はてなキーワード: クラスタとは
階、枝野、山尾、逢坂と、民進党はエース級をそろえて、完全に共謀罪にロックオンしてますね。がんばってくださいね。
階議員は今日かなりエキサイトしていましたが、支持しますよ。今日も鈴木淳司法務委員長は、職権で法務委員会を開催して、かつ林刑事局長を答弁者に登録することを採決したみたいですが、昨日も書きましたが、委員会が政府参考人を登録することそのものはおそらく、否定できないと思いますよ。でも、前例はほとんどないはずと思ってたけど、一回もなかったみたいだけど。枝野さんが、「民主党政権時代にも、答弁が不安定な大臣というのはいたが、こんなことはしなかった。今までの大臣の中で、金田さんが一番能力がないといわれてるようなもんなんだから、怒るか逃げ出すかするしかないはずだ」といっていましたけどね。まぁ恥の問題ですよ。でも鈴木委員長が、基本的な事項について、質疑者が指名できるはずの答弁者をここまで露骨に林局長を指名しているのは階議員が指摘したように、衆議院規則違反だろ、というのはそのとおりですよ。露骨過ぎるんですよ。一太委員長とかも、結構助け舟を出すけど、たとえば、総理が指名されてても、「まず局長、その後総理行きますから」とかぐらいは言いますよ。鈴木委員長はかなりダメですよ。一応ほめておくと、今日の国交委員会の西銘恒三郎委員長は、同じ時間使うでも、質問の整理をして答弁を促したりしっかりと議事進行されてましたよ。だから基本的な事項について、委員長が局長指名してきたら、質疑を取りやめるよ、という対応は支持します。鈴木委員長は来週あたり不信任動議されるんじゃないですかね、このままだと。
山尾さんです。これはまぁ大事な話なんだけど、山尾さんの質疑を見て。とにかく総理大臣がニヤニヤしながら、「失礼だとおっしゃられましたが、これは事実でございますから」とか言いながら山尾さんをおちょくってた(しかもどうやら嘘か勘違いっぽい)ことの帳尻を林局長に取らされてるのはマジで意味不明。もちろん安倍さんの行動が意味不明。質問主意書だしていいよ。総理が調べた辞書はどれだったのかって。山尾さんにはいつもやり込められてるから仕返しのつもりだったんだろうけど、ちゃんとほんとに調べてなかったのならこんなくだらないことでも虚偽答弁だよ。どこまでもどこまでも国会をなめきってんだよ。
枝野さんと林さんのやり取りは、今日も面白かった。林局長もやり取りをする中で、公式見解をまとめてきていたので、枝野さんも一歩前進したと評価されていた。個人的な予想に過ぎないけど、枝野さんの方針はなんとなく読めてきた気がしました。林局長が、今日まとめてきた公式見解を出すことを予想した上で、実務的にどうやって、担保するのか、過去の例で、公式答弁がどうあろうが、条文上読めなかったら、裁判ではこう扱われてきたんだぞ、っていう路線に進めていくんだろうことを予感させる終わり方でした。枝野さんの質疑はこれだから面白いんだよ。いや共謀罪は面白がってる場合じゃないけど。
長いからまとめちゃうけど、こないだの、違法性の認識のところをはっきりつめてきて、犯罪の構成要件としての故意の認定と違法性の認識の差を明確にしてきました。組織的犯罪集団の構成員として認定されるには、結合の目的が、別表に掲げられた罪を犯すことは知っていないといけない。(それが罪であることは知らなくてもよい)
林局長
「違法性の意識は、故意との関係で論じられます。刑法第38条3項にございます。その際に違法性の意識がいるのかいらないのかが論じられている。そして今回の組織的犯罪集団の結合の基礎としての共同の目的が、別表第3に掲げる罪を実行することにある、といえるために構成員が当該行為を違法であることを認識していることを要するか否か、については、故意の問題とは別の問題でございます。構成要件に該当する客観的事実を認識して実行すれば、違法性の意識がなくても犯罪が成立する以上、犯罪の構成要件に該当する事実を認識した上でそれが結合関係の基礎としての共同の目的になっているのであれば、それは組織的犯罪集団に当たりうると考えます。ただ、もっとも、ある団体の結合関係の基礎となる共同の目的が犯罪を実行することにあるといえるか否か、これは故意の問題とは別の次元の論点でした、個別の事案での集団の結合の目的が何であるかという認定の問題となりますと、当該犯罪行為を反復的に実行しているが、当該行為が違法性の意識がなく、それを認識した後に、結合し続けることがない、といえるような場合には、集団の結合関係の基礎となる目的とは認定されないと考えられる場合もあることから、故意の認定の違法性の認識は必要ではないが、組織的犯罪集団の認定においては、かなり大きなファクターを占めるといえる」
「ようやく、何を言っているのかを整理していただきました。その限りの考え方は、ひとつの考え方だと、なおかつ一歩前進かもしれないと私も認めます。確かに違法性の意識は必要ない。別表3の行為が違法だということを知りながらみんなでやることは必要ない、ただし、違法だとみんなが知ったら、コレはもうやめるよね、というのならば、結合の基礎ではない。これは非常にわかります。つまり後で使う例ですけども、ある合唱団が、一枚だけ楽譜を買って、あとはみんなでコピーして使うんだと。コレは著作権法違反です。これは違法なんだと気づいてやれば当然結合の基礎に当たりうるというか、大変な問題だけど、違法だという指摘をされたなら、やめますと、いうことであるならば、結合の基礎ではない、こういうことですよね。」
