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はてなキーワード: ライツとは

2019-11-16

フェミニスト発言話題になっているけど

学問としてのジェンダー学や社会学や以前あったジェンダー法学会の騒動

運動としての韓国フェミニズムとラブ・ピースクラブヒューマンライツ・ナウ辺りのフェミニスト団体関係のような話は

偽色情報はありそうだけどどういうつながりをしているのか気になる

2019-11-04

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

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1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2019-10-19

anond:20191019120033

プロダクティヘルスライツなんぞ持ち上げる以上、未来は今いる奴の自由だということをきちんと周知させる必要があるよな

イエや一族未来ことなんてどうだっていいというのなら、つまり未来自体がどうでもいいということに等しい

2019-09-20

anond:20190920105823

やあ、フェミニズムを飯の種にしてる増田だよ。

まず最初に、こちフェミニスト業界では、昨今の性教育関連エントリの各所でのプチブームを、大変嬉しく思っていることをお伝えしておくよ。

本当は、性教育を語るには、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(性と生殖に関する健康権利から入らなきゃいけないんだけど、ちゃんと書くとそれだけで元田が眠くなるくらいの長い記事になるので、ここでは簡単に触れるだけにするよ。

セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(SRHR)とは、男性女性も、それ以外の性別の人も、同性愛者も異性愛者もそれ以外の性指向の人も、とにかくあらゆる人が性(性欲を満たすこと。以下、セックスとしよう)や生殖子どもを産み育てること、以下、出産育児としよう)に関して自分意思を持つことが許され、その意思尊重され、セックス出産育児についてのやり方を自分で決めることができる権利のことだ。

例えば、親や親戚、近所の人に「あん長男なんだから、はよ結婚して子ども産みなさいよー」って言われて無理やり見合い結婚させられるのは、SRHRの侵害だ。逆に、結婚して子どもを産み育てたいのに、「あんたには家事介護をして欲しいか結婚は許さない」とか、望まない妊娠(これ自体がまずSRHRの侵害だ)をした時に、産もうと決心した女性を無理やり中絶させたり、逆に中絶しようと思った女性法律や説得で無理やり出産させるのはSRHRの侵害だ。

セックス出産に関する体の部品男性なら主にペニス女性なら主に子宮)の使い方、政治家さんの好きな言葉を流用するなら「子どもを産む機械」は、持ち主である男女が自分意思自由に使い道や使い方(使わないことも含めて)を決める権利だ、と言ってもいいかな。

純潔も、淫乱も、本人の好きにすればいい。ただし、他人迷惑をかけない(他人の道具を相手同意を得ずに使わない)ことが条件だよ。ってことね。あと、好きに使うためのメンテ性感染症の予防や、妊娠出産に伴う医療リスクの軽減)ができる環境が、全ての人に与えられなければならない、っていうのが、SHRHの考え方だ。

そんでね、性教育っていうのは、この権利について学ぶ、人権教育なんよ。

元田も、多分これを読んでくれる多くの人も、日本で育っていれば性教育っていうのはほとんど受けたことがないと思う。保健体育でちょこっと生殖の仕組みについてやったり、性感染症について学んだり、あと女性なら初潮が来る頃に生理について学んで生理用品のサンプルもらうくらいかな。

でも、実はこれは国際的に見るとかなり遅れている。

国際的に、って言ったな。うん、言った。

実は、ユネスコが「性教育国際的ガイドライン」を出してるんだ。英語フランス語中国語などはここで見れるよ(これは2018年改訂版初版2008年に出されている)

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000260770

無料じゃないけど、日本語訳もあるよ。

https://www.akashi.co.jp/book/b297731.html

性教育は、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」というのが、ユネスコ定義だよ。これは通称包括的性教育」と呼ばれる。

日本でやることは、あくま身体面の、生物学的な性(というか生殖)についての教育しかないんだよね。でも、「包括的性教育」では、自分他人の体の仕組みを学び、それに自信を持つことから他人尊重すること(ここには、シスヘテロでない少数派の人たちの多様性理解し、尊重することも含まれる)、自分他人感情理解尊重することなども含まれる。当然、セックスの前の合意確認の仕方や、嫌なら嫌と言っていい(むしろ言うべき)っていうことも教わる。

この手の問題になるとよく「セックス同意書ないと安心してセックスもできない」と言い出す人達がいるけど、その発言自体日本包括的性教育が欠けているということの証明になってるわけだね。(日本では性犯罪構成条件が難しすぎて現実的無罪になりやすい、というのは、それとはまた別の問題だ)

そう考えると、男子生理を含む「女性生殖器の特性について知ること」と、女子勃起射精を含む「男性生殖器の特性について知ること」は、表裏一体なんだ。

同時に、男女それぞれが自分生殖器について理解し、例えば男性なら「仮性包茎問題ない」とか、女性なら「生理の辛さには個人差があるから必要なら産婦人科に診てもらう」とか、知識を持ってきちんと自己管理することを学ぶのも、性教育の大切な意義だ。

さらにいうと、男女問わず子ども性的なパーツを触られた時に、「それは犯罪であり、拒否する/拒否できなかった(暴行された)時は、大人に報告するべきだ」という理解を持つことに持つことにもつながる。

実際のところ、未成年性的虐待っていうのは、当初は「子ども自身おかしいと気づけないから」表に出ないっていうことがすごく多い。たまたま性について学んだことがきっかけで、気づいて病院訪問するケースが、かなり多いそうだ。

