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2021-04-05

新卒者へ

この時期は退職者が多くなる時期ですね。そして新卒者が早い人では研修とかあってるのかな?

まあ期が変るので新しいことが始まる時期ですね。

僕は新卒で入った会社退職し今は有給消化中です。。。ギリギリ?三年働いたのかな。多分。

そこで色々と制度を調べたり人生模索をやったりしている最中なのですが、そこでどうしても

この匿名ダイアリーを通してこれからの僕と同様人生模索する方々や、新卒でなんとなく決まった

会社希望の会社に入る)に入社する後輩の方々の皆様に共有したいことがあったので書いていきたい

と思います。(もしも友人やご家族退職などで迷われていたら是非この話を共有してあげてください)

1、教育訓練校

意外と知らない人が多いのですが、離職後すぐに訓練校に通うと通っている間失業手当がでます。もしも選択した

コースが2年間なら2年間でます。(もちろん前職で雇用保険に入っていることが対象です。入っていなくとも無料

で受けることができます!)

これは本当だれでも受けれるんです。

このコースには定員は少ないですが保育士コースもありました!!凄いですよね!

本来だったらお金がとてもかかるのに!

2、専門実践教育訓練

労働者や離職者が、自ら費用負担して、厚生労働大臣指定する教育訓練講座を受講し修了した場合、本人がそ

教育訓練施設に支払った経費の一部を支給する雇用保険給付制度です。

平成26年10月から教育訓練給付金は、従来の枠組みを引き継いだ「一般教育訓練の教育訓練給付金」と、拡充

された「専門実践教育訓練の教育訓練給付金」の2本立てになります

この制度は最低でも専門学校に入る年まで2年間雇用保険に加入していることが必須条件となります。(詳しい条件

については厚労省HPへ⇒http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/shokugyounouryoku/career_formation/kyouiku/index.html

この制度活用することで授業料の40%(最高で年間32万円!最大3年間受けれるので96万円)が受け取れて卒業後1年間働けば

20%かえってきます!!!

この2つの制度は本当にとてもいい制度です。

よく転職を考えるなら3年は働けと言われますが、『人生やり直すなら2年働け!』です。

最悪お金が無くても奨学金があります

こう書くと多くの方から叩かれそうですが。

新卒で入ったからと言ってその会社で一生働かなくてもいいと思うんです。だってもっと自分

あなた必要とする人はいますから。そんなあなたが無理に傷ついて人生を棒にふってしま

よりもせっかくなら制度を利用して人生やり直してもいいんではないでしょうか?

僕は辞める時に『社会はあまくない!!!』『考えが甘い!!!』と散々言われました。

でも本当にそうなのかな?と疑問に思いました。

人それぞれ考える社会像はあると思いますが僕は『社会は時には甘い』と思いますだってやり直す

チャンスがありますもん!!!

もしもこの会社間違えたな〜とか、もう精神的に無理!と思ったら上記制度がある事を思い出して

ください。

そして1時間でもいいから最寄りのハローワークに行くもしくは電話してどんなコース自分地区

あるのか調べてみ下さい。

より多くの方が病んでいく昨今です。もしも周りで仕事で病んでしまいそうな人がそばにいたらこんな

道があるよってことを教えてあげてください。

人生はやり直せる!!!あきらめるな!!!

2021-03-31

anond:20201216140118

しかし、売春マリファナ合法化欧州などを中心に進んでいるのは、

それらが国や警察などの管理する側から目の届かない社会の地下に隠れてしまい、

取り締まりが困難になるだけでなく、更なる違法行為

危険ドラッグエスカレートする可能性があるからであって、

そうであるならば、敢えて売春マリファナ合法化して、

北欧オランダのように売春マリファナ合法的取引きできる地区を決める、

そうすることで警察はその地区を見回るだけで良くなり、

政府アンダーコントロールに置かれるのである

同様にロリコン違法のままだと、ロリコンは国や警察管理の手を逃れ、

目の届かないところで更にエスカレートしていくことが予想されるわけであり、

ここは敢えてロリコン合法化することで、

警察の目が届くようになり国家管理下に置けるようになるのではないだろうか

で、どうすれば私は合法ロリとお付き合いできるのですか?

