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2019-12-14

anond:20191213105828

終わったこ

弁当作り2

洗濯2干すまで。乾かなかった

トイレ掃除1 もう一箇所は出来なかった。

草むしり 予定の6分の1だけ 時間が足らず。

車の洗車、拭き取りのみ 車内清掃は出来なかった。

自分食事1 昼は抜き。

夕飯作り 子供野菜スープを食べられず。でもご飯は多めに食べられた。果物ヨーグルトをあげると良かったし、薬も飲ませ忘れ。

粗大ゴミは寝具、外の物、棚、絨毯を出した。棚の運び出しにあたり棚に入っていたものの処理は出来ず。掃除も出来ず。オムツゴミ箱は取っておくことにした。

子供の送り迎え 皿洗い 風呂掃除風呂は湯船から悪臭がして二回洗った。

ドラッグストアで洗剤や食品を買った。トイレ芳香剤を久しぶりに買った。アース製薬トイレのスッキーリ !というのがいい匂いユーカリとか入ったのを掃除できた方に投入。

風呂子供を入れられず。制服のまま寝てしまったのを寝たまま着替えさす。良くない。自分は入って髪も洗えた。生き返った。

[出来なかったこと]

居間掃除 おもちゃ片付け 服片付け 掃除機かけ クイックルで拭く →土曜朝皆が起きる前に終わらせる

古着屋に服を持っていく→ 一先ず保留

車内の掃除 →土曜朝皆が起きる前に終わらせる

ゴミ箱を洗って干せなかった →日曜にする

庭のわけわからんものまとめる →日曜にする

草むしり残り →月曜朝までにする

[土曜にするイレギュラー作業]

元の棚があった場所に別の棚を設置し、中身を設置、片付け

10時に出発

金曜の残り作業居間掃除

車内の掃除、窓のシール剥がし

[できると嬉しいこと]

フロアマット洗い 食品の床下収納掃除在庫のチェック チェックを元にドラッグストアスーパーに買い出し 子供タイツレギンスを買う 靴洗い2 {庭のプランター、重い鉢の移動、枯葉集めて捨てる}→月曜朝までにする

居間のマットの洗濯

冷凍庫の物で夕食のメインの物を作る

2019-12-13

父ちゃんが好き

両親とも晩酌をする人で、昔は大人の人はみんな夜お酒を飲むものなんだと思ってた。

母は私や兄の寝かしつけのためにビール一本くらいしか飲まずにそれなりの時間になると一緒に2階にある寝室に行って布団に入ってくれてた記憶がある。絵本とか読んでくれた。後々知るが母はそんなに強くないから一本くらいで十分だったそう。いつのまにかコーラを飲むようになってたし。

父は夜ご飯の皿が片づけられた後も畳の居間で乾き物やチーズなどをどこからかひっぱりだして寝るまで飲んでいた。寝れない夜には寝室を抜け出してそーっと1階まで階段を降りて酔っ払った父に絡んで遊んでもらった。三角形チーズは美味しかったし乾き物もしょっぱいけどいいものだと思った。

地元お祭り太鼓練習とかをチンドンチンドンだよって箸をバチ代わりに教えてくれた。(めっちゃ行儀悪くてすいません)

そんな夜更かしした次の日は私だけなかなか起きれなくて母も諦めるけど、父だけは理由を知っているからか「もう夜ですよー」って冗談言いながら階段上がってきて、布団をめくっても「夜だからこのまま寝るか?」と起こす気ゼロ安心して二度寝してた。

そして寝てる私の足を引っ張り出して、いつも足の爪をきってくれた。マッサージ付き。

パチンパチン爪を切った後、足の指をグニグニしてピーンと引っ張って「はい!終わり!朝だよー!!」と。

それでも起きれなかったけど、本当にいい父だと思う。

今日やる事リスト

洗濯2 洗濯干し 取り入れ畳む 風呂掃除 トイレ掃除2 皿洗い 弁当作り2 朝食出す 自分食事2 夕食作りドラックストアで洗剤など買い物 古着屋に古着を持っていく ゴミ箱洗い 洗車と中の掃除 子供の送り 迎え

粗大ゴミ出す準備{寝具を外に出す 棚のものを出して棚を外に カーペット丸めて縛る おむつゴミ箱を外に} 草むしり 外のわけわからんゴミのうちすぐ捨てられるものをまとめる 居間掃除{おもちゃ片付け 服の片付け 新聞紙まとめ 掃除クイックル床ふき}

明らかに終わらんものがいくつもある

もし全部出来たらばご褒美に本を買う。

2019-12-11

募集一人暮らしを生き抜く知恵

パートナーを持てずに一生一人暮らしが決定されてる皆さんこんばんは!

一人暮らしと言えば恐ろしいのは孤独死ですね。

あっさり気を失ってお陀仏し、いい感じに発酵した後に特殊清掃のお世話になるケースはまあ良いでしょう。

死んだ後なら苦しくないですからね。

恐ろしいのは、転倒やら病やらで動けなくなってから餓死衰弱死です。

(あとトイレのドアが壊れて閉じ込められるケースもありますよね)

これは何としてでも避けたいので、お知恵を貸して頂きたいです。

なお前提として「頼りになる親類、知人は音信不通か既に死に絶えてる」状況とさせてください。

私が机上で考えた作戦は以下の通りです。

作戦

・維持費がほぼ掛からない0simの携帯を住処の複数箇所に設置する。

 (玄関トイレ居間、その他)

 床を這って取りに行く可能性が高いので床に設置し充電を絶やさないこと。

(あれ? 0simって救急車呼べるんでしたっけ? ライン使えばいけるよね?)

作戦

・「助けてー!!」みたいな音声を吹き込んだレコーダーとか携帯とかを

 住処の複数箇所に設置しておいて、いざという時はそれを大音量で鳴らしまくる

 自分の音声だと収録が大変だから、なんか映画とかの音声を切り貼りして仕込みたい。

どうでしょうか? なかなか良さそうですよね!?

皆さんも良い方法を思いついたら共有してくださいね!!

2019-12-07

電気毛布を買った

めちゃくちゃあったかい。居間にも持ち込めるし、夜は布団のなかに入れることもできる。これは夢の暖房器具だ。

2019-11-23

笑ってはいけない

年末親孝行もあって帰省する

私除いた家族は「笑ってはいけない」を見るんだと思う。

あれが本当に苦痛でたまらない。

けれど

実家には一人になる部屋がない

あっても廊下とかキッチン寒い

いわゆるテレビのある居間にいたい

家族も嫌いではない

でも笑ってはいけないを本当に楽しんでる家族が醜くて仕方ない

帰らないって選択肢もある

でも母親の帰れるんでしょ?って弾んだ声が反芻する。

気が重いなぁ

2019-11-19

テレビが壊れた。

居間テレビが壊れた。厳密にいうとテレビチューナー付きのパソコンディスプレイで、ディスプレイとしてはちゃんと動く。

けっこう長く使っているので、テレビイカれたのか、アンテナ線あたりがおかしくなったのか良く分からない。

私はそんなにテレビっ子ではないつもりだけど、多少はテレビを見ておかないと、世間話題について行けないので、ある程度は見るようにしている。

どっちかといえばネット依存症の方が重いのだが、テレビネットが同時に見られる環境にすれば少しはテレビの方にも気が向くかと思ってこれを選んだのに。

ちなみに親画面の中に小さく子画面を表示できるので、パソコン作業をしながらテレビを見られる。その逆も可能。私にとってはパソコンの電源を入れないと動かないパソコンテレビチューナーより、ディスプレイの電源さえ入っていれば普通テレビとして使えるこいつの方がお気に入りなのだ

