はてなキーワード: 立大とは
https://anond.hatelabo.jp/20171220223819
元増田の話とは少し違うんだけど、
自分は100点を取ったときだけ褒められて、98点だと怒られる、みたいな環境にいた。
褒められるには努力して、完璧にする必要があるんだと思ったまま成長してきた。
中高ではとある私立で授業料全学免除をずっともらえる程度には頑張っていた。
大学でも都内の某国立大学に入ったが、そこでも考えはあまり変わらなかった。
努力して、100点を取ってこそ、その先に報奨があるのだと思っていた。
そして、そのまま社会人になった。
すると、70点ぐらいを取っただけでも褒められるような環境に置かれてしまった。
環境としてはかなり良いはずで、最初の1~2年はこれまで通り頑張れていたんだけど、だんだん自分の中で「これでいいんだ」という認識が生まれるようになってしまった。
そしたらズルズルと、サボりがちになり、だんだん努力するのが馬鹿らしくなっていった。
何のために自分は頑張っているんだ、とか考えるようになり、結果として軽い鬱になった。
自分の中にある完璧主義のようなものが問題であるということは分かっているので、そういった部分を見つめ直そうと思い、現在は休職中である。
その折にこのエントリを見かけたので書かせていただいた。
自分のその完璧主義らしき何かが環境によって育ったものであるというのは間違いないと思う。
環境を責めるつもりはも無い。少なくとも真っ当には育ったので。
モンゴル国立大学>>>>>はごろもフーズ大学>>>>>日本体育大学>>>>>>>>>>東大
はごろもフーズ大学はそもそも卒業と共に本社勤務が確定するはごろもフーズの大規模研修施設という位置づけだという点では
この序列に入れるのは間違いとする考えもあるが、
リア充爆発が多発し教授の巻き添え死亡が今年だけで125人という報告がある。
影分身で対応すればいい話なのだが、東大教員の忍術資格を持つ人数は全体の30%にも満たず
その8割が下忍であるという東大の教授のレベルの低さが浮き彫りになっている。
2017年、オハイオ州立大学の研究者が、世代の差を考慮した調査を行いました。1955〜1984年のあいだに生まれた既婚者12,373人を対象に、全員の健康レベルにどのような違いがあるかをチェックしたのです。
そこでわかったのは、以下のような事実でした。
どうやら、古い世代の人間は伴侶を見つければ健康になれるのに、若い世代になればなるほど、なぜか結婚のメリットを得られないようなです。なんとも不思議な現象ですね。
「仕事と家庭のバランスは、20世紀に入ってから数十年で大きく変化してきた。この期間で、結婚した男女が一緒に過ごす時間は一貫して減り続けている。家庭と仕事に費やさねばいけない時間が増えるいっぽうで、夫婦がともに過ごす時間はなくなった。いまのカップルにとって結婚は人生のライフガードではなく、ストレスとケンカの原因なのだ」
ワークライフバランスの変化により、現代では夫婦の関係が大幅に変化しました。そのせいで、いまの結婚はかつてのように憩いの場ではなくなり、たんに暮らしのストレス源に変わってしまった、という仮説です。
確かに近年では、多くのデータで結婚のオワコン化が指摘されるケースが増えています。代表的なのは2015年にマサチューセッツ大学が行った研究で、アメリカの国民統計を使って全米の独身と既婚者の人間関係を調べたところ、おもしろい結論が得られました。
・実は独身者のほうが、肉親や友人とコミュニケーションが多く幸福度も高い
・既婚者のほうが孤独なケースも意外なほど多い
結婚のせいで友だちとの付き合いが減ってしまい、逆に対人コミュニケーションの量が減ってしまう傾向が見て取れます。結婚や恋愛の意義が昔よりも薄れた現代では、異性のパートナーを作るよりも、普通に周囲と良い人間関係を築くほうが幸せになれるようです。
私は26歳の専門商社勤務事務職で、彼は32歳の食品メーカー勤務研究職。
学生時代に付き合っていた彼氏がIT業界に入ってイケイケになってしまい、
次第に生活サイクルも金銭感覚も合わなくなっていって、他の女の影も見えてきて、
同棲を解消して、そのうち自然消滅することになったのが、一昨年のこと。
それなりに長く付き合っていたのでそれなりに悲しかったけれど、未練を消し去る目的もかねて、
昨年は、合コン・婚活パーティー・出会い系アプリと、あらゆる「出会い」の手段に手を出した。
そうして付き合うことになったのが、合コンで出会った、32歳の今の彼氏。
某国立大学理系を大学院まで修了した高学歴高収入のエリートで、
見た目も穏やか、身だしなみもととのった男性だ。
本当にひいきめだけど、笑うと高橋一生に似てなくもないと思う。
理系だけど、自分の専門分野周辺にしか興味がないというわけでもなく、
映画や本もよく読むし、オタクネタはもちろんのこと、女性向けコンテンツにもかなり造詣が深い。
以前同棲していた彼氏には「ホモ読んでるやつってキモいよな〜」と言われたことがあり、
自分のBL蔵書の存在を完全に隠していたのだけれど、今の彼氏にはざっくばらんに、
そもそも仲良くなったのも、私が昔めちゃくちゃハマっていた某BLゲームのアニメ版OP
(谷山紀章さんが歌ってるやつ)を、彼が二次会のカラオケで熱唱したのがきっかけだった。
全然うまくなかったけど、ああこの人とはもっと仲良くなりたいな、と思ったのだ。
それは、彼が極度の「姉萌え」で、セックスの最中、私のことをずっと「お姉ちゃん」と呼ぶことだ。
彼が、オタクの中でも姉に萌える人種だというのは、交際前からちょいちょい聞いていた。
本人がそのことに気づいたのは、高校〜大学時代にエロゲーにハマったときのこと。
とくに「姉、ちゃんとしようよっ!」には大きな影響を受けたという。
とはいえ、これまでに交際してきた女性も別に歳上というわけではなく、
歳下でも好きになることはなるし、別に「お姉ちゃん」以外ともセックスはできるらしいのだが、
「姉としている」と思っているほうが、はるかに興奮できるのだそうだ。
私もそれなりにオタクなので、イメージプレイやコスチュームプレイは嫌いではない。