さて、ユネスコ定義に戻ろう。性教育とは、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」だったね。

元田のいう(1)は、「性の感情面の理解」という文脈に含まれる。これは明確だからいいよね。

(3)は、身体面と社会面になるかな。例えばテクノブレイク都市伝説だし、AV男優ペニスの形が違う(=包茎)も大抵は問題ないし、手マンは爪を切って手を洗ってからやらないと膣を傷つけて女性が大変なことになるし、潮吹きAV女優側が水とかいっぱい飲んで頑張って出してるもの普通は起きない。そういうことをきちんと知ったり、あとは「女性男性に従うもの、好きなら生でセックスさせて当然」みたいな社会的規範おかしいというのも、当然教える前提になる。

(4)は、身体面だね。マスターベーション普通だし、テクノブレイクなんて存在しないし、女性だってオナニーしていい。オナニーって言い方がなんかやだったらセルフプレジャーって言おう、みたいな。

(5)は、社会面認知面かな。恋愛工学なんて典型的認知の歪み(自己中心性バイアス投影バイアス、多集団同質性バイアスあたりか)に基づく行動原理だしね。

さて、問題は(2)なんだけど、これは典型的権利自由)に関する問題だ。

日本人は自由を「無制限に好き勝手する権利」と考えがちなんだけど、実は自由というのは、近代では「他人迷惑をかけない範囲で、自分の好き勝手をする権利バカなことも含む)」だと定義されている。フランス人権宣言第4条とか、ジョン・スチュアート・ミル自由論とかが、この辺の定義として著名なソースだね。

そこに基づいて考えると、「他人自由を害さなければ、好きにセックスしたりオナニーしたりしていい」し、逆に「他人自由を害するならば、セックスオナニーをしてはならない」ってことになる。

こういう部分は当然、包括的性教育にも含まれるわけだけど、それ以前に「社会生活をする人間としての常識」なんだよね。

たとえば私は「SRHRは最終的にはKKOインセルも救うことを目的としている」と思っているんだけど、それは「KKOインセルに彼らの望む可愛い恋人をあてがう」という形では実現し得ない。なぜなら、それは「恋人としてあてがわれる個人」の自由侵害してしまうからだ。他人自由侵害する自由は、存在しないのだ。

彼らを救うには、「モテないことが悪いことではない」という認知を全ての人が持つように働きかけることや、相手感情理解合意の取り方を知ることで交際入り口をなだらかにすること、同時に他人尊重し、断る権利・断られたら(少なくともその時は)諦める責任を腹落ちしてもらうこと、などが必要だろう。

これらは全部、包括的性教育カリキュラムに含まれものでもある。

包括的性教育は、男性の性欲を管理するだけのものでも、女性の性欲を解放するだけのものでもない。これまで、日本を含む多くの社会男性の性欲に寛容・女性の性欲に抑圧的であったがために、一見そう見えるけれども、本来は「あらゆる人が、自分セックス出産育児について、自分決断できるようなライフスキルを身につけること」なんだ。

から増田意識しているものは当然のように含まれるけれど一部でしかない、ということと、そういうことを教えるためのノウハウ欧米諸国を中心にすごく普及しているよ、ということを伝えたくて、長々と書いちゃったよ。

本当は日本女性のSRHR、特にヘルスではなくライツの部分が世界でもかなりやばい状況にあるとか、そういう話もしたいんだけど、若干オフトピックなので今回はぐっと我慢するよ。

2019-08-24

アニメ監督からセーラー戦士たちを抜粋しようのコーナー!

キーシド仮面押井守

名前が同じだから

セーラームーン湯浅政明

犬の王を描くにあたって、犬界では一番アニメ監督するのが上手な押井守に教えを請わないわけがない。

そんな密接な関係にある二人はもはや、月野うさぎまもちゃん関係といっても過言ではないに決まっている。

セーラーマーキュリー高畑勲

マーキュリーは頭がいいとなれないが、東大出身で頭がいいか絶対なれる。

セーラーマーズ幾原邦彦

実際に変身しているところを見たことがあるから

セーラージュピター佐藤竜雄

木星についてはナデシコで題材にしていて詳しいから。

セーラーヴィーナス永野護

実際に変身しているところを見たことがあるから

セーラーウラヌス庵野秀明

ネプチューンのことが大好きだから

セーラーネプチューン山賀博之

ウラヌスのことが大好きだから

セーラープルート本広克行

まもちゃんのことが好きだから

セーラーサターン動画工房アニメの誰か

萌えから

以上です。

ちびうさとか、スターライツとかは、みなさんで考えてトラバブコメで教えてね。

2019-07-29

anond:20190729122326

今のトレンドはどこぞの政党のように障害ライツライアピールして強引に変えさせることだぞ

2019-06-19

接ぎ木ってヤバくね?

植物と別の植物くっつけちゃうんだよ?

キメラかよ?

キュウリだったらカボチャの根っこの部分とキュウリの実のなる部分をくっつけちゃう

いや、病気に強くなるから合理的なんだけどさ。よく考えたらやばくない?

かぼちゃの根っこの部分のプラントライツ考えろよ

2019-06-11

anond:20190611182109

俺は遊んでないよ

権利じゃないものライツと名付けるのは言葉遊びだろ

遊んでるのは関係ないもの権利と名付ける人たち以外ありえない

俺はそれに対して、アニマルライツと言ってるもの権利でも何でもないよねとしか言ってないんだよ

事実お前もアニマルライツ権利だなんて思ってないんだろ?

