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2023-01-08

いつまでゲームをするのか。「若者」と「おじさん」の境目。

あんたいつまでゲームなんてするの。もう20歳も過ぎたんだから

大学生の頃、実家帰省していたときに、ため息をつきながら母親から言われた言葉だ。

私の母は高齢出産ということもあり、価値観昭和のままだ。

その昔、ゲームアニメは、子供とき一時的もので、いい大人が熱を上げているとその人は社会不適合者の烙印を押された。

だが、今やそんな偏見はだいぶ解消されている。オタク市民権を得たのだ。逆に、オタク馬鹿にする人種が、ネットの住人によってその非寛容な人間性糾弾されるケースがよく見受けられる。

当然、上記言葉を言われた大学生の私は、ゲーム馬鹿にしているほうが古臭い考え方で、もう時代は変わったんだよと、考え方をアップデートすることを放棄した母親に対し、やんわりと諭した。

振り返れば、あの頃の私は、若者代表ヅラをして、時代について来れない中高年を冷めた目で見ていた。あれから5年ほどの年月が流れた。もう5年、いやまだ5年。どちらとも言い切れない時の流れに妙に感慨深いものがあるが、気づけば私の悟りはどこへやら、少し雲行きが怪しくなっている。

一つだけ確かなことは、今の私はもうほとんどゲームをしていないという事実だけ。

私が抱いていたはずの、今の若者、つまりこの私は、大人になってもずっとゲームをやり続けるといった確信は、ただの勘違いだったのだろうか。

おかしい。こんなはずでは……。ていうか、むしろゲームなんてしないほうが、他のことに時間を回すことができて良い人生なのでは……。

ふむ。認めたくないものだ。若さゆえの過ちというものは。恐ろしいことに、あのとき鼻で笑っていた年長者のアドバイスが私の頭に浮かんでしまった。

すると私の頭の中に、一人の後輩の姿が思い浮かぶ。彼は未だにゲームに囚われていて、謎の使命感にかられて、必死ゲームランクを上げることに日々を費やしている。

さて、そんな後輩に、私はアドバイスをするべきなのか。

…‥大人になったんなら、ゲームは程々にしたほうがいいよと。

実際に脳内シュミレーションすると、少し背中のあたりがゾクリとした。その後輩が、私が母親を見ていた視線で、私のことを見つめ返してきたのだ。

あれ、もしかして、これが老害の始まり…‥。いや、真っ当な成長か……。

からない、分からない、私には分からない。

糞が詰まった葛藤を一人抱え、今の私はちょうど狭間を漂っている。

2023-01-07

オナニーしてて気付いた

実写と二次元狭間で揺れてたんだけどさ

実写の女よりも二次元のほうがいいな

実写の女で抜くのは、購入すれば実際にエッチできるとかならそれでいいと思う

聖痕のクェイサーがめちゃくちゃバランスいい

エロいビジュアルがいい(挿入は必ずしも必要じゃないと思う)、声優がいい(声豚ではなく、AV女優18禁が下手という意味

あとは原作も長くてキャラクター感情的になれたりしていいね

個人的には委員長が好き おねショタロリショタになりがちなのが主人公ともう同等かなって思うし

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-04

anond:20230104205518

駄々こねて「結婚できなーい」つって幼児の如く地べたで喚いて転がってるような増田は、

「下位2%しか脱落せずに大半が自動的結婚できた時代」と、「下位37.5%が脱落する時代」の狭間で狂った世代なんだよ。

でも狭間で狂った世代はこれから加齢して死ぬから大丈夫若い世代は「下位37.5%が脱落」が当たり前と思って生きてるから狂わない。

anond:20230104053905

うたた寝は通常の意識より下の無意識との狭間に潜る事

禅定をはじめとした瞑想でのいわゆる成功と言われる状態意識の上に上がる事で、瞑想の種類によって「成功状態の脳の活動はやや変わる

マインドフルネス瞑想=気付きの瞑想=随息観では外から五感への刺激・感覚・想起される感情思考意識について細やかに気付く

この時眠気は無く非常に集中した状態になり、秒間30以上の自分感覚に対する「気付き」を得る。脳波を測定するとフラットになり非常にリラックスした状態を維持している。

この瞑想を繰り返すことで集中力と知恵(知識ではなく無知無明が晴れた状態感情思考バイアスがかかっていない外界と体への認知)を得、

貪欲・怒り・無明といったエゴから徐々に離れられ、最終的には第一悟りに達する

第一悟りは、有身見(自分存在するという妄想)が消えることが一番大きい。

瞑想には種類が多く、他にも慈悲の瞑想他者幸せを願う)・ヨガ宇宙と一体化し恍惚を得るヒンドゥー教起源とした瞑想)・禅・死随観(死に至り死んだ後の体が腐っていくのを想像する)・マントラ瞑想集中力を得る・宇宙と一体化する)

など色々あるがマインドフル瞑想が一番王道とされる。マインドフルネスは座って行う瞑想だけでなくゆっくりと歩いて全身の感覚を観察するバリエーションもある

2022-12-06

anond:20221206034100

まぁ正直に言って子供へ対して「お母さんの世代は"援交"という言葉が生まれ社会問題となり、買春相手女子高校生という意味隠語として"JK"も生まれた。JKは今や広く使われるようになったけど当初は良い意味ではなかった。良い女子高生文化もあれば悪い女子高生文化もあった。ルーズソックスはその狭間にあった。当時はJKと言えばルーズソックスだったから」なんて説明はできないだろう

売買春は買う方も悪いという意見は尤もだけれど、新語としての援交が当時の女子高生文化と接していたのは間違いないし、この辺りのニュアンスを今の令和世代に伝え理解してもらうのは物凄く難しい

女子高生全員が援交しているわけでなかった、でも援交は女子高生の悪い文化の1つだった

2022-11-27

ドラガリアロストの感想(イベント2019)

サーカステントで夢の時間を」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  帝国兵に追われる一行を助けてくれたサーカス団のアンネリーエとフリッツ

  助けてくれたことと聖城でサーカス披露してくれたことへのお礼のため一行はフェスティバルのために一時的サーカス団員としての活動を始める。

  フェスに向かう途中、フリッツ盗賊団をやっていた過去が明らかになるも、アンネリーエは出自過去関係ないととく。

  過去にアンネリーエが父親から団長の座を継いだ時に引き抜きをかけたライバルサーカス団の妨害、そして彼等の起こした魔獣騒動の後始末などを経て、アンネリーエのサーカス団はフェスを優勝し、団員たちも戻ってくるのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  アンネリーエ「人の出自過去舞台では関係ないって言ったでしょ?」