同棲していた彼氏も、腐女子はキモいというタイプだったが、コスプレはまんざらでもない人間だったので、
なので、「少しでも気持ちよくなってもらえるなら……」と「お姉ちゃん呼び」をOKしたのだが、
OKしたらそれ以降のセックスが、100パーセント「お姉ちゃん」セックスになってしまったのだ。
彼が楽しんでくれると私もうれしいし、オタクな性質なので「なりきり」っぽくて、
私も楽しくないわけではない。彼氏としても、四六時中私を「お姉ちゃん」として扱って何かそれらしい
振る舞いを要求してくるというタイプではなく、最初は普通の関係で始めても、いたしているときに感極まって
「お姉ちゃん」と呼んでしまうパターンが多く、決して故意でもない。
しかし・・・、こちらは別に「弟萌え」ではないので、ふとした瞬間に
「いや、この人、私より6歳歳上なんだよな」と、冷静な自分がツッコミを入れてしまうのである。
そのことを彼氏に打ち明けると、さすがにかわいそうで、今のところ言えずにいる。
彼氏のことは大好きだ。
できるだけ「姉」っぽい落ち着きや雰囲気を出せるといいなと思って、
服やコスメのブランドを変えたり、「お姉ちゃん」らしくなる努力もしている。
私だって、本当はもっとちゃんと彼の「お姉ちゃん」になりたい。
でも、この人がこんなにも「お姉ちゃん」が好きなのだとしたら、
いつか本当に彼より歳上の素敵な女性が現れたら、私なんて見向きもされずに
そっちについていって、彼女を「お姉ちゃん」と呼んで、私では与えてあげられなかった
世に「姉」好きがどれくらいいるのか知らないんだけど、
同じ悩みの人っているのかな・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20170613181216
「あのー私どもは、特区ーで、判断する場合に、その自治体からですね(咳払い)、そういう提案があって、その中身について判断して、最終的には事業者は公募で決まっていくわけであります。そのなかで、今治市から、そういう、必要な教員を確保しているというふうに聞いているわけでありまして、その点も含めてですね、その点も含めて、早期実現性があると判断したわけであります。」
「ほんとむちゃくちゃな答弁なんですけどね、じゃあ今治市が確保しているって説明したって言うんなら、一体どこで説明したんですか。私が見てるヒアリングではないですよ(レジュメには書いてあるけど議論はされてない)。確保しているっていう説明は。じゃあ確保しているっていう説明は何回もされていた協議の中で出てきたとしましょうや。それだったらね、どの事業者が確保してるんですかって聞くのが普通なんじゃないですか。違うんですか。」
「確保しているというのは、先ほど申しましたとおり、ワーキンググループに対する資料できちっと出ております。えーそれからワーキンググループ等の議論、えー議論等については、あーそれはあのー(オホン)、それぞれの専門家が(エホン)議論していただいているところでありまして、えー議事要旨等で明らかになっていると思います」(ワーキンググループはろくに議論してないんだって)
「じゃあその説明は、今治市が確保したということでよろしいんですか。」
「ありえないですよね。ありえないですよ。公立大学作る計画だったんですか。今治市が確保しているってありえないでしょ。」
「わたくしどもは、そういう提案を、その実際に聞くのは自治体から、そういう提案を聞いてくるのでありまして、その自治体がそういうふうに確保しているといっているわけであります。」
「そんなのでどうして実現性があるとわかるんですか。おかしいでしょう?今治市が、市立大学の教員を確保してるんですかそれじゃあ。そういう説明があったの?担当者どうなの?藤原審議官どうなの?」
「あの大臣が答弁されたとおりでして、私ども今治市を一義的にヒアリングしておりまして、今治市が事業者候補の方々とさまざまなご議論をされて、今治市の責任で、ご説明あるいは、資料を作られたと考えております。」
「じゃあ早期実現性があるということで、その事業者候補がどこで、どういう教員を確保するのかということを、聞いていたと、藤原さん、そういうことでいいんですね。」
藤原(こんな「加計ありきではない」から始まってる撤退戦をなぜ反対していたこの人がやらんといかんのだろうね)
「その段階で、どちらの事業者ということは当然、その法的なプロセスはございませんけども、今治市のほうで、さまざまな議論を、さまざまな事業者とされていたということだと思います」
「これもね。破綻してます。こんなので早期実現性なんていったら馬鹿にされますよ!一方は京都産業大学が、事業者としてわかっている、どういう教員が確保されるかわかっている、にもかかわらず早期実現性は今治市がある。どういう判断してるんだって言うことになりますよ。これとんでもないことになってますよほんとに。もう一問聞きたいんですが、あの私これ、つまりね、これ平成30年開学をゴールとして、加計学園ありきで、具体的な構想を今治市と何度も協議していた、その情報が内閣府の中でごちゃまぜになっちゃって、大臣の答弁作るときにね、思わず教員の確保まで書いちゃったんじゃないかと思わざるを得ないんですよ。何度も協議していた、本来1月4日以降、事業者公募してからしかわかりようの無いはずの、教員の確保を、早期実現性の根拠に挙げるような答弁書を、内閣府が作ったっていうこと、それ以外説明つかないと思うんですけど、加計学園ありきで協議して立ってことでしょ。そうでなきゃ説明つかないですよ。」
「これはあのーえーっとですね、今治市のワーキンググループのヒアリングをごらん頂くと、今治市から聞いているわけです。その中で、配布資料、添付されている資料の中で、必要な教員72名とはっきり書いてあるわけでして、我々は今治市からですね、ヒアリングをうけ、あのヒアリングをさせていただいたときに、今治市として、あの責任を持って出して、出していただいている、資料を私どもは受け取っているということであります。」
田村(笑いがこらえられない)
