はてなキーワード: 長所とは
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
質問が長いなあ。
怯んだが、まあ答えよう。
君の主張がそこまで的外れだというつもりはないが、少し誤解している。
「アホの坂田」こと坂田利夫は、プライベートで芸人仲間にアホ呼ばわりされると怒るというエピソードは有名だな。
だが、これは矛盾していない。
芸人などが自分の美醜などのコンプレックスをウリにすることと、他者がそれをいいことに笑いのタネにしようとすることには違いがある。
何も道徳的な、政治的な正しさという観点から、それらを「笑い」にすること自体を非難しているわけではないのさ。
何かが足りなかったり、或いは過剰であったり異常であることは、人間が感じる「面白さ」に密接に関係しているだろう。
その点で「笑える、笑えない」に、「健全かどうか」であったり「政治的正しさ」を無理に結びつける必要性はない。
長所を活かすことを是とするなら、短所を活かすことだって是としてもいいかもしれない。
誰かにとっての短所が、誰かにとっては長所になりうるという側面、まあよくある話だ。
だが、“そういうこと”に過敏な人や、或いはそれらの要素を罵って人格を不当に貶める人がいるのもまた事実だ。
誰かにとっての長所が、誰かにとっての短所になりうるという側面、これもよくある話だな。
そんな人たちの視線を基準に考えるべきか否かなんてことは、私が決めることじゃあないが。
仮に決めるなら、その世界の住人たちだろう。
例えばの話だが、障害者が障害をウリにした芸をやり、それを他の障害者や関係のある身内たちも笑う。
もしそんな世界があるのなら、それはそれで健全だとは思うが、まあ非現実的かな。
小人プロレスとかのように、そういう「正しさ」でもって誰かが割を食う側面はあって、それは必ずしも善悪の二元論で語ることが難しい可能性もあるのだが。
まあ、現環境に即した「健全さ」を目指して最適化していくしかないだろう。
さて、今回学ぶべき教訓はこうだ。
小さい頃は誰もが同じ番組を見て、それがひとつの常識を形成していた。
思春期になると、そんな番組、特にバラエティ番組に違和感を覚えた。
一方で平等や差別撤廃を主張するが、その一方で真逆のことを行っている。
端的に言えば、容姿差別、年齢差別、性差別、人種差別、序列差別。
それをダシに笑いをとり、矛盾を指摘すると空気が読めないと言われ、
いつのまにか負の属性を持つ人はそれを受け入れざるをえない状況になっている。
それを跳ね返すほどの長所を持っていれば自己肯定もできるだろう。
幸い私はどちらかといえばかなり恵まれている部類ではあったので、
その負の影響を受けることはなかった。
だが、自身の中の正義感が、おそらく傷ついているあろう仲間たちの気持ちを想像するだけで悲しくなった。
もちろん、そんなものと独立しているコミュニティもあるが、テレビの影響力を考えると、
多くのコミュニティでその価値観が刷り込まれ、何の疑問もいだかない状況に陥っているのではないか。
そんな価値観を作ってきた人々が、今やテレビのご意見番となり、
イジメや不正を否定し、まるで神の啓示のようにありがたがられる状況に恐怖を覚える。
これほど思考停止な意見はないだろう。なぜ、下の世代に理不尽を残そうとするのだろうか。
幼少期はそうした価値観に影響を受けやすいので、私は子供にバラエティをあまりみせないし、
それらはヤラセで台本があり、独特の空間であることを定期的に強く伝える。
スペックが高くないと人を好きになれないっていう人はかわいそうだと思う。
で、「君は低スペックだね」って言われて憤慨してただ怒るだけの人は、
その姿勢が低スペックたらしめてることを自覚したほうがいいかと。
世の中にはそれを受け止めて、バネにして努力する人もたくさんいるんです。
そう言われないように頑張ろう、何か長所を身につけよう。
けど、ただ怒って何もせず、クッテシコッテネルを繰り返してたらそりゃ仕方ないよっていう。
女は低スペック扱いされやすいし、それを回避できないんですよ。(もちろん例外もいるけど)
容姿で絶対的な地位がきまる不条理の中、低スペ扱いされまくってるから、
何らかの努力はみんなしてる。(不器用で方法は間違っててもね)
男性でも、不細工なのにモテる人ってのはスペック以外にも自分に厳しい一面があるんです。
たったそれだけの違いになんで気づかないかなあ。
美人やイケメン、ハイスペックは優位だし、もたざるものや経験が少ない人は弱い。
そういう明文化されていない序列が生じるのは仕方がないし、それを踏まえた上で恋愛しないと痛々しい人になっちゃうんですよ。
好きな人には痛々しくなって欲しくないから、彼女もそれを伝えたんだと思う。
いわば愛情だよ。
先日起きた一週間に及ぶ株価の暴落は、
アキュセラの会長兼CEOの窪田良による人災だと認識しています。
なぜそう言い切れるのか?
