はてなキーワード: 「夢」とは
しかし、それゆえか映画を見終わったあと若い人たちからはよくわからなかった、という会話も聞こえてきた。
だが、子供時代から宮崎駿のアニメに親しみ、そして反抗し、そして再び畏敬の念を抱き、そのあと少し忘れてしまっていた世代である私には響いた。
なんというか、これは宮崎駿から私たちへの最後の挨拶のようにも感じたからだ。
舞台は戦中、主人公の少年は裕福な家庭に生まれ、田舎へと疎開する。
作品を見る前の予想
・自伝的要素が強い
・宮崎駿アニメの集大成的要素(あるいは大甲子園的な展開もありえる?)
しかし、物語冒頭の観客の心を鷲掴みにしてくるパートの見事さから宮崎駿の老耄ぶりを心配する必要はなくなった。
はず、だったのだが、どうにも見ていて大丈夫か?この映画?と心配になるときが何度かあった。
というのは映画の冒頭から序盤までのパートはいいのだが、サギが出てくるパートから映画に対しての不愉快さが積もり始めるからだ。
予想していた悪夢的な醜さをコントロールできていないのではないか?と心配になり始める。
だが、見終わった段階で言えることはこれは計算通りのものであり作品の設計に狂いはない。
観客がそろそろ、この映画に見切りをつけたくなる、というタイミングで物語は猛スピードで展開し始める。
まだ上手く消化できていないのだ。
創作とは。
確か村上春樹とスティーブンキングは創作とは、掘り進める行為であるとか言っていたような気がする。
小さなミノで岩とトントン、トントン自分の心の底を削り続けるうちに創作の源と出会うとかなんとか、そういうイメージ。
その石の力で、世界をつくりあげた人物であり、今となっては力尽きようとしている老人。
石の積み木の位置を渾身でもって微調整しても世界はもう保たないのだ。
世界は滅ぼうとしている。
そう世界は滅びるのだ。
老人の世界を形作る石の積み木は微調整しても、もう新しい世界を生み出すことはないし、
ああ、駿、駿、駿。
なんと悲しいことを律儀に告げることのなのか。
みんな、みんな突然いなくなる。
志村は、なんの前フリもなく消えた。
その他のたくさんの愛すべき人たち。
彼らは何の別れの挨拶もなく消えていった。
でも。
ああ、駿、駿、駿。
お前は何と律儀に別れの挨拶をしてくるのか。
そして、その悲しさに私は胸が張り裂けそうだ。
インコ王様は、新しい積み木をこうやってああやってこうすれば、それで世界は再生するのだ。
とやってみせるが、それは世界の滅びを早めるだけだった。
世界は石の力を扱える血族でなければ、存続させることが出来ないのだ。
吉村知事、首相に対策要望 大阪万博、海外展示館の建設停滞 | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1052483970482995357
http://web.archive.org/web/20181128085028/https://anond.hatelabo.jp/20181128150900
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181128150900
万博招致が決まった時ちゃんと万博は国がやるイベントですよって説明してあげてブコメも結構ついてたと思うんだけど
いまだに「国を巻き込むなー」とかアホなこといってるやつがいっぱいおるブクマカのレベルヤバない?
万博に対する賛否とか以前の問題じゃん。基本的な知識のない無知なバカの群れの遠吠えじゃん。
shinonomen 国費を投入するなら大阪以外の人にも賛否を示す機会を与えるべき。大阪知事選の争点にはなっていたが、国政選挙で万博をやるか問われた覚えがない。
いまになって賛否を示す機会とかいうてるし。万博誘致方針が決まってから総選挙2回あったんだよ?
2025年大阪・関西万博の誘致を成功させるため、国を挙 げて取り組みます。来年の開催国決定投票に向け、各国へ の働きかけを強力に進めます。
2025年大阪・関西万博を、世界中の人々に「夢」と「驚き」を与えるような国際 博覧会とするべく、準備を進めます。
2025年大阪・関西万博をカーボンニュートラル、健康医療、 Beyond 5G等の新技術による未来社会の実験場とし、食・ 文化等の魅力発信のため事前訪日プロモーションも推進 します。
ばっちり自民党マニフェストにも書いてるのに何で突っついて争点化しなかったの?
あまりにも物を知らなさ過ぎて政治的スタンスとか政策に対する賛否以前の問題だよ。ただのバカじゃん。
脊髄反射でギャンギャン吠えて3歩歩いたら忘れるんじゃなくてちゃんと真面目に考えようよ。
それができないなら馬鹿なりに何も考えずに生きていった方がいいよ。
というかこの状況で国民が一番言うべきなのって「政府は何やってんの?」だと思うけど
以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのもはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出した。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html
血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。
ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかったことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸にそっくりな気がずっとしていたものだ。
蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸を絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである。
もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。
id:NOV1975 対戦相手を全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題。
このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチスは否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである。
話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするからだ(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。
さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである。小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代の学術的見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体は必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチスの経済政策や、労働政策、環境政策や健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったからである。『ナチスの発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツをデカデカと表紙にするセンスがそもそも信じ難い。
したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチスの政策を腐しているわけではないのだ。
結果的には評価として、ナチスの政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在もバルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツの歓喜力公団(Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設は労働者が無料で使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在は歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである。
個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判的視点を忘れずに、それを可能な範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定・肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)。
追記:プローラの巨人については私自身の記憶が曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。
売却と再開発
2004年、10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日、ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロで落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアム・マイルのブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物をホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日に競売にかけられ、ベルリンの投資家が275万ユーロで購入した。
2006年11月、連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州からの財政支援を受けて、この建物にユースホステルを設立する計画だった。複合施設の最北端に位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。
2008年末、プロラが本来の目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画が承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル、観光客向けのアメニティを建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルド氏からは懐疑的な意見もあり、また、町の過去の歴史から観光客には不適切な場所だとも言われた。とはいえ、2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルがオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向の観光客に向けた施設の拡張の可能性も提案されている[8]。
2010年9月、ドイツとオーストリアの投資家グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートとスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテルを建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロと見積もられている。
2013年、ドイツのメトロポール・マーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年、ブロック1に新しいアパートの第一号がオープンした[10] ブロック2のホテル「プロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発の過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。
2017年11月の更新によれば、ブロック1のユニット(フラット)のほとんどは、ハンブルクやベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイトに短期賃貸として掲載していた。
これがさー、自分が見る夢って結構現実とリンクしまくりというか「そのもの」が出てくることが多いんだわ
悩んでることそのまま夢に出たり
怒りが振り切れると、夢の中でも猛烈に怒ってたり
夢日記つけるほどファンタジーな内容じゃあないんだわ。アイディアも無いね
一時期つけてたこともあったけど、現実には何の変化も無かった。良くも悪くも
(つーか夢日記って精神に良くないって言うよね。ほんとかどうか知らんけど)
ただ、夢占いしたくなるような夢も偶に見る
(そういう印象的な夢って文字起こししなくてもずっと心に残ってるよなー。尤も、夢日記を付ける意義って「夢を思い出すこと」であって夢を忘れない為とかじゃないんだよな)
「この夢の中の風景が自分の魂とやらの在り処なんだろうか。すごく落ち着くなー」って感じる様な夢は、長い人生でも1,2回くらいしか見たこと無いね
あ、あと体調がすごく悪かったり熱出たりしてると必ず幽霊か蟲の夢を見るわ
わかりやすい
「配られたポケットティッシュになんて書いてあった?」
というもの
自分の答えは
「幸せになる為に今すぐすべきこと」
なんだそうだ
夢を持てってこと?
