はてなキーワード: レジャーとは
はなれていくホロライブ5
その近さが要因となって、Vtuberを苦しめている。
Vtuber大手事務所はVtuberたちを「配信者」から「タレント」へと変化させ始めている。
・配信と案件
「動画の再生広告料(リスナーが動画を視聴する際に表示される広告からのアドセンス収入)」
「スーパーチャット(スパチャとも。生配信中にリスナーが配信者へお金を支払う)」
「メンバーシップ(メンシとも。月額で入会し特別な配信やイラストを手に入れられる)」
現在では大手事務所に所属するVtuberの収入はスパチャなどだけではなく、
「グッズ収入およびライブ収入」と「案件収入」が金額として大きくなっている。
ホロライブやにじさんじといった有名Vtuberは企業から様々な案件を貰い、その報酬を得ているのだ。
「プロモーション配信」はVtuber自身のチャンネルで、商品を紹介したりする広告的な配信を行うものだ。
Youtuberなどで多いのは商品のレビュー配信であったり、体験配信であったりするが、
特にVtuberで多いのは「新作ゲームの紹介」や「自分達のグッズが取れるクレーンゲームの紹介」だ。
例1:ホロライブの白銀ノエルによる「ヘブンバーンズレッド」の紹介配信 ttps://www.youtube.com/watch?v=pJ1AOaP1blw 例2:にじさんじライバーによる「ラグナドール」の紹介配信 ttps://www.youtube.com/watch?v=70GK4v5xEAQ&t=0s
これらは商品を販売する企業に報酬をもらって決まった配信内容を行うものであり、
こう言った配信は通常の配信と同じような形式で行われるものの、
Vtuberが気を配ることになる「顧客はリスナーではなく企業」となっている。
通常の配信がBtoCならば、プロモーション配信はBtoBと言えるだろう。
またVtuberは外部の媒体へと「ゲスト出演」することも増えている。
例1:ホロライブとパ・リーグのコラボ ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000146.000019259.html 例2:にじさんじとJ1のコラボ ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000395.000030865.html 例3:にじさんじのライバーが競艇番組に出演する ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000058868.html「配信者」という枠を超えて、外部の配信、またTV番組やラジオなどに出演するようになってきている。
・スパチャとグッズ
案件配信だけではなく、昨今のVtuberでは「グッズ販売」も大きな収益となっている。
例えばホロライブやにじさんじでは、Vtuberの記念日に大々的にグッズを売り出している。
例1:ホロライブ誕生日記念グッズなど ttps://hololive.booth.pm/ 例2:にじさんじ誕生日記念グッズなど ttps://nijisanji.booth.pm/
例1:ホロライブとアトレ秋葉原のコラボグッズ販売 ttps://hololive-summerfes.com/ 例2:にじさんじとユートレジャーがコラボした指輪を販売 ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000258.000030865.html
グッズの売り上げがスパチャよりも大きいことを多くの事務所やVtuberが表明している事実だ。
例1:ホロライブの社長がライブ配信だけではなくグッズ販売が大きいことを語る。 ttps://youtu.be/OxsD3K6l7so?t=1479 例2:Re:Actの社長がグッズが収益の中心となって言ると語る。 ttps://fanicon.net/icon/case/3
ある意味で、ここは既存のYoutuber達や現実のタレントとは違った、
