はてなキーワード: 一世一代とは
3歳から通ってた近所のピアノ教室の息子で、6つ年が離れていた。
なぜかわからないけれど、子供のころからとにかくそのお兄ちゃんが大好きで大好きで、教室以外でもよくくっついて回ってた。
お兄ちゃんはお兄ちゃんで、三兄弟の末っ子で、自分より下がいなかったからか、私のことをよくかまってくれてよく遊んでくれた。
私が小学校に上がったとき、彼は6年生で、私が通ってた小学校は小6が小1の面倒を見るみたいな縦割りの組織があって、同じ登校班だった彼と私はいつもペアにしてもらえた。彼が卒業するときは、嫌がって大泣きしたくらい好きだった。前々から私は「将来は〇〇お兄ちゃんと結婚する」と言ってはばからなかったので、周りの先生や同級生、彼の同級生にも周知の事実で、わざわざお兄ちゃんとのツーショットを担任が撮ってくれた。今でも大事にとってある。あと彼の同級生に囲まれるなかで、彼がほっぺにキスしてくれたのもめちゃくちゃ覚えている。
中学に上がってから彼は体育会系の部活に入って、それまでやっていたピアノもやめてしまって、私とはあまり会えなくなってしまった。それでも私はずっと彼が好きで好きで、ピアノのレッスンが終わっても待合室で彼が帰ってくるのを待っているくらいだった。彼からすると私は年の離れた妹くらいの感覚だったようで、面倒を見るみたいな感じで接してくれた。その態度はそれから10年以上変わらなかった。彼は幼いころからとにかく優しくて、思春期特有の女の子を遠ざけるようなこともなくて(これは年が離れていたから、そもそも女として見られていなかったというのもあると思う)はじめはその態度がうれしかったけれど、自分のこれが単なる憧れとかでなく、恋なんだと気づいた中1からはめちゃくちゃしんどくなった。
小学4年生くらいから恋バナとかするようになったけど、好きな人はずっと「〇〇くん(お兄ちゃんのこと、小3くらいからそう呼び始めた)」と答えていて、でも正直好きとかよくわかっていなかった。中学1年の時、彼に初めて彼女ができて、初めて嫉妬をした。中1から見た高3はめちゃくちゃ大人びていて、悔しいと思うと同時に太刀打ちできないと思った。相手はお化粧とかもして、制服も着崩したりして、今の自分とは全く違う世界の人だと思った。そしてそんな人と彼が恋人同士というのが、彼も遠い世界に行ってしまったようでしんどかった。今も覚えている、ピアノ教室に行ったら玄関の前であの二人が楽し気に話していた風景。本当にショックだった。
どうにか少しでも近づけるようになりたくて、化粧を始めたり、ファッション誌を買って勉強し始めたのはこのころだった。先生にバレないギリギリの化粧をしたり、ストパーかけて髪サラサラにしたり、評定に影響しない程度のオシャレをして、みるみる周りよりもちょっと大人びた子になった。
そしたら部活の先輩から告白された。彼が好きだったから、好きな人がいますって断った。その次は別の先輩に告白された。断ろうとおもったけど、「すぐ返事くれなくていいから、考えてみて」って言われた。断るつもりでいたけれど、そこで改めて考えてみた。もし彼がフリーになって、私と付き合ってくれたとして、付き合うってどうするんだろう?彼女ってなんだろう?デートしたり手をつないだりというのは想像がついたけれど、それ以外付き合うというのが何かわからなくて、一度他の人と付き合ってそれらを知るのもいいのかもしれないと思いなおした。タイムマシーンがあるならこの頃に戻って全力で阻止したい……。結局私は先輩と付き合うことになったが、3か月もせず先輩が卒業したのをきっかけに別れた。その頃はケータイとか持ってなかったから、連絡の取りようがなくて自然消滅した。結局、付き合ってしたことといえば一緒に帰ったり、休みに一緒に映画を見に行ってプリ撮ったり、それくらいだった。
そんな感じで経験が乏しかったので、しばらくしてまた同級生に告白されたらOKして付き合ってみた。ただ私があまりに受け身なのであっという間に関係が冷めてすぐ別れてしまった。それからしばらく来る者拒まず去る者追わず方針で付き合っては別れてを繰り返し、そのうちキスとかも経験した。ただ同じ学校内でそれを繰り返していると女子からの印象がどんどん悪くなるので、途中から「付き合うのはOKだけど、周りには絶対内緒にして」と言うようになり(以外にみんな素直で本当に内緒にしてくれた)またこの頃からケータイを使い始めて、他校の人とも関係を持つようになって、どんどん拗らせていった。多分影でビッチとか呼ばれてたんじゃないかな、高校生までヤッたことなかったけれど。
ピアノはずっと続けていたので、彼と会う機会はほぼ毎週あった。向こうが部活やバイトで忙しくて会えないときもあった。向こうは私が付き合っては別れてなんて繰り返しているとは知らず、「学校どう?」とか「部活どう?」とか聞いてくる。彼氏の話は一切しないで、彼からの印象が悪くならないような話を色々した。受験期には勉強を見てもらったりもした。ますます妹感が強くなっていっていたが、どうしたら自分を恋愛対象として見てもらえるのか当時は全く分からなかった。大体私が高校に上がったとき、向こうはもう成人してたのだ。最初の彼女とは別れていたが、また気づかぬ内に二人目の彼女ができていた。確か同じサークルの人とかだったと思う。気づかない間に二人目になっていて、帰ってからベッドで転げまわった。