略
枝野「摘発されて、摘発されたら、”あー違法だったんですか、気づきませんでした、でも違法だと知っていたらこんなことやらなかったよね”と。これ社会的にもあるいは裁判実務においても、これ許してもらえるんですかね。というのが私はこの論点ではないかと思う。普通の犯罪の成立には違法性の認識は必要ありません。(略)個人の著作権法違反の既遂罪は、違法だと知らなくても処罰されるんです。で、みんなで結合して、コピーして、合唱の練習しようという共謀をしたら、これは違法性を知らなければ、組織的犯罪集団ではないという。コレ、摘発されて、どうやって知らなかったと証明するんですか。供述をどうやって信じてもらえるんですか。これはこういう問題です。」
親告罪の共謀罪は何だという再度の問い合わせについて、捜査機関が、別途知りえた共謀を被害者に知らせて告訴を依頼することがありうるから、存在しうるという反論をする林局長。(国会クラスタが書き起こししてることに言及して、我々をざわつかせる枝野)これ口滑ってる認識はないんだろうけど、要は別件逮捕するために、使えるからだよね、
さらに、金田答弁で「正当な目的で集合なら処罰されない」とかいってたけど、アマチュア合唱団が、著作権法違反はまぁ大体認識してるけど、合唱自体は正当な目的でしょ、と。林さんは楽譜のコピーが結合の目的とはなかなか認定できないから、ふつうは認定されないとかいって、枝野さんがまた、じゃあテロリストが取る暴力的な手段と目的も乖離しているが、これらの例をどうやって区別するのか、条文上区別できないじゃないか、と「普通の人には関係ないとはまったくいえない」と押しまくる枝野。かっこいい。
組織的犯罪集団の認定において、既遂は重要な意味を持つでしょ、としたうえで、「普通の集団が、自分たちの主張が通らないから、一回だけ暴力行為をして、やってみようっていうのと、合唱団が、集まってみたけど、金がないから、著作権法違反だと知ってるけどコピーしてやろうというのは、いったい何が違うのか」という例を出して、既遂は確かに重要だし、「一変した」ということについての何らかの外形的なか行為が必要だという答弁をさせて、過去に同種の犯罪を何度も既遂しているなら、すでに既遂してるわけだから、共謀罪は必要ないし、一回もやっていないんだとすると、綿密に普通の団体を監視しないと取り締まれないだろ、どうやって普通の団体の監視に着手するんだと、役に立たないだろと詰める枝野。かっこいい。
枝野「(合唱団の楽譜コピー事例が、絶対に共謀罪に該当しないということがどこで担保されるのかと)法律というのは、刑事法というのは、(答弁で)いくら入りませんといったって意味ないんですよ、答弁が。
(略)戦前の治安維持法をね最後のほうではやってかなきゃなぁと思っているんですが、これ治安維持法というのは、(条文の上では)国体の変革を求めるものと私有財産制度を否認する、戦前の共産党、これが取締りの対象だったんですが、公明党さんちゃんと聞いてくださいね、わかってらっしゃると思うけど。治安維持法が、それにくっついた枝葉の要件はいろいろつきましたが、最後までその対象だったんですが、1943年7月6日、創価学会初代会長牧口さんと、創価学会の二代会長さん、戸田さんは、治安維持法違反と不敬罪で逮捕をされて、初代会長の牧口さんは、獄死をされている。この法律の目的、取締りの対象は国体の変革と私有財産の否定だったんですよ。創価学会は国体の変革を目指してたんですか、私有財産を否認していたんですか、違いますよね。法律上、絶対入らないという担保がとれないと、刑事法はいけないんです。そういう意味では今日の答弁は、前進した部分もあります。認めます。あ、ここは入らないということもありました。しかし、普通の団体が、これは入らないということが担保できる条文にはなっていないということを申し上げて今日の質問は終わります。」
私はオタクをやめ、腐女子をやめ、xxクラスタをやめます。今日、持っていたxxの同人誌を、とある同人誌ショップで買い取っていただきました。
本当にxxが好きでした。愛していました。大好きでした。四、五年くらい。xxで生きてきました。これがあったから楽しかったし、幸せだったし、自分に自信を持てるようになりました。青春でした。楽しかった。ありがとうございました。本当にお世話になりました。
☆どこかのxxクラスタさんへ
私がxxで生きてこられたのは、xxを支えたあなたのおかげでもあります。xxを好きでいてくれて、ありがとう。お世話になりました。
もしあなたがxxの本を求めているならば、今日売った本たちが、あなたの元に届くことを願います。
オタクの女の手垢が付いているかもしれない、中古の本ですが、よかったら受け取ってください。
あなたが好きなジャンルのこと、カップリングのこと、本当に好きで好きでたまらない人はいます。同士はいます。だから周りにいないと絶望しないでください。あなたにいい出会いがありますように。
今後も楽しくオタク活動ができますように。何より健康が一番なので、睡眠と食事はきちんと取ってください。美味しいものを食べたりして、きちんと自分を甘やかしてください。