イラストをつかったVtuberならではの展開と言うことが出来るかもしれない。
様々なイラストレーターに書かせることで、Vtuber達の新たな魅力を展開し、
これは、つまり
「配信も対話もせずに売れるグッズ」が大きな収益となり始めているということだ。
さらに踏み込んで言えば
「リスクが低く売り上げも大きいグッズ」と
言い換えても良い。
このことを深く掘り下げていくと、
もしくは「IPビジネス」となってきていると考えることが出来るのではないだろうか。
配信を一つの広告手法として新規のキャラクターを売り出し、IPの価値を作り出していく。
IPの知名度さえ確立してしまえば配信しなくても良くなっていく。
ただキャラクターをグッズッとして売っていけばよいのだ。
日本においてはグッズだけで巨大な市場を形成していることからも分かるはずだ。
・Vtuberというキャラクター
ここまでで何度も「リスナーとの近さによるリスク」を書いてきたことで察しているかもしれない。
こういった売り出し方が進んでいけば、Vtuberはどうなるか。
当然「配信」というリスクが高く手間がかかる手法を取る必要はなくなくなり、
企業としては「グッズ」や「案件」をこなしていく方が安全で利益が高く、
そう言った側面を裏付けているのが、ホロライブやにじさんじの配信頻度の低下だ。
配信全盛期と比べて、この二社に所属するVtuberの配信頻度は低下していっている。
例えば以下のようなVtuberの事例があげられる。
例1:ホロライブ「百鬼あやめ」 配信数2.8回/月(過去半年平均) 例2:ホロライブ「紫咲シオン」 配信数7.7回/月(過去半年平均) 例3:にじさんじ「戌亥とこ」 配信数5.6回/月(過去半年平均)このように1カ月間の内、1/3すら配信をしていないVtuberが存在している始末だ。
これらは投稿動画のように編集作業が必要なものではなく、台本もない生配信だ。
特に例1、例2のVtuberは会社員との兼業などではなく、もっぱらにVtuberとしての活動を勤めている配信者である。
このように配信を行わないVtuberは当然、「スーパーチャット」や「動画広告収入」を得ることはできないが、
それでもホロライブやにじさんじでは、Vtuberのグッズを売ることが出来るため、利益を確保することが出来る。
(例えば、例1の「百鬼あやめ」はこの文章を作成した2カ月前に、
ttps://www.famitsu.com/news/202201/21248677.html )
企業としては有名になってファンを獲得した「キャラクター」が存在していれば、配信しなかろうが遊んでいようが、
「キャラクターが存在している」というだけで利益を上げることが出来るようになっていっている。
『Vtuberは「新しいキャラクターの売り出し方」ではなく「ただの絵のついた生主である」』という話題を考えるに、
むしろ「キャラクターの売り出し方」に近づいていっているのではないだろうか。
ただし、その反面として、
もっとできるはずなんだけどなぁ。
38歳妻子あり。子どもは4歳。
なんで年100万円「くらい」なのかっていうと、貯金用の口座は嫁が管理してて、俺は毎月10万円弱を振り込んでるから。
この貯金もつい1,2年くらい前から始めたから、マジで総資産500万もないと思う。
職場の人はローン組んで家だのマンションだの買ってるけど、頭金はどうしてるんだろう、毎月払えてるのかなとか疑問だぜ。
子どもが大きくなったらそんな貯金も吹っ飛ぶくらい金が掛かるんだろうな。
大学時代、毎月10万円以上仕送りしてくれてた親はマジで偉大だなと思う。
一体何にそんなに消えてるのかなって考えたら、土日のレジャーとかなのかな。
外食とかも含めると毎週末2万円くらい飛んでる気がする。
あとコンビニも好きでちょくちょく買ってるかも。
このまま年収が上がらずに(ブラックで昇格したくないのでたぶんこのまま)、
そして子どもが大きくなったら、教育ローンとか組んだりつみたてNISAで買ってたインデックスファンドとかを売ったり、