話はそれで終わり

真剣に取り組んでるなら遊ぶなという感想しかいね

anond:20190611164806

別に彼らは「動物がそう扱われるべき理由」のことを「(道徳的意味での)権利」と呼んでいるだけで

ぶっちゃけアニマルライツ」でも「アニマルウェルフェア」でも「アニマルフレンドリー」でも「アニマルハッピー」でも何でもいいんじゃん。

結局は「動物がそう扱われるようになること」が目的なんだからさ。

彼らは(派閥はあるにしても)明確に「こうしてほしい」という要望があるわけで、

ライツ」という字面のものにこだわって拡大解釈したり重箱の隅をつついたりして遊んでるのは間違いなく増田だよ。

2019-05-22

動物権利に対する稚拙反論について【追記あり

はてなブックマーク - 「動物はおかずだ」デモに関して(1) - 道徳的動物日記

これね。

本当に毎度毎度アニマルライツヴィーガン話題になると同じ稚拙反論をする人たちが次から次へと湧いてくる。

何度説明してもどこ吹く風で延々と無知再生産がなされてる状況、いい加減どうにかならんもんかね。

という事で、ブコメにある典型的無知勘違いに基づく反論たちをピックアップして解説していきます

植物も生きているという反論

もうさ、これに関してはヴィーガンに関するブコメブログTwitter等様々な所で説明されてるので

知らないなら少しは自分で調べろよと。相手意見理解してから反論するなんてのは最低限のマナーでしょうよ。

とは言え、せっかくなので説明するとそもそもアニマルライツ運動ヴィーガンは「命を大切にしろ」なんて主張していないです。

大体「命」って何?定義できないでしょう。そんなあやふや運動主義ではないんですよ。(仮に一部にそういう人がいたとして決して主流ではない)

じゃあ彼らが主張しているのは何か?それはあらゆる動物における苦痛回避です。

なので、必然的対象は痛みを感じる動物基本的には大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られてくる訳です。(対象範囲についてはいくつか議論あり)

更にこの「苦痛回避」の元になってるのは、皆さん大好きトロッコ問題でお馴染みの「功利主義」という考え方で

最大多数の最大幸福とは何か?→それは苦痛の最小化ではないか?→苦痛を感じるのは人間だけではないのでは?という発想から

まあ、この辺については掘り下げると大分話が逸れるので、興味のある人はそれぞれで調べてくみて下さい。

とういうか「植物も~」系の反論する人って実際自分植物権利を主張してるわけじゃないよね?

植物権利があると思うなら「動物植物も共に食べるな」と主張すればいいだけだし

そんな主張する人がいない以上それは屁理屈以下の空論に過ぎず、その虎を屏風からだしてみろってな話ですよ。

野生の肉食動物はどうなんだという反論

これもよくある反論なんだけど、そもそも「どうすべきか」という価値判断ってのは人間行為への言及でしょ。

野生動物行為人間価値判断押し付けようったって不可能だよね?言葉が通じないんだから

人間がどう行為すべきか」の話だからこそ「人間動物回避可能苦痛を与えるべきではない」と言ってるんですよ。

それに野生動物が捕食するから人間もしていいって理屈なら人間人間を捕食しても構わない事になるけどそんなはずないよね?

ここまで説明すると次に出てくるのが「動物植物の間に線引するなんて恣意的だ」という反論

これも「だからなに」としか返せません。人間人間社会にある倫理的線引をするならそれはどうやったって恣意的になるでしょ。

あなたは猫を食べますか?野菜クジラは食べるけど猫は食べないってのは恣意的ですか?

日本には動物愛護法ってのがあり、野菜のように生きたまま茹でたり切り刻むような事を動物にしたら逮捕されるんだけど

それは恣意的から不当な権利侵害ですか?だったら動物植物を同等に扱えるよう主張・実践してくださいよ。陰ながら応援しますので。

権利の衝突だからどちらも正当だという反論

今回の元ブログを読んで汲み取れなかった人へもっと噛み砕くと

する権利とされない権利、侵す権利と守る権利、これらが衝突した時に後者を優先してきたのが我々の文化進歩だったでしょ?という話。

例えば「Aが他者を侵す権利」があったとして「Bが他者に侵されない権利」があったら「Aが他者を侵す権利」が肯定された所でAはBを侵せないですよね?

で、ここで問題にされてるのは「Bが他者に侵されない権利」についてなので、「Aが他者を侵す権利」は反論にもなってなければトレードオフ関係でもないんです。

ここに関して「B本人がそれを望んだのか?ヴィーガン第三者じゃないか」という反論があるけど

だったら子供権利については子供が集まって主張しなければ獲得出来なかったのかと、動物には自主的に主張する術がないからこそ擁護するべきであって

子供権利獲得を大人が主張したっていいわけですよ。権利当事者以外が主張できないなんて勘違いは一瞬で更新してください。

あと、「動物はおかずだデモ」に関して言えば、動物権利を主張してる人たちの前でわざわざ肉を焼いて食べるなんてのは

愛猫家の前でわざわざ「猫を食べる権利行使」したりヌーハラが苦手な外国人の耳元で蕎麦をすすったりするようなもの

これらは権利の主張ではなく相手不快感を与える事自体目的となった加害行為で、ほとんど暴力だよね。

仮に2つの権利がぶつかり合い拮抗したものであったとしても、こんな明確な悪意・嫌がらせ肯定される事はないでしょう。

雑感

まあアニマルライツ動物権利)とアニマルウェルフェア(動物福祉)、ヴィーガンベジタリアン、そこには実際様々な主張のレイヤーがありますよ。

なのでそれぞれに反論するには、具体的に相手がどんな主張をしているか文脈含めまず知らなければならないし、それはとても大変なこと。

でも、理解できない以前に知る気もないって言うんなら一丁噛みしてくるのはやめようよと、議論ノイズしかならないんだから

「生まれた時からそういう環境だったからそれが正しい」という動物的な気持ちもわからなくはない。

けどせっかく人間なんだから一定の折り合いをつけるために建設的な議論をしたってバチは当たらないでしょう。

それにはまず知ること、知ってるよって方はどうもご苦労さまでした。

追記

押し付けんなって話じゃないの? 知らんけど

権利の衝突ではないという部分読んでいただけましたか?Aの権利自体を直接否定してるなら押し付けだけど、AとB両者の権利肯定してるだけなので押し付けではないです。

トラバにも書きましたがAの権利はBがいないと成立しないがBの権利はAがいなくても成立するからAとBは入れ替え可能概念ではなく

どちらかと言えばAこそが権利侵害的だという話です。自然権など他の生得的な権利もそうだったでしょう。

ちなみにヴィーガンがその主義に基づいた生活をする事と、社会に対しアニマルライツ運動をする事の是非はまったく別なので。

よく分からんけど苦痛回避されれば屠殺でもオッケーって主張なの? ネットの論争ってなんでもそうだけど人によって「ここが論点」つって挙げてくるものそれぞれ違って反応に困るんだよな

