はてなキーワード: 翻弄とは
いろいろ思い出して検索してみるも出てこない。誰か教えてください...
追記: すみません、年齢は必要でしたね。現在30歳です。つまり20年ぐらい前。4つ上の兄の机の足下に無造作に置いてありました。
・「バージンなのに超巨乳」というよくわからない煽り文句を見た気がする
・その煽りどおりペッティングはあるもののセックスには至らない話ばかりだった。「ヤング○○」な雑誌だったからというのもあったと思う(正確にどの雑誌だったかまでは思い出せず
・大まかなストーリーは主人公の女性が至るところでエッチなトラブルに遭ったり逆に男性を翻弄する、的な話。例えば:
・「18歳以上でギャルぶっている女性は『オバギャル』だ」などというナンパ男性2人組相手に大人の魅力を伝える(確かそれが第1話)
・寿司屋で働いている主人公の友人(これもまた確か巨乳の女性)にけしかけられて、主人公がどこまで大食いできるか賭けをする
→主人公の想像以上の食いっぷりに危機を覚えた友人がわさびを大量に仕込んだため、主人公ギブアップ
→ 実は河原でであった犬に股間をなめられているときに見た夢だった(?)
・(この話、犬と河原とイケメンぐらいのキーワードしか思い出せず)
・覚えている限りのストーリーはそんな話だった。読んだのはその1冊だけですべて同じ巻の話のはず(多分第1巻)
電子書籍で入手できるならほしい
そのドアを開けるとマスオさんがいた。
「あ、ども」
「あ」
僕はマスオさんの斜め向かいにある角が少し破けたパイプ椅子に腰掛けた。
ヤニで変色したボロボロの三段ラックには古雑誌やコンビニ漫画が積まれていた。
「朝日…」
「ん?」
「いや…やっぱりマスオさんは朝日新聞出版の漫画じゃないのかなぁと思いまして…」
「アハハ、意外かい?」
「い、いいえ!別にそういう訳ではないですけど」
「好きなんだよね、彼岸島」
「い…意外ですね」
マスオさんは吸っていたタバコをグイと灰皿に押しつけるとすぐにまた新しい一本に火をつけた。
「たがわ?」
「のらくろって知ってるだろ」
「のらくろを世に送り出しのが田河水泡さ。最後にアニメ化されたのは昭和62年だから君は知らなくて当たり前だよ」
「僕とは直接関係ないけど長谷川町子は田河水泡の弟子だったのさ」
「田河水泡がのらくろを描いた時代は戦前だった。歴史の教科書なんかで見たことあるだろ?のらくろ二等兵とかさ」
「田河も時代に翻弄された漫画家の一人だった。戦時統制の中で漫画なんかけしからんという理由で連載を中止させられたりね。それなのに現代では戦意高揚を目的とした漫画だったと非難する声まで上がったりさ」
「勝手ですね」
「口だけ出して自分の手を汚さない連中が面倒なのはいつの時代も同じさ」
読んでいたヤンマガを丸めて肩を叩きながら蛍光灯の方へフーと煙を吐くマスオさん。
「戦後、田河は全国の小学校を表敬訪問して回った。それは戦争で焼け跡となった町でたくましく暮らす子供たちにとって夢のような出来事だった」
「憧れの人ですものね」
「鳥山明や尾田栄一郎がやってきたようなもんさ。田河は小学校に向かうと全校生徒の前で用意された大きな布や紙に筆でスラスラとのらくろを描き上げるんだ。それを見ている子供達の顔が本当にいい笑顔でね」
「目に浮かぶようです」
「僕はたまに思うんだ。漫画の人は漫画に生かされているのではなく漫画そのものが生きているんだとね。それを紙とペンで世に書き写すのが漫画家の役目なのかもしれない。田河もきっとそうだったんじゃないかな」
「マスオさんはどうするのですか?」
「カツオ…くん?」
「ああ、僕の甥さ。学校の勉強は苦手なようだけどなかなか賢い子でね。きっと大物になると思うよ」
マスオさんはヤンマガをポイッとラックに返すとすっと立ち上がり首を回しながら腰を叩いて笑った。
「僕たちの物語は続くだろうね、これからもずっと。まだあの黒電話とブラウン管がある平屋でさ。誰かが見てくれてるからとか描いてくれるからとかそういうのもあるけど、それだけじゃないそこで生きる僕たちそのものの証としてね」
「証…」
10月も最終週を迎え、ラグビーW杯も3試合を残すのみとなった。
準々決勝で日本が大会を去り、バラエティ番組などでは「大会お疲れ様」という雰囲気も流れているが、四年後の話をするにはまだ早い。
ウェブ・エリス・カップを巡って決勝を戦うチームは今夜決まるのだ。
日本代表がいない大会でも、まだみんながラグビーを楽しんでいてくれて嬉しい。
増田ももうすこしだけ試合をレビューしてみんなの力になりたいと思う。
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さて、ラグビーの母国イングランドが黒衣の王者ニュージランドを下した昨日の対戦を「事実上の決勝戦」と表現する声もあったが、そう言われては今日戦う2チームは立つ瀬がない。
今夜行われる対戦は、2度のW杯チャンピオンに輝いた南アフリカと、直近の欧州王者ウェールズだ。
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日本と因縁浅からぬ南アフリカは、その圧倒的なフィジカルを利して日本を封殺しただけでなく、予選プールでもニュージランドに敗れた1試合以外は30点差以上の点差をつけて危なげなく勝ちあがってきた。
ただ、予選で1敗でもしたチームがW杯で優勝したことはなく、準決勝に臨んで得点源の一人である「ポケットロケット」チェスリン・コルピを怪我で欠くのも気がかりだ。
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対するウェールズはここまで薄氷の勝利を積み上げてきたものの、ツーブロックに長いドレッドのFLジョシュ・ナビディ、多くのチャンスを演出してきたFBリーアム・ウィリアムスを失い満身創痍だ。
激しい戦いのせいか怪我に悩まされるウェールズ代表は、今回だけでなく前回W杯でも大会前から予選プールにかけて大量の離脱者を出し、ベスト8に終わった。
その時に敗れた相手が南アフリカで、こうなってくるとラグビーの神様が赤いドラゴンに試練を与えているのではないかと疑いたくなる。
