はてなキーワード: 初恋とは
タイトルそのまんま。
恋人のような人は過去何人かいたことがあるけど、最終的に友達みたいになって終わった。全部。
当たり前だ。私が性愛と家族愛と友愛のうち家族愛と友愛しか知らないのだから。
性愛をそれら二つでなんとか繕っているうちにいつも終わりがやってくる。
大学生の頃に私を好きになってくれた人ともやはり結婚しか考えていなかった。
院生の頃も仕事をはじめてからもどの相手とも最初のデートの段階で結婚しか考えていなかった。
正直、それまでのなんやかんやに一切の興味が湧かなかった。
でも根が真面目でかつ博愛主義なので知り合った人には幸せになって欲しいと願っていたから色々頑張った。
恋をしている振りもした。一度も上手くできたことはないのだろうけれど。
恋をしている振りをするために恋愛ハウツー本を読むというあべこべな方法論を採用した。
または情を恋心と勘違いしていたから鬱傾向の強い人と付き合うことも多かった。
そう。
自身に恋愛感情というものが一切ない、ということを受け入れたのはつい最近だ。
はじめての彼女には「俺は初恋ってなかったんだよね」とは言った。そして泣かれた。
けれどそれでもどこか、信じていたのだ。
私は恋をしている、と。
そして情、友愛、そして家族愛を恋心の代用品として使用していたら20代が終わっていた。
迫られたことはある。それでもなぜか手を出さなかった。いや、その時は「なぜか」と思っていた。
今考えてみると当たり前の話だ。性欲がないのだから。
年収 750 万。
東京大学卒。
この情報を使えば婚活すればどうにでもなるのだが、やはりどうにもならない。
恋心も性欲もないのだ。
今、私を好きだと言ってくれている女性がいる。
私はその人と結婚したいと思っている。
でも、恋はしていない。そんな状態の私が彼女をどう誘えばいいのか、それが分からない。
ただそれでもやはり結婚がしたいんだ。
私は人を愛することはできる。
ただその人に対する独占欲が一切なく、その人に入れ込む心情が一切ないだけなんだ。
だから今でも、そう今でも自分がアセクシャルなどとは認めていない部分がどうしてもある。
恋している人を見るとどうしても気持ち悪く感じてしまう自分から目を逸らしながら
せめてホモセクシャルやトランスジェンダーに生まれていれば良かったと何度思ったことか。
自分がそれらではないのか?と疑いひたすら女装をしていた時期もあった。
またはロリータコンプレックスではないかと疑いアイドルを追ってみたりもした。
熟女好きなのではないかと疑い年上にちょっかいを出したりもした。
だから私の知人は、私と主に一緒にいた時期によってどう私の性的指向を把えているかが変わる。
ただそのどれでもなかったのだ。
そしてこの年齢になってやっと受容してしまった。
ただそれでも結婚して、家庭を持ちたい。
グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
恋ってものはしないんだけどさみしくはある
性欲は極めて薄いけどあるはあるしなによりもさみしさがある
でもさみしいのでたまに異性を誘ったりはする
さみしいので告白したりする
それでフラれなかったりフラれたりする
どちらでも別にショックも何もない
フラれたら修復しなきゃなぁとは思う
で最近フラれたので修復をした
我ながら慣れ過ぎだと思う
とは思った
正直同性だろうが異性だろうが二人で飲んでいるときの
LGBT になるような強烈な主張もない
適当にさみしさだけをなぐさめあえる誰かが欲しい
こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。
自分はとある刀剣のゲームが好きなアラサーである。ゲームそのものは元々ブラウザのものであるが、自分のゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターがキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。
さて今年はゲーム開始6周年、そのゲームの存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物だからと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットやキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。
そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元の本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったからゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤーの総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命の出会いがあった。
でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。