会社の未来を左右する重要な発表を
当初6月に発表すると報道しておきながら、突然5月に発表したからです。
オリンピックでいうと100M走の決勝戦で大衆が見守る中、
おもいっきりフライングをするようなものです。
本当のオリンピックなら当然反則になりますが、ここのオリンピック(東証)では、
公式に新記録として認定され、しかも金メダルまで獲得してしまいました。
そんなことをすれば、競技を見に来た観客は怒り狂うでしょう。
ウサインボルトが世界新記録を出して金メダルを獲る瞬間を期待していたら、
「こんな競技2度とみるかっ!」「こんな大会廃止してしまえっ!」
と、怒り狂うでしょう。
でも東証では実際にそういうことが起こりました。
・治験失敗したこと ⇒ ○しょうがない。可能性としてはよくある事
・5月25日にストップ安をつけたこと ⇒ ○しょうがない。よくある事
(直近5ヶ月間で株価が10倍近くに膨れていたので利益確定売りが始まってもおかしくない)
・北尾CEOによる買い煽り ⇒ ○しょうがない。迷惑だがよくある事
・5月26日の早朝に結果発表した事 ⇒ ☓ 窪田良会長による人災
(史上最大の爆弾を投下)
やはりこれに尽きます。
株主はそれを望んでいたでしょうか?
いいえ、1ミリたりとも望んでいません。
トップラインデータの結果が他の社員、役員が漏らしてしまうようなズブズブな管理体制なので
6月まで公表ぜずにいるとインサイダーに抵触してしまう可能性が高かったため、
前倒しして26日に発表したという事であれば、少しは理解できますが、
ブルームバーグでは、
‘アキュセラの柏野広報担当は、「情報漏えいがあったという事実はない。
アキュセラ社は情報管理を徹底していて、役職員に対しての教育も十分行っている」と述べた。’
とあります。
(アキュセラ:情報漏えいの事実ない-試験結果公表前の株価急落で:ブルームバーグ記事)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-06-01/O82KI36S972L01
それなら尚更6月まで発表は控えるべき。言っていることが矛盾だらけです。
5月~6月頃に結果が出次第発表するとアナウンスしておくべきです。
この発言で分かったことは、
ということです。
含み益のある株主は、結果公表の前に全ポジションを解消するか、
あるいは1~9割くらいは解消するつもりだった人がいたはずです。
そのため、5月下旬から6月に差し掛かかれば、治験結果が良くても悪くてもいいように
防御態勢(ポジション調整)をとっていたでしょう。
防御態勢がとれていれば、5日連続のストップ安はまずありません。
結果的に株主の期待を裏切り、失望させ、その上怒りをかった本人は、
もし悪気がなかったのだとしたら、上場会社の経営者として0点です。
あまりにも未来を予想する能力が無さ過ぎます。
2016年5月25日(水)から6月2日(木)の7日間にかけてアキュセラ・インクの株価が
7,700円から1,100円まで下落し、東証市場最短で株価が7分の1に減った事象をいう。
その間、インサイダー疑惑が取りざたされたが、大株主のSBIグループも窪田CEOからもインサイダーは行っていないという発表があった。
あなたの独断で多くの投資家が人生を失う危機に陥ったのですから。
アキュセラ。
7600→1100。良い勉強代でした。自分のルールを守れずJCした結果なので、後悔はしない。猛省する。
ここでお別れ。でもアキュセラはこれからも信じてる。— たけ@アキュセラで退場中。 (@takecera) 2016年6月2日
おはようございます
今日は清々しい天気で気分も少し違います
最近、普段感じられなかった当たり前の事が凄く大切な事に気付かされています
アキュセラは今日こそ寄って欲しいです…
追証金額も1000万超えそうな勢いです pic.twitter.com/X1rKyQR2sf— おに (@ryu5381) 2016年6月1日
うちのアキュセラ、来週からいよいよ含み損の域に突入していくわけだけど、どこで寄るかによってリーマン以来の爆損になる 人生二度目の大敗— のんちぇる@入院中(8日目) (@nonchel_fx) 2016年5月28日
窪田会長は以前に、私は忘れる能力が長けていると自らインタビューに答えています。
集中力を鍛える「忘れる力」(PRESIDENT online)
http://president.jp/articles/-/16342
うまくいかなかったことは、すぐに忘れて次の事に集中するのだと。
そして、アキュセラショックが一段落ついた頃には
六本木のキャバクラに出没していると目撃情報がありました。流石です。
やっぱアキュセラは売りか
“@jkerouac1117: 六本木のキャバクラ行ったらアキュセラの窪田社長いたんだけどwww#六本木Baddgirl”— Taiki_A (@taiki_asakawa) 2016年6月3日
でも、これだけ不名誉な記録を作り、
あなたの会社を信じた株主に大きな犠牲を強いた事は
持ち前の長所で忘れているとしても、たまには思い出してもらってこれからの
研究をなんとしても成功できるように尽力してほしいものです。
日本サッカーの低迷の原因は、長所を理解せず、短所を武器に戦おうという愚かさに集約されている。 - Togetterまとめ
