はてなキーワード: 交錯とは
今回は少年ジャンプ+
読切祭とかやっていたので、それに絞って感想書いてみた。
追記:漫画のタイトルが間違っているという指摘あったんで、修正しとく。
読切祭の一つ目。
ふむ、キャラクターや設定にリアリティや説得力が欠けるが、嫌いではない。
コマ割や構図がイマイチなのと、後半のアッサリ感はいかんともしがたいが。
あくまで謎ということで終わらせたいのだろうけれども、その上で描けることはあったと思うんだけどなあ。
時代劇で例えるなら殺陣シーンにあたるわけで、最も盛り上がる場面なわけだから。
読切祭の二つ目。
主人公である片山を、しっかり魅力的に描こうという意欲がみえるね。
主人公の信条が、言動の正当性を担保しているという構図はよろしいかと。
即物的ではあるが、これは実直かつ目に見えないものしか信じない主人公だからこそ言葉の重みが違うってことに、感想書いているときに気づいた。
ただ主人公のキャラをしっかり描きすぎた反動というか、幽霊キャラの設定はメタ的に見たときあまり必然性を感じなかったかな。
幽霊キャラのためにページ数割いているのがやや蛇足気味に思えた。
私の持論で「メインキャラは加算ではなく、乗算が理想」というのがあって、この幽霊はメインキャラとしては加算でしかないんだよね。
読切祭の三つ目。
「フリークス」とか知っている身からすれば、中々にセンセーショナルなテーマだ。
……の割に別段語りたいことが出てこないのは、テーマによって紡がれる話や構成、演出が大したことないからかな。
「フリークス」然り、同サイトの「ファイアパンチ」然り、それらの賞賛や批判が強くなるのは、作品やバックボーンにそれだけ影響力を持っているからだと思っていて、その点この作品は平易だ。
読切祭の四つ目。
設定、ストーリー、キャラクター、ギャグ、構成するネタの一つ一つが尊大ですらなくて、そのくせ唐突だから、ただただ首を傾げるんだよね。
コマ割をもう少し工夫してくれれば、印象も多少変わったかもしれないけどなあ。
まるで4コマ漫画として書いていたのを、無理やり繋げたみたいな構成だから、余計にそう思う。
奇抜というほどのアクもなく、正直なところ貶すほどのものでもないけれども、かといって褒める部分もほぼない。
「読切祭か、よし作品全部の感想を書いてやろう」という気持ちじゃなければ、感想を書こうとすら思えない内容だった。
読切祭の五つ目。
「マッチョ」という「グルメ」という組み合わせ、そして画力のインパクトはそれだけで面白いが、逆に言えば面白かったのは「それだけ」だったともいえる。
まあ、一発ネタですなあ。
読切祭の六つ目。
英雄の武具の扱いが難しいので、それを指導する仕事というコンセプトが面白いね。
ただ、面白そうな設定に対して、そこまで盛り上がらなかったかなあ。
結局、やらせてることがほとんど呪文の唱え方ってのがガッカリポイントというか。
あと、ちょっとノリで押し切って欲しくなかった部分があるのも残念。
読切祭の七つ目。
間違い電話から、それぞれの思惑が交錯し、誤解が生まれ、コメディになるっていうパターンはありふれているけれども、まあ面白かったかと。
ただ、終盤それら物語がしっかり集約されないのが不完全燃焼感あるなあ。
噛み合っていないものが噛み合っているように見えるから面白いのであって、それが噛み合わないままだと話としては中途半端。
例えば、誘拐犯は縁のない、あくまで身代金目的で動く人物として描いてみる。
更には父親も終始登場させる。
子供、誘拐犯、坊主、父親といった登場人物たちが、それぞれ違う目的で動く部分を掘り下げて描写する。
勘違いした坊主が、誘拐犯ではなく子供の父親に電話して~とかいう展開も挟み、誤解が更なる誤解を生むスパイラルを~、とかだったら面白くなると思うのだが、些か願望入りすぎだろうか。
※エロゲと銘打ってるがエロゲに限らずエロコンテンツ全般でヨロシコ
何がどう感じているのか言葉で説明口調にならない範囲で言葉だけでも想像できそうなのが良い。
ひたすら喘ぎ声だけを出しているテキストはクリックする時間の無駄。
文章(言葉)にもエロスを感じたいのにひたすら「あん…!」とか「いい…!」とか読まされても脳が疲れるし息子も冷める。
レイプされてたとしても何がどう苦しいのかをしゃべらせたり、
凌辱されてどう辛いのかをしゃべらせたりするべき。
何のために馬の交尾でなく人の交尾を見ているのかをもっと製作者は理解してほしい。
