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はてなキーワード: 現場とは

2024-06-19

地方女性が残って欲しかったら公務員とか医者とか地方大企業採用女性のみにすればいいだけ

女性にとって東京は令和だけど地方江戸時代」っていう何気ない一言

地方在住弱者男性の白燐に触れて、弱者男性たちが「まんまんちーいーまああんちー!!(女は地方から逃げるな!東京は人が多い!!)」って大炎上してるけど


そんなに地方女性が残ってほしいんだったら

地方公務員地方大企業地方医学部医学科とかの採用合格者を全て女性だけにすればいいだけじゃん

女性東京に出ていくのも

地方には、工場労働者現場仕事等の女性の働きにくいブルーカラーが中心で

女性の働きやす事務職等のホワイトカラー仕事は少なく、かつ、その少ないホワイトカラーでさえ男が席を奪ってるんだから

どうしても女性地方に残ってほしいのであれば、公務員医者大企業等を女性のみに採用にすればいいだけなんだよね


そうしないのに女性地方に残れって主張するのは女性キツイ仕事低賃金仕事につけって言ってるようなもん

そりゃ女性も逃げ出すわって思う

anond:20240619185138

ぶっちゃけ在宅じゃなくてもいいんだよな

派遣社員データ入力仕事してたけどあれはよかった

プロジェクト完了までやったけど、次の現場がなかった

パソコンと長時間向き合うのは苦じゃないですね

2024-06-18

anond:20240618221724

なら教育に成果報酬出せばいいじゃん

新卒を1年居着かせた部署ボーナス2ヶ月分追加で

そういう制度改革してんの?それとも現場任せ?

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

結局コロンブスITも一緒じゃね?

発注者が適切に監督/検収できないかゴミ現場リリースされたり費用の増大化するんでしょ

プロジェクトマネジメントコンサル外注してもいいけど発注者仕事ってのを改めて肝に銘じてもらいたいね

制作会社はその道のプロじゃねんだわ。

運転免許証マイナカードICチップの違い

運転免許証にもICチップがあるからマイナカードと同じことができる」と勘違いしている人が多いので以下解説

運転免許証ICチップ:
マイナカードICチップ:

以上の理由により、今後オンラインでの本人確認マイナカードに一本化されていく。運転免許証オンライン本人確認に使えなくなっていく。

対面での本人確認なら引き続き運転免許証を使える。

運転免許証ICチップを読んで偽造対策するのは有効だけど、それは対面で本人確認するときの話。

anond:20240618114046

現場職っぽいけど、むしろ元増田のやり方が今風なのに、

昭和な人使い捨て募集すればいくらでも来るだろみたいなやり方してる会社潰れそう

物販系?それとも倉庫とか工場系?

どちらにせよそんな会社居る意味ないぞ

暇空を「優しい」と形容する人

リプライとか野良ツイートでよく見かけるが、あの態度を自分への気遣いだとか、「下手に触れるな」「臭いヤツに関わるな」って言葉に優しさを感じるとかいう人は確かに信者だと言われてもおかしくない。あるいは信者みたいにへつらって取り入ろうとするトラップか。

端的に言って愚かな考えだ。見てて良い気分がしない。

あれは基本的自分に降りかかるかもしれない火の粉を全力で避けるための言葉しかなく、仮に誰かが火だるまになったとしても氏は助けないし見もしないだろう。例外があっても、少なくとも「お前」のことは助けないと思った方が良い。

例えばそれは、推しに注目するあまり現場推しが一瞬でも自分視線をくれたと感じたら認知されたと喜ぶようなおめでたさに似てる。

そういうこともあるだろうが、大抵そうじゃない。

その違いがわからないならホントに愚かとしか言いようがない。

氏を信奉する人間とは「何かを信奉する自分自身に酔ってる人間」か、そういう「酔ってる人間」に擦り寄って仲間意識を出しながら愚かな人間を食い物にしようとするトラップしかない。

