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2020-07-04

名チン伝

 尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。

 飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。

 それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。

 短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しか乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。

 短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。

 男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。

 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。

 二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである

 もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。

 彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)

 精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。

 短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。

 気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。

 相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。

 一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精射精(しゃせいのしゃせい)というもの好漢いまだ不射精射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。

 ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根ワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精射精じゃ。不射精射精には、金剛の陰茎も碧玉睾丸もいらぬ。

 ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか

 短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。

 九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。

 九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。

 陳鎮の都は、天下一名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。

 ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。

 様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。

 雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年述懐である

 甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから

 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。

「ああ、夫子が、――古今無双射精名人たる夫子が、陰茎を忘れ果てられたとや? ああ、陰茎という名も、その使い途も!」

 その後当分の間、陳鎮の都では、女は乳房を隠し、男色家は尻の穴を埋め、遊人男根を手にするのを恥じたということである

 
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