はてなキーワード: 狂信者とは
みんな!みんなには嫌いな言葉や嫌いな物があるかな?
はいそこ、「お前」とかいうつまらんのはいらんからな。オウム返しは面白くないぞ。面白くない俺以下だからな。
まあ人間はたくさんいる以上個性も嗜好もまちまちだわ。
お前が好きなものを他の人は嫌い、お前がやめてほしい事を他の誰かはすすんでやりたがる。
そういうもんだ。
でもインターネット、とくにここみたいなとこではなるべくそういう事を主張しない方がいい。
絶対に傷つくハメになる。理由かどうかわかんないけどダラダラ語らせてもらう。
読む気ないならこのはてなで活発なオスメスの喧嘩や政治マウント合戦にお帰りなさい。
まあ前提として匿名空間やハンネの仮面がある様なサイト/コミュニティは「現実じゃできない事、言えない事」を言いたいのがいっぱいいる(と、俺は決めつけておく)。
そりゃそうだろ。自分語りをパズピーされてけんま(意味はググれ)されるか、サイト側がやらかしたりクラッキングされて個人情報漏れない限りは誰かバレないからな。
度合いは人によるけど、自分の心の汚い部分や闇の部分、見栄を張りたい嘘つきの部分が活発になる。現に俺はそうだ。俺がそうだしそれ以外にもいるだろう。
つまり、「何言っても顔無しの名無し」「謎の仮面の怪人」「電池無限のステルス迷彩とサプレッサー無限の銃を装備したスネーク」状態な訳だ。
うーん、結論になってねえな!
つらつらオタクの気持ち悪い構文を広める前に例でも挙げるか。
まあここはネットの人間の汚すぎる部分が凝縮されてるから、傷つく人間も出てくる。
ある女が「私達のことまんこって言わないでください」と切実に書いた日記があったな。URL忘れたけど。
で、その日記になんて言及付いたと思う?
「いきなりまんこが喋るとびっくりする」「おっと、下の口じゃなくて上の口も閉めとかないとな(笑)」だぜ。
もっと傷付くハメになったね。
まあそういうことだ。「やめてくれ」という意思表示、「嫌い」という拒絶は正直逆効果だ。
「こいつこういう事されると傷付くんだな!もっとしちゃえ!」って性格悪い奴に煽られる事になるから。
性格悪い奴だけじゃない。そうなった経緯を理解してもらう為に話せば、逆張り大好きな奴から「どうせ嘘松なんだろ?嘘つきめ。みなさーん!こいつは嘘つきですよー!」と責められ広められるだろうし、「何であなたはこれが嫌いなのですか?こんなに素晴らしいのですよ!さあ!私達と一緒に!」と狂信者に布教される。
布教されずに「我々の経典を馬鹿にした愚か者がいる!天罰を!天罰を!」と十字軍を派遣され数の暴力に晒される事もある。
だから俺から言えることは一つ。
黙っておけ。触れるな。見ない姿勢でいろ。
傷つくのが嫌だからと自己防衛をしようとするのは、逆に傷つく事になるからな。
狂気に憧れる凡人の話
それはほかでもないぼくのことであるのだが。何よりもまずこのもったいぶっていかにも尊大そうな文章にケチをつけなければならないが、どうしてもこの文章じゃないと書けないのは、普段の自分の頭の中をかけめぐる独白の数々がもう常にこの状態で、いくらケチをつかえようにも治らないのである。そしてその結果所々に綻びが生じる。そしてそれを許容するにはあと何十年も人生が必要になるだろう。
明け方。明け方といっても現在午前19時である。日当たりのいる部屋に住むせいかカーテンを未だ閉めているせいか太陽を拝むことはないのだが、とにかくこの時間までぼくは寝れずにいた。寝れないときに頭を駆け巡るのはたいてい直近の過去の反省か僕が主役の何かしらの劇的な映画である。ある時は正統を追い求めた結果化け物となる主人公を演じ、ある時は自分の人当りを恥じたり、ある時は海外旅行先で危うく性欲に負けそうなった事実を思い出す。現在や過去からの逃避のためにぼくは狂気の自分を追い求める。その狂気というのは目的達成のために没頭することができて周りを省みずそして周りもまた本人を認めている状態を指す。つまり自己実現と自己顕示が両立した理想的状態に憧れる。そしてその状態は過去のいかなる自分を構成している伏線を全て回収し、何等かの今現在の結果にすべて一本の柱で繋がることを求めている。求めているのである。現実はそうはいかない。そのような狂気の自分が自分に舞い降りたことはなく、狂気の結果になったこともない。狂気を演じてみたこともあったがそこに生じたほころびはむしろ自分を苦しめることになった。つまりは結果が伴わなかったのだが、それはそうとしよう。なにより自分自身はどこまでも凡人で、その凡人さと、そして誠実さを追い求めていたという現実に直面したのである。狂気は理想、凡人も理想。でも現実は凡人。では理想は叶ったと思うが、これもまた難しい。この構造がよくわからない。凡人という層の上に狂人という層が乗っかっていて、その両方を求める自分がいるのであろうか。
これはぼくの物語の妄想に関連してくるのだと考える。ぼくの頭の中の物語、しばしばそれは12歳の頃から文章となって表現され印刷され、多くの人に読ませたりはたまた読まれたりしたわけだが、その妄想こそが平凡の上に狂気がコーティングされている。つまり、世のなかに多く知れ渡るフィクションと全く同じ構造を取っている。具体的に言えばスターウォーズ。
例えば運命の申し子になりたがったり、運命に反逆し新しい法則を作り出す存在になりたがる。誰しも考える物語もそうかもしれない。だからこの文章もありがちなものになり得る。それはしかし考え始めるとまた大変なので置いておく。
まず、基本となる法則を追い求める。例えばスターウォーズでいう「フォース」であったり、よくある「運命」だったりする。「強大な支配者」だったりもする。そしてその基本となるものに、自分は「狂人」となり法則に準じて動いていく。妄想の世界でこの法則は絶対で揺らぐものではない。妄想の世界ではぼくは絶対に間違えない。法則を間違えない。
これこそがぼくの今の状態を作り出すのである。平凡の狂気の同居を求めるということ。つまりそれは究極的には平凡を求めているのかもしれない。絶対正しいとされることを妄信的に突き進めばぼくは幸せになれる、自己実現ができるという、ある意味思考停止を求めた状態なのかもしれない。価値観の氾濫するこの時代である。よく大昔の評論でいう「大きな物語」の終わった時代。それが昔。らしい。ぼくの生まれる五年ほど前にそれは終わり、今は価値観の氾濫する時代になっている。だからこそ強い価値観が生まれてカウンタ―も強い。2011以後、それを強く感じている。もはや学べば学ぶほど何が正しいかわからなくなり、そして終着点が分からなくなる。よくフィクションで言われる「それは己が決める」そうしたい。そうしたいし、それが正解だと思う。しかし自分が間違える存在で、正しいところに合わせなければならず、もし自分がそれを踏み外せばそれすらしばしぼくの責任ではなく(大きく元を辿れば自分の責任なのだが)、自捨を求められる「大きな物語」の中にいたぼくが、この物語の氾濫するなかでそれを選択し生きていけるのだろうか。しばしぼくらは尊重される。マイノリティだとしても悪いことだとしても、その個人は尊重される。されるべきである。一方でぼくを取り巻く規範がぼくにどう作用するのか。二つの全く異なるコミュニティを行き来してきた僕に何がどう作用するのか。1984よろしく二重思考である「わかっちゃいるけどやめられない」「間違っちゃいるけど間違っていない」恐らくこの二重思考も誤りであるが。そしてぼくはどちらかを選択し逃避する。どちらも正しいと思うのに。どちらも正しいと思うから。これがまたややこしい問題を引き起こす。
