はてなキーワード: 居間とは
題名の通りなのだが、新型コロナウイルスのせいで夫婦の危機に陥っている。
妻はこの騒動が起きてから、絶対にウイルスに感染しないよう予防を徹底している。
それは大変結構なことなのだが、先日アパートの正面ドアから出入りすることを禁じられた。
妻曰く、アパートの共有部分である正面ドアで咳をしている人を見たそうだ。
(その人が感染しているかどうかはもちろん分からないが、激しくせき込んでいたそうだ)
この話を聞いたとき、正直神経質過ぎるなと思わなくもなかったがこの時は素直に従った。
我が家はアパートの1階部分に住んでいて、裏庭側から外に出ることはさほどおっくうではなかったからだ。
次に、外出するときは手すりや金具の部分、信号のボタンに触るなという指示が出た。
万が一触ってしまったら、絶対に顔や髪を触れてはいけず帰宅直後にすぐに手を洗え、とも。
確かに誰が触れたか分からない部分を触ってしまったら、そしてそれで目や鼻を触ってしまったら感染のリスクは高まる。
この時も私は素直に従った。(ただ限度はある、手で顔を触るのはほとんど無意識にやってしまうことはあった)
そして昨日、事件は起こった。
夫婦で食料の買い出しに行った帰り、家に着いた私は指輪と時計を外して手洗い、そして居間に帰ってくると妻はなぜか不機嫌だった。
なぜ?と聞くと手洗いの順番がおかしいのだそうだ。妻曰く、帰宅したら指輪や時計も着けたまま手を洗い、そのあと外せとのこと。
この時私は初めて妻に反駁した。いや、嘘です、「おっしゃる通りですね」みたいなことを言った。ただ態度は顔に出ていたと思う。
私ははっきりとやり過ぎだと思った。除菌のため何度も手洗いをすることは重要だと理解するが、指輪や時計も外出から戻ってきたら毎回石鹸で洗わないといけないのか?うんざりした、正直そこまでやらないといけないなら感染して免疫を持った方が手っ取り早いとさえ思った。
https://digital.asahi.com/info/information/articles/SDI202004074494.html
翌28日以降、体調は一時快方に向かったが、熱は37~38度あり、食欲はなかった。容体が急変したのは30日午前3時ごろだ。ラヘルさんが「気分が優れない」と言って起きてきたという。母親がヨーグルトとともに解熱剤を与えたが、体調は良くならなかった。午前7時半ごろには、ひどく苦しむようになったという。
母親がすぐに家庭医に連絡したところ、「子供は優先できない。午前10時半に診察する」と言われたという。その後、母親がラヘルさんを寝かしつけようとしたが、10分後には呼吸も困難な状態になった。ラヘルさんは自分の手を胸におき、「なんで私はこんなに苦しいの」と訴えたという。
死んでしまうのではないかと恐怖を感じた母親は、電話で救急車を呼んだ。英語で「娘の体調が良くない。呼吸に問題がある」と伝えたが、その後も救急車は到着しなかった。当局は「言葉の壁があった。電話をかけてきた人もパニック状態だった」と救急車を手配しなかった理由を説明しているという。
電話をかけてから30分後、ラヘルさんは居間で瀕死(ひんし)の状態になっていた。知人が車で病院に連れていってくれることになり、ラヘルさんの服を着替えさせている間も容体は悪化。父親が蘇生を試みたが脈がなくなり、そのまま自宅で息を引き取った。30日の午前8~9時のことだった。その後、新型ウイルスに感染していたことが検査で分かった。
もし、パルスオキシメーターの数値を電話で伝えていれば、救急車は来ていただろうし、
https://anond.hatelabo.jp/20200228200523
保護犬の子犬を引き取る予定だったが、縁あって成犬を引き取ることにした話のつづき
俺たちはこの借家の新居に越してくるにあたり、犬か猫を飼おうと決めていたのに付随して決めていたのが、「ベッドを買おう」だった。ペットとベッドである。それは俺と嫁の憧れだった「犬と一緒に寝る」という行為を実現するためのものだった。残念ながらさほど広い部屋ではなかったのでセミダブルのベッドを一つ買うことにして、俺たちはまだ見ぬ犬(猫)がベッドにもぐり込んで来る様を想像してはIKEAのレジの列で鼻の下を伸ばしていた。嫁に至っては子犬がベッドの上り下りがしやすいようにと小さな台まで買おうとしていた。
やがて当初の予定を変更して子犬でなく成犬を引き取ることとなり、トライアル期間はケージを使用する約束だったので夜はケージから出さなかったのだが、「大きめの犬だからケージ飛び越えて来ちゃったら仕方ないよなあ」「仕方ないよねえ」と期待しながらベッドから犬を観ていたのだが、暗闇のベッドから自分を見つめる人間二人の目を無視して犬はケージの中で丸くなり、トライアル期間中に仕方ないことは起きなかった。当たり前だ。この犬は賢い良い犬だからだ。
。
そして遂に正式譲渡がなされた日、俺は昼間のうちに思いっきり散歩した。そして帰宅すると、ばっちゃばっちゃと水を飲んだばかりの犬を嫁が抱きかかえるように風呂場へ連れて行き今度はシャンプーとドライヤーだ。犬はドライヤーとか掃除機とか嫌がるときいていたが、顔に温風を浴びながら、なんかうっとりした顔で目を閉じて座っている。その後はエサを与える。これだけすればこの犬は今日もうクタクタのはずである。俺たちもそそくさと食事と風呂を済ませると「そろそろ寝るかぁ」と犬と一緒に寝室へ行く。ケージはあけっぱなしで俺たちはベッドに入り犬の名前を呼ぶ。