そういうのが必要になるんかね。
今回のまん防適用に法的根拠がなく違法の疑いが強いという話がある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20220120-00278187
一昨日結構twitterでバズったので左派の人達も一度は特措法違反の疑い、という文字を目にしただろう。岸田政権の失策なので、絶好の攻めどころだ。
こんなのよりはるかに国民生活に影響しないモリカケの話を持ち出したりしてる状況だ。
今回のまん防は法的根拠がないから取り消せ!と強く訴えれば、少なくとも飲食業界、レジャー業界、エンタメ業界など、まん防の影響をモロに受ける業界から支持を得られただろうに、それをやらなかったから支持を得る機会を失ってしまった。
というよりは、左派の人達は国民生活にはあまり興味がないのだろうか。自分達が富裕側に居るからだろうか。
そんな疑念を持った。
大雪になると立往生した車のCO中毒死の危険が叫ばれるが、はっきり言ってこの責任はメーカーにある。車の構造の問題だからだ。
更にちゃんとその辺りの説明が出来ずに漠然と危険性だけを叫んでいるマスコミにも問題がある。
これについて説明する。
自動車のエアコンシステムには冷暖以外に内部循環と外気導入があるのはご存じと思う。
外気導入にするとバルクヘッド(運転席と前部エンジンルームの隔壁)に開いた穴のシャッターが開き、ファンを通して室内に外気が吹き込まれる。
だが出口が無ければ室内の気圧が少々高くなったところで空気は入らなくなる。
その為に出口となる通気口が必要だ。そしてこの通気口は換気の用を為すためにも室内空間のなるべく後ろ側にあった方が良い。
因みにこの通気口はドアを閉めた時の閉まりやすさにも影響する。通気口が無いか狭い場合、ウエザーストリップ(ドアのゴムパッキン)の圧縮にも力が奪われた上で空気を圧縮する事になるので、力の弱い人はドアを閉める事が困難になる。
ここから排気ガスが侵入するのである。そして構造上、ワンボックスワゴン型がとにかくこの問題に脆弱である。
それ故オーナーがその危険性を認識しにくいし、掘り下げ力が足りないマスコミも然りである。
車内の最後部に配置する必要から、その場所は車種により異なる。
・セダン
最近めっきり減ったセダンだが、後部通気口の位置は洗練されていることが多い。
概ね、左後ろ座席のドア(右ハンドル車)に仕込んである事が多い。ドアを開けるとドアか車体側のウエザーストリップの外側にスリットや穴が見える。これが外側の通気口だ。
内側はドアの内張りにスリットがあったり、アームレストに隙間があったりする。更にシートの裏側に穴があって、トランクを通過してドア部シャーシ側に開口している凝った作りのものもある。
いずれにしろこの構造だと排気ガスを吸いにくいから比較的安全な構造と言える。
ズバリ言うと、左側ボディ側面最後部のバンバーに隠れる場所にある。具体的にはこの動画の14:53付近を見てもらうと判り易い。
https://youtu.be/4fphaU3cdVo?t=893
これは今塗装中でバンパーが外してある。これは外車で左ハンドルなので右にあるが、右ハンドルの日本車なら反対側の左の同じ場所に同じように配置されている。
内側はその上の荷室内後部に内張りにスリットがある場所や内張りに隙間が設けてある場所があるはずだ。トールワゴン所有者は実車で確認して欲しい。
この場所ははっきり言って最凶最悪の場所だ。何故なら普段はバンパーで蓋がされているが、そのバンパーはフラッシュサーフェス化の為に下部以外車体をピッタリ覆うものだからだ。
車体下部はさながら水上置換の集気びんだ。排気ガスはどんどん供給され、更に暖かいので上に上ろうとする。そこに脱出口が一つだけある。
それが後部通気口だ。排ガスに含まれるCOは重いので普段は下にたまるが、排ガス自体が暖かい上に閉鎖空間にどんどん供給されるので一緒に室内に入っていく。