本当のぼくはとても乱暴な狂信者である。属する二つのコミュニティの規範に対して。とても乱暴で妄信的な狂信者である。その折り合いは結局、この22年間でつけることは出来なかった。そしてもう23年目を迎える。自己実現や自己顕示などもう参照ファイルの一個としてもったいぶって時折閲覧する程度でいい時期である。それすらも間違っているのかもしれないが。ぼくのただの達観という自己満足と自己実現の1つの妄想の中の確信の1つなのかもしれないが。だがどうしようもない。この疑い逃れに堕ちぬよう絶対を見つけるまで日向ぼっこしかないんだ。何日も何十年も雲のように漂って。とっつきやすい欲望を転々として理由を探していたけど。ある日ある事あって。また嫌になったんだ。これまでの世界にもこの文章にすらシラケてしまった。ぼくは戻っていった。あきらめと忘却と千羽鶴のように歩む生活の往来に。さながら長澤知之である。回想を繰り替えし思考列車は回送を繰り返しながらぼくは今日もぐるぐると回り先人を参照して一時満足しまた離陸して宙に浮いて厨二に入ろうする。三十分が経った。整理できただろうか。ぼくはこうして前に進めない。前に進み規範に折り合いをつける技量もない。面白いことに一年前のぼくの就職診断で出た答えは「開祖」であった。宗教をひらけというのだ。つまりはもうぼくはそのようにして列車を止めることは出来ないから、早く駅を作りその駅に留まりまた路線を作り走り出せというのだ。それしかぼくのような人間は生きることが出来ない。社会でやっていくこともできない。
そしてぼくのようなものは、地球上にゴマンといる。恥ずかしいことにマジョリティなのである。なんとも哀れ。恥ずべきこと。マイノリティを求めること時代がマジョリティの発想なのである。この世に溢れるマジョリティを求めるマイノリティの物語などすべてその逆でしかない。この文章も自己陶酔の一役目しか果たしていない。道具に頼らないだけマシであるが。
夜が明けた。今日が始まる。あまり酔った文章を書きたくないのでどう締めたらよかろうか。この自分の状態も、外の状態も、宵が明ける。上手い。よしこれで終わりにしよう。
2018/2/27
今朝見たツイッターで一方的にフォローしている王国民のつぶやきによると誕生日だからという理由で平日にライブをやるのだという。そして俺は今日暇で、当日券も残ってて、ネット経由で予約ができるから無駄足になることもない。
俺の仕事は休日がランダムで、土日とか関係なくて、むしろ平日のほうが日数が多いぶん当たる可能性が高いくらいだ。事前に「この日は絶対休む」と決めて予定を立てることも出来なくはないがそのカードは今の趣味のために全部切っていて新規開拓に使う余裕がない。
もちろん「ファン」を名乗る存在にとってはいかなる事情も年に一度ペースのイベントを逃す理由にはならないし、現に俺だって休日を調整して当日と翌日休みを確保するくらいに好きなものはある。何だったら仕事の方蹴ってやるし。
でも逆に言うと俺は仕事を蹴れるくらいに熱くなっているイベント以外にはまず参加しないということでもある。
地方住まいだから「当日が休日になったら行く」も使いづらい。だってイベントの日って世間も休日だから車移動厳しいし電車移動は終電が早いから無理だし。そもそも行けるかわからないチケットの予約とかしないし。
そんな生活が続くとそもそも予定を検討することすらしなくなる。一番好きと二番目の好きくらいまでなら享受できるからなんとかそれで生きていくようになる。(それでも贅沢な話ですね)
ゆるい好き。極上生徒会とか好きだし最近になってラジオも聞くようになったけど「現地」だけは遠いところ。だったのが急に俺のゆるい熱量でも届く所まで接近してきた。
行けない理由が全部消えちゃったんだもんまあ行くわけですよ。18時開演だから行きには余裕があったもんね。別に早起きしてなくても行けばいい。(早い時間のイベントは前日に早寝して夜明け前に出発したりするんですよね。府中までは4時間くらいだから昼食べてからでも余裕。)
ここまで前々から興味があったようなこと言ってきたけど認識が甘かった。俺は王国をなんだと思っていたのか。自分が入れ込んでる領域でも自分のような者を見たことがある。アンテナは低いし必修科目を受講すらしていないのに公式やファンに対して上から目線。
新・天地無用で初めて声を聞いてからもう20年くらい「知ってる人」だと思い込んでいたんだが。
俺は田村ゆかりさんのことをアニメの声と新しいほうのラジオでしか知らず歴史や文脈に関してまったくの無教養だった。ラジオとか聞き流していたな。何が毎週欠かさず聞いていますだ。録音して一字一句を書き起こせよ。
雰囲気でペンライトを買ったが使い方がわからないじゃないか。ただ振るだけだと思ってたけ周囲りのオーディエンスは熟練度が違う。アリーナ席を見ろあいつら客じゃなくてそういうキャストじゃないのか。
歌もお前はアニメの主題歌とキャラソンくらいしか知らないな。でもラジオでよく聞くあの曲は全部セトリに入ってるぞ。新参に優しすぎるだろ天使かよ。
あそこは狂信者の集いなどではなく、極めて理知的に、合理的に魂を満たすために揃いの支度でライブに「参加」をしている。
コール。世界一かわいよー!とかゆかりーん!とか任意に叫んでいいことになっているようだがなるほど王国民の声は歌に被さっても違和感がまったくない。恋せよ女の子♪(ごーごー)の(ごーごー)くらいのもんだと思っていたがわけのわからないタイミングで巧みに叫ぶべき箇所を正確に射抜いている。本当に今までなんだと思っていたのか。
なんかステージのゆかりんより周囲の王国民を見てる時間のほうが長いくらいだったかもでした。
シャツも法被も鉢巻も会場を出ればすぐに見えなくできるもの。カメラで切り取られた異様な姿として流れてきた写真でしか知らなかったな。何リテラシーありますみたいな顔してんだそういうとこだぞ。
ここまで書いたが自分の認識に自信が持てない。本当にこんなもんなのか。行けばわかると思っていたけど何もわかっていなかったことしかわからなかった。
パペットはこの日使わなかったがここのコンサートなら全員で人形の口からトランプ出すくらいのことはやりかねない。底が知れない。
ゆかりんは確かにかわいかったし、スタッフは観客がゆかりんのかわいさを享受できるよう全力だったし、みんな満たされていて、自分が恥ずかしかった。
声優としての田村ゆかりさんの声はあんなに聞いたたのに。この場所との間にある壁はそんなに厚くないはずなのに。
次はちょっと無理してでも行こうと思う。
ウクライナ | ボフダン・フメリニツキー(1595-1657) | ウクライナ・コサックを率いてポーランド・リトアニア共和国に反乱を起こし、ウクライナの自治権を勝ち取った。その後、単独での防衛は難しかったことからロシアの保護下に入ったことで、後のロシアによる支配を招いたとも言われる。ユダヤ人の虐殺をしたこともあり、毀誉褒貶が激しい。 |
ベラルーシ | タデウシュ・コシチュシュコ(1746-1817) | 現在のベラルーシ、当時のリトアニア大公領に生まれ、アメリカ独立戦争に参加し、ポーランド独立のためにロシアと戦った英雄。なにがなんだか。一般には「ポーランド・リトアニアの英雄」とされるが、ベラルーシも「うちの出身やで」と主張している。ベラルーシ人は特に民族意識が希薄なため、他に民族的英雄があまりいないようだ。 |