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ただ、そういった方面の話には朗報もあって、昨日、神様の中でも黒い服を着たやつを、そういう事あんまり気にしないパワハラおじさんがお仕置きしてくれたので、これ以上のイタズラは心配しなくても良いかもしれない。
全力をもって今夜の戦いに臨むだけだ。
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南アフリカは圧倒的なフィジカルと勤勉さを盾にした鉄壁のディフェンスとハイパント、これまた強力なフィジカルで圧力をかけてからの展開や、キックで得点を狙うチームだ。
対するウェールズも、赤い壁と表現されるディフェンスと、一撃必殺のセットプレー、アタッキングキックを用いた奇襲、突如繰り出すドロップゴールなどで対抗する。
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お互いぶつ切りの展開になれば自分たちのラグビーに持ち込めるが、それは相手も同じで、強みにフォーカスすると相手の強みも誘発してしまいかねない。
がっぷり四つの対戦になるだろうか、相手の強みを消しにいくだろうか。
ウェールズのウォーレン・ガッドランドHCは「世界一美しい試合というわけにはいかない」とキックの多いゲームを示唆したが、そのキックにつながる地上の密集戦がどちらのものになるかが重要で、これを制圧した方がゲームをより優位に進めるのではないだろうか。
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17:45、フィールドに屈強な男たちが降り立ち、黙祷に続く国歌の斉唱。
代表チームのキャンプ入りの際、地元の子供の合唱という形で歓迎を受けたウェールズ国歌、「ランドオブ・マイファーザー」は今夜も場内の多くのファンが声を合わせた。
「神よ、アフリカに祝福を・南アフリカの呼び声」も同様で、それは美しい光景だった。
国にかかわらず皆が声を合わせ、会場に響き渡る国歌、これはこのW杯で日本がホストとして成し遂げた成果かもしれない。
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いよいよ試合開始、前半、南アフリカのキックオフは、蹴り返されて自分たちに戻ったボールをいきなりハイパントし、そのキックが展開を予想させるものとなった。
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開始早々、ウェールズがボールを持てば南アが力任せに抱え上げて立往生を食らわせ、南アボールの密集になればウェールズのLOアラン・ウィン・ジョーンズが地上戦でボールを引っこ抜いて攻守交代。
双方フィジカルで一歩も引かず、硬いディフェンスのうえ、どちらも攻撃の展開にも複雑なオプションがない。
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簡単に突破できないのでキックに活路を見出し、2分に1回はどちらかがハイパントをあげてはスクラム、という展開のなか、その流れで南アが獲得したマイボールスクラムに組み勝って2度のペナルティーゴールを獲得。
しかし、ウェールズもランから進入してやり返し、これまたペナルティゴールを獲得する。
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異様に回数が増え、序盤の鍵を握る事になったハイパントは、横浜国際総合競技場上空に強い風が吹いているためボールの行方が安定しない。
徐々にランに切り替える南アだが、地上戦では度々攻守の交代を食らわされ、ウェールズがジワジワと前進してくる。
後退の原因は起点となる地上の密集戦を制圧しきれないことだ。
30分を過ぎ、南アにとって息苦しいような時間帯になっていく。
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強みを見つけて流れをつかみかけたウェールズだが、やはり神様はしつこいようで、35分、突進してくる南ア・フェルミューレンにいった単純なタックルでPRトマス・フランシスが肩を痛め、その直後にWTBジョージ・ノースがハムストリングに悲鳴をあげて交代、ここにきて負傷者が相次いでしまう。
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キック合戦でゲームが動かないまま40分が過ぎ、6-3のスコアで前半は終了したが、ウェールズはまたも襲ってきたこの試練を乗り越え、後半の40分を自分たちのものにすることができるだろうか。
そして大方有利とみなされながらも赤い壁に阻まれウェールズを引き離すことができなかった南アは、流れを引き寄せるプランを立てられるだろうか。
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ウェールズのキックオフから始まった後半も、火を吹くようなフィジカルのぶつかり合いとなり、小柄なデクラークもエキサイトして自分よりはるか大柄な選手に摑みかかる。
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そのデクラークのミスに乗じた敵陣でのセットプレーから、ウェールズはペナルティーゴールを得て9-9。
スコアは振り出しに戻り、試合は点数の上でも一進一退の攻防となる。
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ここで南アはゲームを動かすべくマルコム・マークスを投入し、制圧していると言い難いスクラムで優位を作ることも目論む。
南アはこのゲームでまだ相対的な強みを見つけられていなかったのだ。
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すると53分、そのテコ入れしたスクラムで組み勝ち、続くセットプレーでCTBデアリエンティが膠着を破るトライ!