ここの通気口にはバルブやシャッターはない。入りたい放題だ。「換気の為」と思い窓を少しだけ開けていればその速度は加速されるかもしれない。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nissan_Skyline_C111_2000_GTX-E_001.jpg
ガーニッシュ(飾り)を兼ねていた時代のものだ。必要な開口なのでデザインに取り込んだのだな。
これは80年代のハイエースだが、車体後部にスリットが見える(この型は車体両側にある)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Toyota_Hiace_50_Wagon_001.JPG
こうやって見える所にあると、排ガスが侵入しにくいだけでなくて、オーナーがその役割や仕組みを認識しやすい。
ここに水がかかれば車内に侵入しそうだし、外部の臭いや有毒ガスもここから入りそうだと想像がつく。
そもそもフラッシュサーフェス化する理由は、空気抵抗低減と騒音低減の為だ。出っ張りや凹みというのは高速走行時にそこで空気の乱流や渦(カルマン渦列)を生む。乱流はゴーーという音で、カルマン渦はピューーという音だ。
この為にドア外板の中とかバンパーの裏に移動させられたのだ。更にバンパーもフラッシュサーフェス化されているので鉄のバンパーむき出しではなく、ウレタン樹脂で車体と面一にするカバーが付いた。
走行中の車体付近は空気が流れているから負圧になっており(ベルヌーイの定理)車体下も然りなのでこんな奥に隠された場所でも空気が吸いだされて用を成す。
代わりに全然考慮されていないのが停車時の排ガスの侵入である。ウレタンバンパーの上部は外板と密着しているから上った空気は上に抜けず通気口に全量が入ってしまう。
2016年には三重県の駐車場で仮眠中の19才二人がCO 中毒で死亡するという事故も起きている。
https://www.sankei.com/article/20161007-EJKMGZCUSJIRFLJ6U4NPX3TUMA/
この車両も軽のトールワゴンである。軽微なマフラーの破損が死亡事故に繋がったものだ。
一般的にマフラーの破損はCo中毒に繋がりやすく注意が必要な故障なのだが、それでもトールワゴンのこの通気口の場所という脆弱性が無ければ死亡には至らなかったとしてか思えない。
マフラーが少々壊れただけで死ぬ、という構造は安全性の面からどうなのか?個人的には相当にイカレてると思う。
トールワゴンはSUVから派生した、クロスカントリー性を撤去した低床レジャービークルである。
故にこういう特徴がある。
↓
SUV:車中泊しやすい、通気口は排ガスが侵入しやすい危険な場所にあるが車高が高いので塞がれにくく事故には至らない事が多い
↓
トールワゴン:車中泊しやすい、通気口が危険な場所にあり車高が低いので雪で容易に水上置換状態になる
という訳で、構造的な危険性がちゃんと認識されないままになし崩し的にSUVをそのまま低床化してしまったのだ。
更に車中泊しやすいのが問題で、起きていればCO中毒の初期症状、頭が痛い、眠いなどに気が付くが、寝てしまえば死亡事故まっしぐらである。つまり使用目的の上でも危険性が高い。
隠されているために後部通気口の事など知らないオーナーが殆どだろう。
だからマニュアルにも記載し、シール貼付などで「この車の通気口はここにある」「ここから排ガスが侵入する」と表示するのが必要と思われる。
またマスコミもちゃんとこの事故の構造的問題を認識して啓蒙に努めて欲しい。バンパーを外して「ここに通気口があるせいで排ガスが入るんですよ」「寝てた場合は必ず死にます」という報道をしているのを見た事が無い。
https://jaf.or.jp/common/kuruma-qa/category-natural/subcategory-snow/faq255
「外気導入口から排ガスが侵入」とか書いてるのよ。その前に後ろの通気口から入ってるんだよ!内部循環にしてても後ろの通気口にはシャッターが無いの!窓を開けても煙突状態になるから余計に車内に入っちゃうの!