モルドバ | シュテファン三世(1433-1504) | モルドバ公国の公。その統治はモルドバの歴史上で最も繁栄した時代だとされる。またフニャディ、スカンデルベグ、ヴラドらと並ぶ「反オスマン」の英雄であり、特に「ヴァスルイの戦い」での大勝が名高い。ヴラド・ツェペシュとは従兄弟同士で、親友だったとも言う。 |
ロシア | アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263) | ウラジーミル大公国の大公。モンゴル帝国に臣従しつつ直接的な被害を免れ、むしろ敵対していたスウェーデンを「ネヴァ河畔の戦い」で、ドイツ騎士団を「氷上の戦い」で打ち破って勇名を轟かせた。スターリンが独ソ戦の際に「かつてドイツを打ち破った」アレクサンドルを英雄として持ち上げたために有名になったとも。 |
アルバニア | スカンデルベグ(1405-1468) | オスマン帝国の支配下にあったアルバニアの軍司令官だったが、フニャディ・ヤーノシュの反乱を鎮圧するために差し向けられると、逆にフニャディに同調して造反し、オスマン軍をアルバニアから追い払って独立を達成した。 |
ギリシャ | アレクサンドロス三世 | 言わずと知れたアレクサンダー大王。大王の出生地が現在のギリシャにあるなど、古代マケドニア王国の大半はギリシャ領に含まれており、ギリシャは「マケドニア共和国はマケドニアと名乗るべきではない」と主張している。しかし地域としての「マケドニア」にマケドニア共和国が含まれるのも事実である。 |
マケドニア | アレクサンドロス三世 | 言わずと知れたアレクサンダー大王。現在、マケドニア共和国に住んでいるのはスラブ民族であり、古代ギリシャ人との血統的繋がりは無いとされる。しかし古代マケドニア王国はギリシャ人の国家だったものの、都市国家を形成せず、政治体制も異なるなど、アテネやスパルタにとっては「辺境」「蛮族」の感が強かった。 |
クロアチア | ヨシップ・イェラチッチ(1801-1859) | オーストリア帝国の支配下にあったハンガリーの、さらに支配下にあったクロアチアにおいて、クロアチア人たちの総督として独立を志向し、オーストリア皇帝の命でハンガリーの独立運動を鎮圧するなどした結果、一定の自治権を獲得した。独立運動の先駆者と評価されている。 |
セルビア | ミロシュ・オビリッチ(?-1389) | セルビア王国の騎士。セルビアがオスマン帝国に惨敗したコソボの戦いの後、オビリッチは寝返ったふりをしてオスマン帝国の皇帝・ムラト一世に近づき、そして刺殺した。コソボの戦いで戦死した王や騎士たちは後世英雄とされ、多く叙事詩の題材となったが、オビリッチもまたさまざまな伝説の主人公となった。そらこんなんおったらオーストリアの皇太子も暗殺するわな。 |
ブルガリア | ワシル・レフスキ(1837-1873) | 革命家。オスマン帝国の統治下にあったブルガリアの独立を目指して、国内に革命組織のネットワークを作り、外国の武力によらない独立を構想したが、オスマン帝国によって拘束され、処刑された。 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ | クリン(?-1204) | ボスニアの「バン(首長)」。もとは東ローマ帝国に属していたが、セルビアのステファン・ネマニャと共に離反し、ハンガリー王国の庇護を得つつ、実質的な独立を果たした。彼の統治のもと、ボスニアの文化・民族の土台が築かれ、いまなおボスニアの歴史上で最も平和で繁栄した時代と称される。 |
モンテネグロ | ペタル二世ペトロビッチ・ニェゴシュ(1813-1851) | モンテネグロの君主。国家の近代化に貢献し、オスマン帝国との軍事衝突を凌いだ。しかしそれよりも大きいのは詩人としての名声で、彼がものした叙事詩はモンテネグロの文学史上の傑作と目されている。いくつかは日本語訳もされているらしい。 |
ルーマニア | ミハイ勇敢公(1558-1601) | ワラキア公。オスマン帝国と敵対し、「カルガレニの戦い」でこれに大勝した。また、トランシルヴァニア、モルダヴィアを併合し、ルーマニアの統一を一時的にでも成し遂げたが、その翌年に暗殺されてしまった。 |
アルメニア | ヴァルダン・マミコニアン(387-451) | アルメニアの貴族。アルメニアを支配していたササン朝ペルシャによるゾロアスター教の強制改宗に反発し、寡兵ながらササン朝の大軍に立ち向かった。戦いには敗れ、ヴァルダンも戦死したものの、ササン朝は譲歩してアルメニアに宗教の自由を認めた。 |
アゼルバイジャン | イスマーイール一世(1487-1524) | サファヴィー朝の建国者。サファヴィーとは教団の名前で、その狂信者を兵士としたイスマーイールの神憑り的な軍事能力によって勢力を拡大したが、「チャルディラーンの戦い」でオスマン帝国に敗れ、意気消沈して晩年を過ごした。ちなみに当時のアゼルバイジャンと現在のアゼルバイジャン共和国の領土はけっこうズレているらしい。 |
ジョージア | タマル(1160-1213) | ジョージア王国の女王。セルジューク朝の影響を排除して、ジョージア王国の最大版図を築き、文化的にも黄金期を現出した。中世グルジア文学の最高傑作『豹皮の騎士』はタマル女王に捧げられた長編叙事詩である。 |
これは簡単なことじゃない。
タイムマシンは実現しないと言われているが、多分えらい人が遠い未来に発明してくれるはずだ。
でも不老長寿くらいなら俺の寿命にギリギリ間に合うんじゃないだろうか。
そうして生きながらえて、タイムマシンが発明されて、やっと過去にさかのぼれる。
そして妙な噂が立つだろう。
その挙句、
「おお、神様が顕現なされた。この方の言うことは全て正しいはずじゃ。」
などとなってしまうかもしれない。
そうなると俺がしたい説得にならず目的を達成できない。
もちろん神仏恐れぬ命知らずの現実主義者がいたらそいつは食い下がるかもしれないが、
逆に意気地になって何を言っても聞こうとしないかもしれない。
古代の価値観ではその向きこそ違えど、どうしたって人知の及ばぬ存在を畏れているのだ。
言葉も覚えないといけない。
体型も現代に比べて痩せて筋肉質で日焼けもしているべきだろう。
身長は180cmだが、これはおそらく巨大過ぎる。
そうやって人体を改造したとしても、本命の説得対象となる人物に行き着く前に練習が必要だ。
俺を殺して生き血を吸いに来る邪教の狂信者。
苦楽を共にした村の連中。
互いに慈しみあった麗しき娘。
気がつくとそんな毎日がたまらなく生活が好きになっている自分がいた。
いつの日か、俺はヤムド山の樹海深くに隠したタイムマシンを呼び出した。
誰も乗っていないタイムマシンのコックピットにそっと手紙だけを置き、元いた時代へと飛ばした。
ある霧深い朝のことだった。
逆にいうけど、あなたはあなたでナウシカに肩入れしすぎている。
墓所側の言い分はどうなんだ。
人類の行きつく先として巨神兵や王蟲を作るほどの高度な科学技術を手に入れたが
ヴ王やナウシカの好む人間としての闇が強すぎた結果、滅びの道に進んでしまったのが旧人類ではないか。
滅びに進むにつれて旧人類はナウシカたちが想像するよりもずっと大きな絶望と失敗を繰り返した。
ナウシカのいうような「血反吐を吐いてまで」という経験は旧人類側はもう既に十分すぎるほど経験している。
墓所側の歩いてきた歴史を信じられないし、同情もできなかった。
血反吐を吐いて進んだ道の答えが新人類であり、現生人類たちが例え環境に適応し生き残ったとしても、
まったく徒労でしかない。