ついに南アは均衡したゲームに決定的な差を生み出す事に成功した。
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しかし、まだ試合は終わらない、今度は地上戦でボールを引っ抜いたウェールズがペナルティーキックで南アインゴール間際まで前進。
21フェイズに及ぶ力押しでペナルティを得て、なんと選択は先ほど組み負けたスクラム。
位置的に中央なので有利とはいえ、明らかにスクラムは南ア有利なのに、相手の強みであってもぶつかっていって勝負の流れを引き寄せにかかる。
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64分、ここからの必殺のセットプレーでWTBジョッシュ・アダムズがインゴールに飛び込みトライ!
コンバージョンも決めて16-16。
お互いの限界を試すような勝負、これでその行方は全く分からなくなった。
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ゲームは終盤、1ゴールを争うような展開のなか、ドロップゴールをチラつかせながらFWでフェイズを重ね前進するウェールズ。
攻める方も守る方も我慢比べ、70分を過ぎてどちらのフィジカルとメンタルが破綻するかという場面だ。
しかし、ここで南アが機械の歯車に噛むようなジャッカルで決定的な攻守交代!
勝ちを大きく引き寄せるペナルティーゴール得て、スコアを19-16とする。
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だがウェールズは何度もこんな場面で勝ちを手繰り寄せてきた。
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終了間際の78分、自陣深くから一瞬の勝機にかけるウェールズボールのラインアウト、しかし弧を描いたボールは南アLOモスタートの長い手に触れた。
ボールは南アのものとなり、最後のスクラムに組み勝った南アが息詰まるシーソーゲームを制した。
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相手の強みを徹底的に封じ込めたニュージーランド×イングランド戦と打って変わって、お互いの強みを正面からぶつけ合い、見ているもの心と身体を熱くさせるような展開となったこの試合。
他球技に比べ実力が結果に反映されやすいとはいえ、プランがはまって相手を翻弄できれば一方的に封殺もできるラグビーにあって、今夜は最後まで勝敗の行方が分からず、どちらが勝ってもおかしくはなかった。
ただ、連戦で積み上げた身体的負担、気候、その他フィールドのプレーよりも大きな数々のファクターが命運となって一戦を左右した。
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タイトロープを歩きながらここまで勝ち上がって、南アフリカを追い詰めたウェールズはこれで3位決定戦に回るが、今夜の敗戦を笑うものはいないだろう。
彼らは胸を張って1週間後に備えるのがふさわしい。
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そして、頂への三度目の挑戦権を得た南アフリカ。
許せん。
目当てはボンバーガールという、ボンバーマンで育った世代が目を覆い「こんなのボンバーマンじゃない!」と言いながら股間をもっこりさせてしまうゲームをするためだ。
ボンバーガールは、ボンバーマンとMOBAを組み合わせて全く新しいゲームなんだけど、MOBAなので4つのロールがある。
まずはボンバーマンおなじみにボマー。ボムの扱いに長けたロールで、正統派ヒロインと藤崎詩織が所属する。
次にアタッカー。無敵時間をうまくつかって相手の攻撃を避けたりするのでソルジャー、忍者、シスターがいる。
そして問題のブロッカー。相手の進路を邪魔し、小悪魔的に翻弄するのでボムガキが所属する。
今日はこのボムガキが実装されるので1万円を握ってゲーセンにきたわけだ。
でも新キャラクターの実装日だからかボンバーガールには列ができていた。
やっぱみんなボムガキ好きなんだな。おっぱいちゃんシューターのパステル実装はそんなでもなかったのに。
前で座ってるやつが新キャラクター出したりするのを横目に見ながら、18時着、24時の営業終了までで6,000円分まで粘ったが出なかった。
やっぱガチャって糞だわ。
https://anond.hatelabo.jp/20191021220820
ラグビー始めて今年で33年。ラグビー歴はほぼほぼRWCの歴史と一緒。
ラグビー増田がホッテントリに入るなんて全く想像していなかった、インターネット老人会の増田、です。
レビューずっと拝見していました。
当然、日本代表を応援していたわけですが、個人的に縁があるフィジーとフランスも強く推していました。
アップセット最右翼のフィジーにはウェールズを食ってもらおう、と期待していましたが、逆にウルグアイに金星献上し、寂しい戦績で終了。結果はともかく、濡れた石鹸、とまで言われたボールを上手に扱う、彼らの「魔法」は随所に見られたし、もっと見たかったものです。
一報、フランスは前評判を覆して、準々決勝まで行ってくれたので、準決勝進出を期待していましたが、残念。
でも、フランスは、
・個々人が好きなように走って好きなようにボールを動かす。
・チームワークってなんだっけ。
・80分が長すぎて、途中で飽きちゃう。
・思い通りにならないと、やんちゃな行動にでる。
という点も含めて…。
大会を去った贔屓が今後どのようにチームを作ってくるか(あるいは作れずに実力を落としているか)を見守っていくのも楽しみです。
フランスのジャック・ブリュネルもご老体。日本代表は相変わらず、マネジメントがゴタゴタ、とHC人事がすっきりしなさそうですが、そんなを観測していくのも含めて。
そういえば、フランスのかつての決勝進出チームは、「最大の敵であるHC」を倒すためにキャプテン以下団結していたものです。
上のフランス代表の欠点は、「Anglo-SaxonのHCをよぶ」という最終手段で全て解決しそうですが、それはありえないでしょうねぇ。
贔屓はさりましたが、次の4年間がもう始まっています。
問題点を3つに絞ろうか
いやーまあ確かに最初はおおすげえ!!こっからストーリーが大きく動くのか!ってなりましたよ。
でもその世界と現代がいまいち繋がってないっていうかね、やっぱこういうのは似てないようで似てるとか、あっちの世界で起きたことがそういえば現代でこんな影響を!とかいうのがないとね。
ただ単に2つステージがありますよってだけじゃあ、世界が薄っぺらく引き伸ばされてるだけですよ。
それじゃ駄目。
大いなる流れみたいのがあってそれに逆らえないんだ―って話なのかも知れないけどね。
でもそれならそれで巨大な流れに翻弄される感じを出してほしかったな。
セーブ&ロードが出来る特別な存在ではあるけど、でもまあ結局は既定路線に乗って世界を回すだけの歯車なんでっていうのはありきたりだなーって。
当時はね、画期的だったのかもね。
未来の情報と不思議な石を持ち帰って過去で知識無双するだけなんですよね。
たとえば、シュタゲでアキバがオタクの街じゃなくなってしまうシーンみたいなね、過去を変えたことで未来が大きく変わってしまう事のアハ体験を見せてほしかったんだよなあ。
そうだね、時間が戻せたら色々先回りできるね、で? それをこういう見せ方されてもいまいち面白くないんすけど。
結局この作品の何が問題かって、折角の時間遡行っていうギミックが単なる未来視程度に過ぎないことなんですよ。
時間と空間を移動できる状況でやってるのが占い師から未来が見える水晶貰った程度でも同じこと出来るレベルなんですよね。
時間旅行してるだけで当時は画期的だったんだぞって言うかも知れないですけど、その時代にもドラえもんとかあったわけですよ。
時間遡行という最高のカードを主人公に握らせておいて、この程度っすかっていう感想がどうしても出ちゃいますねえ。
「総当りADVにセーブ&ロードで今までにないプレイ感を生み出したのが凄いんだからアニメを見ただけの奴が文句言うな」
そうね。
そのとおりね。
ごめんなさいね。
