はてなキーワード: 翻弄とは
最近の舞城は「ほっこりディスコミュニケーションホラー」(もちろん面白い)も書いている
斗比主さんがIDINVADED(以外イド)を見たと知り、そういえばここ最近の舞城は「ほっこり」的な設定、掲示板に書かれる家庭内トラブルみたいなのをテーマにしがちだよなあと思いそれらの小説を紹介。
イド見てる舞城好きは当然ディスコとか九十九十九、闇の中で子供とか好き好き大好き〜を推すと思うが、それらは既に10年以上前の作品。
最近の内容はシンプルで濃縮され、(さらに)読みやすいという親切?仕様。
そしてその中に「平凡な家族のディスコミュニケーションなトラブルを書くホラーっぽい小説」があり、それが本当に面白い。
人は死なないし超展開は一切起こらず、じわじわ気持ち悪い噛み合わぬ会話、他人事に出来ない平凡な悪意と恐怖と祈りがあって、つまりやっぱり舞城。
最近と言いつつ10年前に書かれていた。個人的に『鼻クソご飯』に匹敵する衝撃。
幼い子供のいる現実的な家庭で、本当に現実的な辛いことが起こる。
でもその悲劇の凡庸さが刺さりすぎる。この先の自分に起こる悲劇の一例としてリアルすぎる…。
そして散りばめられた主張しすぎない、ナチュラルなほっこり加減!完成度が高い!
●『淵の王』(2015年)
「家族」要素は低めだが、やばい人間関係トラブルに「ロミオメール」というワード(めっきり聞かなくなったスラング)まで出てきて、なんとも小町的なネタに、主人公3人は正しさで立ち向かう。
結構ストレートなホラーで残酷だが(あ、これは人が死ぬ)わりと後味は爽やか系のもちろん傑作!悟堂もいいけど果歩が素敵だ!
娘を持つ母として、もう本当に怖すぎる。ゴリゴリ削られる会話達。
主人公母娘達の言葉や感情をどう受け入れるか迷ってる間に「家族」のヤバさをさらっと見せつけられ翻弄され、でも行き着く単純さにはやっぱり人への肯定がある気がする。
はい素晴らしい!
●『畏れ入谷の彼女の柘榴』(短編『群像』2019年11月号)
夫婦間の気分悪くなるほど噛み合わない会話の緊張から、怒涛の説教モード、しかしその説教臭さを吹き飛ばす最後の祈りが響く。
あああ、あああああああ、こういう小説を、たくさん読めますように。
しかし最近の猛烈な濃さの話を読んでると、『スクールアタック・シンドローム』なんか可愛いというかちょろく感じます(めっちゃいい話だけど)
あと『ビッチマグネット』、これたぶんタイトルのイメージと内容全然違って順当な少女の成長物語、めちゃくちゃ名作。ちゃんとほっこり要素入り。
それとid:yunastrさんご紹介ありがとうございました。
ゼロ年代の亡霊兼舞城王太郎のガチオタです。(でも最近の『裏山の凄い猿』も『勇気は風になる。』も読んでいない。単行本未収録が多すぎる…)
そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞のキャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ「世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。
そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢の友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。
結果、最高。
本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまったことで生まれる葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せな時間はうたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。
それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃ歌うまいの?????? 私と同じ生き物ではない。
すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める。
しかも、現在進行形でこのコロナ騒動で翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。
まず一つ目。
現在私の学校は集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校の映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。
一日中パソコンで映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!
しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史を勉強する日々……。
「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字を勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。
読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)
文字と戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。
「みほとせの部隊が竹千代を保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康が征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城の造成と郷帳、国絵図の作成)」
とか、
「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」
とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。
個人的に、榎本武揚の五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これからの日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これからの日本に役立ててほしい」となんと敵方である新幕府軍の黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルであんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。
黒田清隆、死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。
しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭を戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。
話が脱線した。
でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう。大学受験はどうなるかわかんないし、志望校に受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史を勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。
ならいいや!!