人間性の闇を捨てる計画を立て、自分たちで破壊した環境を取り戻すために尽力した行動と選択は、全部旧人類の流れた血によってつくられている。
神の視点に立たずともナウシカには墓所側の行動と動機を推し測るだけの情報は十分すぎるほど得ている。
ナウシカのエゴが贔屓されたのは、それは自分たちに向いていたからだ。
ナウシカは自己犠牲や時には反知性的な犠牲行動を、「良い」と思ってやっている。
やりたいから、やっているだけであり、その行動の結果がどうなるか推し測る能力にたけているわけではない。
トルメキアの兵士を怒りに任せて殺した場面でも仲間をより危険にさらすだけだ。
それが残っていては計画が水の泡になる。
旧人類は徹頭徹尾、新人類を次の星の覇者にしたいのであって、現生人類はずっと捨て駒としてしか見てない。
だからこそ武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あの時点で武力衝突するのは当たり前のことだし、それで和平が成立しないというのも早計すぎる。
交渉は戦争が終わってからしかできない、墓所と現生人類の戦争はあの時点では何も終わっていない。
むしろ墓所側からしてみれば現生人類が約束を守ってくれるなんて信じられるわけがないんだから。
真実を話せば殺される、なら戦うまでだろう。
実際その予想は当たっていてナウシカという現生人類に殺されたわけだ。
それもまた思い込みにすぎない。
旧人類の計画では新人類は現生人類が死滅した浄化された世界ではじめて活動を再開する生き物であって、
それが一体新人類にどういった影響を与えるかはそれこそ神ですら分からないことだ。
完全に未知の領域であり、王蟲のようによりよい変化が起きる可能性もあるし、
そういった可能性のある未来を確かにナウシカはあの場で殺したのだ。
ナウシカは道化との問答で自然に生きて自然に死ぬべきだといっていたが、
それはナウシカが産まれるよりずっと前から存在し何百年も経過した後の結果である、
王蟲の心という、それこそ旧人類の計画で産まれた上澄みだけを掬い取って悟ったつもりになっているだけだ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。
人々はナウシカを見て心動かされるかもしれないし、ナウシカのおかげで助かった人間もいる、
だがそれは、そこまでは正しかっただけであり、この先もナウシカという暴力とカリスマが正しくあり続ける保証などない。
ナウシカの聖人性の反証として最後の新人類虐殺があったわけだ。
人間性の闇に疲れて果てた旧人類側からしてみれば成し遂げられそうだった計画を台無しにして、
生みの親どころか抵抗すらできない子どもを殺す悪魔でしかない。
あの世で彼らは環境変化を生き延びた現生人類が再び科学技術を再興し、二度目の火の七日間に進むまでじっと見てるだろう。
現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。
しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
誰もが森の賢者のようにはなれない、それを実現しようとしたのが墓所の願いだった。
ナウシカを読んだからこそ、愚かな人類と決別しようとした旧人類の思考を理解できるし、
初投稿。HIPHOP史にも社会学にも詳しくないんで諸々トンチンカンかもしれんけど、とりあえず殴り書き。
一応ネタバレ注意。
====
2週間くらい前のKOKを見に行きました。GADOROがだいぶ仕上げてきていたので、個人的には納得の優勝。ちなみに僕はダンジョンGADORO回とKOKを両方見られたので、もうGADOROの苦悩がスーパーハイビジョンで伝わってきたよね。いや~、持ってるよね。
んで、決勝の53 vs. GADOROだよ。僕は53→53→53→GADOROと挙げたけど、もはやどっちの勝ちかは一人ひとりの好みで決まってくるレベルにかなり迫っていた気がしたので、割れるのはしょうがないかなと僕は思っていたし、特に判定への文句もない。一応僕は一バトルとして見続けるよう努めたつもりではある。
問題は、このバトルに隠れている構図だ。
しばしば「日本のHIPHOPがメジャー化でダメになった」という話をCOREな方から耳にするような気がするが、僕はこう考える。「HIPHOP」がメジャーに媚び始めたというよりも、「日本人が想定する弱者」の像が変容したのだ、と言うべきではないか、と。
90年代当時(まで)は、テレビの影響力、集団行動力を重視する教育、いい大学・いい会社に入れば幸せになれるという信仰なんかがまだまだ根強かったはずで、それらが複合的に重なり、「安全第一の人生」を至高とする日本社会が形成されていたはずなのだ。そして安全を脅かす「ハミ出し者」を仲間はずれにし、自我を捨てて世間に身を委ねる則世去私イズムで多数派は安心感を得ていた。
まあ、阪神淡路大震災だのオウムだの酒鬼薔薇聖斗だのでそういった仮初の平穏にどんどん綻びが生じてくるわけだが、頑張って頑張ってみんな汚染水を除きまくっていたのだ。村上春樹の『アンダーグラウンド』あとがきでも、「地下鉄サリン事件実行犯たちを狂信者だとして遠ざける我々一般市民たちも、『何らかのシステムに自我を譲り渡している』という点で犯人たちと同じ翳を背負っているのではないか」という指摘がなされていた。
そんなstandardの波に排撃されたのがB-BOYたちというわけだ。僕みたいな聞こえても即答できないWanna b-boyが語るのもおこがましいのだが、黒人文化を濫觴とするHIPHOPは、90年代日本において「(虐げられてきた)俺たちだけの文化」という局地的受容がなされていたはずだ。「俺たちだけが真の音楽を知っているのだ」と互いを励まし合い、常人では知り得ない独自文化を発展させているのだとの自覚を懐きながら、Bのつくoutsiderたちは明日を生きる希望を得ていた。
この風潮なら、GADOROより53のほうが内部からの支持は強いということになり、MCバトルでも53の圧勝ということになるだろう。GADOROは大衆の中に帰れるが、53はそうではない。身の回りの仲間を守り、決して流行に媚びない53だけが、本物のB-BOYにふさわしいということになる。
しかし、だ。
僕が生きている21世紀の日本社会は、もはやハミ出し者が後ろ指をさされる時代なんかじゃない。一人ひとりが個性を求められるようになった、オンリーワンの時代になったわけだ。
原因は色々考えられる。個性を重んじる風潮が教育界で強まったこと、グローバル化の波が激しくなって社会人がコア・コンピタンスを求められるようになったことなんかがそうだろう。
インターネット、ことにSNSの爆発的普及はやはり大きい。一人ひとりの「リアル」に触れられるようになったことで、世界中に意見を発信できることはそう難しくなくなったし、それまで皆で一括りにしていた「大衆」も実は十人十色の人の集まりであって、決して「大衆」は無機質な集合体なんかじゃないのだと、みんなわかってきた。
まだまだ社会は発展途上だが、それでも少数派にとってずいぶん生きやすい世の中になったように思う。もちろんB-BOYだって恩恵を受けているはずなのだ。
じゃあ、社会から必要とされない恐怖と戦っている「弱者」とは、いま誰なのか。
それはずばり「個性を主張できずにいる人」ではないだろうか。
自分にしかできないことを自分は見つけられない中で、自分の代えを周りの人が見つけてしまうことに怯えている。