元気でね。立場上、オタクのことを堂々と応援はできませんが、「オタクだった」私として、最後まで皆さんの幸せを祈ります。
☆オタクをやめたい人、オタクに疲れた人へ
オタクって永遠にやめられないと思うじゃないですか。
オタクはやめられます。やめていいものです。周りの考えに縛られないで、自由にやめて大丈夫です。
すぐに全部を断ち切るのは大変だから、ちょっとずつやめていったら良いかと思います。
私はツイッターを3日見ない、一週間見ない、一ヶ月見ない、という風にちょっとずつ慣らしていってみました。ツイッターやめてから、pixivやめる、という風に、段階的に界隈から身を引いていきました。
今でもまだ、焼却しきれていない部分があります。これから変えていくところです。だから、もしオタクをやめたくてもがいている方がいるなら、一緒に頑張りましょう。
意外と、やればできます。最後には。
ここからは独り言です。
リュックに薄い本を詰めてお店まで行ったのですが、一般人に見せてはいけないような本を隠しながら町を歩くの、背徳感があってちょっと楽しかったです……。ホモを背負い歩く私、それを知らずに通り過ぎる人々。めちゃめちゃウケるな。
あと、いくら薄い本でも束になると重い……。ずっしり重量感でした。「これが腐女子の業の重さか……」と思いながら背負いました。(実際はもっと重い罪だと思うけど……。)
あ〜〜っすごいスッキリした!!!ハッピーバースデー私!!!ありがとう昔の私!!!!バイバイ!!!!!おやすみ!!!!!!愛してた!!!!!!
もういつからかハンドルネームが私の名前になってたんだよ。でもハンドルネームの私は死んだ。本名をやっと、私として受け入れられるようになりました。本来の私になりました。なんかクサいけど。そういうわけでハッピーバースデーという言葉を使いたい。オタクだった過去は否定しないし、否定したくない。大事な思い出です。その上で、オタクをやめて大人の階段を登ります。私はシンデレラ。
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
できる人ばかり辞めていく会社が研修費用を出すようになったら、さらに退職が加速したというお話「人事に聞かせたい」 - Togetterまとめ
「従業員にトレーニングをして、よそへ行ってしまったらどうするのか」という疑問に対するStanger氏の答えは、「従業員にトレーニングをしないで、彼らが会社にとどまってしまったらどうするのか」ということになる。
従業員の才能を爆発させるには「会社に人を長く留める」戦略を捨てる必要がある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20171005-superboss/
「弱いつながり」理論でいうと、SNSでつながる友だちは、それこそFacebookの友だちが3,000人規模で、国内のスタートアップの経営者なら、たいていの人に直接または1hopでつながることができる。
ttps://s.nikkei.com/2vJsvYx
優れたマネージャーは自分より高い給与をもらう可能性のあるポテンシャルの高い部下を喜んで雇う
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.masafumiotsuka.com/2015/11/the_peter_principle.html
人材は会社の資産として残らないが仕組みは会社の資産として永遠に残る
ttps://www.amazon.co.jp/dp/B010JM64M6/
ttps://employment.en-japan.com/engineerhub/entry/2019/11/07/103000
ttps://www.slideshare.net/yattom/ss-79372905
ttps://tinyurl.com/y8tkhuhz
ttps://bit.ly/2MylBjs
"競争優位につながるような戦略的なソフトを開発しようとするなら内製しかない。"
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4822273784
ttps://medium.com/@kuranuki/aac6062adfb2
どの部分を汎用的につくり、どの部分をやっつけで作るか、そして、どの部分をパフォーマンス優先でつくり、どの部分を可読性優先でつくるか
(中略)
ソフトウェア開発とは、経営的意思決定の集積なのだから、経営的意思決定を外部の会社に委託するというのは、「経営を外部の会社にやってもらうようなもの」だからだ。
もっと言うなら、自分の会社の今後のビジネス的ポジションを、他社に決めてもらうようなものだからだ。
外注を出された会社は、そのソフトウェアが未来に実現するであろうビジネス的価値を犠牲にして、できるだけ少ないコストで作ろうとする。
ttp://fromdusktildawn.hatenadiary.jp/entry/20061003/1159869683
ttps://bit.ly/2JzCggZ