  部下のフリッツが元盗賊だったことが判明した時、自分ある意味裏切った元団員達が帰ってきた時と繰り返し使われたセリフ

  アンネリーエの大物感が伝わる良いセリフ

 ・印象に残ったキャラ

  アンネリーエ。

  サーカス団の団長として、ドラゴンテイマーというパフォーマーとして、キス魔女の子、若くして父親から団長の座を継いだことを不安自身がない様、と幾つもの顔を見せてくれた可愛いキャラだった。

  特に団長としてフリッツや引き抜かれた元団員達を許すシーンは尊大雰囲気でそれでいて可愛くて好き。

 ・感想

  面白かった。アンネリーエというキャラの魅力を描くこと一辺倒になっているのだけど、それをちゃんと書き切っててとてもよかった。

  ドラゴンテイマーというパフォーマーとしての魅力、それから舞台の外ではキス魔で誰からわずほっぺにキスをするエッチなところ、団長として全員を許す優しいところ、親から立場を継いだことを不安がるところ、どれも多層的なキャラ付けになってて可愛い

  元団員が戻ってくることをあっさり認めるところは特に良くて、自分はこういう時にぐちぐち色々なことを連呼しそうなタイプなので憧れる。

  あとエルフィリスがキス魔に動揺するところめっちゃ良かった。

郷愁の空に咲く大輪の華」

 ・5段階評価:1

 ・あらすじ

  夢で見たお告げのためにホウライという街に向かう一行は、仙花焔職人のスオウと出会う、

  彼は春節お祭りのために仙花焔を作っていたのだが今年は竜脈泉のマナが枯れてしまったため上手くできないという。

  竜脈泉の様子を見にいくと、たしかマナが枯渇しておりその影響で魔獣がホウライの街を襲おうとしていた。

  そこに街を作ったドラゴンホウライからのお告げを受けて帰ってきた風来坊のクガイと再開する。

  彼と共に再び竜脈泉に向かうと、マナを食い荒らすヴァルファレールが復活していた。

  ホウライ様と100年前からの仲間であるキリン族のジョフクがヴァルファレールの周辺のマナを仙花焔の技術により取り除くことで打ち倒せると助言する。

  ホウライ様とジョフク様の助けにより街は守られ、スオウの仙花焔が夜空を彩るのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  クガイ「子とは、親を超えるものです。」

  意味深セリフだったが、文面以上の意味はないのかなあ。

 ・印象に残ったキャラ

  特になし。

 ・感想

  色々と設定が出てきたが、スオウの家族エピソードがどうにも上滑りしてしまい、のめり込めなかった。

  故郷大事ものから、そこの住む街の人や全部を大切にしようという言いたいことはそりゃ大切なんだけど、もう少しそれを実感が持てるように描写して欲しかった。

  スオウ、クガイシャオレイリンユー、ジョフク、ホウライキャラが多いせいで、特にシャオレイリンユーは状況説明セリフしかなく、キャラがいる意味が汲み取れなかった。

  ジョフクやホウライといった圧倒的な強者が出てきて解決する展開も、それながらクガイやスオウが人間的な非超越者的な目線で語るところも、対比になってるように感じれず、総じて薄味だったと感じた。

舞姫と魔竜の円舞曲

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  死を司るタナトスに攫われ彼のためだけに舞を踊らされ続けていたフェリーチャを助け出したドラゴンファントムタナトスから逃げる最中にユーディル一行と出会い行動を共にする。

  ムムはファントムフェリーチャを助け出したのは同情ではなく恋心にあると見抜くが、ファントム自身過去経験とフォレスティエとドラゴンという種族の差から身をひこうとする。

  故郷に帰ったフェリーチャだが、タナトスの手によって壊滅していた。

  タナトス独りよがりな愛を否定し、ファントムフェリーチャは共に生き続けることを誓うのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ファントム「頼む…… 俺に気づかせないでくれ。愚かな夢を抱いていることを……。」

  フォレスティエに恋をしてしまったドラゴン自身気持ちに気付きたくないと独白するシーンのセリフ

  ドラゴンとそれ以外の愛はドラガリアロストの根幹だけにそれを悩むのはらしいシナリオでよかった。

 ・印象に残ったキャラ

  ムム。

  愛に生きるドラゴンの先輩としてファントムに道を示すところが印象的だった。

 ・感想

  面白かった。大人しそうだけど舞が得意なフェリーチャと、独りよがりでそれを独占するタナトスと、ただただ自由に日の下で踊る彼女がみたいだけのファントム三角関係ものだった。

  何より過去経験から愛に素直になれないファントム可愛い。恐ろしい見た目なのに可愛いと思わせるのはまさにシナリオの力だった。

  レギュラーキャラも、同じく愛に生きるドラゴンの先達としてムムが大活躍したのも、ゲストキャラを立てるだけでなく、レギュラーキャラキャラ立ちを補強する良い展開だった。

  最後に二人がハッピーエンドなのも好みだし、好きなシナリオだった。

コールブヒストリア」

 ・5段階評価:保留

 ・あらすじ

  異端異端審判者を名乗るクーガーとその相棒ハインヴァルトが突如村中の人間が一人の少女ラトニーだけを残して消えた事件を追うために聖城近くの禁断の図書館情報収集を始める。

  調査の結果、村の人々は禁断の図書館に本として納本されていた。

  呪いを解くために調査継続した結果、ラトニーこそが全ての元凶であるニャルラトホテプのものであった。

  ハインヴァルトの機転により窮地を脱し、村の人々も解放したが、偏在するもう一人のニャルラトホテプハインヴァルトと同化する。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  とくになし。

 ・感想

  決め台詞を噛みがちなハードボイルドになりきれないクーガーと、魔術の研究のために本を読むのが好きなハインヴァルトのコンビはどことな仮面ライダーWぽいのが面白クトゥルフシリーズの初回シナリオ

  ハインヴァルトがニャルに身体を乗っ取られて終わるという、びっくりするぐらい話が途中なので感想の書きようがない。ラトニーに関しても本人としての登場は一瞬で、殆どがニャルによる変身だし。これからシャドウオーバーメイデン、晩夏使者に続いていくんかな?