あれはプライベートの友人ならともかく、ビジネス出会ったら絶対に心を許してはいけない類の人間だ。

まり仕事については信頼できる人間でもある。

この「信頼」を「信奉」と見間違えるなら好きにすれば良い。いつか食われるだけだろう。

暇空を「優しい」と形容する人は、一度ネットから離れて家族地域の人々とよく話し合い、常識社会通念、そしてアスナの大切さについて改めて考えてみてください。

   下戸田交番に寄ったが、相変わらずのクズの不在ぶりで、いつ行っても誰も座っていないし、所長もいない。場所によって多くの者が単に動画を電磁的に流しているだけで、街や

  社会自体存在していないような感じで、地域一帯が犯罪者の思惑に支配されているような感じがする。蕨警察署ドンキホーテの先にあるが、いつ行っても、パトカー無線車のおっさん

  偽計で、蕨警察署発見したことはない。無線車が2台停車しており、仕方なさそうにあぶり出されてきたものが、停車している。こいつを嵌めて犯罪現場に完全誘導すればいいと思うのだが

  やり方は分からない。蕨消防署と書いているが、明かりも何もついてなく、延岡消防署とは相当に違う。六辻交番から浦和警察署電話すると、29歳の、おぺちのような者が出る。

  説明意味が分からないの繰り返し。非番の日は何をしているのかという質問に、家族サービスをしていると言うが、そんなことをこちらが目撃する手段はないだろうというと、そうですね、などと

  言い、何も話が進展しない。最後の言葉は、 私の29年の人生・・・ ちーぎゅちーぎゅ、ちぎゅあああああああああ、という感じ。3時30分に六辻交番から戸田橋の方向に傘を差しつつ

  向かうと確かにドンキホーテがあるし、そこの先に、蕨警察署もあったが、何の変哲もなく特に中身は見なかった。六辻交番で、さいたま妖怪が多いだろう、電磁場で動いてるんじゃないかという話

  をしていると、交番前を若者が都合が悪そうに走行しているし、自動車運転者不審な顔の者が多い。4時に大雨が降って来たので、戸田川岸1-4-20の前の工場で雨宿りをするが

  その時間帯はその一帯に犯罪者が住んでいるような電磁的動画ではなかった。犯罪者が住んでいるのはとうに分かっているが、電磁的動画で、平和な街に見せているので、吐き気がした。

   実際には犯罪者が住んでいる場所を、運営基地局が電磁的動画平和にみせているだけなので、もうばれているので、その辺は信用せずにスルーをする。4時25分過ぎに荒川緑道に

  行くがこの辺も電磁信号により動画をみせているだけなのでたまに風景全体が禿げてただの江戸社会ではないかという正体を現す。

2024-06-17

結局コロンブスMV意図がわからない

anond:20240613203515

なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。

想定されるのは以下3パターンだが

  1. 植民地主義奴隷制肯定で作った
  2. 歴史的文脈無知で作っちゃった(コロンブスが悪い人というイメージなし)
  3. 歴史背景は知識はある程度あったものの、それを踏まえた上で行けると思った

色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負メディアアンチポリコレを攻めに行く意味がない。

一般的マスコミ批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田考察など猿人文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。

そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。

しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知表現たかった何かがあるとは思えなかった。

そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人ビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。

しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベル知識では気が付かない火薬さらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか

そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である

可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。

少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。

例えばこれがアメリカ黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉アフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分フィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思覚悟必要と思われる。

結論最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。

小説家映画監督意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。


この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画プロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値意味があったと思う。


コロンブス」にそれはあったか炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。


であれば、コロンブス大航海時代英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ好意的解釈をして、コロンブス現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。


結局アーティストMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現たかったの?