そんなもん持てるなら幼い頃から持っとったわ
持ってないから今こんなんなんだよ
感性も死んで老いさらばえた今となっては、尚のこと夢なんざ持てるわけがねー
脳も体も枯死している
「夢はお金持ちになることです」ってのは大方の人間にとっては夢想(お金持ちになる為に計画を立てて実行出来る人間は一握り)
「夢はお嫁さんになることです」ってのは大方の人間にとっては計画(夢見る程お嫁さんになりたいガツガツした奴ならば必ず結婚する)
そういう感じ
夢、むつかしい
幸せ…かー
自分は不幸だとまでは言わないけど(仕事があって飯が食えて屋根の下で眠れてるから。そして日常生活で意に沿わないことをなるべくしないで済んでいるから)
決して幸せではない
不幸じゃなければ幸せか?
馬鹿らしい話だなあ
とっとと人生を終えたい(ソレが夢か。必ず果たされる夢ではあるけど、一番重要な「とっとと」の部分は綿密に計画しねえと叶わないなあ)
「日経平均の推移は経済とリンク」してるかのように考えてしまうけど、よく考えたら株価の推移って決算=実際の業績を反映してないことも多い。
見込みとか期待とか。
「A社は決算の数値が良くて上がりました」、「B社は新商品が売れなさそうなので下がりました」これが混在してるのが株価指標だよな。
例えば決算の実績「だけ」に連動したり期待や見込み「だけ」に連動したりした指標というならそれぞれなりの意味があると思うけど、
実態と期待・見込が混在してるって経済指標として意味あんの?みたいな。
というか見込みやら期待の別の例としては「決算の値は良かったけど足元の業界の状況が悪化しそうなので下がりました」こんなのもある。
実態の業績に連動しているように見えても、実態は決算に対する審判と見込み・期待的なものが入り混じった複合体。
決算がどんだけ悪くて、しかもそれが続いてても株主に壮大な「夢」てきなモノを見続けさせることが出来れば実際に倒産するまでは高値を維持できる。というか過去の倒産例とかでも実態としてかなりそういう部分がある。
株式市場全体のPERの倍率が上がるとバブルっぽいみたいなのは言えるけどそれに実態経済があとから追い付いてくるみたいなのがあるけど
昨日のNHKのクローズアップ現代プラスは、低視聴率に終わった前の朝ドラ「舞い上がれ」に合わせて「空飛ぶクルマ」特集だった。特集の中身は「世界各国が参入してますよ」「便利になりますよ」「大阪万博の目玉ですよ」っていういつもと同じ内容。大阪万博の機運を盛り上げるためかNHKでも民放でも「空飛ぶクルマ」特集を毎月1回以上は放送してる印象があって、見るたびに毎回思う疑問が「空飛ぶクルマのどこらへんが『クルマ』なの?」、「それヘリコプターとどう違うの?」という2つ。これらに答えたテレビの特集を見たことがない。特に後者の疑問は、どうして世界で『空飛ぶクルマ』開発の競争が激しくなってるのかっていう重要な問いにもつながるだろうに、NHKのクロ現では大阪万博のための未来感を出すためなのか、こういう現実的な問いかけには一切触れようとしなかった。
そもそも世界各国が参入してるというが、海外ではもちろん「空飛ぶクルマ」なんて名称を使っていない。Flyng Carなどと検索してもドローン型の乗り物がすぐに出てくることはない。では、NHKや万博関係者や日本政府が言う「空飛ぶクルマ」を海外では何と呼ぶのか。eVTOLと呼ぶのである。eVTOLは、Electric Vertical Take-Off and Landing aircraftの略称であり、日本語にすれば電動垂直離着陸航空機となる。クロ現では一言も出てこなかった。
ヘリコプターと比べてeVTOLの革命的なところは、1.マルチコプターだからプロペラ1つが故障しても墜落しにくい 2.電動だからSDGs的に優れている 3.エンジンが必要ないから参入障壁が低い 4.エンジンが無い分だけ騒音が小さい などなど複数ある。だいたいEVのガソリン車と比べて有利なところと同じである。つまりEV革命と呼ばれるものの航空機版がeVTOLであり、だからこぞって各国各メーカーが参入してるのである。
eVTOLの開発競争が熱を帯びてるのは現実的な理由によるものであり、「空飛ぶクルマ」という昭和の未来図鑑から持ってきた呼び方を使って「夢」を強調して金をもらうような分野ではすでになくなっており、こんな名称を使い続けてたらガラパゴス化するだけである。だからこそ今すぐ「空飛ぶクルマ」なんて呼び方を捨てるべき。
勝手にいろいろなことを書きました。
①「どんな想いを抱えて 女性だけの街 なんてことを夢見たのだろうか?ということを少しでもいいから考えてほしい。具体的な経験からきているのではないか。差別的な意味で全ての男性を跳ね除けようとしている訳ではないはず。これは悲しいこと。」という主旨のツイートがある
→読みました。共感しました。(上記の要約については歪曲や勝手な読み取りを含みます。)
②女性だけの街を実現する為の手立てを具体的に考えている方々もいらっしゃる
→私は非現実的だと思ってしまうのですが、夢を本当に叶えにいこうとする姿勢はパワフル。この記事では「あったらいいなと思うんだ、なぜなら〜」という話題としてお話します。
③なぜ「街ごと」なのか?