このまとめについてなのだが、サッカーの事はあんま詳しくないのであるが、身近な観測範囲で常に思うのは、「みんな『自分が判断して行動を起こす』という事を、間違えたら手足もがれるほどの重罪に値する位の感覚で非常に重大に捉えているんじゃないか」という事と、「『頭を使う』という事と『技術を使う』という事を混同している」という事であるのです。
不肖増田は制作系のお仕事で、企画営業ではない内勤のポジションをしているのであるが、同じ事の繰り返しばっかでつまんねえなと思い、ある日、勝手に企画を作って営業にプレゼンをして、まあオマケの小企画として採用になった。
その事を後輩ちゃんに自慢した時に帰ってきた言葉が、「勝手な事するなってやな顔されないんですか?」であった。
されねえよ。
されないように考えて作って、「これこれこういう風に話持ってきゃ、営業の力で何とかなんない?」って道筋かんがえれれば相手もこっちの絵図に色つけて動いてくれるっつーの。
誤解なきように言っとくと、後輩ちゃんは素直で才能あふれるいい子であって、白痴でも無能でもない。
しかし、「自分は判断する立場になく、立場にない自分が『判断する』のは規律を乱す重罪である」と思い込んでるようなのだ。
その時にどうすべきかを話し合った結果は、だいたい「コミニュケーションをちゃんととろう」「作業を効率よく行おう」であった。
具体的な何かが生まれると言うより結局「仕事に対する向き合い方の問題」に回収されるのであった。
増田は別の後輩くんに言ったね。
「俺らさぁ、技術は使ってるんだけど、頭は使ってないんじゃないの?」
そもそも、部署では人日の仕事量の計測も予測も立てて無かった。
なので、簡単なエクセル様の表を作って予測を立てただけで、無茶苦茶な作業分担はだいぶ減った。
今でも後輩くんたちがそれを使っていると知った時、長く役立つものを作って嬉しい反面、「君らいつまでそれ使ってんだ。そんなふっるいものより改善したもの作りなさいよ」と思った。
なんつーか、腕力以外はざっくり「頭を使う」でまとめられてて、「技術」と「知的作業」に違いがあるって事をそもそも考えてない様なんだよな。
VR(Virtual Reality)を娯楽にばかり使われるものと思いたがる人もいるけど、
娯楽向けビジュアルってデフォルメ表現がコスパ最強だし、それは今までこれからだって一緒だ。
HMD+デフォルメ立体アニメーションは開拓していったらいいと思うけどそれVRじゃないよね。
VRは楽しくない分野にこそ採用されていくだろうと思う。教育・監査・試験・スポーツ・刑罰というあたりは
ある程度完成度が高まればどんどん採用されていくんじゃないかと思う。
(スポーツを入れているのは、スポーツは基本体をいじめてその反動を味わうものだからだ。)
試験というのがかなり需要が高いと思っていて、これは資格試験のようなものだけでなく、
十分に完成度が高くできるのであれば思想チェックに使える可能性があり、リアル踏み絵が横行するんじゃないかと思う。
教育はまぁ言うに及ばないことではあるけど、今までフライトシミュレーターのような専用設備を作るほどではないから
訓練装置が一般的じゃなかった免許のたぐいもシミュレーター訓練をまず何十時間もやってから実機にタッチするようになるように思う
販売側のイメージダウンを危惧して刑罰に採用されるのは挙げた中では後のこととなる可能性は高いものの、何気にこれが
一番社会的インパクトがあるんじゃないだろうか。なんせ人権問題を気にせずに「処刑」ができて回数も指定できる画期的制度でかつ
娯楽用途で制作されたVRコンテンツを嫌がる人に強要するハラスメントが社会問題化すればイメージダウンなんてのも今更になるし
VR刑は非人道的だ、という反対派の声を押し切る形で導入されるだろうと思う。
地方住み学芸員として、なんとか声をかけられないかと悩んで投稿します。
かなり忙しくしているようだけれど、普段の生活や学芸員としての活動が、館の業務だけに終止しないように気を付けるべきと思いました。
学会に参加したり、出身大学の先生や先輩後輩と交流したり、あるいは地域内外の専門が別の学芸員との研修会的なものに顔を出したり。
遠ければメールや手紙だけのやり取りでも良い。関係性を館とだけにしないように。
とにかく学芸としての活動を、能力の発露の場所を、所属館だけとの関係にしないように。
これって地方ゆえに難しいのだけれど、だからこそ遠出したほうがいい。いろんな館に行っていろんな人にあった方がいい。
本来は非常勤職員ってのは正規職員に比して勤務時間が短い分、上記の人との交流や研究・勉強(あるいはそうした学術的なことに関するアルバイト)の時間が持ちやすいのだけれど、投稿を見ればその長所ともいえる部分が削がれてしまっている。
そういう意味では臨時職員の任期が一年であるならもうそこはやめた方がいい。求められる技能に比べて、時間・給与がおかしい。
他の枝でも言及されるように、アートにはいろんな携わり方がある。
ある意味こだわらないことが大切で、こだわらないためには選択肢を増やすことも大切で、だからいろんなところに顔を出していろんなことをしている人と出会って、考える材料を溜めることが大切。
そういうことをするためには、今の職場の環境は圧倒的に不利と感じます。
的外れな話になっているのではないかと懼れていますが、少しでもよきアカデミシャンとしての活動を為されることを祈っています! 体壊さないようにご自愛ください。
ちょとだけ言わせてほしい。A子の容姿についてしか書かなかっただけで、「容姿しか見ていない」になるのはちょっと言いすぎやしませんかね?