2021-03-30

anond:20210330000408

誤魔化すもなにも東京が不便なのは事実だし

上京カッペが嫌いなのも事実だし

 

気が向いたら上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的地域マウンティングについて書くかも。こんな感じの内容の予定

 

あと、埼玉県の人大学同級生にいたけど、東京コンプレックスすごいよね。まじウケる

浦和じゃなくて川越とかならわかるけど。

え、浦和

江東区NTTデータのお膝下である豊洲を有し、高層マンションも多いエリアなので、北区荒川区と並べるのはおかしい。板橋区足立区妥当

上記のような上京カッペがやりがちな見栄っ張りで物知らずで差別的地域マウンティングについて気が向いたら書くは

 

浦和は、単純に便利じゃん、文教地区じゃん、以前に歴史的年収1000万以上の割合が高いんだよな

たとえば、小学校区ごとに取ってる年収でも公立常盤小学校あたりなんか 850万だよ。わーお

 

都道府県所在行政区学校平均年収
埼玉県さいたま市西区宮前小学校694万
埼玉県さいたま市北区大砂土小学校745万
埼玉県さいたま市大宮区桜木小学校791万
埼玉県さいたま市見沼区七里小学校692万
埼玉県さいたま市中央区上落合小学校862万
埼玉県さいたま市桜区土合小学校661万
埼玉県さいたま市浦和区⭐️常盤小学校850万
埼玉県さいたま市南区浦和別所小学校784万
埼玉県さいたま市緑区大門小学校701万
埼玉県さいたま市岩槻区上里小学校593万

埼玉県 子ども教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版

https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/

 

あと上京カッペに見下されがちな東京東の 足立区葛飾区荒川区 についても

地域マウンティングの話含めて気が向いたら書くは

まぁ正直、山手通ってる開成高校のある荒川区以外は無理して住むところじゃないとは思うけど、

コスパコスパと騒いでる上京カッペ』、『まさかの徒歩20分でドヤ顔語りしている上京カッペ』がいるからな

 

たとえば、葛飾区教育の一例を上げるなら、西小菅

家を買うとしたら今も何もないエリアだし立地的に発展も望めないので止めるけど、

国家公務員宿舎があるので、公立小学校葛飾区立西小菅小学校辺りは 年収922万 を叩き出してる

なお、葛飾区立西小菅小学校は、タカラトミーNTTドコモ連携してプログラム推進をやっている公立校なんだけど

国家公務員宿舎が近くにあるのたぶん無関係じゃないよなぁ・・・

[ロボスタ] 葛飾区タカラトミーNTTドコモプログラミング教育連携

https://robotstart.info/2019/11/21/katsushika-embot.html

 

葛飾区西小菅小学校実施したプログラミング教育の例】

1年生 国語「むかしばなしがいっぱい」話の順序に沿って簡単構成を考える

2年生 生活うごうごわたしおもちゃ」おもちゅの動きを組み合わせる

3年生 音楽ドラムで音遊び」リズムパターンを組み合わせて音楽を作る

4年生 音楽かえるのうた」リズムパターンを組み合わせて音楽を作る

5年生 算数「正多角形と円周の長さ」図形の性質を見つける

6年生 理科電気性質電気性質を知り、その利用方法を考える

2021-03-26

こ、これを言われちゃあ沈黙するしかいか・・・

日本人権尊重しているか」 中国外務省慰安婦問題提起

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021032501134&g=pol

左派知識層がいつも指摘しているように、日本には慰安婦問題反省の色が見られない。

ついに左派だけでなく中国にも指摘されてしまった。

左派中国の指摘する通り日本には慰安婦人権問題がくすぶっており、新疆ウイグル地区人権問題発言する資格なんてないか・・・

左派中国からたしなめられている通り、日本バイデン政権EU同調して他国に口を出す暇があったらまず自国問題解決すべきだろう。

2021-03-23

anond:20210323121806

住んでる地区多目的な使われ方をする所

それこそ、昔なら成人式とかも公民館でやってたとか

2021-03-21

2億のマンション

20年ほど前に実家を取り壊し、そこにマンション作りました。当時から欠陥が多くて雨漏りに散々悩まされてきたけどこの間の修繕工事でほぼ問題なくなったようです。

そろそろ親が家業引退する時期でもあり、マンションとそれに隣接している親の家をどうするか考えてます

マンション


父親相続してもらいたいらしいけど、そのためにはおそらく法人化するのがてっとり早い。ただし兄妹ともに公務員なためどこまでうまくいくかは不透明。まあ自分職場実家農家という人がかなりいるため、そのあたりは見逃してくれる可能性が非常に高いけど。最悪、配偶者取締役になってもらおうかなって思ってます