→外干しの洗濯物への視線、駅で明らかにわざとぶつかってくる人、上司による威圧または変に柔らかい態度、夜道の足音、そういう様々な場面において、性別による頻度の偏りや質的な差があります。せっかくの夢ですから、「その全てに男性いなかったらどんなに変わるだろう?女性だけの街…」と、そんな風にこの話題の発端の方は考えたのではないかな、と私は想像します。発想としてフルスイングなので、その分反応が大きかったのだろうと思っています。
→私は、これについては③のフルスイングと明らかに矛盾するので全く同意しません。変な意見だな、とも思います。また、②のように具体的な検討を目指す姿勢でもないので、以後触れません。
⑤他
→2018年頃に目にしたこの話題ですが、あらゆる意見や表現、その経緯については把握しきれていませんのでご了承ください。
→男性からの加害を受けたことが複数回あるので、男性に対して身構えている部分があります。これについてムカつく!と思ったら読むのをやめることをおすすめします。
→この記事では、女性・男性という身体の性別の2枠でお話していきます。私の文章能力ではこれが精一杯です。
では、私が女性の日常からみた女性だけの街をどう捉えているかを、フィクション混じりに書いてみますね。
会社員女性の独り言みたいな拙い文章ですが、書きたいので書いてます。
◆ ◆ ◆
男性全員が加害者ではないことは分かっていても、被害を受けた経験は消えていない。もう自分の非を探して悲しむのは嫌だから、気を付けて過ごそう。でも、被害を受ける可能性が消えるわけでもないのに気力を使うのって、あんまり意味ないかも。そもそも警戒をされることに対して怒りを覚える男性もいるらしい。怖い。
帰りの夜道は、3分ほど1人で歩く。
ふと、背後に足音が聴こえて心臓が跳ねた。そんなに近くはないが振り返ることもできない。そっと早足になろう。あとは道の反対側に渡る形でそっと後ろを振り向こうか?
足音に耳を澄ましながら、ポケットの中のスマホと防犯ブザーを確認する。歩いているだけなのに緊張して息が浅くなる。
… … まあ、結局、何もなかった。後ろの人は普通に信号待ちをして、道を曲がっていったようだ。
いつも通り背後を確認しながら自宅のドアを開けて入り、すぐに施錠した。勝手に神経質になって、無駄に震えて、私ってなんなんだろう。
誰もお前なんか狙わねえよブス、という声が聞こえる。
でも私、昔あの夜道で被害を受けたんですよ。背後からスタスタと近づいてきて、手を出して、走って逃げていった卑怯者の後ろ姿が焼き付いている。
実行のチャンスさえあれば、顔を見ずとも誰でもいいんですよね。性的に狙ってだけじゃなく、加害欲で手を出す場合もあるんですよね。そんな風に思います。
普通の男の人はただの帰り道では心を擦り減らしたりしないらしい。羨ましい。
被害にあったことのない女の人もそうなのかな。被害のことを意識はしてるだろうけれど。
何年か前に見た、「女性だけの街」という話題を思い出した。私も、そういう場所で暮らしてみたいなと思う。
あらゆる行動の制限も緩んで、性別を気にせず働けて、振る舞いに注意しながら歩く必要もない。私でも、警戒せずにベランダに普通に洗濯物を干すとか、防犯ブザーも持たずにほろ酔いでのんびり夜道を帰るとか、そんなこともできるかもしれない。
ただの空想話。実現する為の手立てなんて考えているわけじゃない。
そもそも、私の願いは「女性だけの街が実現すること」や「男性と一切関わらないで生きていきたい」などではない。
男の人も女の人もいるこの街で、安全に、もう少し自由に、震えずに、暮らしていきたいということだ。
◆ ◆ ◆
普通に安心して過ごしたいという話に「夢」とか「理想」とかいう言葉を使いながら極端な想像をしてしまう、そんな現実を分かってほしいな。という文章でした。
勝手に安心して無警戒で歩いても大抵は安全、世界的に見れば治安は良い国、とお思いかもしれませんが、「安全じゃなかった」「その数分の無警戒を一生後悔する」そんな現実はあります。
被害者は悪くない、でも、後悔して苦しむのですよ。
そしてそれは、全ての人が自分の身に起こるかもしれないこととして想像できることだと思うのです。
安全に過ごしたいという気持ちは命に関わる重要な望みのはずです。
そのレベルの望みを軽視することは、恐ろしいことです。全くやさしくないです。
以下も私のお気持ちです。
「女性だけの街なんてのは実現しない」「女は3kの仕事しないくせに」「成り立たねえぞ」
→男が支えているんだぞー!という主張は汲み取りました。私としては女性だけの街を実現するための話はしていないので、ここではちょっと…。
→排斥ではなく身の安全を求めての話だから、違います。女湯に男性が入れないのは差別ですか…?と思う。つまり、「女性だけで好き放題したい、特別な権利がある」などという話ではないはず。
→そうですね。街における犯罪件数0を求めることは女性だけの街の実現よりもさらに無茶でしょう。
でも、男女の犯罪率の差などを見て、明らかに減るだろう、と想像しています。性犯罪も比べるまでもなく減りますし、妊娠のリスクもなくなります。
(実現はしませんが…。)
今回少し見ていて気が付いたのは、
「(この話題一定以上前に見たことがあるぞ)オイオイまだ同じこと言ってんのかようぜーな」
からの
「そんなに言うんだったら 実現に向けて進めてみろよ」
という方向のご意見がちょっと目につくような気がする…かも…?ということです。
だから、私としてはですけれども、そもそも女だけの街を本当に作ろうとしているわけじゃないんですってば。
「男性がいない方が安全に決まってる!男性のいない街ほしい!」なんて言葉を見たら「そりゃそうだろうけど断言してるのを見ると居心地悪いわ 男だって100%危険なわけないだろう。例え自分に言われてるわけでなくても引っかかる そもそも街なんてどうやって作るんだよ」と、思いますよねー。
一部の男性は、女性だけの街の話題で言わんとしていることは分かっている上で、皮肉を言っているんですよね?ほら行動に移してみろよ、できないだろ、とそういうことですよね?