「あのーこれ、今治市は確保できないんです!何度も言いますけど、当たり前のことですけども、そんなので早期実現性を判断したと、ありえない答弁だと、虚偽の答弁をしているといわざるを得ません。(以下山本大臣と加計孝太郎氏の関係について)」
これ加計学園は公募するまで決まってないよ、っていいながら、加計学園の出してる情報を基に実現性を判断したっていっているって言う話ね。っていうか諮問会議に提出されてる資料の濃度が違いすぎるんだよね。
これ今治市の大学設置にかかる経済波及効果とかもこの週末読んでみたんだけど、出してるのはいよぎん地域経済研究センターっていう伊予銀行の子会社なんですけどね。
http://www.city.imabari.ehime.jp/kikaku/kokkasenryaku_tokku/siryo01.pdf?1
まず算出根拠が愛媛県の産業連関表なんだけど、一番波及効果が大きいとされている237億円の施設整備効果(それ以外の運営効果は22億円)を受注してるの岡山のアイサワ工業と大本組でしょ?もうその時点で愛媛県の産業連関表使ってるの意味不明だし、就業誘発者数とか直接効果は岡山にいくわけでしょ。今治の悲願なんだーとかいってるけど、結局バブル期に整備しちゃった高等教育用地にとにかく何でもいいから来てもらって、開発公社の赤字を市に転化したいっていう目論見なんだと思うと泣けてくるぐらい今治市民バカにされてるでしょ。いよぎんの取締役には、岡山理科大の学長、前愛媛大学学長の柳沢康信さんがいるし、アイサワ工業の親戚の逢沢一郎議員は、加計学園からの不正献金問題で揉めた過去もあるし、もうどこ見ても関係者だらけで笑えてくるんだけど。
気の向くままに書きなぐる。
3回生の時は、こだわりがなかったからいろんな業界の1dayインターンと都市銀行のインターンは行った。
かといって全部の業界片っ端からエントリーしたくても体が足りないから結局20社程度に本エントリーした。
全部名の知れた企業に。メーカー、デベロッパー、銀行、鉄道、電力、、、
全部それっぽく志望動機は準備できた。大した経験してないけど、テンプレっぽい自己PRもできた。
MARCH関関同立ぐらいの学歴もあるからどっか引っかかると思ってた。
最終面接に行けたのは1社だけ。受けてから3日たって連絡がないからおそらくダメだろう。
今日の個人面接も面接官への見当違いな返答をしたから駄目だろう。
インターンに行った銀行も面談が終わってから1週間たって連絡がないからだめだろう。
今から何をすればいいんだろう。
どうすれば内定がもらえるのだろう。
しんどい。
http://anond.hatelabo.jp/20170208052253
自分が鈍感なだけかもしれないけれど。道をすれ違うと気さくに話しかけられることが多かったのが印象的だった。率先して話しかけるのは相手に危害を加える意思がないことを示すためらしい。
自分が住んでいた地域はほとんどが白人で、黒人は1割もいなかった。全米的に都市部の方が黒人が多く、それはオハイオ州でも変わらない。元増田はやや黒人の割合が多く比較的貧困な場所っぽく、かつて工業で栄えたが衰退した都市なんだろう。
マーケットや飲食店の厨房にはヒスパニックが多い。これもアメリカ全体の傾向に思う。チャイニーズレストランなのにホセっぽい奴がコックだったこともある。西海岸ではないのでアジア人は超マイナーな存在。
店員の態度はスーパーでもファストフードやレストランでも普通だった。むしろ親切な人が多かった。ただしスーパーだとウォールマートは店員も客層もちょっと質が落ちる。ウォルマートではお子様に珍しいもの見えるような目で見られたことはある。実際にアジア人はマイナーだから珍しいものなんだけど。
レストランは白人しかいなかった。アジア人の自分とかマイナーな存在なのに店員は地元民相手のように接してくる。こちらがアメリカの勝手を知らないのでむしろ困ることの方が多かったが、聞けば丁寧に教えてくれた。
歩いている警官を見るのはイベントの時の交通整理くらいだったから元増田の感覚がよく分からない。警官は交通違反を取り締まっているパトカーに乗っていることがほとんど。フリーウェイを走ると頻繁にスピード違反で捕まってる人がいたもんだ。何度か警官のお世話になったけども(違反はしてない)態度が悪いということはなかった。むしろ日本の方が言葉が分かるだけに横柄に感じられるかもしれん。
当然、歩いてるだけで誰かに切れられることもないし、殴られたこともない。どちらかというと日本に悪いイメージを持ってる人はあまりいなかった。家具などを個人売買したことがあるが日本に興味を持っている人が多く日本のことを良く聞かれた。「チャイニーズじゃないよね?」と聞かれることはたまにあり、 中国人はやや煙たがられているかなぁという感じはあった。ジャップとチャイニーズの違いがなんとなくつくらしい。特に男性は髪型や服装などのファッションが違うから分かりやすいかもしれない。女性は日本人っぽい化粧や服装のため難しいものの、大体黒髪ロングなので区別がついた。
自分が住んでいた地域は、全体的に教育が行き届いている感じもあったし、住み良い場所だったんだろう。
折角だから、日本人にはあまり馴染みの無いオハイオ州を紹介したい。
ドラマのグリーや映画のパラサイトはオハイオ州が舞台。田舎ではないが都会でもなく垢抜けてはいない平均的なアメリカと考えて間違いないと思う。
オハイオ州はアメリカでも大統領選挙以外ではあまり着目されない。オハイオ州を征したものが大統領になると言われ、今回もトランプ氏が勝利している。全米の動向と同じく都市部ではヒラリーの方が優勢だった。
オハイオと聞いてもイメージが湧かないだろうが、日本人が知るオハイオ州出身の有名人はそれなりにいる。ライト兄弟や人類初の月面歩行者となったニール・アームストロング、発明王のエジソンもそうだ。かのジョン・ロックフェラーはオハイオ州出身ではないけども、最初に財をなしたのはクリーブランドで墓地もそこにある。
