した時は、正直演劇における革新だと思った。画質はまだクリアとは言えないが、それでもあれは十分に、間違いなく「演劇を観てる」体験であった。舞台中継を通じたTVによる視聴で確かに演劇を見ることはできる。しかし、それは行為そのものが「舞台を観る」から「TVを観る」に変異してしまっているため、演劇鑑賞とは極めて縁遠いものだと思う。だがVRによる観劇はそれが少しも変異しないと感じた。つまり、演劇を演劇のままとしてVRゴーグルで観ることができたのだった。演劇とは「その場でドラマを観賞する」体験そのものが売りであり、観客はそこに対価を支払うことから、その体験をそのまま提供できなければ演劇あるいは観劇とは言えない。よって2Dの映像配信は演劇そのものではない。だが、VR演劇は、間違いなく演劇体験だった。
これは演劇の革新だと思う。なぜなら、VR演劇は世界で初めて「流通可能な演劇」を誕生させる可能性があるからである。劇場に閉じ込められていた演劇をVR演劇としてネットで配信し、それによって対価を得られるようになれば、観客数は劇場の客席数×公演回数に限定されなくなり、また公演期間にも限定されることなく、作品が恒久的にお金を稼ぎ続けることができる資産価値を持つようになる。これまでの演劇の最大の弱点は、劇場でしか客に対して作品を提供できず対価を得られなかったことだけでなく、製作した作品が公演期間を終了すると同時にその資産価値が実質的に消滅するところにあった。映像などの媒体に転換することで一部の価値を保全できうるが、舞台作品の実体としては確実に消滅し、そして再現不能である。これが演劇が経済的に不利な立ち位置にある最大の理由である。「後世に残る作品を作りたい」と演出家が言ったところで、それはそもそも残らないしお金も稼いでくれないのが演劇の本質であった。しかしVR演劇なら、空間そのものを記録・再生できる特性から、それが可能になる。
流通可能なVR演劇によって、観客は過去の作品にも自由にアクセスできるにようなり、いわゆる「伝説の公演」、それを観たものだけがその価値を享受し特別な存在でいられるような、極めて優れた作品群も体験できるようになる。そしてここが重要だが、外国語の字幕を付けることで海外の観客を新たに獲得することも可能となるだろう。これまで、舞台における字幕はプロセニアム型の劇場ではプロセニアム・アーチ外縁の上部や左右、または舞台の上部に吊ったスクリーンなどに表示していたが、実に見づらい上に公演回ごとに微妙に変化する台詞回しのスピードに同期しないケースがあり、正直使える印象は皆無であったが、VR演劇なら見やすい位置に配置し、台詞回しと同期でき、そしてあらゆる言語を表示可能になる。またこれによって、耳が不自由な観客にも演劇を届けることができるようにもなるし、さらには演劇初の「吹き替え版」を作ることもできるだろう。
また演劇が持つ基本的な舞台表現の幅も無限に広がるだろう。つまり、VR演劇では舞台は必ずしも劇場である必要はなく、ビルや住宅などの一室や、ショッピングモール、海辺、森の中など、使用可能なあらゆる場所を舞台とすることもできるようになる。過去にあった、アパートの一室で押入れを客席にしたような演劇とか、KAKUTAがやった遊園地を丸ごと使った同時多発演劇、またかつての維新派のようなだだっ広いグランド演劇などが、より低コストで自由に製作でき、あらゆる人々に配信できるようになる。そしてそれらの空間を使用したドラマの演出は、舞台演出家こそができる技術である。VR演劇以降は、舞台演出家はVR演劇演出家として新しい活動の場を獲得できると思う。
最後に、もちろんこれらのことは全て演劇に新たなお金をもたらすだろう。日々の稽古と並行して別の職の仕事をし、その上チケットノルマも課されるような、今で言えば真っ黒もいいところのブラック労働であったものが、VR演劇が恒久的に稼ぐ売上によって浄化され、大きな産業として成長するだろう。演劇は補助金が不可欠とか言う必要もなくなるし、日本の演劇の諸悪の根元であるチケットノルマも葬り去ることができる。また、これまで舞台の規模として商業的には全く成り立たないが、しかしながら極めて価値の高い優れた作品についても、きちんとお金を稼ぎ、演出家や俳優達は新たな作品制作に集中できるようになるだろう。
このVRによる演劇の革新によって、演劇を楽しむ観客人口の桁が2つか3つ増えれば、社会における日本の演劇の重要性も変わるだろうし、いわゆる必要不可欠な文化としての立ち位置を獲得できるのではないかと思う。それを得られないうちは永遠に、義務教育科目に「美術」「音楽」はあっても「演劇」はないだろうし、補助金くれくれ言い続けるしかないだろう。
普段は都内に勤めており、自宅は千葉県内だが海辺まで行くのに毎回2時間程度はかかっているのだと思う。
ご存じの通り、先日、千葉県を含む7都府県に対しコロナウィルス感染拡大防止の為、緊急事態宣言が国から発令された。
しかし、父が言うにはサーフィンに行くことは自粛すべき行為に当たらないとのことである。所謂”三密”に当たらないからである、と。
私は「国からの要請だから」と深く考えず生真面目に不要不急の外出を控えていたこともあり、父の主張に違和感をおぼえた。
だが、ランニングが自粛を求められていないように彼の主張を頭から否定するものではないと思い、自分なりに調べ、考えてみた。
私の結論は、やはり今、東京近郊から海へ遊びに行くことは避けるべきであるというものであった。
身内の不届きな行為は気持ちの良いものではない。一度、彼と意見を交わした。
好きで東京に行き来しているわけではない
また、国や業界の要請と、自分の考えのどちらが正しいのか現状ではわからないのだから、自分の考えを最優先するというようなことも言っていたように記憶している。
もし考え、というか行動を改めてくれれば(というのも私のエゴなのかもしれないが)と思ったが、私では力不足であった。
海辺にお住いの皆様には申し訳なく思います。父に代わり深く謝罪致します。
https://www.town.ichinomiya.chiba.jp/emergency_info/439.html
地表の7割は海だけど、俺の人生の中で海上・海辺で過ごした時間は多分全体の1割もない
「視界に海が入っていた時間」くらいまで緩めて考えてもそうだ 海辺に住んでいたことはないし、アウトドア的なことも全然しないのでビーチに出かけたりすることもない
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
※※※※※※※※※※
長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。