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はてなキーワード: 狩野派とは

2024-08-29

anond:20240829200154

腐っても芸大。上手く綺麗に描こうと思えば描けるはずだけど上手く綺麗に描く気がさらさらないんだろ

彼の絵がどこか癪に触るのは

からアホの人だけが絶賛して、便器芸術生態系が生じる

会田誠が割と許されるのはロリコンバカにする意図視線がなく、精魂込めて清らかさを表現しているからだと思う。

anond:20240829132621

集団制作狩野派もやってたか日本美術文脈にも乗ってるとどっかで語ってたな

2024-03-01

AI絵師ってAI狩野派とかAI琳派みたいなのが出てくるのかな

その中で優れた出力をするプロトコルが持ち上げられてシャロン・アップルみたいになるの

2022-12-06

追記イラスト描きが"絵師"とか自分で言ってるの恥ずかしくないのかな

プロにもなっていないような20歳前後のやつが"絵師"とか

狩野派大御所かよって思う。

昔はポンチ絵描きなんて言って謙遜してたのに。




追記

元々尊称として使われていなかった“歌い手”とかとは意味が違くて

優れた技巧、権威や人気を持った人間に贈られてきた呼び名を低く見て、自分達を持ち上げる道具として使っているのは醜悪だし、

日本美術界が築いてきた権威イメージ剽窃だと思うんだよな。

子供ごっこ遊びでやる事で、成人した人間世界に向けて自分が描いた物を発表する場でやる事ではないような。

2018-09-13

こういうのに名前つかないの?

田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本ゲームのために──【若ゲのいたり】

http://news.denfaminicogamer.jp/manga/180913

ゼビウスの人の記事なんだけど、「日本人のゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる。

こういう現代事象過去日本文化と結びつけて語るのってたまにあるけどなんか名前つかないの?

ヴィジュアル系ルーツ歌舞伎!」とか

萌え起源浮世絵!」とか

オタク江戸町人文化継承者!」みたいなさ。

あと「金田伊功狩野派継承している!」とかさ。

似ているってだけで因果関係がまるでないし、「日本人の遺伝子には……」とか言い出すと明らかにトンデモ

しかも言っている人には「すごい発見をした」みたいな興奮が感じられてうんざり

こういう疑似科学でもない、何ていうの? 疑似人文科学? にズバリ名前をつけてほしい。

「それ○○だよ」って言っておけば終わりみたいなの。

けっこう安易に「そうだったのかー!」と受け入れる人いるのが怖いのよ。

いやいや、似ているだけだから、っていう。「英語Road道路起源でつまり日本語と英語は同祖」って言っているのと変わんないから。

どうにかしてくれ。

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170526131052

例えば、ある有名な寺社を拝観して、そこに狩野派障壁画があったとして、

自分が「ああ、狩野派かあ。道理で背景キンキラキンやねえ」とつぶやくと「狩野派って?」って聞かれる。

例えば、ある有名な城郭を拝観して、そこで石垣を見て自分が「これって野面積みかな?」とつぶやくと、「野面積みって?」って聞かれる。

それに対していちいち説明するのが、面倒くさいし、いろいろとなんか辛い。

めっちゃ分かる。自分が詳しいフィールドからと言って、いちいち他人に逐一説明せなあかんのは面倒。

もちろん自分知識披露することが楽しいとか自分優越感に浸れるとかで、メリットを感じられる人なら苦に思わないんだろうけど。

前に友人たちが「自分趣味に興味が無いのに甲斐甲斐しくついてきてくれるとかすごく嬉しい」とか言ってるのを見てとんでもなくゾッとした。そんな相手と一緒にいたら自分の「楽しい趣味時間」が一瞬で崩壊しそう…

いや、まあそんなこと言ってるから童貞アラサーなんですがね。

2017-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20170526131052

「ああ、狩野派かあ」

「これって野面積みかな?」

隣に連れがいる状況でこの独り言

キモオタ丸出しすぎる

夫と国内旅行するのが辛い

国内旅行した時、夫が見聞したもの自分の呟きについていちいち訊いてくるのが、なんか辛い。


例えば、ある有名な寺社を拝観して、そこに狩野派障壁画があったとして、

自分が「ああ、狩野派かあ。道理で背景キンキラキンやねえ」とつぶやくと「狩野派って?」って聞かれる。

例えば、ある有名な城郭を拝観して、そこで石垣を見て自分が「これって野面積みかな?」とつぶやくと、「野面積みって?」って聞かれる。

それに対していちいち説明するのが、面倒くさいし、いろいろとなんか辛い。


自分の友人とならば、こういう会話にならない。

狩野派からね」「芳崖は違うんじゃない?」とか。

穴太衆の仕事かな」「あのうしゅうは読めない(笑)」とか。

旅での体験に対して、一方通行でない、対話が楽しめる。知識交流がある。

それが夫とはないのが辛い。

夫との国内旅行がなんか辛くてすごく疲れてあんまり楽しくなくて。

それがなんでなんだろうと思って、上のことに気づいた。

友達との旅行が一番楽しいのは、こういうのもあるのかなと思った。


でも夫はとても楽しいみたいで、色々自分に訊くのもただの素直な知識からで、悪気はない。

悪気が無いのはわかってるけど、「訊くだけじゃなくて自分で調べる」ってことはしない。

でも、「ちょっと自分で調べて」とか「わたしあなた先生じゃない」とか、言えるわけもない。

自分大学国史やってて、一般の人よりは歴史に詳しいのもあるのだし。

教えるのが楽しいって人もいるんだろうし。

夫が普通なだってわかってる。わかってるけど辛い。


でも、旅先でなんか見て、それに対して、

「青はいい…」「いい」

「さすがは緑…」「うむ」

みたいな、そういう会話で盛り上がりたいんだよお。

そこで「青って何?」とか聞かれるの、ぶっちゃけ、興ざめなんだよー。


ああそう、興ざめ、それなんだ。

それで夫と国内旅行するのが気が乗らないんだ。

海外だと、どっちも同じだけ知識がないのでそういうことにならない)


なんで歴ヲタ結婚しなかったんだよって言われそうだけど、

それ以外の点では何も不満はないし、この問題だって別に夫は悪くない。

私が教えるのが好きな人間なら何も問題じゃない。

ああ、そんな理由国内旅行を避けててごめん、夫。

でも、正直、自分にも夫にも嫌気がさしてしまうんだ。

心が狭くて、本当にごめん。

どうすればこの状況を楽しめるのかな。

2016-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20160218193125

デッサン(形取りの練習)の講評で「デッサンが狂ってる」と言わないのは当たり前(ややこしいから)。教育現場ではない美術評論の場などで完成図としての油絵日本画に「デッサンがしっかりしてる/おかしい」なんてことばは普通に使う。この場合の「デッサン」は油彩や水彩という「画法」の技術と形取りの問題を切り分けるために使われている。

そもそも「デッサン」ということばが日本語に取り入れられた経緯からして、洋画リアリティコンプレックスを持った日本画家が「洋画に負けないデッサンを」とか何とか言って、もともとの狩野派みたいな「日本絵画から、今あるような西洋の「デッサン」に和の画材を合わせた「日本画」を新しくつくり上げた運動に由来する。

日本美術界において「デッサン」は、もともとが不正確な印象論のことばとして、「西洋画のリアリティ」に対するコンプレックスとともに使われて来たことばである

学生風情が教室で使われることばくらいの知識で知った風なことを言うなw

 
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