JAFの実験はセダンには該当するがセダンよりワゴンやトールワゴンが売れてる現状では認識が不十分としか言えない。
最終的には低床車でも密閉型バンパーの裏に隠す今の方法を止めて、コストが少々かかっても安全なところに開口する方法にしないといけないだろう。
だが消費者運動が下火になり国交省もEU規制に倣っているだけの現状だとそれも難しい。遺族が構造の問題を訴えたりすれば流れは変わるかもしれないが。
尚、セダンなどでも車体下部に排ガスが溜まってしまえばシフトレバーの穴やら水抜き穴、前部の導入口から入ってくるのは同じなので時間の差こそあれ中毒死の危険は同じなので安心してはいけない。
「新型コロナ終息後の勉強はオンライン学習が中心か、対面授業が中心か」を聞いたところ、「オンライン学習が中心」33.6%、「どちらかと言えばオンライン学習が中心」45.9%、「まだ分からない」2.9%、「どちらかと言えば対面学習が中心」5.2%、「対面学習が中心」12.2%という結果になり、保護者・生徒の79.5%が「コロナ終息後もオンライン学習が中心」と回答した。
また、オンライン学習と対面学習を比較すると、「どちらかと言えば」の割合がオンライン学習は多く、対面学習は少ないことが分かった。
一方、「対面授業を選んだ理由」につては、「オンラインだとサボってしまうので対面授業のほうが良い」、「家だと集中できないので対面授業の予備校に行かざるを得ない」など、「モチベーション」を挙げる声が多かった。
生徒は、「家では集中できない」「リラックスしてしまう」「やる気がわかない」という意見が多く、対面授業を希望する生徒自身が「オンライン学習が向いてない」という前提が存在している。
オンラインが向いていない受験生自身は、直接的な受験生や教師との交流によってモチベーションを上げることを目的に、対面式の予備校や塾を希望することが分かった。
社会人研修でも、受講者当人たちはオンラインで十分だと思っているのに、無能な人事が「対面での絆をー」とか、そういう集まっている様子を自分たちの実績として報告したいのか、対面での集合研修をしたがります。でも、対面の授業や研修は、この調査のような「学べない」人たちを対象とした、一段低いものとして位置づけられるべきだと思うんですよね。その人たちの声がでかいというのはあまり良くない状況だと思います。ちゃんとできる人はオンライン、動画コンテンツで十分で、そうでない人はコストをかけて (会社にコストをかけさせて) 対面で学ぶ。できるだけそのコスト層を減らしていくよう指導する、というのが「新しい学び」だと思うんですけどねぇ。
「対面で議論することで学びがー」とか言いますが、「なんとか入門」「なんとかの基礎」で、はじめて学ぶことについて、はじめて会う人たちが議論して、何か意味のある成果なんて出るわけがないじゃないですか。それはただ、研修という、業務から合法的に抜けられるレジャーで、楽しくおしゃべりしたいだけなんです。
緊急事態宣言が出たからオンラインにします、解除されたから集合に戻します、じゃなくて、オンラインで学べる人と学べない人の選別、それぞれに適した教育の提供が重要だと思うんですけどね。
殆どゲームせずに育ったけどデジタルディバイドなんぞ感じたことない。
BUZZER BEATERを表示するのに30分くらいかかる時代に大学入学して初めてPC触ったけど、今現在もそちら方面で不自由はしてない。
ただ、ゲームしなかった弊害としてワーキングメモリ少なくて頭の回転鈍い。
幼い頃からちゃんとゲームしとけば良かったと思う(今現在もゲームしようとするけど、ものすごく下手だし面白くない。なんか良いゲーム無いかな)
まあ何にせよ子供が成長していく過程での幸福度は、親の教育方針よりも家庭の経済状況に依存してると思うな。
(教育を振りかざして精神的に子供を追い詰める様な親は論外としても)海外どころか国内の旅行すら行けない、ゲーム機すら買い与えられない様な親の貧しさの方がよっぽど問題。
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