まず本当にこいつのテレビ機能が壊れたかどうかが分からないのだが、もし壊れていたらどうするか悩む。あまり大画面にはこだわらないので、ディスプレイとは別にさなテレビを買うのもありだが、そんなに広い部屋でもないのにディスプレイテレビが別々にあるのもアホくさい気がする。

パソコンがなくても動くテレビチューナー(できれば録画機能つき)を買って、それをディスプレイにつなぐのがベストな気がする。どうしようかな。

2019-11-11

特に好きでもない人と結婚して10

私は23とき特に好きではない人と結婚した。

結婚の経緯は今どきあり得ないでしょ?って言う思惑がらみのお見合いで。

相手干支が一回りしそうな男。この話が5年早かったら間違いなく犯罪。早くなくても人身売買じゃないのこれ?って言って良いような政略結婚。いやほとんど借金のカタじゃないの?当時の私はそう思ってた。せめてもの救いは彼もこの結婚に対して同じような気持ちであったことと、イケメンではないもの清潔感のある温厚な男だったこと(これがちびデブだったらもう本当悪いけどダメ)。そして私たち共通していたことは「親を守りたい」という意識だった。言ってしまえば彼は私に安定した生活保証をする代わりに、私は彼に世継ぎ(である必要は必ずしもないと言われたが)を産む。暗黙の契約のような気持ちで私はこの結婚同意し、いささか、いやかなりの格差婚を感じさせる結婚式を挙げると私は実家から飛行機の、夫の実家から新幹線を使うくらいの地で暮らし始めた。

結婚してから一か月近く夫は私を抱こうとしなかった。もしかしてこれはレスという奴がいきなり来てしまったのかと思い、ある晩意を決して私から夫の布団にもぐり込むと初めてがばっとのしかられ夜更けまで何度も求められた。ずっと我慢していたんだそうだ。自分は好かれていないことはわかっていたから「嫌がること」はするまいと思っていたのだそうだ。確かにこの人を好きではない。ただし私がその行為を嫌かどうかはともかくとして「今後必要となる業務であるから、お互いの肉体的情報は共有すべきで、お互いの情報フィードバック日常的に行うべきである」旨を、実際には空気を読んで少しロマンチック言い回しではあるが彼に伝えた。ちなみに私はその数時間前まで処女である

この結婚を私は仕方なくではあったが、彼は私のことを気に入っていたみたいで、彼の両親もその経緯にばつの悪さあってか、初めて迎えた柴犬の子犬のように私は大切に迎えられた。実家に帰りたいときはいつでも飛行機チケットが用意されたし、私がちょっとイベントに行きたいと言えばそれが外泊を伴うものでも許された。

私はとても大切にされていた。しかし私は夫が好きではなかった。だから私は彼に何度か八つ当たりもしたし、意地悪なこともした。無断で外泊もした(ただし車でネットカフェへ行って一晩中ジョジョの一気読みをしていた)。だけど夫は携帯電話もよこさず「朝まで待って帰って来なかったら警察に行こうと思ってた」と一晩中寝ずに私を待っており、おそらくは一番気にしていただろうに「誰といたのか」は訊いてこなかった。

二度目の無断外泊(ジョジョの続きを一気読みしていた)のときに初めて夫は怒った。怒ったと言っても逆上して暴力を振るったり物を壊したりではなく、少し気色ばんだ顔で淡々と、理路整然と、犯罪に巻き込まれはいいか、他の男と一緒にいたのではないか自分は確かに君の望んだ相手ではなかったかもしれない。でも自分は君に誠実に接しているつもりであり、たとえそれが気に入らなくてもこう言った形で拒否反応を示されると自分も傷つくのだ、と私は初めてこの人に叱られた。悪かったなって思った。前回も今回も国道のあそこのネットカフェジョジョを読んでただけで、誰とも一緒じゃない。心配させて反省している。もうしないと伝えた。もちろん心からだ。

朝っぱらだったが、その後めちゃくちゃセックスした。初めて居間ソファで。いつもの、優しくはあるがどこか自分欲望抑制しているようなそれではなく別に抵抗してもいない私の両手を握りしめて押さえつけながら激しくぶつけてきて何度も私の名前を呼びながら。お互いべちょべちょのぐちょぐちょになるまで。

それがきっかけとは言い切れないが、その時期から私は夫を「好きではないけれど、嫌いでは決してない人」とみなすようになり、色んなことを自分から話すようになった。彼に共感を求めるようになった。仲良しになることを望んだ。そしてそのときに気づいたのだが、この人は「抜群の聞き上手」だったのだ。結婚して2年でそれに気づく私も相当のバカだと思うが、コミュ力モンスターだったのだ。

私の趣味の分野にはまったく関心ないくせに、「これは何?」「なるほど!じゃあそれもこれに関係あるのかな?」「なるほど!そういう世界なんだね」と、私の喋りたいことや披露したい知識を毎回残らず引きずりだしてくれて私をスッキリさせてくれるのだ。大満足させてくれるのだ。ただし彼自身がいまだにこの分野に関心がないのはわかってる。私を気持ちよくさせてくれているのだ。

そういえば結婚と同時に両親から受け継いだ事業を夫は、細長いビルが一気に立つのではなく大きなビルが少しずつ立つような感じで大きくしているのだが、突出した商売で一山当てるのではなくシンジケートを広げるそのやり方は、この聞き上手のコミュ力モンスターからこそ可能にしたのかもしれない。それに気づいたあたりで「嫌いでは決してないし、むしろ尊敬感謝もしてる人」に夫はなった。

長男妊娠したとき、夫は「体調が悪かったり不安だったりするだろうから帰りたいときはいつでも実家に帰っていいからね」と言ってくれたが、幸いにして悪阻もなければ食欲も旺盛な私は毎日夫に好物の生ホタテサクラ肉をねだってお腹の子供と一緒に順調に体重を増やしていった。(あとで取り返しがつかないことに気づく)

これまた幸いにして私は安産長男出産した。先生によると「僕の手がけたお産の中でベスト5に入る安産」とまで言わしめたのだが、夫は憔悴しきった(ように自分には見える)私の姿をみて人目もはばから号泣して「ありがとうありがとう!ご苦労様!」と涙と鼻水ボロボロ流してわめいた。周りは迷惑だったろうなあ。

思えばこのときには私はこの人がちゃんと好きになっていた。結婚して5年だ。好きでもない人と結婚して5年目でやっとだ。そして今までちゃんと愛してきたし二人目も産んだ。

結婚して11年目に入ったこの夏、夫にガンが見つかった。医者からは好ましくない情報を聞かされた。夫は「もしものときは、少なくとも君らがつましく暮らす分には心配しなくていいよ」と言ったが、そんなんじゃないんだ。もちろんそれも大事だけど一番大事なことじゃないんだ。