「ソフトウェア業界(特に受託開発業界)は、基本的に正直者が馬鹿を見る世界である。顧客が、保守性というソフトウェアの最も重要な品質を正しく評価できないという、情報の非対称性が存在するからだ」/分かるなぁ
「モダンな開発環境×技術顧問×内製化」Sansan×日経電子版 アプリ開発の最前線を語る夜
ボタンを1つ追加するだけで2週間。内製化によるスピードアップは必須だった。
「アプリ内にボタンを1つ追加するだけで、2週間の開発期間と、数十万円のコストが発生していました。それでは急な仕様変更に対応できないし、技術ノウハウも貯まらない。」
ネットサービスの肝は、開発にかける額の多寡というよりは、内製化するかどうかにあると思っています。
ローンチした後、そこからの追加・改善はものすごいスピードでやらなくちゃいけない。これは、内製体制でないと絶対に不可能です。
2017年1月、ネット証券大手のマネックス証券は証券基幹システムを刷新した。
お客様へ提供するサービスの開発スピード向上と、ノウハウの社内蓄積、開発コストの適正化を目的に、
(中略)
サービスの改善や新サービスの開発時に、ASPサービスの提供会社との会議に費やしていた時間を削減し開発のスピードアップを図ることで、競合他社への競争力を強化したいと考えました。
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/quality-start.in/it-strategy/467
ttps://twitter.com/kanayang2009/status/129677947572465666
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だから育てるんだ。
ABテスト デザイン OR ボタン OR 文言 - Twitter検索
外注でもA/Bテストでユーザの反応を計測してトライ・アンド・エラーでシステム開発ってできるもんなんだろうか。
できるとして、それって内製化した方がずっとクオリティ高くなるんじゃないの?
ttps://twitter.com/fromdusktildawn/status/874796380522336256
「外部委託すると細かい継続的な機能の改善が遅くなるので、自社採用でかなり優秀な人材をケチらずに採るべきだね。なかなか見つからなくても妥協せずに」ホリエモン
ttps://bit.ly/2QWMsoJ
外注はPDCAを回せないという致命的な欠点がある。ITスタートアップの感覚だと外注と内製には天と地ほどの差がある
ttps://bit.ly/2J5UCWQ
銀の弾丸ではないがリーンな開発は競争力の源泉。そのためにはPMFをコントロールできる開発チームが必須でそれは内製でしか達成困難。
ttps://bit.ly/2vkDd8E
正解に当たるまで回し続ける!3ヶ月で200回のA/Bテストから得た「意外な結果」とは
弊社のイベント一覧のページなのですが、単なるテキストの羅列のパターンと、リッチなレイアウトのものでテストすると、いつも必ずテキストの方が勝ちます。
海外テック情報局:eBayではダサいデザインのほうがコンバージョン率が高かった|gihyo.jp … 技術評論社
デザイナと口論したいのではなく,見たいのは数字とお客さんの利用例。
そして何がうまくいっているのか突き止めたい。
選択の科学 24種類のジャムを売り場に並べたときと、6種類のジャムを売り場に並べたときでは、前者は、後者の売り上げの10分の1しかなかったのです。
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エンジニアでないファウンダーは最大一人まででお願いします | On Off and Beyond
理由1:変更につぐ変更を重ねられるようにする
最近 lean startup なる考え方がはやってますが、これはどういうことかというと、
東大合格者ランキングは正しいのか?――常に分母は何かを考えよ
何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。
「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。
だれもが中途半端にやめてしまう。それでは足りない。閾値を越えない。
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①内製
②外注
フラクタルなレモン市場問題|建築不動産クラスタ交流会の件その1
ttp://realtor-readyabooks.hatenablog.com/entry/20100515/1273919457
ttp://ledsun.hatenablog.com/entry/2016/02/28/014851
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/情報の非対称性
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/逆選抜
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/取引コスト