  男性同性愛二次創作を好む人たちにヒットしそうなキャラ造形だけど、この辺は当時の熱も込みで楽しみのは難しいなあ。

  何にしても続きを読んでから感想は書きたいな。点数も保留。

希望友情エッグハント

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  フォレスティア達のお祭りスプラウトバンケットに参加した一行。そこでリュカは幼馴染である次期族長候補ララノア、アロマ研究に長けたシャストと再開する。

  他種族ヒューマンであるユーディル一行が参加することに難色を示す族長たちの意見を変えるために、お願いを叶えてくれるエッグハントに参加することに。

  アートを学びたいフルルと協力しながらゲームを進めていくが、タマゴを魔獣に奪われて困っているドラゴンのシームルグを助けるためにエッグハントを中断する。

  無事卵を取り返すも、エッグハントに優勝できるのはただ一人。リュカエッグハントの優勝によるお願いでの命令で他種族間の仲を取り持つのをヨシとせず、フルルに優勝を譲る。

  しかし、シームルグを助けた功績からユーディル一行はフォレスティアに認められることになる。

 ・印象に残ったセリフ

  特になし。

 ・印象に残ったキャラ

  シャスト。

  研究のためなら族長たちの無茶な命令も聞いてきた、ってくだり、絶対エッチなこともされたに違いない……

 ・感想

  ララノア、シャスト、フルルリュカと四者四様の願いを、ユーディルの王の立場から差配していきつつ、ドラゴン問題解決してて、短いシナリオの中にいろんな要素が詰まってて良かった。

  特に種族に関するお話は今後も出てくる要素だし、ほんわかしたお話の割に結構重要だったのかも。

  ただ、要素が多い分薄味なのも事実で、まとまってはいものの、もう少し濃い味のシナリオの方が僕は好きかな。

「仙境の空へ」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  キリン族が過去に使っていた伝説に道具仙宝を封印して回っているキリン族のサンゾウと弟子ヒューマンゴクウ出会う。

  ゴクウが仙宝の力に飲まれ暴走してしまうも、サンゾウは師匠として何度でも導くことを誓う。

 ・印象に残ったセリフ

  サンゾウ「私は私を信じます。私の…… 私たち未来を信じます!」

  ゴクウとの関係を悩んでいたサンゾウが良い意味で保留して未来を信じると誓う言葉

 ・印象に残ったキャラ

  サンゾウ。

  疑似家族ものが好きなので、親代わりってキーワードだけで好き。

  それだけじゃなく、親としての自分と、師匠としての自分狭間で悩む姿が良き。

 ・感想

  シナリオ構造としていては単純で登場人物サンゾウとゴクウの二人だけとシンプル

  それだけにサンゾウの気持ちや、ゴクウ気持ち描写が多くて満足。

  特にサンゾウの親代わり兼師匠という立場に悩むくだりは可哀想だった。

  二人の関係値は続きがあるみたい。まあ西遊記モチーフなのに堺正章夏目雅子、おヒョイさんの三人しか登場しないわけないからそりゃそうか。

工房に響け!三姉妹の絆」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  偉大な父の跡を継ぎ武器を作る鍛冶屋を営む三姉妹

  ユーディル一行の元で鍛冶屋をするが、地元で決着をつけそこなていたロッカ族のラズリーと鍛冶の実力を比べるため大会に参加する。

  三姉妹は熊型のドラゴンアルクトスとのトレーニングでより力を付ける。

  ラズリーとの勝負に勝った三姉妹は偉大な父親を超えるため今後も鍛冶の腕を磨くのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  特になし。

 ・印象に残ったキャラ

  ルジィナ。

  末っ子なのだけど、唯一父親から鍛冶の才能を受け継がなかった、と本人が思い込んでる思い込みの激しい子。

  実際には鍛冶の水で締める工程の才能を継いでおり、次女と長女の工程の間を繋ぐ大事ポジション

  空回りしてる様が可愛かった。

 ・感想

  三姉妹の微笑ましいやりとりが続くほんわかのんびりストーリー

  特に自分だけ才能を継いでないと誤解して空回りしてた三女のルジィナが可愛かった。

  三姉妹それぞれの可愛いを描くのが主題で他のことはおざなりだけど、ソシャゲシナリオとしては僕はこういうものだと思うし好きだ。

  ただこのゲーム、なんらかの大会に参加するシナリオ多くね?

トレジャーアイランド!」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  宝探しに島にやってきたユーディル一行は、宝を守っていたエルモ、それを奪おうとするタコ魔獣のバルバリア出会う。

  バルバリアに宝を奪われてしまい圧倒されるも、歌で魅了するドラゴンセイレーンの強力でそれを倒す。

  セイレーンは見返りにライブを開きたいと提案する。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  とくになし。

 ・感想

  ソシャゲあるある夏のイベント水着実装キャラの紹介になるから薄い、の典型的シナリオだった。

  水着キャラの紹介と状況説明が大半でお話しらしいお話しがなかった。

  とはいえ、その水着キャラに僕の好きなジュリエッタがいたのでそこは良き。

  ジュリエッタ好きなんだけど、ここで話がほぼほぼ終わりなんだよなあ。

  エルフィリスとの関係がなにか進展するエピソードを見たかった…… 見たかったなあ……

「Melodious Summer♪」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  従者であるためと言い訳をして水着で楽しむことが出来ないでいるクラウだったが、セイレーンの歌を楽しむ姿勢に感化し、夏を満喫するのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  クラウ(思い出せた…… とてもとても大事言葉)

  長い時を生きるクラウは嬉しかたことも忘れてしまっているのだけど、それを思い出す一幕から

  忘れるって寂しなあ。

 ・印象に残ったキャラ

  クラウ

  ヒューマンとは異なる寿命を生きることの寂しさ、長く生きると楽しいことも忘れてしまう寂しさなど、もの悲しいエピソードから前向きになる展開で可愛かった。

 ・感想

  クラウ可愛い可愛いシナリオだった。

  主役のはずのセイレーンを食ってしまうほどにクラウの出番が多く、ドラガリの全体的なシナリオにもかかっている展開だった。

  とはいえ水着ガチャキャラ販促という側面はモロ見えで、シナリオの縦軸は薄く、キャラ萌え全振りなのもそれはそう。

  まあでもクラウ可愛いのは事実から仕方ないね

クロノス廻る運命の針」

 ・5段階評価評価不能

 ・あらすじ

  時を操るクロノスというドラゴン出会うユーディル

  今までのやり直したい過去に向かうが、度々アスラムと名乗る謎の男に邪魔をされる。

  仮面をつけたゼシアのところへタイムスリップしたところでクロノスが本性を表す。

  アスラム時間移動した起点である未来へ飛ぶも、そこではユーディルに全てを殺されたと語るナームがいた。

  クロノスを倒すも、この未来で何があったのかはわからないままだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「そして、あの厳しくも優しい眼差し