二つ目。
運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭も夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達の引退ライブもたぶんできない。
つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。
でも!!
ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。
そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業の俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。
もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。
私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。
のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか。
主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか、
そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。
受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています。
最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。
どう味わえと。
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
首相官邸のWEBサイトのご意見募集のフォームでは、氏名や電話番号、メールアドレスなどの個人情報を書かなくてもご意見を送ることが出来る。
もちろん、それがどう扱われているかはわからない。実際には、個人情報などがない場合はメッセージを送れたように見せてなにも送れてないのかもしれない。私ならそうする。
ただ、最近送った意見が反映されたように感じる経験があった。そんなこと表立って話すと「なに言ってんだこいつ…」と虫けらを見るような目で見られると思うのでここで書いておく。
初めは緊急自体宣言がなかなか出ずあと一週間位緊急事態宣言を出すための準備をしてから…みたいな状況だった時、新型インフルエンザ等特別措置法における緊急事態宣言の根幹は各都道府県知事にその地域に応じた自粛要請などに関する法的根拠を与えるものであり、現時点で根拠なく自粛要請が乱発されている状況を許容すれば歯止めが効かなくなるし、地域差が大きくなっている現状で国が中心で対策を進めるのは合理的じゃないのですぐにでも緊急事態宣言を出すべきだという意見を送った。翌日、一足飛びで緊急事態宣言が出た。
次は生活補償について収入半減の貧困家庭に1世帯30万という話が出た時、ここで補償を行う目的は国民が自粛を行いやすくすることであり、薄くしてでも少しでも広くの人に迅速に届けるべきで今の内容だと基準が厳しすぎるという内容を送ったら、その数日後一律一人10万円の話が出てきた。(未だに支給されてないけど)
三つ目は昨日、緊急事態宣言の延長するかどうかの判断はギリギリまで検討するみたいな話に対し、一般企業は半月から1ヶ月程度先のシフトを調整しながら業務を行っている。その変更となれば多くの労力や時間や資源が無駄になり混乱が起きる。現時点でもすでに遅く被害は出るのは必死だがこれがギリギリになればもっともっと被害は大きくなるから、すぐにでも延長するかしないかの判断を出すべきだという意見を送ったら、今朝一ヶ月程度の延長で検討する様な話が出た。
ただ、併せて緊急事態宣言解除or延長の条件を明示すべきだとも書いたけどそれに対する反応は今のところ無い。
もちろんこれは全てたまたまタイミングの問題で、私自身世の中のニュースなどに翻弄され影響を受ける人間なので、なんとなくそれっぽい方向に向かっているのを感じ、その方向の意見を送信したのが、政府に向け多くのメッセージが送られそれを受けた政府が準備を進めていたものを表に出したタイミング的に合っていただけ…なのはわかっている。匿名の一個人の意見がそんなに簡単に反映されるわけがないし、反映されるようじゃむしろ怖い。