東京23区に住んでいる。私が住んでいる街はもともと左派が強い街だ。商店街や駅前では、自民党の支持者が多いが、駅から離れるにつれ、住環境は悪くなっていき、低所得な独居高齢者がボロボロなアパートに住むというような地域がポツポツ現れる。そういう街では、公明党、共産党、れいわなどのポスターや左派諸派のポスターが増える。環七の向こうは別の街だ。普段、駅周りで生活していると気が付かないが、違う小学校区に足を運ぶと、この街は本来、左派の街なのだな、と思う。
ただ、その左派の一つ一つがかなりの存在感を放っていることもあり、逆にひとつになるということは難しかった。というより、そもそも、保守派がマイノリティな地域であるから、二元的な対立に持ち込まれると基礎票で完全に負けるのだ。いままでは左派が分散していたため、基礎票も割れていた。その結果、現職の大物議員は開票、即当選での勝利を繰り返していたのだ。それが今回小選挙区ではじめての敗北を味わった。
では今回、大物議員が票を減らしているかといえばそんなことはない。前回より多くの得票をしている。陣営もしっかりと基礎票の積み重ねは行ってきた。勝って傲慢になるのではなく、しっかりと対策はしてきていたのだ。しかし、地元では「明確なメッセージを持たない」と思われているその政治家は、ある一定以上のリテラシーを持つ層、街に永住すると決めていない層には刺さらない。彼は政策型の政治家ではなく、陳情窓口型の政治家だと地元では思われている。おらたちの村を発展させてくれる政治家、つまり区議や都議の大将という位置付けなのである。大学で学ぶ政治学や政策はほとんど関係ない。それより公園をつくったり、スケートボードを禁止するほうが大事なのだ。
今回、彼が勝つためには、左派の自滅、浮動票の獲得しかなかった。基礎票は年単位で構築するものであるから、選挙が始まってからここを増大させるのは難しい。今までは左派の自滅で勝てていたのだが、今回は左派は一枚岩になっていた。そうなると、浮動票の獲得しかなかったが、自民党という追い風は、自らのコロナ優先入院騒動で相殺された。小選挙区は、個人に投票するものであるから、党派に賛成していても、その個人への不信感があれば追い風は無風になる。選挙が始まってしまえば、打てる手は実は、ほぼない。選挙前に仕込みをし、あとは選挙前に加速度をつけて、最高速度を更新続けるのが選挙だ。選挙期間の前に、選挙はほとんど終わっている。今回は、左派の作戦勝ちだった。
左派の基礎票は、そのイデオロギー性にある。社会的正義や不平等、不公平感などから生ずる怒りがイデオロギーとなり基礎票を形成する。では、右派、とくに彼の場合の基礎票の正体とはなんであろうか。一体誰が投票しているのであろうか。これは地元にいないとなかなか見えてこない。彼に投票しているのは、利害関係のある業界団体、宗教法人、地域のおじいちゃん、おばあちゃんコミュニティーである。おじいちゃん、おばあちゃんについて、もう少し詳しく話すと、区議の後援会の面々である。この区議の後援会の面々をうまく組織しているのが、彼の事務所であった。
例えば都議選のときなどは、区議は都議候補のところへボランティアにいく、事務所を貸す。国会議員である彼も応援演説にいく。彼のコネで大物政治家を投入する。逆に区議選では都議、国会議員がサポートに回る。そのような互助会が、後援会の正体だ。国会議員の後援会は、都議の後援会であり、都議の後援会は区議の後援会でもあるのだ。区議が対処できない陳情は都議に持っていき、都議が解決できない陳情は国会議員に投げる。逆に選挙のときは、手伝ってもらう。なぜなら、その後援会の中で一番結束が固いのが、地元の名士をトップとした地域コミュニティーである区議であるからだ。区議の後援会は最強である。そこには政策はいらなく、区議の人望があればいい。その家の看板があればいい。それを旗印に、みんなで戦うというレジャー、人生のスパイスが、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての選挙なのだ。そして勝てば、みんなでお祭り騒ぎをする、それが楽しいのだ。普通の人がテレビでみるイベントに参加できるという老後の楽しみが選挙という面もあるのだ。シルバー民主主義とかあんまり考えていない。多くの人は楽しいから政治活動に参加している。