あのですね、確かに容姿についてしか元増田は書かれていないけれど、特筆すべき点ということで書いただけで、A子が好きな食べ物だとか、バンドだとか、そういうことを買いてどうなるんでしょう?
ついでにいうと、ブックマーカーの皆様方が思うより、女の世界において、容姿っていうのはかなり強い影響力を持ってると思う。
男性もね、中学くらいまでは価値観が未分化で、「いけてる/いけてない」の二分法で、一種のカースト制度だと思う。
スポーツが出来る子は、足も速いし球技も出来て、クラスの中心で、ヤンキーがモテるとは言わないけどヤンキーが多かった。
ファッションとしてのヤンキー、主流派のたしなみ、みたいなもんだったと思う。
とにかく、そういう「いけてる」とそうでない人たちという、カースト制度があったのを憶えてる。
でも、高校も後半、大学になるころには、価値観も分化していって、一絡げに「スポーツが出来る」じゃなくて、「野球が得意」「サッカーが得意」っていう風に細分化して、「ピアノがうまい」「歌が上手い」「数学が得意」っていう文科系や理数系の長所も異性の魅力として認めれらるようになって、たいていの男子は多少なりとも異性として誰かの目に留まるようになっていったでしょう?
誰もが誰かのオンリーワンになれる。
お腹の膨らんだ頭頂部が寂しいオジサンだって、結婚してるでしょう?
一方で、女性はね、10代の頃も20代の頃も30代になっても、「女子」という競技の中でしか勝負できないじゃないですか。
顔の造形は佐々木希のような端正さ、ジブリ映画の主人公のような好奇心を秘めたまなざし、陶器のような白い肌、ガラスで出来てるような光を反射する爪。
一挙手一投足はおろか、瞬きの時のまつげの揺れ一つで、空気を変える。
そんな子がいたら、それは容姿についてまず描写してしまいますよね?
かわいい子は逆にいじめられるっていうけど、それは男性が考える嘘だと思う。
「かわいいは正義」
本能的に、叩けない。
だから、やっぱり容姿について書くのは、別に不当なことじゃないし、だからといってそれが責められることでもないと思うんですよ。
女子力がない女子が生き抜くためには、しぐさや化粧のテクで女子力をアップさせるか、敵の少ない戦場で勝負をしていくしかない事情もあると理解できませんか?
男性のバリエーションが豊かになるので(中学のように「いけてる/いけてない」だけじゃなくなるので)、女子からみた取りあいは少なくなるけど、男性からみたら、一番きれいな子と、それ以外というふうに見るでしょう?
自分を受け入れてもらうことだけで、相手を愛するとか受け入れるという発想が皆無になってしまうことが今でもある。
異性に全く相手にされない時代の呪縛で、それがひょっこり顔を出したとき、それに気づいたときのハッとする感覚、それは特別なことじゃない。
かなりの女子が持ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20160419111135
お風呂場でシャワーを浴びながら、わたしの朝食を準備するだけで満足気になる彼氏にどう愛想を振りまくべきか、考える。憂鬱になる。
それから、先週の土日にお泊りデートした同僚の男友達を思い出す。
あのくらい年収がある彼と付き合えたなら、わたしが朝食を作る側になれるのになぁ。
朝食を食べ終える。
うーむ。わたしが迷っているのは色であって暑さのせいではない。
同棲してから、気持ちを推測して理解できてる俺アピールがウザくなった。
彼氏が出勤についてくる。仕事モードに切り替えたいのに、どうでもいい話題を振ってくる。
わたしの大変さの対価でおまえは食わせてもらってるんだよ、わかってる?と言いたい。
11時半ごろ、彼氏からラインが来る。高そうな飯画像が添付してありブチ切れる。
せめて12時過ぎてから送れや。就業時間中にタダ飯野郎から上等な飯画像送られてくるコッチの身にもなってみろ。
17時、仕事で一段落。ほっと一息ついた瞬間、姉から「カツオもらっちゃった~」とラインが来る。うぜぇ。
わたしの心が冷めていると感づいているのか、彼氏は姉へと媚びるようになった。
18時に仕事が終わる。同僚の男友達とカフェに行って、パスタを食べて、コーヒーを飲む。
21時になってカフェを出た。軽く言葉を交わした後、彼は、じゃあね、と手を振って背を向けた。
後ろ姿がなんだか可愛くて、歩き始めた彼の背中に向かって駆け寄り、思わず抱きついてしまった。
20分くらいイチャイチャしてたけど、そろそろマズイかなと思って、離れる。
彼氏と合流して、自宅に帰って、食事を取りながら遅くなった言い訳をした。
なし崩しでヤッた。
ちんぽは不潔だというイメージを持たれがちだが、不潔にしてる奴は自己管理がなってないだけだ。
ちんぽが臭い、汚いと思っている人は不幸だ。
今まで素晴らしいちんぽに出会ったことがないのだろう。
スーパーの安い肉を食べて「肉は不味い」と文句を垂れているようなものだ。
本来ちんぽは鍛えたり磨いたりすれば、本能的な高揚感と芸術性を併せ持つ、非常に魅力的な部位になる。
もちろん才能も必要で、生まれつきの大きさや形、大小でその長所も変わってくる。
単純に大きければいいというわけではなく、例え小さくても、妖精のような魅力を放つものもある。
あの人を惑わすエロさと造形が持つ芸術性の魅力は、名画に描かれるような神話級のプロポーションを持つ女性と肉薄する。
また、匂いも芳しい。
ただの不潔さ故の匂いではなく、フェロモンが放つ上質な匂いというものが存在する。
その匂いをまとったちんぽは五感のうち視覚と嗅覚に激しく訴えてくる。
そのようなちんぽに出会った時、男女関係なく、人は残りの聴覚、触覚、味覚でもっとその物体を感じてみたいと思うだろう。
今日は自身をモデルにした数々の戦争映画が作られた「ヒトミ・イトウ」と「シズカ・メタバーナ」のカップル、あの宇宙世紀のロミオとジュリエットに直接話を聞いた。
ヒトミ「れんPOW!」
シズカ「Gオン!」
ヒトミ・シズカ「「ラーブラブ!」」
突然始まりましたけど、なんですか?