  アスラムを正体を察しての言葉

  本編中ではずっと敵でほんわかエピソードがないのでこう思ってたんだなあとしんみりした。

 ・印象に残ったキャラ

  アスラム

  時を巡って孤独な戦いに身を投じるの、格好いいけど悲しい。

  その後の時系列キャラストーリーで描かれてるんだけど、めっちゃ鬱いシナリオでかわいそうだった。

 ・感想

  正直よくわからんかった。

  ユーディル達が負けた未来からやってきたアスラムクロノスとが交差するんだけど、この未来の話が何かあったこしかからモヤモヤする。

  普通にインストリー時間軸も繋がってるしで、イベントストーリーだけどこれ単品でどうこう言うエピソードじゃない感じかな。

  アスラムキャラエピソードとも絡んでるしで面白いけど、複雑だ。

シャドウオーバー・メイデン」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  コールオブビブリアの続編。

  突如姿を消したラトニーを追って不老不死の村ティンソムの村へ向かうクーガーとハインヴァルト。

  村に向かう途中でラトニーを回収し、むらに宿泊することになる。

  その村ではアーカーシャという司祭が暗躍していた。

  クーガー達は彼女の目論見がラトニーの内に眠るニャルを使った何かであることを見抜き、暗躍を阻止する。

  そしてハインヴァルトの内に眠るそれもまた……

 ・印象に残ったセリフ

  クーガー「辛くなったり、悩んだりしたら、とりあえず笑っちまえ。」

  内に眠るニャルに怯えるラトニーを励ますクーガーのセリフ

  直球でベタメッセージだけど、まだ何も悪いことは起きていないという前置きありきなのが印象強い。

 ・印象に残ったキャラ

  ハインヴァルト。

  ニャルを乗りこなしてる感が強キャラムーブだなあ。

 ・感想

  クトゥルフシリーズ第2部、ユーディル一行が登場しないのはここまでだと初めてかな。

   Permalink | 記事への反応(2) | 12:26

2022-11-19

シン・ウルトラマンの癖(ヘキ)がすごい

配信されてたので見てみた。

庵野作品特に思い入れはないんだけどなんだかんだ一通り見てきてはいる。

エヴァとかは仕事としてやらねばみたいなのとの狭間で苦しんで、それが結果的エンタメとしての質を上げてると思ってたので、

趣味青春に全振りしそうなのはたぶん面白くないだろうと思ってスルーしてたのだ。

見た感想としては思ってたよりメジャー商業映画として作られてるなと思った。さすがに制作もしてるからそこは抑えるか。ただ溢れ出る癖はすごい。

この場合の癖はもう性癖と言ってしまっていいんだろう。とにかく全体的にリビドー的な熱量がエグいなと感じる。

公開当時言われてた批判はなるほどねという、長澤まさみへの演出全般に笑えないレベル湿度の高さを感じた。

同時に思ったのは癖を出すのもアニメだと映像的にデフォルメされるから薄まるだけで実写でやるとこんな生々しいんだなということ

いやそれにしてもシンウルトラマンちょっと異様ではあるかもしれない。分かりやすいのはセクハラ描写で、これはあまりにあざといので批判も想定済でやったのかなと思うくらいだけど、

個人的にはそこより他の部分でのヘキがなんかすげえなって感じた。特にウルトラマンの質感はエロティシズムと言っていいくらいの熱を感じた。

商業的にメジャー作品でこんなに好き放題できるのはやっぱそうそうないんじゃないか

監督樋口真嗣ということだけど庵野がどの辺に関わっているか確認してみた。

制作、総監修、企画脚本編集、コンセプトデザイン撮影絵コンテ選曲タイトルロゴモーションアクターティザー広告系デザイン、総宣伝監修

いやーすごい、手出せるとこは全部出してんのかってくらい名前出てる。

撮影タイトルロゴモーションアクターとかはこだわりが強くて自分でやったほうが早いわって話しなんだろうけど。

自分が印象に残ったのはバトル系のカメラワーク画角など、シン・ゴジラの時はもうちょっと映画的だった気がするんだけど、

シンウルトラマンではアニメ的なカットが多かったように思う。あと隊員達のカットの異常なくらいの煽り面白アングル

なんでこのへんの人らって広角パース大好きなの?

ウルトラマンと「禍威獣」のデザインビジュアルはどれも好きだった。オリジナル着ぐるみ感とかどれくらいやるつもりなのかなと思ってたけど、

思ってたより現代的なもので、かつウルトラマンの肉々しさとか素直なカッコよさというよりはなんか間抜け雰囲気もあるとことかもよかった。

きのこだわりとかはよくわかんないけど、ウルトラマンが棒立ち状態のままくるくる宙で回ってるのとか、敵としばし見つめって唐突にスペシウム出すのとかも良かった。

全体として失敗作と思うかと聞かれたら失敗作とまでは思わないし映像的にはすごく面白作品になってると思う。

ただやっぱセクハラ描写は見ててキモかったし登場人物がみんな薄っぺらいので人に薦めにくい映画だな、くらいの感想

本編にあやかって言うなら「禍威作」って感じ。

2022-11-07

生活保護貧困家庭で育つのと養護施設で育つの

どっちが子供のためなんだろう。

生活保護家庭で子供3人育ててる人がいるんだけど、子供達の会話を聞いている限りで貧困プライド狭間子供がでつかなくていい嘘をついているのを耳にする。嘘が多い。悪いが体も臭い

ピアニカの替えのホースすら買ってくれと言えない。放課後塾に通うふりをして周りと「同じ」ふりをしている。当然勉強も得意ではない。

それでもやっぱり、親元の方が良いのだろうか。

2022-11-05

anond:20221105104052

ぜんぜん違うやろ。

たとえばエルデンリングフィールドスパイダーマンニューヨークにしたらゲームが成り立たへんけど、スパイダーマンフィールド狭間の地にしてもゲームは成り立つ。

まりエルデンリングは「こういう通路を作って敵をこう配置して…」というリニアレベルデザインゲーム性を依存しているかフィールドの代えが効かへん。

しかしアサクリやスパイダーマンは、極論、ある程度の起伏がある地形なら何でもいいのであって、だからこそニューヨーク古代エジプトをそのまま再現してフィールドにすることができるわけや。