自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。
また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。
1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。
自分は、趣味の合う友人達とTwitterのグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターのデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。
でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分がリアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。
さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲームで最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。
周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。
このようなゲーム発のミュージカルや舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。
ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側も感染対策をしっかりして、またライブビューイングや配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかったことだろう、愛を叫びたかったことだろう。
━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである。
書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスやファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイングや映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストのライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分、メンヘラなのか。
……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分の推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家に彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信と男性恐怖症になったので、もう普通の恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃんと自分の子に自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。
もう行け、僕は少し泣く。
……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションはフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。
通勤中イヤホンでランダム再生で近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。
長文乱文失礼しました。
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
友達が彼氏と別れた、という話を聞く。多分、どちらかが相手にうんざりしたり、浮気されたり、飽きたりして別れるんだから、別れた本人としては清々しているんだと思う。でも、単純に「好きだったのに好きじゃなくなる」という事実が辛い。そういうのがよくあることだというのは知っている。知っているし、実感としてその気持ちも分かる。初恋のことをいつまでも引きずってたらその方がよっぽど辛いから、好きじゃなくなる(忘れる)というのは心の平穏を保つために必要なプロセスなんだろう。でもやっぱり悲しい。
こんなことを書くと恋愛に夢みた女の子のように見えるだろう。少なからずそういう要素はある、彼氏がいないまま学生時代を過ごした人間だ。だがそんな私にも彼氏はできた。優しくて大人で、私にとって理想の相手だ。こんなに素敵な人が私の彼氏になるのだから、人生捨てたものではないと思った。すごく浮かれていたし、一緒にいて楽しかったし、これからも一緒にいたいと思った。だが最近、たまにだが、相手にうんざりすることがある。ああ、そういうことをする人なのか、なるほどなと思う。もしかしたらこういうことが積み重なり、冷めて、好きではなくなるのかもな。いよいよ自分の目の前に、「好きだったけど、相手にうんざりして、好きじゃなくなって、別れて清々する」という出来事が起ころうとしている。