切ってみなきゃ進行がわからないガンなんてあるの?リンパ腺に転移してたら切ったら散るかもしれないってどういうこと?来月手術の予定だったのが前倒しで来週行うってどういうこと?そういうパターンで完全に治ったケースってないの?私病室でそそっかしい明るい奥さん演じるの辛いよパパ死なないでよお願いだよ。

2019-11-10

表現 雑考

私の立場とか

正統派フェミニズムの考え方は正しいと思うし、

セクハラは笑って許すのがいい女」的風潮はクソだなと思うし、

世の中アップデートしていくべきだとも思うけど

最近の性表現にまつわる流れには釈然としないものがあるのでつらつら考えた。

なお公共の場に置く表現少年マンガ表現ゾーニング配慮必要だと思うが、

R18指定表現同人表現深夜番組なんかはそこまで厳しく基準を設ける必要はないと思うし、

弁護士みたいにゾーニングされた場所から引っ張り出してくるのもマナー違反だと思っている。(後述)



はじめに考えたこ

とりあえずグラビア表現セクハラ表現は別々にかんがえるべきじゃないかなと思う

グラビア表現 「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起しようとするような表現。宇崎ちゃん秋葉原広告はこっち。グラビアアイドルの水着写真もこっち。

セクハラ表現 物語の中で登場人物セクハラ行為を行わせる表現漫画でのスカートめくり等はこっち。セクハラ=性加害行為

結論を先に言うならば、これらはどちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである。)



セクハラ表現の是非

少年誌セクハラ表現は真似する奴が出て来るからそれ自体問題だ」という主張がたまに見られるけれど、

物語の中でセクハラ行為がきちんと「許されない物として扱われている(報復が為される、周囲から非難される等)」場合

子どもにとっては「セクハラ行為は駄目だぞ!」という教材になるのではないかとも思う。

なので今の段階ではセクハラ表現を無くすより、教材として活用していく道を模索する方が建設的かなと思うし、実際時代の変化と共にそうなってきているようにも思う(これはただの個人的イメージ)。

その一方で加害者報復非難をきちんと受けていればセクハラ表現OKなのかどうかはまだ考える必要があるよな~と思う。

(「漫画みたいにちゃん報復すればいいのにw」というクソ意見蔓延報復できないタイプ現実女性が泣きを見ることになるからだめかな~…。)

世の価値観アップデートされていくにつれ(実際に存在するセクハラおじさんが淘汰されていくにつれ)少年誌からはなくなっていくべき表現なのかもしれない。

セクハラ早く絶滅してくれ。


グラビア表現の是非

グラビア表現故意

さっき『「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起するような表現』と書いた。重要なのはこの故意性だと思う。

誰の故意性か?それは勿論表現者、作者の故意である

どういうことかというと

作者が、「鑑賞者に「エッチだ!」と喜んで貰おうと思って描いた表現」は、グラビア表現であり性表現ってことなんだよ。

宇崎ちゃんの作者さんだってエロ広告絵師だって、大きなおっぱいをみんなに喜んで貰おうと思って描いてるはずで、その努力無視して「性的じゃない!」と否定するのは逆に表現者に対して失礼だと思う。

宇崎ちゃんの作者はそういう意図で描いてないのでは?とか言い出すのもナシだと思う。一般女性より過度に不必要に大きく作為的に描かれたおっぱいに向かってそんな擁護し出すのは流石に欺瞞しかない。

でも宇崎ちゃんの作者は作者で、献血ポスターの依頼が来たときに、「自分イラストから一般人がどんな印象を受け取るのか」ということを想像できなかったのなら、創作者として致命的に想像力が欠けてるんじゃないのと思う。

うーん…それとも忙しくて編集者に丸投げだったのかなぁ。同人作家なら性表現責任基本的同人作家本人が負うべきだけど、商業作家場合作家の性表現をどのように取り扱うかは編集者責任があるかも。

(勿論作家本人の同意なく掲示されたような場合はその限りではない。その時は掲示した者が表現者として責任を負うべき。)

グラビア表現への眼差しについて

一方グラビア表現を見て性的だと感じる我々の「眼差し」について、私はこれを責めるべきとは思わない。

なぜなら我々には内心の自由があるためだ。

グラビア表現女性に対する実害に結びつくのは実際のセクハラ行為の道具として用いられた時(絵を指して「この子おっぱい大きいね~」と女性に向かって言う、など)であって、鑑賞者が内心で何かよからぬ事を考えた時ではないんだよね。

内心でどう思ってようがそれを人目のある所で表明しないし危害を加えないようにするのがまともな大人というものだと思う。

そしてその内心というものはどこまでも自由であるべきなんだ。

裏を返せばセクハラしてきたおじさんに対し「コイツマジ気持ち悪いな死ねばいいのに」と思うのも思うだけなら自由

ちょっと良いなと思っていた先輩の家の本棚に宇崎ちゃん漫画を見つけて「うわー…こういうのが好きなんだ…」と思うのも自由

たまたま本屋で見掛けた知り合いがジャンプを買ってるのを見て「うわ…」と思うのも自由だ。

特にオタク他人からどう思われても構わない人達なので女性に内心でこう思われたとしても全然気にしないだろうな。

でもそれでいいよね。

オタクはそのまま自分らしく生きればいいし、女性側は逆に近寄るべきでない人を見分ける目印として活用すべきだ。それがお互いのためなんだきっと。

その他

なお今週のジャンプ居間放置されていたもの)に限って言えば、性的表現としていくつか見られたのはこちらのグラビア表現だった。(下着姿、湯気で局部の隠れた裸、女性同士のベッドシーン未遂

2次元女性の綺麗に完璧に鑑賞用として整えられた裸体に慣れ親しんでしまうと現実女性勃起できなくなる可能性があるので少年誌2次元グラビア表現を載せるのは教育的に問題だ」みたいな意見も、わからなくはないんだけど、実際にそういうデータがあるか私は知らないので、なんとも言えないなぁと思う。

これは「(2次元に限らずあらゆる物語に登場する)イケメン性格完璧さに慣れ親しんでしまうと現実男性を愛せなくなる」という意見と大差ないと思うし、データが無いならどちらも邪推しかないと思う。

ただデータがあってもこういうのは自己申告でしかない以上正確性に疑問がのこるし、心配な親御さんだけ気を付けてあげれば良いのではという感じかな。親御さんが気を付けても友達ネットワークから回ってくる場合もあるのでもうそこは運だろうなぁ。



結論的な

私の中で結論は出た。

セクハラ表現グラビア表現も、どちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである

だが、この世から消し去るべきとまでは思わない。

必要な人にとっては必要なんだと思う。

例えばそれはチョコレートコーヒー煙草精神安定剤のように。

ただ性表現を楽しみたいならゾーニングされた場所でやるべきだよ。これは2次元エロに限った話ではない。



ゾーニングされた場所から表現を引っ張り出してくる人達

やめた方がいい。本当に。

オタクの中には「ゾーニングしてたのに引っ張り出されたんじゃ意味ないじゃん=ゾーニング無意味じゃん=公共の場エロ持ち出してもいいってことじゃん」と考える人達が出て来ている。