でも、こういう経験があると、なんというか気持ちがいい。全能感と言ってもいいものを感じる。
色々な問題に対し、積極的にご意見箱に送ろうかという気分になる。
そうしたご意見の中には、今回のように送信時期とたまたま政府が準備していた答えが出て来るタイミングや方向が合致する時もあるだろう。
そうするとどうなるだろうか。
うまく合致した時の気持ちよさは、合致しなかった時の失望より強力で印象に残りやすいので、「割と高い確率で意見が汲み取られている」様な気になるだろうと思う。
そうすると今度は、できるだけ合致しそうな結論を無意識に模索するようになるんじゃないだろうか。
自分で考えて出した自分の意見ではなく、ニュースや色々な人の情報などで暗に提示されている政府と合致しそうな方向性、観測気球的な発言とその反動から見える正解になりそうな意見。
つまり、自分から現政府のとりそうな意見へすり寄ってしまうのではないかと危惧する。すり寄らないまでもそれを許容するだろう。それはきっと気持ちがいいと思うから。
というわけで、今後もなにかの折にはご意見を送ろうとは思うけど、その時には、広く色々な意見を見て自分なりにきちんと考え、それがちゃんと反映された意見になっているか(政府の方針に合致しそうな所を無意識に目指していないか)を、今まで以上に警戒しようと思う。
安倍政権の功績というと経済政策ばかりが取り上げられるが、マスコミや隣国の攻撃に対してきっちりと反論することを始めたのも大きな功績の一つだと思う。
今日の会見における朝日のマスクブーメランなど顕著だが、マスコミは自分が一方的に攻撃できる立場だと勘違いして、これまであまりにも好き勝手に言いたい放題であり、それを放っておいたらどんな結果になるかは、麻生・中川経済最強内閣がマスコミの攻撃で潰され、それ以降日本が長い期間、経済の低迷に翻弄されたということを思い出すべきだ。
厚労省がツイッターで即座にマスコミのフェイクニュースを正したのも記憶に新しいが、これも安倍政権の良い影響ではないかと思われる。国民も徐々に気づき始めた今、マスコミや隣国はこれまでの手法がいつまでも通用すると思わないほうがいいだろう。
3日目:朝はしらすのりチーズトースト+コーヒー/昼はご飯&のり+豆腐とわかめの味噌汁/夜は昼の残り+目玉焼き(目玉焼きすら面倒なので、一度に2~3個分ぐらいを焼いている)
外食をしないだけで、ご飯の消費量がハイペース(本人比)。昨日米櫃がカラになり、買い出しに行ってきた。
ジムへ行っていたので玄米生活だったけど、さすがに辛いので白米やらもち米やらがブレンドしたものに替える。白米が美味しくて泣ける。
味噌汁の味噌は手作りでダシは市販のアゴだしの素。前に福井かどっかで買ってきたけど化学調味料感がなくていい感じだ。
せいぜいワードやPDFで事足りるので大したスペックの必要な作業ではないし、在宅勤務で久々にPCを開いたというわけでもないのに
PCの古さが仇となり、なんども再起動を繰り返す。上司からの添付ファイルが開けない。
上司がPC関連に詳しいのをいいことに、開けませんのでとメールやLINEでやりとり。
役員に日報を送ったときに(それすらワードが固まった)その辺を述べたつもりが社内ネットワークの問題だと勘違いされたっぽい。
読み終わるのに半月くらいかかった…。母子家庭育ちとして徐倫に感情移入してしまったせいか自分は5部よりも面白いと思った。私だったらアナスイみたいな強くて超イケメンで一途な男に言い寄られたら死ぬほど嬉しい。徐倫うらやましい。しかもあの承太郎が父親で自分のことを愛してくれてるんだぜ。それにしても6部の承太郎があまりに弱すぎて悲しかった。。。でもプッチ神父が憎いかというとそうでもない。彼も運命に翻弄された一人にすぎないと思う。ところであの神父もちょっとエロいっていうか色気ハンパない。記憶を取り戻す前のウェザーも色気があるし、荒木飛呂彦漫画のイケメンはみんな色っぽい。
今のところ4部〜6部しか読んでないけどナンバーワンは4部だな。次は1〜3部を読んで次に7〜8部を読みたい。でも完結してない8部を読んだらイライラしそう。
中国人は面接しないと公言しただけで(東大内部での被害者はいないのに)解雇なら、被害者がいて隠蔽しようとしたこの教授も解雇じゃないの?バランスおかしくない?