いや、思考の順番としては逆で、広大なオープンワールドにしたらリニアレベルデザインをしきれへん→ほなリニアじゃなくても楽しめるゲーム性ってどんなんや?ということなんやろけどな。

まりオープンワールドにすることでゲームの何が面白くなるんや?」という疑問に対して、エルデンリングのような「2D的な移動」しかできないゲームは「いろんなクエストを好きな順に進められます」くらいしか回答できへんかった。

しか前後左右はもちろん上下も含めた「3D的な移動」の自由保証することで「そのクエスト上下前後左右どの方向からでも自由攻略できるようになります」という回答ができるようになったのが近年のオープンワールドの流れなんや

せやからリニアゲームではオープンワールドを活かしきれへん、オープンワールドである意味があらへん、っちゅうとんのやね。

2022-11-04

なぜエルデンリングは「オープンワールド」として失敗したのか

エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、オープンワールドゲームとしては完全に失敗している。

どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。

オープンワールドゲームにとって最も重要問題は「壁に登れるかどうか」である

この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。

「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」

こちらに進んでほしいから他の道は行き止まりにしておこう」

そうしてゲームクリエイターがプレイヤーコントロールしようとして設置されるものが「壁」である

オープンワールドという「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対性質のものであることがわかるだろう。

しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。

たとえるなら、

お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、

運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、

肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、

とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのがオープンワールドなのである

どちらのほうが「より良い」とか「正しい」とかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。

エルデンリングは、オープンワールドという仕組みを導入しながらも、リニアゲームから脱却することができなかった。

見た目はオープンワールドでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランス作品だった。

たとえばストームヴィル城などはなかなか立体的な構造だが、

屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。

あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、

自由な移動を保証したオープンワールド化の結果として可能になったものではない。

またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定ポイントしかスポーンできない。

非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。

これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。

まさにリニアゲームデザインである

スポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。

死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。

というかフィールドは広くてもイベントクエストスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。

まりどう考えてもフィールドを探索させる気がない。

「あちこち適当ボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それってオープンワールドっぽいですよね?」

くらいにしか考えていないのだろう。

まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、

脳が完全にリニアゲームに特化していると思われるので、

次回作では無理せずリニアゲームにしたほうがいいと思う。

じゃあ俺はゴッサムナイツをやってくるね。



『ELDEN RING』ディレクターの宮崎英高氏にインタビュー! 著名な作家とのコラボレーションなどについて語っていただきました! – PlayStation.Blog 日本語

寂寞とした「狭間の地」を舞台としたオープンワールドでは、プレイヤー縦横無尽の旅へと導きます

宮崎氏:プレイヤーには主に、今回私たちが注力した自由度の重要さを感じてほしいと思っていますゲームプレイヤーそれぞれの方法で楽しんでもらい、自分のペースで探索できるこの新しいオープンワールド解放感を味わってほしいと思っています

宮崎氏:はい、これは意図的なものですが、必ずしもゲームを明るくするためではありません。『ELDEN RING』では、広大なオープンワールドを探索することを考えると、鮮やかな色使いが必要でした。

フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏が語る『ELDEN RING』開発の秘密 - Xbox Wire Japan

フロム作品としては初となるオープンワールドは美しく広大で、さまざまな探索を楽しめるようになっているのも特徴です。

オープンワールドデザインは、これまでの作品創作プロセスにおいてどのような違いがあったでしょうか。

宮崎氏:ゲーム全体のデザインで言えば、『DARK SOULS』などから変わらぬテーマである達成感に加え、未知と脅威に満ちた広大な世界に、自由に挑む「冒険感」を重視したことが大きかったと思います

また、他オープンワールドゲームインスパイアされた点はありますか?

宮崎氏:特定ゲーム特にインスパイアされた、ということはありませんが、ユーザーとしても、名作と呼ばれるオープンワールドゲームを多くプレイし、それぞれから素晴らしい刺激を受けました。

単なるゲームメディアではなくPS/Xbox公式ブログにおいてもオープンワールドだと喧伝され、ディレクターもとい宮崎社長オープンワールドだと言っているのに、「エルデンリングオープンフィールドからオープンワールドじゃない!プレイヤー勝手勘違いしただけ!」というのはさすがに詭弁ですね。

2022-10-02

「今更だけど国葬反対の理由ってなんだろね。」補足 旧統一教会の話

初めに

https://anond.hatelabo.jp/20220930230732

こっちの続き。主に旧統一教会に関すること書くよ。反応がきっついので多分最後

結論から書くと

統一教会について

統一教会過去に「霊感商法」を行っており、過去問題があった団体というのは周知のとおりだと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/61d40e2e670a91125101a0d09b87544e51e0d6b7?page=1

やすっかり「強大な力を持つ宗教団体」、統一教会問題実像を探る

ただ、過大評価されているというのが私の感想上記記事だと

との内容。

統一教会自民党とのつながり

自民党とのつながりは、あったと考えるのが自然

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220712-00305301

統一教会戦後保守岸信介安倍元総理銃撃事件犯人世界観とは?

冷戦時代負の遺産。ただ、現役の議員らが積極的に彼らにかかわっていたか微妙

http://www.the-journal.jp/contents/arita/2006/06/post_10.html

安倍晋三氏に接近する統一教会

有田芳生さんのブログより

国会議員地元事務所が依頼を受けたならば、祝電を送るかどうかはそこで判断するのが通例だ。結婚式葬式への電報ほとんど同じ水準の判断だろう。

祝電を送った安岡興治元法相事務所が「出席依頼があったので電報を送った」というレベルのことだ。

[略]

「実は」と彼は統一教会がさかんに接触し、面会を求めてくると語った。「わたしは会わないですよ」と安倍氏は言った。

政教分離原則

私も少し勘違いをしている時期がありました。

https://www.komei.or.jp/faq/

公明党の素朴な疑問 公明党創価学会関係は?政教一致じゃないの?