先祖代々の土地を守りたい、というよりは帰る場所が欲しいイメージですね。兄妹も実家から離れ気味ですし、自分実家を出たかたからわざわざ田舎の方に引っ越したわけで。でも今住んでいる場所に比べれば実家のある街は間違いなく都会。東京まで小一時間だし。結構便利な場所から、年取ったら実家の方に引っ越ししてもいいかなって思ってる。土地建物も売ったらハガレンエドのようになってしまう。


マンションは立地的には相当いいところだし借金住宅ローン以外にないし、下手な不動産投資よりリスクがないんですよね。近隣の開発は盛んで、もうすぐ駅も改装するので便利になるはず。相続税をぽんと支払えてフリー立場の人だったらどうするんでしょう。


法人化するにしても知識がない。誰に相談すれば良いのやら。

2021-03-16

高知競馬の1レースあたりの売上レコード更新

http://www.keiba.or.jp/top/news/diary.cgi?no=10303

●令和2年度第18回第2日目(令和3年3月16日(火))

 売得金 641,808,500円 ※第3レース農林水産大臣賞典第23黒船賞

過去の1レースあたりの売上記

平成15年度第19回第3日目(平成16年3月22日(月))

 売得金 511,625,900円 ※第10レースYSダービージョッキー特別

 ※ハルウララ出走、鞍上武豊

ついにハルウララを超えたよ。そして今日は一日で16億だよ。たぶん、今日日本で最も売り上げた地方競馬になったんじゃないかな。

ハルウララ資金があったから、ナイター設備投資して、一発逆転ファイナルレース企画して、どんどん売上が上がって、賞金も増えて、いい馬が入って、他地区でも活躍する人馬が出てきて、そして。

今は、(某女史による) いろんなゴタゴタを乗り越えて、千葉御宿幸せな余生を送ってるんだよね。

https://www.matha-farm.com/

そろそろ、「あんな 時代も あったねと きっと 笑って 話せるわ」と、ハルウララ記念もあってもいいのかもね。

宇部高等学校的シン・エヴァンゲリオン考察

いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。

私はエヴァTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前ことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)

エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。

宇部山口県瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史文化も無縁のところだ。

宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。

庵野さんは地元進学校宇部高校出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長キャッチフレーズは「国立300、野球甲子園」。ちなみに、ノーベル賞本庶佑さんは宇部出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理ユニクロ柳井さんも宇部高。

そんな文化不毛受験偏重宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンゴジラも低迷していた。

庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。

短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。

だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らし高校生活は、灰色鬱屈とした、愛せない時間空間だったのではないか

漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部時代自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。

ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカー宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。

2021-03-15

FBの使い方がようやくわかってきた

10年以上使ってたが同じスポーツをやる仲間を中心にした狭いリアルの繋がりでしか使ってなくて、特に沢山の友達と繋がるでもなく仲間内でゆるく近況報告をするくらいの使い方しかしてなかった。

最近になって、いろんなフォーラムグループに参加して使うということがわかり、トレーニングメソッドを紹介し合うとか、同じローカル地区グループとか、クレイスリストみたいに不用品を交換したりとか、同じゲームをやっているグループに参加したりだとか、そういう使い方をするもんなんだなあということがわかった。当たり前だけどこれインターネットグループだったんだな。

redditとかよりも雑多じゃないし、基本的ポジティブリアクションしかないし、(意地悪なやつはグループマスターからBANされる)世界中で繋がってる感あるし、なんかすごい90年代パソコン通信黎明期みたいな治安の良さがあっていい感じだ。

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-03-11

anond:20210311112529

周辺故国に、日本が各地区備蓄しているサイロをつぶすなら、魂を日本差し出せ。魂とサイロは交換だ。

2021-03-10

anond:20210310135133

医院による。

内科 外科 耳鼻科 とかあるように

精神科医にも得意分野がある

まぁ

病院

町医者

風俗街の隣の地区

おおきくわけるとこの3つぐらいを覚えておけばなんとかなるはず。

2021-03-05

無観客でもオリンピックを開催した方が得なのか

基本ボランティアから給料は発生しない。

選手村運営光熱費はムダ。

人は来ないので周辺地区に金は落ちない。

得なのテレビ局くらいじゃね?

