はてなキーワード: 子供騙しとは
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。
ネタバレ注意
怒りが冷めない内に書く。一度しか鑑賞していないので記憶違いがあるかもしれないが聞いてくれ。
先に断っておくが、本作は決して駄作ではない。加点要素は多くある。トマス・モアの蘊蓄を切り口に冒険が始まるあたりとてもドラえもんらしくて好きだ。魔界大冒険リスペクトの仕掛けも嬉しい。F先生亡き時代にドラえもんでディストピアSFに挑戦する意気込みやよし。ソーニャを演じたゲスト声優のジャニーズアイドルは、昔TVSPのゲストで出ていた森田剛を1とすると85点の演技だった。
褒め、以上。
疲れた体でフラフラしながら観に行ったので(今も眠気に耐えて書いている)もう何言ってたか細部は覚えていないが、要約すると「人と違っていていいんだよ」「不出来でもありのままの君がいいんだよ」「個性を尊重しよう」という主旨のセリフが熱っぽく、しつこく語られる。
本作のボスキャラは全人類の自由意志を奪い、統一思想の下に理想郷を築こうとしている。のび太らのセリフは彼の思想に対するアンチテーゼではあるのだが、一から十まで言葉で熱弁されると鼻白んでしまう。耳元でデケェ声で心のノートを朗読されるような息苦しさと、押し付けがましさに不快感がノンストップだった。
めちゃくちゃ説明的な言い回しでドラ泣き強要してくるやんけ、児童漫画が原作とはいえ観客の知能を低く見積もりすぎでは?と脚本家の過去作を調べると『ALWAYS三丁目の夕日』が出てきて察した(念のため断っておくが増田は西岸良平作品が大好きである)。監督は監督経験が浅く、ほとんど情報がなかった。
それより今まさに腹が立っているのはここである。
道徳スピーチまではまあギリギリ許せるのだが、この映画では恐ろしいことに、のび太が前述のボスキャラの思想に対して、「それは悪い考えだ」と繰り返し言うのである。「人は違っていい」と言ったその口で、だ。
「悪い考え」というワードで真っ先に思い出されたのが、ジェームズ・クラベルのディストピア小説『23分間の奇跡』のワンシーンだった。父親を拉致された植民地の少年が、全体主義を掲げる宗主国の教師に「お父さんは悪い考えなんて持たないよ」と訴え「悪い考えではなく間違った考えなのよ。だからお父さんは学校に行って勉強するの」と詭弁で丸め込まれてしまう。『23分間の奇跡』では、「間違った考えを改めろ」は市民を抑圧する体制側のセリフなのだ。
多様性を認め合う社会は、当然「多様性を認めない人」も受け入れなければならない。本作のボスキャラの罪は、思想信条ではなく武力をもって他者に理想を強いた点である。
多様性の尊重がテーマだからこそ、糾弾されるのはボスキャラの「考え」ではなく「行い」であることを強調すべきではないか。
F先生なら絶対にこんな話描かない。もっと慎重に言葉を選ぶはずだ。
映画レビューサイトで本作の感想を見ると「号泣しました」「館内に子どものすすり泣く声」などうすら寒い文言が並んでいる。
特定の思想を「悪い考え」と言い切る映画は率直に言って有害ではないだろうか。こんなもん子供に観せていいのか?
んでボスキャラがまあ外見は醜く腹も黒い。デザインの醜さで言えば歴代最悪じゃないだろうか。旧ドラのギガゾンビよりひどい。「悪い考え」を持つ敵キャラを全力で汚く描くのは、それこそ政治思想のプロパガンダのようで不気味だ。
ディストピアものとしての完成度もかなり中途半端だ。唆されて攫われてきた人々がボスキャラの作った洗脳光線を浴びて完璧ないい子になる、という絶妙〜に子供騙しな設定。それを「欠点もあるからぼくなんだよ!」と論破()してくわけ。そしてなぜか洗脳光線が効かない体質ののび太に共鳴(?)して友情パワーで仲間全員の洗脳が解け覚醒、キラキラ逆転勝利。
もうね、宝島なんかもそうだけどドラ大長編の感想が「泣いた」で溢れてるのがイヤだ。これは増田のエゴだが、ドラえもん大長編は理屈の部分を疎かにして泣きに逃げる映画ではいけない。エモーションにばかり頼るな。エモに全振りしていいのは同時上映の短編だけだ。おばあちゃんの思い出最高。
その中で、REALITYというアプリを運営をする人もいた。最初はREALITYってメタバースじゃなくない?という違和感があった。話を聞いていると、REALITYもメタバースに含まれるらしい。REALITYってスマホのインカメラを使って画面内のアバターを動かす子供騙しみたいなサービスだと思っていたので、ええ〜〜〜これがメタバースなの〜〜?と椅子から転げ落ちた。つまり、このイベントでの「メタバース」とは「モーションキャプチャを使ってユーザ同士でコミュニケーションが取れるプラットフォーム」を指す言葉らしいのだ。facebookは、オキュラスを買収したりヘッドセットを開発して、本来の意味に近しいメタバースを作ろうとしているので、先日のイベントにいた特にREALITYはメタバースの皮を被ったただのSNSのようにしか見えないんだ。クラスターもメタバースじゃないじゃん。VRな空間を提供するただの場所貸す業者でしょ。VRChatはVR酔いに克服できた猛者だけが集まるモナチャットでしょ。
何が言いたいかというと、メタバースというインターフェース・抽象は存在しているが、実装・具象であるメターバースはまだないってことだ。
ネタを書く漫才師とネタを書かない(書けない)漫才師問題とかってあるんだけど、
モテたいとかケンカ最強になりたいとか、(勉強とか運動とかで)一番になりたいとかの同列にクラスで一番面白いやつになりたいって欲求があるじゃない?
俺はその欲求に従ってひたすら笑い王になるべく皆んなを笑わしてたんだよ。
もちろん中学生の笑いだから文字通り子供騙しで裸になるとかそんなやつな。
でも努力の甲斐があって、中1ではクラスで一番面白いやつ。中2では学年で一番面白いやつ。中3では学校で一番面白いやつとステップアップを果たしたいった。
ああ、誤解される前に書いておくと、おもろいおもろいと人気者だったけど、もちろんメチャクチャ嫌われてもいたよ。
それはそれとして、みんなオモロいといってくれてた。
でもさ、やっぱり満足できないんだよな。
ネタが面白いわけではないんだよ。いや、フリートークとかも出来るし、増田くんなんか面白い話してよと言われて5分後にはオチで爆笑でぴったり授業の開始時間とか出来たよ。でもそういうことじゃない。
結局、俺のはただパフォーマンスなんだよな。
同学年にネタができる奴らがいた。
いや爆笑の度合いでいけば俺の方が笑いをとる。
文化祭でそのコンビと出し物でガチンコ対決みたいになったときも俺の方が笑いをとっていたと思うし、
でも違うんだよ。笑いの意味が違うんだ。
それがなあ中学のときは通じるやつが周りにいなくてつらかった。
わかってるのは俺とその漫才師のネタ書いてるやつだけなんだよ。
俺の方が上だよな?