大きな都市としては州都のコロンバス、P&Gの本社のあるシンシナティ、インディアンズの本拠地でかつて石油業で栄えたクリーブランド、かつて鋼鉄業で栄えたヤングスタウン、グッドイヤーがあるアクロンなど。コロンバスの近くにはホンダの工場がある。そのためか、日本の運転免許を持っていると目の検査だけでオハイオ州の免許を発行してくれる。
ベルト地帯であるクリーブランドやヤングスタウンは自動車産業の低迷により都市が衰退し貧困層が多く治安はあまり良くない。最近はクリーブランドは医療、ヤングスタウンは3Dプリンターで再生を図っており軌道には乗っているらしい。
詳しい経緯はよく知らないが、なぜかアメフトの殿堂がオハイオ州のカントンという街にある。アメフトに関してはオハイオ州立大学(OSU)が名門で地元のコロンバスにはNFLチームがないこともあり、非常に人気が高い。そのためかOSUのTシャツやトレーナーを着た人が多い。
オハイオ州で訪れるべき場所はそんなにはないが、もし機会があるならばデイトンにあるアメリカ空軍の航空博物館は航空機を見るならば随一だと思う。また、ショーシャンクの空のロケに使われたマンスフィール少年院跡もおすすめだ。
追記:クリーブランドのロックの殿堂を忘れていた。ロックンロールって言葉はクリーブランドのラジオ局発らしい。プレロックから、所謂アメリカの音楽史をまとめた博物館でもある。ロック好きな人はもちろん、そうで無い人も、聞いたことのあるミュージシャンのステージ衣装を見つけることができるので楽しめるはず。
「何故学ぶことが必要なのか」具体的な作用を挙げて語っている。
日本はまだまだ、必要論者であれ不要論者であれ認識の根本が呑気な人が多いね。
切実になった頃には、もう何もかも遅いかも知れない。
J・D・ヴァンス
https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class/transcript?language=ja
0:11
初めて洒落たレストランに 行った時の事をよく覚えています 高級なレストランでした 法律事務所が主催した 面接ディナーでした ウエイトレスが食事前に歩き回り ワインが欲しいかと聞いてきたので 「もちろん」と答えました 「白ワインを少し」 と
0:25
すると彼女は即座に言いました 「ソーヴィニヨン・ブランと シャルドネが ございます」
0:30
その途端頭によぎった事が 「かっこつけたフランス語できどるなよ とにかく白ワインをくれ」 それでも推理力を働かせ シャルドネとソーヴィニヨン・ブランは 白ワインの2つの種類だとひらめき 「シャルドネをください」と答えました その方が僕にとって発音しやすかった それだけが理由でした
0:50
僕がエール大学ロースクールに通った 最初の数年は たくさんこういう経験しました 見た目はみんなと同じでも 文化的には よそ者でしたから 僕はエリート層の出身ではありません 東海岸の北東部や サンフランシスコ出身ではなく 故郷はオハイオ州南部の鉄鋼業の町 様々な社会問題に喘いでいる場所です アメリカの労働階級が抱えた問題を 体現している場所です ヘロインが浸透し 僕の知り合いも含め たくさんの命を奪っています 家族間のもめごと 家庭内暴力 離婚により家族が引き裂かれています 社会にも悲観的なムードが 浸透しています このような地域で 死亡率が上昇している事を考え この状況で暮らす 人々の多くにとって 目の前の問題こそが 地域の死亡率を押し上げる 直接の原因だという事を理解すれば 問題は身に迫ったものに感じられます
1:42
僕はそんな葛藤を 目撃しながら育ちました 僕の家族は長年その苦労と 共に生きてきました 僕の家庭は豊かではありません コミュニティーを汚染した中毒は 僕のファミリーも汚染し 悲しい事に 母も犠牲者の一人です 家庭内では たくさんの問題に 直面しましたが その原因は ある時はお金がないこと ある時は 人材や物資や 人間関係に基づく支援が得られないことで 僕の生活にも 大きな影響を与えました
2:15
もし14歳の僕の生きざまを見て 「この子は将来どうなるだろう」と 考えたとしたら 学者が「社会的地位の上昇」と 呼ぶ面で苦労するという 結論に達したことでしょう 社会的地位の上昇は 抽象的な用語ですが 「アメリカン・ドリーム」の核心に 大きな影響力を持っています 社会的地位の上昇とは 意識であり 僕のように貧しい境遇で 育った子どもが そこから抜け出し もっといい生活ができるのか 今よりも経済的に豊かな生活が 可能になるか それとも今までと同じ状況に 止まるかを判断できるのです 残念ながら 立証されているのは この国における上昇移動は 期待するほどは進んでおらず 興味深いことに 地域によって ばらつきがあります ユタ州を例にとりましょう ユタ州の貧しい子供は 実はそんなにひどい境遇ではないのです アメリカン・ドリームをそれなりに 享受できる可能性が非常に高いのです ところが僕が育った地域 南部や アパラチア地方や オハイオ州南部では 貧困から抜け出す可能性は少ないのです これらの地域でのアメリカンドリームは 事実上 夢に過ぎないのです
3:26
何が原因でそうなるのでしょう? まず考えられるのが経済 あるいは構造的な原因です これらの地域を思い浮かべてください 石炭や鉄鋼業といった産業を 取り巻く景気動向は最悪で 人々が向上するのを難しくしています それが一つの原因なのは確かです また頭脳の流出も問題で 優秀な人々は 高度な技術を要する仕事がないため 地元から離れていきます 地元にビジネスやNPOを 作るのではなく 別の場所へと去っていき 結果的に才能が流出します このような地域では破綻した学校も多く 子供たちへの教育的支援ができず 将来チャンスを手にすることを 妨げています これらの要素は どれも重要です こういう構造的障壁を 軽視する気はありません ただ自分の生い立ちや 育った環境をふり返ると 別のことがおきていて それも重要だったのです その影響を測るのは難しい事ですが 同じぐらい現実的な問題でした
4:19
