2021-11-25

日本語の原郷」について、補足説明

「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます

言語学でわからないところを他の学問補正するのはアリ?

そもそも言語学では分かりようがないところを考古学遺伝学の視点から補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…

こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学遺伝学の成果から言語については何もわからない、ということを強調しておきます

極端な例を挙げると、100年前にアメリカ移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島出身なのだから英語起源日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?

古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このとき言語も広まったんだと思われる」みたいな)。

ニュースになるのは仕方ない

と言うことで、こんな与太話、なんで毎日新聞記事にしたの?と周りの研究者が頭をかけている、と言う話なのかしら。

様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説エビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。

いやー、Natureマックスプランク研究所研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……

正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版からオックスフォードトランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族実在は学界の定説になってるって勘違いちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニア言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。

なおその『ガイドブック』には辛辣書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃん韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、

We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)

なんて書かれてます。怖ぁ~……おしっこちびっちゃう……

大野晋トンデモです

大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語起源という点については完全にトンデモです

タミル語はドラヴィダ語族というインド南部語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語起源タミル語である」という主張をしていますしかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈おかしい」「サンスクリット語から借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。

大野語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」から借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定接頭辞、そしてmaraの語根mr英語murderやmortalとも関連しています(つまり印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源単語ではない)(山下 1996: 204–205)。

八丈語系統位置について

日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識から当然か…。

五十嵐2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます

で、従来説における八丈語位置づけですが、正確には、上代東国語の唯一の生き残りが八丈語というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語同化された)ため、現代では八丈語日本語対立するひとつの語派を形作っているということです。

系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語現代日本語

        │

        ├─ 上代東国語→絶滅

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代にのみ注目するとこうなります

日本語派 ─┬─ 本土日本語

      │

       ├─八丈語

それに対して、五十嵐2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代関東東北地方方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語関西の諸方言

        │

        ├─ 上代東国語→関東東北の諸方言

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。

要するに、「東国語は滅んだ(=東国話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国話者中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか。

味噌」の語源朝鮮語

日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。

実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉朝鮮語から借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。

いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京木簡みえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?

なお、該当箇所に、

...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...

とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミス範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……

やはり女王は強かった

マイルCSグランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。

「この分野は素人なのですが」

本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?

参考文献

記事への反応 -
  • >少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい。 言語学の面から考慮すると、トランスユーラシア大語族を証明するには弱いというのは否定できない。 そもそも3500年前の文字し...

    • 元増田です。解説ありがとう。 しかし本論文は言語学だけではなく、分子生物学と考古学の視点からも考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。 2010年代以降の考古遺伝学...

      • 歴史言語学についてはまったくの素人だけど、最近話題になった「日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 | 毎日新聞」(はてブ)っていう記事の元になったロ...

        • 「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたい...

        • ソシュールぐらい読めよ

        • anond:20211121124146   結論がうさんくさいという話はよくわかる なんでこんなになってしまったのかというと、Robbeetsさんがこの論文で言わんとしている論点についてあんまり説明してくれ...

          • ワイの意見 ■トランスユーラシア祖語に疑義がある⇒分かる ■日本語の原郷は日本列島ではない⇒2010年代以降では、もはや定説では ■日本語の原郷が遼河流域⇒遺伝学と考古学の2つ...

            • ■トランスユーラシア祖語に疑義がある⇒分かる →分かる   ■日本語の原郷は日本列島ではない⇒2010年代以降では、もはや定説では →もはや誰も証明できないのでは…  言語の原郷...

          • 脚注記法ははてブロでは使えるけど増田では使えへんで

          • ここの部分、違和感があるんだけど ここはMainの章の2,3段落目にはっきり書いてあることを訳しただけなんだが トランスユーラシア祖語(あるいはアルタイ祖語)と呼ばれている奴が4000...

            • トランスユーラシア祖語あるよ派の中では通説やが そもそもトランスユーラシア祖語あるよ派自体が学問の世界では海外でも日本でも有力でないという事や

              • 節子それ通説ではない せいぜい「トランスユーラシア語族有るよ派の中では共通見解」くらいの立ち位置や いや、俺の知ってる学問は法学だから、法学と言語学で通説って言葉の用法が...

            • 元増田だけどちょっと言葉足らずだったんで補強する    Robbeetsさんが通説扱いしている「4000年前の遊牧民が喋っていたという説」が  最低でも日本国内では有力な説として流布され...

              • ご丁寧に説明ありがとうございます。 通説として扱っているということは、その内容はある程度所与の前提として扱っていて、論証は不十分ということでしょうか。 そして、そこも稚拙...

        • こんなところで一方的にけちをつけてないで作者に質問して聞いてみればいいのでは? 素人が思いつく疑問ぐらい考慮しているだろうし。 意見を交換しあって真理を追求すればいいのに...

        • この話題が気になってツイッターで検索したら専門っぽい人らの反応は「言ってること結局アルタイ語族では」「自説を補強するためだけの主張」みたいなのだったので、まあそうなん...

        • 「俺らは『印欧』で一括りなのに中国人如きが別々なのはおかしいだろ、おかしいから正しいことを証明する」ってよくあるノリか

        • 言語学徒として特に非の打ちどころのない研究なんだが? 自分の政治的偏り・民族的差別意識を自覚した方がいいんだが? 言語学徒として特に非の打ちどころのない研究なので、こ...