私も街頭演説を見てびっくりしたが、彼は抜群に演説がうまい。それは政策を語る、というものではなく、人心掌握という点である。彼の陣営は、おじいちゃん、おばあちゃんのそういう気持ちを熟知していて、街頭演説などでは、後援会の会長の奥様などを見つけて声をかける。国会議員本人が演説中に演説を中断し、「あ!◯◯さん、お久しぶりですね!お元気でしたか?」と高いところから声をかけたりするので、声をかけられた本人はもちろんうれしい。だから、友人たちをたくさん動員し、演説では人一倍拍手をし、がんばって、と声援をかける。そんな友人たちの前で声をかけられれば、「いつも誘ってくる人」から「有名人の知り合い」にランクアップである。そんな区議の後援会のお礼に、彼やその秘書たちは担当を決めて、その地区のお祭りや、野球チームや、寄り合いなどに普段着で遊びにいくのだ。そして、後援会の人にみつかり、なにか一言、というような展開によくなっている。打算的といわれようが、なんだろうが、そこまでするのか、と私はびっくりした。また、私の母も、彼の主催するバスツアーに呼ばれて、旅行に行っていた。高くもなく、安くもなく、普通のバスツアーだったが、帰ってきた母は嬉しそうに話してくれた。
ご飯のとき、本人が横に座ってくれ「困ってることないですか」と聞かれた、だけど、政治のことはわからないので、「近くの側溝から蚊がわいて困ってる」というどうでもいい話をしてしまった、はずかしいと帰ってきた母は嬉しそうに話していた。そして、後日、後援会(というか、なかよし会)のみんなで写った集合写真が届き、そして側溝は掃除された。後援会ごとに写真を取っているんだと思う。それを経験した母はあんなすごい人が私の話を聞いてくれた、となり、そのままファンになっていった。総理大臣を目指すといえば、ときめくのは実はおばあちゃんなのである。おらが村の政治家を総理大臣にするべ!となる。政治家は、バスツアー、街頭演説、選挙、後援会活動などの老後のたのしみとやりがいを提供してくれるエンターテイナーなのである。
新聞ではブランドの崩壊など書かれているが、住んでいる人間、しかも、生まれ育った人間からすると実態を捉えていない。地場の人たちは、とても近くに彼を感じている。政策を語らせるとちょっと頼りないけど、困ってるとき相談するとなんとかしてくれる大将であり、自分の老後人生にハリを与えてくれる人なのだ。彼は自分の身の回りの話しの解説、生活密着といった地上戦の話には強いが、空中戦、つまり憲法、経済、ジェンダーなどの話で深く語ることができない。次回の挑戦までに、秘書たちはもう一度地盤を固め、彼自身は今回取りこぼした浮動票にささる空中戦を体系的に学ぶ必要があると思う。後援会は、高齢化が進んでいる。おじいちゃんおばあちゃん達のアイドルもいまや、還暦を過ぎていて、ここからファンクラブを拡大するのは難しい。そして経年減少を迎えている。だから、選挙に勝つためには、浮動票を取るしかない。リテラシーのある層を取りに行くしかない。それが出来ないと、構造的に負け続ける構造になってしまう。空中戦も戦える候補にならないと、次がない。マーケティングを施したキャッチフレーズは刺さらない。
軍団は解散した。今度はあなたが軍団の大将だ。赤いポロシャツ軍団を率い、今度は高いところから理念を語る姿を見たいと思っている。
ということで納得できない程度に汗臭いので、
ご時世柄あまり気乗りはしなかったのですが
スーパー銭湯に行ってきました。
家からのんびり歩いて10分程度のところにその銭湯があるのは幸いでした。
私はコロナ禍云々より前の話で、もともと銭湯に行く習慣がありません。
自分から行くことはなく、誰かに誘われれば行くかな、という感じです。
今回のように一種のレジャー(という言い方が正しいかはわかりませんが)
ではなく必要性から銭湯に風呂を浴びに行くというのは初めてのことかも知れません。
私はワクチン接種が1回目が済んだところ、感染リスクはやや高いので緊張しながらの入湯となりました。
しかし、当然のことながら周囲には感染リスクを気にしながら銭湯に来ている人はおらず、
むしろそのようなリスクを全く考慮していない勢なのでやや不愉快な気持ちになりましたが
仕方がありません。ここは彼らのフィールドであり私はアウェイの人間です。
ただ出来ることを粛々と行い、体を洗ってさっさと出てきました。
さて、ここからが本題です(長い枕で恐縮です)。
例えば、仕事終わりの帰宅時になどにひとっ風呂浴びて帰るとかすれば問題そのものが存在しなくなります。