でも、自分の身に降りかかってなお、「好きだったのに好きじゃなくなる」ことが悲しい。自分の気持ちの変化が悲しい。初めて好きといわれたり、デートをしたり、相手に触ったり、そういう時の気持ちと、今の冷めそうな気持ちを比べて落ち込む。これ以上切なくなるのは嫌だ。嫌だから、次に彼に会うときは、めいいっぱい好きな気持ちを持って接しよう。相手を大事にして、相手と一緒にいるのが楽しくてしょうがなくて、ずっと一緒いたがっているような、そんな女の子になろう。それでいい、そうしたらきっと彼は、私が何を考えていたかをなんとなく見透かして、言葉にはしないけれども、もう私を悲しくさせるようなことはしない。本当にそういう人なのだ。私の彼氏は優しくて大人だとつくづく思う。やっぱり大好き!
だいぶ前になるが、21卒としての就活を終えた。
意外に就活の顛末を主観で書いた記事が無いなと感じていたので、今の就活こんなんやったで、というのを記録がてら共有したい。
もちろん、量産型(地方)文系大学生とはいえサンプル数1であり、むしろ大いに偏った人間な気もするので、そんなんじゃねーよという突っ込みや質問もたくさんほしい。
この時期自分は『就活はリクルート・マイナビ等の企業群が作り上げた虚構であり、滅ぼすべき邪悪』という思想を持っており、大枠は就活終了まで変わらず過ごすことになる。(就活を理由に4年生の初恋の相手に振られたことが切っ掛けかもしれないが、元から割とこういう思想をしていた)
それでも部活の先輩から「インターンは一応行っといたほうがええで」とのお言葉をいただき、一応就活らしい行動を始めることにする。
インターンは、企業名で検索して出てきた新卒採用ページからそのまま応募するか、リクナビ・マイナビ系のサイトに飛ばされてそこから応募する、という形がほとんど。
少し調べると、都心の学生は意識高く給料が出るようなインターンに参加し半年くらい切磋琢磨しているらしい。だが、田舎の大学生にはそんなこと土台無理なので早々に諦め、部活の合宿の都合も考慮して1day~1週間程度のインターンから見繕うことにした。地方の大学に居るだけで入れなくなる差別主義企業なんてこっちから願い下げじゃボケ、とか思ってたような気がする。
この程度の短いインターンだと優遇もクソもないらしいので、とりあえず交通費・宿泊費が出て、何となく入れたら面白そうだな~という企業に適当に応募。たまたま受かった2、3社に参加することに。
インフラの裏側を探検したり、アナウンサー体験をしたり、所有する不動産のスイートルームを見学したり、どれも会社のお金で見学ツアーみたいなことをさせてもらえてたのしかった(小学生)。同時にGD(グループディスカッション)みたいなことも延々やらされたが、どれも学生からマトモな案出ると思ってなさそうな内容ばかりで、ハナから"積極的に参加してる感"だけ適当に醸し出してたらまあまあ良い評価をもらえた。就活は茶番、という八つ当たりが確信に変わりつつあった。
研究で忙しくなり、現実逃避のためポケモン・あつ森に没頭し就活せず。普通の就活生は冬インターンに参加したり、外資・コンサル・マスコミ(民放)の本選考を受けている時期(らしい)。インターンに行った1社の本選考があり、一応受けるも余裕で落ちた。一か月人と喋っていない状態で面接を受けるのはやめたほうがいい。
3月の就活解禁から一か月以上遅れ、そろそろヤバいかもと重い腰を上げる。先に就活を終え就職した高校時代の友人(現役入学、自分は浪人)にアドバイスを貰い、とにかく数を出してみることに。業界を絞らず、適当に行けたらいいなという企業を片っ端からスプレッドシートに並べ、締め切りが近い順に心を無にしてESを投げまくった。ESの内容は一応部活と研究で頑張ったこと(いわゆるガクチカ)に加え、日経とES投稿サイトを検索して出てきたウケがよさそうなワードを散りばめることで、意識高い感じの文章を生成した(よかったのかはわからない)。書類はなんだかんだ半分くらい通り、その後面接一つ進むごとに半分落ち、また面接、という作業を延々とループさせていた。
印象的だった点は2つ。コロナへの対応と、Webテストの無意味っぷり。
コロナについては、各企業の採用担当者さんたちもかなり手探りだったようで、面接中も何を基準に選べばいいのか戸惑っているような雰囲気さえあった。自分はいわゆる大企業ばかり受けていたため(?)ほぼ全てリモートでの面接となったが、明らかに会社側の通信状況が悪く途切れ途切れのまま面接が終わったり(みん就を覗いたら阿鼻叫喚だった)、逆に3次面接が対面だったのに最終面接が急にリモートに変更になったりと、真剣に就活に向き合っていた人はかなり翻弄されてつらかったんじゃないかなと感じた。