でも女性(特に男性からの被害を受けた経験がある女性)からすると、
言い方伝え方の強さや良し悪しの幅や個人差は大いにあれど、「男性に警戒心あり」はきっと迷いなく本当。
見知らぬ男性を強めに警戒している。
とはいえ、現実として、男性と関わらずに生きていくことはかなり難しい。
ということで、女性の私(達)は「日々安全を脅かされたり嫌な思いをする中で、叶わない夢は何度でも空想してしまうものよね〜」とそんな感じで今後も呟いていくのではないかと思います。
別の場所で暮らしていても、街の建設はしていなくても、各々が現実への対処をして生きているのだろうと思いますよ。
女性のみなさま、どうかご無事で。
それが今回私が思ったことです。
何を考えているのかよくわからない人だった。交際を持ち掛けられたのは二人で旅行している最中だけれど、元から親密だったわけではなくて、SNS上ではやり取りがあったとはいえ、私たちは数回会ったことがある程度だった。話していて楽しい人だったけれども、特別好きな人ではなかった。
初対面の彼女は生きる世界が違うように見えた。一言で言えば美人だったし、男遊びに手慣れたタイプに見えた。異性慣れしていない私とは正反対だと思った。
ただ、私たちは互いに歪んだ思想を持っていて、「反出生主義」で一致していた。生まれた環境や経験は異なれど、その場所で歩む道は交わった。
私たちは歪んでいたけれど、歪みきれない点でも似ていたと思う。承認欲からか、ただ人並みにパートナーが必要だったのだろう。
彼女は私が躊躇している時に共にアクセルを踏んでくれる人だった。人を誘いにくい、でも一人では決めづらい長めの旅行とか体力的に厳しいイベントを一緒に楽しんでくれるのは彼女だけだった。しばらくして、共に人生を歩めるのはこの人しか居ないと思うようになった。私はそういう「何かを得た」と思い込んでいた。
しかし、生きる世界が違うという第一印象は払拭されず、同じ時間を過ごす楽しさや必要とされる嬉しさを感じるたび、同時に、何か騙されているんじゃないか、「何かを失う」んじゃないかという恐れを抱いていった。そしてそれは次第に、醜悪な独占欲に変わっていった。
彼女の人間関係を嫌悪して、彼女の趣味を嫌悪した。自他境界が致命的に崩れていった。それがたとえ交際相手であろうとも、他人は所詮他人にすぎない。「彼女」が出来たとて、所有するという意味で「何かを得る」ことはないし、よって「何かを失う」こともない。
私には私の中の感情が世に言う嫉妬であり、その根元は人間関係に対する誤解にあると自覚し向き合うだけの経験と思考力に欠けていた。私は絶望的なまでに普通の人間で、歪みなんて呼べるほど美しいものではなく、ただ普通に拗らせた男だった。
旅行中も様々な話を聞いていたけれど、付き合ってみたら彼女を取り巻く厳しい現状がゴロゴロと分かってきた。家庭状況の問題も、大学生活の問題も、精神疾患の問題も、そして、これからの進路も。どれも根本的にはどうしようもなかったけれど、出来るだけ寄り添ったつもりだったし、自分が考え至る全てを提案して、自分に出来る全てを実践したと思う。
そして実際に彼女の生活環境を支える一端を担っていると感じると同時に、自身の力の限界に悩まされた。学生は無力だ。一刻も早く社会人になって自立する必要を感じた。そして、自立すればなんでも出来ると過信していた。
一方、彼女本人は盲目的に「夢」を追っていた。夢というよりもコンプレックスを晴らそうとする強い意志だった。目標が「ゼロをプラスにする」ことではなく、「マイナスをゼロにする」ことであるが故に、夢などというものよりも遥かに諦め難いのだろうと今になって思うが、私には馬鹿げて見えた。
独占欲と自信過剰と、そして彼女の「夢」への軽蔑は、彼女の為と思いつつ、その実、全く相手に寄り添えていない提案を繰り返すに至らせた。「結婚して君のあらゆる問題に一緒に立ち向かおう、ただその夢だけは一旦諦めてほしい」という旨の最後の提案は一顧だにされず、私は勝手に限界を感じて、別れを告げた。春を目前にした、しかしまだまだ寒い日の夜だった。
彼女は私のことを嫌いにならなかった。そのことが私を強い罪悪感に浸らせた。私は感情的で暴走していたがどこかで自身が抱える悪しきものに気付いていたのだろう。
私は彼女のことを嫌いにならなかった。嫌悪も否定も、全て一つの感情から来ていた。
彼女はその後も生きていた。家庭は元から崩壊していたし、金は魂を売れば稼げるし、薬は大量摂取しても吐き出すように出来ているし、人は簡単に首を括らない。彼女が生きる為に私は何もする必要がなかった。
初夏の頃だろうか、友人の恋愛相談を聞いている過程で、私は私自身の罪の重さをひしひしと実感するようになった。春の時点でも冷静になって謝罪していたが、その時の比ではなく自身の悪性と罪科を自覚した。
夏の真っ盛りに私たちは京都で再会した。彼女の近況を聞き、私の近況を話した。謝罪には何の意味もない。犯した罪は拭えない。それどころかむしろ逆効果であるということは分かっていた。彼女はより私のことを嫌いになれないし、私は自分のことを善であると何処かで勘違いしてしまう。それでも、自分の直感に従って動くのが私という人間で、そして人間は皆それで正しいと思う。彼女も彼女の直感に従って夢を追い続ける。
思うように進んでほしい
私も思うように進んでみる
ほんとに「夢」の国だったりして。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1953918
会社のエースが辞めてしまった事に対して「なぜ最近の若手中堅が退職してしまうのか」を考える会議で管理職達が出した結論が「そういうとこやぞ」だった
この手の書き込みでもう何度も何度も同じような書き込みがされてるが、
"弊社も若手が辞めまくったとき上司に「本当の原因なんだろう、何か聞いてる?」と聞かれたので「みんな給料安すぎるからって言ってます」と本当の理由を伝えたら「いや、それ以外で何かあるでしょ?」と返され「いえ、本当に給料安すぎって全員」「いや、それ以外で何かあるんでしょ?」「本当に全員」"
