はてなキーワード: 制作とは
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00082/contents/00003.htm
ハリウッド映画のキャラクター、ハリウッド映画に出てくるいろいろな造形を、どれだけ日本のマンガから取っているか。いっぱいあります。その都度、泣き寝入りだったのです。逆に言えば、日本には、魅力的なキャラクター(素材)が文化財産としてたくさんあるということです。真似されて、「ああ、日本は真似されるようになったのだ」と思う一方で、真似を指摘しなければ、それを許したことになります。日本人はまだまだ、著作権という面に関しては、シビアではないと思います。これからは、もう少ししっかりしてもいいのではないかと思います。今回の「ふしぎの海のナディア」も何らかの形で、誰かが指摘してくれないかと、勝手に思っています。
里中 「ライオンキング」のとき聞いたのですが、ディズニーは「こう指摘されたら、こう反論する」と、シミュレーションしているそうです。そのうえで、勝てると判断すると、制作に入るわけです。
鷺巣 手塚治虫を尊敬するあまり、里中先生はそういう行動をとったと思います。手塚治虫がディズニーを尊敬していて、「ファンタジア」を8回も見た。手塚治虫は亡くなりましたが、手塚プロの松谷社長は、手塚治虫がディズニーを大変、尊敬しているのだから、真似されても本望ではないかみたいなことを言っている。里中先生が、あれだけ頑張ったのに、拍子抜けするのではないか、と思いました
我が国が生んだキャラクター、我が国が生み出した作品で、日本人はもっと胸を張って誇りに思っていい作品が山ほどあるのです。「これは何だ!」というような、そっくりな造形が、ハリウッド映画にたくさん見られる。ハリウッドの関係者が、「危ないかな?」と思っても、日本人は結局、何も文句を言ってこないだろうとたかをくくって使う。どうもなめられているなと、みんなで思ったことがあります、現在、健康でぴんぴんしている、ある作者の描いた造形にそっくりなものが画面に出てきて、ハリウッドの映画会社に抗議しても、逆に、こちらがこてんぱんにやられる。とても太刀打ちできない。あちらに勝てるほどの弁護士は、いくらお金を出しても、日本にはいないだろうと、みんなあきらめてしまうのです。
里中 協会の役員は漫画家です。表現の自由はマンガだけの問題ではなくて、ほかの分野全般にわたっているようです。日本の戦時下とまでは言いませんが、検閲のような感じです。
ただ、検閲のようなものがあると、それに抵抗しようというエネルギーが湧くものですから、かえってよい作品が生まれることもあるのです。
でも、活動にお金をいただくと、いただいて当たり前というか、生活の安定が後ろにあると、やはりよくないと思います。どこかで、怠け心が出てしまうと思います。そうなると、旧態依然の表現で終わってしまうのです。
浜野 「ライオンキング」がまかり通ったから、今回、「ふしぎの海のナディア」もあった。「バグズライフ」のストーリーは、黒澤さんの「七人の侍」そっくりです。だから、黒澤久雄さんが少し「似てる」と言ったとたん、本社の副社長が資料を持ってとんで来たということです。あのときに強く押さなかったから、露骨に「バグズライフ」や「アトランティス」を作ったと思います。
日本の漫画やアニメは世界一優れているのでガイジンたちにあの手この手で狙われているという弥助騒動にも繋がる被害妄想を拗らせ、アイデアに著作権は無いという著作権法の根本を知らないまま暴れまわったことが今起こっている反ポリコレ言説に影響を与えていることは間違いない。
しかし里中満智子に対して責任問題を問う声は一切聞かれない。これは彼女が日本漫画協会の理事長であると同時に、“女性”であるが故にリベラル側からスルーされていることも大きい。しかし今の反ポリコレ言説を止める為には絶対に避けて通れない道だ。本丸を攻めずにネット上での下らない小競り合いがダラダラ続く現状はいつまで続くのであろうか。
夫は会社員、私は漫画家で2人で在宅で仕事をしている。夫は私の漫画制作にとても協力的だ。
私は〆切前3日間は平均睡眠3時間〜4時間ほど、〆切明けてもすぐネームに入るし、場合によっては単行本作業や原稿修正などなど
1時間〜3時間くらいの作業量のタスクが山積みになることがままある。
そして私が忙しくなると夫が怯える。
〆切の月末と生理もほぼ毎度被るし、明るく振る舞っても睡眠不足や疲れやむくみが顔(特に目の下とか)に出やすくすぐバレる。
また明らかに声に抑揚がなくなり、表情もあまり動かなくなるのが怖いらしい。
たしかに数ヶ月前も通常の連載原稿2作品に加えて単行本作業が重なり、アシスタント数人に仕事を投げても投げてもまだまだ白紙のペン入れがある…みたいな忙殺された日々が続いたことがあった。