古参ブクマコメンテーターがこぞってこんな奴はすぐに降ろせ的な発言してる。ハッキングの妙でピンホールをここまで拡大させた事は大きく、識者から一目置かれているのは間違いないが積極的に絡むメリットも無く、心情を吐露したところで今は損するだけ、見て見ぬ振りをしているが現状だろう。それを読めない庶民は、馬鹿なのか天才なのか分からない飄々とした動きで人々を翻弄させる話題作りに事欠かない玉石混合のヤバい政党として捉え恐怖や嫌悪を抱くものが多い。しかし彼らは今後も勢力を拡大しシステムアプデをやり遂げると思われる。これを本気で阻止する事は日本の発展を害する愚者の行いに等しい、くれぐれも惑わされずに経過を見守りたい。
今日もまたジャニーズの話になってしまって、無言でお茶を飲んでいた
ああこの人たちがジャニーズの話なんかしなきゃいいのに、と思うが
他人が思い通りにならないことに苛立ちを感じることは、一体何歳になれば卒業できるのか
(この歳までダメだったのだ。生涯このままの可能性の方がが高い)
悲しいことに未だ苛立ちという感情を封殺することが出来ないので、せめて隠し通そうと2人が話している間私は疲れたふりをして無言でいたのだ。(本当のところ拗ねていただけだ)
コントローラブルからは程遠い人生に翻弄され、他人が思い通りにならないことを赤ん坊のように苛立っている自分にも、この無力な人生にもうんざりするし
ただなんの意味もない気がする
きっともっと人間に近い人間に生まれられれば、こんな風に自分から一歩引かずに「どうして私が興味ないってわかってるのにジャニーズの話するの!💢」とか言って不機嫌になれてたかもしれない
そうすれば優しい友人のことだから、私に気を使って別の話題に移ってくれただろう
結局のところ、言うべきことを言わないことで人生が思い通りにいかないのだ
しかし、他人が思い通りに動かないことには苛立つが、思い通りにしたいとは思わないし
幼稚な事を言えば、後から幼稚な発言をした自分にも嫌気がさすことは目に見えている
他者と関わる事で自分を感じるとは言うが、この臆病で陰険で幼稚な人間性を感じたくないから、人付き合いは嫌いだ
人間自体は好きなのだ。話すのは好きだ。人肌も好きだ。副次的に発生する自己の認知が嫌いだ。それは特に、自分と他者が違えば違うほどはっきりと感じられる。
ああなぜ私は私なのだろう。友人すら他者と呼ぶほど他人との距離が遠い。人に心を開かない。パーソナルスペースは広くとりたい。近づいてこないでほしい。肉親の葬式でも泣かなかった。泣くべきだったのに。大事なのだが、大事分の執着がもてない。他人に興味がもてない。そして一応アスペではないのだが、軽度にその傾向が入っているのは確かで、興味のあるフリすらできない。
人は色々なものに執着していられるので羨ましい。好きなものがたくさんあったら幸せだろう。どうして好きでいられないのだろう。その辺のオスを運命の相手だと信じ込んでヒロインになれる動物的に正しい人生があってもいいじゃないか。
羨ましい。他人のことが好きで、興味を持てて、人間と常に過ごすのが苦でなく、同族と群れを作り生きる人々が。
一方で彼らのようになりたいとも思わず、彼らを嫌い嫌悪している自分もいる。
人とは仲良くしたいが、距離を置きたい。でも都合がいい時はそばにいてほしいと思うのだから傲慢だ。自分自身の傲慢さを許容できればよかったのだが、残念なことに健全な精神の育成に失敗した半生のせいで理想には程遠い自分を許すことができない。こんな傲慢な自分を人に見せるわけにはいかないので、他人とは取り繕えるだけの短期間しか会いたくない。
自己の中で色々なことが相反し、それを処理しきれない。処理しないまま傍若無人に生きている人もいて、そうなりたい気持ちと、別にどうでもいいような気持ちと、ああはならないようにしなくてはという強迫観念から逃げきれずにいる。
それはジャニーズを好きになりたい気持ちと(人間の女に迎合したい)、別にどうでもいいような気持ちと(生来興味がないのだと思う)、あんな馬鹿っぽい奴らを(と母がいつも言っていた)奴らを好きになってはいけないのだという観念によく似ていると思う。
どうなってはいけないか、どうしたらダメか、といつも考えるのだが、肝心の自分が「どうしたいか」ということはよくわからない、というかあまりその欲求がない
どうにもなりたくない。
苦しまなければそれで良いのだが、幸せを勝ち取ろうとしない限り+1どころかマイナスに陥るのが人生だろう。(下方婚増田系の増田はその辺を理解していないのではないかと思う)
人生が0に近づければそれでいいのに、漸近線で永遠に0には近づかない。プラスを望む人間は少なくともマイナスにはいないように見える。
生きていくのはよくわからない。あと10分生きること、あと10年生きること、何が違うのだろう。終いには全てなくなる。自分が死ぬことを私は観測できない。よくわからない。この溺れ続けるような人生の意味が。
上へ、水面へと、もがかなければ沈み続ける。
しかし、どれだけもがき続けようと最終的には沈む。早く沈んだほうが楽ではないか。
しかし、それは間違った考えで、世の中というのは皆が正しいということの方が大抵正しい。私だって昔は多くの間違った考えを持ち、それを正しいと信じていたいたが、成長するにつれて自分の間違いのほうが圧倒的に多いと気づいた。
つまりこの死生観は間違いである。少なくとも、幸せな人生を送るためにはニヒリズムを捨て去る必要がある。
だが、ニヒリズムとの付き合いは遡ること幼稚園の頃からのことであり、エラーのように生まれてくるニヒリストの1人が私であった不幸はもう取り返しがつかない。
意味がない人生に、「意味を見出すことが幸せである」と信じながら、見出せずに生きていくのだろう。
世の中に馴染みたい。だがそれにもなんの意味もない気がする。このような思考こそが全く意味がないことであり、今は明治時代のように人生の意味など考えている暇があったらタピオカの列に並ぶのが正義である時代だ。ああつまらない。人など皆死ねばいい。
せめてこの世に絶望することぐらいは否定しない世だったらよかった。しかし、嘆きは文句と取られつべこべ言わずに幸せになるなり死ぬならしろというのが今の世だ。
黒板の上に学級目標の「ポジティブに」の文字に押し潰されそうな気持ちでいた頃から何も変わっていない。
ただ私だけ禅問答のドツボにはまり人生を嘆いている間に、人は実態の幸せを手に入れたり捨てたりしているのだ。取り残されていくように思うが、初めから私は同じところにいなかったようにも思う。
俺はずっとマンガ「キングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。
地元、都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムのフォーマットはそれだ。
だからオリキャラ、史実キャラ問わず量産型なやばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。
と言うわけで自分の中で整理はついた。
それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代の英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。
いやー、項燕は強敵でしたね…。
この3つだ。
この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。
そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。
そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。
それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ的文法から脱することも容易だ。
ヤンキーマンガを揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。
さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物が存在することも非常に大きい。
原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。
後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治の問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶」であることもポイントだ。
そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃん陽ちゃんである。