それでもこういうのはなくならないんだな。創作交じりなところはあるにしろ。
多分、将来のことなど若手が考えもしなかった時代の感覚が抜けず、想像ができないんだろう。
なので、現代説明用のテンプレートの叩き台作ってみた。他に取り込むべき点なんかあったらコメントしてくれ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『上司や経営層は、若手の「給料が安い」という訴えをかなり軽く考えているように見える。
しかし、昔のように定期昇給や会社の存続の保証のない時代、給料が安いと人生が何時壊れるかわからない。
幹部社員の若いころは、若手の給与=小遣いみたいな感覚で、人生設計も「夢」中心のものだったのかもしれないが、今はそうではない。
高校大学時代から社会からも学校からも地に足の着いた人生設計を持て、自分の人生は自己責任で守れといわれて育つ。
「給与が安い」はただの不平不満ではなく、人生を守る絵が描けない、リソースがないという訴えだ。
その会社の給与でこれらを賄えないなら、自分の人生で親や子や老後を捨てるか転職するかの二択になるのは当然。
経営層や上司は家族を養える給料をもらっているかもしれないが、若手はそうではない。
某コンサル会社が同業の競合他社へ情報漏洩の事件をやらかした件について、個人的な感想を書いてみたい。
あなたは自動車メーカーで働きたい若者のモチベーションを想像することができるだろうか?この問いに答えるのは比較的優しそうである。子供のころから車が好きで、自分で憧れのあの車を作りたいとかそういう「夢」があるからだとか、具体的なイメージが沸きやすいのではないだろうか。増田の友人にも、イニシャルDの影響でランエボが好きになって三菱自動車で働くんだと言って入社していったやつがいる。
それに比べるとコンサルタントって、よくわからない業種だったりする。関係ない人から見ればなんか経営のアドバイスをするとかそんなふわっとしたイメージしかない。なので始めにコンサルタントとは何ぞやというところから書いてみたい。
たとえ話になるが、あるところにジンバブエとの貿易を20年間やってきた商社マンがいるとする。である時急にジンバブエ投資がブームになって、支店や工場を作りたい企業がたくさん出てきたとする。だけど日本から見ればマイナーな国なので現地の商習慣や法体系、要人へのコネクションを持ってる人がほとんどいない。そういうときにこの商社マンが独立して有料でジンバブエのビジネスに関するアドバイスを始めたらすごくありがたがられないだろうか?コンサルタントの仕事というのはもともとこういう需要から生まれたのである。個人もしくは少人数で専門性のある人が何かの必要に迫られているひとに知恵を貸すというような、そんな業態だったのだ。
それが時代を経るにつれて経営の戦略立案を手伝う需要が生まれ、様々な専門性を持つコンサルタントが多数在籍する規模の大きな「コンサルティングファーム」が台頭してくる。まあ規模が大きくなったとはいえ、最も知名度の高い戦略系のコンサル会社ですら、東大生・京大生を年に数人採用するとかそのくらいの規模感だったと聞いている。難易度の高い課題を迅速に解決する仕事のため、実務に精通したエキスパートがクソ地頭のいい若者をこき使って仕事をぶん回す少数精鋭の仕事であった。スポーツでいえばオリンピック代表のようなエリートアスリートの世界。増田と個人的に付き合いの長いベテランコンサルタントは当時の話として、同僚に優秀な人しかいないのと、20代の若いうちから役員がするような難易度の高い仕事ができることがとてつもなく魅力的であったとよく言っていた。
で、現代のコンサルタントの守備範囲は前述の例のような専門知識を要する分野や経営戦略にとどまらず、人事、IT戦略といった広い分野に及んでいる。かつて企業が正規の平社員の仕事、例えば事務員や工場作業員やプログラマーを派遣や請負で置き換えていったように、気づいたら幹部社員の仕事の外注先として重宝されるようになっていった。誤解を覚悟で性質を表すと、「幹部社員の高級派遣業」とでもいう感じだろうか。
そうした総合コンサル各社は規模も大きくなり、中途や新卒もたくさん採るようになった。とはいえ業務の難易度は相変わらず高いため、採用基準は依然として厳しいものだった。6,7年前の状況で旧帝大クラスの学生を年に十数人~数十人とかそんなものだったと思う。待遇に不満のある霞が関の官僚がコンサル業界に転職するのが流行りだしたのもこのころだった気がする。この時期のコンサル業界は、スポーツでいえば国体出場選手レベルのエリートアスリート集団といったところだろうか。
その状況が変わったのがここ3年ほど。折からのデータサイエンスやDXブームに加えてコロナウィルスの影響でITコンサルティングの需要が急増した。それに対応するために総合コンサル各社も一気に規模の拡大に走った。拡大スピードは驚異的で、今回やらかした某社でいえば人員を5年で2.5倍に拡大する計画をぶち上げていたくらいだ。
https://diamond.jp/articles/-/300065
さて、これまで少数精鋭で回してきたコンサル会社が規模を拡大するとどうなるか。答えはシンプルで、社員の質の低下が起きる。採用基準でいえば、かつては有名どころのコンサル会社は旧帝クラスが目安だったのに、今ではMARCHクラスの学生もどかどか採用するようになっている。単に学歴が(相対的に)低い人材が増えたというだけでなく、新入社員のメンタリティも変わって来ている。なんというか、ストイックで求道的なエリートアスリート集団の中に、「プロ野球選手って稼げるんでしょ?」的な不純な動機のやつが混じりだしたという感じだ。彼らは仕事内容に魅力を感じているのではなく、コンサル業界ではたらくイケてる俺らみたいなステータスを重視しているように見える。話は少々脱線するが、最近Twitterのタイムラインで自称コンサルタントによる「JTC」という発言をよく目にするようになった。「Japanese Traditional Company」の略で、古臭いイケてない日系企業を揶揄する一種のネットスラングのようなものだが、こういう言葉が流行ること自体が自分に酔ってるイきりコンサルの増加を裏付けているような気がしてならない。コンサルティングの仕事は顧客あってのものなので、ベテランコンサルは得てして謙虚(に振るまえる)だし、炎上リスクのある迂闊な発言をオープンな場でしないのが常識だからだ。