いま、日本人は「個性」に脅迫されているというのは、主語が大きすぎるだろうか。そう感じさせる創作物やら社会現象の例やらは腐るほどあるから、ここではいちいち出さない。
確かにGADORO自身は、「社会不適合者」から「スター」へとのし上がった存在なのだけど、「社会から必要とされる自分」を否定しない。
埋没の波から、前に、前に逃げ続けて、等身大の感情を表現して、世界で一人だけの存在として認知されたい、という、21世紀の「弱者」たちにとって、GADOROは希望とするに足る存在なんだと思う。
一方53は、「MASS 対 CORE」と最初のバースで吐いた(合ってる?)ことに象徴されるように、電波を受信できる人たちだけを助けようとしていたと僕の目には映った。
透明な存在として苦しむ現代人たちから共感を集めるのは、GADOROだ(僕は53も好きだけどね)。
そんな構図がKOKでは見え隠れした。
フリースタイルダンジョンも最近何かあったようだけれど、これからHIPHOPは、社会不適合者が生き残る術としてだけじゃなくて、怯えている人たちに「個性の手」を差し伸べる術としても発展していくのではないかな、と思った。
任天堂ラボとかいう、ただのダンボール工作キットをコントローラーにはめて遊ぶオモチャが発表されたらしいけど、これどうみてもツッコミどころ満載のちゃちいものにしか見えないだろう。
しかし、ふだんから任天堂に飼いならされているはてな愚民の間では、今回も上々な反応のようである。
だけど、コントローラーにダンボールを付けてラジコンにしている絵面は間抜けそのものだし、家の形をしたキットにタブレットを装着する必然性が分からないし、挙句の果てにダンボールのランドセルとか子供を舐めているとしか思えない。こんなものファミコンロボやパワーグローブにスーパーゲームボーイの時代から比べたら大幅な後退でしかないだろう。
まあ、昔と比べたらプレゼンも上手くなっているし、それにみんな任天堂神話みたいな共同幻想に飼いならされちゃっているから、こんな子供騙し程度のものでも舞い上がっちゃうけど、でも今の任天堂って資本的にも技術的にも、海外のディベロッパーに遠く及ばないから、こうやって奇を衒ったアイディアをその場しのぎで出しては、戦線を引き下げているだけなんだろう。ぶっちゃけ、国内向けに喧伝されているクールジャパンというプロパガンダ戦の実態と同様に、今の任天堂がやっていることってクソださいグローバル水準からの撤退戦をやっているだけなんだよ。
だから本来はもっとPSが褒められるべきだと思うんだけど、でも日本の後進国化にゲハ煽りとかFFシリーズがあんな風に悲惨なことになちゃったから、ソニー関連はとりあえず集団了解的に冷笑しておくっていう態度が正しいみたいな感じになっているけど、だからって任天堂はエライってことにはならないんだよ。あれだけPSからサードパーティを引っこ抜いておきながら。
しかしまあ、任天堂が繁栄するのと比例するように、海外との圧倒的なクオリティ差が際立ってくると思うんだけど、それを指摘したら「ゲームらしいゲーム」とかいう、意味不明の痩せ我慢を強いられるんだろうね。そもそもゲハの妊娠(任天堂信者)の出処って、おそらくゲーム批評とかを根城にしていたFF叩きのドラクエ狂信者じゃないかと勘ぐっているんだけど、その「映画みたいなゲームはいらない。ゲームらしいゲームを」とか言われていた先に待っていた未来が、こんな安っぽいものだったなんて絶望でしかないだろう。
そんなことは脇に置いといても今の任天堂は、過去の神話とクールジャパン的なナショナル・アイデンティティに巣食っているだけで、企業としては東芝やシャープとそう変わらない存在だろうよ。まさにクールジャパンならぬトラッシュジャパンを象徴する存在に成り果てたといっても過言ではない。
グリPの、と書きましたがミリシタにはグリマスと比較しなくても好きになれない部分があったりします。が、グリマスをやってきたからこそ好きになれないところもあるのでとりあえずこのタイトルにしました。(この記事は僕個人の所感なのでグリマスやってた人みんながこういう考えだよと主張するつもりは毛頭ないです。)
記憶力ガバガバなので事実と違うことも言っちゃうかもしれませんがそこは許していただきたい。
はい。6月末あたりにサービスインしたアプリ、アイドルマスターミリオンライブ!シアターデイズ。他シリーズよりも楽曲が豊富なミリオンライブでこそ音ゲーを出すべきだろうと常々言っていたオタクなので、アプリ発表の時はありえん喜びました。元々音ゲー好きだったこともあり期待は膨らむばかり。
で、実際にサービス開始したわけなんですが、
「うーん、微妙!w」
これが第一(?)印象でした。
担当がぬるぬる動くことによる感動で浮かれててリリース直後は褒めちぎってましたが、サービス開始から日が経つにつれて宜しくない部分がまあ目立ってきたなと。
散々言われてきたこともありますが、ミリシタそのものが抱えている(いた)問題点を列挙すると
1.動作が重い
6.UI
8.キャラの掘り下げとか
このあたりですかね。1つずつ見ていきます。
・1について。
動作が重い。これに関しては現在ある程度改善しています。が、初期は各ページへのジャンプが遅かったり、コミュ等のスキップができなかったりと、テンポよくゲームを進めることができなかった。これだけでもうストレスになる人もいると思います。少なくとも僕はそうでした。
今現在も正直に言えば重いです。僕はガルパもやっているので、ガルパの軽さが余計ミリシタの重さを実感させているんだとは思いますが。(2Dと3Dで比較するなという意見は最もですがゲームの重さそのものについて言及しているのでそこには触れないでください。)
ただ、端末の問題だったり回線の問題だったりもするのであんまり強くは言えないですね。重いことに変わりはないので挙げました。
・2について。
これ。致命的だと思うんです。何がって、元々ファンの少ないミリオンライブというコンテンツの新規獲得のチャンスを自ら逃してるんですよ。
知ってのとおりグリマスはサービス終了が告知されています。ソシャゲのサービス終了する理由なんて人がいなくなったから、金が回収できなくなったから、くらいですよね。ミリシタに1本化してリソースの食い合いを無くすためという考え方もありますが、グリマスの場末感を味わった自分からすればそれは希望的観測でしかないと思うんです。
グリマスのアクティブユーザー数、何人でしたっけ?最後の方なんて2万人もいればいい方でしたよね。
グリマスがそうなっちゃった理由は色々ありますがこの記事の主旨からは外れるので書きません。が、ユーザー減少で苦しんだミリオンライブが、後発アプリで自らユーザーを減らすようなことをしてどうするんだと言いたい。
音ゲーリリースは、新規層を獲得する数少ないチャンスだと思うんです。ポチポチゲーはある程度キャラに興味が無いと触れてもらえませんが、ぶっちゃけた話、音ゲーはキャラに魅力を感じなくても音ゲー部分が楽しければユーザーは増えますよね。音ゲー部分についてどうこうは後述しますが、リリースしてからしばらくなんの更新もないのは愚行でしかないんです。加えて初期楽曲の少なさ。そりゃ新規は離れるでしょうと。ミリオンライブが好きなオタクなら待てるかもしれませんが、そうでないオタクは違うのでは。
増えない楽曲、開催されないランキングイベント、アプリの重さ。
ミリオンライブ大好きな自分でもこれは駄目だろうと思いました。