ところがこの犬、俺たちがベッドの上でポンポンすると一応はお愛想で乗って来るのだが、やがて「そろそろいいかい?」とベッドの下に降りてその場で寝そべる。もしかして前の飼い主に躾けられた習慣なのか、そもそも床に広々と寝そべりたいのかはわからない。とりあえずベッドの上で寛ごうとはしないのである。ただ、ケージの中ではなくベッドの下と言うあたり俺たちの傍にいたいと言う意志は感じられたので、なるほどこの犬は定位置をここに決めたのだと納得することとした。
俺の嫁は朝から昼までの間パートに出てる。だからその朝も6時前くらいに目覚ましが鳴るわけだが、俺がぼんやりと目を開けると、犬が昨晩は居心地悪そうにしてたベッドに飛び乗ってきた。そして俺と嫁の顔に交互に鼻をつんつんしながらせわしなくモゾモゾしている。ぺろぺろではない。鼻でつんつんである。嫁が寝ぼけながらも「おふとんはいりたいの?ん?」と布団をめくると「そうじゃない!俺は朝だから起こしにきたんだ!」と言いたげにモゾモゾしている。なんとこの犬は俺たちを起こそうとしたのだ。トライアルのときも目覚ましは当然毎朝鳴っていたがそのときに犬はケージの中で尻尾を振ってるだけだった。しかし昨日からうちの子になったこの犬は、この家の一員としておそらくは重要であろう仕事を見つけ、初仕事をしようとしていたのだ。「起きろ!朝だよ!」と。そうだ。起こしてくれてありがとう。
嫁が仕事に出て数時間後俺も出勤し、さらに数時間後に嫁が帰宅する。そうすると毎日およそ3時間程度この家は犬が留守番することになる。一応引っ張り出されたり壊されたりされて困るものはしまってあるが、とりあえず嫁が帰宅するといつも玄関で座って尻尾振っていて、部屋の中も特に変化がないのだが留守番中の犬がいったい何をして過ごしているのか興味は尽きず、協議の結果「防犯のために必要だからな」「居間と玄関と台所用に3台ね」と言う話になり、事前に中村玉緒似の大家さんから「ワンちゃん何してるか気になるわよねえ!どぼぼぼぼぼ」と笑顔で許可を頂き3台の防犯カメラを購入することにした。VPN接続の工賃も含めて結構な金額となったが防犯のためには致し方ない。
俺が出かけると犬はしばらく玄関に座っている。やがて居間に来ると窓辺に座っている。予想したほど家の中を動き回らない。そしてソファに飛び乗ると長々と寝そべっている。ときおり思い出したように台所に来て、ごみ入れ(フタはしてある)の匂いをくんくん嗅いでまたソファに戻って長々と寝そべる。思ったより面白くない。ようするにちゃんと留守番している良い子なのだうちの犬は。一番面白かったのは昼に帰宅した嫁がやきそばにマヨネーズかけていた所だった。
嫁の実家に行く日、当然のことながら犬も連れて行くことを決めていた。考えてみたらこの犬を車に乗せたのは、トライアルで連れてきたとき以来かもしれない。そのときはトランクにケージごと入れていたのだが、今回は後部座席に座らせた。車が動き始めるとシートの間から首を出して何やら興味深そうに前を見ている。すると嫁がどっこいしょと犬を助手席の自分の膝に乗せた。俺の嫁は小柄なので膝に乗せたと言うよりは自分が犬の下敷きになってるっぽい体勢だ。嫁は右腕にリードをぐるぐる巻きにすると助手席の窓を少しだけ開けた。外から入る風を感じると犬は注意深くではあるがひょいっと窓から顔を出す。
「あぶないからリード離すなよ!ウィンドーのスイッチ気をつけろよ!」「わぁかってるから黙って運転しなさい!」と言い合う飼い主たちを意に介さず犬は顔を進行方向に向ける。どれほど自分が早く走っても決して感じない初めてのスピード、そして風圧。「うぉ!なんだなんだ!早いぞ!俺走ってないのに!うぉぉぉぉ!」と言いたげに犬は嫁の膝の上に立ち上がり尻尾をぶんぶん振りながら上機嫌で前を見てる。やがて信号待ちで止まると不思議そうな顔をして車内に首を引っ込める。隣の車のカップルがうちの犬をニコニコしながら見ている。可愛いだろ?可愛いだけじゃなくて賢いんだぞ?と俺は心の中で鼻高々である。嫁もである。
再び車が動き出すと、今度はためらうことなくまた首を出す。風圧で開けっ放しの口の中が乾いたのか、思い出したように口を閉じて舌なめずりをする。なお途中で運転代わってくれと嫁に頼んだが却下された。高速に乗るときにさすがに窓を閉めて犬を引っ込めると「鼻が冷たくなってる!!」と嫁が笑う。俺は運転しているのでその感触を味わうことができなかった。嫁の実家に着いた頃には俺の車の左側ガラスにファイヤーパターンのように犬のよだれが付いていた。
帰宅するとき助手席のドアを開けてシートを前に倒して犬を促すと、一瞬入ろうとして止まっては「え?後ろ?どうしても?さっきのはなし?なんで?」とこっちを見上げて「こっちかぁ。どうしても?ダメ?」という顔をするのを繰り返している。なんて賢い犬なのだろう、たった一回車に乗っただけで窓の外を眺めることを覚えたのだ。いやしかし毎回そんなことを当たり前にさせるわけにもいかないので後部座席に入れた。まず後部座席に座るのを当たり前にして、車が動き始めたら初めてシートの隙間から首を出すというプロセスを覚えさせるのが良い。そう判断してのことだ。
https://anond.hatelabo.jp/20150214223556
( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――
その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。
「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」
「高度に発達した空想は現実と見分けがつかないくらい不自由なものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」
ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャーを要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランのことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。
明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間が必要だった。
「じゃあ、決まりだな」
こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランのキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身がディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。
最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手に惣菜とパンの店が見えてきた。看板にはアルファベットで DELI BAKERY と書かれていた。
「デレク・ベイリーのCD、今日こそは返していただきます」と彼は言った。
「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」
おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命のうねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実は物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。
「デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」
「そうです」
「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」
「猫たち、とはどういう意味ですか?」
「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」
「また拾ってきたんですか?」
「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」
「猫の方から入ってきた?」
「いや、入っていないし、出してもいない」
「じゃあどうして増えるんですか?」
「さて、どうしてでしょう」
「ちーちゃん、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、お客様にご挨拶だ」と上司は居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司が公園で拾ったとき、ちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。
「里子に出すまでの幼名だよ。正式な名前は里親がつければいい」
猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーはリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。
「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」
( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。
――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます。
( ・3・) それにしたって、そのアルバムの位置づけくらいは踏まえないと。
――では、Rate Your Music のページを見てください。
https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan
――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年に最初のピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギター、ハーモニカ、歌というフォークのスタイルで世に出ました。
( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。
――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディランは1941年生まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります。
――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます。演奏はフォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります。
( ・3・) どう変わるんだ。
――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナのヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。
( ・3・) 理解できない要素というのは?