少々話が脱線したので本題に戻りたい。もともと少数精鋭で回していたコンサル会社が急に人を増やしました。仕事を取って来れて人事権を握っているベテラン社員はみんな優秀です。抱えてる案件が増えて、相対的に能力の劣るメンバーも増えたときに、そんな上層部の人たちが昔からの感覚で同じ規模の案件に同じくらいの人数と納期で人を割り当てました。さあ、どうなるか。答えは言わずもがな、炎上プロジェクトの多発である。
炎上プロジェクトが1つや2つのうちはまだ問題にならない。最悪上層部のドチャクソ優秀なベテランが巻き取って火消しをするからだ。だが会社が拡大路線を続ける限り、新たな火の手はどんどん上がってくる。そして、上層部の目が炎上プロジェクトに向いている間に、モラルの低いコンサルタントが納期に間に合わせるために競合他社の資料を使いまわすという禁じ手を使ってしまった…そんな情景が目に浮かぶのは私だけだろうか。ここ2、3年のコンサルブームが落ち着かない限り、第二、第三の類似事件は必ず起きる。そんな気がしてならないのだ。
「天候や海のせいじゃない。これは“人災”だ」──知床の観光関係者たちは、怒気交じりにつぶやいた。ゴールデンウイークを前に日本全国から集まった観光客たちを襲った惨劇。オーナーにとって「夢」だった遊覧船事業は、なぜ最悪の事態を引き起こしたのか。
4月23日朝、北海道・知床半島の斜里町には「波浪注意報」が出ていた。ほかの観光船はもちろん、漁船も出航を見合わせるなか、「知床遊覧船」が運航する観光船「KAZU I」だけが午前10時頃、オホーツク海へと出航した。
「波がけっこう高いけど、冒険だと思って楽しんでくださいねー!」
乗客の不安をかき消すかのように、船長は陽気な船内アナウンスをしたという。“冒険”が悲劇に転じたのは約3時間後、すでに波の高さは約3mに達していた──。乗員乗客26人を乗せた観光船が知床の海で消息を絶ち、11人の死亡が確認され、15人の行方がわかっていない(4月26日19時現在)。地元の漁業関係者が言う。
「あの日、朝の段階では波はそこまで高くなかったけど、次第に荒れることは容易にわかった。だから船長に“波がだんだん高くなるからやめた方がいい”って言ったんだ。彼は“はい”って答えたけど、そのまま出航した。港で船から“冒険”という言葉が聞こえたとき、海の怖さを理解していないなって思った。あの会社の船長は知床に来て2年の、経験の浅い彼しかいなかった。判断ミスでは済まされない事態だよ……」
船長の豊田徳幸さん(54才)は、埼玉県に家族を残して単身赴任中のいわゆる“出稼ぎ船長”だった。埼玉の自宅の近隣住民が言う。
「もともと観光バスの運転手でした。2000年頃に一戸建てを買ったはいいけれど、観光客を乗せて地方に行くことが多いから、ほとんど家にはいなかったと思います。
10年ぐらい前には水陸両用車の会社に転職。その後、外国人観光客向けのバスの運転手になったけど、運悪くコロナ禍で仕事が激減したって嘆いていました。昔から“お金がない”“税金が高すぎる”と言っていて、実際に自宅が市に差し押さえられたこともあったみたい。仕事をコロコロと変えていた印象でしたが、まさか船長になっていたとは思いませんでした」
知床の海は暗礁が多く、地形や運航ルートを熟知していないと座礁リスクが付きまとう。経験の浅い船長が、荒れた海に飛び出すのは非常に危険だった。
「知床遊覧船」は、地元では知られる有名一族が経営しているという。
「実質のオーナーは町議会議員を4期ほど務めた地元の名士で、不動産業やホテル経営、飲食業など手広くやっていました。『知床遊覧船』の社長はオーナーの息子さん。いまは58才ぐらいかな。若い頃は本州に出て神主を目指していたと聞いていましたが、どういうわけか陶芸家になって帰ってきました。2014年に父の後を継ぎ、地元でホテル経営などを任されるようになったのです」(商工会関係者)
「知床遊覧船」の経営に乗り出したのは、いまから6年ほど前のことだった。
「観光船を持つのはオーナーの夢でした。オーナーは経営していたホテル、飲食、そして観光船を合わせた『知床レジャーランド』の構想を持っていました。社長はその夢を実現させる形で、観光船の経営に乗り出したのです。有名コンサルタントからの助言を得て、言い値で買ったと話題になっていましたよ」(前出・商工会関係者)
当初はベテランの船長らを複数人抱え、運営に問題はなかったという。だが、次第に従業員たちから不満が漏れ始めた。
「社長は利益を重視するタイプで、ベテラン船長が天候を理由に出航を取りやめようとすると、“返金したくないから”と無理にでも出航させようとして、船長と言い争いになったことも。衝突が多かったこともあり、2年ほど前にベテラン船長を相次いで解雇。代わりに来たのが豊田さんだった。給料もかなり下げて募集したようで、社長はコストカットできて喜んでいたけど、安全面はおろそかになっていましたね。
最近では、コロナ禍で知床の観光業全体が下火でした。船首部分に入った亀裂のような傷を修理しなかったのも“倹約”ぶりのせいではないかといわれています」(前出・商工会関係者)
その経営姿勢が、経験不足の“ひとり船長”という事態を生んだのだろう。豊田さんも、社長の経営方針に疑問を抱いていたのか、自身のフェイスブックで勤務先を「ブラック企業」と表現していた。
懸命の捜索は続くが……
あの日、船には「特別な思い」を持つ男性の姿があった。交際中の女性に船上プロポーズをするため、人知れず指輪をバッグに忍ばせていた。事故後、男性の家族は報道陣の前で「もうダメなのは覚悟しているけど、2人一緒に見つかってほしい、それだけです」と言葉を絞り出した。