まさに今その状態にあるわけなんですが、一度気持ちが離れてしまうとなかなか熱は戻らないんですよ。
大げさな言い方かもしれませんが、ミリシタは自分でコンテンツ拡大の機会を捨てたんです。
新規獲得のための弾、もうアニメ化くらいしか残ってないでしょ。そのアニメ化もされるかどうか分からない状況。これからどうするんだと。ただのオタクでしかない自分が言うのは滑稽ですが本気で心配になります。
碌に更新もできないなら、リリースを遅らせるべきだった。その辺にどんな事情があるのかは分からないのでなんともですが。
・3について。
出番格差。つい先日新人2人のSSR2週目で荒れたり荒れなかったりしましたね。そうでなくとも中々カードやコミュが追加されなくて一部から不満が出ていたような印象。
先に言っておくと、商売なんだから仕方ない、というのが僕の考えです。
ですが、露骨すぎる。これじゃ反感買ってもおかしくないというのがミリシタ運営に対する印象です。
これまた先に言っておきますが、アイドルの出番格差自体に言及しているだけで、このアイドルが嫌い、とかそういうことを言うつもりはありません。皆好きです。
で、出番ですね。正確にカウントしてるわけじゃないので印象で話すことになりますがご勘弁を。
出番格差は今に始まったことではないです。グリマス時代から色々言われてきた問題です。けれどもまあそれはそれ、ということで置いておきます。(グリマス狂信者ではないです。)
ミリシタ。今までやってきた感じ、やっぱり人気キャラだとか、所謂いつメンだとかの出番が多いように思います。FT、AP、PBAの属性イベントのメンバーを見てみると、
です。(あってますよね?)
ほぼ全員結構な頻度で見かけるキャラだと思います。印象ですが。
上位報酬とポイント報酬はともかく、バックの3人くらい違うアイドルにスポットライトを当てて欲しかった。ここで名前を挙げるとそのキャラが不人気みたいな扱いをしているように見える(かもしれない)ので挙げませんが。
こんなところでヘイト貯めるくらいならまだ出番があまりないキャラを出しておいたほうがよかったのでは。
それと、確かFTの時に見かけた記事。ファミ通かなんかだったと思うんですが、イベントに出てる5人はあくまでも選抜メンバーであり、フェアリースターズはフェアリーアイドル全員でフェアリースターズなんだよ、みたいな内容のやつ。まあ綺麗事というか言い訳にしか見えませんでした。それで救われる人もいるかもしれませんが逆に不満に思った人もいるんじゃないかな。正直そんな言い訳するんならせめて属性曲全員分の音源作れよと思いましたね。予算とかスケジュールとかで難しいのは百も承知ですが、気持ちの問題としては。
という感じで、今現在としてはアイドルによって差があると思います。人気キャラを推し出すのは当然ですが、角が立たないようにといいますか、もっとうまくやれるんじゃないの、と。
・4について。
運営の露骨な集金体制。ミリシタ、儲かってないんだと思います。リリースして間もないのにセレチケ導入したり、何かにつけてマスピ付き有償限定ガシャやったり。極めつけは先日のフェス限定マスピの実装ですね。4凸はあくまでも追加要素と言われればまあそうかもしれません。が、アナザー衣装やステータスアップのことを考えたらあの絞り方はやりすぎでしょと。
フェス限マスピ、フェス限SSR被りか交換アイテム600個でしか手に入らないんでしたっけ?天井の実装でバランスとろうとしたのかもしれませんが、個人的には無理があるでしょ、と思いました。だってそもそもの天井が9万でしょ?マスピ交換には天井2回分(で合ってますかね)、4凸は×4。アナザー衣装まで手に入れようと思ったらとんでもない額になりますよね。
他のソシャゲもそのくらいだとか、僕がグリマスの4万天井に慣れきってしまってるからとかはありますが、それでもこれはね…
まあそもそもソシャゲの課金文化自体頭おかしいんですが、そこはこの記事で言いたいことではないのでスルーで。
話戻します。先の何かにつけて有償ジュエルを使わせようというのもそうですし、キャラの出番格差もここに繋がりますよね。どちらにしても目先の利益しか見えてないのでは?セレチケだとかマスピ付きガシャだとか、その時その時は回るかもしれませんが何も無い時にガシャを渋るようになる理由としては大きいですよね。キャラの出番格差に関しても、いろんな人に言われてることかもしれませんが、少数の廃課金に頼る運営体勢は危険では。と。
どちらにしても先細りですよ。すべきことは長期的な利益獲得体制を整えることだと思います。それすら出来なくなってる状況なら仕方ないというか、まあもうしばらくしたらサービス終了してしまうのかもなぁと。素人目線ですが。
・5について。
音ゲー部分が微妙。これはなんというか、完全に好みの話なので無視してください。
ミリシタの音ゲー、バランスは取れていると思います。判定がゆるく音ゲー苦手な人にもプレイしやすい。これはプラスでもありマイナスでもあり、という感じです。
判定が緩い、ノーツが少ないのは、音ゲーをよくやる人間にとっては退屈なものになります。たぶん。ようするに飽きやすいってことですかね。ミリオンライブを知らず音ゲーだからと理由で入った人にとっては期待外れだったんじゃないかなと。憶測ですが。
引き合いに出すと対立煽り云々言われそうですが、デレステのマスプラみたいな譜面をお楽しみ要素として出してほしいなーと思います。はい。
・6について。
UI。まあこれも好みの話です。色々改善してきているのでもうしばらくすれば完全に解決するとは思いますが、まだ使いにくさはあります。
・7について。
スコアタが運ゲー。ついさっきアプデ内容見たらスコア計算の見直し、みたいな内容だったのでこれもしばらくしたら解決するかもしれませんが、ミリシタのスコアタってほんと運ゲーなんですよね。やってる感じ。
フルコンかつほぼパフェとった時よりもミス混じってる時の方がスコアが高いなんてよくあります。他の音ゲーがどうか確認してないのでこれがスタンダードならもう仕方ないかなとは思いますが。
スコアアップのスキルも確率で、なので仕方ないとは思いますが、せめてパフェ多い時くらいしっかりスコア伸びてほしい…
・8について。
キャラの掘り下げとか。ゲームの性質上難しいのは分かります。けれどもリリースして半年経つのにどんな性格なのかイマイチ掴めないキャラもいるんじゃないんですか。僕はグリマスやっててある程度しってるので憶測ですが。これから頑張って欲しいです。
で、それとは別に、コミュ追ってて思ったのが、設定ガバガバじゃない?と。といってもその根拠となるのが翼のコミュだけなのであまり強くは言えませんが。
その翼のコミュです。
メインコミュでは
「うん!だってわたし、美希ちゃんみたいに、モテモテになりたいんだもん!」
「そのために、アイドルになったんだもんね〜♪」
しかし、翼のメモリアルコミュ1を見てみると、翼はPのスカウトによってアイドルになっています。
スカウトされてアイドルになったはずの翼が、美希のようになりたくてアイドルになったと発言しています。おかしくないですかね。まあスカウトからメインコミュに至るまでのあいだに翼が美希に憧れる何かしらがあったと考えれば有り得なくもないし、実際にメモリアルコミュ3では翼は美希の曲を歌いたい、と言っています。
ですがそこを補完するエピソードがない以上納得できそうにないです。個人的に。
システムとかガシャとかはともかくお話はしっかり作って欲しかったという感じですね。