まず最初に言えるのが 計り知れない失望感が 僕のコミュニティーに漂っていた事 子供達は自分の選択は 無意味だと思い込み 何が起きても どんなに一生懸命努力して 向上する意欲をもっていようと 良い結果には ならないという絶望感です 子供が育つには厳しい環境です そんな思い込みを切り替えるのは 非常に困難で 思い込みは時に 疑いの原因になります 例えば いま盛んに議論されている 政治問題である 「積極的差別是正措置」です 差別是正措置は 政治的な見解によって 仕事場や教室の多様性を促す 賢明な方法かどうか 評価が分かれます このような地域で育つと 差別是正措置は そこに住む人々を 抑え込むものだと考えがちです 労働階級の白人だと 特にそうです この措置は単に政策の良し悪しの 問題ではなく 自分の足を引っ張るために 政治力や資金力を持つ人々が企てた 陰謀だと考えるのです 差別是正措置に対する いろいろな陰謀論が 現実であれ妄想であれ存在し その結果 将来への希望は 歪んでしまいます
5:30
そんな世界で育って どうしたらよいか考えた場合 答えは2つになりそうです 1つ目は「一生懸命 勉強するのはやめよう どんなにがんばっても結果は同じだから」 もう1つの答え方は 「一般的な成功の基準を 求めるのは止めよう 例えば大学の教育や一流な職業 等 そんな基準を気にするのは 自分とは違う境遇の人間だし どうせ彼らには 受け入れられないから」 僕がエール大学に合格した時も 家族に聞かれました 「入学審査委員会に通るために リベラルのふりをしたのか?」 これは本当の話です もちろん大学の願書には リベラルが付けるチェック欄など ありませんでしたが これは こういった地域で 様々な社会障壁を通過するために 自分を偽る必要があるのではという 極めて現実味のある 不安感を表しています これは重要な問題です
6:16
たとえ悲壮感に落ち込まずに 例えば 自分の選択には意味があり 適切な選択をしたいと願い 家族と自分のために 向上したいと思ったとしても 僕が育ったような環境では そもそも どんな選択肢があるのか わからない場合があるのです 例えば僕は弁護士になるには ロースクールに行く必要があることすら 知りませんでした 調査で明らかになっているように エリート大学は低所得層の子供にとって 割安だということも知りませんでした なぜなら有名校には より多くの寄付金が集まり より多額の学資援助が可能だからです 僕自身この事を知ったのが エール大学から資金援助の案内が届き 数万ドルの「所得に応じた援助」と 書いてあった時でした そんな表現さえ 初めて知りましたが その手紙を手にしながら 叔母に言いました 「これって 生まれて初めて 貧乏なおかげで すごく得したってことだね」
7:06
僕が その情報を 手に入れられなかったのは 僕を取り巻く社会的ネットワークが その情報を得られなかったからです 僕はコミュニティーから銃を撃つこと それも上手に撃つことを学びました すごく美味しいビスケットの 作り方も学びました ちなみに 秘訣は常温でなく 凍ったバターを使うことです しかし 社会で成功する方法は 教えてもらえませんでした 教育や将来の可能性に関する 適切な判断 すなわち この21世紀における知識経済の中で チャンスをつかむのに必要な事は 習いませんでした 経済学者は 私的な人間関係 つまり友人や同僚や家族から 我々が得る価値を 「ソーシャルキャピタル」と呼びます 僕のソーシャルキャピタルは 21世紀のアメリカ社会では 通用しないことは明らかでした
7:49
もう一つ とても重要な要素があります 今も続いていて 地域ではタブーとされていますが 現実的な問題です すなわち 労働階級の子供は 「子供時代の逆境体験」— 要は「トラウマ」のことですが これを経験する可能性が 非常に高いのです 親から繰り返し殴られたり 怒鳴られたり 罵られたり 親が乱暴されるのを目撃したり 麻薬の常習やアルコールの乱用を 目撃するといった経験 これらは全部 子供時代の トラウマの例ですが 僕の家庭では よくおきていました さらに重要なのは 家でよくおきていた トラウマは現在だけのことではなく 数世代に渡っているという点です 僕の祖父母は 子供が生まれた時 当然の事ながら子供を 良心的に育てるつもりでした 2人は中流階級で 製鋼所の仕事で まともな収入を稼げました でも 結局 彼らは子供たちに たくさんの トラウマを与えてしまったのです 何世代も前から続くトラウマです 母が12歳の時 目撃したのは 祖母が祖父に火をつけるところでした 祖父が犯した罪は酔っ払って 家に帰ってきた事です 祖母は警告していました 「酔っ払って帰ってきたら 殺してやる」 と そして その通り実行しました 子供にどんな衝撃を与えたか 想像してみてください
9:04
ごくまれな出来事と 片づけられそうですが 実はウィスコンシン州 児童信託基金の調査によると 低所得層の子供の40%が トラウマを複数回 体験するのに対し 高所得層の子供では わずか29%なのです これが何を意味するのか よく考えてみてください もし皆さんが低所得層の子供なら およそ半数がトラウマを 数回は体験するのです これは まれなことではなく とても深刻な問題です
9:34
そのような体験をした子供が 歩む人生は予測できます 麻薬に手を出す可能性も 刑務所に入る可能性も 高校を中退する可能性も ずっと高くなり それにも増して心配なのは 彼らも自分達の子供に 自ら体験した事を 繰り返す可能性も高まるでしょう このトラウマや家庭内の混乱は この地域の文化が子供たちに残す 最悪の重荷であり 延々と引き継がれていきます
10:01
これらの要素の全て 絶望 落胆 将来に対する悲観 子供時代のトラウマ ソーシャルキャピタルの欠如を 総合して考えると 14歳の僕が 統計の数値の一部として 逆境に負けた子供の1人になる 寸前だった理由がわかります
10:21
ところが予想外の事が起きたのです 僕は逆境に打ち勝ったのです 僕にもチャンスが訪れました 高校を卒業し 大学も終え ロースクールに行きました 今は満足できる職についています 何がきっかけだったのか?