2つ目はコロナと全然関係ないが、Webテスト(SPI-Web,玉手箱,TG-Web,CAB,GABみたいなやつ)がガチでしょうもなかった。これらのテスト、端的に言うと答えが出回っていて、その答えを見ながらポチポチするだけでだいたい切り抜けられるゴミみたいな仕組みになっている。先輩秘伝のexcelシートを貰う、とかならまだ良いほうで、なんか『自称リクルート社員を名乗る人物が売る有料回答集付きnote』みたいな魑魅魍魎が平気で跋扈しており、かつその怪しい有料excelシートで普通に答えられてしまう(らしい)。一応意味があるのは試験会場があるSPIのテストセンターくらい、といった有様。自分は答えは使わなかったが、そういう現状があってもなおこれらのテストが選考に使われ、また不正できないようにテスト制作会社側(リクルートキャリア・日本SHL・ヒューマネージ…etc)が改良するわけでも無い理由は、単にやってる感を出すためのプロダクトでしかないから、もしくは単に人事が無能だから、の二択しかないのではと思っている。
そんなこんなで、最初のほうは惨憺たる有様だった面接も回数を重ねるごとに徐々にマシになっていき、6月ごろに第一志望群に入れていた数社から内定をもらった。どれも一度も対面で面接せず、本社を直接見たことすらない企業で、コロナ渦っぽい就職活動だったな~と一瞬思ったがそんなことはどうでもよく、さっさとやめたかった就活を終えることにした。
インターンのところでも書いたが、就活関連サイトの記事(ワンキャリ・就活会議・外資就活とか)では、そもそも地方にいたら到底無理な行動が平気で求められおり、学生を煽って稼ぐゴミアフィサイトはよ死ね潰れろと思っていた、が、実際就活してみるとまともな企業であればその差はある程度認識してくれていて、むしろ地方ならしゃーない的なお目こぼしを得られることのほうが多かった気がする。逆にその下駄を履かせてもらえないのにアクセスの良さも活かせなかった今年の都心の就活生は大変な思いをしたのかもしれない。
よくわからないブラックっぽい企業から無差別爆撃のようなオファーが届くだけだった。優秀な学生にはいい企業からのオファーがあるのかもしれないが、そういう学生は更に高いレベルの企業を求めて普通に選考に応募してるだろうし、気休めの内定が得られる以外の意味はなさそう。そもそもいい企業ならオファーなんてしなくてもいい学生来るやろ。
就活をやればこの就活垢を作っている人たちの動機もわかるかも、と思っていたが最後まで分からなかった。twitterなんて就職にとってノイズでしかないと思うんだけどそうでもない空間があるんだろうか(実際外銀とかコンサル目指してた人にはまあまあ意味あったらしい)。
ちなみに「NNT」でtwitterやyoutubeを検索すると路頭に迷った就活生の亡骸を閲覧できる。自分がたまたま見かけたのは、何故か公園で小声で歌いながらリクルートスーツ姿で踊っている就活生の動画。その次の面接後の動画では、観覧車の中で自分を責めながら泣いていた。なんもかんもリクルートが悪いんや……。
恋人とは付き合って3年目
割と早めの段階で一緒に暮らし始めたので最近はもうマンネリ化しており、仲の良いきょうだいになりつつある。
私は恋人と同じアーケードゲームをしているのだが、そのゲームつながりの共通の友人が異性も含めて何人かいる。
最近、その中の異性の友人とオタク話になり、そこから発展して初恋のドキドキって何にも負けないほどいいよねーって話をした。
私も日々マンネリ化しており、友人も長く恋人がいないそうでお互いドキドキとは割と遠いところにいるため、ドキドキをまた楽しみたいね、と言い合った。
そこから、ゲーセンで私の恋人も含みちょくちょく顔を合わせ、話をするうちに、なんだかいい感じになってしまって何となく気まずい。
私の気のせいなのだろうことは分かってるのだけど、なんか、なんとなくボディタッチとか増えたし、なんか気まずい。
別にこの後どうなるとかも全くないんだろうけど、その気まずさもちょっと楽しいなと思ってしまったこの恋人への後ろめたさが辛くてここに書いた。
初恋も女の子で、今まで付き合ってきたのは女性だった。男性嫌いとかトラウマがある、とかそんなのはなく、ただ性的指向として女性が好きだった。
女子校だったから、とかは正直関係ないと思う。何故なら私の周りの友だちはみんな学生時代から異性に興味を持っていたから。例えば男性教諭とか、芸能人とか。周りに男子がいない分、彼女たちは楽しそうに彼らの話をしていた。
周囲が彼氏欲しい、とか街コンや婚活の話をする度に、壁を感じていたのは事実だ。しかし興味が無かったし、なぜ皆が異性と付き合いたがるのか全く分からなかった。
でも色恋の話をしている皆はキラキラしていて、純粋に楽しそうに見えた。それゆえノンケになりたい、と思ったが異性に全く興味が出ず、目が行くのは同性ばかり。
ビアンコミュニティで知り合った人と付き合い、別れて、を経験して恋愛って楽しいけど、辛かった。
暫く恋はいいやと思っていた。
そんな私が、異性と付き合ってしまった。
普段の生活で出会い、いい人だなと好感を抱いていた人だった。人間的に素敵な人だった。
付き合ったら幸せになれるかも、報われない恋愛を続けても未来は見えないし、と思った。
悩んで悩んで、結局付き合ってみるという選択をした。付き合う時にカミングアウトはした。
隠しておくのはフェアじゃないと思ったから。
手を繋ぐ時、嬉しかった。
キスしても嫌じゃなかった。
人間としては間違いなく好きだ。