パッと思いつくのはこんな感じです。ミリオンライブは大好きですが、ミリシタにはあまりいい印象はないです。嫌いになる前に離れればいいかもしれませんが、そう割り切れるものでもないのでとりあえず吐き出しました。
たぶん、グリマスが続いてたら違ってたんだと思います。僕の中ではグリマスがミリオンライブの主軸であり、それ以外のミリシタやアニメ(まだですが)、コミカライズなどはすべてそこから枝分かれした二次的なものなので、グリマスが終わることに対する抵抗感が人一倍強いのかなと。
グリマスを終わらせるならせめてミリシタはグリマスと同じ設定、同じ世界線であって欲しかった。紬も歌織も後からシアターに入った新人という設定でも問題なくいけたはず。
グリマスで共に過ごした約5年間をなかったことにされて、またミリシタで1から頑張ってね、と言われても、アケマスとOFAをちょこっとやっただけの僕には到底耐えきれない。グリマスのアイドルとミリシタのアイドルは、僕の中では別物なんです。
文章力がなくてよく分からなくなってしまった。まとめると、(個人的な印象ですが)ゲームと運営自体に問題があり、グリマスの代替品になりきれていない、というのが、僕がミリシタを好きになれない理由なのかなと。これからも好きになる努力はしたいというか、グリマスはグリマス、ミリシタはミリシタと割り切って考えられるようになりたいなと思います。
1.粘土でできた羊
思うに、人類にとって幸福なことは、ばらばらに与えられた情報をひとつにまとめることができないということだ。
それはたとえば、象について何でも知っている人が、象使いについては何も知らないというように。
ぼくは、こういったどうでもいいことの大半をデレク・フリントフィールドの小説から学んだ。
デレク・フリントフィールドが書いたのは、たとえばこんな話だった。
ある男が毎夜、悪夢にうなされていた。
男は悪夢で見たものをモデルに、粘土像を作った。それは羊に似た何かだった。
彼は、その意味を知りたくて粘土でできた羊を、ある考古学者のもとへ持っていった。
考古学者はそれを見てとてもおどろいた。彼はアフリカで、ある部族につたわる伝説を研究していたとき、現地の老人からこの世でいちばん恐ろしいものとして聞かされていたのが、《粘土でできた羊》の話だったからだ。
その数日後、考古学者は突然心臓が止まって死んでしまう。それがこの小説の結末だ。
これで、デレク・フリントフィールドの作品としては、まともなほうなのだ。
この小説家は、母親の死を知らされると、チェ・ゲバラの肖像写真を抱いてビルから飛び降りてしまった。
やれやれ。
1973年のこと。
そのうちスパゲッティについて、とてもくわしくなっていた。
いいかげんゆでるのにもあきた頃、Kのバーへビールを飲みに行った。
「聞きたいね」ぼくは答えた。
ぼくはスパゲッティについてはとてもくわしかったが、スパゲッティモンスターについては何も知らなかったのだ。
「ふむふむ」
「その団体の人たちは、近所の人たちをさらってきてはひどい方法で殺していました」
「それはひどいね」
「それで、警察が出動して、ピストルをばんばん撃って、信者はみんな逮捕されたんだけど、その時、狂信者の一人が大事そうに抱えていたふしぎな金属でできた彫像を、警察は押収したの」
「彫像?」
「ふうん、で」
「これでこの話はおしまい」
「えっ」
「おしまいなの」
「ふうむ、その、スパゲッティモンスターって、《粘土でできた羊》みたいなものかな?」
ぼくがたずねると女の子はきょとんとしていた。
もちろん女の子は《粘土でできた羊》のことなど何も知っちゃいないのだった。
やれやれ。
3.船が沈む話
ある日、くだらないパーティに出席することになった。
それはとても退屈なパーティで、ぼくは退屈していた。
ある男が話しかけてきた。
「船が沈む話をしてやろうか」
「ああ、聞きたいね」
ぼくは退屈していたのでどんな話でもよかった。
「あるところにノルウェー人の船員がいた」
「ふむ、ノルウェー人ね」
「彼は船に乗って南太平洋を旅していたんだが、ある時、海図に載ってない無人島を見つけた。つまり海底から隆起した新しい島なんだな」
「ふむふむ」
「船員たちはその島を調べるために上陸した。するとそこには非ユークリッド的な建築があった」
「ううむ」
「その建築は神殿のようなもので、大きな扉があった。船員たちが近づいて行くと、扉が開いてそこから恐ろしい怪物くるとぅーが姿を見せた。船員たちは皆あっというまに怪物に食い殺されてしまったが、スウェーデン人の船員一人だけは、何とか船まで逃げ帰り、島を脱出することができた。だが怪物は海まで追ってきた。そこでスウェーデン人は船を反転させ怪物にぶつけた。とぅくるーは沈んでゆき、船も沈んだ。スウェーデン人はボートで脱出し漂流することになった。その間、彼はくとぅるーの夢を見つづけ、救助されシドニーの病院に収容されたときには、すっかり気が狂っていたんだ」
「その、くとぅるーってどんなやつなの?」
「何でもいいんだよ。何なら、《粘土でできた羊》でもね」
「えっ、……」
「それでな、そのノルウェー人の船員は、故郷のノルウェーの森に帰って、そこで井戸を掘りながら死んだそうだ」
「ん、ノルウェー人なの?」
「そうだよ」
「生き残った一人はスウェーデン人じゃなかった?」
「……どっちだっていいんだよ。何ならデンマークの王子ってことにしてもいい」
「あ、そう」
「じゃあ、こんどはデンマークの王子がスパゲッティモンスターと闘う話をしてやろうか」
「もう、いいよ」
ぼくがそう答えると、男はその場からはなれて、どこかへ行ってしまった。
ぼくは家に帰ると、南佳孝の「スローなブギにしてくれ」をかけながらビールを飲んだ。
そしてその日11本目のタバコに火をつけた。
吐き出した煙が流れて消えていくのを、ぼくはぼんやりながめていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/183876
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/183876
id:h1roto 基地を沖縄に押し付けるなって気持ちは分かるけど、東アジアの地理を考えれば沖縄の軍事力は間違いなく必要。だからこそこういう事件には胸が痛む。
id:tyatya_moon アメリカに保護されている状況化では、いくら反対って言っても辺野古しかないと思うんだが。それとも中国や北がせめてこないって本気で思っているんだろうか。南シナ海を見てもらえればわかると思うが・・・。
id:marilyn-yasu 現在の対中戦略上基地は沖縄付近でないと意味をなさない。九州にあっても効果は薄い。沖縄付近であればどっかの大きな無人島でも埋め立てて基地を作れば問題はないが。現状容易なのが辺野古移設の住宅街上の飛行禁止
id:bkios 本土で引き取れとか言ってる馬鹿は論理の矛盾に気付いてないのかな?そもそも地理的に重要拠点という位置付けなのにそんなに遠くに持ってけるわけないだろ。本当に現実見えてないんだな。
id:tetora2 辺野古に移転しないからこうなる。沖縄は地政学的に基地を外す事が出来ないのだから現実的に話し合うべき。または北朝鮮中国ロシアと話し合って素晴らしいと自賛する憲法9条を採用してもらってこい。
id:noaim 本土にとか言う気持ちは分からんでもないけど、沖縄は地理的に米軍基地か自衛隊基地か中国軍基地かはたまた琉球王国軍基地が、住人の意志に関わらず必ず存在することになる場所だと思うわけですが、そこんとこどう?