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なのでこの場合優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかに危険行為をしていた。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルーム危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子そばで震えていた。

すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。

「諦めないでくれてありがとう」って。

2021-02-28

郵便局バイトするのオススメしない4つの理由

郵便局バイト(時給制契約社員)するのはオススメしない理由を書ける範囲で書く。

マジでオススメしない。

<目次>

1  .当日欠勤禁止

2  .社員バイト(契約社員)の格差

3  .パワハラ気質

4  .汎用性のあるスキルが身につかない

番外.勤めた方が良い人

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1.当日欠勤禁止

体調不良社会人としての責任感がない、として扱われる。

実例として人目のある所で「何で当日欠勤をした?」と責められているバイトを見たこともある。

「当日腹痛でどうにもならなかった」と言ってたが前述のように”穏やかな口調”で詰められていた。

時間にして15~20分。

1日でも当日欠勤をすると昇給の見込みが無くなるので「今日ダルイな。有給使うか…」みたいな一般企業あるあるな事は絶対に出来ない。

事前に申請する以外休みを取る事は出来ないが、残業は当日突発的にお願いされる。

追記 正社員じゃなくて”バイト”だからな。バイトなんて当日欠勤するの割と有るだろ。飲食店学生時代バイトしてたら何回かやらかすアホいたわw

2.社員バイト給与休日賞与格差は激しいが仕事の内容はほぼ変わらない

社員が1人退職する穴をバイト1人が穴埋めする事も多くある。

当然皆様が出す郵便物をしっかりお届けする責任は同じ。

からいる社員国営の頃の社員の為「公務員気質が抜けていない。

基本的に「面倒臭い事」は下に任せて自分は楽な仕事をしがちであるからも、やってられないという思いになる。

なお、バイト社員になるのはかなりハードルが高い。局内で一番優秀と言われるバイトすらバイトのままだったりする。

3.パワハラ気質

職場部署によると思うが基本年寄りが多い。

若い人の入れ替わりはとにかく激しい。最寄りの郵便局バイト募集を見て頂けると分かる。

年中繁忙期でも人を雇う事に積極的じゃない郵便局が「配達員」は頻繁に募集している。

……そういうことです。

バイク乗るの好きだから・人と接するのが苦手だから郵便局応募してみよう」っていうのは浅はかな考えだと思う。

村社会なので人間関係を円滑に出来るコミュニケーション能力が他の人より圧倒的に優れている人じゃないと無理です。

4.郵便局で働いても他の職場で生かせる事がない

あえていうなら、事務職で働くという事だと郵便物の送料がソラで分かるようになる。

持っただけで大体◯gと思えるようになるし、料金も簡易書留(追跡や保証付き)に速達料金でA4サイズ封筒に紙◯枚位だから750円」って言えるようになる。

そんな事は世の中の人不要だし、窓口行けばいいじゃんってなる。

から窓口は混雑してるし、そこの担当マジで大変。コールセンタークレームの嵐でマジで大変。

あとは担当地区の家の名字が分かるようになる。ストーカーじゃないと何も得しないな。

ストーカー犯罪です

5.評価が割に合わない

前述の通り、当日欠勤を1日でもすると評価が無くなります。もしくは落ちます

そして、定期的にされるスキル評価項目が何個かあり、例えば10個としましょう。

同時期に入社した10個中8個出来る人と、10個中3個出来る人がいます

Q.昇給幅に差はつくでしょうか?

A.差はないです

これでモチベーション下がる人はマジで辞めた方が良いです。

やればやるほど自分がしんどくなるだけです。

番外.こんな人は勤めた方が良い

病気になった事は15年以上無い。これからもならない。

郵便局公務員的で年功序列で黙ってれば給料があがって、365日繁忙期・内90日は超繁忙期だけど耐えられるだけの経験などがある。

さらに他のバイト経験でも大変優秀でかなり評価される位のポテンシャルを持っている。

その上で福利厚生がしっかりしたところで働きたい。

そんな風に考えている人にはお勧めです。

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多分40代より上の人(バイトしようとする親・祖父母世代)の人は「(元)公務員だし良い職場だろう」とオススメしてくると思う。