苦痛屠殺だけに伴うものではないので強制給餌や狭いケージなど飼育環境改善社会に求めている場合ほとんどかと。

ネットに限らず例えば「保守主義者」と議論しようとしても個人によって経済外交安全保障などイシューごと考えは様々ですよね。

なので○○主義個人議論する事は可能ですが○○主義のものについて論じようとするなら、その主義すべてを網羅する知識必要なので研究者レベルでないと不可能でしょう。

えっじゃあ苦痛を与えなければ肉食っていいって主張なのって読めるんだけどこれ。ペット子供への菜食強制問題とかも華麗にスルーしてるね

功利主義で扱う「苦痛」は単純な痛覚だけではなく五感感情を含めたものです。植物にも感情がある!とか水にも感情がある!系の人はちょっとわかりません。

ペット子供への栄養ネグレクトについてはヴィーガンだけに存在する問題ではないですよね。

植物に関してはこういうのがあります>‪食べられると野菜も痛みを感じる?米国ヴィーガン論争を巻き起こした日本研究者大発見

「多くの人に伝えたい。だから論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチー言葉を使って説明しました。」と研究者本人が言ってる通り

これは植物の外部刺激に対する反応の研究であって、生化学的な研究定義される「痛み」とはまったく別のものです。

というかスター付けてる人も含め本当に記事読んだのかな。

2019-03-24

anond:20190324001904

終活成功して若干環境が違ってきたから思うんだけど

リアルに不満があるから政治思想っぽいことをやってるっていうのは下流民だけって分かった

同期みんな実家太くて結構な数ソーシャライツリベラルなのよ

ここだとパヨクって叩かれるタイプ

実家が太くてリアル充実しててそれなりに学歴あると政治思想っぽいことをある程度は真剣議論できるぐらいにはなる

世の中をよくしていこうみたいな

そしてそういう知識議論の訓練もほぼない俺

すでに若干浮いてる

2018-12-03

anond:20181203101020

セーラースターライツまじでみんな知らない?

イケメン男だけどセーラー戦士(前世の姿)に変身すると前世が女なので女体になるって奴ら

2018-10-04

この度は、著者 寺沢武一が、Twitter(@buichi_terasawa)上で、

正式許諾以外の浮世絵他所より販売されている」

という誤解に基づいた発言をしたために、

関係各所に多大なご迷惑をおかけしたことを、お詫び申し上げます

本人が間違いに気づき、該当発言の削除をいたしましたが、

ミッドランドクリエイション様の商品が未許諾であるという

間違った情報拡散してしまっている為、

ここに、お詫びと訂正をさせていただきます

株式会社ミッドランドクリエイション

https://mid-store.jp の、COBRA浮世絵×九谷焼は、

正式企画のご提案、及びご契約をいただいている正規許諾品です。

世界でも多くのファンを獲得し、様々な分野で影響力を発揮する

マンガアニメなどのサブカルチャー

伝統工芸を結びつけた商品企画制作販売をされており、

この度の商品も連載開始40周年を記念し、目の肥えた大人ファンに、

相応しい職人技が活きた「ホンモノ」を作っていただきました。

こちらは、企画段階より、寺沢も楽しみにしていた商品です。

迷惑をおかけした関係各位、ご心配いただいたファンの皆様に、

重ねて心よりお詫び申し上げます

              株式会社エイガアルライツ

              代表取締役社長 伊藤 倫子

2017-10-02

表現修正版】『けもフレ騒動を、元アニメ版営業が丁寧に解説する(2)

表現が汚かったため、もう今さらではありますが、

今私にとれる行動として、文章表現修正しました。内容は変えていません。

不快な思いをさせてしまった方々、申し訳ありませんでした。

https://anond.hatelabo.jp/20171002002200

の続き

経緯の解説 ※業界関係者としての想像

まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作生業にするこの業界には、

「0から1を生み出すクリエイターが一番エラい認識と、

クリエイターを、『大人喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることです。

これは、クリエイター制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、

権利トラブルを始めとする「大人喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきています

まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透しています

※そういう意味では、KADOKAWAアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方です。

以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ませんが、

何の根拠もない妄想よりは幾分かは良い、というところで、私の思う経緯を書きます

KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。

ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者エラいんだからたつきの好きにさせろ」と返答。

KADOKAWAたつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。

ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。

たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】

ヤオヨロズたつきに「KADOKAWA意向制作ハズされちゃったんですよね」と報告。

たつき、驚きながら「突然ですが~」のツイート

10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)

あくま妄想です。

また、何度でも書きますが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい発信すべきです。

たつき氏も含め、現状をどうお考えなのか気になります

たつき氏とヤオヨロズがすべきだったこ

しかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いありません。

しかしながら、仮にも「商業アニメ製作」に関わる人間として、

他者権利侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実です。

百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、

ヤオヨロズの渉外役は、たつき暴走しないよう適宜コントロールする役割立ち位置を、

会社としては、とらなければならなかったはずです。

事実上権利者」としての立場の強さを使って、自分たちリスクをとる形で、

KADOKAWAと、製作委員会交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずです。

今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなく、です。

未だにKADOKAWAを叩いている人々に言いたいこと

あなたたちは、たつきツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだったと思います

製作委員会から情報発信を待つべきだったし、

同時に、ヤオヨロズから情報発信を待つべきでした(未だに何もありませんが。。。)

知識情報も十分でない内からKADOKAWAを叩くべきではありません。

まり商業アニメを軽く見ない方がいいと思います

商業アニメと、作品に関するすべての情報は、

本当に想像がつかないほど多くの企業人間が熱意を持って関わって、チェックされて、

確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているんです。

そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWA批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるんでしょうか?