普段からピル+生理前〜生理中は漢方を飲むなどしてホルモンからくる一時的な気性の荒さは薬で抑えられる分だけは対処しているが、
その時は夫が食べた食器をシンクや食洗機に置かず自分のデスクやリビングのテーブルに2日以上散乱させておいたり(別に洗うことまでは求めてない)、
洗面所で洗剤のラベルを剥がしたらそのまま洗面台の上に数日放置…(私だってやりがちなのに)などのイライラが積み重なった。
極めつけに体力が削られている私の覇気のない動きや声に怖がられたので、夫の「すごい疲れてる顔してるね」という言葉も嫌味のように聞こえて、トゲのある返しをしたら大喧嘩に発展してしまったのだった。
さっきも実際「今〆切明けたけど、まだやること色々あるから忙しくなりそうだ」という話をしたら「今月忙しいね…またあの日(大喧嘩した時)みたいな極限状態になっちゃうんだ…怖いよ〜!!!不安だよ!」と言われた。
夫は繊細な性格なこともあり、可能なら〆切で殺気立つ自分の姿は見せないほうがいいのではと思い
「なら、やっぱ近場で安めの1K借りて修羅場の時はそこに引きこもろうかな。脱稿したら帰るし、その方が夫も殺気立つ妻に怯えずに済むでしょう」と言ったら
「嫌だ!怖くない!受け入れる!」と言われた。
私も大喧嘩以降、「あー…なんか精神的にダメだな」と感じたら「もしかして私疲れてる!?」 「ちょっと今日の私疲れてるっぽいからあんまり喋らないようにする」など可能な限りは前置きするようにしているのだが、
しかし夫婦のなかでは私がメインの稼ぎ手なので、より大きく稼げる可能性が(一応)ある私が仕事を減らすわけにはいかない。
私が稼がなければ!というプレッシャーもあり、
結婚後に連載を増やして掛け持ちするようになった。
もちろん自分が使うためでもあるが、生活レベルを維持するため、また夫婦の未来のために必死に稼いでいるのに、〆切前になるときまって怖がられ、「今の私に近づかないほうがいい」という前置きも逆効果なら、私はもうどうすればいいのかわからない。
おそらく、自分がどれだけ忙しくても笑顔で明るく菩薩のようにいてほしいのだと思う。
たしかに毎月〆切前になるとヨボヨボで真顔、覇気のない配偶者がいると考えると普通に不快だ。
菩薩のようになれれば話は早いのだが、世の働いてる妻はみんなどれだけ忙しくても夫の前では穏やかにニコニコできるのだろう。
夫から「つらいのにつらくないと言うな」、嘘は付くなと言われてはいるが、夫の前では何も不安材料がないように振る舞いたい。
怖がられないためにはどうすればいいんだろう。
ホッテントリに入っていて驚いた。やはり夫婦の話は今のトレンドなのだろうか。
叩くコメントが多かったので、男女間の分断を生みやすくスカッとする・面白いのだろうと推察する。
昨晩は夫は疲れて寝て食欲もないとのことだったので、私は自分の機嫌を元に戻すため1時間ほど外出し買い物と寿司食って無事整えて帰ってきた。
自分の機嫌を取るのに一番効果的なのはその場を離れる・散歩・飯なことはわかっているので積極的に実践していきたい。
そして私が仕事を受けすぎという指摘はごもっともなのだが、次引っ越す時はマンションが欲しいという話をしているため、
漫画家という信用0職業の自分ができること(とにかく稼いで確定申告しローンの審査がおりるように頑張る)をするしかないと考えていた。
また2人とも数年後に子供がほしいという話をしているので、いずれ来る妊娠・出産・育児(特に保育園に入るまでは)に私がつわりで仕事ができない・抑えなきゃいけなくなり収入がダウンした時
影響を最小限にするために今貯金しなければという気持ちで働いているところが大きい。
妊娠・出産・育児に甘えて夫の収入に頼るというのは自分の中で甘えだと感じている。(激務をやりたくて選んだ自分が自分に対して思っているだけで、世の女性たちは絶対に休んでほしい)
◇夫と話して深堀りしていった。
自分は「仕事をしているのに怖いと言われることに傷つく」という話をしたと思う。
その時も脱稿明けでほぼ寝ていなかったので「2人のために仕事をしているのに…」と続いてぼやいてしまい、余計だったとあとで気づいた。夫ごめん。
夫にどういうところが怖いのか?私はどうすればいいかと聞いたところ
「私が殺気立つと何か自分(夫)がやらかしたのではと感じる」と言われた。
明らかに普段は穏やかであると自覚しているし、〆切前になると戦モードになるのは見て取れるだろうと思ったのが正直なところだ。
また、途中昼休憩の時に「眠れていない、飯が食えてないし時間がない、アシスタントに飛ばれた(初めてのことでマジで最悪)ことで精神が荒れている」と自分の状態の説明はしていた。
ここに夫のことで何も言及していないことから夫に非はないのだとわかるだろうと感じていたが、