だが、現実はただの輸送業

2016年にブラック企業大賞の受賞実績もあります

社内では「コンプラ違反の報告は義務です」なんてポスターも貼ってありますが、それが機能しているのであれば…。

まあ、そういう理由から個人的にはオススメしないです。

でも新しい人は喉から手が出る程欲しい。自分が楽したいからね。

そうしてまた、面倒臭い仕事押し付けるんだよね。

2021-02-27

どうでもいいのに言わずにおれないこと。

子供授業参観があり、その後保護者懇談会があった。そこで次年度のPTAクラス役員決めがあったのだけど、定員二名のところ、五名の立候補者があり、立候補者達でじゃん拳をして役員を決めることになった。

立候補者の中には、クラスで最悪に評判の悪い、イジメ親玉男子母親がいた。彼女はじゃん拳に負けたので、役員にはなれなかった。彼女果たして自分の息子がクラス女子や体力のない男子いじめまくってしょっちゅう泣かせているのを知らないのか、それとも、自分の息子が迷惑をかけ続けているのを知っていて、せめてPTA役員という面倒事を皆の為に引き受けようとしたのか、どっちなんだろうな。

……という話を、夜、夫に話そうとしたら、途中で遮られて、話を曲げられた。小学校PTAクラス役員は、六年生で受けると面倒だからって争ってでも五年生までにやりたいという人がいるが、あれは罠だ。一度役員を引き受けてしまうと、本部に「あいつは押せば断れない」と思われて、次は地区役員本部役員PTA副会長、そして旦那会長にと、次々に押し付けられる。そして会長までやってしまうと中学PTA会長も否応なしにに引き受けることになる。

夫が言いたいのは、嫁が馬鹿だと旦那は末の子中学卒業するまでずーっとPTA会長をやらされ続けることになるのだ、ということだった。

そして夫の持論は続く。うちの子供の小学校児童の人数が多いから、馬鹿な嫁を持たない限りはPTA会長という貧乏くじを引かされることはないが、俺の実家の学区小学校だと、児童の人数が少ないので自主的PTA会長をやろうという人はいない代わり、男は地元の生まれ育ちの奴が多いので、PTA会長職は地元の繋がりで信頼されている奴が頼まれてやるのだと。一種名誉職のようにPTA会長を言う。

俺もあのまま実家にいたら、きっと先輩からPTA会長を頼まれて大変だったと夫は楽しそうに言う。私は「ないよ。」と答えた。

夫の実家に住み続けていたら、私は今頃生きてないよ。子供を生む前に首括って死んでたわ。そしたらお前の家族、お前含めて誰も私をお前んちの墓に入れたいと思わないし、私の両親もそう思わないから、きっと今頃私は故郷祖父母と一緒の墓に入っている。

こんな、余計なことを話して夫の機嫌が悪くなんないはずはないので言わなきゃいいんだが、たまに言わないと気が済まなくなる。

言っちゃってから気づいたが、私が仮に死んでたとしたら、夫は今頃別の女と結婚して実家に住み、嫌々だというていで楽しく小学校PTA会長をやっているのかもしれないな。

私と私の子供達には関係のない未来だ。夫にはその方が楽しいのかもしれない。

2021-02-26

anond:20210226105220

 

 ある民族犯罪率が高くなるのは、通常は郊外スラム所得の低いマイノリティが集中しており、学歴も低いことから真っ当な職につけず、それをギャングリクルートするから

 社会科学的に自信を持って言えるのは、<パンティストリート>に治安についてのエビデンスがなく、他の地域と「価格間取り・住環境などについては完全に同一」であるとすれば、その地区に住んでいる<パンティー人>は社会的成功しているグループであって、犯罪ネットワークとのつながりは薄く、その生活水準も当該国の主流民族と対して変わらないということだね(警戒されていれば絶対に、同じ間取りで同じ値段ということはない)。

 なので、正直コインで決めても、全然問題ないと思うよ。

 