10:36
一つ目の要因は 祖父母の存在です 人に火を放った あの祖父母が 僕が誕生した頃 自らの行いを改めたのです 2人は僕に安定した 家庭環境と家族を 提供してくれました 子供にとって必要なことを 両親ができない時には 必ず手を差し伸べて その役割を果たしてくれました 特に祖母は意味のあることを 2つしてくれました 1つ目は 僕が勉強や 子供として必要なことに集中できる 平和な家庭環境を作ってくれたこと さらに それだけではありません 祖母は中等教育さえ 受けていませんでしたが とても鋭い人で コミュニティーが 僕に向けて発するメッセージ 僕の選択には意味がなく 不利な立場だというメッセージに 気づいていました 祖母は ある時こう言いました 「ジェイディー 自分を不運と思うような 負け犬になっちゃダメ やりたいことは何でもできるんだから」
11:23
もちろん彼女自身も 世の中の不公平を認識してました 子供に人生は不公平だと伝えつつ 自分の選択に意味があるという事実を 子供にしっかり分からせる これを両立させるのは難しいことです でも おばあちゃんは うまく両立させたのです
11:40
もう一つ 助けになったのが アメリカ海兵隊です 一般には米軍の一部として知られ もちろんその通りなのですが 僕にとって海兵隊は 人格を形成する 4年間の特訓コースでした ベッドを整えることや 洗濯をすること 朝早く起きること 自分のお金を管理すること 僕のコミュニティーからは 学べなかったことです 初めて車を買いに行った時 ディーラーで21.9%という 「超低金利」を勧められて 危うく契約するところでしたが 結局は断りました 将校に相談したからです こう言われました 「おまえバカか 地元の信用組合で もっとましな契約をしろ」 言われた通りにしました 海兵隊に所属していなければ そのような知識は得られず ハッキリ言って 家計は破綻していたでしょう
12:25
最後に伝えたい事はこれです 僕は指導してくれる人や 僕の人生で重要な役割を 果たした人々に恵まれました 海兵隊から オハイオ州立大 エール大学 そして その他の場所で 人々が手を差し伸べて 明らかに僕に欠けていた ソーシャルキャピタルを 確実に補ってくれたのです 僕にとっては幸運でしたが そういう幸運を得られない 子供たちも多く この状況を どうやって変えるかという 我々全員が考えるべき 重要な問題を提起していると思います 我々は崩壊した家庭に生まれた 低所得層の子供たちに 温かい家庭を どうやって提供するか 問う必要があります 我々は低所得層の親たちに 自分の子供や伴侶と より良い関係を築く方法を どうやって教えるか 問う必要があります 我々はソーシャルキャピタルや 指導力の恩恵を受けていない 低所得層の子供たちに それを どう提供するか 問う必要があります 我々は 労働階級の子供たちに 読解力や数学といった 知識や技能を教える方法だけでなく 対立の解消や財務管理といった 社会的技能を 教える方法について 問う必要があります
13:32
僕は答えを全部 知っているわけではありません 問題を解決する方法を 全部知っているわけでもありません ただ これだけはわかっています オハイオ州南部では 今この瞬間も ある子供が 不安そうに 父親の帰りを待ち お父さんがドアを開けた時 しらふか 酔って千鳥足か 気をもんでいます ある子供は 母親が注射針を腕に刺し 意識をなくしてしまい なぜお母さんが 晩ご飯を作ってくれないのか わからないまま お腹をすかせて眠りにつきます ある子供は 将来への希望はないけれど 必死の思いで より良い暮らしを求めています どの子も より良い暮らしへと 導いて欲しいだけなのです 僕はすべての答えはわかりませんが これは わかります なぜ僕がこれほど幸運だったのか そして この幸運を より多くのコミュニティーや この国の子供たちに与える方法について もっと意味のある 問いを発しなければ この厳しい状況は永遠に続くのです
14:32
ありがとうございました
14:33
(拍手)
前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。
その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会の対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テストの記述式試験を大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法の採用を後押ししてしまっているという点にある。
いくつかのコメントに飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。
しかし、その一方で、私は文科省も国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的か無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解やバイアスや資質の問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。
これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身の言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。
今回私が批判したいのは、8月19日付朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である。
前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。
はじめに結論をかけば、
氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法の問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。
私が特に重要視している記事の記述は次の2つの記述に集約されている。
この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省の有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。
私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述式問題において何を問うかという点に関する検討・理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである。
特に、「文章を理解し説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者が可能になったと断定している点である。
国公立大学の二次試験の国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章の記述の内容把握や根拠説明を要求するものになっている。
一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学(2016年度だと例えば滋賀県立大・静岡大・首都大学東京・島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語の試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。
では、新共通テストの記述式問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。
国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識・技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報を多角的な視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力・表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)
とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句は一見氏岡氏の記述に合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分の言葉で説明することを指していると通常は解釈するように思う。
実際、
「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の記述式問題については、現在、国立大学の二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力の評価と採点等テスト実施に当たっての課題の解決の両立を目指す。(p.56)
と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。
つまり、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性・芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。
仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、
「自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。
では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。
解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。
ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。
というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものだからだ。
全国共通試験への記述式・論述式問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、適切にその能力を評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧もあり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。
これは、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテストの場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力を評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述は国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。
また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テストの問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故の発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年(1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述や自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいかを記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである。
「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事の記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。
しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。
読売新聞が8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。
国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。
これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。
「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。
上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?
また国公立の二次試験を見ても、単独で200~300字の記述を要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である。
もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。
といったことだ。
しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告からは乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。
実は、国立大学協会の論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。
そもそも、記述式・論述式問題に評価すべき能力をいかに構造化できるかは、根源的な課題である。評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識やノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力の構造化に向けた記述式・論述式問題設計の理論構築、体系化が喫緊の課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学の個別試験における記述式・論述式問題に関する実績を調査・分析することなど、この課題に積極的に取り組んでいきたい。
これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述式問題の形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。
ずっと憎んでいた相手がいた。
生活費を貢がせておきながら、他の女と浮気して結婚したゴミ男ってだけなんだけど。
付き合ってた当時は私も学生で、全然お金がなかった。ただし彼は奨学金でカツカツの研究者だったので私より経済的に苦しかったはず。
彼は修士論文を提出するとき「このレベルじゃ博士は厳しい。でもどこが足りてないか明確だから来年頑張ればぜったい博士へ行ける」って論文を指導教員から戻された。
奨学金をもらったことがあるひとは知っていると思うけど、あれって留年するともらえないんだよね。彼は窮地に陥って私へ土下座した。ちなみに私は当時学部生だったけど、私も学者志望だったから修士へいく学費を貯金してた。
さらにたまたま彼と同じ出身校だった私の身内も同情してくれて、合わせて200万円くらい彼に貸した。
といっても全部足したところで本代やパソコン代は出せなくて、彼のために朝から晩までバイトしてそのお金を捻出した。
彼は家事を担ってくれた。最初は家事も折半だったけど、だんだん私の家事がまわらなくなってケンカすることが増えた。そのとき「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ」と彼へひどいことを言ったのも認める。
数ヶ月後、たまたま彼のパソコンを借りたら女へのメールが山盛り。5人の女へ「今の彼女と別れたら結婚しよう。今の彼女は浮気してると思う」と送ってた。メールの本文、ほぼコピペで。ウケる。彼の生活費を稼ぐために、私に浮気する暇なんて無かったんですけどね????