彼らの作品づくりにかける思いを知っていますか?平均年収を知っていますか?

年間にいくつの作品を世に出して、新人作家デビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っていますか?

私が出会ってきたKADOKAWA人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、

ファン作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりでしたよ。

だいたい、お金がなければ新しい作品を作れないし、

そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものです。

「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネス批判するなら、

KADOKAWA以外の作品も含め、マンガアニメ映画も、見ることを一切やめるべきです。

そうすれば悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから理想の世の中に一歩近づくのではないでしょうか?



それから、吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事プレスリリースでもなんでもないので、

情報が揃うまでは気をつけたほうがいいと思います

追記

自ら根拠の無い話(妄想)を蓋然性ある仮説の様に述べておいて、狼狽してばたついてるけもフレファンを「事実を何も知らない状態で騒ぐ馬鹿」扱いされても「何言ってんのお前?」としか言い様がねぇわ。

あれだけKADOKAWAに石を投げておいて「狼狽してバタついてる」って、どうなんでしょうか。

記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。

そうじゃなくて、こういう基本的知識を持ってたら、脊髄反射KADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?

からちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。

何度も私は書いています。「ヤオヨロズからリリースを待ちたい」って。

けど現状、製作委員会からコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。

でも、その妄想だって知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるとは思いませんか?

頂いたようなコメント一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなのだと思います

私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません

ファンが受け取る価値を最大化することがそのまま製作委員会利益につながるはずで(つながる仕組みを作るべきで)、12.1話制作とそのスピード感は間違いなく「差し引き」プラスだったはず。冷徹利益を追求しろ

そうですね。その通りだと思いますけど理想論ですね。

権利ビジネスやること自体否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定意味していると思います

製作委員会権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。

これを、時間をかけず、シームレスにやれというのは無理です。

また、ヤオヨロズたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから

クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、

それは業界文化的にナイと思うので難しいところですし、

少なくとも、こうして考えた場合にも、「KADOKAWA一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います

従来のアニメに比べて「制作費半分、売り上げ5倍」なんて言われてるし、ビジネスの面で魑魅魍魎がどったんばったん大騒ぎしてるんだろうが、それゆえに窓口としてのKADOKAWAの責は免れんわな

制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょうか?

安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろ、というのは、

それがまかり通ったら、全ての商売が成り立たないと思います

制作委員会の各担当者って利益や人気よりも権利を取るほど無能なの? 12.1話が悪い、ではなく火種の発端の内のほんの一つだった程度ならまだ信憑性あるけど。ヤオヨロズ何か言えは完全同意。どんどん立場悪くなる。

あくまヤオヨロズからリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体問題にしているのではなく、

「今後のリスク」を考えたんだと思いますよ。

自分権利があるモノに関する情報発信を、自分手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?

しか12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが

「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、

ヤオヨロズは、最初全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、

それをたつき氏に伝えにくかったというのもあると思いますよ。

同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。

分かりやす説明。これで叩かれるってのは気の毒ですな。

文章力がなく長くなってしまってすみませんありがとうございます

増田の予想が正しかったとして、ヤオヨロズがクソなのは分かるけど、それを制御できなかった製作委員会ウンコだと思った

ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的知識があれば、

KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。

ただ、ヤオヨロズ制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体問題だし、

たつき制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。

夜中まで身を粉にして働く人たちだからまともな判断力が失われるのでは。

鋭い指摘ですね。

ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。

裏側から透けて見えるこの人のような態度そのもの現在燃えている原因な気がするけど、おそらく当人たち理解はできてないんだろうなーと思った

私の態度は申し訳ありませんでした。

けど、この件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?

それを具体的に言えないのが、今回の炎上の難しい部分だと思いますよ。

たつき排除するという結論が出る時点でまともな判断力をもってるとは言い難い。ゴミオタクの反発が予想外だったとでも?

排除した主体は、現状出ている情報からは、ヤオヨロズですよ。

そりゃ反発は予想していたでしょう。だからたつき続投の方向性で調整方法を探っていたと思います

まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWA一方的降板させた」って。

ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、

功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ちたつきへの敬意もあるから

制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。

けれど、どういう意図であの情報たつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、

私は再三「ヤオヨロズからリリースを待ちたい」と書いてるし、

KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言っています

「「クリエイターを、『大人喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されている」→4→5だとするとたつき氏悪いの???ってなるけどな。あと後半の話は電通あたりにも言えるし、でも人は死んでますよねってなる

でもヤオヨロズからリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、

私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。

現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。

電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。

12.1話作ることが業界的にそんなに問題なら、何で吉崎先生は「自由に作って良い」って言ったの?あとカドカワ声明通りなら、番外編制作時の事前通知が嫌で本編制作拒否になるんだけどあの声明鵜呑みにして良いのか

原作者の吉崎先生自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。

商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。

「事前通知が嫌な声明鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからプレスリリースを待った方がいいのは確かです。

けど今出ている公式コメント製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWA一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、

情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。

それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手お金をもらう立場だったとしても、

無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます

もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、

ヤオヨロズは、「たつき自由やらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。

誰にだって分かるように、けもフレ一番の功労者ですからね。

けど(製作委員会代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してから情報発信にしてください」と言われ、

最初全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、

何より「たつきが一番エラくて功労者なんだからたつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います

ういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。

言ってることは十二分に分かるんだけど、それを踏まえても金の成る木を切り倒してしまったのはビジネス的に無能だよね

「切り倒した」のは、本当にKADOKAWAなんでしょうか?