2021-02-22

anond:20210222115638

都内のまあまあ便利な地区でも新しさにこだわらなければ駅徒歩15分でも15万〜で2LDK探せるぞ

2021-02-19

anond:20210219214051

いやそうじゃない

どんなに美味い店だって目立たず入り難いとこだったら売上が減るってこと

同じ地区の半径100m以内だったとしても

2021-02-17

anond:20210213152610

お互い過去イメージで見てるからね。

荒川区はあのションベン臭い南千住まさかタワマン畑になってるとは域外の人は思わないし、

足立区荒野広がる舎人地区21世紀になっても大根植えてたTX沿線あんなになるとは…って感じ

時期はちょっとずれるが西新井日清紡跡地とかもか。

舎人ライナー沿線だと日暮里駅前の変化も当たり前と受け入れるんだろうな…。20年前を知ってると面影ゼロで笑ってしま

2021-02-16

anond:20191015153724

やっかみされる側に居るので一言

おそらくスポーツ紙ネットにて騒がれる原因のひとつは、

武蔵小杉駅近辺は、収入格差がハッキリ出ている地域だという事。

NEC富士通などがある横須賀線ホーム側のタワマン地区と、

東横線新丸子方面庶民的物件が並ぶ地区の差が判りやすく出てる。

タワマンが立ち並んだおかげで色々なショップが出来たけど、

そのおかげで昔ながらのお店がつぶれたりもしている。

そんな感じで明暗分かれた街並みが、

ゴシップ的なひとたちの格好の標的にされている気がする。

2021-02-13

anond:20210213004109

子供の頃、文京区千石マンションから北区田端の一軒家に転居(1キロくらいしか離れてない)した経験あるんだけど、

引っ越すとき近所の人とかママ友たちから

「よりによって北区!?あんなとこに引っ越すとはw」とか

「私には絶対に無理。文京区知っちゃうとね」とか

直接的な表現で嗤われたり、驚かれたりしたって事実最近になって母親から明かされて驚愕した。

結局どこも変わらないよ。

北区にもまさにあなたが言うような誰に対してもフラットに接することができる精神性の人はたくさんいたし、

文教地区セレブ地区文京区にも上記のようなフラットどころか超失礼な人は平気でいたわけだし。

あなた体験も、俺の母親体験も結局は観測範囲問題

お金持ちの街での子育てが最高だった

私は今まで大きな思い違いをしていた。

田舎より、中途半端な都会より、そんなものより文教地区のタワマンが立ち並ぶ街(かといって若者商業施設が立ち並ぶわけではない街)の方が何倍も、人に対してフラットもの見方をしているということに気づいた。

いわゆるそこは環境の良い比較お金持ちの街だった。本当にそこのママたちはフラットだった。

例えば子ども保育園に行く家も、普通幼稚園に行く家も、お受験をする家も、インターに行く家も、ほとんどが同じ割合でいたので、あらゆる家が“普通“だった。

0歳から保育園に行くと言っても誰も「可哀想」なんて言わない、幼稚園受験をすると言っても「そんな小さいときから…」なんて言わない、インターにいっていても「じゃあ英語しゃべってw」なんて言わない。

誰かの家に遊びに行く時も「うちはあそこのタワマンだよ、来てね」「うちはその横だよ」「いいなー、うちは賃貸だよー(笑)」そんな感じで誰も「うわ、タワマン金持ち〜っ」なんて言わない。

旦那さんが医者でも弁護士でも社長普通サラリーマンでもどれも全く珍しくない。

お昼ご飯に、コンビニ弁当を食べていようか、2000円のステーキ弁当を持ってこようが誰も気にしない。「わー!お肉美味しそう!それどこの?」「あ、それコンビニの新商品!?セブン明日それにする!」というような感じだ。

この街に引っ越す前、私は別の地に一軒家で住んでいた。文教地区でもなければ、近くに受験幼稚園もない、昔ながらの土地最近子育て世代が多く入るようになったような地域だ。

その時に散々言われた。

家の前を通った顔も知らない人たちに「うわっでかい家!金持ちはいいな!」「はぁ…金持ちが」

子どもを学区外の学校に通わせると「金持ちいいな」「ボンボンw」「うちは普通の家だから、そんなお金ないし」「あそこはお金持ちだから

そんな事を散々言われた。

引っ越しをして本当に心が穏やかになれた。もう周りから差別されない、どんな家庭環境でもそれを“普通”と受け入れて貰える。それがこんなに尊いこととは。

子育ての話がぼかさなくても出来る、子ども誕生日プレゼントに何をあげたいか相談出来る、息抜きホテルランチに行こうと話が出来る、高いから無理!と笑いながら断れる、幼児から習い事をしていても「教室楽しいいいね!」と子どもに話しかけてもらえる。

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