2023-01-10

目玉焼きを焼くだけの話

 休日。六畳の寝室。ダブルベッドの上。アラームが鳴っては消して、鳴っては消してを繰り返している妻は、一向に布団から出てくる気配がない。先に起きては負けだと思い寝返りを繰り返していたが、安いカーテン越しに外が明るくなっているのを感じて、ついにはスマホ時間確認する。朝9時前。普段なら職場にいる時間だ。

 溜息と共に起き上がる。負けだ。

目玉焼き食べる?」

 布団の中から聞こえた「うん」は、動物のうなり声に似ていた。

 ダイニングキッチンは冷え切っていた。

 クーラー暖房をつけ、電気ストーブをつける。テレビをつける。祝日の朝。何を見たら良いのか分からず、結局、BSニュースを流す。

 小さなフライパンをコンロに乗せる。ウインナー玉子のパックを冷蔵庫から出す。玉子最後の二個だった。「サイズ不揃い色々玉子」。パックに残った紙切れにはそんな言葉が躍っている。近所の格安スーパーでいつも売っている玉子だった。

玉子、高くなってた」

 最近、妻は買い物へ行く度に、食料品の値上げ報告をしてくる。愚痴なのか、ただの報告なのか、微妙声音で。「うん」とか「そうか」とか言って応えると、学生のころからの付き合いである妻はたいてい、こう続ける。

私たち学生時代は、玉子なんて週に一回100円で売ってたのにね」

 その言葉を聞く度に、とても複雑な気持ちになる。

私たち」の学生時代ではない。「俺」の学生時代で、「貴方」の学生時代だ、と。

 そう思う。そう思うが、言葉にして伝えるには、残酷すぎる気がする。

 フライパンに油をひいて、ウインナーを炒める。次いで、慎重に玉子を割って、フライパンに落とす。

 大学卒業して今年で十年になる。結婚して五年目。未だに、まったくの他人である妻が、隣の布団で寝ていることにドキリとすることがある。

 大学実験終わりに一緒にスーパーに行き、適当食材を買い込み、適当な鍋を作って過ごしていた頃のことが、夢の中の出来事のような気がする。俺も妻も、とても遠くまで来てしまった。しかしそのスーパー玉子が週に一度100円になっていたと妻が言うスーパーで流れていた呼び込み君の音だけは、やけに鮮明に耳に残って離れない。

 玉子を割り入れたフライパンに、大匙2杯の水を入れ、フタをする。フタは透明なので、中身が見える。蒸気が満ちて、透明だった白身があっという間に白濁する。

 トースターパンを焼く。コーヒーを淹れていないことを思い出す。インスタントでいいかと思い直す。テレビでは成人式ニュースが流れている。俺も妻も成人式には出なかった。

 黄身に薄く膜が張った時点で火を止める。これで半熟になる。妻が好きな黒コショウを思いっきり振った。

 妻がいつの間にか起きていた。

おはよう

おはよう

 これが昨日の朝の話。目玉焼きを焼くだけの話。

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