高校生になってからはさらに拗らせて、SNSで大学生と知り合い処女を失った。というか、向こうは完全に私を恋愛対象としていなくて、恋愛話を一切してこないから、それが悔しくて他の男に向かっていた節がある。今思うとSNSで知り合った人と会ってコトに及ぶの本当に危ないからやめてほしい。あとファーストキスも処女も全部取っておけばよかったという後悔もすごい……。ただ、自分も女だ、努力すれば彼に振り向いてもらえるかもしれない、実際年上の男とも付き合えている、というのは自信になった。まあ定期的に「もう無理~~~!絶対無理~~~~~~~~!!!」と鬱になって別の男に走るを繰り返してはいたけど……。マジ屈託なく頭撫でてきたりするから……。ここまで拗らせるとボディタッチも、嬉しいとかより「女として見られてないんだな……」の感情の方が強かった。
転機が訪れたのは高3の時、向こうは社会人なりたてだった。大学時代の彼女と別れたのだ。私は「受験勉強を見てほしい」という口実で、ピアノのレッスン後待合室に残り、彼の帰りを待って勉強を見てもらった。既に理解している数学の問題をわざと「わかんない……」と言ったりして、少しでも一緒にいられる時間を延ばした。親も「〇〇先生のとこの息子さんなら大丈夫」と謎の信頼を置いていて、先生(彼のお母さん)も夕飯出してくれたり、帰りは私を家まで送り届けるよう彼に言ったりしていた。天は私に味方している。
その時つながっていた男は彼氏・セフレが3人ほどいたが(全員大学生)、「受験勉強に専念したい」と言って全員切った。大学は彼と同じところを志望していた。少しでも話題を作りたかったのだ。本当はもっと上を狙えると担任に言われていたのだが、頑なに拒否した。
センターが終わったら、お疲れ様会をしようと私から提案して、センター2日目の終わりに彼に拾ってもらいファミレスに行った。そこで「大学受かったら付き合ってほしい」と言った。なんかもう少女漫画とかの影響受けまくりのセリフで今思うと恥ずかしいのだが、もうここでこう言うしかないと思い込んでいた。
彼は大変困惑して、「俺社会人だし」「同じくらいの年の人がいいんじゃない?」「〇〇はまだ若いんだし、もっといい人いるよ」とかいろいろ言ってきた。私も「ずっと昔から好きだった、今まで彼女できた時とかショックだった」「妹みたいに思ってたかもしれないけど、こっちはお兄ちゃんだなんて思ってたのは小学生まで」と言い返した。そんなつもりなかったが、ボロボロ涙が出た。向こうはしばらく黙り込んだ後、「大学受かって、かつ〇〇が成人して、その時〇〇に彼氏がいなかったら付き合う」と言ってくれた。
舞い上がったが、それから向こうがものすごくよそよそしくなって、ああ、これからの2年間で諦めさせるつもりなんだな、と思って、大学の合格報告をしたついでに、「絶対他の人を好きになることはないし、絶対諦めない。撤回するのも許さない。あとそれまでに彼女つくって逃げるのも嫌」みたいなことを言った。相手は「そうは言っても大学で他にいい人見つかるかもよ?とりあえず〇〇が成人するまで彼女作らないよ」と言ってくれた。
それからの2年間、たぶん一番大変だった。あまりしつこいと嫌われるかもしれないから、なるべく控えめに、でも途切れさせることなくやりとりをして、月に1度くらい一緒に出掛けた。出かける度に一世一代の大勝負くらいの気持ちで、一生懸命メイクして髪を整えてかわいい服を着た。一緒に買い物に行ったときなんかに相手の好きな服の傾向を把握し(試着に付き合わせて反応を見た)どうにか女として意識してもらえるよう努力をした。
1年生の秋くらいに彼が一人暮らしを始め、成り行きで一度だけその家に入ったことがある。そんなに広くないワンルームで、座る場所があんまりなく並んでベッドに座った。ここで既成事実を作ってしまおうかめちゃくちゃ悩んだけど、我慢した。思考回路がダメなので、押し倒してなし崩し的に持ち込めるな……とは思ったけど、そうすると彼の「20歳過ぎたら」という気持ちを尊重できてないな、と思い直して。なんかものすごく生殺しでしんどくて、予定よりも早くさっさと帰ってしまった。
前々からデートの約束を取り付けており、一緒に食事をした。多分私、ずっとニヤついてたと思う。仕事帰りだったから向こうはスーツだった。出会って最初に「忘れてないよね?」って言ったら「ニヤニヤしすぎ」って流された。
なかなか本題に入らずに、ずっと大学の講義がどうだとか、バイト先の社員がどうだとか、当たり障りない話をずっとしてた。いつ言おう、それとも向こうが言ってくれるだろうか、その場合いつ言ってくるんだろう、やっぱり私から言ったほうがいいかな、と思ってるうちに食事が終わり、帰る前にお手洗い寄って、テーブルに戻ったら小さい紙袋が置いてあった。「どうぞ開けて。誕生日プレゼント」と言うので取り出したら、指輪だった。何も言葉が出てこなくて、あわあわしながら彼の顔を見たら「負けました」って言われた。ようやく付き合うことができた。
こうして、17年?にわたる片思いが実ったことが、もう本当に今死んでも悔いがないくらい嬉しいんだけど、ここまで私がこじらせてたことも、気持ち悪いぐらいの片思いをしてたことも、中学に上がって以降一切誰にも話してなくて、話したくなくて、でもようやく付き合えた!!!!!!!!ということを誰かに言いたくて書いた。多分これからの方が大変なのはわかってるんだけど、今はとりあえず浮かれている。
0717:なんで今伸び始めた??タイトルから誤字っててごめん。直した。
そろそろ付き合って1ヶ月経つけど、彼が手も繋いでこないのに物凄くもどかしさを感じる。何も知らない女の子だと思ってるんだろうな……罪悪感がヤバくてたまに吐きそうになる。一生教えるつもりないけど。
でもあの時男を渡り歩いて、どうしたら好きな人を振り向かせられるのか、好きになってもらえるかを研究した……?というか学んだというか……色々試していたので、あの経験がないと今の幸せもないのか、と考えるとなんとも言えない気持ちになる。読んでくれた人も幸せになりますように〜〜〜!!