特に信は様々な事件で後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。
そして、政治や戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。
ベルセルクのバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダムの宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外どもの共演が魅力だ。
そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から表舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。
テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。
キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しかも人格は高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源は結構いい意味)、知名度もエピソード的にも隙がない。
理想のためには己の手を汚す、歴史に汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中編ラスボス。
ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。
荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。
闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。
荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。
また、結局のところ最後の最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高と荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。
主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリームの世界なので面白くないわけがない。
クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国の重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白いものになる。
政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい。
最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交を見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。
賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場で対峙するギャップもいい。
テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場でストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。
そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。
秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点(商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。
領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験が戦場でも生かされることになるだろう。
なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。
ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。
また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。
信は王子にどうかかわるのか。
そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。
蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。
この政治編のサブ主人公は蒙恬と言える。李斯、趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。
個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。
むしろ扶蘇は女の子でもいいぞ。女の子だから継承者から廃された、とかね。
蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。
宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。
そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。
誰が至強か!?
誰が至強か!?
汗 明 !
大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダムの戦場である。
宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人のステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。
ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。
ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。
それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。
上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。
ラスボスは当然のごとく項燕。
カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。
後の覇王・項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。
というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。
蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。
そして、歴史系作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味。
ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。
それは、
でOKだ!
楚は国土がでかい。長江もある。ゆえに他国からあまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。
なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。
ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利の布石とする!
みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。
そうならば、「泥臭い役もこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。
王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。