宗教団体特定政党支援すること自体は、合法。これが認められないと信者の方が選挙投票することができないので、よく考えると当たり前。

問題になっているのは「過去問題を起こしていた宗教団体とつながりがあるのは如何なものか?」程度で法律違反ではない。

https://www.sankei.com/article/20220930-KNJU7E6VGNLZBI3QRWTR3ZGB2A/

立民も調査漏れ続々? 辻元清美氏、松木謙公氏ら

自民党以外からもつながりは見つかっている。もちろんこれらも合法

宗教法人法に基づく解散命令

テロを起こしたオウム真理教に対する解散指定請求棄却された時点で、旧統一教会にそれを適応するのは難しい。

https://www.npa.go.jp/hakusyo/h09/h090600.html

平成9年 警察白書

オウム真理教(以下「教団」という。)は、教団に対する一連の取締り宗教法人法に基づく解散命令破産法に基づく破産宣告等により打撃を受け、破壊活動防止法(以下「破防法」という。)に基づく解散指定に係る手続の進行中は活動自粛していたが、解散指定請求棄却された後は、世論の動向等を見極めつつ再び活動を活発化させ、財政的基盤の充実、強化に努めるなど懸命に組織の生き残りを図っている。

[略]

7年12月14日政府は、オウム真理教に対する破防法に基づく解散指定に係る適用手続の開始を表明したが、極左暴力集団は、中核派革マル派等がそれぞれ反対集会を開催するなど、強い危機感を示した。特に革労協狭間派は、8年2月21日公安審査委員会委員長宅等に対する2件の発射弾ゲリラ事件東京)、9月24日に「中国公安調査調査第一部首調査官宅放火事件」(島根)を引き起こしたほか、公安調査庁、公安審査委員会等に対する「抗議はがき運動」、公安審査委員会委員宅周辺での抗議街宣等にも取り組んだ。

中核派国葬反対デモで目立っていた団体で、テロ活動も行っている。

共産党も同時期にデモを行っていた。極左暴力集団とのかかわりはないとは言うものの、同時期にデモするのは「連携してない?」という疑念を持たれてしまうので良くはないと思う。

信教の自由

統一教会問題があることはあり、それに対する批判問題ないと思っている。ただ信者であるという理由だけで、「関わりを断つ」というのは差別

これ、一時期の嫌韓と同じで、対象が「在日から「旧統一教会」にすり替わっただけ。リベラルからするとこういった差別行為は認められないはず。特に報道過熱にはかなり危機感をもってる。

https://www.jijitsu.net/entry/miyaneya-touitsu-kateirengou-teiso

統一教会=家庭連合ミヤネ屋読売テレビTBS・紀藤・本村・八代弁護士提訴裁判の行く末は…

宗教2世」「犯罪行為にかかわっていない信者」がこれらの風潮で被害を受けることは目に見えている。魔女狩り様相を呈していて、本当に良くない。

2022-10-02 23:00 追記

前回の記事と違って、全然ブクマつかないな。コメントも落ち着いているというか。この記事の内容は国葬の話からも少しずれちゃったしね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/949191226041810944

統一教会への解散命令は困難 自民萩生政調会長共同通信

みんなこっちにコメントしてるのか。ただ...なんだかな...悲しいな。

単純に統一協会問題マスコミ報道が続いたせいでしょ。あれだけ流されればマイナスイメージ付く。理屈は後付け

まあ、これだよね。

もう誰も見てないから、ここからは完全にチラシ裏の落書き独り言

全盛期の2010年前後はてなブックマークに比べると、随分とドロドロした所になっちゃったな。「ウェブ進化論」で提唱されていたバーチャル研究室なんて概念はもう見る影もないというか。

あるのは党派性で歪んでしまった認知と、建設的な議論でなく罵詈雑言を浴びせるコメント群。昔もリベラル寄りのコメント多かったけど、まだマシな感じだったし、ブログエントリー面白い記事がたくさんあったな。

当時は先進的な企業として注目を浴びていた「株式会社はてな」も色々方向性変わってきちゃったしね。

ただ、ホントはてなブックマークをどうするか考えたほうがいいんじゃないのかな。

2022-10-01

エロサイトエロアニメ見つつも賢者タイム中に仏教思想書を読んで異世界ハーレムも良いが

世俗との関係を断って梅妻鶴子な生活を営む僧侶仙人も楽しそうだーってその狭間で迷う

どっちにしろここではないどこかに救いを求めてる時点で逃げなんだけど

2022-09-12

女が「下方婚」しない理由の一つはこれだよね

男女逆なら稼ぎの少ない妻はその分家事を多くやってくれるだろうけど

男は稼ぎが少なくても家事をしないか

女がわざわざ低収入男と結婚するメリットゼロ


https://toyokeizai.net/articles/-/225103?display=b

稼ぎが少ない夫が家事放棄する「深い理由

プライド」と「見栄」の狭間で揺れる男たち

2022-09-09

Spotify音楽聴いて、関連しておすすめされるようなものをどんどん聴いて、気に入ったものライブラリに入れて、ということをやっていくと、音楽ライブラリが膨大になっていって、探す用のプレイリストを作っても「あの時に聴いた気がするあの曲、どこにあるんだっけ…」と探し出せない時がある。

なんか、友達100人目指して連絡先を聞き回った結果、数字としては100人集まったけど、名前をみてもピンとこない、みたいな感じだ。誠実なリスナーと言えるのか?という気持ちと、それでも量を聴いて、より自分の耳が肥えた状態を目指したい、という気持ち狭間で揺れ動くマイハート

ジョニーリメンバーミー。霧の中のジョニー

2022-08-22

デトロイト(Detroit Become Human) が原因で破局した話

はじめに。もしDetroit Become Human(以下「デトロイト」)を未プレイのままこの増田を読もうとしている方がいたら、今すぐUターンして本作をプレイして欲しい。自分で話を進めるゲームとはいえ、何も知らない状態でやるのとなんとなく知ってしまっている状態でやるのとでは雲泥の差である。あの感動は初プレイしか味わえないので、ぜひこんなページは見なかったことにして欲しい。

私自身まともに文を書いた経験読書感想文くらいしかないため乱文となってしまうが、多少は大目に見ていただきたい。

私と恋人は、互いにサブカル趣味を持っていたこともありよく漫画の貸し借りをしたり、同じゲームプレイしたりしていた。特にゲームは2人してのめり込む性質だったため、ひどい時は2人して一日中通話を繋げたままひとつクエストを周回したこともある。もう若くないので絶対に出来ないが、たしかに楽しかった思い出の一つでもある。

デトロイトも彼から勧められたゲームの一つである。当時はまだ発売されたばかりで、「詳しいことは敢えて説明しないけど、映画好きなら絶対面白いよ」という彼の言を信じ、数日後にはソフトを購入しプレイをし始めた。このときまさか、これが原因で恋人との関係が悪くなるだなんて思いもしなかった。