扱っている内容がめちゃくちゃ科学なのに祈祷を行っているかはまあさておいて。
厄年とか暗剣殺だとか災難が起こりやすい年についてリストアップされているやつだ。
これを見て「修士の学生とかみんな厄年じゃんwww」みたいに思ってたんだけどさ。
いや、そうなんだよ。男は数えで25が本厄だし、女は数えで19が本厄だ。
24といえば大学院生なら必死こいて修論を書いているわけだし、女性に至っては18歳、ほとんどがセンターなり私大入試に苦しむ時期だ。
そういった課題を災難としてみなすなら分らんでもないし、過去に制定されたものだから時代の流れで変質していったのも否定できない。
だが、彼らにとっちゃ一世一代、将来のかかった年なのだ。そんな節目の年を厄年扱いするのはあまり気持ちの良いものではない。
そして改めて調べてみたら、はじまりは曖昧というか、根拠は特にない民間伝承らしい。
経験則とする意見もあるらしいが、「受験」「就活」が二大イベントして根付いた今の社会システム的では経験もへったくれもあったものではない。
実家に住んでいた頃、猫を飼っていた。
大変不本意ながら、そのキジトラの子猫に、ネズミの方の名前を付けることとなった。
そして寝つきの悪いわたしが寝付くまで、じっとわたしの顔を見つめ続けていた。
そんなわたしの話を聞いて、家族は言う。猫の年の取り方は、人間よりも早いと。
「あなたが弟分だと思っていたその猫は、いつの間にかあなたの年齢を超えて、
兄貴分として、あなたを見守らなければ、って考えたんじゃないかしら。」
猫は、温かかった。わたしは、寂しくなかった。
父はもう、母を見守ることはないのだろうか。
母はもう、父の温もりを感じる事はないのだろうか。
願わくば、もう一度、母にあの猫の温もりを。
決して裏切ることのない、あの優しさを。
セックスの為に結婚じゃなく、セックスを大事にしすぎてる女多すぎ問題でしょ
なんかさ、「自分をもっと大事に!」とか言って、美人もブスも身持ち固くなって糞つまんなくなった。頑張るのは男性ばっか、てめぇみたいなブスな白雪姫、王子も素通りだわ
ちょうど良いブス、言葉だけ見ると「理想を下げて、手軽にやれる、都合の良い女」って感じ。男もこういう女性大好き。でも、女性はコンマでブチキレ。なんなの?核融合?
もちろん男にもAVやエロ漫画・エロゲーを信じて、それを実行しちゃう馬鹿は居ます。オタクに多いのも事実だけど、むしろ女性に困ったこと無いイケメンや高学歴・高収入、女性が狙っている物件にも数多くいるよ
そんな馬鹿に無茶苦茶されるのは男側からも可愛そうだと思う。ただ、その自衛のために、美人もどブスも身持ち固くなるのは駄目。トランセルかよ。鍛えるのは防御力じゃない、観察眼。眼の前の男性があんたをどんだけ大切にしているか。
一緒に遊びに行って、気遣い何一つ無い男がベットの上では紳士とか無いし、車道側を歩いたり荷物持とうかする男性がベットの上でブッカケ要求してくることもまず無い。イケメンや金持ちだと分かりにくいかも知れないが、金で喜ばせようとしてくる系は大体は後背位で尻叩くような奴。金払って第3者にサービスさせて自分は笑顔なだけな奴
とにかく女性はシビアに男性を見極める力を養って欲しい。面倒だから最初からヤル気無いとか勿体無いし、その結果売れ残って大して魅力も無くなった頃に「仕事で出会いが~」とか後付の言い訳で結婚焦るとか馬鹿でしょ。男を見極める力も養わず、自分が定めた日本新記録並みのハードルを自力で超えてきた男にだけ、Hするか考慮してあげてもいいかな?という世界で松岡茉優かローラにしか許されない行為を、男性100人中45人くらいが可愛いかな?って思う顔面をしている女性がしているんだよ
ハードルを下げよう。その分自分で見極めよう。良さそうな男とはHをしよう。自分の判断が正しければ相手はちゃんと避妊する。しないならちゃんと拒否れ。Hはスポーツとは言わないけど、一世一代の大作業でも無い。自慰の二歩先程度の行為だよ。それに男だって自分の出来うる限りの思いやりを与えてヤラせてくれないなら別を探します。お互い縁がないなら無駄な時間過ごしたくないでしょ。中条あやみみたいなスタイルでも無いくせに、思わせぶりな態度で長い間思わせぶりな態度をさせる権利があなたにありますか?最低限ダレノガレ明美くらいの顔か?ガリットチュウ福島じゃないか?
ヤリマンやビッチじゃなく、男女共に流動性を高めれる女性。それがちょうどいいブスだと思う。ちょっと今はコスパ最悪のブスが多すぎ。でもコスパ最悪のローラは大好きです。もっとコスパ悪くても良い、だってローラだもん。あの顔なら許せるでしょ。男ってそういうもん
本当に相思相愛になってやっと出来る物だから、ビッチや風俗嬢やAV女優は理由なく叩かれるし、プラトニックな恋愛が好まれて、草食系が喜ばれ、ロールキャベツだったらトコトン怒られる。みんなウブ過ぎ!