同性とハグやキスするときに感じる嬉しさを、ときめきを、どう触れたらいいのかいいのかという緊張感を、彼には感じない。
けれども異性と付き合うのは楽だな、と思ったことも事実だ。女同士だとお互いの誕生日以外は割り勘だったけど、男女だと出してくれる…これはまあどうでもいいや。一番楽なのは、周りにカップルだと認識されて、街中でも手が繋げること。
同性同士だと難しい壁も、異性だと取り払われる。
それって絶対、私はこのままの方が楽じゃん。
同性を好きになる自分を砂に埋めて、心を偽った方がマジョリティとして、胸張って生きていけるじゃん。
だけどそれって誠実じゃないな。
挿入して欲しいとかそういう感情が湧かず、ひとつになりたいとかいう感情も湧かず、私はベッドの中で彼にしがみついて泣いた。皆ができていることを私はできない、ということが酷く悲しくて、彼にも申し訳なかったけれど、でもどうしようもなかった。
彼は「待つよ」と言ってくれたけれど、私は一生できないと思った。
どうすればいいんだろう。
もう女性を好きになる感情を捨てて、彼と付き合っていれば穏やかな幸せが手に入ると思う。
でも、それは彼にとっては不幸なのかもしれない。
異性を恋愛感情で好きになれない私に割く時間は将来的に無意味になるかもしれないから、彼にとっても、異性愛者の女性と付き合った方がいいに決まっているとは思う。
でも、たとえ恋愛感情じゃなくても、私は純粋に彼という人間が好きなのだ。
だから離れたくないし、一緒にいたいと思う。
その願望を持つ周囲の人を羨ましく思っている。
彼のこれからの人生を考えた時に、別れた方がいい相手、立ち去った方がいい人間だと思う。
付き合う前も、付き合った後も彼は優しかった。
私以外の周りの人にも優しい人だった。
はてな匿名ダイアリーというものの存在自体は割と昔から知っていたが、
時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。
ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。
文章を書くことは苦手で、ここ特有のルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、
色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。
30年前、私は子供だった。
近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。
母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。
A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。
歳が近いこともあり、こちらへ帰省してくる度によく一緒に遊んでいて、幼馴染も含めて全員とても仲がよかった。
こちらにいる間、その3人は知り合いが私たちしかいないのもあってとにかく同じ時間をともに過ごした。
鬼ごっこをしたり、缶蹴りやドロケイをしたり、おしゃべりをしたり、
とにかく何をしても楽しくて今思い返してみても幸せな時間だった。
数年間、そうやって過ごしていくうちにB子を好きになっていった。
もしかしたら年に数回しか会えない環境がそうさせたのかも知れない。
愛だ恋だなんてわかる歳ではなかったが、今振り返ればあれが私の初恋だった。
26年前の正月、いつものように帰省してきた3人と遊んでいるうちに、原因は思い出せないがA太と喧嘩になった。
喧嘩と言っても「お前の母ちゃんでべそ」的な稚拙な言い合いだったが、
A太の味方をしはじめたB子とC美にも矛先を向けた。
初めは稚拙な言い合いだった喧嘩が段々とエスカレートし言葉も荒くなっていった。
何を言ったのかほとんど覚えていないが、別れ際に吐き捨てるように
「○ねばいい」「お前ら○んだらみんな地獄行き」と言ったのだけははっきりと覚えている。
1995年1月17日、その日は私の親類の葬儀で前の日から福岡にいた。
こちらだけの風習なのか知らないけれど、私の親を含む大人たちは交替でロウソクの番をしていたり朝食の準備をしていたらしい。
私はぐっすりと眠っていたが、その大人たちの声で目が覚めた。
ぼんやりとしか覚えていないが「揺れた」というワードが聞こえたことは覚えている。そのまままたすぐ眠りに落ちたけれど。
朝になってテレビを見て映し出される光景に愕然とした。B子たちが住む街だった。
あの当時、今となっては考えられないことだけど死亡者の名前の羅列がテレビで流されていた。
それももしかしたら記憶違いかも知れない。(あるいは新聞?誰かによって何らかの方法でもたらされた情報?わからない)
だけどその羅列の中にB子たち3人とその母親の名前を見つけて震えた記憶がある。どうやら祖母の名もあったらしいが私は知らない。
要するに世帯全員だめだったということだ。
当時死というものへの認識は既に持っていたが、その時は混乱していたのかうまく理解ができなかった。
何もわからずただただとんでもないことが起きたことだけは、自分の体が震えたことで理解できた。
痛かっただろうな、怖かっただろうな、苦しかっただろうな。まず浮かんできたのはそういうものだった。