マジでやめて。それ薮蛇だから



書き忘れ

グラビア表現について故意性を強調したのにはもう一つ意味があるんだった。

現実に居る胸の大きい女性ミニスカートを履いた女性制服を着た女子高生は、

例え男性の目から性的に見えたとしても、“「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起しようとしている”わけではないということ。

それはただ持って生まれた体型であり、ただのファッションであり、学校指定されてるから仕方なく着ているものなのだ

そういう眼差し故意喚起しようとしてファッションを選ぶ場合も、ないわけではないけれど、恋人のためやお金を払ってくれる客のためであって、少なくとも見知らぬ人間のためではない。

現実女性は、グラビア表現ではない。

現実女性は、性表現ではない。

それだけははっきり書いておきたいと思う。

追加で考えたこと(11/18)

局部が見えているかどうか」みたいな分かりやす指標は別として、昨今の性表現について“「客観的性的に見えるかどうか」でゾーニングしようとする試み”には限界があるんじゃないだろうか。

ツイッターの有志が取った統計によるとオタク20代一般男性でさえ宇崎ちゃんポスターに対する感じ方は違ってたらしいじゃあないか

表現を観賞側がどう捉えるか、解釈するかなんて一義的ものになどなり得ないんだから、新たに客観的基準を設けても新たないちゃもんを付け始める奴が表れて堂々巡りになるだけだと思う。

から上に書いたような表現自身主観に基づいた基準で、まず表現者が自主的ゾーニングするべきなんじゃないの?と私は思うのだ。(勿論その「主観」に欺瞞がある場合はその都度批判されるべきだけどね)

これは表現者にとっても決して悪い話じゃないと思うんだけどな。

宇崎ちゃんポスターなんて、表現者が不特定多数からエッチだ!」と思って貰いたくて描いてるのが明らかなのに、性的じゃないと言い張る嘘が嗅ぎつけられるから批判も沢山寄せられるのであって、

そもそも表現者が自主規制してれば文句つけられることも減るだろうし、令和の一般人ならオタクの味方をすると思う。そうなったら私もオタクの味方するんだけどなぁ。

それにしてもツイフェミ寄りでもオタク寄りでもない意見全然歯牙にもかけられないんだなぁ…って軽く絶望感を感じるね。

わかりやすくてカロリーの高い意見ばっかり持て囃されてさ。

反論ほとんど来ないか自分の論のどこが悪いのか自覚することさえできなくて悲しいよ。

私は結構本気でここが着地点だと思うんだけどなぁ…

2019-11-03

じゃあお前ら実家居間に宇崎ちゃんポスター貼れんのかよ

貼れるんだろうなぁ…

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

2019-09-14

アメリカ住宅事情

20アメリカで働いて、アパート・タウンハウス・戸建てと住み替えてきました。

せっかくなのでメモしておこうと思います

一気に全部書く気力が多分ないのでちょっとずつ更新するつもりです。

=====

ノースウェスト

地域アメリカ本土の左上の方、ノースウェストです。もう少し北に行くとカナダです。

そこの大都市近郊に住んでいました。

大都市までは車でフリーウェイに乗って10から20分てところです。渋滞じゃなければ。

アメリカの他の地域のことは分かりません。

シリコンバレーなんて地獄のような住宅価格と聞くけど実体験としては書けない。ので書きません。

戸建て

いわゆるSingle Family House自分が居た地域ではこのタイプが上がりだけど何度も買い換えて引っ越す人はいます

子供が居なくなれば小さい家に買い換えるしそのときは足腰が弱っているから平屋が人気。

新築より中古を買うのが一般的。というか新築だけでは需要が満たせない。

家を売るとき、よほど何かなければ買ったときより高く売れます

自分場合新築で買って約10年後に売ったけど50%増しで売れました。しかもこれ相当売り方が下手糞だった。(売れる季節を逃すしほんの数百ドルカーペットクリーニングををケチったせいかかなり見込み客が減った)。

住んでたのは特に贅沢な家じゃなくて

家の床面積は大体270平方メートル感覚的には平均よりちょっとだけ広いかなと。土地はおよそ780平方メートル土地は狭いほうです。

フロントヤードに芝生が張ってあって、バックヤード最初は芝生だったんだけど手入れが面倒でウッドデッキとレンガを敷き詰めたスペースに変えてしまいました。工事に2万ドルぐらいかかりました。

フロントヤード最初自分で芝を刈ってたんだけど忙しくなって手抜きになって周囲の家から顰蹙を買ったので業者を入れて週一で刈ってもらってました。1ヶ月で$200ぐらいだったかしらん。

ベッドルーム

クローゼットが付いてる。個人の部屋になる。カーペット敷きでした。

一部屋6-8畳ぐらい?

あとアメリカのベッドは意外と小さめ。背が高い人は足が飛び出るんじゃないか

書斎

玄関を入ってすぐの左手にありました。ドアがガラス入りで中丸見え。カーペット敷き。8畳ぐらい。

ファミリールーム

いわゆる居間ですね。リビングルームが来客用でファミリールーム家族用となってると。

トレンドリビングルームの縮小、ファミリールームの充実。そりゃ家族だんらんの部屋の方が大事だよね

カーペット敷き。

暖炉あり。停電たらこ暖炉命綱です。あ、ガスを燃やすタイプでした。

エアコン

もともと寒い土地柄(北海道と同じ緯度)なので暖房しか必要なかったんですが、地球温暖化の影響で最近暑くなってきたんで、冷房をつける人が増えてきました。既に家に備え付けてあるセントラルヒーティングにのっかる形で各部屋を冷やす感じです。$5,000ぐらいから。

自家発電装置

年々冬の嵐も激しさを増してくる、つまり長期の停電が増えてきたということで、自家発電装置を備える人が増えました。

簡単なやつなら$1,000しないで買えるしそれで暖房が効いて明かりがともるならいいよね。

温水器

寒い土地柄なのに一旦停電すると暖房が使えなくなります暖房の燃料は都市ガスなのですが燃焼の制御回路に電気必要みたい。これは本当に死活問題です。凍死しちゃう。ですが、暖炉が広く普及しているので凍えるところまではいかずにすみます

ところがお湯はずっと使えます。給湯の主流は温水器です。燃料はガスですが電気回路で制御されているにも関わらず。なぜなんだろうとあるとき気になって調べたら、温水器の制御回路にも電気必要ですが最近の温水器は「温度差発電」で電気を作るんだそうです。給湯器の中のお湯と外から供給される冷たい水の温度差で発電するというわけです。