東京大学は、大学院教授(男性・50歳代)に対し、1月29日付けで、停職4月の懲戒処分を行った。
教授は、2年以上にわたり、指導する本学大学院学生に対して恋愛感情を示し続け、当該学生が教授との交際を望んでいないことを十分に認識しながらなお、執拗に交際を申し込み、交際を拒まれるたびに、研究に関する予定を変更したり、不機嫌になったりするなど当該学生を翻弄し、結果的に研究が続けられなくなるほど精神的に追い詰めた。さらに、意に反する身体接触も行った。
大学によりますと、この男性教授は指導する女性の大学院生に2年以上にわたって交際を迫ったり、体を触るなどの性的な嫌がらせをしたりしたということです。
(教授は)「そういった事実はない」と否定したということですが、交際を迫る内容のSNS上の記録が残っていたことなどから、事実を認めて停職4か月の懲戒処分にしました。
この大学院生は、精神的に追い込まれ研究を続けられなくなったということです。
が、相手役は東出昌大でよかったのだろうか、演技が大根だと感じた。これはいったいどうなんだろうか、とずっと頭の上に??を浮かべながら見ていた。
杏はさすがの演技とキラキラした存在感、原田泰造の全開の泰造っぷり、儲け役をマンキンで見せてくれた和田正人、役どころを掴んだ財前直見、宮崎美子への開眼(あんな性の悪い演技するなんてもう!好き!)、キムラ緑子の手練れに翻弄される、吉行和子のぬか床ナレーション。
そして何よりも、近藤正臣の存在感あるダメオヤジぶり、ほれぼれするような古い大阪弁と貫禄の演技。
毎週のテーマのごはんの美味しそうさ、食べるシーンのうつくしさ、高畑充希の瑞々しさと歌唱力への驚き、関西制作回ならではの茂山逸平を堪能など、話始めるときりがない良さだったのだが、西門悠太郎役は東出でよかったのか、と思いながら見ていた。
役どころには合っていたと思う。「家」と「妻」と「己」との間に宙づりになり、カチカチに硬く、あまり人生を上手くやれない男。やりたいことも能力もあるのに上手く回せずひたすら不遇を生きる男、狂言回しでもある主人公の妻に引っ張られて自分の人生や家ともやがて融和していく、気の毒で不器用で愛おしい男。
東出昌大は、大根役者なのか。初めて演技を見たのが「ゆうたろうさん」だったので、役どころと合っていたのだろうと思う、あー大根だ、と一刀両断にはしなかった。不器用無骨演技をしてるのかなと思ってたのだが、他の演技や映画を見ても落語ディーパーなどでの素のしゃべりを見てもあんな感じなので、演技じゃなくて素でやってたかアレ、まぁ役者って役どころでもあるからそれはそれで、サイコパス役とかストーカー役とかドはまりしてたし、そういう役者になればいいよ、と納得させていたのだ。そしたらリアルもサイコパス寄りだったんかなーという気持ちになってきた、不倫騒動の件で。
そもそも、杏が、双子が生まれた次の年にまた子供産んだ時にこつんと小さく引っかかっていた。双子ちゃん産んですぐ年子って杏ちゃんの体とか子育てとか…金持ちだから金で解決できることも多かろうが、金では解決できない母体の健康とか行き届かなさとか大丈夫…と心配し、でもまぁ女優さんは育児休暇期間をまとめた方が仕事復帰しやすいだろうし、夫婦で決めたことなわけでと思っていた。
んだけど、東出昌大は、双子が産まれてやっと離乳食で何とかなるかなぁという乳児育児真っ最中に次の子を仕込んでて、更にその最中にも平行して不倫を続けてたってことになる。相手の女優も不倫匂わせインスタ疑惑があるメンヘラタイプだ…不倫相手を見る目も無い。相当クレイジーでサイコパスというか…セックス依存か何かなのかなとすら邪推が捗る。へっぽこ系サイコパス。
自分の能力に著しい凸凹があることは、幼い頃から気づいてきた。
親が「みんなそんなものよ」と言うものだから、みんなそうなのだと信じて生きてきた。
物心ついた頃から知能は高かった。しかし勉強という行為は地獄のように退屈だった。
なぜこの教師は1時間も使って足し算を説明しなければならないのか、なぜ周囲はこの程度も理解できていないのか、そして既に理解できている自分がなぜ1時間も退屈に付き合ってやらないといけないのか、ひたすらに理不尽だった。