          • 21世紀にもなってアルタイ語族2.0に疑わしい目を向けない言語学徒はん、さぞご立派な大学で学ばれたんやろなぁ。果敢に学界の定説に挑んでいく勇敢なお姿、見習いたいですわぁ。

        • 歴史言語学についてはまったくの素人だけど はい、解散。 素人の「オレ理論」なんて読む価値無し。

        • 先行研究のハプロY染色体グループとかのもガン無視だし あれだと日本人の源境は三星堆文明の担い手かガンジス川流域に求めることになりそうだし

          • Y染色体の比較は10年くらい前に流行ったんだけど、あれは常染色体を比較する手法の乏しかった時代に流行った手法だ Y染色体は父系、ミトコンドリア染色体は母系の一方の系譜しか辿れ...

            • あんちゃん、はてなぶっくまーかーにもわかるように100もじでまとめてくれへん はてなみん、ながいすれっどよめへんのや

              • むかしにほんじんの40%はじょうもんじんだっていわれてたけどそれはおとうさんしかみてません おかあさんがたいりくからいっぱいきました

        • 言語学的に怪しいという筆者の論点には完全に同意するけど、 言語学好きに多い左翼思想が記述の端々に表れててキモいなあ 何であの辺のクラスタってああもアカいんだろうか

          • 自分はあまり感じなかったけど、どこらへんがアカいと感じたの?

            • ヒント:極右には全てが左に、全てが赤に見える

            • 右翼的な思想と歴史・言語学は相性悪いんだよ、どうしても国家神道やら国民国家やらなんやらと矛盾するものが出てくるから。 別にこれに限った話じゃなくて最近なら百田尚樹の「...

      • 元増田です。解説ありがとう。 しかし本論文は言語学だけではなく、分子生物学と考古学の視点からも考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。 2010年代以降の考古遺伝学...

        • しかし日本語の起源について、肯定にせよ否定にせよ、答えを出すのは言語学では不可能だと思っています。 これはある程度同意します。比較言語学で遡るのが可能なのはせいぜい数...

          • ありがとうございます。増田でまともなやり取りをできたのは100年に1回あるかないかのような気がする 夜遅いので、最後に自分の考えを箇条書きでまとめておきます トランスユー...

            • いえ、こちらも大変興味深いやり取りでした。以下に返答をしておきますが、夜遅いですので、後日ゆっくりお読みいただければけっこうです。 トランスユーラシア語族は? あ...

              • いわゆるアルタイ諸語の類似が言語連合によるものであるという可能性は「アルタイ語族」よりもありえそうだと思う(根拠は山勘) 分子生物学と考古学は、言語の系統についてい...

              • なぜなら、遺伝子にもモノにも言語は刻まれていないからである(文字が書かれた遺物が見つかったら言語学の出番だ) 分子生物学的知見によって日琉祖語が再構できたり、そこまで...

                • やっぱこうなん? 天孫族「汚物は消毒だ~!!ヒャッハーーー!!!!!」 海人族「怜喧縺代ヱ繧ソ繝シ繝ウ讖溯�繝サ遐皮ゥカ」

      • よって、トランスユーラシア語族が成立するか否は別の問題として(成立するとしても言語連合と思っています)、先日琉語族の原郷が遼河流域になるという主張はかなり信ぴょう性が高...

      • そこについては別に意見は対立してないので、私に向けて力説される意味がわからないというか……私は既にanond:20211121201022で「言語学的な原郷が遼河流域という説自体は、個人的には...

        • 言語学としてはおかしいというのは理解できますが、この手法はインド・ヨーロッパ祖語の研究でも用いられています。 印欧語族は言語学によって1つの語族であることが立証されてい...

          • まず語族であることを確定させろという話をしているわけです。 これはそのとおりですね。 語族が確定していないのに祖語の故地を探索することはできません。 日琉語族、朝鮮...

      • 話し言葉で文字がなく記録がないなら、他のもので補強するのは仕方ないのでは?

    • ■日本語の原郷は日本列島ではない⇒2010年代以降では、もはや定説では →もはや誰も証明できないのでは…  言語の原郷を推定する手法としては、『馬・車輪・言語』でアンソニー...

      • https://anond.hatelabo.jp/20211110102825 前に書いたののリンクを貼っておく

      • 「現代日本人の遺伝構成が、西遼河流域の青銅器時代人92%と縄文人8%の混成で説明でき、黄河流域からの影響は無視できるほどだ」とする論文が出ている それはどこら辺に書いてるの...

        • https://www.researchgate.net/publication/349510968_Genomic_Insights_into_the_Formation_of_Human_Populations_in_East_Asia こちらから見れます。Wangetal.Nature2021.pdfのp415です

          • ありがとう。全文はとても読み切れなかったんで指示のあった部分だけ読んだんだけど 西遼河流域民は朝鮮を経由して日本に寄与したと書いてあって、通説(遺伝子的には渡来系8割・従...

            • 3000年前の西遼河流域の農耕民はモンゴルやアムール川流域の狩猟採集民と遺伝子を共有していない 彼らはモンゴル語やツングース語を広めた民ではない 概要記載のと...

              • 黄河文明書き間違えたりBCの記述すっとばしたり色々間違えててごめんね… 今までの情報を元に西遼河流域の文明と住民を年代順にまとめるとこうかな   年代 文化 遺伝子 補足 ...

                • 日本人の遺伝子の92%を構成しているのは5000年前に西遼河流域に住んでいた住人とのことで いいえ、この論文には5000年前との記載はないです "West Liao River farmer-related ancestry from the Bronze ...

                  • いいえ、この論文には5000年前との記載はないです いや、「この論文」(Robbeets?Wang?)の話はしてなくて、元増田の "do not carry ancestry characteristic of farmers from the West Liao River region (around 3000 B...

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