「大切な人をなくした」とか「愛するあの子をうしなった」とかそういう感情ではなかったが、
ただもう会えないことと最後に言ったあの言葉だけが月日を追うごとに重くなっていった。
最後に会ったとき、最後に言った言葉、やり直せない時間に悔いても悔やみきれない。
子供ながらに言ったこととは言え、なんてひどいことを言ったのだろうと。
あんなに仲良く遊んでいたのに、どうしてよりによってあれが最後なのだと怒りすら沸いた。
あの震災で起きた出来事で、トラウマというほどでもないが、人との別れ際がすごく怖くなった。
大切な人ならなおさら、そうでない人相手にも「さよなら」という言葉がどうしても言えない。
どれだけ喧嘩しても必ず別れ際には仲直りをしたい。仲直りができないままには電話も切ることができない。
「さよなら」という言葉の代わりに必ず「またね」というようになった。
私が高校生ぐらいになった頃から毎年1月17日に、よく一緒に遊んだあの公園へに花をそえに行っている。
本当はお墓に行くべきなのだけれど、さすがに兵庫まで行くわけにもいかないのと、行ったところであてもないので場所がわからない。
その場所に老人向けのグループホームが立ってからも、施設の人に事情を説明してお参りを続けていた。
月日流れて数年前の1月、私が生まれる前から散り散りになっていたという私の父のいとこが興信所やら何やらの調査を経て愛知から訪ねてきた。
数十年ぶりの再会とのことだ。長い長い思い出話の後にお墓参りがしたいということで、近くのお寺の納骨堂へ一緒に行くことになった。
納骨堂へ着いて一通りお参りしたあと、何気なしに周りの仏壇に目をやって驚いた。
目の前の仏壇にB子たちの名前と戒名が書かれた札が下がっていたのだ。
(法事が近くなった頃に「もうすぐ法事ですよ」ということでお札を貼られるお寺だった)
その納骨堂へは毎年お盆にしか来ていなかったからそれまでの約20年間気づけなかった。(ご先祖さまごめんなさい)
色んなことが重なり合わさって知ることができた事実だった。
まさか私の先祖と同じフロアに眠っているとは考えつきもしなかった。
こんなに近くにいたとは。毎年目の前を素通りしていたなんて。
それからは毎年1月にその納骨堂へお参りに行っている。(もちろんご先祖さまにも手を合わせている)
今日も花を添えてきた。お参りが済んだ別れ際に言うのはもちろん「またね」
まさかこうやって会うことができるようになるなんて、と今でも不思議に思うし、直接祈りを捧げられることに
誰へかはわからないが、何へかはわからないが、色んなことにとても感謝している。
人との別れ際、トラウマとしてじゃなく、これからもやっぱり大事にしていきたいと思う。
おわり。
年末、暇すぎて深夜にTinderをシュッシュとやっていたら、同い年で近所に住んでいる人とマッチした。
ネットに落ちている適当なイケメンの写真を載せているのかな?って感じの写真で、なんとなく当たり障りのない話をしていたや、「もしかして◯◯…?」と名字を言われた。
終わったwwwwww身バレ乙wwwwwwwwwと思っていたら、相手も名乗ってくれて、小学生のときにバレンタインのチョコを渡した男の子だった。写真をよく見ると口元を隠しているが本人だった。当時から格好よかったが、今も若手俳優バリのイケメンである。
実家に帰ってきてちょうど今、一人になりたくて散歩しているようだったのでなんとなく合流して散歩をした。
同級生はみんな結婚していること、お互い長く付き合っている恋人がいること、共通の男友達が同級生の女の子を誰から構わず漁っていること、在宅で腰が痛いこと、色んなことを話しながら地元を散歩した。
次は飲みにいこwと言って別れたが、本当に行くのかは分からない。でも彼氏と同棲することが決まって年明けに地元を離れる今、初恋の人と深夜に散歩したのはなんだか変な体験だった。
普段から作風が苦手だなー、地雷だなーって思ってる人のツイートを
たまたま見に行く機会があって(きっかけは知り合いが書いたっぽい感想マシュマロ)
裏垢があるというので見に行ってみたら見事にブロックされていました
向こうも私のことが苦手で先にブロックしてくれてたのか
お互い何ひとつ言及してないのにその言及していないという事実と作品だけでお互いに察するものがあったのだ
表垢はまだブロックしないでイケるけどそのうちこちらからするかもしれん
まあぶっちゃけお互い地雷cpですわ、この狭いジャンルでよくそんなん発生したな、しかも半死半生のうちの垢なんかみつけたなと感動する
それだけ衰退して狭苦しいジャンルだということだ
もうひとり地雷なりかけさんがいるんだがこの人は旧作は大好きなのでブロックできずに困っている
長いことジャンルで活動していくとこじらせて(いつまでも初恋話ばかりできんのだろうが)
ドスカやん…
ドッペルが俺の兄貴に好意を持っているのは、仲間はみんな知っている。
だけど、その好意がどんな色をしていて、どんな形をしているかはボンヤリとしていた。
たぶんドッペル自身もよく分かっていないんだと思う。
そんな状態で無理に型にはめようとすれば歪なものになってしまう。
四角いスイカってあるだろ?