Inside the museums, Infinity goes up on trial
Voices echo this is what salvation must be like after a while
( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ。故に一般に東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」
――どうしました?
( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。
――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?
( ・3・) ただなんとなく。
――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』は、カントリーのアルバムでした。
( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。
――捉えどころのない人である、というディランのイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年。
( ・3・) 33歳。――それだけ?
――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルだから」といったアプローチはとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。
( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――
――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています。
( ・3・) なんで? 有名な曲なの?
――ほかの曲より易しめだからです。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。
https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/
She looked at him and he felt a spark tingle to his bones
――ディランの歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンザから、どうぞ。
( ・3・) 訳すの? 俺が?
――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。
( ・3・) 夕暮れの公園に男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。
( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。
( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的な表現だな?
――もちろん。
( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園のなかにありき――
――?
( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?
――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります。
She looked at him and he felt a spark
( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。
https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137
――ついでにコード進行も確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
――まずは1小節目から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?
( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。
――はい。ラはサブドミナントのコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。
( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。
( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fmの構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?
――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?
――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントのコードがメジャーからマイナーに変化するときなんです。
( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまり、コード進行と歌詞の内容とが結びついている、と。
――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。
( ・3・) また誘導が始まった。1小節目から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コードの構成音のうちのひとつが半音下がるだけだし、曲のテンポもゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか?
――はい。11小節目から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう。
( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。
――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています。
( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?
( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。
( ・3・) はっさく食べる?
消えているのでここまでしか読めないけど、期待してます。タグを見張ってるのでデビューなさったら気づくと思う。cabal 関連でわからないことがあったら、オレは Haskell できるけど Anond には基本張り付いないので、コミュニティに相談するといいよ。Slack の haskell-jp の questions スレッドがいちばん人が多くて、やたら親切に教えてくれる。
ところでちょっと聞いてください。こないだ自室の iPad の動画アプリ VLC でエロ動画を観てたんです。ふと気になって、アプリの右上にある"RSSのアイコンにウインドウを重ねたようなアイコン"を押してみた。すると画面が真っ暗になり、突然、居間の大画面のテレビからエロ動画が流れ始めた😱
これが Chromecast と呼ばれる機能です。テレビのBRAVIAにはこの機能が内蔵されているとのこと。同じLANに繋いだPCから音楽や映像をワンタップで送ることができる。怖るべきことにこれはテレビのスリープも解除するらしい。アラートもなく設定でオフにできないので、これを働かなくさせるにはテレビの Chromecast 機能を無効化するか、同じLANに繋がないしかない。必死に調べて、対策を取りました(居間は普段親が寝る部屋なので、たまたま昼間で、誰もいなくて、本当に良かった)。
この Chromecast を使ってスライドを表示できるのでは? と思って調べてました。
Chromecast の機材は4000円以下で買える。戦略はこうです。これをプロジェクターに繋ぎ、会議室に小規模の無線LANを構築します。発表者はスマホでそこに接続してもらい、Google スライドアプリにいれた発表資料を Chromecast する。スマホは誰でも持っているし、これなら追加の費用も少なめで得体の知れないUSBを刺される怖れもなく安全に、トラブルも少ない発表環境が作れるかも。
ここで書くことはアセク全体を代表する思想ではなく、当然ながら自分個人の考えである。そして考えも文もまとまっていないので内容は滅茶苦茶だ。
「結婚してない人って、ウンヌン…」最初はこういうのだった。アセクじゃなくても不快に思うことがあるような、偏見/差別/アレな価値観によって出てくる「あからさまに嫌な言葉」を聞いて気分を害すだけだった。だがそういう言葉を耳にしながら生きていくうちに、どんどんこの世の「恋をするのが当たり前」という風潮の害が自分の中で大きくなった。そのうちに、微塵も悪意や偏見のない「あからさまに嫌な言葉」では無いものにまで「恋愛の押し付け」を感じるようになってしまった。
テレビをつければ恋愛トーク、昔の歌は大体ラブソング。誰も悪くない。大体の人は恋愛の話が好きで、そういった人たちのために恋愛という話題は語られる。決して「アセクの奴らを苦しめてやるぞーー!!!」などという思惑はない。分かっているのにたまらなくしんどくなる。世間から隔離された感覚、恋愛の良さが分からないお前はおかしいと言われているような感覚で頭がいっぱいになって、気分が落ち込んで、次の日の朝を迎えるまで何も手につかなくなる。恋愛の話すべてが、恋愛することを人間に押し付けてくるものに感じてしまうようになった。そんなことはないとわかってはいるのに。