ヒトミ「これは今度やる一年戦争記念館を応援する番組『連邦とジオンのラブラブレイディオ』の挨拶です」
シズカ「ラーブラブ!」
は?
ヒトミ「ええとですね、宇宙世紀の前、西暦の時代に子供向けのアニメーションに声を当てていた、声優と呼ばれる職業の方々やっていたアニラジという文化がありまして」
は、はあ。
ヒトミ「そのアニラジでは、番組独自の挨拶を作っていたんですよ」
そうですか、どうでもいいですね。
シズカ「どうでもやくないやい!」
すいません。
ヒトミ「『連邦とジオンのラブラブレイディオ』は、サイド3FMで、一年戦争を知らない子供達から、ラプラス事件を生で見た老人まで、幅広い年齢層に向けてお送りしています」
ヒトミ「地球の人たちには、日本の地方FM番組『ムラサメ研究所のムラムラしない夜はコレを聞け! 』のスポンサーでお馴染みの、スジャータさんです」
えー、スジャータ凄すぎない?
ヒトミ「スジャータさんは、仏教を通じてニュータイプ思想を解釈していて、かの第二次ネオジオン戦争では、スジャータさんがインドで開催した「ニュータイプ修行ツアー」でニュータイプに覚醒した、少女が巨大MAで活躍したって噂があるぐらい、地球にいながらも、アースノイドやニュータイプに詳しいんですよ」
本当っぽいけど嘘ですよね?
シズカ「嘘じゃないよ! あの百式とか作ったナガノ博士が「俺の嫁のクェスって子がね」って言ってたもん!」
お前その理屈だと、ベルトーチカもナガノ博士の嫁になるじゃねえか、この記事はマフティーの動乱が起こってるらしきことを最後に示唆して終わるんだから、ベルトーチカチルドレンと繋がらなくなるネタフリ辞めろや。
はい、仕切り直しです。
ヒトミ「すいません」
シズカ「ごめんね、ごめんねー」
まず、お二人が何故「宇宙世紀のロミオとジュリエット」と呼ばれているのか?
シズカ「あの映画のヒトミちゃん可愛かった! けど、本物のヒトミちゃんの方が可愛い!」
ヒトミ「もーシズカーも、本物の方が可愛いよ」
あれ、今気づきましたけど、この再現映画って設定、ジレン暗殺計画と被ってますね。
ヒトミ「あのごめんなさい、いちゃつかないのでメタネタ辞めてください」
わかりました。
では、お二人の出会いについて教えてください。
ヒトミ「えーっと、83年の11月のことです」
えーっと、あれですねデラーズ紛争と呼ばれる、ジオン軍の残党がコンペイトウで行われていた観艦式を襲撃した戦闘。
シズカ「シズカもでーす!」
えー! そうなんですか? 映画だとお二人の出会いはグリプス戦役だと描写されていたんですが?
ヒトミ「あれ、地球だとまだあのガンダムの話って禁句なんですか?」
シズカ「持たず、作らず、持ち込ませず」
ガンダム? ちょっとよくわからないですが、その戦争でお二人は出会うんですよね。
ヒトミ「はい、私は観艦式の護衛として、ジム・ガードカスタムに搭乗していました。索敵任務中でした」
ええと、モビルスーツの名前が色々出ましたが、ジム・ガードカスタムは、ジムのカスタマイズ機ですよね?
ヒトミ「そうですね、当時も色々とジムのカスタマイズ機は生産されてたんですが、私みたいなのに回ってくるのは、一年戦争当時の残り物でした。
ガードカスタムという名の通り、体が隠れるぐらいの大きいシールドが特徴的ですね」
それは、やはり女性という立場から、そのような被弾しても問題ない丈夫なジムを振られた?
ヒトミ「いやー、関係ないでしょ。さっきのニュータイプの女の子の話じゃないけど、モビルスーツの操作技術と性差は関係ないと思いますよ」
は?
ヒトミ「ごめんなさい」
シズカ「ごめんちゃい」
で、シズカさんが乗っていたのが、ドガッシャ。
シズカ「ドガー! シャア!」
どんなモビルスーツなんですか?