今日の場合、タオル等のレンタル費込で1000円をオーバーしていました。
毎日使えば月3万円です。これでは外風呂をルーティンに組み込むことは私の場合難しそうです。
ですから、もうちょっと気軽に外でシャワーなりをさっと浴びれるスーパー銭湯に対する
マスクが嫌だからとか、新型コロナ自体が存在しないとかその手のタイプ
そうではなく、コロナにかかるのは怖いから手はよく洗うしマスクもN95下位互換マスクを付けるし、
でも健康を考えてワクチンを打たない、という人はどのくらいいるのだろうか
いわゆる身体を気遣っているセレブという人達で、適度な運動と健康食を心掛けている人達
その中に結構な数がいるのはインスタなどを見ているとわかる
4割のうちの数%なのだろうか
いくら同調圧力の強い日本とはいえ、居ないという事は無いだろう
不安は精神=身体にとってもマイナスなので、あまり良い事ではない
手洗いうがいはしっかりしますし、マスクも高性能なものを付けます、食事は黙食で、でも美味しく食べる、
実際アカウントを見てみたが、反ワクチン・反ワクチンパスポート・反マスク派から集中砲火を食らっており、「若い人の意見」が事実上見られない(かなり長時間縦スクロールを繰り返さないと出てこない)状態に陥っている。
Twitterならともかく、なんでインスタでこんなことが起きているんだろうと考えてみた。
コロナ禍前のインスタ投稿の中心は「宴会・パーティ」「レジャー・イベント」であったが、コロナ禍でそのほとんどが飛んで行ってしまった。もちろん開催されているイベント風景を投稿するのは可能ではあるが、ヘタに投稿するとこないだの波物語のように大炎上してしまう。
その結果、「普通のインスタ投稿」が激減し、それまでのインスタの雰囲気が一変した。
TwitterやFacebookだけではアピール不十分と考えた反ワクチン・反マスク派が一斉にインスタに進出してきた。かれらは雰囲気を無視して自分たちの考えを強烈にアピールしてくるので、ワクチンに対して肯定的な考えを持っている人が居るとすぐに潰しに来る。
インスタはTwitterやFacebookと異なり投稿に対するコメント(リプライ)量がかなり少ないので、10人程度のコメントでもかなり目立ってくる。
コロナ禍前のイメージでTwitterではなくインスタを選んだのだろうが、コロナ禍と長きにわたる自粛要請でインスタというサービスの利用者層・利用状況が大きく変わってしまい、反ワク派が蹂躙跋扈する状況を招いてしまった。これは尾身さんサイドは大誤算だっただろう。
ネズミやイノシシは血が出なくてもうーん…となるけど非食用ウニを粉々にしまくる動画は見れる。
睡眠導入BGMに聴いてます~って何もわざわざウニ殺す要素はいらないっしょ。一定の打撃音がいいならミニマル音楽とかであるんじゃねーの。
死ぬことの哺乳類とそれ以外の断絶は大きいが大きいだけで哺乳類が死ぬのも平気だしLiveleak産の人が死ぬ動画もたくさん見たしペット飼ってないから猫犬が死ぬ動画でも内容によっちゃ楽しく見れるし。飛行機に捕まって当然落ちる人たちにも一抹のユーモアを感じ取ってしまう。超えちゃいけないラインはどこだろうか。悪意を持って殺されるのはNGなのか。ウニは環境のためだからOKなのか。じゃあ戦争やテロなどの確信犯は不快感を覚えないのか。そうかなそうかも。戦争や自爆テロの映像は見たい気がするけど日本の通り魔事件の映像は積極的に見たくない…かな…。刺殺なせいもあるけどね。通り魔が確信犯だとしても病人・障碍者の認知のゆがみまでは飲み込めないかもね。快楽殺人…いや殺害と狂人はダメ、と。ついでにグロテスクなのも全部無理だす。
まあ自分はいいとして世間一般のラインもどこかにあるはずで、ウニ殺しは人気だしジビエブームもあって害獣の狩猟も受け入れられてそうだわな。やっぱり環境を守るという錦があれば嫌悪感無く見れるか。
でもでもヘリからレジャーかのように害獣駆除する動画とかはちょっとなーって感じるよな
https://www.youtube.com/watch?v=OqdwDJ_LhCg
やってみたい気持ちもある。あるが。
これの何がダメか考える。オデの場合はブラックジャックやターちゃんの影響で密猟に限らない楽しげなハンティングを嫌ってるのかもな。人殺しの顔をしろってやつか。違うか。