はてなキーワード: 女陰とは
モノを学ぶ基本姿勢を教えておいてあげる
女陰説はガセ
なんでそう思ったの?
どこかに目にしたのだろう
これを辞めなさい
漢字の字源、由来だけの話ではない
学問全般、科学であろうと、論文が出揃っていようと、現時点での仮説、一つの論にすぎない
さて、「也」の字源も諸説ある
女陰説を否定している学説もあれば、これを肯定している説もある。
漢字辞典は種々あり、どの学者はどうだと例示もしてやれるが、そりゃ割愛する。
その他にも芽吹いた種などいろんな説がある
ここに「正しい」答えなんてものは無いんです
明確に示されると信じちゃうよね
でも飛びついちゃダメなの
科学的に絶対にこれが正しい、最終結論、あんてものが数年であっさり覆されるなんて往々にしてあるんです
学びの場だけではなく生きる知恵でもある
簡単に騙されなさんなよ
也の字源は蛇だよ。女陰説はガセ。
なんか大福の類の食べ物を複数の芸能人が食レポしててそのうち誰かが「金マン」って言ったところで周りの芸能人に下ネタを諌める感じで叩かれてた。
思うんだけどそれならアメトークで毎度「女陰(ほと)ちゃん」って言ってるのはどうなんだ?
まあこれって古語で、古語ってだけでもだいぶ真面目な匂いの言葉として受け取られるから下ネタ扱いされないってことなのかな。外性器って言っても下ネタと受け取られないみたいな感じで。
まあ古語ってだけで当時の人からすればほとなんて今のまんこに帯びてるいやらしいニュアンスそのものを持ってたはずなんだけどね。
いや俺も最近蛍原と女陰を結びつけたぐらいだから、単純に音の一致性に気づきづらいってだけのことかもしれんが。だとしたらなぜ「まん」は気づかれやすいのかそれ以外の音は気づかれにくいのかとか別の疑問が生まれるけどね
むかしむかし、「笑っていいとも!」というバラエティ番組があった。
看板コーナーの「テレホンショッキング」は、毎回トークゲストを1組迎え次のゲストへ電話で繋いでいくという趣旨のコーナーだ。
このコーナーのゲストが若い女性の時には、タモリは決まって、ゲストの眼前で手元のメモ用紙にサラサラと何かを描き、それを「安産のお守り」と称して手渡していた。
描いている途中から女性ゲストはそれを見てクスクス笑ったりモジモジしたり、苦笑したり目を見開いたり、各者各様の反応を見せた。
二重丸にそれを貫く垂直の線一本、そして周囲に放射状の線を何本か、という、ポピュラーな「お●●んこマーク」だ。
(タモリの手元をよく見ていると、手の動きでそれを描いていることが視聴者でもはっきりわかることがあった)
つまり下ネタ・艶笑のたぐいなのであるが、それとともに、平日の真っ昼間という時間帯に生放送で公然とメモの受け渡しが行われていたという事実も重要である。
出演者に対するセクハラにはそれほど厳しくなかった当時にあっても、「お●●んこマーク」は放送コード(各社の禁止規則・自主規制)にはしっかりと抵触していた。タブーだったのである。そのまま画面に投影すれば放送事故である。
タモリもゲストもスタッフも、観覧客も視聴者も、そこで何が行われているかはわかっていて、笑う。全員を共犯者にする大人の冗談なのである。
「こんな真っ昼間に生放送で堂々と、放送してはいけないようなスケベな悪ふざけをしているけど、画面には映ってないからセーフだろ?」
なぜ中世の人々はこんな破廉恥な彫刻を作ったのか。主に2つの説がある。1つはやはり子授祈願だ。日本でも「子宝の石」やら「子授け岩」なんてものが各地にあるように、触れることで子宝を授かると期待する。これの根拠としては、彫像の陰部が特にすり減っているものが多いためだ。長い間、多くの人々が撫でてきたせいである。
もう1つの説が人魚に通じるものであり、こちらは「魔除け」を期待したものだという。その根拠は2つ。まずはシーラ・ナ・ギグの設置場所である。教会ではアーチの中央最上部、すなわち要石にあることが多い。これは魔除けとして一般的な位置であり、上で紹介したハドリアヌス神殿のメデューサもそうである。もう1つの根拠は、古来より女性が陰部を見せつける行為には、魔を払う効果があるとされているからだ。
Charles Dominique Joseph Eisen, Public domain, via Wikimedia Commons, Link
例えば古代エジプトでは、女性が陰部を畑に対して晒す風習があった。これによって畑から悪霊を追い出し、収穫が増えることを期待してのことだ。また、エジプト人はブバスティス祭では、舟が街に近づくと、女性たちは服を頭の上までまくりあげて陰部を晒したという。これを見たヘロドトスはカルチャーショックを受け、その行為に「アナ・スロマイ」と名付けた。
ヘロドトスは知らなかったようだが、アナ・スロマイがあるのはエジプトに限った話ではない。例えばカタルーニャには「女陰を見せれば海が鎮まる」ということわざがあり、漁師の妻が夫を海に送り出す際に陰部を海に見せるという習慣がある。ロシアの伝承では、若い女性がスカートをまくりあげることで、クマを追い払えるという。
日本における「マンコ茶道」は、戦国時代に誕生した「女陰流」と呼ばれる茶道の一派に端を発する。
「女陰流」は室町時代の中期に誕生し、一度は豊臣秀吉の朝鮮出兵によって中断を余儀なくされたものの、江戸時代に再興されて武家社会を中心に広く広まった。
この流派の特徴は、女性器の美しさと、その香りと味を鑑賞することを芸道の基本とした点にある。
女性器の香りは、尿、愛液、汗、垢などの分泌物によって構成される。そのため、女性器が発する芳香には、尿を出してから経過した時間、かいた汗の量、性的興奮による愛液分泌など、様々な要素が関係している。さらに、女性の性器には個性があり、その持ち主によって千差万別である。
マンコ茶道では、その時々の女性器の状態と、その個性を活かした上で、最大限に魅力を引き出せるように女性器をよく研究することが重要とされた。
例えば、ある女性の性器は排卵日になるとブルーチーズのような強い臭いを放ったが、陰毛を剃って清潔にし、濃い茶と甘い菓子と共に味わうことで香りを活かして楽しむことができた。また、生理中の性器は血の味が強いが、鮮度の良い果実と香草と共に茶を点てて味わうことで、臭みを抑えて味を引き立てることができた。このように、マンコ茶道では女性器の香りと風味を引き出すため、様々な工夫が施されてきた。
また、女性器の形状についても、陰唇や陰核の形状、鮮やかな色あいなど様々な観点から評価された。
形だけでなく、質感、割れ目の開き具合、陰毛の毛質なども重要視され、どのような女性器はどのような茶や菓子と共に供するのが望ましいのかについて議論が交わされていた。