で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかいう若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。
「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。
そんな内情を、何となく兵士たちは察したとき、キングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である。
歴史を見ると、李信の一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。
李信の子孫である飛将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死
その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。
しかし一族は決して衰退することなく繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。
つまり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。
その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。
李白が始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーンは李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。
結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。
最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である。
そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。
そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。
李信の大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。
それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。
王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。
キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。
かなり難しい気はする。
まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。
焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教の経典。
これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思は統一しなければならない。
そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教の経典については、はっきり言って法治国家に儒教は邪魔なので、致し方ないといえる。
なんせ、儒教は「徳のある君主が統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。
その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。
あくまでも実利、実学、法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。
あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代に中華思想が完成するわけで。
まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。
そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師・張良だ。
なんとこの張良、史書にデビューしたのは始皇帝の暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリームな暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中に軍学を学び、史上最高の軍師が誕生するわけだが、
割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。
むしろ張良が始皇帝を暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。
後は妖術師徐福だな!
格はだいぶ落ちるが!
まぁいいか!
余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。
俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。
何もかもを思うままに手に入れたいわけでも豪遊したいわけでもなく
一億総中流の時代、おじさんが子供だった頃はきっとそれが当たり前だった。
その上で親や教師が私に求めたものは高学歴とそれによって得られるはずの、上流での安定だった。
生育環境にいた大人たちの甘い幻想はぶっ壊れて、彼らの幻想に翻弄された少年は偏屈なおじさんになってしまった。
食うに困るほどではないが缶コーヒーをひとつ買うのに若干躊躇する。
エナジードリンクと酒に依存しながら、100g98円の鶏モモに躊躇する。調理する時間などないからだ。
彼女はいたりいなかったりするが、結婚したいとは思わなかったし思わない。
さっさと安楽死したい。
ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。
新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写が薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。
だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写が薄っぺらい」という批判を新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚な人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?
まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。
『秒速5センチメートル』も同じ。主人公(遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木に電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公(遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?
「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」
ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……
未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。
意味不明自己満SF『雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写は書道半紙なみの薄さです。
『言の葉の庭』も、ストーリーや人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生がいじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?
まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由で批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?
というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリーや人物描写の説得力とかには期待したらダメ。リアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島」から家出をして「東京」にフェリーでくるわけですが、家出の理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。
じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。
第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジックな「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタルな自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」
で、そこから「新海誠=童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしかに新海誠は自意識過剰の中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞が自意識過剰の中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかりである。童貞に対して失礼である。石田衣良には猛省を促したい。
さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したことは無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論の根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。
『君の名は。』には、カタルシス(浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石」である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。
少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大な時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体、隕石の恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命そのもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである。伊藤は言う。
観客は人智をはるかに超えたティアマト彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である。
この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石が地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである。彗星は隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。』である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇の古典的なパターンであり、「悲劇」の快楽そのものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。
要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである。隕石は、人間の視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇》である。ニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身が運命に翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命そのものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己の意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己の意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである。
震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実の震災を美的に昇華してしまうのが『君の名は。』である。『君の名は。』は過去にタイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベルで震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である。
こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。
だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。
──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます。
遺伝子関連の技術や治療は今も日進月歩で進んでおり、100年もすれば物事はだいぶ様変わりしていると思われる。直近では、ips細胞による移植、ガン治療、アルツハイマー治療が出来ればだいぶ話は変わってくるよね。あとは「老化」という現象に関する知見が深まったらいいよな。過激な論者なら、そういう技術の発展は、結果的に人間を不老不死にするとまで言う。
バイオ関連技術は、食料関係の窮状も救うかもしれない。実は地球の面積では、今の全人類が先進国並みの生活をするだけの食料生産にできない。しかし過去、化学肥料の開発が単位面積当たりの収穫量を大きくあげたという実績があり、これからのバイオ技術はそれをもう一度起こすかもしれない。
あと代替石油を見つけ出すのもここらへんに期待されている。もはや原子力に頼れない以上、その辺は必須だ。
実用化すればムーアの法則をぶっちぎってちょうはやいこんぴゅーたーが出来る。
その速さたるや、今使ってる暗号通信が全て素で解読できるほどなので、ネット世界が荒廃するのとも危惧されたが、量子コンピュータでも大丈夫な新方式の暗号は開発できたらしいので、単にちょうはやいこんぴゅーたーの恩恵だけを受けられそうである。
コンピューターがちょうはやくなると何ができるか? これは単に、いま複雑すぎて出来ないことが出来るようになる。AI関連の話が一般向けにはわかりやすいが、最も大きいのは、先のバイオ関連と絡んだ話。今は1年待ちの予約とかで使ってる国家級コンピュータが全研究室に置かれたらどうなるか。もちろん研究結果がすぐ出る。世界の全てが加速することになる。
農産物を今よりたくさん作るなら、水が今より必要になる。既に灌漑のしすぎでアラル海が消えるとか言っているが、同じことが他のところでも起きるかもしれない。そうなれば、20世紀のような石油とか商圏とかではなく、水を巡る戦争が起きるのでは?という危惧がある。