追記

植民地主義への批判だろって増田散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。

anond:20240617192800

逆にどの世界線で生きてたら俺の話が理解できないのか分からんのだが

増田万年底辺現場職とかか?

anond:20240617184113

業務用は10億色とかあるらしいで

RGBそれぞれ10ビット使うんやっけか

知らんけど医療現場微妙な色を判別したいとかなんやろな

月曜朝からなんか色々ダメだろうと思ってしまった話

自転車通勤をしていて、工事中のため片側交互一車線になっている道を毎朝通っている。

先週まではあちら側とこちら側に誘導高齢男性がひとりずつ立っていて、車や自転車を交互に通していたのだが

今朝行ってみたらこちら側に誘導の人が見当たらない。

「?」と思ってよく見てみると、重機の陰の目立たない所に痩せた小さな高齢女性が立っていた。ヘルメットがやけに大きい。

見た目ではかなりの高齢で、伸び放題の白髪がボサボサ、とても失礼な言い方になってしまうがショッピングバッグレディー的にも見える。

その女性にはその仕事は恐らく無理だろう。

彼女が立っていたのは相方誘導の人が見えない場所で、それでは全然役に立たない。

幹線道路ではないが、交通量はそこそこあり、事故が起きる可能性は充分ある。

しかしその現場ではその女性にお願いしなければならないほど人がいないのだろう。

派遣会社に任せていたら、想定と違う人が来ちゃった感がありありである

それでもそこに人がいなければ工事が出来ない。切迫感はいかばかりか。

今日最高気温28度だ。

真夏に比べれば涼しいが、あの小柄な女性が、日影のない路上で一日中外に立っているのを考えるといたたまれない。

しかしたら見た目に反してまだ若いのかもしれないし、身なりに気を遣わない性分なのかもしれないし、単に仕事サボりたい人なのかもしれない。

しかしたら高齢であまり健康ではないのに経済的理由で働かなければならないのかもしれない。

もしくは働く事に誇りとこだわりを持っている方なのかもしれない。

しかしなんだか分からないが月曜日から色々ダメだろうと思ってしまった。

自分が?彼女が?社会が?工事会社が?派遣会社が?なんだかよく分からないがもうダメだ。

anond:20240617115324

男は権力持った女の冷酷さを幼い頃から理解してるから

婚活現場で30代大卒正社員に求めるものって何も無い

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

anond:20240617091643

不況どん底だった20年前なら、

入ったが最後、生きては帰れない炎上現場と知りながら身を投じるしかなく、

実際に現場に入ったまま二度と帰ってこなかったメンバーだってかなりいたけど、

これだけ仕事がある世の中でわざわざそんな自殺行為をする奴はおらんのよ…

放火犯現場に戻るとかいうけど

そういう話がここまで広まってる今

しろ放火犯現場に戻らないだろ

これ「?!🫨」ってなるワイの方がおかしいのか?

Active Directory

 

キーボード、カタカタったーーんってやるやつ
(たぶん、LibreOffice買い切りソフト使ってないなら、なんかしらのSaaSアプリ業務で使ってると思いますの)

  

 

気にしてないならこのままでヨシ!(なにを見てヨシ!と言ったんですか?)

 

 

 

そうはならんやろ

ネットで見る謎の人C「社内のファイルサーバーSharePointは移行終わってるよ」  ← うんうん

ネットで見る謎の人C「社内システム認証基盤はAAD使ってるよ」  ← うんうん

ネットで見る謎の人C「まだAADに完全移行はできていないけど、全端末Intuneで管理してるよ」  ← うんうん

ネットで見る謎の人C「条件付きアクセス運用も始まってるよ」   ← うんうん

ネットで見る謎の人C「M365Apps を社外で使うにはVPN必要」  ←?! 🫨

 

 

Cisco、お前を追放する!(追放されたry)

 

 

2024-06-16

共産党支持者ってなんで罵倒好きなの?

現場職で普段内心馬鹿にしてる奴から罵倒してるから

学がある()のに、まともに働けないから?

家庭ないから?