テレビは男性と女性が近くにいるだけですぐ恋愛に結びつけようとする。昔は好きだったテレビが怖い。居間でテレビが付くと他の部屋へ逃げるようになり、逃げられない状況の時はイヤホンをするようになった。
他人の恋愛トークで死にそうになるのはたぶん自分がおかしい。結婚しない人が不幸だと思われるのは世間がおかしい。こうしてひとつひとつ考えるのだが、だんだん世間がおかしいのか自分がおかしいのかわからなくなっていく。たぶん自分がおかしい。おかしくなりすぎて、線引きが滅茶苦茶になって、何を見ても狂いそうになる。この世のアセクには嫌なことを言われた経験のある人もいて、それは本当に気の毒でたまらないのだが、自分の場合は直接何かされたわけでも言われたわけでもないのにどんどん一人でおかしくなっていく。勝手に自滅の道へ進んでいる。なんなんだ。助けてくれ
自分は恋愛をしたいとは思わない。恋愛をする人が憎いとも思わない。ただ恋の話を聞いてもなんとも思わなかった頃に戻りたい。どうしたらいいのかな…
昔から、人に強く言えなかった。
その場の空気を悪くするのが嫌だとか、
人に聞き流されて、受け入れてもらえないのが怖いからだ。
その記憶はずっと昔。
私が小さい頃、父は酒を飲むたびに私達兄弟を怒鳴り散らした。
直接暴力を振るったことは殆どないが、時々襖にものが投げられたりもした。
怒声はいつも突然だった。
当時の私達は、幼稚園生くらいだったと思う。
無力で口答えもできなかった私は、ただただ身を縮こまらせたまま、
いつも溜めこんでいる皿洗いを、こんな時ばかりは自ら洗いに行っていた。
実家は居間と台所が直結していて、私の定位置からは母の背中がよくみえた。
その背中と時々聞こえる流しの音が、今でも脳裏に焼き付いている。
父は酒で怒鳴ることは無くなった。
それでも、私の脳裏には怒鳴る父と、弟を突き飛ばした父の姿が脳裏に焼き付いている。
その過去から私は、頭の中に「人は突然怒るから無理に刺激しない方がいい」という考えが刷り込まれてしまった。
いつも人の怒りに敏感で、ビクビクしていた。
大声を聞くのが怖かった。
人に聞き流される孤独が心に沁みついたのも、幼い頃の記憶からだった。
母は私の話し方を会話の最中にいつも指摘した。
「言い訳をしない」
そうして、話すことに疲れ果てた私に、母はいつもこう言って締めた。
「あんたにも原因があるんじゃないの?」
私は次第に自分の悩みを人に打ち明けられなくなった。
もう少し大人になった頃、母の言動に疑問を抱き、それを指摘したことが何度かある。
その度には母は逆上した。
「私が悪いの?!」と。
母の行動がはっきり悪だと言いたいわけじゃなかった。
ただの純粋な意見だ。その言動を少し変えた方が物事がスムーズなのでは?という。
しかし、私が懸命に説明をしようとすばするほど、母は乱暴に話を終わらせようとしてしまう。
結局私の意見を何一つ取り合ってはくれなかった。
そういった日々のおかげで、私の心の隅に「人に懸命に想いを伝えても無駄だ」という気持ちが棲みついた。
社会人になっても人に悩みを打ち明けることができずに、悶々と日々を過ごした。
人の言う「なんでも言って」が信用できなかったし、
人が自分の話に戸惑っていると分かった瞬間、私は言葉を止めてしまう。
聞き手があの頃の母親のように私の話を迷惑に思っているかもしれない、と。
そんなことすらもずっと言えずに心に溜めてきた。
本当はずっと昔から言いたいことが山ほどあった。
世間にも、同僚にも、友人にも。
両親にも、まだまだ言いたいことがある。
お父さん、
どうしてあなたは酒に逃げたんですか。
どうして直面している問題を私たちと話し合って解決しようと思わなかったんですか。
私達が家事をサボっていると思うなら、どうしたらサボらずにできるようになるか、一緒に考えてくれたらよかったじゃないですか。
どうしてそれをしなかったんですか。
お母さん、
どうして助けに来てくれなかったんですか。
どうして一緒に父から逃げてくれなかったんですか。
離婚なり、実家に帰るなり、対抗策はいくらでもあったはずなのに。
でもあなたはそれを言えば、私が悪いの?!とまた怒りだすのでしょう。
どうしてそうやって、私の話を聞き入れてくれないのですか。
私はただ、あなたのその態度が悲しかったと、そう伝えたいだけなのに。
例えばこれを今本人たちに捲し立てたとしても、
「今更そんなことを言われても」と思われるのがオチだというのも分かっている。
だからここに放流する。
床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや
「同窓会、行ってくれば?」と妻が言った。
こんなことを言われるのは初めてだったので少し驚いた。我々夫婦はお互いにあまり干渉しない。妻はいつも「友達と会ってくる」「仕事の付き合いに行ってくる」「爬虫類カフェに行ってくる」などと言って勝手に出かけていく。大抵は日の落ちる前に帰ってくるし、夜遅くなるときには必ず連絡をくれる。私は私で、同じ様に妻に一言告げてから出かけるし、そもそもが出不精なので、自室でゲームをしたり、居間で本を読んだりしている。