シズカ「ハンマー!」
ヒトミ「ガッシャっていう、水中専用MSを宇宙対応したものなんだよね」
シズカ「そなの?」
それで、連邦軍とジオン残党という、敵同士の関係がお二人のファーストインプレッションだったんですね。
具体的にはそれぞれどう感じました? よく戦争映画では「このプレッシャー…… あいつか?」みたいな、やり取りが描かれますが。
ヒトミ「戦闘中のことは覚えてません」
シズカ「おなじくー」
えー。
シズカ「おなじくー」
それもそうですね。
そして、その戦闘でシズカさんを鹵獲したヒトミさん、お二人の恋はそれから始まるんですよね。
ヒトミ「可愛かったから?」
シズカ「ぐへへー、かわいいーって言われたー」
顔が?
ヒトミ「顔がですね」
シズカ「ぐへへー、顔かわいいー」
ただその、シズカさんは所謂デザインベビーで、いわば作られた美なわけですよね。
その点や、そういうった少女を戦争の道具に使うジオンへの嫌悪感などはなかったんですか?
ヒトミ「ないなあ」
そういうもんですか?
ヒトミ「そういうもんでしょ。デザインベビーっていう、生命に人の手が入る事への嫌悪感とか言い出したら、そもそもこうして地球から離れて宇宙で暮らす事自体おかしいでしょ」
うーむ。
ヒトミ「所謂『ありのまま』とか『自然が良い』みたいな思想はアースノイドだけじゃなく、スペースノイドの人にもいます。
ただそれって、アースノイドとかスペースノイドとか関係なく、地球を知ってる人の意見なんですよね」
知っているとは?
ヒトミ「ようするに、地球にお世話してもらってた人ってことかなあ」
ヒトミ「酸素であるとか、水であるとか、そういうものをお世話してもらってるのは事実でしょ。宇宙じゃ全部自分でやらないと」
シズカ「食べ物もねー」
ああ、なるほど。
つまり、アースノイドよりもスペースノイドの方が優れていると?
ヒトミ「それはないでしょ。お世話してもらえるならお世話してもらえばいい、苦労しないにこしたことはないよ」
シズカ「私もヒトミちゃんにお世話してもらってるー」
ヒトミ「うん、それといっしょで、役割分担が違うだけなんですよね。アースノイドにはアースノイドの、スペースノイドにはスペースノイドの長所と短所があるんですから」
でも、ジオンはスペースノイドの方が優位だと掲げていましたよね。
ヒトミ「私は思想家でも政治家でもなくて、ただのジオンの軍人と結婚した連邦の軍人で、しかももう軍を辞めてて、責任を追わなくていい立場だから、好きに言っちゃうけど、
例えば、ハマーンカーンがアクシズで暗黒の世界に居るのが嫌だったのは、彼女がアクシズで暮らし始めたのが、自分の選択じゃないからだと、思うんだよね」
それは、棄民政策でスペースコロニーという宇宙での暮らしを強制された、初期の宇宙移民たち、つまりジオンズムダイクンにも通じると?
ヒトミ「そうだね。自分の環境が変化したとき、それが自分の選択によるものじゃないとき、人はその変化に反発消化しないといけないんだよ」
変化に反発?
ヒトミ「そう、変化。サイド3で政治家の娘として暮らしていたが、突如アクシズで寒い宇宙に放り出されたハマーンカーンも、首総の息子であったために内紛に巻き込まれたキャスバルも、それが受け入れられない変化だから反発したんだと、私は思ってる」
シズカ「ミネバちゃん」
ミネバ? 確かにザビ家の遺児でありながら、先の戦争で彼女はネオジオン側についていなかったようですね。
ヒトミ「そう、それは彼女が物心ついたころから、あの立場だったからじゃないかなあ。彼女にとって、ハマーンが耐えられない暗黒の世界は、日常だったんだよ」
なんとなくわかってきました。
ヒトミ「宇宙世紀になって、人が宇宙で住み始めてもう100年です。
こうして私たちみたいな『女同士のカップル』が異常だ、マイノリティだ、と騒がれていたんです」
なぜ? 今じゃあ至って普通のことですよね?
ヒトミ「ね、何故? って思うでしょ」
シズカ「ふつうなのにねー」
ヒトミ「それは、人間が生殖以外の目的を持っても良いぐらい豊になったからかもしれないし、科学の進歩により同姓でも子供が作られるようになったからもしれないし、他者への寛容が進化したからかもしれないし、その逆に無関心なだけかもしれないし」
ヒトミ「どんどんコロニーが広がって行って、いつか地球のことを知りもしない子供たちが増えて、もう別の太陽系で暮らすようになったら、
きっと、また別の理由を見つけて争いが始まるんじゃないかなあ」
争い自体は無くならないと、思っているわけですね。
ヒトミ「理屈は何にもでもくっつくからね、女同士の恋愛が異端であることも、普通であることも、どっちにも理屈はくっつく。正しいか正しくないかは別として。
事実、こうしてサイド3では戦争が終わってウン十年を祝ってるのに、
地球じゃ特権階級をもつ政治家を粛正しようと、マフティーなんてテロリストが暴れてる。
そして、何年先になるかはわからないけど、きっとまた独立を掲げるコロニーは出てくる。
もちろん中には、もう地球を見捨てて、コロニーだけで暮らして行く人たちも出てくる。
もうそれすらも嫌になって、別の太陽系を目指す人も居るんだと思う。
でね、私はそんな苦労を、レコンギスタし続けることを、辞められないんです」
シズカ「辞めたくないよねー」
それは何故?