なんで、敵ばっかり増やして仲間増やさないのか教えてほしい

不審者につきまとわれた人に助けを求められた教訓

近所の道を歩いていた所、「不審者につきまとわれているので助けて下さい」と助けを求められたが咄嗟にあまりうまく対応できなかったので教訓を共有したい。

なお、プライバシー配慮して事件の詳細は省略します。

教訓1 即座に110番通報しよう

自分被害者安全確保のため加害者と引き離して交番へ向かうことを優先した。一方で今回のケースでは被害者自分に助けを求めた時点でほぼ安全だった(加害者側との距離一定以上離れており、自分が来てからは様子をうかがってくるだけだった)ので現場警察官を呼んで犯人逮捕可能性を高めた方がその後の被害者生活安心には良かったのでは無いかと思う。(実際に交番警察官にも110番してその場で犯人を留めておいて貰えるとありがたいと言われた。)

ただしこの判断に関しては正直ケースバイケースであるし、一見差し迫った危険性がなさそうでも刃物等を持っている可能性はあると思う。刃物を取り出す様子を見せたり、向こうから迫ってきたら腕に自信があったとしてもすぐに逃げた方が良い。

教訓2 加害者写真動画撮影したり、特徴を観察しておこう

事情聴取?では加害者の様子を細かく聞かれるのだが、正直非常事態モードの脳で対応すると細かいことは思い出せない。

特徴を適切に伝えることで警察対応やすくなるし、証拠としても動画写真等あって悪いことはないだろう。また写真動画に残らない見た目以外の特徴についても聞かれるので、なるべく犯人を観察していて記憶できるようにしよう。

自分加害者被害者を引き離したあとで加害者と1〜2分警察へ行く行かないの問答をしたのだが、服装全然思い出せなかった。(被害者過去にも類似経験があったようで、しっかりと特徴を観察していてなんともいえない気持ちになった)

教訓3 助けると決めた時点で次の予定は即キャンセルしよう

とりあえず被害者警察まで送り届けたら予定を済ませてから自身警察に行けばいいかと甘い見積もりでいたのだが、当然にその後1時間以上帰して貰えなかった。交番に向かいながら待ち合わせ相手に「10分くらい遅れるわー」と電話をして結果キャンセルとなり、被害者申し訳なさを感じさせてしま被害者にも待ち合わせ相手にも悪いことをしたので警察トイレにでも行ってスマートキャンセルすると良いと思う。

無職で逃げる必要無くない?

バイク乗用車が追突 バイク運転手男性(51)死亡 乗用車運転自称61歳の男を現行犯逮捕 呼気から基準値超のアルコール検出

>「路上に車が停止していて、運転手が寝込んでいる」との110番通報があり、

>駆けつけた警察官が車に乗っていた無職(61)に声をかけたところ車が急発進し、現場を離れた車が700メートルまり先でバイクに追突し会社役員(51)が死亡

 

無職で逃げる必要無くない?何も失う物無いじゃん。会社役員の人マジ可哀想家族どうすんだよ

無職で逃げる必要無くない?

バイク乗用車が追突 バイク運転手男性(51)死亡 乗用車運転自称61歳の男を現行犯逮捕 呼気から基準値超のアルコール検出

>「路上に車が停止していて、運転手が寝込んでいる」との110番通報があり、

>駆けつけた警察官が車に乗っていた無職(61)に声をかけたところ車が急発進し、現場を離れた車が700メートルまり先でバイクに追突し会社役員(51)が死亡

 

無職で逃げる必要無くない?何も失う物無いじゃん。会社役員の人マジ可哀想家族どうすんだよ

anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

コロンブス本人の是非より、炎上ライン越えを感知できなかったことに興味がある。

 

決裁者達→燃えると思ってない

現場個人燃えると思ってるが言えない

かなと思うんだけど、フロー改善される可能性はあるんだろうか。

多分ないが…

だって決裁者側で苦言を呈してる人全然見ないもん。

MV公開停止されたし、うやむやで終わるんだろうな。

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