きちんと明確に毎度「夫のせいでこうなっているのではないよ!」という声かけが必要なのだと痛感した。
確かに自分も夫が仕事で殺気立っていると「何かしちゃったかな」と感じるので、明確にお前のせいじゃないと言われると安心する。
正直こういった仕事中の態度が見えてしまうのがL字になって同空間で仕事することのリスクだと感じる。
溜めずに爆発されるより、その場で言ったほうが夫がラクだからと以前言われたからだ。(使った食器は放置せずシンクに置けくらいだけど)
◇仕事場を借りたほうがいいという意見が多く、自分ももう一度夫に話してみた。
正直今借りている家の立地が良すぎて安めの1Kが存在せずかなりの痛手となってしまうのと
あと1年で引っ越しなのでひとまず現状維持、次の家では1Kもしくはあらかじめ私の仕事部屋を用意したいという希望も含めて話した。
夫としては「変わらず一緒にL字になって仕事がしたい」と言われた。
夫は繊細だと書いたしその通りなのだが、ただとにかく私と一緒にいたいのだろうということも理解した。
夫の意に添いたい気持ちが大きいが、家庭内の平和を維持するためにも1Kは難しくても次は自分用の部屋を作り、逃げ場を用意しておくのが最善だと思った。
◇夫婦逆ならDVだ・不機嫌ハラスメントだという意見もあったが、まず夫婦逆ならと存在しない仮定の話をされるのが意味不明だったので笑ってしまった。
男女平等を掲げたいのであれば逆じゃなくても相手に不快感を与えているのは事実だと思う。
「配偶者が疲れた顔をして覇気がないと確かに不快だ」「どうすればいいだろうか」と私も書いている。
◇我が家では基本的に家事は食洗機・掃除ロボット・ドラム式洗濯機で、
明確な家事は料理・キッチン掃除・トイレ掃除・風呂掃除・洗濯物たたみ・各種メンテナンスくらいしかない。
夫は風呂掃除、定期的な掃除ロボットの部品交換、コーヒーマシンと洗濯機と食洗機のごみ取りメンテナンスを担っている。
私は料理とキッチン掃除、洗濯物たたみ・トイレ掃除をしている。料理はドカッと作って冷凍して消費していくことが多いのと、その際にキッチン掃除をしている。
(トイレ掃除は何回やってもいいので2人とも気づいたらやる。)
洗濯物を干さなくていいのと食洗機があるだけでずいぶん楽になったが、その分仕事を詰めているので忙しさはあまり変わらない。
また、上記くらいしかやることがないうえ、別に2~3日さぼっても問題ない(メンテに至っては週1~2週に1)家事しかないため家政婦をスポットで雇っても満足感が得られるかあやしい。
自分がもっと仕事のやりくりがうまくなり、夫に不安を与えないようにするほかないと思う。
個人的には
【世のお父さんたちは激務の末クサクサしてるとモラハラだDVだと言われてしまうんだぞ
そして大多数はそうならないようにじっと耐えてる
怖がられるくらい甘受しなさい】というコメントに確かになとも感じた。
自分はほぼ父に育てられていて、父を見てきたので一番しっくりくるコメントだった。
その父も在宅で仕事しているときは画面に向かって「ふざけんなカス」だの「クソが」だの各種暴言を吐いていたが、私と喋るときは笑みを見せていた。
疲れが顔に出てしまうのは気合で制御できないので仕方ないが、声に抑揚がなくなったり覇気がないのは完全に自分の甘えである。
激務をえらんだのも自分であるし、配偶者を怖がらせているのも自分が疲労を前面に出して甘えているせいだ。
夫に不安なく過ごしてほしいのだが、自分も「疲れたよ~~」と甘えたい気持ちが大きいのだと思うし、
「疲れた!仕事やばい!」と明確に自分の不調の理由を訴えたほうが、むしろ夫は「妻のこの状態は自分のせいじゃないんだ!」とわかるからいいのかもしれない。
夫のことは変わらず大好きだから、自分ひとりだけで生活しているのではないと肝に銘じ、常に思いやりを持って夫と接していきたい。
反応もらえると思ってなかったわありがとう
やっぱ自分ってADHDなんかな?空気読めないってほどではないけど協調性あんまない自覚はあるし、とにかく集中力がないのはそう。今簡易webテスト的なのやったら軽度のADHD可能性ありますって出たわ
知識不足の原因は、自分の学科が社会系と制作系混ぜた感じで、とにかく横文字が出てくるんだけど記憶・英語力がないからわからん!ってなった。出題範囲とかがあんま定まってないからこそ、選択問題の中からできるやつ選んでね式なんだけど、ここ数年あまりにも遊んでて社会系の知識が抜けまくっていた。
アートとエンタメで事情が違うのでどういう文脈で出てきた絵なのかによる。
エンタメでは絵を理解する必要はなくて雰囲気を気に入るかどうかなので AI かどうかは全く重要ではない。
アートには「意図」があり、絵の形で意図を表現しようとするものなのでアートでないものから意図を読もうとすると混乱する。
