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はてなキーワード: 維新派とは

2021-11-01

大阪府民に同情する。

 自分は反・自民党人間なんだけれど、現在居住地安倍晋三地元である。我が身のために自分の考えを日頃は表には出さないが、選挙の度に非・自民党政党候補者投票している。しかし、蟷螂之斧である

 そんな自分営為とは裏腹に、はてブユーザーの中に多数存在するリベラルの人々からは、安倍晋三地元暮らしているというだけで我々山口県民は十把一絡げにされ、罵詈雑言の標的にされてきた。というか、現在進行形で今も標的にされている。彼らは「安倍晋三地元にも反・自民党派や反・安倍派の有権者存在する」という想像力を発揮することは無い。彼らは自動的に「安倍晋三地元住民リベラルの敵」と見做す。

 現在は、維新議席を増やしたために大阪府民が、はてブコメント罵詈雑言の標的とされている。それを見て、自分は心の底から同情している。大阪府民にも、反・維新派の有権者存在するはずなのに。

 彼らの理屈は「自民党維新跋扈を許したのだから山口県民や大阪府民が相手ならば幾らでも罵詈雑言を浴びせても構わない」というものである

 ちょっとだけ想像してみて欲しい。アル・カイダISIL武力支配している地域暮らしている人々に対して、あなたたちは罵詈雑言を浴びせるのか?武力による支配を受けているわけではないが、非力な少数派が蟷螂之斧の営為を続けながら暮らしているという意味では、我々も同じである

 反・自民党かつ反・安倍晋三自分だが、はてブコメント山口県民や大阪府民を口汚く罵る人たちを見ると、自民党安倍晋三を見る時よりも遥かに強く、どす黒い感情を抱くようになりつつある。

 反自民党や反維新の闘いを続けているのは、我々地域住民有権者たちである。その気持ちを踏みにじって、十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせるのを今すぐ止めろ!

2021-04-12

公明党共産党を嫌いなように

はてなの立憲派って維新派が大嫌いだよね

大阪記事があったら必ず「維新に国政を任せるとこうなる」みたいなコメントスターがズラっと並ぶ

同様に維新派も立憲派が嫌いなのかな

はてなあんまりいないから見ないけど

2020-05-06

演劇業界は、今こそVR演劇を作るべきである

演劇業界は、今こそVR演劇を作るべきである

シルク・ド・ソレイユYouTube配信している180°VRの”ImmerCirque” ( https://www.youtube.com/results?search_query=%23ImmerCirque ) は、演劇業界の人々は見るべき価値のあるシリーズで、これをOculus Goで視聴した時は、正直演劇における革新だと思った。画質はまだクリアとは言えないが、それでもあれは十分に、間違いなく「演劇を観てる」体験であった。舞台中継を通じたTVによる視聴で確かに演劇を見ることはできる。しかし、それは行為のものが「舞台を観る」からTVを観る」に変異してしまっているため、演劇鑑賞とは極めて縁遠いものだと思う。だがVRによる観劇はそれが少しも変異しないと感じた。つまり演劇演劇のままとしてVRゴーグルで観ることができたのだった。演劇とは「その場でドラマを観賞する」体験のものが売りであり、観客はそこに対価を支払うことから、その体験をそのまま提供できなければ演劇あるいは観劇とは言えない。よって2D映像配信演劇のものではない。だが、VR演劇は、間違いなく演劇体験だった。

これは演劇革新だと思う。なぜなら、VR演劇世界で初めて流通可能演劇」を誕生させる可能性があるからである劇場に閉じ込められていた演劇VR演劇としてネット配信し、それによって対価を得られるようになれば、観客数は劇場の客席数×公演回数に限定されなくなり、また公演期間にも限定されることなく、作品が恒久的にお金を稼ぎ続けることができる資産価値を持つようになる。これまでの演劇の最大の弱点は、劇場しか客に対して作品提供できず対価を得られなかったことだけでなく、製作した作品が公演期間を終了すると同時にその資産価値実質的消滅するところにあった。映像などの媒体に転換することで一部の価値保全できうるが、舞台作品実体としては確実に消滅し、そして再現不能である。これが演劇経済的に不利な立ち位置にある最大の理由である。「後世に残る作品を作りたい」と演出家が言ったところで、それはそもそも残らないしお金も稼いでくれないのが演劇本質であった。しかVR演劇なら、空間のものを記録・再生できる特性から、それが可能になる。

流通可能VR演劇によって、観客は過去作品にも自由アクセスできるにようなり、いわゆる「伝説の公演」、それを観たものけがその価値享受特別存在でいられるような、極めて優れた作品群も体験できるようになる。そしてここが重要だが、外国語字幕を付けることで海外の観客を新たに獲得することも可能となるだろう。これまで、舞台における字幕プロニアム型の劇場ではプロニアム・アーチ外縁の上部や左右、または舞台の上部に吊ったスクリーンなどに表示していたが、実に見づらい上に公演回ごとに微妙に変化する台詞回しのスピードに同期しないケースがあり、正直使える印象は皆無であったが、VR演劇なら見やす位置に配置し、台詞回しと同期でき、そしてあらゆる言語を表示可能になる。またこれによって、耳が不自由な観客にも演劇を届けることができるようにもなるし、さらには演劇初の「吹き替え版」を作ることもできるだろう。

また演劇が持つ基本的舞台表現の幅も無限に広がるだろう。つまりVR演劇では舞台は必ずしも劇場である必要はなく、ビル住宅などの一室や、ショッピングモール海辺、森の中など、使用可能なあらゆる場所舞台とすることもできるようになる。過去にあった、アパートの一室で押入れを客席にしたような演劇とか、KAKUTAがやった遊園地を丸ごと使った同時多発演劇、またかつての維新派のようなだだっ広いグランド演劇などが、より低コスト自由製作でき、あらゆる人々に配信できるようになる。そしてそれらの空間使用したドラマ演出は、舞台演出家こそができる技術であるVR演劇以降は、舞台演出家VR演劇演出家として新しい活動の場を獲得できると思う。

最後に、もちろんこれらのことは全て演劇に新たなお金をもたらすだろう。日々の稽古と並行して別の職の仕事をし、その上チケットノルマも課されるような、今で言えば真っ黒もいいところのブラック労働であったものが、VR演劇が恒久的に稼ぐ売上によって浄化され、大きな産業として成長するだろう。演劇補助金が不可欠とか言う必要もなくなるし、日本演劇の諸悪の根元であるチケットノルマも葬り去ることができる。また、これまで舞台の規模として商業的には全く成り立たないが、しかしながら極めて価値の高い優れた作品についても、きちんとお金を稼ぎ、演出家俳優達は新たな作品制作に集中できるようになるだろう。

このVRによる演劇革新によって、演劇を楽しむ観客人口の桁が2つか3つ増えれば、社会における日本演劇重要性も変わるだろうし、いわゆる必要不可欠な文化としての立ち位置を獲得できるのではないかと思う。それを得られないうちは永遠に義務教育科目に「美術」「音楽」はあっても「演劇」はないだろうし、補助金くれくれ言い続けるしかないだろう。

2017-11-11

anond:20171111152706

でも新政府のやり方に不満を覚えるのは西郷だけじゃなくて後の維新派からも出てくる

結局そいつらが太平洋戦争突入していったんだから新政府側が歴史的に間違えていたようなもんでしょ

 
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