「探索コスト」
時給制(時間を売る)が生産効率低いのって自明だよなぁ・・相当ボランティア精神ないと時給制で効率よくやろうって気持ちにならないよね
でも拘束時間で金額を決めてしまっては効率化を目指さなくなるんじゃないか
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/194800390/comment/redhornet96
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/etomiho/status/872820182883762176
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/etomiho/status/872822997106565120
ttp://getlife.hateblo.jp/entry/2013/09/10/015011
見積もりが人日で工数を計算していると、実際にはそれよりも短期間で実装できても見積もり日数になるまで納品を待ったりすることはある。
納期よりもかなり早い段階で実際には完成しているにも関わらず、
エージェントが利益相反行動をしていないかどうか監視するためのコスト。
自身の行動がプリンシバルの利益追求にかなっていることを証明するために
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212240292
ttps://twitter.com/search?q=rails%E3%80%80%E9%A1%A7%E5%95%8F
「顧問プログラマ」再考 - Rails 雑感 - Ruby on Rails with OIAX
ttps://www.oiax.jp/rails/zakkan/rethinking_of_adviser_programmer.html
ITエンジニア採用に欠かせない原則とは (1/5):IT人材ラボ
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/s/itjinzai-lab.jp/article/detail/856
ttps://www.slideshare.net/fukumura1/fukuokarubykaigi-medpeer-ver1
【256人がリモートワークで回る仕組みを考える】後編
ttps://www.remotework-labo.jp/2015/10/interview_10/
http://anond.hatelabo.jp/20170406095251
いやそれはしょうがないでしょ
あんたが書いたのは特定クラスタの評判を落とすエピソードなわけだから
きっちり証言風に責任もって書くか、一切書かないか、どっちか選べというその要求は妥当。
目撃証言風のボンヤリ発言で評判落ちるようなこと言われるの1番迷惑だろ
そんで「ほんとにそんなことあったの もっと詳しくはっきり言って」って要求すると
その手の発言者は大概ちゃんと説明出来ず責任持てず「何マジになってんだバーカバーカ」みたいに逃げていくわけよ
そうだよ。いけないよ。
特定の誰かや特定のクラスタの不利益になるような発言をする時には
神経使って覚悟を持ってやれってことだよ。当たり前だろ。
俺はそうしてるよ。
自分から出せる論拠もソースも最初に添えるし、誰から難詰があっても受けて立つ構えでなんでもやってるよ。
当然じゃん。
あんたみたいな奴が汚いのは
「Twitterごとき」「SNSごとき」っていうその言い方よ
だってあんたの気軽なごとき発言だってバズれば世間に広まるし、
派手にバズらなくてもじわじわ変な風に定着することはあるわけよ 誰の発言にもその可能性はあるだろ
「Twitterごとき」を使ってる時点でチャンスもリスクもあるわけで
でも他人に強いるリスクは考慮したくなーい、ってそんなん通るわけあるか
例えばそれが何かしらのレビューであったとしても、うっかり大事な情報を書き漏れることは普通にあると思う。
それを「これはどういうことですか?」と確認するステップがあれば
「それはこれこれこういうことです、書き漏れてましたごめんなさい」で終わる所、
だからさ、
でなかったら「曖昧なデマを流して確認されたら訂正する、通ればそのまま」みたいな作戦も成り立っちゃうわけ。
悪意でも無意識でもね。
「怖くて仕方ない」っていうあくまでも自分の立場の話だけするお前の幼稚な身勝手さがほんとにムカつく
俺は軽い話もいろんな批判や悪口に当たることもネットで言うけど
当然だよな
でもお前はそういう覚悟をしたくないし、自分だけは気軽に何でも書いて、
軽い気持ちで人に迷惑掛けることについては「マジになって怒るなよ」というわけだ
甘えんな
そうだね、お前みたいな無責任なアホはそれが正しい
他のネットもやめとけ
それでも、後者で叩かれている人を見かけると、胸が苦しい。
しるかばか
軽い気持ちで悪評流されてジワジワ首絞められる奴の立場も少しは考えろ
の2種類があると思うんだけど、
最近はどちらも同じにして叩かれ過ぎなのが怖いと思っている。
車を運転するなら歩行者だった時より遥かに厳重な注意力と重い責任を要求される
当たり前だろ?