そこからは修羅場、修羅場で結局彼も浮気相手の5人中4人に振られて残った1名と結婚し、私はノイローゼっぽい感じで精神病院へ通うはめになった。
もうずっと前のことだから今は私も復活した。けど憎しみは消えない。私が幸せになるのは当然のこととして、こいつが不幸にならないなんてありえない。
彼はメンヘラポエムをブログへ投稿してるから、そこで倒壊を知った。
彼はマザコン気味で、初対面から「俺はお袋を愛してたのに、幼少期に病気をしたからそれがトラウマなんだ」と風呂場で号泣するような奴。ことあるごとに「お袋」が出てきた。ご飯を作ってもお袋と比較して貶すようなやつだった。お袋が病気にさえならなければ、親が貧乏にさえならなければ俺は今頃成功していたのにと酒をあおりながらよくグジグジ泣いていた。そのお袋さんの実家が倒壊したのだ。東京へ出てきて「お袋」を熊本へ置き去りにしたことを棚上げにして、さぞかし不安定になるだろう。
彼の家族にそこまで恨みはない。けど私と彼が結婚する予定だったときは「こんないい嫁さんが来てくれるなら」と喜んでくれていたくせに、彼が浮気すると手のひらを返して音信不通になって、彼だけ庇ったことは許せない。実の息子と義理の娘(候補)ならそりゃ息子はかわいいよなあ。でも息子のバカを叱るのは親の仕事じゃないの???
地震で実家が倒壊したのは因果応報ととっさに浮かんで、いやいやいや不謹慎すぎるいくらなんでも、とすぐ打ち消した。犠牲となったほとんどの人に罪はない。
でも、ここだけ書かせて。生きててよかった。私は幸せになって彼は不幸になった。これでようやくイーブンだ。私は私の人生を取り返した。
彼の不幸を願う気持ちが神様に通じたのかもしれない。でもあまりにもそれを考えるたびに不謹慎すぎて、罪悪感におそわれる。その罪悪感を打ち消すように、今までにない金額を熊本地震の復興へ寄付した。罪の無いすべての人が、一刻も早く復興できますように。でもどうか彼へだけ、支援が届きませんように。
昨年末実家に帰省した際、母が突然大金(1000万円)を請求してきた。
借りるのではない。よこせと言ってきた。
僕はびっくりして、そんな大金何に使うの?と聞いたら、
終の住処として家を新築するからと言う。もう契約も済ませたようだ。
冗談じゃない、何でそんな大きな契約するのに、人の金を当てにしてるんだ。
と苛立ちと焦りを隠せずに言うと、突然泣き崩れながら、母はこんなことを言った。
「ここまで育てたのは誰だと思っているの」
これを言われると何も言えなくなるのを母は知っている。
ある仕事についていたが、しばらくして結婚、僕が生まれた直後に離婚し、
スナックとか言われるようなところで働きながら、女手ひとつで僕を育ててきた。
あまり裕福とは言えない中、僕は試験でいい点数を取ることに関しては才能があったのか、
某国立大学に入り、卒業後は要領の良さだけで某有名企業に入社。
まあ、全てが順風満帆だったわけではないが、今の所、収入面では何の苦労もない。
確かに母には苦労をかけたのは知っている。金額になんか換算できないほどに。
だけど、突然1000万円くれ、と言われても、正直困ってしまう。
妻も子どももいるし、さすがにそんな大金、突然出すことはできないと言うと、
オロオロと泣き崩れながら、その言葉を繰り返す。
社長にまでなって、お金なんかいっぱいあるだろうに、なんて冷たい子どもなんだと。
あなたにとって親子関係の価値は、1000万円と言うはしたお金以下なのね、と。
あの事件があって以来、僕は母と話ができていない。
僕はどうすべきなんだろう。
他の大学は知らないが、関東の某国立大学である。今まで3人の講師を見てきた。
講師は全員外国人。文法やら単語やらではなく会話技術を重視してんのかどうかは知らない。
質問に答えようとしても意味がわからない、だから辞書を引こうとしても即答を求めるためそれすら許されない。
講義を行なうかどうかは奴らの機嫌次第である。しかもほぼ毎回遅刻してくる。
学生に対する好き嫌いを隠さない。遅刻どころか出席しないやつに優評価だしたり、毎日出席してる真面目な奴に不可を出したり。
東大や京大のようなところではないけど、大学自体のレベルは低くはないはずなのに、英語の講義がそんなもんだから、大学全体の英語のレベルは高校生以下である。
この記事は博士課程 Advent Calendar 2015 - Adventarの5日目のエントリです。前回はid:kybernetesさんのこの世界への関心を諦めない人に博士課程はオススメ - 表道具でした。
(今年は無事に退学せず済みそうなので、退学 Advent Calendar 2015 - Adventarじゃなくてこちらに参加します。)
http://anond.hatelabo.jp/20141201200815]から大幅にテンプレート拝借。
Q1. 博士課程ってなんですか
A1. 大学院入試の面接で「進学するつもりはある?」って聞かれるあれ
たいていの理系人生において、ここに進むか否かで修士課程終了後の幸せ曲線が大幅に変わるともっぱらのうわさ。(私はまだ実感してないんですが、この手の話聞くたびおっかない)
Q2. なんで博士課程に進学するんですか
A2. 高校中退したあと某高専に潜り込んでたんですが、「高専の新卒」という最強就職カードをかなぐり捨てて大学編入しちゃったので毒食わば皿まで、ではないですがやるとこまでやったろう!というのがひとつ。
高専時代に言われた「好きなことを仕事にすると長続きしないよ」とかいうもっともらしいアドバイスを真に受けて転科する!って編入した先があろうことか原子力系で、在学中の3/11以降いろいろ考え修士課程でまたしても転科したので、たった2年じゃやるとこまでやれん!というのがふたつ。すごくいきあたりばったりですが特に2つ目はこればっかりはしょうがない。
Q3. 普段どんな生活してんのさ
A3. 後述のRAが勤怠とられるので、普通に9時5時で他の職員さんと同じような勤務体系です。
理論系だし実験と比べて体力的に楽かなーと思いきや、週末もけっきょく自宅で作業してしまうので気分的には週休ゼロ日っぽい
研究で頭ハチハチしてると朝の民放テレビとかマジで情報の洪水、うるさすぎてたまんないのでNHK教育ではなかっぱとか見て心を浄化してから出勤してます。
あとは平日休日問わず、メンタルのために趣味のゲームしたりピアノ弾いたり、こういうのがすごく大事な時間です。
A4. 某国研のRAで学費とか税金年金もろもろ賄ってるのと、実家暮らしで家にお金入れてるわけでもないので(お父さんお母さんごめんなさい!)あんまり気にしたことはないです。
一人暮らししたら学費免除通りやすくなるのかな…在学中に結婚したら学費全額免除もらえたとか、配偶者に養ってもらいながら(3号被保険者として)生活してたとか、聞くけどどこでみなさん恋人とか見つけてくるんですかね???