ろれつが回らない崩し言葉も度が過ぎると手抜きに見えるし何言ってるのか分からないから程々にするべき。
2.巨乳
完全に好みだが、ある時を境にして巨乳派になってからは巨乳じゃないと物足りない。
とにかく肉感がいい。
年齢が高めでも低めでも味方してくれるパーツ。
巨乳は俺を救う。
3.フェラシーンはちゃんと抜くまで
よく途中でフェラを中断させて挿入に移行するものがあるがNG。
身も心も繋がっていることを実感させてほしい。
4.男が力で抑え込むシーン(和姦・レイプともに)
和姦・レイプ問わず、男が腕力で女体を抑え込む表現があると最高。
男側の野獣性が出て犯してる感じが出て興奮するのと、
女側はなすすべもなく体勢を受け入れざるを得ないのに興奮、W興奮する。
和姦の方がいいのは激しくされてるのに心から受け入れているのに興奮する。
立って対面で壁に押し付けてたり、両手首を男が掴んでピストンとか最高に興奮。
もちろん男女逆でも興奮する。
5.心から愛し合ってる
お互い心から愛し合っていて心理的なストレスフリーの状態で快楽をむさぼりあう。
とても最高。
調教系も最終的にはラブラブになると心の底からポカポカと暖かくなる。
悲劇的な終わり方されても真顔になるだけ。
激しいエロの後はイチャイチャラブラブタイムで筋肉と心を落ち着かせる。
6.性欲が強い
お互い性欲が強い。
汗だくになってひたすらしたり、馬鹿になるまで連続ふぁっくする。
興奮する。ベッドでなく布団ならもっと興奮する。
プレイを色々考えたりして相手が喜ぶのを考え合ったりしたらなおいい。
大人しい子が性欲強いとかいうベタベタも汗でベタベタになって布団の中で格闘するのも愛せる。
7.隠れてエッチ
身内が周りにいたり、外に出て人目を盗んでの隠れエッチもスリル感があっていい。
何がいいかというと日常(非エロ)と非日常(エロ)がリアルタイムで交錯するのがよりエロを際立てていい。
恋人関係だからこそあり得る非日常とのクロス、これがエロを強烈に彩る。
テーブルの下でフェラとか、現実だと有り得ないんだけどこれがとてもいい。
胸が大きいのに無邪気にはしゃいで胸を押し付けてくるとか最高だ。最高しか言えない。
そして好意を表すところだけ恥じらいがあると拳を握りしめるくらい好きだ。
9.手マン
手で感じさせてるというのが既にいやらしい。
激しくも優しくも自由自在。
グチョグチョという水音をわざと響かせるようにいじるのも良し、
鬼のように感じさせて潮を吹かせるも良し。
10.顔が涎と涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃ
激しく襲い掛かる快感に涎や涙でグッチョリし始める顔でシコれる。
やはりエロは液体。
好きな人とセックスをしているのに涙も涎も流さないなんて嘘よ!
好きな人を泣かせているという背徳感と犯す喜びと喘ぎ声でパーフェクトハーモニー。
11.髪が長め
ロングヘア―といかなくとも括れるくらいに長いと嬉しい。
短めも嫌いではないが、やはり長い髪というのは女性ならではの特権だと思う。
長い髪には神秘性とか包み込むようなやさしさとかそういうのを感じてしまう。
マリアをふぁっくしてると思うとエロさがアップしないだろうか?いやする。
髪が長いと色んな髪型に変えることができて色んな表情の変化を楽しむことができる。
ポニーテールとツインテールで妻の別の顔をみちゃった…ドキリンコ☆彡
みたいなストーリー展開もできる。
まとめ
巨乳で巨女で頭がちょっと幼いけれど母性があって甘えさせてくれて、
小麦肌で初エッチの後は外でも家でも積極的に襲ってくるようになって、
エロ本のせいで隠語バリバリ学習していって色んなエッチなおねだりを要求してくるようになって、
おわり
ぶぶぶぶぶぶ
室内から巨大な羽虫が飛び回っているような音がする。
古代の巨大昆虫メガネウラが乱舞していれば、こんな感じかもしれない。
扉の前に立ち尽くしたセミロングのお嬢様はつぶやいた。
「とっても嫌な予感がします。でも……」
室内にはレシプロソー(電動ノコギリ)を両手にたずさえたポニーテールのお嬢様が無言で立っていた。
彼女の得物は短いノコギリの分数千回におよぶ高速前後振動によって、
小さな力でも硬く大きなものが楽々解体できるかなり禍々しい代物だ。
対するセミロングお嬢様の武器はお召し物の中から取りだしたるSGP鋼管25A(B1)-500L、2本!