車は便利だが、パワーや重量があるぶんぶつかった時の被害も巨大だからだよね
お前が言ってるのは
「軽い気持ちで不注意運転した結果人を轢いたのは咎めるな、悪意で轢いたのとは違う」レベルの寝言だ
引き起こす結果への責任はどっちも大差なく重くて当然だろ
ネットで発信している住民は、ネット世界で起こってることは何でも知っていることを承認欲求としているから、自分が理解できない「ブーム」は偽物だと騒ぐ。自分が説明できない現象は不安であると。
今のネットは世界が広くなりすぎて、クラスタの壁が四方八方にできてるから、発表されてからブームになるまでの間が見えにくい。
だから興味なかった人には、突然「世間で大ブーム」というコンテンツが目の前に現れることになり、それが非常に気持ち悪い。ネットで何でも知っていたい欲望がある者にとって、世界から疎外されてた気分になって、アンチになるんだよ。
「君の名は。」のヒットも、未だに「なぜオタクにしか知られていなかった新海誠作品が中高生に届いたのか」という具体的仕掛け(初日に並んだ中高生は何を見て映画を見ようと決めたのか、どんな媒体でマーケティングしたのかとか)が不明だから、アンチも多くなる。
最近の仕掛けが分かりやすいブームだと、ピコ太郎のPPAPがある。YouTubeに本人がアップして、若者に人気のモデルとかに真似させて国内で拡散したところを、海外のおもしろニュースサイトに拾われ、それをジャスティン・ビーバーがつぶやいて、世界的ニュースとなった。これくらい、流行るまでの段階がわかりやすければ、誰も流行りに文句は言わないんだよ。
菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。
現在では一山いくらのネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。
しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。
というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。
2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。
これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。
この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。
また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいかに評価すべきかということについて学んでいった。
よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。
ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。
ニセ科学批判の対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。
証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である。
科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である。
しかしながら個人が霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論(宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判のスタンスだ。
営利企業や大学教授や特定の肩書のない個人的なブログ、政党や国そのものである場合もある。
彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益(金銭)・社会的利益(名誉)・思想的利益(党派性)・倫理的利益(善意の施し)である。
どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。
例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三や下村博文や共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。
ニセ科学批判は党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠の言葉であるが、定義上これは正しい。
また、個々人のレベルで見ればその批判対象の選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動を総体として捉えればそれは働かない。
組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能だからである。
運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身の党派性を表明しているに過ぎない。
例えばid:finalventにはニセ科学批判が左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタからは当局におもねった保守的な運動であると批判されている。
ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学的手続きの有無を利用している場合それをニセ科学と呼称すると言い換えても良い。
ここからニセ科学批判の方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。
ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。
ニセ科学批判の参加者が自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。
そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである。
「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学的事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人が党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」
そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠の言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。
さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。
でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。
よく考えたら私は菊池誠の親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文の執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。
でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。
どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。
・7年ぶりくらいに菊池先生の名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。
・菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災とそれから1年以上後。
・2009年から現在に至るまで菊池誠はネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置はid:hazumaにちょっと似てる。
・2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。
・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。
・どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造に求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから、専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫の専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEAはSTSである。
・STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。
・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。
・ブクマにニセ科学批判ってもっと前からあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構前からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語はwebだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。
以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。
私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。