AI 絵なら AI 絵だと明示してくれていればそのつもりで見るのだけれどアートのつもりで絵を読んで意図など存在しないということがわかるとうんざりするんだ。
どこかのVtuberの事務所で夜中にリリースがあって、その背景を少し補足したいと思う。
2000年代以降、PCや周辺機器の性能向上によってPCでなんとか楽曲制作が完結できるようになった。
これによって今で言う歌ってみた等の音楽制作、声劇・朗読・講談等人の声にフォーカスしたものも素人がカジュアルに音源化、データ化できるようになった。
無論在野のプロとでも言うべき人もいたし、技術推進などもあったが、基本的に非常に浅い分野のものだけが切り取られ、間違った知識も擦り続けられあまり質の良くないものがほとんどだった。
質が良くない、というのは例えばテレビやラジオ等の放送、あるいはそれに関連する音楽・映像制作業のような基準や規格に準じた一定の品質基準がない事を意味する。
そんな状況なので素人が素人の作品を楽しむような世界がしばらくは軸だった。
ボカロ文化の隆盛等様々な事情によって金を生み出せるハイアマチュア、あるいはプロへと転向していく人が生まれていくのだが、問題はここにまずある。
作編曲でもミキサーや各種音響技師でも実はある程度体系化されているものを突然「売れたのでプロとしてやっていきます」と言い出すとプロとしてやっていく最低限の知識水準の平滑化がなされていない。
得意な分野がやっと一人前や半人前ということで、不得意だったりそもそも認識していない分野はゼロやマイナスである。
「でもオレに依頼を出す人がいるから食っていけるので、オレはプロです」という暴論がここで成立する。
プロという単語には倫理や遵法、技術、知識など様々な分野で一定の水準をイメージする人が多いが、ここで致命的に食い違う事になる。
彼ら彼女らには職業倫理のようなものはないし、プライドを持つような技術や経験がないのでモラルが育たない。
しかし、資格の世界ではないし、技術競争の分野でもないエンタメでは面白ければ正義で、人気があれば強者である。なぜなら代理店の仕掛けに乗れるからである。
加えて令和の世の中になるとできていない人間相手にそれを正面から指摘等しないで、自然的に疎を形成する傾向がある為、依頼をしたい側が困る事になる。
依頼する側がまずド素人で、依頼相手に選ぶ人間がこれらの文脈でのプロかどうか判断する審美能力がない。困りましたね。
事業として現実に仕事をしている世界では、間に制作会社や代理店が入って然るべく手配されるので依頼者が素人でも日本では許される傾向がある。
…あるのだが、これら歌ってみただとかVtuberだとか呼ばれる実質的に素人の人々はそういうものの必要性をあまり認識されない。
ANYCOLOR社がせめて上場企業でなければもっと矮小化もできたのだが、実質的には素人仕事で上場している事を今後問われる形になってしまった、という大人の社会的な話が本格化してしまうのが残念だ。
声優さんもスタジオでのセリフ収録や歌収録でも質の低下著しいが、彼らは後ろがプロだ。事務所が始末をつけてくれる。
Vtuberのようなライバー達、中の人が素人でいることを続けるのなら、事務所がプロにならないといけないのではないだろうか。
---
同人活動は、既存のキャラクターや作品への愛やリスペクトを基盤とし、創作者が独自の解釈やクリエイティビティをもって新たな価値を創り出す行為です。多くの場合、同人作品は手作業で描かれ、制作過程での試行錯誤や個人の技量が反映されます。これに対し、AI生成の絵はプログラムに基づき、自動的に作られるものが多く、制作過程やクリエイティビティが大きく異なります。
また、同人活動が著作権や創作の倫理について議論の対象となることはありますが、多くの同人作家はその点を理解し、ファン活動の一環として節度を持って行っています。そのため、同人活動とAIによる絵の生成を一括りにして非難するのは、やや短絡的であり、同人作家の立場や努力を正しく理解していない可能性が高いです。
同人活動の意義や背景を理解した上で、AI生成の絵に対する批判や懸念を示すのは、創作活動の質や価値に対する正当な意見であると言えるでしょう。
あの世界では、若い世代はどんどんニュータイプに目覚めて、人類はわかりあえるようになって、争いのない世界が続いてたんだろうな。
人気がでたばかりに続編が制作されて、物語のために戦争がおきて、人間はけっして分かり合えないというストーリーが作られ続けている。
現在は少年画報社の漫画雑誌ヤングキングで、ひとでなしのエチカという漫画を連載している
基本的にそれだけだ。少なくとも私にとっては。スパイスとして暴力と巨乳が少し。
ではその話の内容とは?