教室を飛び出したい衝動に常に駆られていたが、飛び出せば落伍者扱いされることは解っていた。だから我慢した。
授業を聞いている振りをして空想に耽ることだけが、唯一の自由だった。
「持たざる者は、持つ者を妬む」と、親がよく口にしていた。
同級生よりも【持っている】と気づいてしまった事柄は、片っ端から隠し倒して、持っていないふりをした。
持たざる者の苦しみを想像し、「私も…」と同調し、仲間としての承認を得てきた。
運動能力や感覚過敏など極度の身体的欠陥と、そしていくつかの規律性の欠如、それらに私は救われた。
「勉強以外は欠陥だらけ」とレッテルを貼られることで、嫉妬のターゲットを回避する絶好のポジションを、コミュニティ内で獲得できた。
とにかく周囲を観察し、人に好かれる態度と嫌われる態度を学習し、目立たず騒がず当たり障りのない人物を演じ続けてきた。
それでも「人並み以下の努力で、人並み以上の成績を維持していること」に気づき、妬み、攻撃してくる者はいた。
この頃から人付き合いに疲れだした。自分と似た性質を持つ者が、およそ存在しないことを悟りはじめた。
人に打ち明ければすぐさま嫌われる類の悩みばかりが増幅した。
外面的な交友は虚しく、内面的な孤独は深まり、学校生活はさらに退屈になった。
学歴なんて何の役にも立たないと言い張る世間の大人たちと、難関大に受からなければ人扱いしない教師たちの顔色を伺いながら、適当に受験し、就職し、いよいよ三十になった。
会社でも学校でも、凸凹を隠して「普通の人」として生きるために必死で擬態を続けてきた。
擬態に疲れ、精神を病んで辿り着いた自助グループでは、いかに正直に凸凹をさらけ出しても「普通の人」と敬遠された。「あなたは大丈夫だから」と、励ます口調で突き放された。
どこまでいっても異端扱い。
鬱病でも、人格障害でも、社会不安障害でも、発達障害でも、HSPでも、ギフテッドでも、なんでもいい。
どの看板を下げても被差別階級になることは解っている。もうどれでもいい。
対策を示せ。
これ以上待たせるな。
これ以上翻弄するな。
原因がはっきりわかっていないのも、正しく診られる専門家が国内に少ないのも、学術データが揃っていないのも、誤診が起こりうるのも、すべて私のせいではない。
どこまでが普通なのか、障害と呼ぶべきなのかの議論なんて今はどうでもいい。
ただ私が困っている。それが真実ではないのか。
この記事は上場当日に自分が社内ブログに投稿した記事を編集したものである。
なぜそれをこうして公開する気になったかと言うと、もしかしたらこれからIPOを経験する人の参考になるかもしれない、というのは理由のひとつだ。
もっと大きな別の理由は、この記事には自分が以前に勤めていた会社のことが書いてあるのだが、昨日の忘年会で会った当時の同僚たちに読ませたところ「懐かしすぎてもだえ死ぬ」という好評価をいただいたので、もう少し広く仲間内で盛り上がるためである。
そして何より、年末の休暇にすることもなく暇だった。
中学受験体験記 https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
内容的には今回の記事とは何の関連もないのだが、匿名とはいえ単一の人格として認知されたいと思ったので書かせてもらった。
では、以下投稿本文。
本日めでたく東証に上場した。このタイミングで皆に話をしないといけないと以前から勝手に思っていたことがあるので、長文だが昔話に付き合って欲しい。
勤めている会社がIPOするというのは、自分にとっては二度目の経験である。
最初にIPOを経験したのは、大学を卒業して新卒で入社した会社だった。
4月1日、入社式が終わるとオリエンテーションが始まる。しかしそのオリエンテーションで、なぜか銀行の人が前に出て話し始める。
「皆さんはとても運がいい。御社はIPOを目指している。皆さんには持株会を通じて未公開株式を取得するチャンスがあります。30万円を支払えば持株会に入会できます。お金がなくても心配はいりません。我々の銀行がお貸ししましょう!」
入社早々、新入社員に借金を背負わす会社があるか?むちゃくちゃ怪しくないか?もしかしてヤバい会社に入ってしまった?