KADOKAWAは、たつき人気で盛り上がってきたコンテンツであることが、本当に分からない程度の会社なんでしょうか?

そもそも製作委員会からリリースには、「ヤオヨロズから辞退の申し出があった」としか書かれていません。

それに対して、KADOKAWAはどう返したんでしょうか?まだ、情報が不足してはいないでしょうか?

私は現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように思えます

未だになんの声明も出さない部分まで含めて、ちょっとどうなのかなと思っています

たつき氏が悪いと言っていません。手綱をしっかりとる責任を果たさなかったヤオヨロズが悪いと言っています

なぜなら、KADOKAWAたつきが直接交渉してるとは考えられないからです。その理由は(2)にも書きましたが、

たつき氏には制作作業に集中してもらって、ヤオヨロズの窓口が(製作委員会窓口としての)KADOKAWA交渉していたはずだからです。

たつきから暴露ツイートが発信されないようコントロールするところまで含めてKADOKAWA責任だったというのは、

少し無理筋すぎはしないでしょうか。

2017-09-30

けもフレ騒動を、元アニメ版営業が丁寧に解説する(2)

表現修正版はこちら(基本は修正版を読んでください)

https://anond.hatelabo.jp/20171002015348

https://anond.hatelabo.jp/20170930045332

の続きです。


経緯の解説 ※業界関係者としての想像

まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作生業にするこの業界には、

「0から1を生み出すクリエイターが一番エラい認識と、

クリエイターを、『大人喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることだ。

これは、クリエイター制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、

権利トラブルを始めとする「大人喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきている。

まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透している。

※そういう意味では、KADOKAWAアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方だ。

以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ないが、

知識がない人の妄想よりは幾分マシ、というところで私の思う経緯を書く。

KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。

ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者エラいんだからたつきの好きにさせろ」と返答。

KADOKAWAたつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。

ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。

たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】

ヤオヨロズたつきに「KADOKAWA意向制作ハズされちゃったんですよね」と報告。

たつき、驚きながら「突然ですが~」のツイート

10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)

あくま妄想です。

何度でも書くが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい言えないものなのか?

たつきもそうだけど、社会人としてどうなのと思いますよ。

たつきヤオヨロズがすべきだったこ

しかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いない。

しかしながら、仮にも「商業アニメ製作」に関わる人間として、

他者権利侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実だ。

百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、

ヤオヨロズの渉外役は、たつき暴走しないよう適宜コントロールする役割立ち位置を、

会社としては、とらなければならなかったはずだ。

事実上権利者」としての立場の強さを使って、自分たちリスクをとる形で、

KADOKAWAと、製作委員会交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずだ。

今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなくね。

あと責任を持って、早く何らかのプレスリリース出してください。

未だにKADOKAWAを叩いている人々に言いたいこと

あなたたちは、たつきツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだった。

製作委員会から情報発信を待つべきだったし、

同時に、ヤオヨロズから情報発信を待つべである。(未だに何も無いのは本当にクソ)

知識情報も十分でない内からKADOKAWAを叩くべきではない。

まり商業アニメをナメない方がいい。

商業アニメと、作品に関するすべての情報は、

本当に想像がつかないほど多くの企業人間が熱意を持って関わって、チェックされて、

確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているのだ。

そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWA批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるのか?

彼らの作品づくりにかける思いを知っているのか?平均年収を知っているのか?

年間にいくつの作品を世に出して、新人作家デビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っているか

私が出会ってきたKADOKAWA人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、

ファン作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりだったよ。

だいたい、お金がなければ新しい作品を作れないし、

そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものだ。

「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネス批判するなら、

KADOKAWA以外の作品も含め、マンガアニメ映画も、見ることを一切やめるべきだ。

そうすればあなたたちにとっての悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから

理想の世の中に近づくだろう。



吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事プレスリリースでもなんでもないので、

情報が揃うまでは気をつけたほうがいいですよ。

追記

自ら根拠の無い話(妄想)を蓋然性ある仮説の様に述べておいて、狼狽してばたついてるけもフレファンを「事実を何も知らない状態で騒ぐ馬鹿」扱いされても「何言ってんのお前?」としか言い様がねぇわ。

狼狽してバタついてるってw あれだけKADOKAWAに石投げといて「狼狽してバタついてる」?w

記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。

そうじゃなくて、こういう基本的知識を持ってたら、脊髄反射KADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?

からちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。

何度も私は書いてますよ。「ヤオヨロズからリリースを待ちたい」って。

けど現状、製作委員会からコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。

その妄想だって知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるのはわかりますよね?

君みたいなコメント一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなんでしょうけどね。

私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません

ファンが受け取る価値を最大化することがそのまま製作委員会利益につながるはずで(つながる仕組みを作るべきで)、12.1話制作とそのスピード感は間違いなく「差し引き」プラスだったはず。冷徹利益を追求しろ

そうですね。その通りだと思いますけど理想論ですね。

権利ビジネスやること自体否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定意味してますね。

製作委員会権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。

これを、時間をかけず、シームレスにやれというのは無理です。

また、ヤオヨロズたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから

クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、

それは業界文化的にナイと思うので難しいところですし、

こうして考えた場合にも、「KADOKAWA一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います

従来のアニメに比べて「制作費半分、売り上げ5倍」なんて言われてるし、ビジネスの面で魑魅魍魎がどったんばったん大騒ぎしてるんだろうが、それゆえに窓口としてのKADOKAWAの責は免れんわな

意味がわからなくてすみません制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょう。

安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろって?w 自分で言ってて無茶だと思いませんか?