二刀流であることは同じだが、文明度では大きく水を開けられている。
「甘く見ないで!」
これはこれで怖い。ザ鈍器といった風情だ。
「……」
このシチュエーションで彼女が一番おそれるのは鋼管の投擲攻撃だった。
鳶道具もとい飛道具は使わなかった。
「ふっ!」
鋼管の先端には螺旋の溝が切ってある。すなわち長ニップルになっていた。
そのため、六角形やトゲ突きの棍棒と同じく対象へのダメージを広げる効果が期待できた。
ちぃぎゅぃんっ!
耳を聾する音を響かせて、長ニップルが弾かれる。ポニーテールのお嬢様がはじめて口を開いた。
チャンバラがはじまった。
お互いの得物にダメージが蓄積していくが、その程度が視認できるのは
鉄パイプの側のみ。絶えず震動するノコギリはなかなか把握しづらい。
(それに……)
ポニーテールのお嬢様は替え刃を持っていると鉄パイプウーマンは確信していた。
「……!」
ぢゅいぃいいいんっ!
高々と宙を舞ったのは鉄製ちくわの方だった。
もう片方の鉄パイプを挟み込むように切って上下のつながりを完全に断ったのだ。
「鉄パイプに魂はありませんでしたわ……」
わずか2コマの出来事にがっくりとうなだれるセミロングお嬢様の胴体を震動しつづける刃が強襲する!
彼女は吹き飛ばされ地に転がった。
「!?」
それなのに高速度鋼製ノコギリが破断するのは異様である。
彼女はあわてて替え刃をベルトにつけたホルスターから引き出した。
そして――」
鉄パイプ使いは、短ニップル付きのねじ込みチーズを取り出すと、新しい鋼管のねじにシールテープを巻き、ねじ込みフランジにねじ込んだ。
二本の長ニップルをユニオンやソケットでつなげば長い棒になり、
同時にレシプロソーの刃を付け替えたポニテお嬢様は首をかしげる。
「日頃の心がけが大切ですの!!」
トンファーの軌道は大きく弧を描き、先ほどのように挟み込んで斬るのは難しい。
その上、セミ様はただの棒ならウェアラブル武器庫の中からすぐさま取り出せた。
「ここまでよ!」
ところが今度はセミロングお嬢様が驚いた。
「この髪は使いたくなかった……痛むから」
ポニーテールがまるでサソリの尾のごとく立ち上がり、鉄パイプを受け止めたのだ。
思いもしない三本目の腕の存在にあわてて配管工は距離をとる。その前にレシプロソーが袖をさくが、かえって袖下のニップルに刃を損ねる。
「しかたありません……」
マリオ兄弟の同業者は瞑目すると、トンファーを手前に放り白銀に輝く鋼管を取りだした。
「聞いて驚きなさい。この鉄パイプはSUS310S製なのよ!」
ご家庭から化学工場まで幅広く使われているステンレスの基本種。
対してSUS310Sは見た目なんかはSUS304とほとんど変わりませんけど
使いこなせませんとS35Cより弱いお高い鉄滓みたいなものですのに
どうして武器に?」
「説明ごくろうさま。同材の”やくもの”が市場にない点が残念ですの」
セミロングお嬢様は急に多弁になったポニテ星人にほほえみ返すと、
話の合間にSCS14A製ねじ込みフランジの護拳とSUS316Lニップルの柄を鋼管に取り付けた。
組み上げたオーステナイト系ステンレスのレイピアをセミロングお嬢様は構え、一礼する。
「参ります!」
その一撃は速く、そして、硬い。
通常のステンレスは炭素鋼より強靱で、旋盤加工にも特別な設定が必要とされる。
無意識にさきほどまでの加減で刃をふるったポニテお嬢様は数合で鋸歯を消耗させてしまう。
だが、まだ動くポニーテールがある。いったん時間を稼いで刃の付け替えとスピコン設定を――
セミロングお嬢様はさりげなく狙った場所においておいたトンファーを安全靴が蹴り飛ばしたのだ。
「うくっ?」
これをポニテでなんとか弾いたお嬢様だが、次の一歩ですってんころりん転倒する。
「足下がお留守でしてよ?」
摺り足によってセミロングお嬢様は敵の足下に、パイプや継ぎ手をまき散らしていた。
音で薄々把握はしていても、ここまで攻撃を畳みかけられると回避しきれない。
ポニーテールのせいもあって意識が上に偏っていたお嬢様は、まんまと敵の罠に掛かってしまったのだった。
セミロングお嬢様は勝ち誇らない。
条件次第では1000℃にも耐えるステンレス鋼にレシプロソーが吹き飛ばされ、
最後の抵抗を試みるポニーテールに向けて、棍棒が打ち下ろされる。
「っ!!?」
倒れたお嬢様は思わず目をつぶった。彼女の自慢の髪は衝撃をうけ、しおしおのパーになった。
「いったい、なんだったんですの?この髪は……あら、手触り素敵」
たぶん何か原因があるでしょう。だがその他一切のことはわかりません!