しかし未公開株という言葉は魅惑的だった。ちょっと前まで世間を騒がせていたリクルート事件のニュースでよく聞いていた。が、聞いたことがあるだけで、実のところそれが何を意味するのかを理解していた人間はほとんどいなかったはずだ。
結局、同期のほとんど(全員?)は30万円を支払って持株会に入会した。自分も含め、ローンを借りた者も多かった。
また、毎月の給与からの天引きで持株会に拠出する制度もあり、自分は毎月1万円に設定した。
入社して半年ほど経ったある日、全社員に「持株会に追加拠出できます」というアナウンスがあった。1口 30万円、最大3口まで追加拠出できるということだった。
ローンを借りると翌月から返済が始まるので、たぶんその負担を考慮したのだろう、自分は2口 60万円を追加で借りることにした。
入社2年目の冬のことだった。IPOが決まった!というニュースが流れた。
この頃までに累積で110万円くらいを拠出していたはずだが、公開価格で計算すると5倍!
20世紀末、日本経済はITバブルに沸いていた。そんな中、その会社の株も「有望」とみなされ、株価は上昇を続けていった。
当時はインサイダー規制も緩くて、みんな比較的自由に自社株を売ることができていた。周囲からは景気の良い話が次から次へと聞こえてくる。豪邸を建てたとかフェラーリを買ったとか。
同期で集まって酒を飲んだりすると、株や金の話になる。
「みんなで金出し合ってマンション建てようぜ」
「無人島とか買ったら楽しくない?」
億万長者が最も多くいる会社として、週刊誌の記事で取り上げられたりもした。
株価は上昇の一途。3日くらい連続でストップ高が続く時期もあった。自分の持株の含み益も1億円くらいになっていた。
でも周囲には5億、10億の人がざらにいたし、全然特別感はなかった。
この頃は狂っていた。株価が下がるのが怖くて株を売るやつはいない。逆に、自分が売った後にさらに株価が上がるのが怖くて売れないのだ。
「あいつは仕事もしないで株価チェックばかりしている」と言われる人が少なからずいた。
オフィスの自席の電話から大声で証券会社に売り注文を出す人間もいた。(当時、インターネットでの売買は現在ほどは普及していなかった。)
一方で、持てる者と持たざる者との分断も発生した。
IPO後に入社した人は、株をほとんど持っていない。周囲で自分には関係のない浮かれ話をされて面白いわけがない。しかも仕事をしないのである。
なにせ、ストップ高ともなれば、含み益が1日で数100万円増加、3日も続けば自分の年収を大きく超える金額になるのだ。何のために働いているのか分からなくなる。
冷静に考えれば、自分は1億円に値する働きをしていない。しかし当時の自分は「こういう会社を選んだのも自分の才能」と、完全に思い上がっていた。
世の中ちょろいと思っていた。自分には才能があるから、金なんかいくらでも稼げると思っていた。
株価が頂点近くのときに、試しに10分の1だけ売ってみた。数日後に銀行口座に950万円が振り込まれた。その金は1ヶ月半でなくなった。
追加の資金調達がきっかけだった。ついに株価の急落が始まった。連日のストップ安。
しかしそんなことはなかった。数ヶ月後には株価は半分以下、2年で数10分の1になった。
結局、数年後に残った株を処分したのだが、数100万円にしかならなかった。
しかし意外と悔しくはなかった。
結局、あの1億は自分の実力ではなく単に運が良かっただけなのだと思い直したし、出資した金額に比べればはるかに大きな利益を手にはしてたし、20代のうちに特異な経験をすることができたのだ。
自分の知り合いの事例をいくつか紹介しておく。
ある人は「これからは毎日サーフィンと株価チェックして過ごす」と言って辞めていった。そのうち自宅でデイトレードを始めたが、今は普通にサラリーマンをしている。
ある人は株を売って得た大金を、ソフトバンクや光通信など、他の流行りの株に投じ、結局手元には何も残らなかった。