「奥さんと仲いいですよね、秘訣とかあるんですか?」とよく聞かれる。秘訣なんて考えたこともないけれど、「お互いを尊重することじゃないの」などと言っておけば、相手は「うちは束縛が厳しくて」なんて自分の話をし始める。
だから妻に「行ってくれば?」なんて言われるのは初めてだ。同窓会の通知を何かの拍子に見たのだろう。秘密主義ではないので別に構わない。
「ああ」と返事をする。「でもさー、今更会って何話すんだろうな。懐かしいねーって言って、近況報告。で?って感じじゃない」
「いいじゃない、懐かしむのも。得るものはなくったっていい時間になるんじゃないかしら」
私は結局、同窓会に行くことにした。高校卒業から17年が経っている。
15人が集まった。これが多いのか少ないのかはわからない。クラスでも当たり障りのない人物だった私は、同窓会でも当たり障りなく振る舞った。お調子者の奴はお調子者であり、寡黙な奴は寡黙だった。何も変わらない。ずっと高校生でいれたらと当時思っていたことを思い出す。違いは酒があるかないかくらいのものだ。
近況報告などをするうち、14人が結婚していることがわかった。未婚であったのは、私が当時付き合っていた彼女だった。理恵。気まずさ故に同窓会では彼女と話すのを避けていたが、酔いが回るにつれ、彼女は隣りにいた。
「つーか、お前まじ結婚するんだもんなー」お調子者の一人が私に言った。「笑ったよなー、な?」
周りの人間は気まずそうにしている。笑った?俺の結婚を?それはなんだ。
「えっと、それはどういう?」
話ずれるけど。
「今はオープンキッチンが流行りだからお洒落だと思ってオープンキッチン希望する主婦が多いけど
あれは実際は料理の臭いが全部居間に流れたりキッチンが来客から丸見えだったりして使い辛い。
なのでしばらくするとキッチンを分離するリフォームを希望する客が多い」という内容を、
いかにも「女は流行に流されて見た目のお洒落さだけしか見ないで実際の使いやすさを考えないで間取り選ぶバカばかり」
といった雰囲気で客小馬鹿にした感じで言ってるのを見たことがあるんだけど、
オープンキッチンの選ぶ最大の理由って「子供の様子を見ながら料理出来るから」だろ?
子供がまだ放置できない歳でも子供から目を離さずに料理出来るから選ぶんだろ?
んで子供が常時監視しなくても良い歳になったらリフォームするってだけじゃね?
実際に作って売ってる側がそれを知らないの??
と思ったのを思い出した。
勿論業界全体がそれを分かっていないとは思わないけど(普通に家の選び方で「幼い子供がいるならオープンキッチンが良い」的な記事も見るし)
少なくともその記事の人はそれを全く分かってなかったわけで。
せっかく寝たのに、エモーショナルな夢を見て目が覚めてしまったので記録しておく。
俺は両親と何らかの閉鎖環境で暮らしていて(恒星間移民船みたいなSF的なやつ)、細部は思い出せないが、とにかく、居間には高そうな小豆色の革張りのソファ(車輪が付いているらしく自律移動する)がたくさん置いてあって、死期の近づいた人間はそれに乗せられて別の部屋に運ばれて行き、やがて死ぬと部屋が過熱して死体が「消え」てソファだけが生活空間に戻ってくる。たぶん死体はリサイクルされてる設定。
その部屋は、他の部屋と繋がっていて隔離されているわけではなく、入り口からなんとなく中が覗ける。俺は、そうして祖母を乗せたソファが部屋の物陰に入った後に部屋が加熱して、何も乗せていないソファが戻ってくるのを眺めていた。
何とも言えない気分になりながら祖母を載せていたソファを眺めていると、それを見ていた母親が「それじゃソファ拭こっか」と提案してきて、頷いたあたりで目が覚めた。
何でこんなシドニアと未来少年コナンと火葬場が混ざったような夢を見たのか分からないが、これが年老いた親戚に「自分の見ていない所で面倒をかけずに居なくなって欲しい」という深層心理の表れだとすると、我ながら薄情なやつだなぁ、という感を禁じ得ない。一方でその光景に強いショックを受けたのも確かで、人間がなぜ葬式という儀式を必要とするか分かったような気がした。
あと、自分の中の母親が、誰に対しても気遣いを忘れない人間として認識されていることに驚いたりした。正直、普段はその気質を過剰なものとみなしているのだが。
「インフルっぽい」とは何か。
今日の午後4時頃ふと昼寝がしたくなり、5時頃急激にだるくなり、6時頃息が荒くなって、7時頃に意識もぼーっとするようになる。
夕飯の時間だが食欲は全くわいてこない。息が苦しい。体が思い通りに動かない情けなさで涙が滲む。
しかし家族が夕飯だとうるさくコールを続けるので、人と一切会いたくない状態であっても状況報告を行う必要がある。奴らはLINEを滅多に見ない。居間へ向かう。
体調が悪いので食欲がない・横になっているという旨を伝えて立ち去ろうとしたとき聞いた家族の言葉だった。
「それはなに?インフルっぽいの?なんの病気?インフルっぽいの?」
何の病気か断定できるほど俺は風邪にもインフルにも詳しくない!!!!!!!!