よくある2chでアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒い、ガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、
どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対に理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。
それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。
それに、主体性やウーマンパワー的なもの、巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考、自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…
そういった作品のテーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの。
でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、
個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性のアンテナが反応しない。
結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人がブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。
人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業は必須。
もちろん、そこまでする気がなくても、あくまで自分の感性に従った感想をもつことは自由だけれど、
そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかにクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。
とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。
視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。
すべて、とは言わないまでも大部分が文章で説明されている小説とは違って、映像作品は表現やその意図が曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。
また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別・文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。
そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品を侮蔑するのはたしかに自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。
そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。
こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味に理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面をdisするような人やメディアが減ってほしいと思う。
私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンもバカにしたくない。
はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディアを攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。
そういう人が増えてほしいんです。
いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。
ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザー、はてなユーザーに意識してほしいと思いその一心で書きました。
主人公が画面の中で無双しているのを自己に投影することで、リアルでは弱い自分を忘れて気持ちよくなるだけの虚無な行動。
あんなのはただのオナニー、自己満足であり【俺つえー】アニメを見て喜ぶのは猿の知能レベルとなんか変わらない。
最近の話題に無理やり絡めると、けものフレンズを見てIQが溶けて喜んでいる人たちもいるようだが、脳細胞が破壊されて喜ぶ人たちの気持ちがわからない。
SAOは職場のアニメクラスタと話を合わせるために1期2期共にほぼリアルタイムで視聴した。
内容はそこそこには面白かったが、主人公キリトの【俺TUEEE】要素はあまり好きになれなかった。
今思えば魔法科高校の劣等生も司波達也が蘇生したあたりで萎えてしまったし、テニスの王子様も越前リョーマが無我の境地で相手の技をコピーし始めたあたりでギャグ漫画として捉えるようになってしまった。
長い前置きとなった。感想を書いていこう。
最終盤、ラストバトルでの盛り上がりは涙無しでは見られなくて汗や鼻水、他にもいろいろなものが出てしまった。うんこも漏らしたかもしれない。
クライマックスにおいてスパロボとテイルズとアメリカ映画の良いとこどりをしたような王道中の王道展開。
そしてキリトが最初弱かったのに強くなって最終的に【俺TUEEEE!】をする圧倒的な快感、開放感。
脳細胞が溶ける楽しさを知った。
大学卒。
友達は少なくはない。
たまに本屋にある「これが高齢童貞のキモさの実態だ!」みたいなターゲット不明な醜悪な漫画を読むと、描かれている童貞の様子が、自分とは当てはまらなさすぎて、笑うしかない。むしろ、これを描く人、売ろうとする人の心の醜悪さが、どこから来るのか。社会が心配になる。
ぼくは「女の子と、どうにか関係を発展させていく」ことへの根本の願望があまり湧かない。
たまに興味本位でデートマニュアルみたいなWebサイトを見て「2回目のデートではこう振る舞え」みたいなのを読むと、雑すぎだろ、と思えて仕方ない。どうして、そんなことわざわざがんばるのかというのが、自分事としてピンとこない。
この感覚を、正直に「非童貞=何かがおかしい」思考の人たちに伝えると、良くても余計なアドバイスを量産してくださる。下手すると(いや多くのケースでは)変人扱いされて、以後面倒くさい。
上記の人は、仕事先やら友人関係やらの中にもかなり多数いるので、そこを気をつけて会話を調整するのも、面倒くさいんだが、やってるよ。しょうがなく。
むかし正直に言ったら面倒なことになったから。生存のための、嘘をついている。
あれかな、20-30年前の喫煙者と吸わない人の関係に似てるのかも。
その時代は喫煙者が主流派で、吸わない人は肩身が狭かったんだろう。
いまは副流煙の健康被害とかの知識が広まって、世界レベルでタバコやめろプレッシャーが浸透してきたことで吸わない人のほうが当たり前という空気になってきた。
ぼくは吸わないので、30年前くらいのオフィス映像を見ると煙だらけでゾッとする。
性のことに話を戻すと。
性(や家族)の多様性について、まったく社会的な認知が足りてないのが、ぼくの生きづらさの根底にありそうだ。ゲイ・レズビアン、性同一性障害とか、複数人と同時に性的関係を持つ(ポリアモリー)とか。色々あるわけでしょ。
派生でいうと、同性婚や、事実婚みたいな既存定型とは違う形のカップルを受け入れるための社会制度づくりの遅さも大きいかも。
実に多様な性の在り方を本来、人類は持ってて当たり前なんだ、と思ってる。
ぼくのように、生まれつきに性的欲求が薄いとか、女の子を口説こうと思えないとか、そういうのもひとつの在り方なんだよね。
同性愛者ってわけでもないんだ。
本人の努力うんぬんじゃない。先天的、遺伝子の発現(エピジェネティクス)、育ちの環境と周囲の人間、そういう要素の組み合わせで、性の在り方が決まってくるんじゃないか。
この複雑多様性にこそ、人類社会をここまで発展させた、そしてここから発展させる、コアの強みがあるんだろうと思ってる。
ここを理解できない、しようとしない人たち(上述)を
「性はかくあるべしクラスタ」と名付けた。
このクラスタの人と、性や家族の多様性の話をしても無意味で、疲れるだけで、なんの得にもならない。
ぼくは、そのクラスタの人と、そういう話をしないように気をつけるしかないのだ。
仲の良い友人(同性、異性、もちろんどちらでも)が結婚するとうれしいよ。
ただ、夫婦間の悩みというのも常日頃にたくさん出てきている、と辛い思いをポロッとこぼしたりしてて。喧嘩したり、仲直りしたりを繰り返して、日々関係を作り続けていることが、すごいなと思う。
子供の写真とか見せてもらったり、あるいは子供連れてきたりしてると、かわいいなと思う。でもその裏で、本当に日々の育児は大変なんだろうなと思うし、何もできることはないけれど、ぼくに聞ける悩みであれば聞いたりしたいなと思っている。
時々感じるのは、そんな悩める彼らも、「性はかくあるべしクラスタ」の被害者なんじゃないかなと。
たとえば実家(あるいは相手)の親や、勤務先の上司など逃れられない距離関係の人が、「女性は早く子供を産まないとね」とか「奥さんがしっかり家を守ってね」とかプレッシャーをかけてくる。戦前かよみたいな古いパラダイムを振りかざしてくる。
まったく時代に合わない、かつ個別の個人や夫婦、家庭の特殊性に対する「ヒアリング」と「共感」抜きのアドバイスなんて、それはアドバイスじゃなくて多分ただの暴力なんだよ。
ああ、そう思うと、ぼくだけが被害者みたいな面してたけど、実は多くの人が被害者なんだろうか。
「共有空間での喫煙当たり前」が終わるのには、まるまる30年くらいかかっているのかな?