東京医大の女子差別が明らかになった時、多分近年で一番フェミニズムが湧き上がったよ。
なんせ「女性差別」が存在していることが公的に明かされたのだから。しかもこんなあからさまで醜悪な形の。
それに乗る形で、様々な企業や大学の女性差別を呟く人達がいた。
フェミニズムの信頼性を上げ、女性差別の存在を明るみに出し、それに抗議する流れを作る一世一代のチャンスだったんだよ。
それがなんだ?
そんなどうでもいいことで戦争してフェミの評判を落としてるんじゃねえよ!下らないことでせっかくのチャンスを潰しやがって!
キズナアイのことがこんなに燃えたのはオタク側の過剰反応も失言もあったけどさ…東京医大だって青識やらテラケイどもが擁護してたけどさ…
それでもどっちがより重大事か、火を見るよりも明らかだろ。
これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。
編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。
宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターでフォロワーが多い人間、ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットでちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通はもっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人の印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから、出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。
売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッターで感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版社からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。
そこで出るツイッタラーの本も通り一遍なものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。
本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。
本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。
小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由に次回作は出ない。
じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから、増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。
じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業や宣伝を説得できない。
こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。
この記事(http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/02/post-4b9b.html)については筆者だけでなく、ブコメでの反応を見ても本来混ぜるべきでないものを混ぜて考えている人も多く危惧を抱いたので私の考えを簡単に記しておきたい。
氏の主張としては「怪我が悪そうなので回復を第一に考えて出場しないほうがよかったのでは?」というものだ。そこそこのボリュームの記事なのでほかにも色々書いているが、煎じ詰めるとこの一言であろう。しかし決定的に間違っているのがこの「回復を第一に考えるなら」という前提の部分である。一見正しそうだし、実際多くの場合正しいのでたちが悪い。多くのブクマもこの一見正しそうなマジックワードに騙されている。
「回復を第一に考えるなら」という前提の何が間違っているのか。ここではこれを「回復してどうするの?」という問いに対する答えを考えてみることで説明してみたい。
本題に入る前に最初におことわり。以下に私は「回復を第一に考える必要などない」旨を書こうとしているが、それは「羽生選手が痛み止めを使えば金メダルの可能性がある程度には飛べる」程度には回復していることを前提にしている。実際その程度の回復具合だったことが明らかになった今では不要な断り書きかもしれないが、たとえば「どう考えても滑れないしジャンプも飛べないのに正常な判断力を失って<出場>を主張している」ケースなどはまた別の話というか、普通に出場すべきでないことは明白であり本稿では考慮しない。
それでは本題に入る。
いきなり結論を書くが、回復したとして羽生選手にとってオリンピックでの金メダル以上のモチベーションはおそらくない。これが1年に何度もあるGPシリーズのうちのひとつ、あるいは毎年あるGPファイナルや世界選手権なら「回復して次の機会に頑張ろう」という理屈も成り立つし、仮に本人が出たがっていても周囲が無理にでも止めさせるという判断はあろう。しかし4年に一度のオリンピック、それも金メダルが狙える状況で止めさせるのは、あまりに酷である。
「そうは言っても23歳の未来ある若者なんだし」的なブコメも散見されたが男子フィギュアにおいて23歳は「未来ある若者」ではない。むしろラストチャンスの可能性もあり、頑張れば金メダルをとれるかもしれないのなら「出たい」と考えるのは自然なことだ。最悪選手生命を絶たれたとしても悔いはないというくらいの計算も働かせたのではと推察するが、その上での出場判断をいったい誰が止められようか。繰り返すが出ても出なくてもこれが最後かもしれないなら出る、当たり前でシンプルな結論である。