しかも戦争は変わっていくだろう。既にドローンが爆弾落としてきてヤバイ、みたいな話はあるけれど、似たような自動化は進むだろう。ww2以後やベトナムを踏まえた今の戦争反対の機運は、「自国の兵士があまりに死にすぎた」ことの反省から盛り上がったところがあったが、兵士が自動化された状態で我々はまだ戦争反対とか言ってられるのだろうか? 昨今のポリコレ情勢もあって、左翼的価値観は人気を失いつつあることもあって、これは危惧しといた方がいいと思う。
・経済学の発展?
我々の日常生活がどうなるかは、結局は経済にかかっている。もしも政府がちゃんと経済をコントロールして、バブルも恐慌も不況も操作できるなら、我々はずっと豊かになる。
絵空事なようだが、どこかで実現というか、ラインを超える日は来るはずだ。いまいち一般に何をやっているか理解されにくいし、政治利権に翻弄されがちなせいで信頼されないと見られがちな経済学だが、実はここ50年ですごく長足の進歩を遂げている分野だ。今の理論なら、70年代の大恐慌はもう防げるだろうし、バブル崩壊やサブプライムローン関連のコントロールだって今なら出来るかも。
もし経済をコントロールする理論が順調に進歩するなら、我々はついに平和すら手にするかもしれない。テロも戦争も結局は貧乏が起こしている。経済学にこそ、暴力を撲滅するための役割が期待される。
・たぶん起こらないこと
宇宙に住むとかいうことはない。どうあがいても地球の重力を振り切るコストは高くなるし、工夫でどうにかなるとは思えない。割にあわない。金持ちの道楽に終わる。
「ネットにある怪文書の9割は内実そんなもんだよ。結果、真実に近かったとしても、それは賽の目を当てただけ」
それを知った途端、目に映る『Mの告白』の文章が上滑りしていくようだった。
俺はもう、これをマトモに読むことは出来ない。
「ただの愚痴でこんな……」
「各論を切り取って考える分には、真っ当な箇所もあるからね。頷きやすい部分が少しでもあると、リテラシーの低い人間は当てられやすい」
まさに俺じゃないか。
何とも言えない恥ずかしさが込み上げてくる。
騙されたとまではいかないけど、ほとんど騙されたようなもんだ。
俺は「騙された方が悪い」ってのを、大した理屈だとは思ってない。
だけど、騙されたことによる恥ずかしさは否定しようがなかった。
「ああ、ちくしょう、俺はこんなのを、なんで本気に……」
恥をかかせた人間が、どこの誰かも分からないから余計に虚しい。
「ま、まあ、そこまで気落ちする必要もないよ。『Mの告白』はエモーショナルでセンセーショナルだ。情緒的で関心を引く要素が強いと、リテラシーは分が悪い」
落ち込みっぷりがよっぽどだったのか、タイナイが特有の言葉選びで慰めてくる。
理屈はイマイチ分からなかったけど、俺みたいな奴ってことだけは伝わった。
「……確かに、俺だけリテラシーがないってわけじゃない。多くの人が、嘘か本当かを見分けられてないんだ」
俺は、そう自分に言い聞かせるように答えた。
すると、タイナイはまた妙なことを言いだす。
「僕が思うに、リテラシーで大事なのは“嘘か本当かを見分ける”ことよりも、“嘘か本当か分からない場合の対応”だよ。その点で、“リテラシーがある”といえる人間は少ない」
そもそもリテラシーって言葉自体、まだ俺はちゃんと理解できてないんだ。
「え? どういう意味?」
「いや、もういい。お腹いっぱい」
「それにしても……」
改めて思う。
「……結局“M”は何者なんだろう」
「さあね。だけど“M”が賢明な人間ならば、少なくとも名乗り出るようなことは絶対しないだろうね」
「なんで?」
曖昧な表現ばかり使うタイナイが、『絶対』という強い言葉を使うのは珍しかった。
「“M”について快く思わない者は多い。大半は有象無象だけど、中には報復してやろうと血眼になっている人もいるようだ」
「報復……」
「殺害予告とかも、よく見るね」
「そこまで!?」
俺も“M”に対してはちょっと怒ってるけど、殺してやろうとまで思ってる奴がいるのか。
「あることないこと、個人のフィルターにかけて語られるわけだからね。立場や性格次第では、たまったもんじゃないだろう」
なんてこった。
なぜかタイナイはのほほんと言っているが、これは大事件の前ぶりだ。
もし迂闊に“M”が正体をバラしたら……そいつらに殺されるかもしれないってことだろ。
何とかして未然に防がないと。
「伝えるって、どうやって……」
もちろんアテはある。
だけどそれを説明している暇はない。
俺はすぐさま部屋を飛び出した。
「それに、ネットがきっかけで起きた事件もあるにはあるけど、怪文書と同じで殺害予告も鵜呑みにし過ぎるのは……ああ、行っちゃった」
スリムクラブも他で反社会的人物相手に闇営業していたとかニュースになっていますが、
これからのお話はそれじゃなくてその前の宮迫さんとかが活動停止になった騒動のことです。
反社会的組織相手の闇営業が騒動の原因ですが、それ以上に金銭は受け取っていませんよ。というウソをついたことが問題視されています。
最終的には金銭授受があったことが発覚し活動停止処分となりました。
最初から認めていたとしても活動停止処分だったかもしれませんし、いまとなってはわかりませんが、少なくとも国民感情は違っていたものになっていたはず。
知らなかったなら仕方ないよね。的な意見ももっともっと多かったはずです。
ウソをついて、しかもそれが発覚してしまうという最悪のパターンとなった今回は、国民のみなさんがかなり厳しい目を向けています。
知らなかったのもウソだろ!そんな風に思っている方も多くいらっしゃるようです。
そりゃそうです。
平気でウソをついたわけですから、知っていたかどうかの部分でもウソをついているかも……そう考える人がいても不思議ではありません。
登場人物は主にこの3種。
・会社
・上司
・部下
ウソをつくにいたるパターンも幾つかあると思うので書き出してみます。
反社会的企業への闇営業が発覚し会社が関係者を集め事実確認を行ないます。
金銭の授受はなかった方向でいこう!と会社が提案し、上司・部下一同はそれに従います。
会社に発覚し事情聴取をされる前に、上司が部下に口裏を合わせるよう指示を出します。
金銭の授受はなかった方向でいこう!と上司が部下に提案し、部下はそれに従います。
会社は口裏を合わせた報告を聞いただけで、真偽の程はわかっていませんでした。
特に示し合わせたわけではないけど、上司の発言などを聞いた部下がそれに合わせて何となくウソをついたパターン。
どれが真実かは知りませんけど、大きく分けてこの3つだと思うんです。
部下発信は?という意見をお持ちになる方もいらっしゃると思いますが、自分に置き換えて考えてみたら部下発信はあまり現実的ではないような気がするんですよね。
今回の上司は大物。
その大物達がもらっていないと言っている中、部下が自分だけ金銭の授受はありましたとは言えない気がします。
本音は「知らなかったんだからそこは正直に言ってもいいでしょ!」と思っていたとしても……言えますか?難しいと思うんです。
オオゴトになった場合にダメージが一番大きいのは大物である上司の方ですからね。
会社主導の場合だったとしても、大物である上司を守る方向に全力を注ぐでしょう。
皮肉なことにウソをついたことでより大きなダメージをこうむることになってしまったわけですけども。
もし、もしですよ。
もし本当はウソなんてつきたくなかった。
正直に言いたかった。
と心底思っていた部下がいたとしたら……。
もしそんな風に自分の意見を言えず翻弄されたまま現在のような状況になってしまった部下がいたとしたら……。
震えます。一般の会社組織だって似たような状況はありえますから。
なので、なるべくこう思うようにしています。
上司も部下もみんなが、
「隠し通すぜ!へへっ。」
と思っていたはずだ。と。
そう思うようにしています。