それがまかり通ったら、全ての商売が成り立たないと思うんですけど。

制作委員会の各担当者って利益や人気よりも権利を取るほど無能なの? 12.1話が悪い、ではなく火種の発端の内のほんの一つだった程度ならまだ信憑性あるけど。ヤオヨロズ何か言えは完全同意。どんどん立場悪くなる。

あくまヤオヨロズからリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体問題にしているのではなく、

「今後のリスク」を考えたんだと思いますよ。

自分権利があるモノに関する情報発信を、自分手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?

しか12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが

「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、

ヤオヨロズは、最初全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、

それをたつきに伝えにくかったというのもあると思いますよ。

同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。

分かりやす説明。これで叩かれるってのは気の毒ですな。

文章力がなく長くなってしまってすみませんありがとうございます

増田の予想が正しかったとして、ヤオヨロズがクソなのは分かるけど、それを制御できなかった製作委員会ウンコだと思った

ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的知識があれば、

KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。

ただ、ヤオヨロズ制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体問題だし、

たつき制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。

夜中まで身を粉にして働く人たちだからまともな判断力が失われるのでは。

鋭い指摘ですね。

ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。

裏側から透けて見えるこの人のような態度そのもの現在燃えている原因な気がするけど、おそらく当人たち理解はできてないんだろうなーと思った

私の態度はかなり悪いと思いますけもフレ問題KADOKAWA叩いてるオタク大嫌いだし死ねばいいと思ってますからね。

けどこの件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?

それを具体的に言えないのが、オタクのだめな部分だと思いますよ。

たつき排除するという結論が出る時点でまともな判断力をもってるとは言い難い。ゴミオタクの反発が予想外だったとでも?

排除した主体は、現状出ている情報からは、ヤオヨロズですよ。

そりゃ反発は予想していたでしょう。だからたつき続投の方向性で調整方法を探ってたと思いますよ?

まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWA一方的降板させた」って。

ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、

功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ちたつきへの敬意もあるから

制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。

どういう意図であの情報たつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、

私は再三「ヤオヨロズからリリースを待ちたい」と書いてるし、

KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言ってるんですが。

「「クリエイターを、『大人喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されている」→4→5だとするとたつき氏悪いの???ってなるけどな。あと後半の話は電通あたりにも言えるし、でも人は死んでますよねってなる

でもヤオヨロズからリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、

私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。

現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。

電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。

12.1話作ることが業界的にそんなに問題なら、何で吉崎先生は「自由に作って良い」って言ったの?あとカドカワ声明通りなら、番外編制作時の事前通知が嫌で本編制作拒否になるんだけどあの声明鵜呑みにして良いのか

原作者の吉崎先生自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。

商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。

「事前通知が嫌な声明鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからプレスリリースを待った方がいいのは確かです。

けど今出ている公式コメント製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWA一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、

情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。

それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手お金をもらう立場だったとしても、

無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます

もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、

ヤオヨロズは、「たつき自由やらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。

誰にだって分かるように、けもフレ一番の功労者ですからね。

けど(製作委員会代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してから情報発信にしてください」と言われ、