残り4人。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160411184413
次回
http://anond.hatelabo.jp/20160414193717
幕間
http://anond.hatelabo.jp/20151224151950
(追記)
元増田です。
たくさんの反応があって驚いています。
すべて目を通させてもらっているので、いくつかお返事を返したい。
http://anond.hatelabo.jp/20151224152315
女ってそういうのあるから付き合いたくない
本音と建前が交錯する人間関係なんて男も女も変わりないと思ってたけど、男のほうがそういうのさっぱりしているのかな?
どうやって裏アカ見つけたんだろうって方が気になる
Twitterのオススメユーザーみたいな所に彼女の裏垢が表示されてた。
彼女の本垢と繋がってたし、名前も『彼女:裏垢』みたいになってたのと、呟きの内容が本垢と連動してたから確信した。
脇が甘すぎるだろ・・・と思うけど、私にみられようと構わないのかもしれない。
二十年も月一で中高のころの人と会うとかすげーな全然話し合わなくなるだろうに
自分でもよく続いてると思うよ。
話が合わなくなっていたし、月一開催っていうのが息苦しくて、ここ数年は欠席することの方が多いよ。
他のメンバーはどうなんだろう。本当はかったるく思ってたりするのかな。
徹底的に喧嘩するという選択は、正直かなり考えた。
たぶん中学生の私だったらそうした。
だけど悲しいかな、三十路の私は、彼女と喧嘩したり話し合いをする元気が残っていないのだ。
人に憎悪を向けるのって時間や精神の消耗がかなり激しいものでメリットは超希薄なのに、大人になってもそれが解らん人がいるんだよ
まさしくその通り。
人を悪く言ったり喧嘩したりするのってものすごく疲れるし、まして自分に悪意を持った人間だ。
そして一度は好きだったものを、嫌いだと言って攻撃しなくてはならない。
そこまでして向き合って、なにか決着がつくのならばまだいい。
でも結局お互いに憎悪をぶつけ合って、疲弊して、ずっと禍根が残ったままになる可能性のほうが高い気がする。
大げさな言葉だけど、憎しみの連鎖を未来に持ち込みたくないのだ。
私が彼女と争う姿を、おそらく周囲の友人たちもみるだろうし、それでまた私のことを不快に思うひとも出てくるだろう。
なんのメリットも感じられない。
そんなことより、旦那とデートしたり、別の友人たちと飲んだり、大好きなバンドを追っかけることを考えたい。
そして現実的に結婚式とか新居のことで忙しくなりつつあるので、彼女に向かい合うエネルギーが勿体ない。
相手の裏垢を探し出してる自分の行動にはなにか思うところはないのだろうか
ある。
裏垢は探し出したわけではないが、彼女ををヲチってるのは自分も一緒。
もうこんな不毛なことはやめたい。
どうかな・・・。
彼女も婚活パーティーとかは行っているようだけど、あまり一生懸命ではなかったような気がする。
そんな漫画みたいな展開だったらよかった。
旦那とは20年先も50年先も仲良くやっていければと思います。
昔の人の言葉はためになるね。
胸に刻んだ。
中学生みたいな人間関係の縺れだが、いろいろダメージを受けてしまっていて、
このひと月くらいずっともやもやして仕方なかった。
予想以上に反応をもらって驚いているし、
子供の頃から、一番好きな映画はバックトゥザフューチャーだった
千と千尋の神隠しでいちばん好きなシーンは、最後の車に落ち葉が積もってるところだったし
ハリーポッターも、ロンとハーマイオニーと一緒に時間を遡る演出がいちばん好きだった
で、最近、バタフライエフェクトを観てウオオオオおもしれええってなった
たぶん私は、性癖みたいな感覚でタイムリープものが好きなんだと思う
この前観たルーパーって映画も、未来の自分が云々みたいなパッケージだったから期待してたのにそういう要素ほとんど無くてちょっと辛かった
SM女王様だと思っていざやってみたらボンテージ着ただけのノーマル女だったみたいな感じ
あわよくばタイムリープしたいな〜
【Q14】
[質問]
学生が、パロディ作品を制作して卒業展示をしたいと希望しています。
パロディ作品は著作権侵害であるとして、一律に禁じたほうがよいのでしょうか?