十年一日アメリカ家電ですが、これだけはなかなかやるなーという。

豪邸

ちなみにお金持ちは湖沿いのお金持ち専用なエリアに家を買います。たいてい中古です。めちゃでかい家だし高いけどな。

知り合いに数人いました。何度か御呼ばれしたけど豪邸ってのは豪邸よ?すごいよ。

ちなみにお金持ち専用の市まで作っちゃって(またそれは別の話)。

アパート

アパート家賃のことを「レント」と言います

需給が逼迫しているのでどんどん高くなっているようです。

また気が向いたときに続きを書くね。

2019-09-08

デカすぎる父の絵が当たり前になってしまった社会

みんなの家にもきっと飾ってあるとおもうが、父の絵がデカい。

うちでは夫婦の寝室と居間子供部屋、洗面所ガレージにそれぞれ一枚ずつ掲げてあって、

メシを食うときなどはいつも慈愛に満ちた父の視線を一身に受けながら共和国の発展と父の健康を祈らずにはいられないのだが、

それはそれとして、ともかくデカすぎる。

特に居間のやつ。

居間の父の絵は故郷に住む私の父(いつも思うがややこしいな)から入党祝いにもらったものだ。

この絵にはちょっとした曰くがある。

元々実家トイレにとりつけていたのだけれど、

地域指導委員から「さすがにちょっとトイレにかざるのは……」と物言いがついた。

父を敬愛しすぎて家中に父の絵をかざるほど父マニアな私の父は指導に対してかなりゴネたらしいのだが、

最後には愛国協会から新しくてより立派な父の絵をもらうということで落着した。

それからトイレ以外には置けるスペースがなかったので、それから長らく実家倉庫に眠っていたのを、

父が「新居にどうぞ」ということでこちらの了承もとらずに勝手に送りつけてきたのだった。

うちでもこのサイズの絵を取り付けられる場所居間の壁しかなかった。

頭ほどのサイズの父の眼球に見つめられながら、朝夕のメシを食う。テレビを見る。こどもをあやす

なんとも奇妙な心地だが、一時期の父はこんなデカい父を前にうんこをたれていたわけで、

本当にデカかったのは父の肝っ玉だったのではないかな、などと今更考える。

2019-09-07

親父のネトウヨ疑惑

もう定年迎えて引退済なんだけど、そこまで言って委員会とかそれ系の番組は欠かさず見てるしニュース番組もたまにWBS見る他はBSフジのばっか。最近は読み上げソフトがしゃべるYoutubeニュース動画文字流れる動画も見てる。

数年前に来客があるっていうのに、今に嫌韓嫌中のでっかいムック居間に置きっぱなしにしてて慌てて目につかないところに隠しておいた。

そんときから怪しいなとは思ってたけどもう手遅れな奴だよなこれ。

2019-08-27

株はやっちゃだめだ

ばあちゃんが株はやったらだめだとか言うわけ。なんでもじーちゃんが株で失敗したらしい。

でもインデックスタイプ投資信託とかでアセットアロケーション調整してればリスク最小限にできるよ?つったら耳聞こえないふりして居間から出ていった。

2019-08-23

anond:20190823120243

わたし夏休みに『太宰治』を読みました。この本の表紙と背表紙には「走れメロス」という副題も付いていました。きっとこの物語主人公である太宰治さんがメロス応援する強い気持ち、それが表紙に念写されたのでしょう。誰が書いた話なのかはわかりません。作者不詳の民話のようなものなのでしょう。

いきなりメロスは怒っていました。わたし最近怒ったのは、お母さんが冷蔵庫アイスを食べてしまたことなので、メロスもきっとそれに怒っていたに違いありません。メロス気持ちはよくわかります

途中でセリヌンティウスという初めて聞く単語が出てきました。去年の夏からずっと居間ゴロゴロしながらワイドショーを見ているお父さんが、今日居間ゴロゴロしながらワイドショーを見ていたので「セリヌンティウスってなに?」と聞くと「知らん。牛の名前か何かだろ」と答えてくれました。わたしもいつかセリヌンティウス牛丼を食べてみたいと思いました。

ここまで読んだところで右手左手の握力がなくなってきたので、続きは明日読みます

明日になりました。続きを読みます。ページを開くと、冒頭に「恥の多い人生を送ってきました」と書かれていて「あれ?違う本かな」と思って表紙を確認しましたが、そこには昨日と同じく『太宰治』とあったので、同じ本でした。アイスの件で怒りがこみ上げていて見落としていたようです。

メロスセリヌンティウスに「ウザ。ウザ」と言われていて悲しい気持ちになりました。メロス自分の命をなげうってセリヌンティウスをわざわざ助けに行ったのに、セリヌンティウスはそれをウザいと唾棄したのです。まったく、この牛は信じられません。出荷されればよかったのに。

最後のシーンで、メロスが宿敵のカルボナーラ兄弟から魔法書「セリヌンティウス」を奪還し、スーホの白い牛に乗って火星に帰っていくところは30回読み返しました。泣きながらこれを書いています

太宰治』を読み終わって「これはわたしのことを書いている」と衝撃を受けませんでした。来年の夏は『夏目漱石』という本を読もうと思います

2019-08-21

ネコに化かされた

実家古い日本家屋でなんか小規模のお寺くらい広い

っても豪雪地域北海道なんで廊下を少し進むごとにドアがある。

冷気を入れないように寒さ対策なんだろうね

居間でくつろいでたらドアの前で猫がにゃーにゃー鳴くんだよね

開けてくれってことかな?と思って開けたら廊下を進んで少し行ったドアの前でまた鳴く

暇だったんで猫についていってドアで鳴くたびにドアを開けていったの。

居間のドア、仏間の近く廊下のドア(仏間に入るドアじゃない)、トイレ近くの廊下のドア、トイレフロアのドアって

トイレフロアって話も可笑しいんだけど、トイレ3つくらい個室あるんだよ(笑)

その廊下を進むと、さらにドアがある。

うち、外で作業してて玄関入って作業着土足のままはいれるトイレ玄関横にあるんだよね

そこに通じるドアはドアの下が少し隙間が空いてるんだ

そこにネコはもぐりこんでいったんだ。しばらく待ってもうんともすんとも言わない

あれ?って思って名前を呼んでも出てこないドアを開けて確認しても

玄関トイレをつなぐ扉はしまってるし、外トイレのドアもしまってる


あれ?ネッコどこいった?って思ったら・・・明り取り用の窓が開いてた

ネコの脱走を手助けしてしまった増田だった

2019-08-09

恐竜の成長は早い

洗濯物を取り込もうとして窓を開けたら、ベランダの隅に恐竜がいた。

恐竜を見るのは初めてだったが、第一印象はそんなに怖いものでもなかった。薄明かりの中で鱗がキラキラと光っていて、まるで黒いガラス玉を全身に撒いたようだと思った。

恐竜の方も私に怯えているような様子はなく、少し首を傾げてこちらを見ていた。まだ子なのだろうか。

ちょうど冷蔵庫に鶏の胸肉があったのを思い出したので、「ちょっと待ってて」とジェスチャーで合図して(伝わるわけないが)、冷蔵庫から胸肉を持ってきた。恐竜の前に差し出すと、パクッと器用に歯で挟んでそのまま見る間に一呑みしてしまった。

食べっぷりといい、呑み込む時に見えた綺麗に並んだ鋭い歯といい、やはり肉食なのだなと思った。

恐竜はまだ私の方を見ていたが、私が「もう無いよ」と言うと、手すりに脚をかけてそのまま下の駐車場ジャンプして、トットットッと軽い足取りでどこかへ行ってしまった。街灯に照らされた姿は誰がどう見ても恐竜だったが、幸い自分以外に見た人はいないようだった。

次の夜も恐竜は来た。

私が居間テレビを見ていると、窓をコツンコツンと硬いもので叩く音がしたので、もしやと思って見ると昨夜の恐竜だった。

そしてまた同じように首をかしげるので、私は昼間のうちに用意しておいた豚バラ肉を一枚一枚恐竜に与えた。恐竜はそれをまた美味しそうに食べた。そして食べ終わるとまたどこかへ行ってしまった。