普段から気になっていたが議論したことはない、そういう議題をかなりの頻度で提示してくれることだ
キャラはピエール手塚さんの普段思っていることを代弁しているだけに思う。
よってキャラ立ちや物語の大きな流れやその場その場の演出は特に優れているとは思わない。
彼の優れている点は議題のチョイスそのものにある。
だからと言って社会的に答えの出ない問題に対して、彼の漫画が完璧な答えを出してくれるわけではないが、
キャラクター同士の口喧嘩を通して各々の視野を垣間見せてくれる
ピエール手塚さんはネット上にたくさんの作品を無料公開しており、私は読めるものは全て読んだ
彼の全ての作品を好きになったわけではないが、多くの作品のファンになった
特に暴力の存在をテーマにしつつも笑わせてくれる暴力太郎という作品が大好き
好きと愛してるの違いをテーマにした恋のニノウチも最高。恋のニノウチは彼の作品には珍しくアクション作画も楽しかった!
その作品がなんだったのかはもう覚えていない
公開されている無料漫画、連載されている有料漫画、漫画皇国という彼のブログ、人生思考囲いというネットラジオ。
この辺りを中心に彼を追いかけた
彼の関わっているコンテンツで一番好きなのはネットラジオ人生思考囲い。
なんと漫画が一番ではない!
私にとって刺激的でエキサイティングなのは彼の問題提起力と視野の広さに触れること。
連載作品は説教臭くて読むのをやめてしまったが(ほんとごめん。悲劇だ。でも合わないものは合わない)彼の考えに触れることが大好きだ。
漫画が好きで描こうとしたが若い頃は一作品も描きあげることができなかった
スカウトを受け多くの読み切りを掲載し連載を勝ち取り現在に至る…
私は彼の人生を美しいと思った!とても強く!!
逆境に負けず、社会人として自立し、家族を助けつつ自分の好きな漫画を連載する!
本当に憧れたし尊敬した
彼のように強く美しく生きたいと思った
彼の読み切り漫画が好きだし彼のトークが好きだし彼の生き方が好きだ
私がピエール手塚さんをネットで耳にするとき、大抵は作品ではなく彼自身のライフスタイルが話題になっている。
通勤退勤電車でiPadで漫画制作、友達とカラオケしながらiPadで漫画制作、会社役員昇進、少し前は連載も2本で読み切りもちょくちょく載せていた。
凄まじい生産力。
どうすれば彼みたいになれるのか?ヒントはないか?ネットラジオを聞いただけでは全てはわからない
そしてついに直接的なインタビューが行われ、記事が掲載された。
これをきっかけに彼の元には少なくない批判が寄せられたことがネットラジオで彼自身から語られた
ラジオにおけるピエール手塚さんの反論と、私自身がネットで探した彼に対する批判を要約すると以下。
批判者「彼のパフォーマンスは彼が体力があるから可能なのだ。管理能力云々はその次。しかも本当に体力があるかも疑問。健康を犠牲にした愚かなスタイルなのでは?(以下人格攻撃するものも少数ながらいた)」
ピエールさん「私は善意でインタビューに応じたのだし、仮に不健康だったとして私の勝手である。だが健康診断は良好だ。あなた方の批判は主に口調が失礼だ。」
この時の収録でピエール手塚さんはかなり感情的になっていたが言っていることはまともだと思った。
彼は一時的に不調に陥っているのかもしれない。
……
人格批判は不快だろうけど、普段冷静で多角的な視野を持つ彼がここまで怒っていることを私はとても不思議に思った
こういうふうに捉えられる記事内容だったかもねと軽くあしらうのが、私が思うピエール手塚。
一方ピエール手塚さんはラジオパーソナリティから自ら降りてしまった!!