最初全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、

何より「たつきが一番エラくて功労者なんだからたつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います

ういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531144759

いやあんなのと一緒にしないでくださいよ

女性に過大な要求や抑圧をすべきでないって、きちんと言ってるじゃないですか

出産育児にかかる身体負担キャリアの中断といった諸々の問題を考えると、

いくら女性自由を増やしても、産まない、産んでも1人か2人、

そういう人がいるのはむしろ当たり前で、その選択尊重しないといけない

それがリプロダクティヘルスライツってやつなんじゃないですか

仮にも人権というものがあってそれを認める以上、人口の維持なんて二の次でしょう

そのために誰かを犠牲にすべきではない

意地悪な言い方になりますが、現実的に考えると、自分だけええカッコするしかないのです

2017-04-22

そもそもアニメ原作不足」の意味合いが違う

http://anond.hatelabo.jp/20170421230049

「(深夜)アニメ原作不足」自体事実だが、元増田氏は「原作不足」の意味を誤解していないか

そもそも原作不足」というのは「アニメ化企画を通せる原作の不足」の意味であって、

面白い原作の不足」や「アニメ向きの原作の不足」といった話ではない。

アニメ業界にはそれなりに優秀なクリエーターがたくさんいるわけで、中身だけの話なら

「並の原作やるよりはアニメとして面白くなりそうなオリアニのネタ」なんて皆大量に抱えている。

それでも原作付きをやるのは

原作付きなら固定ファンである程度の売り上げ見込みが立つ」

原作付きなら原作版元の出資が見込めて製作委員会の目途がたちやすい」

からだ。

アニメ企画判断にあたっては「原作面白さ」はほとんど意味がない。

特に制作系のPの企画に顕著だが、

「あそこの出版社ライツ出資に前向きだから

「この原作なら作者がパチ化OKから、そっちから出資呼べそう」

といった「企画の通しやすさ=製作委員会の座組みしやすさ」が原作選定の第一基準であって、

実は「面白さ」どころか「売れそうかどうか」すら二番手、三番手の条件だというのが実態

制作会社にとっては「自社が制作元請けになる企画の成立」が第一であって、

売れようが売れまいが実入りに大きな差が出ないケースが大半。

極端な話、制作系のPにとっては

「弱小出版社の雑誌から売れてないがこの原作面白いアニメ化すれば円盤5000枚はまず売れるはず」という作品より

「これアニメ化しても円盤売れないと思うが、「売れると言いきって大口を乗せる材料」はあるから出資を集めやすいな」

という作品の方がアニメ化向きの原作なのだ

元増田氏の挙げたジャンル

「固定客がいて底堅い売り上げを見込めるか」

「版元が自作の宣材としてアニメ出資するか」

を満たすのが難しいジャンルなので、大きな原作供給元になるのは考えにくいと思われる。

製作委員会出資できないような弱小出版社/ゲーム会社アニメ出資に渋い姿勢出版社作品に、

いくら大量に面白いアニメ向きな作品があっても、それは原作不足を解消しないのと同じ。

唯一「海外ゲー原作」は、あちらの大手パブリッシャーで「日本市場重視」するところが出てくれば

(現状まず考えにくい話だが…)目のある話かもしれんけど。

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追記

元増田エントリーに「売れる原作不足なだけ」という趣旨ブコメ散見され、

それは確かにその通りなんだが、それだけではまだぬるい、というのがこのトラバ趣旨

SHIROBAKOの三馬鹿Pを思い起こして貰えばいいが、ああい

キャスティングで声豚釣って、イベチケ円盤売ろう!」

みたいな発想は、(アニメの内容ではないにせよ)まだ売り上げを通してではあってもファンを見ているだけぬるい。

1クール100本に迫る帯アニメ企画が成立する世界というのはそんなぬるさでは実現しない。

もはや売り上げですらなく、出資者の思惑だけを読んでいれば、作品を作れるのが製作委員会方式の辿り着いた現在

「誰も得しない作品でも、出資者を騙せば作れる」

出資者は一件一件はたいした損ではないし、たまには儲かるので騙されていることになかなか気づかない」

というのが味噌

「誰も得しない作品を大量に垂れ流していても、大量の制作会社が一応食える」というシステムであるからこそ

製作委員会方式」は「ビジネスモデル革命」と呼んでいい画期的方式なのだ

まあ法人相手にしてるだけで情報商材ビジネスに近しい構図なんで、

「鴨にされてる出資社の目が覚めるまで/新たな鴨が見つからなくなるまで、のバブルから、いずれ滅びるよ」

と言われたら、明確な反論材料はないが。

2016-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20160727150543

これはひどい誤解だ

 

例えば中絶とかすると

「生まれてくる子に罪はないんですよ!」

という趣旨のことを叫ぶ人権おばさんが沸いて出る

   

概して中絶否定派は、宗教右派の主張で

人権左派中絶堕胎容認・拡大する立場です

  

人権を重視する法律家医師などは

プロダクティヘルスライツを主張し

人工妊娠中絶女性人権健康権利として肯定してきました

 

「生まれてくる子に罪はない」という

無垢」についての宗教観

原罪を持つ人間救世主の救済により贖罪されたという

キリスト教などの宗教概念とセットで存在してます

まり人権とは関係が無い

  

人類が持っていた原罪

救世主によって赦されているのに

その赦しを否定するのは

人を愛する神の意思否定することになる

から信者は「中絶が悪」と考えるし

中絶容認する人権派

声高に批判するわけです

   

ただし人権派宗教家にもいろいろあって

宗教家人権派という方も、少数ですが、います

そういう宗教的人権派の方は

政教分離」という考え方とセットで中絶を考えているので

中絶を声高に唱えることはあまりないですね

2016-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20160518035331

そもそも、産むためにこれ以上何が必要か、ってアプローチ自体外してるんだよな。

現状そうするしかいかしょうがないんだけど。

個人レベルでは子供を持つより優先したい・しなければならないことがあるから産まないし、

社会レベルでは少子化より優先して対処する問題があるから支援できない。

それは個人や女性の権利だったり、老人福祉だったり、趣味だったりいろいろだ。

要は、みんな再生産のために自分犠牲にする気がなくなったんだから、そりゃ少子化にもなるよって話だ。

極端な話、リプロダクティヘルスライツのリの字もないような国の方が、子供バンバン増えてるわけで。

から俺は少子化解決には結局のところ精神論以外ないってずっと言ってるんだけど、

その精神論も使えないからもう詰んでる。

2016-03-24

緊急避妊薬を巡る議論について、殴り書き

一部のラディカルフミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。

一方、リプロダクティブ・ヘルスライツの整備に反対する保守層は、女性人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツライツ話題のもの忌避する社会が完成する。

プロダクティブ・ヘルツライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニールーツとする保守主義者は、女性社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。

日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会帰属し、「世間」の強制力空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチフェミニズム」の趨勢象徴しているように思う。

リプロダクティブ・ヘルスライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働社会的価値を損なうことはない。出産育児労働を天秤に掛けるとき労働を選択する女性ばかりではないからだ。

一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在日本社会においては、生殖のものコスト女性側に一任され、経済的負担男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。

単独家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分社会的立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手見出し、交渉する主体性と行動力必要となる。しかし、アンチフェミニズム標榜する視点において弱者男性問題が論じられるとき、男女関係における責任問題現実的側面に目が向けられることはほとんどない。

彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的男性世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。

セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題であるとき生殖に関与する両者は、二人の協力者である

男性側のアクションとしての、コンドーム代表される避妊手段女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスレイプである」という命題否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。

しかし、この「現実的側面に対して、現実的議論する」こと、そのものが、世間一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリー支配された「女たち」と、家社会部族社会論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所財産名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である

リプロダクティブ・ヘルスライツを巡る議論忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニストからも「保守主義者からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズムリベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである

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