これで最後かもという部分は反論が予想される。4年後の27歳でも十分に一線級で戦えるかもしれないからだ。銅メダルのハビエル・フェルナンデスは26歳である。ただ信じられないほどジャンプの難易度がインフレしている男子フィギュアでは、4年という時間と27歳という年齢はプラスよりマイナスに作用する可能性が高い。実際もう30年以上25歳以上の金メダリストは出ていない。回復しても27歳の一発勝負で金メダルをとるのは難しいなら、そして痛み止めさえ飲めばジャンプできるなら、多少の無理は押して目の前の金メダルをとりに行こうというのは決して分の悪い勝負ではない。最悪メダルもとれず怪我が悪化し今後の選手生命が断たれたとしても悔いがないと思えるくらいの年齢が男子フィギュアにおける23歳という年齢である。
この点が一部ブコメにも見られた「甲子園での高校球児の酷使」問題と混同してはいけない点である。高校球児、とくに卒業後プロを目指そうというレベルの投手は文字通り「未来ある若者」である。本人がどんなに連投を望んだとしても、無理にでも大人がストップをかけることに一定の合理性がある。もっと大きな舞台でもっと大きな成果を挙げるチャンスを、若者特有の好ましくも危うい一時の情熱にまかせて摘み取ってはいけない。
私が冒頭で「回復を第一に考えるなら」という前提は「多くの場合正しい」と書いたのはこういうケースである。無理せず回復を待って次のチャンス、次の飛躍へつなげよう!というのは高校球児をはじめとした多くのティーンエイジャーには当てはまるし、ハードワークを強いられ心身が疲弊している一般労働者にも当てはまる。世の中の99.99%の人にとって正しいのが「回復を第一に考える」ことである。
翻って羽生選手の場合はどうか?オリンピックよりもっと大きな舞台があるのか?金メダルよりもっと大きな成果があるのか?たぶん答えは「NO」だし、仮に「YES」だとしても「YES」と言えるのは羽生選手だけである。「回復を第一に考えて」というのは彼の身体を気遣った大人の分別ある意見のように一見思えるが、実際には、世界最高の舞台で世界最高の輝きを放つチャンスを永久に奪い去る暴挙に等しい。幾人かはコメントで指摘していたが羽生選手や彼の決断に対する敬意を欠く行為でもある。
Finalvent氏および氏に賛同した人たちにあらためて問いたい。「回復してどうするの?」。
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
特定の相手に対する「行為」(リアル)と、不特定多数の観衆に対する「表現」(フィクション)を区別しないと、回りまわって首を絞められて困るのは僕ら自身だってことに、いい加減気が付いた方がいい。そして、観衆にはそれを見ない自由も手段もあるってことも。https://twitter.com/cynanyc/status/943741182428844032
区別した上ではあちゅうさんは非難されてるので安心してほしいし、差別表現の問題を「見ない自由」によって解決した気になれるのはちょっと面白いですね。未だ居るんですねこういう人。
漫画の主人公も大体童貞キャラだよね。二枚目でちょっとスケベだけど、根は純粋で実は童貞ってパターン。で、ひょんなことから転校生の美少女と何かの行き違いから一つ屋根の下に同居するようになるんだけど、童貞クンだから何もできない。これが漫画のお約束。これもNGなのw 例えば、めぞん一刻も。
誰もそんなこと言ってないから安心して回線を切って寝て欲しい。
不特定多数へ向けた童貞いじり(つまりフィクション)がNGなら、もうハリウッド映画にプロムのシーンは描けないよね。プロムって、彼女のいない男子高校生(つまり童貞)たちがいかに彼女を誘うか人生を賭けた一世一代の芝居が見せ場だけど、例えばバック・トゥ・ザ・フューチャーもダメって話になる。
誰もそんなこと言ってないから安心して回線を切って寝て欲しいし、バック・トゥ・ザ・フューチャーのプロムと『「ねえねえ童貞ってなんで童貞なの?」( ´ ▽ ` )ノ』が同じに見えるならそれはね、すごいよ。
特定の「童貞」個人を指した「童貞いじり」は立派なセクハラだが、個人がブログ等で童貞という一般的な属性を茶化すのはセクハラじゃねえ!表現の自由の範囲。それとも童貞は人種のように本人努力では変更不可な属性だからヘイトスピーチ扱い?>はあちゅうを絶対に許すな
「本人努力では変更不可な属性」ってのにこだわってるけどなんなんですかね。宗教って改宗で変えれるから茶化すのは差別じゃないのかな。「プチ整形したらギリギリ可愛くなれるブス」は本人の努力で変えられる性質だから、茶化すのは差別じゃないのかな。面白い考え方ですね。このひと初めて知りましたがどこかの会社の執行役員なんですね。これくらいの考える力の水準で執行役員になれるってことは、優秀な方が入ったらとてもいい待遇が待っているのだろうな。優秀な方はぜひこの会社に入りましょう。
何度も言うが童貞は差別用語じゃない。性、年齢、身体的特徴、人種、心身障害、出自、民族、国籍、身分、宗教、言語、社会的地位、貧富、職業、学歴、思想は差別の原因になるが、童貞は経験の有無を指す言葉なのでそのステータスは簡単に変わりうる。信条として童貞を貫く場合のみ例外だろうけどね。
だれも童貞が差別用語だとは言っていないので安心して寝てほしいし、「男性」も「32歳」も「黒人」も差別用語ではないので本当に安心して寝て欲しい。
今、私が納得がいかないのは、童貞をネタとして気軽に扱うのはダメだ、傷つく人がいるんだ、←ここまで理解、謝罪
の先の
じゃあ世の中に溢れてる童貞コンテンツは?童貞の自虐はどうなの?自虐もやめさせるべき?
全部ダメなの?