両親と弟の3人が船に乗っていたという男性もいる。知床旅行は、男性から3人へのプレゼントだった。旅行中の両親から届いた北海道の名産品に、お礼のメッセージを送っても返事は返ってこない。
3℃前後しかなかったという冷たい海水。そこに船が沈むとどうなるのか──海難事故に詳しい東海大学海洋学部教授の山田吉彦さんが言う。
「あの観光船は窓で覆われていたので、沈み始めたとき乗客は船内にいたはずです。波風も強いので外に出られません。できるだけ、水につからないようにしながら待つしかなかったと思われます。相当な恐怖です。船が沈んでいくなかで、出口に近い人だけが外に出られたのでしょう」
沈みゆく船内から脱出しても、冷たい海の恐怖から逃れられるわけではない。医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんは、低体温症の恐ろしさをこう語る。
「低体温症とは長時間、寒い屋外や冷たい水の中にいることで、体の深部体温が下がり、内臓や脳の機能が低下することを指します。早い人は3分くらいで症状が出ます。体温が35℃を下回ると、循環機能や生理機能が働かなくなり、おしっこが勝手に出てしまいます。すると、脱水状態になり、熱を逃がさないようにと血管が収縮し、血流量が下がり、意識がもうろうとする。そして、睡魔が襲ってきたり、幻覚を見ます」
遺族、そして行方不明者の発見を待つ家族は、張り裂けそうな思いで事態の打開を待っている。前出の山田さんが言う。
「私が今回の事故の問題だと思う点は管理体制です。本来13時に港に戻っているはずなのに、13時13分に海上保安庁へ通報するのはおかしい。もっと早い段階から船長は事務所に連絡していたはずです。本来出航したら常に連絡を取れる体制でなければいけませんが、担当者が不在だったか音信不通になっていたのでしょう」
実際「KAZU I」は事務所と連絡が取れていなかった。数ヶ月前から「知床遊覧船」の無線機のアンテナは壊れていて、事故当日、豊田さんは別の運航会社と無線で連絡を取り合うしかなかったという。海上保安庁は、不明者の捜索を続ける一方、業務上過失致死などの疑いを視野に捜査を進めている。
はなれていくホロライブ6
そういったVtuberの売り出し方の変化の中で、
ありていに言えば「夢」がなくなり、
そして「嘘」をつくようになり、
「現実」の醜さが出てくるようになって来た。
・夢
例1:ホロライブ「兎田ぺこら」 >実家はにんじん農家で、にんじんがとても好きなため、いつでもにんじんを食べられるように、ポケットと髪の毛ににんじんを挿して持ち歩いている。 >年齢 永遠の111歳 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8E%E7%94%B0%E3%81%BA%E3%81%93%E3%82%89 例2:にじさんじ「リゼ・ヘルエスタ」 >ヘルエスタ王国の第二皇女であり、社会勉強の一環として配信等の活動を行う。
これは一種の現実には存在しないキャラクターであることを明示するユーザーに見せる「夢」の部分である。
一方で、前項までで述べてきた通り、
Vtuberは「生身の生活」を露出することで親近感を売り出し、リスナーを獲得してきた。
そこで必要となってきたのが、「Vtuberの中の人間の生身の生活を飾り付けること」である。
・嘘
Vtuber達は中にいる人間の生活を暴露することによって身近さを演出してきたが、
それ故に中身すらも演出する必要が生まれ、外側のキャラクターを形成する設定ではなく、
中身の自分自身を見てもらうために「嘘」をつき始めるようになっていた。
嘘に関しては「■Vtuberの人気とリスナーの近さ」の項でも述べているため、軽く触れるだけに留めておく。
例:ホロライブのさくらみこ 妹を欲しがるツイートをする ttps://vtuber-matome.com/vtuber-20773-169132.html 弟と妹がいることを暴露する ttp://vtubernews.jp/archives/12943236.html
その他にも、いわゆる「百合営業」やグループの仲良しアピールなどもある。
何も違いはないように見えるかもしれない。
Vtuberはそもそも嘘をついているのだから「騙される方が悪い」のだというというリスナーの発言もよく見かける。
Vtuberたちが嘘をついて、それがバレていくたびに、
リスナーは本当のことが分からなくなり、Vtuberやその業界のことを信じなくなっていってしまう。
・現実
その現実を配信に載せていくうちに、現実の露出の歯止めが聴かなくなり、
例えば以下のような現実だからこそ起きるいざこざが暴露されている。
ベンチャーで資金難の運営にブラック企業のように使いつぶされるVtuberとの軋轢は良く見られる。
例1:「(運営は)聴者を数字や金としか見てない」 ttps://www.itmedia.co.jp/news/articles/1811/14/news086.html 例2:「“ゲーム部プロジェクト”パワハラ騒動」 ttps://www.businessinsider.jp/post-189286 例3:「ソロライブ企画を放置した運営にキレる夜桜たま」 ttps://togetter.com/li/1414254
Vtuberでは「新衣装」という建前で新しいイラストを公開する。
そのお披露目配信は再生数が増えてスパチャも多く手に入る一つのイベントとなっているが、
事務所手動で用意されている衣装の数が、Vtuberごとにが大きく異なっており、分かりやすく優遇冷遇が分かれていたりする。
例1:にじさんじ衣装数一覧 http://vtubernews.jp/archives/11423973.html エースである月ノ美兎の衣装は14個、ほぼ同時期にデビューした文野環は4個という差がある。 例2:ホロライブ3期生の宝鐘マリンと兎田ぺこらで衣装数に差がある https://myjitsu.jp/enta/archives/93432?mobile=off その他優遇不遇まとめ http://virtualyoutuber-matome.blog.jp/archives/10796608.html