Q5. 学振について
A5. 私は修士課程から新しい分野に来ていまだに業績ほとんどないから全然無理無理、って思って出してないんだけど、情報系とかみたいに早くからぽんぽん査読つき学会だの論文だの出せる分野だと申請書も見栄えするんだろうなぁ、って勝手に思ってます。物理の人もそんなみんな修士課程からポンポンPhysics Review うんちゃらみたいなのにポンポン載せてるんですかね…
Q6. インターンについて
A6. 来年に行く予定があるんだけど、大陸ヨーロッパなので日常生活で英語通じるのか?っていうのと最近はテロがちょっと心配。
他の人とか分野の事情まったく知らないんだけど、大学とか受け入れ先から予算が出るなら是非とも行っておいたほうがいいのでは。
Q7. 楽しいこと3つ
A7.
(1) 高専卒で就職した同期とかの話聞くと、「仕事の内容はいいんだけど人間関係が辛い」(脳筋DQNか体育会系みたいなのが多い、の意)というのを割りと聞くので、そういうのが理学系だとないなーっていうのが人間関係に恵まれてていいなって思います。高専の特に機械科とかほんと脳筋DQNのすくつだったしね。
(2) RAも実際のところ普通のホワイトカラーと違ってあんまり時間には厳しく言われないので、朝が弱いマンにとっては大変助かる。
(3) 本人はいつも自分には研究向いてない…辞めたい…って思ってるのに、親しい人とか親戚がすごく買いかぶってくれてるとこ。自己肯定感が全力で慰撫されますね。
Q8. つらいこと3つ
A8.
(1) 当たり前ですが自分の頭で考えて自分なりの意見を主張していかなきゃならないこと
いまだに自分の意見をいうのが怖い、いつもいつもフルボッコにされるんだろうなーって怯えながら進捗報告する日々。
(2) 将来への見通しが無い
(3) どうせいずれ死んでしまうのにこんな研究やってて何の意味があるんだ…
Q9. 現時点で後悔していること
A9.
(1) 高専から大学に編入するときに専攻を変えてしまったこと
高専から大学編入して学振DC1通ってる人とかけっこういるじゃないですか、彼らは高専時代からずっと自分の専門分野に一途だったんでしょう。
まさに「転がる石に苔つかず」で、転がってばかりだと成すものも成せなくなるんだなあ。
安定は、希望です | 参院選に挑む | 公明党みたいな人は博士課程に進学しちゃダメ!ゼッタイ。
(3) 人間関係を軽視しすぎたこと
いろんな人の話し聞いてると、高校や学部時代の人脈があとあと強い意味を帯びてくる、みたいなのあるじゃないですか。
高専で人脈とかまぁ無理にしても、学部時代に引きこもったりしなければ、留年したりしなければよかったな。
A10.
(1) 「正しさ」をめぐって駆動される権力の力学に無頓着な人
これだけで政治哲学上のひとつのトピックになりそうだし私が簡単にどうこう言えるものではないけど、教員側でもそういうのに無頓着な人がいますしね。本人の名誉のため名前は伏せますが
教員:「何でも良い、言え!」
なんていう地獄絵図はまったく想定していませんでした。
みたいなブログも見つけまして、大変脱力してます。一歩大学の外に出れば↑みたいなのがむしろ普通なのにね。そういう環境に適応してきた学生だけ一方的に責めるのはどうなの?
(2) 命令・指揮系統が崩壊している末期戦みたいな前線でも気にせず自分勝手に動ける・動きたい人
A8(1)と関係しますが、上から命令が降ってくるわけじゃないので、【北朝鮮】最高司令官同志、命令だけ下してくれ! - YouTubeみたいなのは決定的にダメですね。
(かの国における首領・党・人民の三位一体による有機的政治生命体、っていうのはたぶん研究職と相性悪いと思う。)
(3) 聞き分けのいい素直なお利口坊や/お嬢ちゃんじゃなかった人
高専の同期のDQNが「ああぁぁん?てンめぇナマいってんじゃねえよぶっ殺すゾ!!おおおぉぉぉん??(どうでもいいけどなんでこういう威嚇する声ってだいたいプロソディーが短調ぎみなんだろう?)」って言っててもあんなん慣れりゃ自分に直接は害が振らないから別にいいけど、自分の今後に生殺与奪を握ってる偉い人相手には「相手の意のままに動かなきゃ、自分から敢えてケンカ売るようなマネは…」というのが適応戦略としては普通なので。そういうまともな感覚が無い人のほうが博士課程向いてるんじゃない?
後半が「博士課程もう辞めたいこんなん嫌や!!」って思いながら書き溜めたやつで、前半がちょっと最近持ち直してきたときにかいたやつなのでニュアンスが違いますが