インフルっぽいって具体的に何?
熱がある?微熱だった。
節々が痛む?意外とインフルじゃなくても体が痛むことはある。
そもそもバッチリ予防接種済みなので多分重態化はしにくい。余計に区別がつかない。
体が一人前になってからは、インフルエンザにかかるよりオリンピックの方が頻度が高い。毎年かかってるインフルエンザソムリエとは違う。
インフルっぽいって何?
■来たスタッフの数:1人
■家の広さ:1k 20㎡
■前準備:掃除を頼んだ箇所の棚の中身や台の上の物をすべて袋とかに突っ込んで居間に避難させる。あと掃除しやすいように分解しておいたり扉を開いておいたりしておく
■依頼中に自分がしてたこと:PC庫内の掃除と配線整理・通販で買ったラックの組み立て
■用意した掃除道具:ぞうきん10枚・マイクロファイバータオル5枚・小ぼうき・ちりとり・はたき・ハンディモップ・踏み台・多用途スポンジ・風呂用スポンジ・トイレブラシ・クイックルワイパー・空のスプレー・歯ブラシ5本・ゴム手袋・スリッパ・ビニールエプロン
風呂のスプレー洗剤・トイレのスプレー洗剤・便座シート・フローリング洗剤・シンク用洗剤・食器洗剤・クエン酸・重曹・セスキ・クレンザー・フローリングシート(ドライ・ウェット)
上記をひとまとめにして並べておいた
■伝えたこと:「とにかく全体を一通り普通に拭いて欲しい」「物の定位置はない。触ったり動かしてはマズいものはない」「掃除道具は全部使い切ってもボロボロにしても大丈夫」「節電とか節水とか気にしないでいいです」「適宜お湯とヒーター使ってください」
そしてスタート
全体の流れ:玄関→キッチン→風呂→脱衣所→トイレ→居間→ベランダ
1エリア掃除が終わるごとに俺が避難させてた物を戻しにいく(ついでに状況チェック)の繰り返し
俺はPCいじってたが、プロの掃除というものを見ておきたかったのでこまめに様子は見てた
時間配分とかあるだろうので基本的に途中で口出しとかはしなかった。
結果
・玄関
・キッチン
掃除した→コンロ・調理台・シンク・シンク下収納部・換気扇カバー・排水口の生ゴミ受け・床
・風呂
掃除した→浴槽・蛇口・シャワー・床・壁・ドア(内側)・排水口のフタ
・脱衣所
掃除しなかった→備え付けの壁面収納・鏡・防水パン・壁・風呂のドア(外側)
・トイレ
・居間
掃除した→扉・押入れの床・窓のサッシ
掃除を頼まなかった→PC周り・フローリング(棚にしまってた物を避難させてるから)
・ベランダ
掃除した→物干し竿・物干し竿ホルダー
掃除しなかった→室外機・床・手すり
2時間半くらいで時間をもて余し気味にしてたので、残りの時間で上記の掃除してなかった場所の一部をやってもらった
まとめ
おまけ
■実際に使われた掃除道具:ぞうきん3枚・マイクロファイバータオル1枚・風呂用スポンジ・風呂用スプレー洗剤・トイレブラシ・トイレのスプレー洗剤・歯ブラシ1本・食器洗剤
■持参品を使ってたもの:手袋・ワイパー・防水スリッパ・エプロン
さて、大掃除するか…