デトロイトは、アンドロイドである3人の主人公視点からアンドロイド人間関係性の変化について描いた作品だ。プレイヤーの選んだ選択肢により大きくストーリーが変わったり、ひどい時は死人が出るというこのゲームに、私はすぐ夢中になった。なんて楽しいゲームなんだ。そのとき生活も忙しかったが、毎日少しずつ時間を作り1日2チャプターずつくらいのペースで進めた。もう本当に、超面白かった。

さて、問題はここからであるわたしはこのゲームを始めると彼に伝えた時にある任務を与えられていた。それは「チャプターごとに選択とどういう結末になったのかを教えて欲しい」ということだった。たしかにこういったゲームの進め方はかなり個人差が出る。彼はアニメ漫画を見た後に考察検索したり、わたし感想を聞いてきたりするタイプだったので、その一環かな?と納得しつつ了承した。

そんな訳で私はゲームプレイ後に自分の通ったルートを彼に電話で伝え、私のチャートに対する感想を貰ってから眠るという生活になった。はじめは順調だった。「人質解放成功したんだ!もうゲームに慣れてるね」「なんの絵書いた?アイデンティティ疑念?一緒じゃん!」こんな感じの会話をしたと思う。

そしてその日もいつも通りゲーム後に報告の通話をした。

「おつかれ、今日はどこまでやったの?」

「おつかれ、今日は『夜のあらし』までやったよ、ねーてか!カーラがトッドのこと殺しちゃった!どうしよ〜!!」

本当に、いつも通りの通話のはずだった。通話に出た時の彼もいつも通りだったし、わたしゲーム内のことで多少は動揺していたが、特に変わったところはなく話していたと思う。しかし私が自分プレイ結果を伝えた途端、彼は少し黙り、そして少しして怒り出した。意味がわからなかった。結構時間怒られた気もするが、要約すると「銃を持っていく人がいるなんて思わなかった、最低だ」というようなことだった。もっと訳がわからなかった。

『夜のあらし』は主人公の1人である家政婦アンドロイドのカーラに大きな転機が訪れるチャプターであるプレイヤーは彼女の雇い主の娘であるアリスを救うため、様々な方法を用いることが出来る。その中で私が使ったのが銃だった。

別に珍しい選択でもなかったと思う。その前のチャプターで銃の場所確認していたし、後から世界選択(このゲームでは全世界プレイヤーが1周目でどの選択を取ったのか、パーセンテージで表示することが出来るのだ)をみても、決して少ないパーセンテージではなかったと感じた。

それでも彼は私を糾弾した。いくら私が、相手は1度カーラを破壊しているから、武器がないと勝てない、このままではカーラもアリスも殺されてしまうと思ったから、と説明してもまるで聞く耳を持たなかった。最低だ、同じ人間とは思えないと続けて言われるだけだった。その日は彼が一通り私を罵倒するのを聞き届けた後に、もう寝るからと言って早めに電話を切った。ふだんは穏やかな恋人だったので、私は少なからず動揺し、明日には元に戻っていることを祈り布団に潜った。

その日以降も彼への報告は続けていたが、やれ「なんでカーラを追うんだ、可哀想だと思わないのか」、やれ「館に火を放つなんて信じられない、野蛮だ」などと言われていた。『逃亡(=逃げるカーラをコナー(主人公の1人。警察アンドロイドである。)で追いかけるチャプター)』でのコナーにとってはカーラの事情なんて知ったことではないし、『ズラトコ(=カーラが悪徳おじさんの館から脱出するチャプター)』なんて見つかったら即死のような状態だった。私はそのときそのときの最善を選んでプレイしているつもりだったので、彼から否定に納得ができなかった。というより、人の選択ケチをつけてくる彼の姿勢に少なから嫌悪感を感じ始めていた。

そのうち彼は、ゲーム関係ないところでもそういった話を持ち出すようになった。私がなにかする度に「さすがすぐに銃持ち出すやつは違うな」

「そういう軽率なところ、いつか絶対後悔する日が来るよ」などといつだって私の人格否定するような言い方をしてきた。純粋に腹が立った。それでも私は報告をやめていなかった。

そしてゲーム内で、私が彼に別れを告げることになる決定的な選択が現れた。チャプター『カムスキーである。既プレイの方なら何となく察すると思うが、ある女性アンドロイドを撃つか撃たないか、という選択プレイヤーは強いられることになる。非人道的選択を嫌う彼のことだ、もし私が彼女を撃ったと聞いたらまた怒り出すだろう。しかし私個人気持ちとしてはどうしても撃ちたかった。撃ったら事件解決に繋がる情報をくれるという甘言に従いたかった。でも撃ったら確実にもっと恋人との関係が悪くなる。でも撃たなければ私はこのゲームへの没入感を失ってしまう。

ゲーム内でコナー任務達成と己の感情に揺れるとき、私もゲームとしての面白さと恋人との関係狭間葛藤していた。どちらを取っても自分の中にしこりが残ると思った。どうしてこの選択肢に限って時間制限がないのか、と制作会社一方的に恨んだ。


結果から言うと、私はゲームを取った。


その日は報告の電話をせず、翌日になってからLINEで伝えた。案の定彼は私を詰ったが、文面だと電話や対面より幾分かマシだな、と今更ながらに気づいた。そこから少しずつ、私は恋人距離をとるようになり、ゲームクリア後しばらくして、お互いが納得した上で別れた。どこかスッキリした。

この増田を書いたのは、そろそろ時効だと思ったのと、友人の一人が最近デトロイトプレイし始めた、という話を聞いたからだ。なんとなくこのことを思い出し、供養的な意味合いを込めて書いたが、デトロイトが原因、というよりは純粋に相性が悪かったというだけの話なのだろう。というか、私が自分選択に口出しされるのに我慢ならなかったという話でしかない。

この増田で伝えたかったのは2つ、1つ目は「ゲームに限らず、人の意見全否定するのはやめよう」ということ。2つ目は「デトロイトカムヒューマンは最高だ」ということ。

君もデトロイトカムヒューマンプレイして最高の体験をしよう!