[回答]
…そのまま進めて構いません。
○手続きに沿って進める必要があります。以下を参照してください。
…残念ながらできません。なぜかは、以下を参照してください。
[解説]
表現の自由と著作権の問題が交錯する難しい問題ですが、教育的な機関においてパロディを一律
原則としては、教員の教育方針に関わる問題と思われます。学生のパロディ表現が、優れており、
本人の意向も強い場合に、全て一律に禁止することは、芸術的な表現活動を推進する機関としては、
賛同しかねます。フランスや米国など、こうしたパロディが社会的に容認されている国もありますが、
わが国は、法律的にはパロディに厳しい立場をとっています。こうした点から権利制限の一般規定を
法律改正で認める方向で動いていますが、どの程度のパロディが容認されるかの境界も明らかにな
るには時間を要すると思われます。わが国でも著作権侵害と考えられるパロディが広く出回っていま
すが、これは、著作権者がそれを容認するかしないかによるもので、利用者のリスク負担でなされて
いると思われます。
パロディ作品の公表の場や性質、著作権者の立場も配慮して個々具体的に判断し、公表者のリス
ク負担があることを前提であることを、学生に知ってもらうことも必要かと思われます。
リスクを避けるために著作者の同意を得ておくような手続きをとることも、学生の著作物の取り扱い
に関して考えさせるよい機会となるかと思われます。
[参考図書]
【参考判例】
もしも、だなんてあまりしたくない話なのだけど、彼を見るようになってから頭の中で言えないもしもが募っていく。
もしも、私が彼に声を掛けたら…?
考えてみるけれど、間違いなく声は上擦るし、顔は真っ赤になって吹き出す汗と脂できっとテカテカになってしまう。そんな顔を彼に見られると想像しただけであまりの醜さに目を覆ってしまいたくなる。
もしも私が、黒髪ロングでバストも豊満で、くすりと笑う笑顔が素敵な女性なら自信満々にレジを打ったり、レジ台をいそいそと台拭きで拭いて綺麗にしている彼に声を掛けられたのに。現実は残酷だ。
暴走してしまう思考は、彼にレジ打ちをしてもらってる時に「笑顔が可愛いですね」と言おうかと悩んでいるし、何をトチ狂ったか「いつもあなたで自慰をしています」と言ってしまおうかと思うのだから、自分自身が恐怖だ。
そんな事を言ってしまった途端に私は彼の働くスーパーに一発で出禁を喰らうだろうな、とぼんやりと思っている。
しかし、彼に覚えられたかもしれない、と言う事実に嬉しさと焦りが交錯する。
それすら勘違いかもしれないのだけど、いつもレジをしてもらう時に彼はマニュアル通りに「いらっしゃいませ カードはお持ちですか?」と聞くのだけど、この前行った時にはそのセリフを言わず「いらっしゃいませ はい」と言ったかと思えば会員を示すレジのボタンを押したのだ。
これは もしかして と思う。けれど本当にたまたまかもしれないし、もしかしたら私が持っていたカードが目に入っていただけかもしれない。覚えられたかもしれない、と言う事自体私の杞憂と言う可能性だって大いにあるのだ。
覚えられてしまっては負けだと言っていた割に、もし覚えられていても彼のレジに並ぶ事を止められないのだから、本当に滑稽だなぁ、と思う。
そして彼を思ってする自慰も全く辞める気配がないのだから、自分自身に嫌気がさしてしまう。それどころかどんなオカズよりも捗るのだから困る。正確には困ってなどいないのだけど。今日もお昼から耽ていたし、後悔の色は相変わらずない。
いつになればこの妙なファン心理を彼に持たなくなるのだろう。ここまで来るともはやファン心理なのかも不明だ。
「ねえ、ちょっと眠くなってきちゃった」
彼女は突然にそんなことを言った。
いつものようになじみのレストランで気取らないイタリアンを平らげ、僕らは心地よい満腹感にひたっていたというのに。
いたずらっぽく火照った笑顔でそう続ける君への衝動をおさえきれず、ぼくは軽く口づけをした。
「じゃあドライブでもしようか」
真夜中の首都高。交錯するオレンジの人工灯。交わす言葉は少なくとも、確かにアダルトな思惑を共有しているぼくらは、高鳴る鼓動を胸にカブリオレを駆った。
着いたのはシティホテル。彼女を丁寧にエスコートするぼくは、女の扱いに慣れてるのねなどと軽口をたたかれながらもエレベータに30階へと運ばれる。
「いい部屋ね。」
「きれい。今日は、最高の夜ね」
彼女はふかふかのベッドにその豊かに成熟した肢体を横たえた。間接照明のおだやかな灯りに照らされ、ぼくらがどちらともなく互いの身体を求めるまで時間はかからなかった。
「ちょっと待って」
「え」
「ちゃんと持ってるわよね」
「えっと、あれのことかい」
「そう、ちゃんとつけて」
「あ、ああわかった」
彼女に促され、ぼくは財布からおちんぽマグナマイザーを取り出した。
「えっと」
「うん、久しぶりだから」
「逆よ、向き」
「どれも同じよ。違うのは形だけ」
「そうだったかな」
「いいわ、わたしに貸して」
「でも」
「いいから」
そういうと、彼女はおちんぽマグナマイザーを軽く振った。おちんぽマグナマイザーはシュワシュワと小気味良い音を立てた。
慣れた手つきでおちんぽマグナマイザーを扱う彼女を見るのは少し複雑な気持ちだった。しかしそんな彼女におちんぽマグナマイズされるのも悪くない、そう思ってしまう自分がいるのも確かだった。
「じゃあ、いくわよ」
「わかった」
ぼくは目を閉じて胸を打つ鼓動が強くなるのを聞きながら、彼女の白く細やかな指がおちんぽマグナマイザーの銃爪を引くのを感じていた。
313 ソーゾー君 2015/02/09(月) 00:19:20 yFS7sAuE
シンプルなんだよねw
3「国連」
シリアに聞けば事足りるだろ?
こんな如何わしい情報だから「情報が交錯し、二転三転、急展開になるわけw」
「は?湯川?後藤?イスラム国に捕まった?シリア国内に居ないぜ?
全て隣国の国境付近の話だよ?
↑こう言うわなw
シリア国内に居るシリア国民にインタビューしたら大変な事が起きるもんなw
だけど>>306-311のキチガイ達が「北朝鮮の言ってることは嘘だ!」と全否定するから話が進まんのよw
だっておかしいだろ?湯川と後藤はイスラム国が「死んだ」と言ったら信じるのに、
「横田めぐみは北朝鮮で北朝鮮人と結婚している。これが横田の娘だ」と言っても全否定するw
娘の件に関しては強引すぎて流石に後で撤回したがなw
その娘の主張も「北朝鮮政府に言わされてるんだ!」と言って全否定w
もうやりたい放題w
北朝鮮は公式に「拉致ではない!拉致はない!」と否定している。
自由私意なんですw
正式な手続きを取れば問題なかったんだけど、駆け落ちとかDVによる家出とかだから手続きをしてる暇がなかったのw
曽我親子も別に北朝鮮じゃなきゃ嫌だと言う訳じゃないかったのよ?
家庭内の対立で家出=離婚を決意して統一協会の人に相談しただけなのw
娘は北朝鮮に、持病持ちの母親は韓国の統一協会の施設に行っただけなのw
本当は帰りたいんだけど、騙されて家族全員で帰国してしまったから仕方ないねw
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1422199606/
Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。
魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点が散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。
以下、ネタバレなし。
まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である。
1人目の男、藤島(役所広司)は、加奈子の父親である。藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子の母親と離婚し、自堕落な生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子が覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島は加奈子の行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。
2人目の男、「ボク」は、加奈子のクラスメイトである。学校でいじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子に復讐を果たそうとする。
この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループの目的は何か、といった謎を解明していくものである。
演出で特徴的なのが、上映時間のほとんどが、藤島が暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である。藤島は関係者に暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。
その上で、この映画が酷評されている点をまとめると、以下のようになる。
(1) 結末まで観ても話がよく分からない
この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島の暴力と加奈子の魅力だけで語られるものであるから、言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子、ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。
ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。
この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。
観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句、暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである。
しかしこの映画に主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画に主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。
(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない
この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだ(ネタバレに配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。
そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。
これである。監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督の映像技術でさらにパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントはうなぎのぼりである。
(2) 暴力シーンが痛快
批判の対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物であると桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。
どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。
よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっております。ネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。
そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察たのしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
『そもそもツイッターを筆頭にあらゆるソーシャルなネットワークサービスが
自分達にとって都合が良く心地の良いなれ合い環境を作り出すツールや場所として存在しており、
故に淫夢のような特定集団の形成や、その集団がエゴイステイックに闊歩するのは必然なんじゃない?』
...というのは一旦置いといて、
ニコニコ動画も随分まっとうな物になったんだなぁと。
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子供としてはしゃげる場所、大の大人が子供になりたくて来る場所だ。
かつてのニコニコを知っている人は思い出せるだろう。
アニメや映画は丸上げされ、キーボードは飛び散り、狂った裸の馬が毒キノコを調理する光景を。
何でもアリの有象無象の輩が良く分からない情熱を持って馬鹿を競い合い、笑い合う。
そこではフリーダムな風を吹きあれていた。
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今は一般化を目指してテレビの代わりになってしまったと私は感じている。
非社会的な場所から、社会的な場所への整備が進んでいった、すなわち公園化だ。
公園とは遊ぶ場所ではあっても社会的な空間であり、社会的なルールの適用範囲に入る。
結果、ニコニコは安全な公式が上げたアニメを見て猫を愛でるような安全な場所になってしまった。
つまらない遊具と禁止事項が羅列された看板しかない公園のようだ。
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淫夢的な物に人が集まるのはまだそこに非社会的な自由さがあるからである。
逆にもはや「かつて」のニコニコ的なる要素はそういった場所しかないからである。公園の隅だ。
善の楽しさも悪の楽しさも、尊敬も侮蔑も面白さや発想として許容される非社会的な空間。
息苦しく無く見る側も作る側もそれが受容出来る空間。