それからは毎晩、恐竜に肉をあげるのが日課のようになった。恐竜は私の用意した肉を平らげ、またどこかへ帰っていった。そして、いつのまにかその後ろ姿は着実に大きくなっているように見えた。

この恐竜はどこまで大きくなるのだろうか。夜のうちはまだ暗いか大丈夫かもしれないが、昼間はその大きくなっていく体をどうやって隠しているのだろうか。

神社境内の裏手やビル屋上の隅に、その大きな身体を蹲ってじっとしている。褐色身体の中で、目だけが細く開いている。そんな姿を想像せずにいられなかった。

恐竜最初に来てから1月ほど経った夜、私がいつものように肉を持ってベランダへ出ると、そこに恐竜はいなかった。30分待っても来なかった。そして次の夜も恐竜は来なかった。それからの晩、恐竜が来ることはなくなってしまった。

私は冷蔵庫にある肉類を見つめて呆然としていた。なぜ彼は来なくなったのだろう。

きっと、恐竜自分食べ物調達できるくらいの大人になったのだと思った。そして私の助けを必要としなくなったのだろう。

まりは巣立ちをしたのだ。

おそらく自分がもう巣立ちできるくらい大きくなったことがわかった恐竜は、昼間は隠れて夜に食べ物をもらう生活を止めたのだろう。きっとこの街を捨ててどっかへ旅に出たのではないかと思う。

ベランダから外を見ながら、私は日本のどこかの山奥の森で、誰の目にも気にせずに過ごす恐竜想像した。きっとのびのびと暮らしているのではないかと思う。

もし、山の中で恐竜足跡を見つけたり鳴き声を聞いたり、もしかしたら恐竜出会った時は、誰にも言わずにそっとしておいて、できれば知らせてほしいです。

また会いたいので。

2019-08-04

[]

身寄りのないおばちゃんは何を考えて俺を探してたのか

子供のころ両親が共働きで、うちに幼い俺を世話してくれてた佐々間のおばちゃん

と言う人が居た。

おばちゃんちょっと頭が良くなかったせいか仕事は持たず

自分ちの畑とうちのお手伝いで食ってるようだった。

おばちゃん仕事学校から帰ってきた俺にご飯を作ることと、家の掃除洗濯

あと体が弱く入退院を繰り返してた婆ちゃん介護だった。

ある日俺が学校から帰ってくると珍しくおばちゃんは居なかった。

変わりにいつも寝たきりの婆ちゃんが起きていて、居間お茶を飲んでいた。

おばちゃんが家に居るのが普通だったので、お婆ちゃん今日はおばちゃんは?

と聞くと今日はまだ来ていないよと言って、俺を二階に閉じ込めるように押し込んだ。

今日は誰が来ても降りてきちゃいけないよと言ってお菓子とぽんジュースを渡された。

誰が来てもって誰が来ても?と聞くとお婆ちゃんは少し困ったような顔でそうだよと

言い、シーっねと口に指を当てながらふすまをしめた。

俺は大人しく炬燵に入りテレビを見てると6時近くになって薄暗くなってからおばちゃん

の声が聞こえた。

二階と言っても狭い家、誰が来てもって玄関に誰が来たかくらい聞き耳立てなくても

分かる。

「洋介君はまだ帰ってきておらんかねえ」とおばちゃんが言うので出て行こうかとも

思ったが、婆ちゃんの誰が来ても降りてくるなと言う言葉を思い出しそのまま炬燵で

ごろ寝を続けた。

おばちゃんと婆ちゃんのやり取りに暫く聞き耳を立てながらTVを見続けた。

また暫くして佐々間のおばちゃんがやってきた。

「洋介君はまだ帰ってきとらんかねえ。

浜屋(俺がよく言ってた駄菓子屋)にもおらんようやが」

すると婆ちゃん

今日はまだやがねえ。友達のところに遊びに行く言うてたから遅くなるんやないかねえ」

と嘘をついた。

幼心に俺は匿われてるのだとぼんやり悟り、息をコロして炬燵に潜り込んだのを覚えてる。

日も落ちすっかり暗くなっておばちゃんはまたやって来た。

「洋介君帰ってきたね?」

ちゃんは少しきつい口調で

「まだよ。まだ帰らんよ。今日はもうご飯いいからお帰りなさい。」

と追い返した。

暫くして8時くらいになって父母が帰ってきた。

ちゃんがのそのそと階段を上がってきて俺にもう降りていいよと

言ってきたので俺はいつもより大分遅めの夕飯を食べた。

その晩、近所の竹やぶで佐々間のおばちゃんが首を吊っているのが見つかった。

遺書には希望がないのでもう氏にます。一人で氏ぬのは寂しいみたいなことが書いてあったらしい。

身寄りのないおばちゃんは何を考えて俺を探してたのか推測するとほんのり怖くてちょっと悲しい。

ワイ、躁鬱

思い出せることだけのメモ

父親心理的虐待

父は一時期母に生活費すら渡さないなど(父含む全員母の稼ぎと貯金生活、父稼ぎは貯金不明)

両親は母方の実家の近くで二人暮らし。当時母正規雇用保育士。私が産まれた後父親が「母親(祖母)が心配から」とか言い出し、父方の実家へ同居。祖父は私が生まれる前に死亡。祖母曽祖母の二人暮らしから五人暮らしへ。

母は実家に入る際正規から非正規雇用(その後20年ほど経つ今も非正規のまま)。二年後弟が誕生。その頃のことはよくおぼえてない。

曽祖母はやたら人気者でよく親族が遊びにきた。私が小学校四年辺りの頃に亡くなった。それ以来客足も途絶えて、従姉妹(父の姉一家)を除く親族お盆の時くらいしか来ない。

祖母は言うことを聞かないと殴る。多分ヒステリー気味だった。「お菓子買ってあげるからおばあちゃんに優しくしてね」「お小遣いあげるから老後の面倒よろしくね」とか平気で言う人。というか言われ続けてきた。ジュースとかもいらないのに押し付けてくる。

自分の将来をあれやこれや言う割に私が怖い目に遭っている時は助けたくれない。というか、この人が喋ると父親が余計にヒートアップする。そして祖母も怒鳴り返す。私が高校の頃家に迎えられた犬を吠えてうるさいからって木材で殴ろうとした。その場にいた私が慌てて止めてちょっとした流血沙汰になったけど誰も問題にしてない。

父親は怖い。小学生の頃、テレビバラエティ番組?を父母弟私の四人揃って視聴していた。その時どうやら私が「うちの稼ぎは少ない」などと言ったらしく、番組を見終わりみんな寝ようと居間を出た途端壁に追い込まれ、至近距離で怒鳴られる。二度というなとかそういう類のこと。