私は8月8日のインタビュー記事の批判を皮切りに彼が怒っていたのだろうと思っていたがそうではないようだ
これを裏付けるトークが2024年7月19日のラジオ第371回で行われていた
ファンからの投稿を読み上げ、それに対しピエールさん含む三人のパーソナリティが話を展開するのがこのラジオの基本形式
この回の私の注目した投稿の内容を要約すると
「ピエール手塚さんは2024年初頭から元気がないようである。加えてここしばらく自身のブログに対する批判に怒っており、このネットラジオでその怒りを発散するのはやめてほしい」
この指摘を受けたパーソナリティたちは、自分たちの身に降りかかった出来事を振り返って笑っていた。
身に降りかかった、という表現をしていたので良いことではないのだろう
彼らは投稿者の洞察に驚きつつ笑っていた。大筋で疲弊していたことを認めていた
7月19日の時点で彼はすでにブログ上で批判を受けていたようだ。インタビューは8月8日なのに。
加えて異常な繁忙期だったとも言っていた。
つまりインタビュー記事以前に、忙しく弱っており泣きっつらに蜂でブログが批判に晒されていたということか。
2024年の傾向としては会社員としての気づきに関する記事が多かったので、繁忙期だというのは間違いないと思う
ブログへの批判はこちらからは見えないダイレクトメールなどで行われていたのかもしれない
さらに中止の発表から新規で2件の映画や漫画に対する普通の感想記事が投稿されていることもわかった
それまで会社員としての記事が多い中娯楽に関する感想記事に内容が移っている
うーん
元気なのか弱っているのかよくわからない
推理ゲームで彼の心の機微に触れようとした私の行動はそもそも良くないですね
客観的に確かなことは
②インタビューと関係なくブログが批判に晒されさらに疲弊していた
の4点
爆発も自発的にしたわけではなく投稿者のメッセージがきっかけだった
メッセージ自体はピエールさんを傷つける内容ではなかったが弱った体には少々厳しいトピックだったかもしれない
ブログを読むに彼は会社の過酷な労働環境を改善したいと普段から努力している側だが
しかし自分の生活は過酷であり、さらにその点が世間から評価されインタビューまで受けているのだ
その生活を生き抜く工夫はもはや工夫ではなく彼の作品だと私は思う
それを善意で公開して批判されたら傷つくのは自然なことなのかも
その手法が賞賛される社会に単純になって欲しくないと私は思う。
ピエールさんは個人の頑張りとして話しているのだから強制なんてしてないけど
褒めるな止めろということだが、そんなことしたから本人は鬱陶しがってるわけだ
ラジオの共演者たちも彼の疲弊には気づけていても、彼の怒りには気づいていなかったのだと思う
メッセージを選ぶ立場のパーソナリティは爆発回のアーカイブでこう言っていた
「手塚さんがこんなに傷ついているなんて知らなかった」
身近にいても気づけないのはピエール手塚さんが自分の不機嫌をある程度隠せる我慢強さを持っていたからだろう
私もラジオを聞き返してここまで真剣に怒っているとは最後の爆発回まで気づけなかった
他の過去回を遡ると、忙しすぎてやばいので会社をさっさと辞めろと言われている回もある
これは半分冗談のように聞こえたが半分本気で心配していることでもある
批判者から見ても共演者から見ても無理のある生活を続けているように見えるのだろう
私も無理だろうなと思う
健康診断が大丈夫なら肉体は大丈夫なんだろうが、精神面での無理が爆発を招いたのだろうか
以上の結論は
ピエール手塚さんのように強くなれない脆弱な私が、ピエール手塚さんの強さを封じ込めようとした呪いだと思う
その側面は間違いなくある!
ファンを自認している私ですらこれだ!
認めたくない汚い部分!
認めたくはないが、彼のスタイルがもしスタンダードになった場合、私は間違いなく社会から落第する体力しかない…
彼は強く私は弱い
出る杭は打たれる
私と批判者の間にある違いは、杭を打つ力を心配と呼ぶか批判と呼ぶかだけだ
彼は強さの秘訣を弱者に開示しようと努めてインタビューに応じてくれたのだろう
でも弱者のいる後ろを振り返らずに高いところまで走って逃げるべきかも
その力も強さも持ち合わせているように思う
でもきっとなれないと自分でわかってる
その弱い自分に自覚的になりつつ、強い人へのやっかみをしないようにしたい
かっこわる
おわり
https://x.com/gkmas_official/status/1829100247441912029
今回の学園アイドルマスターの温泉用水着実装について結構な数の女性プレイヤーからのお気持ちが目について
「学マス女性に人気なんだなあ」という気持ちと「学マスの運営の舵取り大変そうだなあ」という気持ちが綯い交ぜになってしまった。
というのも自分は女性向けゲーの運営に携わってた事があったから。
そこで思ったのが「女性向けゲームの運営はひたすらめんどくさい」という所を台風で暇になったので書きなぐっていこうと思う。
もう尋常じゃない。
ドンキで大量に物買った時のレシートみたいなメールがガンガン来る。
例えば◯◯という人物が✕✕という理由の為に味方にわざと怪我をさせました、という展開があるとする
ぶっちゃけこの程度の話そうした理由がちゃんとあってそれが納得できれば男性向けだと文句も来ない。
だけど女性が多いゲームだとこの「味方にわざと怪我をさせた」という行動自体に文句が集中する。
これははっきりと性差がある
一時期からメールの処理が煩雑になるという理由でシナリオチェックでこういった出来事はモブにやらせるという方向になった。
女性だろうと男性だろうと、未成年(18歳未満)にやらせる行動について異常なまでの繊細さを見せる人が多い。
そして不思議なのが殺人は何も言わない人が多いが窃盗や暴行には言及する人が多く、更には「未成年者が被害者になる」事例そのものに凄まじいまでのアレルギーを持ってる人が多い
この現象は2015年ぐらいから顕著に出始めた傾向で、そのせいで女性向けゲームに未成年キャラを出しづらい要因となっている。
これは二項にも通じるが作劇上の制限として制作側にかなり大きな重しとしてのしかかって、そしてここでしくると一項のメールが長くなる、という訳だ。
これは我々ゲーム運営から見ての話なので、一般的には反感を買うかもしれないがこれのせいでサ終したゲーム結構見てきたので書く。
はっきり言ってしまうとライブ収益やグッズなどの物販収入よりもアプリからの直の収入のほうが10倍ぐらい重要だからだ。
これは金額がどうであるというわけではなく、上の人への報告や広告費を上からもぎ取るための材料が必要な為だ。
アプリ収益を上回る収益をグッズやライブで叩き出せる作品なんていうのは例外中の例外で、なんでライブをやるか、アニメをやるか、グッズを出すか、というと
アプリの人気を出すために他ならない、アプリが存続するからこそライブがあるし、アニメもあるしグッズも出る。
当然、ライブが満員御礼になれば嬉しいしアニメになっても嬉しい、グッズが出てファンが身につけているのを見るのも嬉しい。
だけどそこで止まってしまってアプリに跳ね返ってこないとコンテンツはどうにもならない。
そしてその「どうにもならなくなった」アプリから死んでいく訳だ。
今の業界の流れとして、女性向けのアプリは今後リリース数がどんどん少なくなっていき、「男性主体だけど女性も狭いけど居場所があるよ」というゲームが主流になっていくと思う。
その要因の1つとして上記のような運営コストの高さもある、という事を少し頭の隅においておいてもらえると体を壊しながらなんとか運営してきた人間としては嬉しい。
当然女性向けやって良かった事もたくさんある(すっげえ凝ったファンレター貰った事とか、イベントにスタッフとして駆り出された時のマナーの良さとか)けど
色々終わって1人天井見上げてぼーっと考えた結果が「割に合わねえなあ」だったんだ。
村上隆が日本の現代美術は世界に通じないとかTwitterでイキってた頃に田中功起がヴェネチア・ビエンナーレで特別賞取って、
