女叩きは基本的に長文が読めないし書けないのでは?
女叩きが多く生息するであろうこのサイトでも条件反射的な定型文のMASUDA-STYLEがメーンだし……。
思い返してみると、どうやら女叩き勢はあまり長文増田を書かないらしい。
女叩き勢は質より量で勝負するMASUDA-STYLE。
『天網恢恢疎にして漏らさず』という言葉は基本的に「一見ガバガバに見えるルールでも結局すげー厳しいし悪いことは出来ない」という意味で用いられるが、公務員の世界では逆である。「一見雁字搦めに見える状況であっても、小さな隙間をうまくたぐりあわせていけば無理は通せるし道理なんて雑魚」というシチュエーションの波を如何に泳ぎ切るかにかかっている。
必要なのは自分は正しいといいはる揺るがぬ虚勢、口裏を合わせること、権力により相手を尻ごませること、そして最後にその理屈に乗っかるのが一番無難であると思わせるだけの話術となる。
公務員の世界で用いられるルール(憲法、法律、訓令、通達とか)に書かれている実施要領はよくよく見るとやたらと『余裕を持った作り』が為されている。
これは複雑な法体系同士相互の絡み合いや、官民それぞの都合に合わせて『便宜』を図るための意図的な粗さである。
いうなれば線路が熱膨張に備えて少しだけ余裕を持って敷設されているようなだものだ。
この隙間を味方にできるか、敵に回すか、それが公務員の業務処理能力の半分、評価や『居心地のよさ』においては8割を占めるとすら言えるだろう。
単純に法律と前例に沿って仕事をするところまでは何だかんだ慣れれば出来る。
だが、法の持つ網目を使いこなしていくのには才能が必要になる。
ノリがよく、ポジションの確保が上手く、口先で戦えるタイプの人間ならそれは大得意なはずなのだがなあ。
何故苦労しているのかが分からない。
ちなみに公務員で一番苦労するのは、人に物を聞くのが下手(自分で調べられる範囲と他人に聞くしかないことの切り分けが下手)なタイプだ。
こういう連中は面接試験とか苦手だったりルーチンワクならできそうとかってことで公務員になりがちだけど、理屈や利益を越えた所で特に意味もなく形を変え続けるルーチンを完ぺきにこなさなきゃいけない仕事で質問下手は死ぬ以外の道がないから絶対辞めておけよ。
思ったことや感じたことを吐き出す場ってのはやっぱり必要な気がしてきた
いくら推敲して書いても誤解されて捻じ曲げられて、さも常識かのように見当違いの反応が帰ってきて、そう感じた感性とか下手すると人格まで否定されてる気分になる
子供欲しいホルモンを測定して、その値が低い人はそういう体質だから、子供欲しくなくても仕方ないねって風潮になればいいのに
でも本当にそういう検査が出来たらそれはそれで、「子宝ホルモン(とかいうネーミング)アップするパワーストーン!」みたいのが出回るんだろうな
前半は体外受精とかの話かな?
○朝食:蒸しパン
○調子
むきゅーはややー。
忙しくて割と遅くまでお仕事した。
帰り道のコンビニの前で、もう夜も遅いのに小学生低学年ぐらいの子供が母親に「ママといるー! ママといるー」と泣き叫んでいた。
何か家族の別れの場面を見てしまったのか、とても心が揺さぶられて辛くなってきた。
あの子はママといられない事情があったんだろうけど、辛いだろうな、と共感してしまい、僕も辛い。
……1時間ほどプレイしただけなのに、どうしてプレイしてなかったのを思い出す程度にはあれだった。
○プリコネ
9-2をクリアしたところ。
止まったら、左にいる人となんとも言えない感じになる
美輪明宏、美しいというより派手面白いって感じに見えるけどなぁ。
ヨイトマケは、普段派手なおっさんが地味な格好で地味な歌を高い歌唱力で歌ってたから印象的だった。あんまり作為的なものは感じなかった。
昆布もカツオも同時にぶっこんでグツグツ煮込んだときもぶっちゃけ全然美味しかったが
決まりを守ると格が違う
まじでうまい
ガチで出汁を取る。これが27歳でまだ必要ないのにたどり着いてしまった減塩政策だ
要約:出汁をとった
何気ない素直な言葉で追い詰めてくる人と相性が悪い。
要はナチュラルな言動がモラハラになってるタイプなんだけど、天然キャラってことで容認されてたりするし、
エスカレーター歩くのやめようっていう最近の風潮は知ってるし、危ないとか機械に負担がかかるとかいうのも納得できる
けど、空いてる方に立って敢えて歩かないほどの勇気はない
だからいつも、歩かない方に並んで乗っている
昔から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。
同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者の右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田は20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。
ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーターの江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法や麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者の芸能人の後ろに守護霊がみえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子の番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観の押し付けじゃないかと感じていた。
別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報にアクセスできないということでもある)「大学も出」ることなど現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。
こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…
「頑張ったならそれでいいんだよ、あとは相手が決めるんだから忘れて夏休みを楽しんだら」
そう返答するのが精いっぱいだった。どうにもこういう人の感情に寄り添うのは苦手だ。
夏は不思議。ふとしたことで思い出が蘇ってくる。辛かった修業時代よりも楽しかった学生時代のほうが思い出も多いしよく思い出す。
ぼくは今でこそ大学院入試をやる側になった。それはつい最近のことだ。
大学院入試なんて、やる側になってみると、すごくいい加減だ。人数で適当に線を引いて合格者を決める。会議に次ぐ会議を得て、最後は教授会で承認する。
だから、誰が合否を決めたのかなんてわからない。これじゃあまるで、3人で同時にボタンを押す死刑囚みたいじゃないか。
学生時代には仲良くしていた後輩がいた。彼は私の10年先を行ってた。深慮があり知識が深かった。
日々話し合った話題は数知れず。何を話しても彼は既存の考え方もその反論も説明してくれて、自分の短慮を思い知らせてくれた。
しかし、それは私への攻撃などではなく彼にとってはこの世界に答えという出口がないという感じだった。
私はそんな後輩を尊敬していた。彼のような人にこそ、いろいろなことについて語ってほしいし、そうできる立場がふさわしいと思った。
あれほどの深みをもった人物というものを私は彼以外に知らない。
だけれど、彼は大学院入試に失敗し消息不明になった。私が十分に優しければ、そんな彼にかける言葉があったのだろうか。
今だって答えはわからないし、相変わらず人の感情にどうやって寄り添ったらよいのかわからない。
当時の自分にできる精いっぱいのこととして、何度か飲みに行こうよなんて声をかけた。もちろん返事なんてなかった。
あれからずいぶん時間がたった。彼は生きているのか、死んでいるのか、どこにいるのか全くわからずにいる。
ふとtwitterを見てみた。あのときから時は止まったままだった。だけど、今ならわかる。彼は気楽に生きるには知りすぎていた、考えすぎていた。
思慮深く博識な彼は消えてしまい、短慮で薄学な私だけが取り残された。
彼は今どこで何をしているのだろうか。彼なら、今この世界をどう評価するだろうか。
叶うなら、もう一度飲んで騒いでこの世界について無邪気に語り合いたい。