というところです。
お前が世の中にあふれる童貞コンテンツについて納得できるかなんて全く関係ない話なんだから落ち着いてほしいし、まず小学校などに通って欲しい。
童貞をいじるのはダメっていう人に聞きたいんですが地震のたびに「おっぱい!」と男性がツイッターに書くのはいいんでしょうか…?私は実はあれ、結構嫌なんです…。でもそれは私の感じ方が相手の感じ方と違うだけだし、楽しんでる人も多いみたいだから、私の反応が過剰なんだろうし、別に→
https://twitter.com/ha_chu/status/943652436803166208
→私個人に面と向かって言われているわけではないからセクハラだとは思ってなかったけど、私がツイッターで童貞というのがセクハラならタイムラインに地震のたびに並ぶ「おっぱい」はどうなんだろう?とふと考えました→
なんなんだ、おまえは。
度重なる押し問答の末、シューゴさんはとうとう爆発した。
「もういい! もうたくさんだ! こんな曖昧な基準で、表現が統制されてたまるもんか!」
「ワガママを言わないでください。社会にとって害悪なものは統制される。それが今回はアニメだったというだけの話じゃないですか」
「俺から言わせればな、普遍性のないボーダーラインを大義名分に、表現を統制しようとすることこそ害悪でありワガママだ」
「上等だ! 奴らが文句を言うのはもちろん自由だ。だが、オレたちにも同じくらい尊重すべき自由がある!」
シューゴさんは頑なだった。
「自分にとって不都合な影響を与えたくなくて、躾もロクに出来なくて、その責任をオレたちに擦り付けるしか出来ない。だったら、いっそ何もない家に一生閉じ込めておけ。それが一番確実で健全だ」
「なぜ自分と同じ物差しを、誰もが持っているべきだと思いあがれる? よしんば持っていたとして、同じ物差しで同じ場所に、同じように線を引くとでも思ってんのか。それを踏みこえてはいけないと、なぜ言い切れる?」
父もフォンさんも溜め息をつくが、どこか安堵もしていた。
シューゴさんほどではなかったが、二人とも今回の対応に不服であったのは同じだったからだ。
どこかでシューゴさんが突っぱねてくれることを期待している節があったのかもしれない。
そして、放送後……
「シューゴさん、苦情が……」
「変える気はないぞ。主人公たちの武器はこれまでと同じ、人間相手にもバンバン使っていく」
「いや、今回はそこじゃなくて……」
「ん? どういうことだ?」
「『入浴シーンがセクシュアル的でよろしくない。青少年の健全な成長に悪影響を与える!』……とのことです」
それを聞いたシューゴさんは大げさに笑って見せ、父は白々しく「あちゃ~」と言いながら頭を抱えた。
「わっはっは。あ~そっちかあ~」
「というか暴力表現に関する苦情はどうしたんです? 今回はアクションシーンが派手だったから、いつもより来ていると思ったんですが」
「恐らく、入浴シーンのほうが気になったんでしょう。性的描写の方を問題視する人って多いですから」
「性別関係なく湯気をこれでもかってくらいつけているんですけどねえ。作画の手抜きを湯気で誤魔化しているんじゃないかって疑われるレベルで。更には放送局がそこに雑な修正まで入れてるほどなのに」
「一番スケベなこと考えているのは子供より、そいつらの方なんじゃねえか?」
「また、そういうこと言う……それに暴力描写と性的描写は別物ですから、判断基準も変わってくるのは当然ですよ」
「どちらも表現の一形態だろ。これは良くて、これはダメ。ここまでならOK、これ以上はNG。それを区別する境界線を誰が、どうやって決めれば正しいんだ」
「それは私も分かりませんが、彼らの主張自体は理解できるでしょう。これはTPOに基づいた、妥当性の問題です」
「その“T”と“P”と“O”とやらを、それぞれ具体的に考えたことあんのか? そんな状態で妥当性なんぞ共有できないだろう。基準が曖昧なままなのに、主張に汲み取るべきところがあるからと受け入れていったら、雰囲気だけで規制できてしまうぞ」
「そうです。都合のいい言説を振りかざしているだけです。主張の内容はそれっぽいことを並べてはいても、象徴的だったり抽象的なものの域を出ていない。とどのつまり恣意的に判断しているのを誤魔化しているわけです。それで表現が統制されるべきとは思えません」
「そんなこと言っても仕方ないでしょ。私たちも上から通達が来たから業務上やってるだけで、それが本当に正しいことか分からなくても、やらないといけないわけですし……」
「ああ、そもそも上の指示に大人しく従ったのがケチのつき始めだったよな。それで安易に変えてしまったら、他の表現も次々とその対象になる。クリエイターを抑圧し、萎縮させて、風当たりだけが強くなっていき、虚構のディストピアが出来上がるわけだ」
「そうして世間の目が矯正されれば、今までは全く問題視されていなかった表現まで規制の対象と認識される。事例や風潮の積み重ねが基準やエビデンスを形作るなら、なおさら現状にNOを突きつけるべきなんです」
この時フォンさんはかなり戸惑っていたようだった。
目の前の問題から目を背けて、二人が不平不満を言っているだけのように見えたからだ。
「二人とも、検閲そのものの是非はともかくとして、結局何らかの対応はしないと……」
「それなら大丈夫だ。今回のエピソードでお上からの指令は来なくなる」
「え、どういうことです? むしろ余計に悪化しそうな気がするんですが」
「“自由の応用”・・・・・・?」
「オレたちは表現の自由を不可侵の聖域だとは思っちゃいない。なぜなら表現の自由は、言論などの“自由”も包括しているからだ」
意見を肯定するか、否定するか、スルーするかという選択はできる。
だが都合の悪い意見そのものを失くそうと黙らせるのは矛盾した行為だという。
「ではどうやってこの流れを止めるというんです」
「直に分かりますよ、フォンさん」
父たちは作り手だからこそ、表現の自由に構造的な欠点があることを知っていた。
それはつまり、“その他の自由”にも欠点があるのを知っているってことだ。
元増田です。
たくさんのアドバイスありがとうございます。
今年の4月ごろからポシャッって、研究生活からは遠のいていたのですが、就活は何とかこなし内定をもらうことができました。