「性とはかくあるべし」クラスタを主流から追放できるのには何年かかるのだろう?
時間はかかるかもしれないが、「性の在り方は多様である、家族の在り方も多様である」という認識が主流の世の中をつくれたらいいな。
というか、つくらないと、いけないよ。
狭い範囲で目撃したネット虚言癖(腐女子.ver)の共通点なので全ての虚言癖に当てはまるわけではありません。
・ジャンルやクラスタを憂い、という体で、本当の情報に独自の炎上要素をトッピングした捏造注意喚起をする。
・バレて炎上する。
・ソースは噂だったり、問題のない箇所は事実だったりするので、なんだ誤解だったのか、勘違いだったのかと思ってくれる人もいるが、悪意や承認欲求を満たすための意図的な行為である。
・あるいは実際に自分が言っていることが事実だと思い込んでいるのかもしれないが謎。
・炎上のたび名前やアカウントを変えて逃亡している。そしてほとぼりが冷めた頃また別ジャンルで虚言バレや炎上を起こす。
・転生先のアカウントでも、前垢で言っていたものと近い設定を引き継いでいたりする。なので転生先で炎上すると、過去の炎上を知る人間に発見されたりもする。
・デマがバレても、頑なに謝罪を拒むか、謝罪でも往生際が悪く、自分は悪くない、必要な注意喚起だったなど語り始める。
・炎上はデマを撒いた自分が原因ではなく、他人が悪い、被害者の説明不足が悪いなど責任転嫁を行う。なので自分は反省など必要ないししない。
・反省するにしても、次はバレないやり方にしようという類の反省。
・自分が粘着や嫌がらせをしてもそれは相手のせいでそうせざるを得ないのだ、というストーカー的思考。そこだけなぜか操られたかのように、自分の意志ではないことになっている。
・ある程度物知りだったり、世話好きで親身だったりもするので、炎上後も当人を信じ「大変でしたね」とリプライするフォロワーが数名いたりする。ヲチかも知れないが。
・聞かれてもいないのに自分の経歴(大抵は身バレを恐れて書かないレベルの詳細)を語りたがる。
・自分の優秀さ、周囲に頼られてしまうこと、当人が考える周り「すごーい」と言われるような職業(クリエーター系、作家、モデル等)や経歴、家柄、習い事、珍しい特徴等を詳細に語りたがる。自慢の身内、友人についても話す。経歴は嘘偽りか、あるいは過剰に盛られている。
・盛り方の度合いは人によって異なるが、昔の2chであった同人サイト関係の厨メールを思い出す設定(ハーフ、巨乳、モデル体型、病弱、特殊な病気等)もあったりする。
・一見、物知りで色んなことを教えてくれて、世話好きで親切な人に見える。周りから無邪気に褒められているうちはいいが、欲を出す。
・周囲をなめているのか、調べればすぐわかるようなバレバレな嘘も吐く。偏差値的な意味での頭の良し悪しに関係なく、注目を浴びるためや嫌がらせのための虚言とバレての炎上を繰り返す。そして当人の予想以上に燃え、芋づる式に過去の虚言もバレたりする。
ヤバイと思わないのだろうか。生きがいなのか。
おそろしいことに気がついた。
それまで読んでいたファッション誌が、
めちゃくちゃダサく見える。
1年前まで、隅々まで読んでいたのだ「CLASSY」を。
今は無難に「FUDGE」とか「CLUEL」…
という遍歴はどうでもいいんだけど。
とにかく「CLASSY」とか「GINGER」とかに載っているコーデをはじめ、
それを彩るキャッチコピーひっくるめてまったく受け付けない。
でもこれをバイブルとして、なんじゅう万もかけて、服を買っていたんだよな。
私はいったい何に対して金を払ってたのか、本当にわからなくなった。
それをひたすら信じて進む。
そして気づきたくなかったことに気づく。
よく考えれば、いやそんな考えなくても、
だって、おしゃれと感じるコードはクラスタによってまったく違うし
同じおしゃれクラスタの女に対しては批判的に品評はするにせよ心から賞賛なんかしないし、
ぜんぜん別のコードに従っている女など、見ちゃいない。
いくらお金かけてがんばっても、おしゃれって全部無駄なんじゃねえの。
おそろしくなって夫にdマガジンを見せて
どの雑誌がおしゃれか、を問うたら
みんなきれいだよ、と言った。
なんだか泣けてきて、dマガジンを解約した。