ある人はフィリピンパブのお姉ちゃんと仲良くなり、家族を捨ててフィリピンに移住していった。
ある人は滝のある豪邸を建てた。高級車も買った。きれいな奥さんと結婚した。六本木での夜遊びは続けた。離婚して財産をほとんど持っていかれた。
ある人は息子たちがいい年になってもろくに働きもせず、親の金で夢を追いかけ続けた。
別にこの人たち皆が不幸せになったわけではない。そもそも消息を知らない人もいるし。
が、もしこういう人生を望んでいないのなら、過去事例を知っておいて損はないだろう。
入社6年目の終わりに会社を辞め、大企業に転職したものの、物足りなくなって1年半で再度転職した。
値下がりしきった株を処分するなどして作った1000万円を、自社のシードラウンドに投じた。
その会社は30億円以上を調達したものの最終的には立ち行かなくなって、現在ではゾンビ企業と化している。今でもその株式を持っているが、何の価値もない。
次に、今では超有望ユニコーン企業となっているスタートアップ企業に転職した。
しかしここでは満足のいく成果を出すことができなかったし、ストックオプションもなかったし、そもそも当時は全然成長路線ではなかったので、ここでは夢を見られないと思い辞めた。
スタートアップ2社で消耗しきったので小休止が必要だった。それでいったん大企業に転職した。
しかし数年働いているうちにまた元気が戻ってきた。もう一度スタートアップの世界で勝負したい。
そしてこの会社にやって来た。
あのITバブルから20年、「次こそは」とスタートアップに身を投じてから15年、ようやくここまでたどり着いた。
熱狂と失望の後、その会社は本当につまらない会社になってしまった。
多くの人間が株に狂って会社を辞めていったし、上がらない株価を見ながら「あの頃は良かった」と昔の思い出に浸るやつ、持てる者と持たざる者の間に生まれたしこりも残った。
別にそれが主因ではないだろうけど、業績も悪化して早期退職を募集することにもなった。
自分は、この会社にはそんなことにはなって欲しくないと願っている。
この記事を書いているのはそのためだし、これを読んだ人にとって何かしら考えるきっかけとなってくれたらうれしい。
もちろん今はITバブルのときとは状況が違うから、同じように狂う人間が大量発生するとは思えないけど、それでも自制心は必要だと思う。
せっかくなのでいくつかアドバイスしておく。
「上場初日に読めてよかった」「背筋が伸びた」「何度も読み直した」などなど、うれしいコメントももらった。
その後、この記事の効果かどうかは分からないが、幸いなことに社内に浮かれた雰囲気は全くなく、株価の話をする人間もほとんどいない。入社以来、勝手に感じていた使命を果たすことができたような気がしてほっとしている。
ここに公開するにあたり、オリジナル版にあった固有名詞や株価の推移を示すチャートなどを削除しているので、文章からいくらか臨場感が失われているかもしれない。しかしもしこの記事がこれからIPOを経験するかもしれないどこかの誰かの役に立つのなら、望外の喜びだ。
なお、15年かけて再びIPOを経験できたのだからさぞや嬉しかろう、と思う人もいるだろう。
実のところ、嬉しさよりも社会的責任の重さに身が引き締まる思いのほうが強い。格好つけているわけではなく本当に。
ストックオプションを行使できるようになるのはまだしばらく先だし、その頃に株価がどうなっているかなんて分かりやしない。事件・事故を起こすことなく、しっかりと業績を上げていくこと以外にできることはないのだ。
俺も大人になったもんだ。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
先日からFANZA(旧DMM.R18)で『催眠』と検索しても一作もヒットしなくなった。
どうやら作品名から『催眠』という単語が一括置換され、なおかつカテゴリとしても削除するという改修が行われたようだ。