これまで学校には行かずバイトなどで精神的に休養を取っていたのですが、スイッチが入るとダメになりました。
そろそろ10月だしゴミでもなにか書きあげないと卒業できないと思い取り掛かろうとするとした時です。休んでいる時は普通に戻ったと思ったのですが。
研究に取り掛かろうと意気込むほどに頭がフリーズしモヤがかかったようになり、焦燥感で心臓がバクバクし食欲も湧かず、
パソコンを開いても研究用のソフトを開けずネットを見ることしかできません。一世一代の告白メールの送信ボタンを押すくらいソフトのボタンを押せないイメージです。
1.プロローグ
今日、私の財産の一部について久しぶりに確認を行ったところ、とんでもないことが起こっていたので紹介したい。
事の発端は8年前の入社の時に遡る。当時、就職難ではあったが何とか今の会社に入り、将来のためにと思い毎月10万円ほどずつ頑張って貯めていった。1年7ヶ月かけてやっとの思いで貯めた200万円を2010年11月にゆうちょ銀行の定額貯金に預けた。
これには訳があり、当時利率がだんだん低くなっていたのと、親父が『今使わない金は定額にでも預けておいた方がいいぞ。』とよく言っていたので、それを真に受けてしまったためである。
2.起死回生の策
1年後の2011年11月に一大決心をした。
まず、前年に預けた200万円を全額解約したのだ。3年以上預ければ、年0.05%の利息が付くが、1年で解約したので利率は0.04%となり、利息は手取りで640円であった。これでも、現在の定額貯金の金利に比べれば4倍にもなるのかもしれないが、親父のころとは比べものにならないほど少なかった。
親父は就職して6年ほどかけて200万円貯め、郵便局で定額貯金をしたといっていたが、当時の金利は年8%の半年複利で、さらにマル優とやらで税金は全くかからず、10年後の満期日には438万円以上受け取ったとのことであり、要するに200万円を預けて238万円の利息を受け取ったらしい。
今現在、定額貯金に預けるとすると、年利率は0.01%であり、200万円を10年預けたとしても、税引き後の手取りの利息は1,600円にも満たないことになる。生まれた時代によってこんなに違うなんてやってられへんな〜。
話を戻して、当時私は、利息がこんなに少ないのなら別の運用をやればいいのではないか、株式なら配当や株主優待があるものもあり楽しみも増え預貯金よりもずっとお得なのではないかと思い、一世一代の大決心をし、解約した200万円をすべて株式に投資しようと考えたのです。
購入したのは、近所に店があったり、配当が良かったり、優待が良さそうだったものをピックアップし、ハイデイ日高とクリエイトレストランツを500株ずつ、神戸物産を100株、ペッパーフードサービスとベネフィットワンを10株ずつ購入し、5社で手数料込みで194万円弱支払った。
当時ハイデイ日高は、年に1万円分の日高屋の優待食事券がもらえた。また、ペッパーフードサービスは年に1万5千円分のペッパーランチの優待食事券がもらえ、当時は500円ランチをよく食べたものだ。
さらに、ベネフィットワンは、ホテルが1500円で泊まれたり、食事の割引きがあったりして非常に重宝している。これらの優待があるだけでも定額貯金の利息に比べはるかにうまみがあり良かったとぐらいに当時は思っていた。
株式を購入してちょうど70ヶ月(6年弱)になるが、今日その分析を行ったところ、とんでもないことに・・・・・。
まず、現在年間10万1千円の優待食事券や商品券をもらっており、これだけで投資額の5%以上になる。さらに、ベネフィットステーションでホテルが安く泊まれたり、多くの特典を受けている。これらだけでも銀行の預貯金の利息とは雲泥の差である。
つぎに、今期の年間配当は、税引き後の手取りベースで21万円以上となり、1年間で11%以上の利息を受け取っていることになる。これは、親父が定額貯金をしていたときの年8%よりもさらに多い運用となっている。すでに受け取った税引き後の配当は全部で73万円を超えており、投資額の3分の1以上が配当金として戻ってきた格好である。
最後に、評価額であるが、その前に株数であるが、株式分割が行われたことにより、ハイデイ日高は500株が1,243株になった。同様に、クリエイトレストランツは500株が4,500株に、神戸物産は100株が400株に、ペッパーフードサービスは10株が6,000株に、ベネフィットワンは10株が2,000株になっている。
今日現在の評価額は5社分の合計で44,424,260円であり、たとえばこれらすべてを今日の終値で売っていたとすると、売上手数料と税金を支払った後の手取りで3,578万円余りとなり、投資額を引いた純利益額が3,384万円余りとなる。これに、今までに得た配当金を加え投資期間の70ヶ月で割ると、200万円を預けたときからずっと元本とは別に毎月49万円以上の現金をもらっていたのと同じことになる。これは、私の税引き後の月給の3倍ほどであり、もしこのような状況が今後も続くのなら、仕事を辞めて株式で運用しながら遊んで暮らすことも夢ではないように思える。(今のところ仕事を辞める気はないが。)
別の見方をすると、ハイデイ日高の半端な243株と神戸物産の200株だけを売却した場合、その手取り収入と今までの配当金を合わせた合計金額は220万円余りとなり、当初投資した194万円弱は年利約2.4%の利息付きで回収できたことになり、それとは別に4,262万円余りの株式が財産として残り、また、それらから今までと全く同じ株主優待が受けられることになる。
これって、もしかすると昔あったとよく言われている『バブル』じゃねぇ。給料も上がってきたしバブルはすでに来てるんじゃねぇ。
でも待てよ。物価はそれほど上がってないし、超低金利だし、要するに企業が余剰金をため込み、また、日銀が量的金融緩和政策で株等を多量に買い込んだことによるアベノミクスマジックなのか?。もしそうなら、日銀が放出するときに、株価の大暴落が起こることも考えられるのか?。ならば、仮想現実的な現状から脱却するために、株をすべて売却しておいた方が良いのだろうか?
