はてなキーワード: 坂田利夫とは
・あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」
・アッホ! - フジテレビ「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦スペシャル!!」で清水アキラが坂田利夫のマネとして、ピンクレディーの扮装で「UFO」を歌った際、「ご本人登場」として坂田も共演。そのギャグを逆パクリしたもの。
・アホウドリの歌 - 「なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!」などに出演した際に、番組の終盤近くなどで披露する歌。
・ あ~りが~とさ~ん(当たりギャグである、山本正から5000円で買い取ったギャグ)
・ あんたバカね、オホホ~(ルーキー新一の「あんた知らないの? ホホホン」の流用または盗用ともいえる)
・ いえす、あいどぅー
・ 恋のマイアホ - これまた、ものまね番組で清水アキラが坂田利夫のマネとして、「恋のマイアヒ」を歌った際、「ご本人登場」として坂田も共演。そのギャグを逆パクリしたもの。
・ ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリ~ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ(冒頭に「みみずもカエルも皆ごめん」と言う場合もある。)
・ G・N・Pは国民総生産、G・D・Pは国内総生産、Y・K・Kはチャックの会社(オチ)
・ 手足をくねらせながらの独特の横歩き。吉本の舞台では、時に「アホ」と大きく書かれた赤い腹巻きを着けていることがある。
・ ファーホーファアーホー(椅子などに座り、両手両足で交互に拍手をしながら)通称「とっちゃん叩き」。
・ まいっちゃったよたまんないね
このコロナ渦の中やっとお外に出られるわね!って思って遠くに行きたい県境の越境を目指しているところです。
でもこの時期は、
まったくもって
お出かけも出来ないのよね。
週末ゆっくり出掛けたいわって思いつつ、
やることも一杯なので、
私の所はというと、
まあぜんぜん1人部署なので気楽なもんだけど、
微妙にずっと出続けているという現状でもあるわ。
おかげでもう片付けるところがありません!って言うぐらい片付いちゃったし、
今度またいつ掛かってくんだよ!って心配をよそに過ごさなくちゃいけないのも、
税務署を気にしながら生きるって言うのもなんだか窮屈じゃない。
あのさ、
痛いの痛いの墾田永年私財法!!!
ってググっても0件を叩き出すようなことを趣味にしているところもあるわね。
この世の中ありふれた言葉の渦なのに、
検索ワードが0件って言うことを誇らしげに検索したことを披露する場もなく、
あれ何の話しだったっけ?と
話しのメインストリート4丁目に戻しつつ、
そうそうイライラのための頭の中で領域を支配されたくないって感じの話をしていたのよね。
だからそう考えると、
私たちが1日を過ごしている間にアフリカでは24時間も過ぎてしまうと言う
とんちでも何でも無いそんなカラクリには騙されない人になって欲しいわ。
そう考えると、
すーっと頭の中のイライラがシャワーのお湯と共に流れて行くおまじないみたいなようなものね。
それでね、
恐る恐るジップロックの袋を開けてみたら、
ほどよく塩味が付いた鶏ハムに華麗にも転身させることが出来たから、
人類が食料保存の1つとして歩んできた塩と共にその偉大さを感じつつ。
塩で保存食作る技術って侮れねーな!って美味しく仕上がった鶏ハムに舌鼓を打ちながら
ガンダムのホワイトベースのコックさんが塩が足りない!ってブチ切れて怒る理由が分かった気がするわ。
やっぱり塩は偉大なのねって
伯方の塩!って言う節で
どう考えてもその塩の偉大さはスゴいということしか無い塩対応なのよ。
うふふ。
定番のサンドイッチだけどたまに気が付いたら新発売!のシールが貼ってあるから、
いつだって新発売のことを私たちは忘れないんだから!って思ったわ。
大人になってから作るカルピスの濃さの自由自在さは大人ね!って唯一感じるところの無二ね。
濃いめで作ってみる憧れ。
一手間かけると良いことがある!って私はそれを信じているわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
質問が長いなあ。
怯んだが、まあ答えよう。
君の主張がそこまで的外れだというつもりはないが、少し誤解している。
「アホの坂田」こと坂田利夫は、プライベートで芸人仲間にアホ呼ばわりされると怒るというエピソードは有名だな。
だが、これは矛盾していない。
芸人などが自分の美醜などのコンプレックスをウリにすることと、他者がそれをいいことに笑いのタネにしようとすることには違いがある。
何も道徳的な、政治的な正しさという観点から、それらを「笑い」にすること自体を非難しているわけではないのさ。
何かが足りなかったり、或いは過剰であったり異常であることは、人間が感じる「面白さ」に密接に関係しているだろう。
その点で「笑える、笑えない」に、「健全かどうか」であったり「政治的正しさ」を無理に結びつける必要性はない。
長所を活かすことを是とするなら、短所を活かすことだって是としてもいいかもしれない。
誰かにとっての短所が、誰かにとっては長所になりうるという側面、まあよくある話だ。
だが、“そういうこと”に過敏な人や、或いはそれらの要素を罵って人格を不当に貶める人がいるのもまた事実だ。
誰かにとっての長所が、誰かにとっての短所になりうるという側面、これもよくある話だな。
そんな人たちの視線を基準に考えるべきか否かなんてことは、私が決めることじゃあないが。
仮に決めるなら、その世界の住人たちだろう。
例えばの話だが、障害者が障害をウリにした芸をやり、それを他の障害者や関係のある身内たちも笑う。
もしそんな世界があるのなら、それはそれで健全だとは思うが、まあ非現実的かな。
小人プロレスとかのように、そういう「正しさ」でもって誰かが割を食う側面はあって、それは必ずしも善悪の二元論で語ることが難しい可能性もあるのだが。
まあ、現環境に即した「健全さ」を目指して最適化していくしかないだろう。
さて、今回学ぶべき教訓はこうだ。