DLsiteでも似たような改修が行われており、警察の指導なのかオリンピックへ向けた配慮なのかはわからないがとにかくエロゲや同人誌の販売プラットフォームで倫理規程の大幅改定が行われたようだ。
エロの概念なんて知る前の幼い頃に子供向けのバラエティ番組で催眠術師に翻弄されて自分の名前を思い出せなくなる女性タレントのお姉さんの姿にやたらドキドキしていたのをやたら覚えているし、ドラゴンボールGTでビーデルが敵に洗脳され娘を裏切る回は理由もわからず何度も何度も繰り返し見た。
今考えるとゲイの人が生まれ持って男の人を好きだったみたいに、自分も生まれ持って催眠術が好きだったんだと思う。
世の中に催眠術フェチシズムなんて概念があると知ったのは自分のPCを買ってもらった後だった。
初めて遊んだエロゲはBLACKRAINBOWの催眠学園だった。
クラスの嫌われ者の主人公村越進太が催眠導入機を手に入れてクラスのマドンナや生意気な女子を手にかけていく様は凄まじいほど興奮した。
前半は「ドラえもんの道具を手に入れたらどうする?」みたいなリアルで生々しい男の妄想をそのまま描き、後半は企画者のAVのような笑えるほどシュールなシチュエーションを描くその作品を遊んでから俺は催眠術に更にハマっていった。
社会人になってからは学術的にも催眠術を勉強し、催眠とつく商業作品はほとんど手を出すようになった。
女にもモテずとりわけ友達と呼べる存在もいなかった自分にとって催眠エロゲの新作を遊ぶことは唯一の生きがいですらあった。
最近は『催眠』とタイトルにつく作品がやたら多くなったと思う。
これはぶっちゃけ他ジャンルの規制や締め付けが厳しくなったからその隠れ蓑やエロ方向に展開を転がす便利アイテムとして催眠術が利用されて発展したような経緯もあったりから、ガチもんの催眠フェチのコミュニティで受け入れられるような作品は割と少なかったりするが、最近は愛上陸みたいな超画力の人も参戦してきて、ようやく本格的に盛り上がりだしたなという段階だった。
検索上ここまで露骨に迫害されるということは売上にも大きく関わってくる、商売でやっている人達は方向転換を余儀なくされるのだろう。
露骨な陵辱物が倫理規定改定でエロゲ市場から姿を消したように、催眠というジャンルも市場からひっそり姿を消していくのだろう。
どこかが裏で糸を引いているとしたらもう既にソフ倫あたりにも働きかけているのかもしれない。
愛上陸の催眠性指導シリーズの新作も、催眠学園を作り上げたNATORI烏賊氏の新作も、ファンタジーとしての催眠術のみだけではなくリアリティも追求したおくとぱす氏の新作も、もう自分は遊ぶことができないのだろう。
ゲイの人は生まれ持って男が好きで、彼らは『正しさ』によってパートナーと愛し合うことを認められた。
俺のよう生まれ持って催眠術が好きなだけな惨めで哀れでモテない男はたかが絵を見ながらオナニーする権利すら『正しさ』によって奪われる。
こんなに簡単に1つのジャンルが潰されるのかと心底悲しいと思った。
ひっそり使う人のオナネタにケチつける奴なんて政治家だろうとフェミニストだろうと米国だろうとオリンピックだろうとみんなくたばっちまえ。
恥を知れDMM。ふぁっきゅー正しさ。
こんな世の中でいいのか?俺は絶対に嫌だぞ。
藪をつついて蛇を出す展開は教訓的で日本の社会秩序を構成する大切な要素だとおもう。死んだ人にはまことに気の毒ではあるが、この一件以来多くの方が襟を正しているのを見て、私たちはきっと死ぬまでハゲックスのことを忘れないだろうなとおもう。命を失うと二度と回復できないという大原則を思い出すきっかけになった。こうして定期的に話題に上れば、災厄を忘れることがない。毎年ハゲックス祭で弔っていきたい。低能先生が罪を償ったあと、本人が希望するなら社会復帰に協力したい。2万円分くらいなら協力してもいい。狂気が社会装置なら、人生を翻弄された低能先生の苦悩が偲ばれる。しかしまだ価値がある。私は品行方正に生きていきたい。そのための威力がまだある。