ヒトミ「地球って重力があるから、オッパイが垂れるんですって」
シズカ「ヒトミちゃんはオッパイ大きいから、重力の影響も大きい。シズカは小さいから良いけど、ヒトミちゃんは死活問題。40代特有の肉の付きやすさもあるし」
ヤックデカルチャー!
シズカ「メタいよー」
一年戦争という、人類の種としての存続が危ぶまれるような戦争を経て、人間がどう変わっていくのか、どこが変わらなくてもよいのか。
そんな「人らしさ」を強く感じられるインタビューだったと思います。
それじゃあ、最後に何かあればどうぞ。
ヒトミ「えー『連邦とジオンのラブラブレイディオ』以外にもラジオを中心に活動しています。詳しくは、Twitterを見てください」
・嫌いな人ができるメカニズムは、自分の中の無意識にきずいた”ルール”に逆らっているから
→確かに、「ありえない」と思うことをしているし、自分はやらない、と決めていることだったりする。
・人間が本来嫌いなことは3つだけ。暗い所、大きな音、高い所。それ以外は経験をもとにセットで思い出される嫌な感情。
→確かに、過去味わった嫌なことを思い出す。それがきっかけだった。
対処法1 あきらめる
相手への批判の気持ちをあきらめる。「どうでもいいや」と考えるようにする。自分の気持ちが受け入れられなくてもいい、ルールが違うと思う。嫌なことを思い返しても、自分が苦しさを抱えるのはつらいこと。
→小さなことについては、吐きそうなことを味わうよりは、どうでもいいや、って思った方がマシかも
上記の通りだが、自分にも同じ部分があることに気付くことができる。嫌な気分を味わったら、そのことから卒業できていない自分にも気づける。
→うーん、結局は自信がないってことなのかな
好きな人なら気づかないはず。心のメカニズムを理解して、感情に流されないようにしましょう。
あとは、嫌いな人とうまく話している自分をイメージして、そこに向かっていくだけ。
→ここがイメージできない。先輩がその人と過ごす姿を想像してみる。
参考にしたサイト
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
自分の知る範囲では、どんな職種でどんなタイプの人でも、社会人になって最初は必ず落ち込むときが来るようだ
周りはみんな何でもできるのに自分ばっかりできないような気がする、そんな時期がね
自分自身もそうだった
でも、それは新人なら当然のことで、そうならない方が余程特殊な人だ
ひとつひとつ上手くできないながらもやっていくうちに、少しずつ慣れて以前より上手くできるようになる
他人より上手くできるかは分からないが、今の自分よりは必ず上手くなる
とりあえず1年、1年だけ辛くても頑張ってみて、それが終わってから今後のことを考えるんでもきっと遅くない
もし1年目に最初より楽になっていれば、2年目にはもっと楽になる
適性や特性は人それぞれだから、合う合わないはやっぱりあるだろう
でも大抵の仕事は、一つのスキルだけですべて決まるものじゃない
コミュ力がなくても集中力、集中力がなくても機動力、って具合に一つでも長所があればそれを武器にしたらいい
先輩のアドバイスは大事だけど、それはあくまで先輩の個性を踏まえてのアドバイスだ
何をするにせよ、睡眠と食事と、冬場は暖かくすることが、案外幸せを与えてくれるよ
体を大事にがんばれ
とある得意先がある。
この会社は消費者向けのサービスを売っている日本の最大手企業で、社名は知らない人は居ないと思う。
で、この会社はとにかく金払いがしっかりしているんで、私のような零細企業にとっては有り難い限り。
支払いサイトも短く、こちらが見込んだ売上をほとんど通してくれる。
が、この会社は弱点もあって。
それは自分で実際、消費者として使ってみるととても使いにくいし、かなり不便な会社なんだよね。
自は彼らの広告のお手伝いをするのだけど、なんか複雑。
誇大広告にならないように欠点は言わず長所を徹底的に強調するのが王道なんだけど、なにより自分が使っていて、「なんじゃこりゃ」状態なわけで。
これでも日本で一位ということで、つくづく商品やサービス力じゃない所でモノは売れると痛感。
前に、何もしなくてもいい商品は売れると言った子供が増田にもいたけども。それ「だけ」じゃないわけで。
流通、サービス、ブランド、そして宣伝などの総合的なパフォーマンスを上げるか、どっかの切り口で勝負するか。
ソシャゲーはゲーム通はこぞって批判、子供の遊び、ガチャだけとか批判するがこれだけ普及している理由を一度でもまともに考察しているのを見たことがないのと似てる。
小売店や飲食店の店員、サラリーマン、公務員、土木作業員、電気技術者、ビルメン、医療関係者、塾講師、研究者…世の中にはあまたの仕事がある。
働いている人の姿を見る度に「この人たちは凄い」と感動する。
道端に落ちている茶色く臭い物体に酷似した顔に、ボンレスハムのような醜悪な肉体。
会話のキャッチボールも実際のキャッチボールもまったく出来ない。学歴もクソで、資格もない。頭も悪い。
一方自分の長所は何もない。むしろこの期に及んで長所を探そうとすることも、短所であるといえないだろうか。