id:sakuya_little 本土に基地移せって連中は「本土に基地があっても防衛力が落ちないほど強力な兵器を作れ」って要求だと理解していいの?
id:hinail 基地反対派ってそこから基地をなくしてその後どうするかという話を全くしないよね、撤退させるとどうなるかということすら話さない。
どーでも良かったら黙ってればいいのに
id:akikonian 米軍基地をなくすのはいいんだけど、南方の防衛どうすんの?
id:mr_yasai 国防考えたら沖縄から基地をなくすのが不可能だとみんなわかってるくせに。
id:Captain_Thule 沖縄から米軍がいなくなったら数時間後には中国に占拠されてそうなんでねえ 落とし所をどこにするのやら
id:kyoumoe 自衛隊を日本国軍として戦争もバリバリする武闘派集団にして米軍の代わりに沖縄に配置したらいいんじゃないの、それで本当に戦争起きても知らんけど
id:osakana110 いーよいーよ、辺野古移転に反対するならば、もう米軍基地は全部本土に移して人民解放軍に沖縄を引き渡そうや。 沖縄は第二列島線に入っとるし、後で泣いて助けてくれ言っても知らんで
沖縄市役所に隣接して嘉手納基地があってその南方7km程度に普天間基地、そして更に南方約8kmが那覇市。そして普天間基地は宜野湾から反対側東岸まで約5kmという狭い地域の中央付近に配置する。
後から住んだも何も元々が狭い町なんだから人口が増えても当然だし学校ができるのも当たり前。完全に島が分断されるのに、だいたい何km離れて住めばいいの?
id:ivory105 基地があるから仕事があるって面もあるでしょ。勝手に住み着いて何言ってるの?他に引っ越そう
id:homarara 基地の周囲に街作って滑走路の先に小学校建てりゃ、遅かれ早かれこうなるだろうさ。むしろ望み通りの展開だろ。
id:ninosan この人達わざわざ普天間基地のそばに住み始めて文句言ってんだよね?毎回書いているんだけど特段反論もないし、もはや「ゴネ得連中なんだな」としか思っていない。
id:July1st2017 小学校の設立は基地が出来てからだいぶ後な なんでそこに立てたの?とは聞いたらダメなの?
id:nozipperar これは基地より学校が後に出来てるからなあ なんであんなウルサイ所に作ったのか 自治体は何を考えて許可したんだ?
君たちの町に移転してもらえよ。海兵隊はどこにいても最適な活動を約束された組織。別に沖縄にいなくて彼らのパフォーマンスが落ちることは無いよ。
id:saga_glico こういう事態を避けるために,辺野古に移そうって話じゃなかったっけ
id:zakusun だからさあ、普天間を少なくとも今より安全な辺野古へ移設しようって話を反対したのは、どこのどいつだよ。言い分はわかるがこうなった責任もある。全部じゃないけど。あと本土に落ちるのは無問題って基地外かよ。
id:nickpoet55 こういう問題で本土に移転させろと言う人は解決する気ないな?
id:daikin ゼロリスク狂信者ってつくづく馬鹿だなと思う。普天間と辺野古じゃ危険度が全然違うだろうに。あいつら感情論で物言う上に声でかいからほんと害悪。
何故か沖縄以外で基地問題が無いとか思ってそうだし、車のほうが危険とか脳みそ壊れてそうだし。
id:mimoriman ごめん、また落下物?ふーんって疑ってる自分がいる。また子どものいる施設だし
id:toratsugumi 左方面、人間の盾大好きだもんな、子供を人質にするのはどうかと思うが。ちなみに俺んちの上、横田・厚木・習志野の航空ルートだから一日中固定翼・回転翼取り混ぜて賑やかだけど気にしとらんぞ。負担とかバカなの?
id:tettekete37564 あれこれ本当に事実なの?この辺狼少年多すぎてもう
id:GreenTopTube 子供の安全を考えるなら、もっとも子供を加害している凶器である自動車への規制、取り締まり、罰則、乱用抑制の為の課税強化が大勢の子供を守る。http://greentoptube.hatenablog.com/ ノルウェーの首都はマイカー禁止を推進。
いやよく読めって、本題はそこじゃなくてその次
「自分が信仰もしていない宗教やその信者に一応敬意を払うのはなぜか?」って部分な
「自分も一応仏教とか神道とか信じてるから」とかであっさり済むような問題じゃねーぞ
イスラームで言ったら、世界的に信者も多いからあまりバカにするとまずいし、
最悪、悪魔の詩のアレみたいに、イランあたりから暗殺者が送り込まれたらマジでヤバいからだろ?
あるいは欧米で白人がそう決めたから、それに乗っかってただ無批判に従ってるだけというのもあるな
いずれにせよ重要なのは、決してあらゆる宗教に無条件で敬意が払われるわけではないという点だ
実際、これがマイナーな新興宗教だと、必ずしもそうじゃなくなる
例えば幸福の科学だったら、イタコ芸とか言って、みんな割と堂々とバカにしてるよね?
でも創価学会はタブーがあって、集団ストーキングしてくるかわからんからほどほどにしておくのか?
昔のオウム真理教みたいに、対立する人間をガチで殺しに来るような奴らだったら黙るのか?
もしアニメにもそんな狂信者がゴロゴロいて、ちょっとバカにしようものなら即炎上させて回り、
万一住所が漏れたら何されるかわかんなかったらどうする?