そんな敷居の低さが人の創造と承認とのサイクルを作り出し熱を生み出す。
人が集まるのは当たり前だ。
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あの何も無く人の目に届かなかった更地に戻したいのだ。
あの頃の皆で持ち寄り、産み出し、互いの発想を讃えて、笑い合うような。
なんというか日本人はあくまで内なる所属組織で生きてるんだけど、外国人は
「街」という外的世界で生きてるんだよね 。街の中に学校があり、企業があり、官庁があり
、歴史建築がある。そしてそこで学んだり働いたりする人が共存する「街」がある。企業で働いているとき
でも学校で学んでいるときでも「内」よりも常に見知らぬ人間同士が交錯する、「外」の世界の「街」という
その証拠に例えば、外国では日本のように学校の中で部活動や各種行事をあまりおこなわない。
それらは公的な地域が担っていくべきもので学校はあくまでも「勉強をしにいくところ」
と割り切っている。日本は子供は常になんでも一つの組織で済まそうとして、
学校の中で一日中過ごして何もかも内なる組織で、「知ってる人同士」で片付けようとする。
外の未知なる地域や公共で新しい人間関係を構築する機会を奪われている。
広場やカフェで政治議論を楽しんだり、知らない人と公園で夢を語る。
電車の中でアコーディオンを弾く芸術家おじさんに遭遇し会話を楽しむ。
そんな日常の中にある非日常が子供の成長を促したりすると思うのだが。
ところが、日本はそういう狭い社会組織の「中」or「内」に街をつくっている。赤の他人に冷たい
みんなでいっしょに、芋掘りして、じゃんけんして、両手をぐるんぐるんしました。
かけっこも速かったです。
また、遊びにきたいとおもいます。
※ ※ ※ ※ ※ ※
これまでPerfumeは、テレビやCMで歌うシーンだけしか見たことがなかった。
ファッションショーのモデルや初音ミクに対しては、一種非現実性を感じることがあるが、Perfumeに対しても同じ印象を持っていた。
LIVEでは、3人が交錯しそうな狭い場所で、映像・演出と完璧に同期した振りで歌い、踊っていた。ステージ横のスクリーンを見ていると、まるでプロモーションビデオのようだった。
なんというか、プログラムされたアンドロイドのように見えた。再生芸術。
広島弁。
「○○じゃけぇ」
ここからぐーっと引きこまれた。あぁ、この子たちは生身の人間なんだなぁ、と思った。
デビュー当時の苦労や、支えてくれたスタッフ達への感謝、そして客席とのコミュニケーション、すべて広島弁。なんだか夏の田舎に帰ってきた気分だった。
ライヴではアーティストが客席に統一した動きを求めることがあるが、あーちゃんのそれは徹底していた。両手を上げて「すすき」のように左右に振り、両腕をおろして「かぼちゃ」を抱え、両手を伸ばして勢い良く手前に引き「芋掘り」をする。
そしてT.M.Revolutionの“カラダが夏にナル カゲキで最高”の振りも(なぜ?)。
体育館の外は涼しかったが、場内は夏だった(実際暑かったし)。
ここで練習した振付は、その後の曲で皆でやることになったが、芋掘りはしなかった(笑)。
「かけっこ」は、このツアー中何回か行われていたようで、のっちは全敗中。のっちとあーちゃん&かしゆかに分かれて、観客の「よーい!どん」の声でスタート。
え!千秋楽までさんざん歌い、踊った後に、ハイヒールで会場後方からステージまで走るの?転ばないでね…… 結果はのっちが雪辱を果たすことができず、またも敗退。勝者の賞品はたしかチョコラBB1年分だったか。
楽曲については知識がないので語れないが、「エレクトロ・ワールド」だけは、映像から目が離せなくなったのを覚えている。皆が会場中央の3人を見ているなかで、一人反対側のステージを見ていた。
「リニアモーターガール」は、ライブでは7年ぶりだったらしい。
最後に、彼女たちの2005年メジャーデビュー(観客が少なかったらしい)から2014年までのビデオが流れ、Perfumeにこれまでほとんど思い入れがなかった自分も「えらかったねー」とねぎらいたい気分になった。(標準語でも、広島弁でも)
サプライズ企画では、「芋掘り」で訓練された観衆が一糸乱れぬ「人文字」を贈ったようだが、実際どんな感じだったのか見てみたい。
この日は奇しくも2014年のツアーの千秋楽だったということで、そういう場に誘ってくれた友人に感謝したい。
会場にはコスプレをした人が結構いたが、自分の席の数列前方に「アメリカ横断ウルトラクイズ」の帽子をかぶった人がいた。あれは何だろうと思っていたら、このあとアメリカツアーが決まっているという。そういうことか!ツアーの成功をお祈りします。
あ、チョコラBBドリンクありがとうございました>エーザイさん。
さて、何から聴いてみようか。
メモ内容
現代のヒット作りのヒントは3つある。
①所有から参加へ
②いつもから今だけへ
③誰にでもから私だけへ
日本の企業は、ていねいな仕事や絶え間ない改善で、世界で評価されるヒット商品を生み出してきた。
しかし残念なことに、21世紀は誠実なモノ作りだけでは、人々の支持が得られない時代になってしまった。
モノがあふれる時代、需要より供給が上回り、いくら市場調査しても人々のニーズは見えにくくなった。
このため企業は調査と開発に時間をかけるよりも、とにかく作って市場に出す傾向を強めている。
そんな使い捨て時代のヒット作りがエンターテイメントの世界にある。
AKB48はインターネットで音楽が手に入り時代に、CD販売の新記録を作った。
①握手会へ参加できる
②今購入すると特典が付く
この新しい価値を作ったからこそAKB48は大ヒット商品に育った。ここに今後の成長事業を生み出すヒントがある。
現在は景気が悪い時期に共通する「安さ」や「健康志向」、さらには倹約・自粛などから脱出を模索する
「ちょっとプレミアム」なものや「技術や機能開発」によって拓かれた新しい市場の商品などが交錯するタイミングにある。
この先、どのようなものがヒットし、それをどのようにして仕掛けていけばいいのか。
新興国の拡大市場では従来からある「品質、価格、納期(QCD)」の追求が、まだ効果的かも知れない。
しかし、衣食足りた成熟社会においては、より顧客とエモーショナル(感情的)なつながりを感じさせる商品がヒットするようになる。
商品の背後にあるストーリーに共感して消費者がモノやサービスを選択し、さらにソーシャル化したネットワークを通じて
互いに影響を与えあう構造が生まれている。
消費者は自分のライフスタイルにあったものを選べる時代に生きている。
SFをもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。
「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。
ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔をきっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。
「つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています。
一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月「言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語や言語処理についての本が取り上げられています。
最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界』掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。
ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語に翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。
円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフがモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家」であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳・相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作と翻訳の交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。
最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔の小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚とちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔の小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔の小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。
「一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1
円城塔の小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論を確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。
数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数論 高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当に飛ばしましょう。
『考える人』2009年夏号 特集「日本の科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。
ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラス・ムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。
ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーとモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリーの地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます。
数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。
第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章でモンスターとムーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。
円城塔の小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。
確率微分方程式で有名な伊藤清のエッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。
やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。
本のタイトルを見て「力学系と力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系の歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているから大丈夫でしょう。
『Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔の小説に頻出する素材です。
とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます。読書メーターでは、最近出た『ダーウィンを数学で証明する』に対して「 チャイティンのチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています。
これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジック・ゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデル・エッシャー・バッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理は理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います。
円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月「ゲーデルさんごめんなさい」)。
初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。
『天体力学のパイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります。
別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。
追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思います。リストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学のパイオニアたち』『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブのコメントで言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。