別にオタクアートとかの文脈じゃなくても日本の現代美術は世界に通じてるじゃん、てなったあたりから風向きが変わって
展覧会でスタッフへの指示書きがパワハラ剥き出しだったり、アニメ制作に失敗したり、会社が倒産しそうって言い出したあたりで地に落ちて、
お土産屋とのコラボとかはじめて経営も大変なんだなという目線になり
最近また何か目立ち始めたけど、もう過去の人だなあという印象。
結局、村上が主張する富裕層向けのアートの世界っていうのが、いつまで経っても日本からはそんなに影響力があるものとして見えてこない。
KAWSとかアーシャムとかそういうファッションブランドとコラボするような人たちの作品を指しているのかな?と思うけど、
日頃美術館に通って現代美術を見てる人には突然そんな展覧会をやられても文脈が理解できなくて価値がわからない。
そういう種類のアートもNFTとかで調子に乗った挙句最近はバブルが弾けて落ち目になったと聞く。
今、村上隆コラボのブランド物を身につけてるお金持ちっているのだろうか。
結局彼がなりたかったような現代アーティストとしても失敗してしまったんじゃないだろうか。
村上隆氏と左派論客の斎藤幸平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。
※以下敬称略
結論から言うとこの動画で村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。
1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。
一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。
ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆がYoutube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。
※斎藤幸平氏はマルキストなので拝金的に見える村上氏の行為があまり好きではない
現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆が斎藤・高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。
そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術のマーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式で確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。
村上隆の顧客はforbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人の想像もできないような西洋のお金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人の目線からの質問として、アートは大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。
ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的な現代美術ということになる。
これは別の動画(漫画家の山田玲司のチャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的な第一世代のオタクで宇宙戦艦ヤマトのファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明の作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。
つまり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念「アニメも漫画も日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。
だから、オタクカルチャーを世界に認めてもらう手段として、西洋のハイソサエティのコミュニティを顧客とし、自分の作品をその人たちに売るという行為につながる。
彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジックを理解すると容易に彼のアートや発言の意図がわかるようになる。つまり西洋のアート文脈を支配しているハイソサエティにオタク系の作品をアートであると認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客が勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。
またそれが彼の作品がオタクカルチャーの作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんとソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)
これはつまりドラえもんとソニックを混ぜて作った作品が美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんとソニックもアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画やゲーム作品もアートである"という事になる。
"世界のアートとはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人は資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言の意図も理解できる。
アートとはいったい何なのかというルールを決める場に日本人は存在しない。
だからその世界に入り込みその概念そのものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーをアートであると概念を変容させる。
アニメやゲームの制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタクを世界に拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタクを拡散することだ。
1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界に拡散し人気を得てきた。私もアニメや漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。
だから私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。
※追記
幸いいくつかブコメが付いたので補足する
昔からこの趣旨の発言はしてて、それをオタク文化の収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんとソニックを混ぜた作品をアート領域で認めさせてくれたからオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が
はっきり言うが、村上隆が文化盗用だと批判されたのはオタクの部族主義(トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆がオタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆のオタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。
これもクリティカルな部分で、では集団製作のアニメはアートではないのか?アシスタントを使っている漫画はアートではないのか?
というところにロジックがバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ
トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術をフランス革命でルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくまて大衆にアートを広めるのが目的であってハイソサエティのアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。
コミックとかを芸術にするのってロイ・リキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?
コミックは西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくまで漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものがアートとみなされるというのは当たり前だと思う。
ただ、村上隆の発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム(日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画やアニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題に言及したのは非常にわかりやすい。つまりはてなのリベラル左派と相性多分悪い。
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️
転スラ、マケイン、有名なアニメは略称がありがち。けど略称のないアニメもある。昔のは主人公の名前がアニメをそのまま指していたような(ハルヒ、シャナ)。最近は制作側が略称を考えて売り出してるのかな?
今でも存在するアドビのフォトショップとかと同世代に開発されたアプリケーションだ。
当時、どちらも画像制作のソフトとしては最高峰に位置するもので、
絵を描きたいならPainter。
みたいな棲み分けが出来ていた。
Painterの特徴は現実にある画材をシミュレートして実際の絵画制作の技法をそのままアプリケーション上で使うことを目指したということだ。
Painterのユニークさはそのソフトウェアそのものにあるのはもちろんだがそのパッケージも変わっていた。
当時のソフトはフロッピーディスクで配布されて、それぞれのPCにインストールするという形式だった。
通常は紙製の箱の中にフロッピーディスクをいれて販売されていたのだがPainterはどういうわけかペンキ缶のような金属製の丸い容器に入れて売られていた。
という主張だろう。
そういった遊び心が許されていた時代が懐かしい。
ものすごく語りたいけど、身近にスターウォーズファンがいないからここに書き捨てる。
前作のフォールンオーダーからやっていて、その時からファストトラベルがないのとちょっと操作性が悪いなって思ったくらいでストーリーとか戦闘仕様は満足していた。あともうちょっとやり込み要素があればいいなというくらい。今作はファストトラベルも追加されて操作性も改善されてて本当に夢中でやり続けてる。正直超面白い。私がスターウォーズファンだから少し贔屓目なのかもしれないけれど…。最近のスターウォーズの流れ、特にアコライトに辟易してたので(スピンオフ連発はファンとしてありがたいけど、正直あのペースで作り続けたら作品の魅力が薄れてしまうのではと思うし、深掘りせずある程度謎が残った方がいいのではと思うだけ。もちろんスピンオフをとても喜んでいるファンもいらっしゃると思うので、楽しむ方々がいる以上作り続けてるのはポジティブに考えたい)。
サバイバーの話に戻ると、バトルドロイドとかドロイデカとかクローンウォーズで出てきた敵が登場するのが本当に嬉しい。オーダー66の後とはいえジェダイとして分離主義側と戦ってるみたいで…。マップの自由度も高くなってていい。アスレチックも賛否分かれてるようだが、個人的には楽しい。難易度はゲーム慣れしてないとやや高めに感じるかもしれないが、私でも難易度ジェダイ・ナイトで今なんとかやっていけている。とにかくクローンウォーズの話とかがちょこちょこ出てくるのが嬉しい。そして制作側はとてもオリジナルをリスペクトしてるようにも感じる。登場人物はほとんどオリジナルキャラとはいえ、カル&BDもメリンもシアもグリーズもみんな好きだ。そういえばフォールンオーダーはベイダー卿とホロ映像でチラッとオビワンが出てたけど。パズルはなんかゼルダやってるみたいな感覚になったけど、もう楽しいからそれは全然オッケーという感じになっている。ガーデニングも楽しい。褒めすぎてステマみたいになっている。789は今でもうーん…みたいなところはあるけど、それでも自分なりに受け入れて好きになろうとした。ただその一方で新しい映画が出たら楽しめるかはわからないかな…。とはいえそれは私一人の好みってだけだし、789を好きな人が特別どうだとかは全く思わないが。
でも今まで出たスピンオフドラマシリーズや789よりもサバイバーはすごく楽しめている(映画のハンソロとかローグワンは大好きだけど)。ファン続けててよかったなと思った。マンダロリアンもよかったけど、やっぱりジェダイのストーリーが好きで…だからジオールドパブリックのMMOも海外の友人から勧められて最近なんとか英語を読み解きながらやってる。ゲーム関連でoutlawsも楽しみだ。そろそろか。