2022-08-19

[]相次ぐ監督解任も、クラブワースト10試合勝利オレオレFCは何故、監督続投を決断たか

 J2自動降格圏の19位に低迷するガンバ大阪17日、16日付で片野坂知宏監督との契約解除を発表した。成績不振による事実上の解任で、同じく最下位に低迷するジュビロ磐田も14日に同じ理由で、伊藤彰監督の解任を発表した。その一方で暫定14位のオレオレFC相田満監督を続投した。クラブワースト更新する10試合勝利と低迷が続き、J1残留争いに巻き込まれたが、何故クラブ監督続投を決断したのか?

 結果が全てのプロ世界。J1も残り12試合というタイミングで、自動降格圏に低迷するジュビロ磐田ガンバ大阪監督交代に踏み切った。一時期最下位に沈んだヴィッセル神戸清水エスパルス監督交代に踏み切っている。一方、前節、クラブワースト更新する10試合勝利でJ1残留が危うくなったオレオレFCは13日の神戸戦後、観戦に訪れた中津真吾社長メディアを通して、現状を謝罪した上で、相田監督の続投を明言し、ノエビアスタジアム神戸に駆けつけたサポーターにも自ら経緯を説明した。

 15日には中津社長の図らいで、サポーター代表選手監督との緊急会談を実現。現状の課題相田監督の去就について話し合い、各側の意見方向性確認。最終的に選手サポーターから監督への不満の声はなく、残り試合相田監督サポートすることで一致した。

 中津社長によると、これらの背景には昨年までの反省があると言う。2019年にJ1に昇格して以降、オレオレFC2020年を除き、全てのシーズン監督の途中交代を経験。昨年も5月に3連敗を喫し、当時の中林監督を成績不振で解任した。当時はフロント主導で、サポーターの声すら聞かずに結果ありきで決断していた。矢狭間GM暫定的に指揮したのち、後任の野牧憲広監督(現ヘッドコーチ)は最終戦まで指揮したが、結果的には17位と最後まで残留争いに巻き込まれた。

 そうした反省を踏まえ、今季から就任した中津社長は「今、学生スポーツにおいて勝利至上主義が問題となっているのと一緒で、プロアップデートしないといけない。これからフロント主導では厳しい、サポーターファーストにならないと」とフロントだけでなく、サポーターらの意見も取り入れる方針に切り替えた。

 勿論、「現状に満足はしていない」と中津社長。それでも「プロは結果が全て。だけど、それありきで解任するのは僕は良いとは思わない。甘いと言われるだろうけど、僕も相田監督選手もチームも生き物。日々成長していかないといけない」。最終成績は分からない。だが、3年在籍し、未だに築き上げていないオレオレFCサッカーを築くため、未来のために継続と成長を決断した。

 監督続投となった相田監督は「ああいう場を設けて頂いて、サポーターの声や選手達の声を聞けて嬉しかった。だからこそ、より一層、結果を出し続けないといけない」と決意を新たにしMF山本も「自分達が招いた現状。サポーターに何度も悔しい思いをさせている。(清水戦は)前回、負けて悔しい思いをしているので、勝って喜びを分かち合いたい」と強い覚悟を示した。もう迷いはない。起死回生を誓って、20日アウェイ清水エスパルスからの残り12試合に挑む。

2022-07-30

[]7月29日

ご飯

朝:なし。昼:カロリーメイト。夜:マクド

調子

むきゅーはややー。お仕事は、ちょいなちょいな。

ワールドリッパー

水着バレッタガチャチケだけで引けた。

公式が告知してるだけあって、インフレがすごい。

これが今後続くようだとシンドイなあ。

シャドウバース

ミーノちゃんかわいい

デレマスゆりゆりとか、グラブルルナールとか、ああいタイプなんだけど社会人から仕事趣味狭間で苦悩してるのがかわいいね。

後輩のゴシックリーパーちゃんと仲良しするストーリー読みたい。

2022-07-13

凡人と変人狭間で苦悩しながら生きる僕が紡ぐ他愛のない綺麗事

1.自分けが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。

2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。

3.アニメゲーム小説などの物語ライブや歌などの音楽自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれから大事にしていきたい。

4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうもの自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。

5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。

6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識今日明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。

7.僕は周りから見ても恵まれ環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分肯定できるようになってきたそんな気がする。

8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分個性として受け入れていきたいと思う。

9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうもの大事にしていきたい。

10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうもの大事にしていきたい。

11.自分人生絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。

12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。

13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いかからなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験人生の糧にして大事にしたいと思う。

14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。

15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章自分にとってはとても大きなものなんだと思う。

2022-07-11

東京選挙区はつらい選択だった

前回の衆院選脳死小選挙区自民、比例国民に入れたが今回は期日前に行くのを止めて当落線上を見ることにしたんだ

表現規制軸で都ファや沓澤を選んでも良かったが戦線に絡みそうにない

感情的には山本太郎を落としたいが対抗が元アイドルの置物か維新 これはない

こいつらを通すくらいなら山本太郎一人通しておいた方がどうせ議席を伸ばす維新牽制の役に立つとも思った

ネット論調ははっきりと山本を落とせか海老沢を落とせの強い主張しか目に入ってこない

狭間で苦しんで鉛筆を叩き折りたくなったのは俺だけなのか

2022-07-10

凡人と変人狭間で苦悩しながら生きる僕が紡ぐ他愛のない綺麗事

1.自分けが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。

2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。

3.アニメゲーム小説などの物語ライブや歌などの音楽自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれから大事にしていきたい。

4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうもの自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。

5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。

6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識今日明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。

7.僕は周りから見ても恵まれ環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分肯定できるようになってきたそんな気がする。

8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分個性として受け入れていきたいと思う。

9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうもの大事にしていきたい。

10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうもの大事にしていきたい。

11.自分人生絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。

12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。

13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いかからなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験人生の糧にして大事にしたいと思う。

14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。

15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章自分にとってはとても大きなものなんだと思う。

2022-07-09

凡人と変人狭間で苦悩しながら生きる僕が紡ぐ他愛のない綺麗事

1.自分けが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。

2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。

3.アニメゲーム小説などの物語ライブや歌などの音楽自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれから大事にしていきたい。

4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうもの自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。

5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。

6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識今日明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。

7.僕は周りから見ても恵まれ環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分肯定できるようになってきたそんな気がする。

8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分個性として受け入れていきたいと思う。

9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうもの大事にしていきたい。

10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうもの大事にしていきたい。

11.自分人生絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。

12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。

13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いかからなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験人生の糧にして大事にしたいと思う。

14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。

15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章自分にとってはとても大きなものなんだと思う。

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