あれって容器に入れて、その中で成長させて作ってるんだ。
大人の発想としては、かなり強引だよな。
あの形にするために手間隙かけて“団子より花”を作ってるんだ。
まあ花の方がいいって奴もいるんだろうけどさ、ドッペルの気持ちは観賞用じゃないだろ。
それはタオナケだって分かっているはずなんだけど、この時のあいつは冷静じゃなかった。
「ねえ、ねえ、ドッペル。ロマンス育んでる~?」
「ろ、ロマンス……?」
「そうよ、ロマンスは死なないの! 初恋はゾンビとなるのよ!」
意味不明なことを口走るタオナケに、内気なドッペルは戸惑うしかない。
今のタオナケには、ドッペルの困った顔が見えていないようだ。
「何もないのなら何かしなきゃだめよ。失敗を怖がってはダメ。失敗しない人間は何もしない人間だけなんだから」
なんだか自己啓発セミナーじみたことを言っているが、たぶん漫画の受け売りだろう。
タオナケは善意でやってるんだろうけど、あれほど“余計なお世話”といえる状況も珍しい。
時代が違えば、地元のお見合いを斡旋する「お節介おばさん」として活躍したかもな。
「うーん、そろそろ止めるべきか」
俺は二人の間に割って入ろうとする。
このまま続けさせるとドッペルが可哀想だ。
「マスダ、ちょっと待って」
しかし仲間のミミセンが俺を止めてきた。
「今のタオナケは恋愛模様に飢えている。いま止めてしまうと、かえって悪化させるかもしれない」
最近、知り合いにタバコをやめたがってる人がいたんだけど、その人はすっぱりやめるわけじゃなくて吸う量を少しずつ減らすようにしているらしい。
無理やり我慢すると禁断症状が出て、かえって日常生活に支障が出るからだ。
まあ結局その人は今でも喫煙者のままだけど、やってること自体は筋が通ってる。
つまり今のタオナケも、恋愛模様から遠ざけると危険ということだ。
恋愛脳の状態で機嫌を損ねれば、いつ念動力が暴発してもおかしくない。
あの時は泣いたなあ。
ドッペルには(それと兄貴には)気の毒だけど、タオナケが落ち着くまで話を合わせてもらおう。
小島慶子のことは嫌いではなかった。むしろ好きな部類に入る方の有名人なのだが、このエントリ(https://fujinkoron.jp/articles/-/2959)はホント胸糞だ。
正しそうな、何一つ彼女の論理に破綻がなさそうに見えるのに、読後感が半端なく胸糞なのだ。その証拠に、何が胸糞なのか整理するのに3時間も彼女の言い草が脳内を反復し、ゲロを吐くのを我慢しながら考え、時間を浪費してしまった。
その整理してみたけれど、きっとまだ整理しきれていない胸糞の原因は以下の通りだと思う。きっとこれから、もっとその原因が浮かんでくるとは思うが、いま書き出さないと脳が爆発、というより腐りそうだ。
匿名だから敢えて断っておく必要もないだろうが、決して売春や風俗を肯定する気はないし、女性の方が歴史上自由から迫害されて、総じて不幸せな環境にあったことも認めるし、自分自身もその加害者であったことがあることも認める。しかし、しかし、だ。あまりにも気持ち悪い理由は:
(1)夫が風俗で遊んでいたことに対して、すごくインテリ的な立場で非難している点。
前述したように、男性が風俗で遊ぶ際、女性性をモノ化して消費している側面はある。そのことに嫌悪感を感じる人も少なくないだろう。風俗やポルノが一般に忌避されているのは、人間味が損なわれて、消費の対象のように感じられるからであろう。しかし世の中には男性が男性を、女性が男性を、女性が女性を物質化して消費するような需要も少なくない。物質化された側が被害者意識を持つことは直感的で、痛みを感じることは、個人的に理解できる。しかも小島が感じた痛みはそんなインテリ的な、形而上の概念が原因であるはずがない。自分を物質化しないと生活ができないような同性に配偶者を一時的に寝取られた悔しさや、嫉妬、さらには低俗なサービスに欲望の解消を頼ってしまうような弱いオスを選んでしまった自分に対する憐憫や敗北感があるのではないか。もっと言えば、自分が腹を痛めて産んだ子供の父親がさほど強くなかったことや、腹を痛めた子供の育児中に欲望を一人解消していたことに対する妬みや、自分よりも低収入な夫がそんな贅沢な遊びをしていたことに対する嫉みも入り混じっていることを小島は自覚していない。
(2)インテリ的な非難をするのに値しない、低レベルの自意識。