3.Vtuber同士の仲の悪さ
Vtuber同士で仲が良くなっていくことを前項までに記載したが、
逆にそう言った付き合いが深くなるにつれて仲が悪くなって共演NGなどになる関係も露出し始めている。
例1:コンビとして企業案件にも一緒に参加していたホロライブの兎田ぺこら&さくらみこ(ぺこみこ) https://www.youtube.com/watch?v=uRB1G0cKpIk →仲が疎遠になったことを配信でほのめかす https://vtuber-matome.com/vtuber-22595-184063.html 例2:ホロライブの夏色まつりが、同僚の赤井はあとに不満をぶちまけ炎上 http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10414420.html 例3:にじさんじKRのライバー同士のドロ沼訴訟合戦 https://matomame.jp/user/yonepo665/02b402a81896fd00101e
Vtuber側もスーパーチャットを多く支払う一部のリスナーを贔屓しているなどの例が暴露された
例:ホロライブの潤羽るしあ https://www.youtube.com/watch?v=-uyYS9lODvk
同時に上記に記した醜さも配信の世界へと露出するようになってきてしまった。
現実世界との近さは、それだけリスナーに対して親近感をおぼえさせるが、
一方でその近さによって「身バレ」や「スキャンダル」といった「炎上リスク」を生み出すことにもつながる。
また心理的距離が近くなり過ぎたリスナーを生み「ガチ恋」と呼ばれる厄介なリスナーが増えることになったり、
更にはそれが反転(好きな気持ちがこじれすぎてアンチになること)し拒絶を生むということも起きる。
『キズナアイさん登場時に夢見ていた「バーチャル上にキャラクターを創造する新しい形」ではなく、絵が動く配信者としてのVtuberが主流になったという話』
https://togetter.com/li/1856588
というエントリの冒頭に纏められているどこかの社長の発言を見て「きっっっっしょ」ってなった。
誰かが書いた台本を動かす人と声を当てる人がいる。「中の人」は一切外に出てこない。動かす側に「意思」は必要ない。
アイドルという存在はプロデューサと呼ばれる人によって作り出される幻想だけれど、vtuberは更に「動かす人たち」を部品化させている。それが「夢」なのだ。
『銀河鉄道999』で機械の身体を手に入れたいと願う主人公が「機械の部品」にさせられそうになる、というエピソードや『モダンタイム』でチャップリンが機械を操作してるんだかさせられてるんだかわからなくなるという滑稽さを演じたりしているのを思い出したけれど、ああいうフィクションを「夢」として、現実化したい人がいるんだね。
社畜、などという言葉が半ば自嘲のように用いられたり、社員をコスト呼ばわりしてみたりする昨今、どんなことがおきようとそれほど不思議ではないのだけれど、人を部品として使うことを「夢」と語る発言をカジュアルに見るとは思わなかった。
『キズナアイさん登場時に夢見ていた「バーチャル上にキャラクターを創造する新しい形」ではなく、絵が動く配信者としてのVtuberが主流になったという話』
https://togetter.com/li/1856588
というエントリの冒頭に纏められているどこかの社長の発言を見て「きっっっっしょ」ってなった。
誰かが書いた台本を動かす人と声を当てる人がいる。「中の人」は一切外に出てこない。動かす側に「意思」は必要ない。
アイドルという存在はプロデューサと呼ばれる人によって作り出される幻想だけれど、vtuberは更に「動かす人たち」を部品化させている。それが「夢」なのだ。
『銀河鉄道999』で機械の身体を手に入れたいと願う主人公が「機械の部品」にさせられそうになる、というエピソードや『モダンタイム』でチャップリンが機械を操作してるんだかさせられてるんだかわからなくなるという滑稽さを演じたりしているのを思い出したけれど、ああいうフィクションを「夢」として、現実化したい人がいるんだね。
社畜、などという言葉が半ば自嘲のように用いられたり、社員をコスト呼ばわりしてみたりする昨今、どんなことがおきようとそれほど不思議ではないのだけれど、人を部品として使うことを「夢」と語る発言をカジュアルに見るとは思わなかった。
『キズナアイさん登場時に夢見ていた「バーチャル上にキャラクターを創造する新しい形」ではなく、絵が動く配信者としてのVtuberが主流になったという話』
https://togetter.com/li/1856588
というエントリの冒頭に纏められているどこかの社長の発言を見て「きっっっっしょ」ってなった。
誰かが書いた台本を動かす人と声を当てる人がいる。「中の人」は一切外に出てこない。動かす側に「意思」は必要ない。
アイドルという存在はプロデューサと呼ばれる人によって作り出される幻想だけれど、vtuberは更に「動かす人たち」を部品化させている。それが「夢」なのだ。
『銀河鉄道999』で機械の身体を手に入れたいと願う主人公が「機械の部品」にさせられそうになる、というエピソードや『モダンタイム』でチャップリンが機械を操作してるんだかさせられてるんだかわからなくなるという滑稽さを演じたりしているのを思い出したけれど、ああいうフィクションを「夢」として、現実化したい人がいるんだね。
社畜、などという言葉が半ば自嘲のように用いられたり、社員をコスト呼ばわりしてみたりする昨今、どんなことがおきようとそれほど不思議ではないのだけれど、人を部品として使うことを「夢」と語る発言をカジュアルに見るとは思わなかった。