私は、稼ぎが少ないだとかそんな発言した記憶が一切ない。なのに怒鳴られて、とても怖い思いをしたことだけはいつまでも頭に残っている。誰も止めてくれなかったことも。

私が中学に上がった頃、仕事のせいでうつになったらしい。詳しくは知らないけど八つ当たりされるのが日常になってた。殴ってないか虐待じゃない、お前が男だったら殴ってた、ブスだの悪口はまあ日常。機嫌が悪いと壁を殴るし床も蹴る。ドアを静かに閉めるという発想はない。テレビ見て母弟私の三人で笑ってると、二階からうるさいと怒鳴られるのは日常家族みんな居間にいる時間が減って、気づいたら居間が奴の居城になってた。

中学の頃は私も八つ当たり精神的に動けなくなり、不登校引きこもりへ。それによりサンドバッグ化が加速、母も基本は止めに来るけど助けてくれない時も。平日昼、母が仕事父親休みの日とかは御察しの通り。

我が家廊下を抜けた先に台所があり、廊下の途中に居間があるので、水を飲みに行くにも怯えながら廊下を通る毎日。通りがかるだけで「おい」と怒鳴られて、奴が寝るまで水すら飲めない日もあった。物音を立てるのがNGなのでとにかく息を殺すしかない。

朝は父親が家を出てから、昼は残り物。夕飯は、母が帰宅して父が帰宅するまでの短い時間で慌てて掻き込んで部屋に戻る。母は食事を摂らせたいので食べないと余計な心労をかけるから基本的に食べないという選択肢はなかった。父親休みで一日居間に居座ってる日は寝たふりでずっと布団の中に籠ってやりすごすしかない(食べさせようと台所に連れ出されるので)

よその人の前では必死に取り繕ってるけど、裏で人が居なくなった時の八つ当たり特にひどい。後述する弟のサッカーの集いなどでは、帰った後に私のなんでもないことを怒鳴ってくるのは当たり前だった。マナーが悪いだの礼儀知らずだの、お手洗いに行っただけだったり、何か粗相をしてごめんなさいをして、相手大丈夫だよと返してくれたのにそれを取り上げてお前はグズだのなんだのとこき下ろされる。

弟はずっとサッカークラブに通ってたので、両親もそっちにつきっきり。構ってほしくて対抗してテニスやりたいって言ってみたけど別にこっちに構ってもらえるわけでもなく、やりたくもないテニス小学四年から卒業までやらされ続けた。テニスは一度やめたいって言ってみたけど、父親に「自分がやりたいって言い出したんだろ」と散々怒鳴られ、後は一切無視居間で両親弟揃ってテレビ見ながら無視土下座して、気付いたら寝てて、起きたら部屋が真っ暗で一人きり。それ以来何かをやりたいともやめたいとも言っていない気がする。

弟は小狡いやつ、サッカー友達がやってるからといって大抵のものは買ってもらえた。ゲーム機も、他にやることがないから私が触ってるのにやれ「弟に貸してやれ」だの「姉ちゃんばっかやってて狡いから俺も欲しい」とかいって新品のゲーム機を買ってもらうだの。

携帯も私よりずっと早く持ってた(サッカーの送迎があるのでまあ仕方がない)。当時流行してたモバゲーだのグリーだので遊んで、裏で課金してとんでもない額の請求書が来た時もめちゃくちゃ怒鳴られてたけどそこまで後を引かなかった。というかその時携帯持ってない私まで巻き込まれて怒鳴られた。お前もやるな、とか。やるな以前にやれない。

それでも彼もやりたくてサッカーをやっていたわけじゃなく。友達がやってたかクラブに入って〜って感じで、最後の方は完全に飽きてた。でも前述の件の目撃者の一人だし、多分やめたいとも言い出せなかったんだと思う。

母の趣味で、弟は小学四年くらいまで、私は中学二年あたりまでピアノをやらされていた。弟はサッカーがあるのでいつのまにかフェードアウトしていたけど、私はやる気もないけどやめたいとは言い出せずにずるずる。どういうタイミングでやめたのか、結局よく覚えていない。中学生の頃の記憶が、怖かったこと以外非常に曖昧

母に関しては、何から言えばいいのか。

悪い人ではないはず。人だからだって父親が怖かったはずだ。自分うつになりながらも私と弟を助けようとはしてくれた。無自覚で人を傷つける節がある

小学校同級生に母の教え子がいて、「○○先生の子供なのにこんなこともできないの?」とやたらマウントを取られる。中学まで継続。わりと仲の良い友達グループにその人がいたため頻繁にいじりが出る。

母は私だけの母じゃないと何度も思わされて、助けを求める先が分からなくなっていた。母は先生からの子も助けてあげなきゃいけない、私ばかりを見てはくれない。せめて迷惑かけないように大人しくしていよう。→手間のかからない便利な子、弟に手を焼かされる

思い出すのにも疲れてきた

現在は母方の実家にて、二年ほど前から怒鳴り声とは縁のない生活をしています。(風で扉が勢いよく閉じると未だに怖くなるけれど)

一年から病院にも通って、ようやく少し落ち着いたような気がします。それでもふとした時に戻ってくる恐怖心はどうやったら忘れられるでしょうか。

最近アルバイトも始められました。いままで母に払ってもらっていた保険料年金も返したいです。母にいろんなものを返したら、できるだけ遠い場所で死のうと思っています

応援してください。

2019-08-03

娘の希望を打ち砕く

10

寝室に消えた筈の4歳の娘が居間に戻ってきた。

「怖くて眠れな~い」

兄と妻が先に寝てしまって、一人になったので俺のところに来たらしい。

はいつも居間で寝ている。布団は押入れ。

ちょうどFit boxingをやり始めたところなので、娘の相手はめんどくさい。

30分間俺は娘を気にせず、ボクシングに打ち込む。

その間娘はずっと「怖くて眠れな~い」と言い続けてる。途中で布団を押し入れから出そうとしたが、出来なくてあきらめる。

ようやくゲームが終わる。俺は汗だく。

一緒に寝られると思った娘に非情言葉をかける。

「お父さんこれから風呂に入るよ。ここにいて一人だともっと怖くなるよ。寝室行く?」

娘はおとなしく寝室に戻る。

かわいそうだがこうするしかない。

2019-07-31

お盆帰省で夫を実家に泊めたくない

アラサー既婚2年目夫婦。東京在住で両家とも実家新幹線で数時間の遠方。

お盆帰省で少し揉めている。


私の実家はまあ狭い家で、6畳2間に両親と私と弟、家族4人身を寄せ合って暮らしているような世帯だった。

居間と寝室しかなく、思春期になってからは寝室6畳を私と弟の部屋で無理やり割って、自分の部屋として3畳の空間を確保して暮らしていた。親は居間に寝るようになった。

そんな実家なので、結婚した後も夫を実家に泊りにこさせるのは無理だろうな(昼間遊びにくるならまだしも、客を呼ぶ家ではない)と思っていた。


なのに今年のお盆、いつも通りひとりで帰る連絡を実家にしたら、親がいい加減旦那を連れて帰って来なさい、とのたまう。

これまでは夫を放っておいていいの?と言われても、友達にも会いたいからと言ってスルーしてひとりで帰っていたものの、親としてもそろそろちゃんと親戚づきあいしないと、と言い出した。

配偶者実家に泊まることが、「ちゃんとした」親戚づきあいだというのか?