6年ほど前に定額貯金を解約し株式を購入していなかったなら、このような検討は全く必要なかったし、その方がある意味幸せだったのかもしれないが。
コツコツ働いてお金を貯めるだけでは老後の年金生活は苦しいようだし、今のうちに資産を増やしておいて、退職後にそれを活用してより快適な生活をするのが一番現実的なのだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20170918002546
最近、「告白ハラスメント」なる概念が流行しているらしい。大学院界隈でもちらほらとそのような話を聞く。
こちらから見ると、勇気を振り絞った一世一代の告白があたかもセクハラのように扱われるのは非常に心外である。
しかし、この問題は、おそらく向こうが思わせぶりな態度を取ることで、こちらがてっきりOKだと勘違いすることが原因だと考えられる。
そこで、男子大学院生は同じ研究室の女生徒から何をされたら告白OKと判断するのかをはっきりしておきたいと思う。
それを拒否しなかった時点でこちらは「もしかして…脈あり?」と判断したくなる。
その日偶然学生食堂に2人で行くにしろ、2人で食うのが嫌ならば適当に逃げるはずである。
下校中隣で歩いていたり電車で立ったり座ったりしている時は食事中よりよほど近い位置にいることができる。
それが拒否されなかった時点で、こちらはやはり脈ありではないかと判断している。
自分の悩みを打ち明けてくれるのは実質彼氏彼女の関係と言っていいと思う。
そうじゃなかったらやるな。
代表的な事例としてはここらへんがあると思う。
もう一度言うが、向こうがそういう態度を取るからこちらも告白していいと勘違いしたくなるのであって、こちらだけに責任があるような言い方は心外である。あるのは好意のみであって悪意などではない。
「察しろ」「空気を読め」など偉そうな批判も控えて欲しい。大体、理系(特に旧帝大辺り)の男子大学院生ともなれば、小学校を出たら母親以外の異性と接触する機会がない院生も珍しくない。母親を彼女のように扱って練習しろとでも言うのだろうか。
だから、こちらからの告白を「ハラスメント」扱いするなら、せめて思わせぶりな態度は取らないで欲しい。
(追記)
むしゃくしゃして書いたのだが、意外と反応が多くて驚いた。
いくつか補足しておこうと思う。
そうだとしても、理性と感情は違う。
2人で食事や下校という状況で「〇〇さんにはいつもお世話になっております」「色々お話させてもらってよかったです」とか言われると、頭の中の恋愛スイッチが完全に入ってしまう。
そうなると、後はどこで彼女とできるだけ接触する機会を作っていつ告白するのかしか考えられず、理性でしか考えられなかった。
だから、予防措置としてそもそもサシ飯なんてやめて欲しかった。
増田のような人達に問いたいけど、友達、仲間、ただの同級生・同僚との区別をどうつけてるんだろう。男性同士でも親しさの度合いはグラデーションあるだろうに。つか一緒に学食でメシ食ったら親友なの?
http://b.hatena.ne.jp/entry/345038556/comment/movesinthefield
確かに、男性なら普通に友人付き合いなどグラデーションのある付き合いはするので原因について考えてみた。
前提として、特に博士課程の大学院生は多かれ少なかれ結婚などの人生のステップについて思い悩んでいるというのがある。この年になると周りが徐々に結婚したり親から「いつ結婚するの?」と聞かれたりするからだ。
だから、男性と女性では接する時の気持ちが全く異なる。もちろん仲のいい男性の友人もいるが、いくら仲が良くても結婚やその後のステップには至らない。
一方で女性、それも同年代の院生であればその可能性がある。かなり小さくても、男性の0よりは大きい。だから、交際や結婚のチャンスがないか、というのはどこかで常に考えてしまい、結果として上記のようなイベントをきっかけにすぐ次のステップに進みたくなるのだろうか、と推測している。
(同性愛などのLGBTであればまたこの境界は異なるだろうが、今は異性愛者である自分の話なので考慮しない)
はてぶでの反応を見ると、さすがに「我々男子大学院生」というのは主語が大きすぎたかもしれない。
身の周りの男子大学院生でも彼女がいて、正常に交際関係を築いている者は一定数いる。
(追記2)
でも確かに、男性2人でだったら仲が良くなくても普通にやることなんじゃないか、とだんだん冷静になってきました。
もしかしたら、普通に悪いことをしてしまったんじゃないか、と今は思ってます。ここで謝ってもしょうがないけど。
これから先、どうすればいいんだろう。
(追記3)
こんなに愚かな大学院生の書き込みに色々な意見やアドバイスを頂き、本当にありがとうございました。こんなにネットで反応があるのは初めてで、非常に驚きました。
これだけ多くの反応を頂いて、やっと自分の愚かさを自覚しました。今はもう、自分がしたことも勢いのままにここに書いたことも、涙が出るほど後悔しています。
ただ、皆様からのコメントを見ると他にもこのように男子大学院生が早まった告白をして迷惑をかける事例は各地で発生しているようです。他に同じことをしでかしそうな院生がいた時、これに対する周りからの警告とその後の私の反省を見ることで誰かに迷惑をかける事例を未然の防ぐために、この記事は残しておきたいと思います。もう最初の方は見返したくもないけど、それは自業自得だと思っております。
あとひとつ、今はもう恥ずかしいことでしかないけど参考になるかもしれないエピソードを追加しておきます。
紅茶が好きだと言っていた彼女に喜んでもらいたくて、先日「いつも研究頑張っているから、差し入れです」とブランドの紅茶(数千円くらい)の箱をプレゼントしました。
その後、自分がやらかした後で、封の開いていない紅茶を「そのようなつもりだったなら自分が持っているのは申し訳ないです」と返されました。その時は、物ですら拒絶されたことにただただ傷ついていたのですが、今考えると、告白する前から使っていなかったということはそのような贈り物も距離の取り方としてはよくなかったのだろう、と思います。
(特定は避けるために一部の事実は変えていますが、おそらく似たようなものでも問題が起きていたと思います)
この増田への言及やはてぶの中には、とても具体的で実践可能なアドバイスも数多く含まれています。
この失敗の記録が、女性経験に乏しい大学院生にとっての助けになればいいと思います。
ここで終わらせて頂きます。改めて、本当にありがとうございました。