労働できる能力が何もない。それどころか美点すらない社会の粗大ごみだ。
そんな人間、昔ならとっくに野垂れ死んでいることだろう。
レシピに不味いって批判がつけられない馴れ合いな雰囲気が嫌って人が居たんだがバカじゃなかろうか。
まず旨いか不味いかは地域差や個人の好みが大きい、凄く甘いチキン南蛮を喜ぶ人もいれば不味と思う人もいる、京風な上品な味を旨いと思う人もいれば味がしないと思う人もいる。
しかもレシピなので作る人の調理環境や使う材料や力量にも左右される。
解らなかったのはその人の力量不足だ。
殺伐とした雰囲気になれば、人気のあるレシピ程そういう攻撃的コメントにさらされる事になるだろう。
基本的に皆さんが無料でレシピを上げてるサイトなのに、人のモチベーションを下げるのは利用者にとって害悪でしかない。
どんなマイナー食材やマイナーな料理でもレシピがあり、どんな好みの人にもあう味付けのレシピがある、その多彩さこそ誰でも書き込めるレシピサイトの長所であり、レシピの数は多いほどいい。
今、映画を年間200本見るという人の記事が話題になっている。
「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」
この手の、「価値基準と評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。
大学に上がり、できた友人が美味いものが好きで、自分からみて驚くほど色々なところへ行き、楽しんで食べていた。
サークルに同期がいて、彼もあまり食に興味が無いタイプだったのだが、
「確かにミラノ風ドリアは美味い。コスパもいい。しかし、奴はサイゼリヤ以外の場所にあんまり行ったことがない」
と、食べるのが好きな方の友人が言っていた。
食好きの彼は、和洋中問わず、一度食べれば実に細かく味を把握する。
食に関することだけは該博な知識を持っており、外国の料理や文化にも妙に詳しい。
しかしその一方で、コンビニおにぎりの冷たくしっとりしたごはんが好きで、よく喰らっている。
駄菓子も好きで、体型はお察しの通りであるが、いつも幸せそうだ。
なんの話だったか。
「食の部屋」であれば、食に関する、記憶や知識をしまっておく部屋である。
例えば、「行きつけのこじんまりした喫茶店」は、手に届きやすいテーブルの上に置く。
「めったに行けない高級中華の店」は、上のほう、手の届かない棚の上にある。
「高級な中華の店は、誰でも名前を識っているから偉い」とか、そういうことではないのだ。
そういうことではなくて、単純に「自分の中でどう判断して何処にしまうか」なのである。
配置の問題だ。
味、値段、接客態度、内装、知名度、立地、一緒にいく人や使い方…
「食の部屋」でいえば、食に興味があるほど、詳細な基準があるはずだ。
某ファミレスは親しみやすい。ファミリーに優しいし「柔らか青豆の温サラダ」は最高にコスパが良い。
しかし、同じエスカルゴでも、フランス料理店で食べるものとは若干違う。違ってしかるべきである。
「どちらも同じように美味い」と感じられる者は幸いであるが、高い方が気の毒でもある。
恐らく、多く/深く経験を積んでいる人間のほうが、精緻で充実した部屋を作れるはずだ。
単純な上下でなく、諸々の価値基準を考慮して三次元的に配置された記憶は、きっと役に立つ。
映画の話に戻る。
おそらく、「映画の部屋」も、ほぼ誰の脳内にもあると思われる。
その膨大なデータが、きちんと部屋に配置されしまわれていない(ように見える)からではないだろうか。
なぜ、その映画をここに配置したか。その価値基準が分からない、というように見える。
映画が好きであれば、映画というものの歴史が頭に入っていて、その歴史においてこの映画は
どういう流れを汲む、どんなポジションの作品か、ということが見えているはずだと思う。
例えば、GoogleのPlayストアをたまに見るけれども。
「このアプリはほんとにクソだぜ!」とか「神だぜ!」とかレビューが書いてある。
アプリに限らないが、残念なレビューやコメントだな、と個人的に思うjのは、
こっちは、その製品の長所や短所が知りたくて見ているだけである。
また、ネットで見かける「オススメの本/映画/漫画ない?」系も若干不思議を感じる。
勿論、はじめからそれほど期待はしていないのだろうし、当たれば八卦で面白いのはわかる。
が、オススメするほうもされるほうも、相手の年齢も嗜好も何ひとつ知ろうとすることなく、
「オレが面白いと思った本」を無邪気に薦めていく。
そりゃ、面白い本はごまんとあるだろうけれど、その判断基準を聞かなくていいのだろうか。
「この本のどこがいいの?」「うん、このヒロインが俺の初恋の人に似てるんだよね」
みたいな理由だったらどうするんだ。いや、それはそれで面白い本との出会いかもしれないが。
散漫になってきたけれども。言いたいのは。
物事を上下でなく、色々な価値基準から観て、知識の部屋にマッピングしていくのが大事だと思う。
食べ物や服や住居はだいたい、その価値にみあった値段がついているが、
文化・芸能・娯楽などに関してはその限りではない。だから見えづらいけれど、