別に実家には泊まってなくても、親が東京にくるときまたは実家近くに行くようにして、3ヶ月に1度の頻度で夫と親は顔を会わせている。

定期的に贈り物のやり取りや手紙だって送るし、関係は十分良好だと思う。

なのになんでわざわざそんな狭い実家に呼ばなきゃいけないのか。

夫は心の綺麗な人なので、両親が呼んでくれるなら行くよ〜と気軽に言ってくれるが、何より私がいやだ。

狭い家で育ったというコンプレックスもあると思う。

からはそんな私の心理を見抜かれて、恥ずかしい実家かもしれないけどいつまでもだってお客さんじゃないんだから、、と言ってくる。

恥ずかしいと思ってないよ。いやちょっと思っているけど。

でも狭い家に無理やり夫を連れて行くことはないじゃない。ホテルだっていいじゃない。

なのに親は納得してくれない。

別にだって実家が嫌いなんじゃないんだよ。ひとりで帰るには全然いいんだよ。でも実家は窮屈なんだよ。夫を連れて行きたくないんだよ。

実家に帰ると、たった3畳のクーラーもない部屋で、いつかここより広い部屋に住んでやると思いながらガリガリ勉強した18の夏に戻っちゃうんだよ。

今の私は東京都心に住みながらバリバリ働いてる設定なんだからあんな狭い家に育ったという設定は似合わないんだよ。

夫の実家は3LDKちゃんとしたマンションで、泊りに行けばプライバシーは確保されるし、うちのような狭い世帯とはわけが違うんだよ・・・

無理して自分実家に呼ばなくていいじゃないか。。。と思う自分おかしいのだろうか。。。



あー、こういうことを思う時点で実家に関してのコンプレックス結構あるんだろうな。

夫を連れていけばそれも解消されるのかしら。呑気に旅行気分でいてくれるから楽しんでくれればいいのだけど。

それにしても憂鬱

せっかくお盆帰省なのに面倒が一つ増えてだるい

ちゃんとした親戚づきあいってなんやねん。めんどくせー。

2019-07-18

物心がついた瞬間ってどうだった?

私が物心ついた瞬間は、小学校4年生くらいだった。

それまでの記憶マジで1つも記憶にない。

誕生日ケーキが来るのが待ちきれず、居間座布団で寝てたら

親にロウソク口紅かでイタズラされて、口の周り真っ赤にさせられたので泣き喚いて不貞寝した。

そしてその翌日は、64のゲーム兄弟とやっていて、

負けた兄がキレてコントローラーで頭をぶん殴られて流血したこと

散々な感じだった。

本当にそれまでの記憶が一切ない。いきなり別の子に憑依したんじゃないかってレベルで真面目に無い。

私が入るまでAIが動かしていて、私という人格ができたのでユーザー操作に切り替わりましたみたいな。

近しい人の名前も分からなかった事がある。ちょっといね

小学生になるまで毎日のように遊んでもらったと聞いたお婆ちゃんも、「知識としては知ってる」けど「めちゃくちゃ他人(知らない人)」って感じがしてた。

上手く言えないけど、なんだか変な感じ。同じような人に出会たことはないけど

現世が終わったとしても、来世も同じように急に誰かに憑依したような感じになってるんだと思う。

本当に最初から自分」があるのであれば、母の胎内にいるときから記憶があったって良いと思うし

人によってバラつきは無いと思うから…。

2019-07-15

母が泣いた。

おいおいと泣いた。父の言葉に傷ついて泣いた。

父の言葉乱暴だった。否定的だった。母の認識に、判断に、決断に、行動に否定的だった。

父は母の認識に、判断に、決断に、行動に寄り添わなかった。常に母の外側に立場を置いた。それでいて否定的だった。

母の声からは、怒りと孤独が溢れていた。

私は出来ることやってる、やることなんでも否定して、どうしろって言うのよ。

父の声からは、焦りと正義漏れていた。

そんなこと言ってねっちゃ、こうした方いいべって言ってるだけだと言いながら、居間のドアを閉める。

母の涙声と父の慌てた声が小さくなり、投げやりなニュアンスで途切れる。

父はよく、兄弟の前で泣く母を叱った。母は頷いていた。親の弱さは、見てはいけない。だから、今、居間に行ってはいけない。今、居間、忌々しい。

こうなる予兆はあった。父の母に対する言動は、確かに否定的だった。母だけではなく、誰にでも。

私はそれを見て見ぬ振りした。父は、正しくない。正しくない父は、見てはいけない。自分の正しさを周りに押し付ける父は、弱い。父の弱さは、見てはいけない。

父は、正しく、強くあろうとしている。正しくあろうとするから、母の側に立てない。弱さに立ち入ろうとしない。しかしそれを否定してはならない。

いや違う。私は単純に怯えていた。父に否定されるのが、父を否定するのが恐かった。爆ぜ、崩れ、砕かれ、不可逆的で巨大な変化を怖れた。

虐待はこのようにして続いていくということを、私は知っている。

2019-07-03

anond:20190703104451

俺は結婚してるし、

お前が見る目ないからって人の事を「見る目ない」って言うのはどうかなww

隙あらば俺語り、してくぞ。

結婚してから俺は変わったよ。

誰に対しても最低なやり取りをしてた。お前みたいにな。

「全てお前が悪い!」「クソみたいなやつしかいねぇな!」

「こんな事もできねぇのか!」[俺のやりたことを邪魔すんな!」

最後には、ゲームに対しても「死ねよ!このクソゲー!」と言ったりもした。

共働きだったけど、同棲時代家事なんて一切しなかったし

俺は家賃を半額入れるだけで光熱費も食費も一切出してなかった。

同棲しているとき彼女が遅くまで起きてたから気になった。

居間にこっそり行くと、ボロッボロ泣いてた。

ふと考えたら、彼女からやってもらっている事は多かった。

弁当作ってもらったり、ご飯作ってもらったり

書類を取りに行ってもらったり。本当にパシリのように使ってた。

彼女自由時間なんて、俺が寝静まった後だった。

俺は、彼女奴隷のようにこき使ってた。

全て指示して、できなければ「なんでできねぇんだ!」ってブチ切れた。

「お前みたいなのを嫁に貰ってやるんだからありがたく思えよ!」って言った事もあったし

「お前みたいなゴミクズ、俺以外に誰が貰うかよな(笑)」とか言ったりもした。

俺が同じ事をされたら……と考えたら寒気がした。

それと同時に、彼女を失ったらどうなるか考えたら絶望しかなかった。

ま、今では改心したし。

嫁が望んでいそうなことは、俺が進んでやることにしている。

から「ありがとう」が嬉しいし、俺から「ありがとう」ってよく言うようになった。

嫁はもしかしたら恨んでるかもしれん。「若気の至り」って嫁は笑っているけどな。

これから過去したことに関しては償ってくつもり。

まずお前が具体例を見せろよ。その下衆な欲望を折ってみろ。

出来ないならダブスタ相手人権や嗜好を歪めて支配したいだけだとわかる。

さ、俺は出したから例を出せよ?

「こんなのは例なんかじゃねぇ」とか異論は受け付けない。

お前が口から出任せのクズって決定するだけになるぞ。

いか、「例を出さなきゃクズ」な。

言える地盤経験が無いのに、虚勢張ってる可愛いわんこちゃん。お前の事例を教えてくれよww

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