配偶者は自分のDNAを後世に残すための精子提供者という一面を持つ。自覚できるかどうかは置いておいて、DNAレベルの判断を私たちは動物的に行っている。だから、理由なく異性を意識したり、性的魅力を感じたりする。そこには「異性を物質化」しているかどうかの理屈の入り込む余地はない。異性を異性化しているだけだ。女性が出産後、配偶者への愛情が低下するのも育児にエネルギーを手向けられるように進化の過程でできた適応だ。その適応の結果、DNAを未来に繋ぐために選んだ配偶者は、モノ以下になる。しかも夫の方が収入が低いとなれば、夫は生は、ほぼ用なし状態だったはずだ。自分は男をモノ化しておきながら、棚に上げ非難するのは完全に最も小島が非難している「自分に向き合っていない」ことにならないのか?自分に向き合っていない小島が自分に向き合えず結婚生活の継続だけを求める夫を非難できるのだろうか。小島は、収入こそ妥協したかもしれないが、健康的で異性として魅力的な顔立ちや体つき、一緒に子育てのできそうな精神的な安定に魅力を感じて配偶者を決めたはずだ。これこそがDNAとしての異性選択ではないのか、自分に問いてみるべきだろう。
(3)息子たちの性教育が終わったと断言できる浅はかさ。
性教育という概念はまだ新しい。しかも、その歴史を見ていくと、内容も時代とともに変わっている。つまり、「性」についての答えはまだ出ていないと考えるのが普通だろう。出産後の夫の不誠実さを悲しく感じることと、それと性教育との関係性はあまりにも薄い。生殖の仕組みについては、科学的な見解があるが、同性愛の問題も含めて性衝動や性的な魅力、恋愛感情についての科学的な理解はまだまだ一般的な正解はない。きっと小島が言っている「性教育」は「現代における社会的に容認できる性行動教育」だ。同じ科目が50年前に存在していたとすると、まったく内容は異なるし、それこそ男女間で大きく異なる。50年後も大きく違っていることだろうと予想する。こんな母親に育てられた息子たちが不憫でしょうがない。性は、表出化する行動であるだけでなく、人類がここまで繁栄、繁殖してきた原動力であり、私たちが幸せやエクスタシーを感じる手に取って誰もが感じることのできる能力なのに。初恋の気持ちや、愛する人を求めてしまう情動、そんな相手に振り向いてもらえなかったり、離れた時の悲しみは理屈ではなく、他ならぬ人間が持つ感情である。何度も言うが、小島が感じた悲しみや絶望を非難しているのではない。気の毒に感じる。小島に原因があったと言っているのでもない。
(4)今も夫に続けられる公開処刑。
現在別居状態にあり、風俗も禁じられているとすると、夫は極度の禁欲生活にあるに違いない。夫も極度の絶望状態にあることは想像に難くない。息子たちに過去のみっともない姿をバラされて、世間にも暴露され、それでも専業主夫を続けるのはもはや生存戦略でしかないだろう。私はキリスト教徒ではないが、罪をもって生まれてきた人間が幸福を目指して生きるには、欲望や邪念、煩悩をある程度昇華していくしかない。それを一人胸の内に閉じ込めたまま、矮小化された欲望だけが吊るしあげられた状態で生きていくのはかなり辛いだろう。小島には欲望は存在しないのだろうか?有名になりたい、モテたい、社会に貢献したい、子供が欲しい、お金が欲しい、自由な時間が欲しい。そんな欲望を本人は十分に発揮しているにも関わらず、あまりにもおぞましく強権的な攻撃ではないだろうか。それを恥ずかしげもなくモラハラになるかもしれない、などと言って経済的な支援だけを行っている気になっているとしたら、それこそ風俗で満たされるような支配欲を自分の夫で果たしたことになると言える。偉大な権力を持っていることに無自覚な罪だとすればバカでしかないし、知っていて快感に浸っているとしたら、一応ファンもいるのでやめてほしい。
専業主婦やハイクラス主婦をターゲット読者とする婦人画報は、ある意味女性性を売り物にして、収入の高い男性と豊かな生活を送るための情報を提供してきた。そんな中、夫の不貞や遊びで苦しんできた女性も少なくないはずだ。不倫に関する記事も読まれやすいだろう。不安を煽るビジネスはメディア業界の常套手段である。しかし小島のこの記事は不安ではなく、怒りを煽っている。つまり炎上商法だ。小島のライフスタイルをカッコよく憧れの対象と見せつつ、「女性の物質化」という尤もらしいが、誰も幸せにならない概念を売り込んでくる。小島の家庭事情を少しずつ切り売りして、そのネタとして夫の風俗通いがオチというのはあまりにも貧相な結末としか言いようがない。
女子アナとして知名度を持てるほど、メスとして魅力があるのが小島だ。メスが魅力的に映るには生殖能力も必要だが、優れたDNAを育み育てるための知性が必要だ。それらを存分に自覚し発揮し、その影響力を利用したスマートな生き方を体現しているのが小島慶子だと思っていた。昨日までは。
小島はスマートだと思っていただけにこの文章にはがっかりした。スマートであれば、どこかで自分の無知や認識の浅はかさを知って、愛する人を失う悲しみを乗り越えてほしい。人間が何に喜びを感じ、何に絶望を感じるかを知れば、きっと幸せになれる。